なっちゃんの子育て&お勉強日記

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診断

弟のこと~診断~

母より遅れること2~3週間くらいで、弟が家に帰ってきた。妹の時と比べて、肌の色が青白く、男の子なのに元気の無い感じのする赤ちゃん。
私は生まれてすぐ病気になったんだからしょうがないよね、くらいに考えて妹が赤ちゃんの時にしたのと同じように、弟に接していた。
そんな中でも、母が弟が間違っても私や妹から風邪を移されることがないように、すごく気を使っているのが印象的だった。それまで「長男」扱いされてきた自分だけど、本当の長男への扱いはやっぱり違うね、とませたことを考えていた私。(今考えれば、単純に男の子は女の子より体が弱いからってのもあったのかな^^;;)


ある日、母がちょっと改まって言った。
「あのね、○ちゃんはダウン症っていう病気なの」

病気と言われて、私はとっさに自分もかかったことのある風邪や水ぼうそう・風疹なんかを思い浮かべた。
「でも、3日とか1週間もすれば治るでしょう?」こんなことを答えたような気がする。
「○ちゃんの病気はちょっと違って、治らない病気なのよ」
・・・・・・・?????????←そう聞いた当時の正直な感想。

「治らないってどういうこと?」
母は小学校1年生(私)と幼稚園児(妹)にもわかりやすいように、一生懸命言葉を選んで説明してくれた。染色体とは?からはじまって、ダウン症が1000人に1人(当時)という確率でランダムに発生すること。そして、そのダウン症の一症状として弟は心臓に欠けている部分があるということ(心室中核欠損)、年明けに1ヶ月くらい入院して心臓に手術をしなければどんなに長くても弟は7歳まで生きられないだろうと医者が言っていたこと。等々。

いかにませたガキだったといっても、小学校1年生をようやく数ヶ月やったばかりの頭にすぐに全てが理解できたわけではない。でも、ごまかさないで原理原則からきちんと説明してくれた母に、今では頭の下がる想いである。


まさに晴天の霹靂。
自分自身、健康体で過ごしてきて、妹も順調に育っていて、それまで周囲にいわゆる障害児を見た事が無かった(気づかなかっただけかもしれないが)私にとって、弟=障害児という認識は全く無かった。弟は不治の病なんてかっこいいじゃん、とかおバカなことも考えていた。

ただ、弟の心臓が大変なことになっていて、赤ちゃんなのに手術をしないと死んでしまうという、その事態に動転した。
自分が4歳になる直前に妹が生まれたときは、妹が同じ女の子ということもあって随分嫉妬もしたし、ちょうど反抗期(?)だったので、赤ちゃんと遊ぶと言ってもそれほど可愛がったわけではなかったと思う。
その点、自分が7歳になる年に生まれた弟については、私自身が相当なマセガキだったこともあって、勝手に母親のような気持ちで見ていた。かわいくてかわいくてしょうがなくて、家に居る間中弟を抱っこしていたいぐらいだったし、哺乳瓶でミルクを飲ませる時は母にねだって代わりに飲ませたりした。「私がだっこして歌を歌いながらユラユラすると、すぐ寝ちゃうんだよ!」と遊びに行った友達の家で自慢したことも。。。
その可愛い可愛い弟が、不治の病で手術をしないと死んでしまうという。私はますます弟を猫可愛がりするようになった。



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