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光の射す方へ Cside 後編
まだ前のアパートに住んでいる、と言っていた。
オレは駅に向かって歩き始めた。
履きなれないハイヒールを履いていたマリナ。恐らくその辺で
転んでいるだろう。
走ればすぐに追いつく。が。あえてオレは歩くことに決めた。
マリナに考える余裕を与えるために。
思ったよりもずっと近くでマリナの背中を発見した。
路上に座り込んで、動かない。やはり転んだのか?
丸めた背中が彼女の寂しさを際立たせていた。
その姿をオレは少し後ろから見下ろしていた。
通り過ぎる人々が興味深げにマリナを眺めていく。
誰も声をかける者はいない。
つくづく日本は治安のいい国だ。フランスなら・・・
夜、女が路上で泣いていたら危険だな。男どもがほっておかないだろう。
そんなことを考えているうちにマリナの背中が震え始めた。
喧騒の中で小さな泣き声が聞こえたような気がした。
もう声をかけるタイミングか?
オレは早足でマリナの前に出た。
自分の前に立つ存在に気がついたのか、マリナが警戒感を示す。
「全く世話の焼ける・・・」
ビクン。
オレの声にマリナが反応した。そして頑なに俯く。
「泣くぐらいならなぜ断らない」
オレは立ち止まったままマリナに声をかけた。
マリナは下を向いたまま何も答えない。
仕方がなくオレは歩道に片膝をつき、ため息をつきながら手を差し出した。
「ほら」
マリナは俺の手を取るべきか戸惑っているようだった。こんなときの彼女は
本当に強情だ。
「立てるか?」
恐らくオレが彼女の手を取らなければきっと時間ばかりが過ぎていく。
戸惑うマリナの手を強引に取り、声をかける。
マリナは驚いたように顔を上げた。
転んだときについたのか、手で顔をこすったのか。顔には砂がついていた。
その上涙でマスカラが滲んでいる。
「なんて顔しているんだ」
マリナの表情が変わった。掴んだ手首から伝わる脈がどんどん速くなって
いく。
そんなことよりも。久しぶりに触れたマリナを意識しているのか自分の
鼓動も普段より早い。
・・・触れている手が甘く疼く。ここ数年忘れていた感情だった。
娼館に出入りしているときですら持たなかった感情。マリナを目の前にした
今、いとも簡単に反応する身体。オレとしたことが・・・正直すぎる。
「カズヤに聞いた」
「え?」
オレを見つめるマリナの瞳が浮ついて泳ぐ。彼女は感情を隠せない。
心の中が瞳に現れる。
「君たちの事。まさかと思ったよ」
「ごめんなさい・・・」
彼女はオレから視線を外す。
「どうしてこうなったのか、君の口から聞きたいね」
オレもマリナから視線をはずし、空を見て言った。
「そうね。小菅のこともあるし、あたしにはシャルルに伝える義務が
あるわね」
そう言って立ち上がろうとしたマリナに向き合ったとき、マリナの全身の
姿が目に留った。
膝、肘から出血している。ヒールも折れていて、結構な勢いで転倒した
ことを物語っていた。
「後からでいい」
「え?」
「今はマリナ、君の手当てが先だ。オレの部屋へ行こう、処置してやる」
そのままマリナを抱き上げた。
愛しく思っていた女を抱き上げた瞬間の悦びに気付かれないように
タクシーを止め、宿泊しているホテルを告げた。
車に乗っている間、マリナを膝に抱き、彼女の感触や香りを感じていた。
5年前の彼女と違う。ナチュラル系のエッセンシャルオイルか?香水とは
違うマリナらしい香りに誘われて、オレは彼女の髪に顔を埋め、少しだけ
力を入れて抱きしめる。一瞬マリナの身体が堅くなった。
オレを感じているのか?
マリナの表情が見たくて力を緩めると、カクン、とオレの胸に頭を
もたげてきた。
・・・マリナ!
