レンタルサーバー 0
全19件 (19件中 1-19件目)
1
4月24日の夕刻は下北沢でお腹を満たして、レコードの音に酔いしれました!2023年2月に浜小清水で再会した柳さんたち!2023年2月に浜小清水で流氷を堪能している柳さん!この日の夕刻にお会いしたのは、柳さん!柳さんとのお付き合いは、もう10年以上になります。そのきっかけとなったのは、今も続いていますが、SNSのMIXIでした。柳さんはリチャード・キッスと名乗っていました。当時(いつだったか正確な記録はありません。)柳さんが僕の住んでいる場所に近い、「網走市の北浜から小清水町の浜小清水に歩いている」という記事を見て、それにコメントしたことから始まっています。柳さんは若いときに、北浜に近い浜小清水の牧場で働いていたことがあったとのことで、オホーツクファンであることがわかりました。その後、知床や神の子池にご案内したことがありました。また柳さんのお住まいが、僕が26年間住んだ東京の世田谷区の三軒茶屋にちかいということもあって、かなりオンラインでも親しくなりました。柳さんは音楽関係の舞台の仕事をされていて、音楽の趣味でも共通の理解があったり、共通の友人がいたりしたこともありました。北見・ロック座オホーツクでは、柳さんを北見にご案内して、ロックバーのロック座を紹介し、大変気に入っていただたことも縁が深くなったことがあります。ロック座のマスターの素晴らしい人柄にふれて、柳さん単独でまさにロック座にはまって何度も訪れているようです。そんな柳さんと相談して、お互いが関わり合いの深い下北沢で会おうということになりました。下北沢駅南口・商店街まずは腹ごしらえとお互いが共通に知っている今もある中華料理屋のみんていに行こうと向かいましたが、何と臨時休業でした。{a亭は何度も行ってとても懐かしかったですが、しょうがありません。柳さんがしっている辛めのちゃんぽんがあるお店に連れて行ってもらいました。とても美味しかったです。(店の名前は残念ながら忘れました(~~;)下北沢駅南口・レコード盤が回る昭和の雰囲気の空間「つむじ風」続いて連れて行ってくれたのは、下北沢駅南口を三軒茶屋方向に降りていたところにある「つむじ風」というお店にいきました、3階にあります。●洋酒と珈琲 つむじ風住所:東京都世田谷区北沢2-1-8 サンコービル 3Fお問い合わせ:03-5787-6755下北沢駅南口から徒歩3分全席喫煙可営業時間[月・水・木・金・土]17:00~翌2:00[日・祝]15:00~24:00[定休日]火曜日ここはしっかりレコードプレイヤーが2台置いてあって、雰囲気の良いまさに昔の雰囲気のバーでした。なつかしいレコードを一杯聴きました。お供のウイスキーは最初はサントリーのホワイトにしました。というのも昔、僕は店の近くにあるオムレツと珈琲の店に飲みに行っていました。そこのマスタやースタッフに大変お世話になったばかりか、大学4年の夏にカウンターに入って仕事をしていましたが、その店の売りが「雨降りサービス」で、普通2600円だったサントリーホワイトのボトルが1900円になるのでした。そのことを思いだして一杯目は、サントリーホワイトをストレートでいただきました。2杯目は以降はサントリーの白州があったので、もちろんそれをストレートでいただきました!この上なく美味しい!心地よい音楽と白州でもう僕の心は躍り上がっていました。でもこの日はまだまだ続きます!
