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プリティかつ怠惰に生きる
息子の受難
「家を出て行くってどういうことだ!」
玄関で靴を履いていた俺に、親父が焦ったような顔で叫んだ。弟に聞いたのだろう。余計なことをしやがって。
やはり、あいつに家を出ると教えたのは間違いだったようだ。チッ、と舌打ちをする。
「なんでだ?なんでそんなことをするんだ」
それを契機に、俺の返答を待っていた親父が喋りはじめた。その額には汗が流れ、傍目にも動揺しているというのが分かる。
「確かに冒険者なんて定期的な収益が出ない仕事だし、一週間に一度くらいしか家にいないから、お前たちが寂しいだろうとは思っている」
「そんなんじゃねえよ」
憎憎しげに吐き捨てた。親父は俺の言葉を無視し、捲くし立てる様に話を続ける。
「しかし、それでも毎回利益は出しているし、お前たちにはできる限りの愛情を注いでいるつもりだ。何か不満があるなら、教えてくれ…」
「だから、そんなんじゃねえって言ってんだろ!」
親父の言葉を途中で止め、怒声を出す。親父は、驚いているのだろうか、目を丸くしていた。
「…ただ、この街から出たいだけだよ。誰も俺のことを知らないような場所にいって、一人で暮らしたいんだ」
弟の泣き声が聞こえてくる。今の俺の声に驚いたのだろう。まだ10歳の彼には、愛する父親と、仲の良い兄弟の言い争いなど聞くに堪えないのだろう。
もう、ここを出たほうがいい。そう感じて、悲しそうな目をする親父に背を向け、ドアを開けて歩き出した。
「…何故なんだ」
親父が、背後で呟いた。俺はそれを無視して門扉を開け、家の敷地から完全に体を出した。
「何故なんだ!三太夫!」
「だからその名前が嫌だって言ってんだよ!」
敷地から出ていた体を戻し、何を言っても理解しないこのバカ親父に今夜二度目の怒声を浴びせた。
父親の名前は「アークロイド」。弟の名前は「アークジェイド」。
その流れで何故俺の名前が「アーク三太夫」なのか。本当に奴のネーミングセンスは、俺の理解の範疇を超えている。
「アーク○○」と名前をつけていって、ネタが切れて「三太夫」になったのなら、名前自体はともかく、流れには納得できる。
しかし、俺は長男なのだ。一発目で三太夫。それはありえないだろう。どういうセンスだ、おい。しかも、弟にはしっかり「アークジェイド」という名前がついている。なんだ、この待遇の差は。
名前を変えてくれと訴えたこともあったが、親父は心底不思議そうにただ一言。
「なんで?」
根本的に分かっていないらしい。親父の穢れのない純真な瞳を見たとき、俺の心中には諦めという言葉しか出てこなかった。
数年前までは何とか我慢はできていたのだが、現在の俺は12歳。世間の目を気にし始める、お年頃な思春期だ。そろそろ、この名前に対して我慢ができなくなってきた。
親父に何度か訴えたが、俺が何を言っても和やかに笑うだけだ。まるで、名前を変えようとはしない。
ならば、行動で示すだけだ。
この街 ――首都プロンテラ―― を出て、俺の名前を知らない街へ行き、俺の好きな名前を名乗るのだ。それ以外に、俺の望みを叶える方法はない。
そうさ。あのバカ親父が相手なのだ。この程度のことはしなくてはならない。
そもそも、あの親父は昔から異常だった。
異例の速さで剣士になり、地道に修練を続ければ1年で騎士になれると言われたほどの人間だったのだが、修練場を「退屈」の一言で抜け出した。各地を放浪し続けて、帰ってきたのは6年後。しかもいきなり、騎士の認定試験を受けると言い出しやがった。
6年もの間ふらふらしていた親父が、帰ってきていきなり難関の騎士試験を受ける。誰もが落ちると思ったらしいが、あっさり合格して皆を唖然とさせた。
騎士は、祖国を護るための由緒正しい仕事だ。その騎士の称号を得たのだから、今までの蛮行を改め、国のために尽くすのだと誰もが思った。
しかし、親父はまたも国を出た。元から奴は、祖国を護ろうなんて気はなかったのだ。
「いやあ、騎士の称号があると検問とか楽でさあ」
追いかけて来た騎士団長に、軽々と言い放ったそうだ。わが父ながら、あきれてものも言えない。
その後、各地をふらふらと回った後、「ピエロ鼻推進委員会」なる謎の組織をつくり、その名を(大陸一のバカとして)轟かせた。挙句の果てには、俺とジェイドにもピエロ鼻を強要してきやがった。無論、断固として断ったが。
こうして振り返ってみると、まるで良い所がない。家を出たのも正解だったと言えるだろう。
とはいえ、決して嫌いなわけではない。そもそも、俺があの親父を憎めるはずがない。
