にゃんこ日和

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孤独感?それとも宿題



子どもの頃は(孤独感は)なかったような気がする。
おばあちゃんにとてもかわいがってもらって、
まるごとうけいれられていた実感というか、
愛されていると意識しないでいいほど、満たされた感じがあった。
そういう意味で、幼年時代は、ものすごい安心感があったし、
幸福だったように思う。
幸福な幼年時代を過ごせた(と思える)ことに、とても感謝している。

いつの頃から感じ始めたのか、心の中に「孤独感」があって、
その色合いについては、そのとき時で、かわってきているのだけど、
かいつまんでいうと、”「生きる」ってことは、ひとりだな~・・”
ってかんじに最も近いかな~?

決して、「愛されてない」と言う感じではないなー。
けれど、深い意味では、「愛されたい」というのはあったとも思うけど。
それは、自分がなかなか「大人」になりきれずに、
「こども」の部分を引きずっていたことだと、自分では分析している。

17歳のとき父親が病気でなくなって、精神的自立を強いられた感があった。
それまでは、祖父母と両親に囲まれて、「庇護」されて生きていた私が、
そのとき、突然、
”私が母と妹をまもっていかなくては、自分がしっかりしなくては”
と思った。
それから、ずーっとがんばって生きてきた。
4本脚の内1本とれてしまった3本脚の椅子に座って、
いつもけんめいにバランスをとっていなくてはいけないような、
背伸びして生きているような感覚があった。(それは結婚するまで続いた)

そのとき、気持ちの上である意味「大人」になった(ならされた。)
でも、一段階カットして、一足飛びにそうなったカンジがあって、
ある意味「こども」の部分をひきずったのもかもしれない。
(こじつけor甘えた解釈かも・・)

(だからかどうか、私は、よく人から、
「ののさんて、とてもしっかりしたところと、
間の抜けたところとあるねぇー。不思議なひとやなぁ~」
といわれる。)(^^ゞ

でも、時がたって、子どもも持ち、「愛される」よりも、
「愛する」ことをしていこう、という目覚めがあったというか、
愛される受動的な存在から、愛する能動的な存在になったことを
意識したというか、
そのとき、ある意味で満たされて、「孤独」ではなくなったのだった。

けれど、最近、また、なにか、それっぽいヤツ(孤独感ぽいヤツ)
を感じているよう。
こんどのヤツは、いまのところ、まだ正体不明。笑。
というか、「孤独感」ではないような気がしてきた。
何だろう??・・・どういったらいいのかなぁ?・・・
そうだなぁ~・・宿題を忘れてるようなかんじ・・・??!

・・もう少し、観察続行します!!(笑)


それから、上に書いた「孤独感」についていえば、
(私の場合に限っていえばだけど)
「生きるって、ひとり」だからこそ「愛」を持てるというか、
孤独感があるから「愛」が感じれるというか・・・・
なんか、今では、その孤独感も「悪いモノ」ではないと
思うようになりました。

ちょっとヘンないい方で誤解を招くかも知れないけれど。
うまく言えなくて。。

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