第6章 泡沫の記憶






 森の中でレチェは一人石の上に座り空を見上げている。ハルに言われたとおり気を抜くべきでないことは分かっているのだが、どこか自分の力に過信しているところがあるのか、どうしても真剣にはなれない自分がいる。
「いるんだろう?」
「どうして」
「先制攻撃でも仕掛けてほしかったのか?俺がそれをしないことを知っているのに?」
 黒い服をまとい、髪を束ねながらカレンはレチェを見つめる。二人とも髪の色は少しほかとは特殊だった。人間は茶髪が基本とされているのに、カレンの髪色は漆黒で、レチェはこげ茶色だった。もともと、レチェの髪色は自分で染めているらしく本当に炉仮名に色なのかは誰も知らないことだが。
「お前は卑怯者だよ。先制攻撃はしないけれど、いくらでもわなを張り巡らす」
 カレンは手にしていた糸や針といった類のものをレチェへと投げつける。レチェはそれを回避することなく掴み取り小さく笑った。
「こんなものはただの気休めさ、俺は戦いが嫌いなたちでね」
「嘘をつけ」
「本当さ、俺には大勢の家族がいたけどその中の二人は戦うことを極端に嫌っていたんだ。その結果よくない未来へとたどり着いてしまったのだけどね」
「?」
「お前と出会うずっと前、俺がまだ幼くてこの世界に存在する前のことさ」
 いっている言葉の意味が分からない、それでもカレンは身構えるとレチェを静かに見据える。
「戦い以外の方法をとりたいところだけどしたかがないね。お相手しよう」
 レチェが立ち上がり術にかかるまえに息を吹き込んでいたイヤリングを空に向かって大きく放り投げる。
「たあぁぁぁ」
 カレンの動きは早く、後ろに後ずさりながらレチェは少しずつ縮まる間合いを計りながら次の行動に移してゆく。カレンの攻撃はどれもかすれ空気を切るだけで終わるが、すぐさま次の攻撃がやってくる。普通のウィザードや熟練の衛兵でも手こずる相手であることは間違いないだろう。それでも、相手よりも先に行動することでその全ての攻撃をレチェは綺麗によけてゆく。
「どうして、戦わない!!」
「戦いたくはないからね。それに俺の術はこの世界のそれとは多少異なる。負荷が大きいから極力使いたくはないのだよ」
「関係ない」
 カレンは間合いを少しだけ空けると、大きく深呼吸し風を起こしレチェにぶつけることでお互いの距離をさらに広げる。
 暴風の中でレチェは防御を行っても反撃をしてこない、もしも相手が本気なら自分の命などものの数秒で消えているところだろう。
「カレン」
「戦いに集中しろ」
 何度も風をぶつけながら、カレンは次第に増してゆく疲労を隠しそれでも攻撃をやめない。
「せいっ!!」
 風は鎌鼬となって襲い掛かる。
「っ!!」
 さすがに結界などなしで防御していたため腕や足に傷が付くが、何とか顔は間逃れたと少しだけ安堵する。
「顔に傷が付いたらどうするつもりだ!!」
「どうもしない」
 攻撃をしているのだから相手のどこに当てるカなど考えていたとしても、当てない場所など考えて攻撃は普通しない。レチェは腕や足の傷などお構いなしでそのまま自分の気を高めてゆく。
「式神の召喚だけはさせぬ!!」
 カレンの動きは迅速だったが、攻撃は全てレチェに当たる前に全てはじかれてしまう。
「ごめんね、時間がないんだ。子供を拾った責任。俺にはハルを守る義務がある」
 レチェはすぐさま印をきると祝詞を捧げる。
「伏して願い奉る 我を加護する聖神たちよ 星の輝きに連なる神々よ あまねく神々に帰依する存在 今その姿現世にとどめん
 願わくば力の具現 大いなる力を再現 汝の力の一端を 我が意思に宿れ 玄武よ!!」
ザアアァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!
水が沸き起こり、全てを洗い流してゆく。どんなに防御してもあがなえない力の一端に押し流される。
「くっ」
「君の負けだよ、もっとも勝負などつけるまでもなく君には分かっていたことだろう?」
 術が終わり、びしょ濡れとなったカレンの方にレチェは自分が来ていたコートをかける。もしもそれがどうでもいい人間であればそのままだったのだろうが、カレンを相手にそこまで冷酷になれないのは自分の弱さだろう。
「カレン」
「なんだ?」
「俺はまだ君と別れたとは思っていない。ユリアとハルのことに関してはお互いどちらかに責任があると這いきれない。というか多分俺が悪いから。それに後のことはあの二人の問題だ」
「だが、あの原因を作ったのは間違いなく私だ。お前は間違ってなどいない」
「それでも、俺はお前やユリア、ハルが苦しむ姿は見たくない。お前と出会ったときのこと今でも忘れない。お前にとって残酷な過去であったとしても、俺はお前を助けてゆきたい」
 カレンはレチェの頬を引っ叩くとなみだ目でにらみつける。レチェは何も言わず、たたかれた頬をさすりながら笑う。
「お前は自分が思っているほど強くない、それは俺だって同じことだ。俺にだってやり直したい過去の一つや二つあるからな」
 レチェはカレンの手をとると実につけていたネックレスを引きちぎり飾りとしてつけていた指輪をカレンの指に通す。
「やり直さないか?」
「馬鹿」
 カレンはうつむいてしまいその表情ははっきりと見て取れなかったが、レチェはその返事にうれしく思い微笑んでいた。
「いこうか」
「そうだな」
 今まで森だったはずの場所が一つの街道に変わる。脇に設けられているテントを見つけると二人とも大きく肩の力を抜いた。