俺は、あの親父に拾われたのだから。
昔、プロンテラの路地裏に5歳程度の俺が一人で泣いていたらしい。親父は、特に何を考えるでもなく、俺を連れて自分の住むアパートへと連れて行った。
当時、親父はまだ18歳だった。剣士になり、騎士養成学校へ通っていた親父に、さらに一人分の生活費を稼ぐのは不可能に近かった。親父が学校をやめ、冒険者として過ごすようになった事には、俺の存在も少なからず影響していただろう。
天才と呼ばれるような人間だったのに、俺のために出世コースを蹴り、ここまで育ててくれたのだ。感謝こそすれど、嫌いになれるはずがない。
しかし、義理や負い目だけでそう言っているわけでもない。どんな人間とも分け隔てなく付き合えるあの親父を、尊敬している部分もある。
大陸一の馬鹿と言っても、要するにあの人は自由すぎるだけなのだ。人間的には出来ているし、人を軽んずることも決してない。だからこそ騎士団長も、親父に退団処分を下さないのだろう。
俺は決して親父が嫌いなわけではなく、寧ろ好きだと言っても過言ではないのだ。
かといって、この名前が許せるはずもない。考えに考え抜いた挙句出した結論が、俺の名前を知っている人がいない街へ行って、違う名前を名乗って生きるというものなのだ。
落ち着いたら、親父にも連絡を入れようと思う。きちんと職に就いて、今まで育ててくれた恩を返そうと思う。三太夫という名前じゃない、新しい俺の力で。
希望溢れる未来を夢見て、俺はプロンテラの外にでた。
俺は、忘れていた。街の外にでるときは、いつも親父が一緒だったという事実を。
目指すはゲフェン。プロンテラを北口から出てそのまま西へ歩き続ければ、さしたる苦労もなく辿り着くことが出来る。
1週間分の食料に、水とミルク(俺の大好物だ)を背中のリュックにしまいこんだ。親父が昔使っていたというナイフもくすねて来た。この辺りの魔物程度なら倒せるはずだ。
道無き道をゆったりと歩く。ぽかぽかとした日差しが気持ちいい。出発時間を朝にしたのは正解だったようだ。
遠くでポリンがぽよぽよと跳ねている音がする。ルナティックがとてとて走っているのが見える。一人で街の外にでたことは無かったから、なんだか新鮮な風景に少し嬉しさがこみ上げてきた。
一人旅ってのは、それだけで面白いもんなんだなあ。
騎士団に落ち着かず、そこら中を放浪していた親父の気持ちが少し分かった気がする。
敵を倒し、国を護る「だけ」という騎士団の性質が、親父には耐えられなかったのだろう。
決して愛国心がないわけではないが、それ以上にやりたいことが父にはあったのだ。
自分の生活を省みず、やりたいことだけをやれる親父が、少し羨ましく思える。
だが、恐らくそのおかげで俺は金に執着する性格になったのだと思うので、素直に尊敬は出来ないが。
将来の夢は商人です。
そんなことを考えながら、俺はとことこと歩き続けた。
暑い。
いや、寧ろ熱い。
真夏のこの時期は、朝は涼しいものの昼間になると異様に熱くなる。
しかも、いつもは親父が荷物を持ってくれるのでほぼ手ぶらだが、今回は背中にずっしりと中身のつまったリュックを背負っているのだ。
自分の体力の無さを実感する。既に息はあがっていて、足のじんじんとした痛みが耐え難い。
限界を感じた俺は、やむを得ず木陰で休息をとることにした。
リュックの中のミルクを1本取り出し、ごくごくと飲み干す。1本では足りないので、さらに3本ほど出しておき、2本目に手をかける。
いつもは親父が傍にいたので分からなかったが、一人で黙々と歩き続けるのは相当辛い。楽しいと感じていた景色も飽きてくるし、ぽかぽかとした陽気もいまや体力を奪う邪魔者でしかない。
こんな辛い思いをしながら、親父はいつも金を稼いでいたのだろうか。親父の苦労は分かっているつもりだったが、こうして実際に体験すると、自分は何も分かっていなかったように思える。
そういえば昔、親父に「冒険者は辛くないのか」と聞いたことがあった。その時親父は、こう答えた。
「辛い事もあるけど楽しい事も一杯あるし、お前たちの笑顔を見るためなら全然辛くないんだよ」
……。
やはり、名前如きで家出というのは、勝手が過ぎたかもしれない。一旦戻って、もう一度名前について話してみるべきだろうか。
親父は、「俺たちの笑顔が見るためなら」といった。名前の事でここまで悩んでいるといえば、どうにかしてくれるかもしれない。
しかし、一度決めたことだし、流石に親父も怒っているだろうしなあ…。
思春期特有の愚かしい意地が、素直な気持ちを阻害する。このままゲフェンへ向かうべきか、プロンテラに戻るべきか、考えながら次のミルクを手に…?