2023年06月05日
コメント(0)
4月24日の夕刻は三軒茶屋から小田急バスに乗って下北沢に出かけました!三軒茶屋から下北沢に行くには小田急バスに乗って、15分ほどです。この区間は僕が和光大学の学生だった1977年から1980年まで利用しました。和光大学は小田急線の鶴川にあって、下北沢から小田急線を利用していたからです。本当に懐かしいバスです。バスにはオホーツクでは、ほとんど利用したことがありません。札幌に行くための都市間バスは何度も利用したことがありますが、街中のバスの利用というのは本当に20年ぶりです。乗車方法は変わっていませんでした。運転席のところで料金を支払い、降りるときは中間の出口から下車するという方式は覚えてきました。バスを下北沢で下車してすると懐かしい交差点がありましたが、全く姿が変わっていました!か坂を登って、下北沢駅に向かいます。坂の入口のところはパチンコ屋さんがあって、2階がライブハウスでしたが、面影だけが残っていました。坂を登り切ると下北沢駅ですが、そこもここはどこななのというようにまるっきり変わっていました。駅は2階にあったのですが、今は1階です。まだ工事中のようでした。僕の記憶している下北沢の姿は一変してしまったようです。[続く]
2023年05月24日
コメント(0)
Jam For Joyのスタッフだった大橋さんと別れてから渋谷駅から田園都市線で宿泊場所の三軒茶屋にいきました。三軒茶屋は僕が生まれてから26年間住んでいた場所で、僕の一生の中では一番長く住んだ場所です。今は住んでいた場所はすでになくなっていますが、25日の朝に歩いて見ました。そのことについては別ファイルで報告します。僕が生まれてから10歳になる頃までは、玉電(路面電車)が国道246号線を走っていました。玉電が廃止された後に地下鉄の新玉川線が通りました。新玉川線は渋谷まで5分でいくので渋谷にはよく行きました。三軒茶屋からはどこにいくのにも便利でした!ここは30年ぐらいはちゃんと歩いていません。10年前にちょっとだけ昔住んでいたところを訪ねたことがありますがもうすっかり変わっていました。でも一番住んだところですから、それなりの愛着があります。三軒茶屋やの交差点付近をうろちょろししてからこの日宿泊する「the b sanhemjaya」にチェックインしました。三軒茶屋にホテルがあることがびっくりですが、以外と高かったのですが、運良く割り引きチケットが手に入りました。少しやすんで・・・次の場所に出かけました![続く]
2023年05月22日
コメント(0)
渋谷でこれもずいぶんいっていないタワーレコードに行きました。タワーレコードの入口でプロミュージシャンのセッションイベントである昨年なくなった熊谷美広さんが主宰されていた「Jam For Joy」のstaffをしていた2000年頃のメンバーと久しぶりに会いました。二人とも渋谷は久しぶりで、タワーレコードだったらわかるだろうという結論になりました。問題なく会えました!早速レコードのフロアーへ!僕の住んでいるところに近くにはこれだけレコードを置いてあるところはない。都会に来たことを実感しました。何とクラプトンのレイラが2万円の値段になっていました。昔もっていたのに・・・と思いつつやレコードの価値が上がっているのを同じく実感しました。いろいろ見て回って思い出のアルバムにも多数出会いましたが、一枚も買わずに、これ以上このフロアーにはいたら大変なことになると思いそとにでました。「Jam For Joy」のstaffをいっしょにしていた彼(大橋さん)とは同じ渋谷で一緒にランチをしました。話は過去の主に「Jam For Joy」のstaffをしていた頃から現在のミュージシャンの話になりました。「Jam For Joy」はプロミュージシャンのセッションイベントでしたから、様々なミュージシャンのお手伝いをしながらたくさん方と出会いました。その出会いは本当に一生もので、今もお付き合いをされている方もたくさんいます。あの人の話からこの人の話まで話は尽きません。あっという間に時間が経ちました!それと同時にこういう話を共有できる仲間と話があれから20年も経ってできていることに感動しました。FBでのお付き合いがあるにしても、実際にあって語り合うことの重要性を感じています。渋谷のカフェで友人とランチしててから渋谷の公園通りを歩きました。その変わりようにびっくりしながらも今も残っている山手教会を目にしました。ここは僕たち夫婦が1985年に結婚式をあげたところです。友人があげた結婚式を見て、どうしてもここで結婚式をあげたくなったからです。今も残っている山手教会に感動を覚えました。[続く]
2023年05月21日
コメント(0)
北海道・オホーツク・小清水町在住の僕が昔住んでいた東京の三軒茶屋や横浜の街を歩いてみようという計画です。場所によっては20年いや30年以上行っていないところもあります。昨年の10月に山梨・横浜・東京と旅行しましたが、JALが格安の航空券をWebで紹介していましたので、ダメ元で挑戦してみたところ、格安航空券が習得できました。通常だと、何万円もかかるところですが、何と13,200円で東京への往復が可能となりました!この旅については、Facebookなどで紹介していましたが、記憶が薄れないうちに詳細な記録を書いておいたほうがよいと思いここに記します。4月24日(月)は、JAL 562便で9:30 女満別出発です。 11:25東京(羽田)着です。オホーツク・女満別空港にてまずの目的地は渋谷です。空港の京急のホーム京急で品川まで行き、JRに乗り換えました!JRの品川駅ホーム渋谷駅に到着すると、見慣れた光景と思いつつや、だいぶ様子が違っています。渋谷駅のスクランブル交差点勝手違いと思いつつも待ち合わせ場所のタワーレコードまで歩いて行きました。西武百貨店なつかしの西武百貨店があるのを確認しました。しばらくいくとタワーレコードが見えてきました。ここで待ち合わせをしたのはお互いの趣味が音楽であったので、タワーレコードだったら間違えないだろうというのが待ち合わせ場所をめた理由でした!記念撮影タワーレコードの入口で僕の記念撮影をしてもらいました!【続く】