 今からどれほど昔のことだっただろうか、誰も踏み込もうとしない山の奥深く、切り立った崖がいくつも高さを競うかのように連なっている。
「お前こんなところで何をしているんだ?」
 声をかけてみたところで相手は何も返事をしない、体中に傷を負い崖から落ちてきたのかとも考えたが、崖の上に家を築くなどという物好きは今まで聞いたことがない。
「………けて…助けて」
「名前は?」
「分からない」
 男は困り果てると、うずくまる少女の身体を抱き上げる。
「此処は酷い場所だな」
 返事はない。それでも男は語りかける。
「此処はよく人生に行き詰ったやつがノーロープバンジ-をしに来るらしいがお前はその類ではないようだな」
 簡単に言えば自殺なのだが、直接言葉にするのはさすがに控えてやさしくいってみるが、よく考えなくても答えは同じところにしか行かない。男は笑いながら元来た道を戻り始める。
「行かないのかこの先に」
「行かないよ、お前がいるから」
「は?」
 では、自分がいなければ先に進むのか?そう聞き返そうとも考えたが、男の表情は男とは思えないほど優しくて見ていて心がかき乱される。
「町に着いたらお前の名前を考えてやるよ、希望があれば言ってくれればいい」
「お前に助けられる義理はない」
「助けてっていったのは自分だろう?」
「そうだが」
 未来のあるものに助けを求めたところで自分はいつか捨てられる。
「心配しない、俺はお前じゃないから複雑なことは考えられないけどそれでも何か助けになるかもしれないし。それに」
「それに?」
「これは俺の償いでもあるんだ」
「償い?」
「俺は、自分の命をかけても良いから助けたかった人がいた。でも、その人を助けることが出来なかった」
 だから償いというのだろうか。それはあまりにも身勝手でただエゴを押し付けられているようなものだったが、どうしてもそれが言葉にならなかった。その話をしたときの表情は捨て犬のように本当に寂しそうに見えたから。出来るなら、代わりに助けてあげたいとさえ思うほどに。切なかったから。
「俺の名前はハロルド=ガルバーニ、もうすぐ名前を変えるつもりだけどね」
「変えるのか?」
「この名前を俺はこの先名乗ってはいけないから。だから新しい名前を自分につける。そして、お前も自分自身の名前を自分につける。それはとても大切なことだよ」
「そうなのか?」
「ああ、名前は個人をあらわす大切な言葉だから。名前がないと相手を呼ぶことが出来ないだろう?」
 確かにそれもそうだ、名前がないと生活に支障をきたすかもしれない。それでも自分には名前がないのはどうしてだろう。あったのかもしれないけれど思い出すことは出来ない。どうしてあそこにいたのかも、どうしてこの男と出会えたことを喜んでいるのかさえも。