若干の喜びにも似た感情が心の中を駆け抜けた。そう思った瞬間、膝の上の
彼女の全身の力が抜けた。
・・・気を失ったのか。
オレはもう一度彼女を抱き寄せ、彼女の柔らかな茶色の髪に自分の唇を
寄せた。
部屋に入り、気を失ったままのマリナをベッドに寝かす。
・・・この格好はいただけない。身に纏っているものは汚れ、
破れているし、怪我も軽症とはいえ、まだ止まっていない出血もある。
状況が状況ならオレはレイプ犯と誤認されるかもな?などとくだらない
ことを考え、現に芽生えている感情を自嘲する。
そして携帯してきた処置セットを広げた。
丁寧に消毒をし、薬を塗ってガーゼで保護する。その上から包帯を巻いた。
見事に関節ばかりすりむいている。少し動かしづらいだろうが、
それはガマンだな。
処置を終え、メイドを呼んだ。
「彼女の着替えを頼む」
そしてオレはその部屋を出た。
リビングに移り、バーカウンターにあるワインを取り出す。
シャトー・ラトゥールをグラスに注ぎ、一口含む。
悪くない。グラスを持ってそのままソファに移動し、深く座って今日を
回想した。
カズヤとマリナ・・・まさか別れているとは。大きくため息をついた。
この二人の幸せを祈りながらも、手当たり次第女にを抱き、自分自身を
堕としていった日々。忘れる、という機能のない自分の頭脳にいささか
うんざりした。
カズヤの言葉は本当だろうか。今でもオレはマリナの心にいるのか?
疲れたな・・・
パソコンを立ち上げ、メールのチェックをする。急ぎの仕事はなさそうだ。
明日の午後には研究所に戻る予定だったが・・・猟奇殺人でもない限りは
急ぎの仕事は入らないだろう。来日するためにとりあえずの仕事は片付けて
きた。そうだな、しばらく休暇にするか。
アクシデントで帰国が遅れることをメールで送り、グラスのワインを飲み
干した。
そのうちメイドが部屋から出てきた。
「終りました。もう間もなくお目覚めと存じます」
「ご苦労」
短い会話を交わし、入れ替わって寝室に入った。
すっかり目が覚めた様子で落ち着きなくあちこち視線を巡らせているマリナ。
いったい何をしているのだろう。落ち着きがなく挙動不審だ。
「気がついたか」
オレは短く声をかけた。
「きゃあ!シャルル・・・」
マリナが叫び、シーツを胸元まで上げて後ずさった。
「傷はたいしたことはない。薄く傷が残るかもしれないが、恐らく大丈夫
だろう」
「あ・・ありがとう」
オレを見上げるマリナの目が泳いでいる。緊張?恐れ?マリナの表情が
硬くなった。
「・・・オレが怖い?」
5年前のマリナと今のマリナ。そのままのようでそうでない彼女に
オレらしくもなく、躊躇したまま聞いた。
「え?」
マリナの表情が変わった。
オレの問いの真意に気がついたようだった。
「ううん、怖いんじゃないの。どちらかと言えば極度の緊張。でも怖いとは
紙一重かしら。あたしも後ろめたかったしね」
「そうか」
ふと緩んだマリナの表情にオレは安堵し、ベッドサイドに座った。
「3年前のこと・・・聞かせてくれ」
マリナの揺れる瞳を覗き込む。
今、マリナは誰を想っている?オレを前にして、どんな感情で話をする?
ごまかしや嘘を見抜くつもりでマリナの瞳を見据える。
「そうね和矢のことは彼から聞いたと思うから、あたしのことだけ話すわね」
そう言って、マリナはオレから視線を外して語り始めた。
・・・遠い過去の傷をなつかしむような表情で。
「結局は恋愛においての価値観の違い・・・ってことなんだけどね。
お互い、納得の上での別れだったの。愛よりも友情を育ててしまったんだわ。
あたしがコドモすぎて・・・愛を育んでいくことができなくなっちゃったの。
和矢が好き。これは今もずっと変わらないことだけど、このことは中学生の
あたしと同じなの。・・・20歳のあたしの和矢への想いは、13歳のときの
初恋のままだったの。恋への憧れや好きな人がいるって言う満足感が大切
だった。
求めていたのは13歳の和矢とのままごとみたいな恋で、20歳の和矢との
将来を約束する恋じゃなかった。それに和矢が気がついたのね。別れは
和矢からだったわ。たくさん話をして、価値観の違いが目の当たりになった。
別れは大人になりきれないあたしへのせめてもの優しさだったのよ・・・
それ以来、和矢とは親友になったの」
そう言ってマリナはギュッと目を閉じた。
「そうか・・・」
オレはいまだもって少女のような純粋さ・・・幼さに眩暈を覚えながら
思慮する。
カズヤが言ったこととは当たらずとも遠からじ、と言ったところか。
マリナがしていたのは御伽噺のような『恋』。大好きな王子様が自分の
