桐まみれの日々 by さきさん

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2010年08月20日
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テーマ: ニュース(95832)
カテゴリ: 罪状認否
 東京都大田区では、64歳の男性が生きていれば104歳の母親の遺骨をリュックサックに入れて持っていた。男性の記録に拠ると、母親の死亡は平成13年。9年前で男性は55歳。当時、無職で母親の年金しか収入がなかったと言う。

 けれど、その年金も4ヶ月に13万円。年間39万円の収入だ。消費者金融に借金があり、借地代も滞納が続いていたと言う。

 各地で、特に都市部で多く、こういった死亡した親を死亡届を出さず、年金の受給を続けると言う事件が発覚している。これは、もちろん、受給者のモラルの問題が大きいが、国民全般から徴収したお金を分配する役所の責任意識の問題も少なからず存在するのではないかと思う。

 お役所仕事とは昔からよく言われる言葉だが、余計なことには口出しせず、形通りの事を言われた通りにこなせばよろしい、と言う感覚だ。
 個人情報保護の謳われる昨今は、そこを掘り返すような作業は困難であることは間違いないが、それが何のためなのかを勘案すれば、決して咎め立てされるべき事ではなかろうと思う。

 そして、葬送費用が捻出できないからと言って、死体を放置する認識についても、考えなくてはならないと思う。
 昔なら、行き倒れ的な仏があった場合、その土地土地の寺で無縁仏として祀ることも少なくなかった。しかし、この事件のように、屋内で死亡の確認をした人間があった場合、しかも、その人に葬送する経済力がない場合でも、その人は、その死体を屋外に出し、無縁仏として祀って頂く事を待つなんて事は出来ない。たまたま、同居していない親子の場合は、独居の親の死を知らずに過ごすという頻度が、きわめて高くなっているのが事実だ。

 しかし、葬送費用も捻出できない貧困家庭がそんなに多いのだろうかと疑問に思う。二人のわが子をマンションに閉じ込めて、自分は遊び歩き子供は死に追いやると言う母親は先だっていたようだが、例えば、病気を抱え、限られた命を生きる子を抱ええる親は、形振り構わず生きることを貫こうと勤め、万一、我が子に不幸にも死が訪れた場合、手厚く葬るであろう事は明らかである。尤も、すべてがそのパターンに集約されるとは限らないが、そういう傾向があるように思う。

 一方、患っているのが年老いた親の場合、それと同じようには行かないようだ。






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最終更新日  2010年08月22日 14時11分24秒
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