 下山したとき、最初に行ったのは町医者だった。ハロルドは町医者の弟子だったらしく応急処置の一つしないでつれてきたことを酷く起こられている様子だったが、町医者はすぐに治療をしてくれた。
「君の名前は?」
「まだないよ、それよりもお師匠やっぱ俺名前変えるわ」
「勝手にしろ」
 酷く存外な扱いだが、町医者はけっしてハロルドを嫌っているようではなく。名前を変更することに対して快く思っていない様子だった。
「ハル」
「なに?」
「お前の過去は聞かんが、そんなに今の名前が嫌いか?」
「嫌いじゃないよ。むしろ大切に人につけてもらった名前だからずっと覚えていたい」
 ならば、と町医者が言葉を続けようとしたがそれよりも早くハロルドの言葉がかえってくる。
「その人はこの世界に存在しない人。俺は知っている人だけどその人はこの世界にはいないから。その人からもらった名前を名乗ることは世の中の理に反する」
「どうして?」
「俺がこの世界の住人ではないから。俺がハロルド=ガルバーニとして生き続けることができるのはこの世界じゃない」
 いっている言葉の半分以上が意味不明としか返事が出来ない。それでも、レチェは説明を続ける。きっと、自分の事を知っていてほしいから。自分の事を忘れないでほしいから。
「俺がこの世界で生きるためには、この世界の名前を名乗らないといけない。それは今までの自分を切り捨てるということだけど、俺は………生きなきゃいけないから。いつか来る未来のために」
 どこにそんな強い意志が宿っているというのか、町医者はあきれながら大きく肩の力を抜く。
「お前は将来とんでもない化け物になりそうだな」
「そうか?」
「そうだよ、ほらガーゼもってこい」
「はいはい」
 白い棚の中に保管されているガーゼの束から適当な枚数だけを取ると町医者に渡す。医者はそれを採って薬につけると傷口にそっと乗せる。皮膚にしみて痛かったが我慢できないほどの傷ではない。
「ところで、お前何か名前考えたか?」
「いや」
「だと思ったよ」
 ハロルドは笑いながら頭をぐしゃぐしゃにかき回す。
「お前の名前はカレン。カレン=クロイス良いな。忘れるなよ」
「おい」
「何?」
「クロイスは俺の名だろうが」
「だって、姓がないと色々不便そうじゃん」
 町医者は顔を引きつらせていたが、ハロルドは気にせずに話を続ける。
「それに、どうせクロイスの姓は師匠以外名乗ってないことくらい知ってるぞ」
「だがな」
「養子ってことで、よろしく」
 二人の間で勝手に話が進んでいるようだったが、それを割り込むつもりはなかった。名前の意味など知らないが初めて与えられた名前がうれしいと感じたのは紛れもなくハロルドのおかげだろう。
「カレン、怪我が治ったら町を案内してやるよ。このまち貧相だけどみんな良い人だから」
「ありがとう」
 涙が流れた。そのとき確かに自分はどこにも存在しない無意味なものだったが名前をつけられ呼ばれることによって初めて自分にも居場所があるように思え。素性を知らないもに関わらずやさしく接してくれるハロルドに感謝さえしていた。
「本当にありがとう」
「なくことないだろう」
 あわてるハロルドをよそに年老いた町医者二人の子供を前にしてただ笑っていた。
「青いのう」
「ほっとけ」
 どんなに罵倒されようとも、やはり若いと思うのは自分が歳だからだろう。それでも、心の奥で願う気持ちは消えない。この二人の未来に光があるようにと。
「ハル」
「なに?」
「お前、自分の名前は考えたのか?」
「もちろん」
 Vサインをしながらハロルドは自慢げに腰に手を当てる。
「レチェーダ=カルタート」
「ほう?」
 老人はハロルドを見つめると興味ありげに返事をしてみせる。
「けったいな名前だな」
「いいだろう。文句つけるなよ」
 どうやら本人は考えた名前を気に入っている様子でそれからその名前を意地でも通そうとすることだろう。
「カレンはどう思う。この名前へんか?」
「いや、いい名前だと思うが」
「だろ」
 やはり本人は気に入っている様子だった。町医者は大きくため息をつくと最後の包帯を巻き終えて包帯を固定させる。
「終わったぞ」
「サンキュ」
 ハロルド=ガルバーニ改め、レチェーダ=カルタートはカレンの手を引っ張ると家の中を走る。その後姿を見送りながら町医者はうれしそうに微笑む。


これは昔の出来事だ。それを記憶しているのは当人だけで、ほかの誰も知らない一つの歴史。


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