手を伸ばした先にミルクは無かった。不思議に思いながら回りを見渡すと、黒くて小さい虫がミルクを背中に背負ってカサカサと離れていく姿が見えた。
盗虫だ。落ちているものを拾って、巣に持ち帰るという習性を持つ虫。こいつが、リュックから出して置いてあったミルクを盗って行ったらしい。
普段ならミルクの一本くらい諦める所なのだが、カサカサと誇らしげに(見えただけだろうが)ミルクを持っていく奴の姿は、暑さと悩みでイライラしていた俺の鬱憤を爆発させた。
「このやろっ!」
石を拾い、投げつける。しかし、素早く動く虫には当たらない。奴は、俺を嘲るかのように、蛇行して走り続ける。苛立ちが頂点に達した俺は、普段使わない脚力を限界まで酷使して追いかけ、持っていたナイフで一撃を浴びせた。
「ピギィ!」
盗虫が断末魔の悲鳴を上げ、その場に横たわる。頭が砕け、体液がじゅわじゅわと出てきている。
ざまあみろ。そう思った瞬間だった。
ザワッ!
周囲から、何匹もの盗虫が一斉に顔を出し、俺を囲んだ。数にして6匹。仲間を殺された報復だろうか、それだけの数の虫が一気に襲い掛かってきた。
必死に反撃したが、1匹を斬っている間に5匹の盗虫に攻撃されているというこの状況は、体力が無い俺にとっては絶望的だ。とても全て倒すことなど出来ない。
堪らなくなり、踵を返し逃げ出した。しかし、虫たちはそれを許さない。盛大な音を立てながら、一糸乱れず追ってくる。
俺は恐怖を感じていた。迫る虫の大群に。そこに付き纏う死の影に。
親父はいつも、こんな恐怖に耐えながら狩りへ出ているのだろうか。涙を流し、息を切らせながら走る俺の心に去来したのは、親父への感謝と謝罪の気持ちだった。
申し訳ない。そんな気持ちで一杯だった。いつも死と隣りあわせで戦ってくれているのに、俺は自分のことしか考えていなかった。その事実が、俺の心を責めた。
ここで死んだら、親父に申し訳が立たない。そう思い、必死に逃げる。
しかし、普段の運動不足がたたって、体力が早々に限界に達した。足がもつれて、転倒する。待ち構えていたかのように襲い掛かる盗虫の大群。確実な死を予感し、息をつまらせた。
「ブランディッシュスピア!」
轟音とともに、盗虫たちが風に吹かれるように吹き飛んだ。体の破片が飛び散り、体液が巻き散る。それがぼたぼたと地面に落ちたとき、全ての虫は絶命していた。
俺は、放心した頭で必死に状況を理解しようとした。どうも、衝撃は俺の背後から放たれたらしい。俺の体を避け、盗虫だけを吹き飛ばしたのだ。
後ろを振り向いた。そこには、ペコペコを駆り、槍をかざし、普段見せないような顔つきで立っている親父の姿があった。
「三太夫!大丈夫か!怪我はないか!?」
へたり込む俺の姿を確認して、親父は普段の柔和な顔つきに戻り、ほっと一息ついた。これといった傷が無いことに安心したのだろう。
少し笑みを見せた後、すぐに親父は真剣な面持ちで俺を見た。少し怯えて見つめ返す。
怒っているのだろう。当然だ。勝手に家を出て、勝手に死に掛けて。親父が来なければ、ほぼ間違いなく死んでいただろう。そんな息子の愚行を、許すはずが無い。
俺は、親父の口から放たれるであろう怒声に備えて、身を縮こませた。
「すまなかった、三太夫!僕は、お前の気持ちを全然考えていなかった」
予想外の言葉に、目を丸くする。親父が何を言っているのか、理解するのに数瞬掛かった。
「ジェイドから聞いたよ。まさか、名前の事でそんなに悩んでいたなんて。僕はてっきり、照れ隠しだとばかり思いこんでいたんだ。その所為でお前をこんな危険な目に遭わせて…。本当に僕は親失格だよ」
……ちょっと待て。何で親父が謝るんだ?馬鹿なことをしたのは俺なのに、どうして親父が俺に頭を下げているんだ?
どうしようもない恥ずかしさと自責の念に襲われた。親父は、こんな時でも俺を第一に考えてくれているのだ。それなのに俺と来たら、怒られる事にびくつくばかりで、こんな時ですら自分の事しか考えていなかったのだ。
涙を拭い、今までの不埒を謝るべく親父に向き直った。今はもう、恐怖はない。あるのは、親父に対して謝りたいと言う、純粋な気持ちだけだ。
「だから父さん、お前の新しい名前考えてきたんだ」
俺の心の中に、割れんばかりの拍手喝采が響いた。尽きていた体力も、死に掛けていた恐怖も、今までの行動を謝ろうとした思いすら吹っ飛び、天にも昇る気持ちだった。
ありがとう親父。今日の出来事は、今までの人生で最も大きな出来事だったよ。こうやって人間は成長していくんだね。俺は今、親父への感謝の気持ちで一杯だ。
今日から俺達、本当の意味で良い親子になれる気がするよ。父さん。
って、え?親父が考えたの?名前を?
「アーク酢酸カーミン液はどうだろう!」
視界がブラックアウトした。
遠くから、親父の「気絶するほど嬉しいのか!?」という声が聞こえる。なんだよ酢酸カーミン液って。もはや人名どころが固体ですらねえだろ、それ。どうやったら、そんな常軌を逸した名前を生み出せるんだよ。何なんだよあんたは。
帰って寝たい。心の底からそう思った。
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