近くにいる、それで満足だったのだろう。そして持っていたのは『母性の愛』だ。
相手に与える無償の愛。唯一のパートナーに向けられるものではなく、
万人の精神に共通に与えられる神からの愛というべきか。博愛など男は
求めていない。男女の恋愛は実に生々しい。時に醜さを露呈し、本能的に
相手を身体ごと求め、深く愛し合う二人しか知ることのない音や光を感じて
いく。
なるほどな、と和矢の苦悩と忍耐を称えた。
「でも、今日あんたに会えてよかったわ。ひとつだけ気がついたことが
あるの。それに気がついただけでも大きな進歩だわ。忙しいあんたまで
茶番に巻き込んで迷惑かけてごめんね。そしてありがとう」
オレの思考を遮り、マリナはベッドから降りようとした。
マリナの行く手を遮り、何も言わないオレにマリナは続けた。
「・・・あたし、帰るわ。ねぇ、シャルル?」
「ドレスと靴を手配した。そのままじゃ帰れないだろ?」
マリナは再び自分の姿を確認した。みるみる頬が紅潮していく。この表情の
変化がマリナだな、おかしくなる。
「見た? 」
「着替えが必要だったからな」
と、オレは答えた。
それを聞いたマリナのあわってっぷりもおもしろく、つい表情が緩んだ。
「そんなことよりも、何に気がついたのか聞きたいね。そこが肝心なところ
だろう?」
真っ赤になったマリナの頬に手のひらを添え、以前『あんたってため息が出る
くらい綺麗ねぇ・・・』とマリナがよく言っていた表情で微笑んだ。最近
『微笑に凄みが増した』と言われるようになったが、それは手段として使って
いるからだろう。
「今はまだ言えないわ。気がついたばかりだもの」
さすがはマリナだ。この状況でも何とか抵抗を試みてくる。が、オレには
それは通じない。
「カズヤがもう一度君に愛を誓ったら、君はまたその愛を受け入れるんだろう?」
誘導尋問。マリナが否定すると判っていて問う。
「そんなはずないじゃない!あたしの一番大切な人が誰かってことに気がつ
いたんだもの!」
オレの思惑通りの答えに思わず顔が綻ぶ。我ながら単純だ、とも思ったが、
相手がマリナだ。仕方がない。
その表情を隠すように自分の唇をマリナの耳元に寄せ、囁いた。
「言えよ。今」
マリナとの間の静電気で頬に乱れてかかった髪を掻きあげ、瞳に情熱を
宿してマリナを見据える。逃がさない。逃げることは・・・許さない。
さぁマリナ、言え。
マリナは最初は視線を揺らし、ためらっていたが、程なくオレと正面に向き
合い、
「あんたのことが好きだって、今気がついたの!5年前、あたしの心に
あんたが植えていった種が、あんたに再会して、今芽吹いたのよ!
これでいいでしょ!?」
一気に言い切った。
ケンカ腰ではあったが、夢にまで見たマリナに好きだと言われる快感に耐え、
ふわりとマリナを抱きしめる。
「色気がない。減点だ。告白ってのはこうするんだぜ」
「な、え?ど・・・」
マリナの動揺などどうでもいい。オレを好きだ、と言ったその事実にオレも
返礼する。
額をマリナの額につけ、溢れ出す想いを言葉にのせる。
「マリナ・・・好きだ。永遠に君だけを愛している」
華麗の館で君に伝えた想い。オレが言った言葉を君は覚えているか?
プロポーズまでしたんだぜ?
告白と共に封印していた10代の青春の輝きが蘇ってきた。
「あたし・・・バカだからあの時、小菅で自分の好きな人を間違えちゃった
けど、もう絶対に間違えないわ。シャルル・・・好きよ」
マリナはオレの胸に頬をよせ、ふわりと微笑んだ。ほんの少しだけ見える
その表情に満足感を覚える。さっきのけんか腰からはかなり成長を感じる
穏やかな告白。その甘い誘惑に湧きあがる感情・・・。愛しさが溢れて
止まらない。
安心しきって体重を預けている無防備な唇に優しくキスを落とす。
5年・・・か。随分な遠回りだったな。
君に芽吹いたのは本物の『愛』だぜ。君の中でゆっくり成長し、やっと
気がついた真実の『愛』。オレが飛び切りの花を咲かせてやる。
「マリナ・・・もう離さない」
そう呟いて、マリナを抱きしめている腕に少し力をこめた。
fin
***********************************************
少し時間がかかってしまいましたが、完結です。
シャルルside後編少し長くなってしまいましたが、
分けることができなくて・・・
一気読みして欲しくて・・・(すみません。書き手の我が儘です)
読んでくださってありがとうございました。
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