2023年05月20日
コメント(0)
一緒に行動を共にしていた吉田さん無理を言って、昔住んでいた公務員住宅のある横浜市港南区日野6-11に行きました。横浜市港南区日野6-11-1付近から公務員住宅の並びを眺める横浜市港南区日野6-11付近の地図ここには2004年4月まで居住しましたので、18年後の今、どうなったか大変興味がありました。僕の住んでいた9棟と16棟は残っていました。横浜市港南区日野6-11-1~横浜市港南区日野6-11-5、つまり1棟から5棟まではなくなりました。老朽化が進んで廃棄されたようです。その1棟があった場所には、ローソンと西松屋が入りました。1棟の位置に新しく立ったローソンと西松屋2棟から5棟までの跡地はよくわかりません。僕の住んでいた9棟と16棟は残っていました。ここには1986年から18年間住みました。最初の15年間は、横浜市港南区日野6-11-16(16棟)に住みました。住んだところは前に大きな建物等がなく、坂の上の眺めの良いところでした。間取りがちょっと狭くて、3kの間取りを当時は僕の母、妻、子ども2人と僕の5人で暮らしていました。ここでも団地の敷地の隅を畑として活用していました。2022年の16棟のようすここに住んだ最後の3年間は、横浜市港南区日野6-11-9に住み替えました。ちょっと間取りが広くなって4Kになりました。でも眺めは前後に団地があって悪くなりました。ここでも団地の敷地の隅を畑として活用していました。2022年の9棟のようすしかし、団地のまわりは草がぼうぼうで、駐車場には車が止まっているもの人が住んでいる気配がはまりありませんでした。(現在も人は住んでいると思いますが、僕の住んでいる頃は、住民達で大規模な整備事業で草刈等をいっぱしやったような気がします・・・)何だかちょっと寂しい気持ちになって、公務員住宅を後にしました。僕の公務員としての生活は、国立筑波大学附属盲学校に勤務していた頃です。国立筑波大学附属盲学校は国立大学独立法人筑波大学特別支援学校視覚部になっています。この横浜市港南区日野6-11から国立筑波大学附属盲学校までは、結構通勤に時間がかかりました。横浜市港南区日野6-11からは徒歩で最寄りの横浜市営地下鉄の上永谷駅まで約15分歩きました。上永谷ら戸塚まで乗車しました。(約10分)そこからJR東海道線で新橋まで行き、1区間、有楽町まで山手線に乗り、営団地下鉄・半蔵門線で護国寺までいきました、そこから筑波大学附属盲学校まは5分ぐらいでした。それでも横浜市港南区日野6-11から国立筑波大学附属盲学校までは約2時間かかりました。この時間をいわゆる通勤地獄の中通っていたかと思うと大変だったなあと思います。僕はその頃「通勤」を「痛勤」とよく書いていましたが、その言葉は今でも通用すると思います。でも学校の仕事は毎回発見があり、興味深いものでした。生徒である視覚に障がいを持つ生徒たちと接することは非常に学ぶことが多かったです。今でもその時の教え子達とSNSで繋がっています。筑波大学附属盲学校の山中湖での夏季学校なぜこの仕事を辞めたかというと、当時私の子どもに問題があり、環境を変える必要があったからです。そして環境を変えたことによって、問題が解決しました。
2022年11月09日
コメント(0)
山梨の甲府昭和インター→中央高速→八王子→圏央道→海老名→東名高速→横浜インター→保土ケ谷バイパス→横浜横須賀道路→日野インター中央高速八王子・圏央道相模原・圏央道海老名・東名高速横浜横須賀道路・日野このコース20年前では、こんなに短時間でこれるとは考えられませんでした。20年前は「圏央道」がなかったので、中央道を相模湖で降りて、下道を延々走って、早い時で4時間、渋滞があればもう考えられないぐらい時間がかかりました。いやーびっくりです。横浜横須賀道路日野インターまで来たのは、昔僕が住んでいた横浜市港南区日野6-11をもう一度見ておきたかったからです。横浜市港南区日野6-11については、別途投稿する予定です。
2022年11月07日
コメント(0)
甲府の夜の最終日は、懐かしい仲間が集まっての大宴会となりました。小野さん夫婦(南アルプス市在住)、吉田さん(北海道・大空町・女満別在住)、佐々木夏実(北海道・小清水町在住に)に長坂さん(食わせろ、甲府の近くに在住?)が加わって、5人宴会となりました。食卓には近くのスーパーで買いだしたものが山のように載っています。宴会が深まってくると、Niftyの農と食のフーラム時代の懐かしい人達への電話かけ大会となりました。おそらく10人以上に電話しましたが、夜が更けていくので、21:00を過ぎたあたりでやめました。よっぱらいの電話にご迷惑をかけました。でも本当に楽しく、たとえ5人集まっただけでも懐かしい人達の電話番号がわかって面白かったです。僕たちは(吉田・佐々木)深夜、ホテルに戻りました!
2022年11月06日
コメント(0)
昼食を取った後、道の駅「はくしゅう」に寄った後、「甲州 台ヶ原宿」で台ヶ原宿市に行ってきました。道の駅「はくしゅう」の水くみ場夜のために水くみをしている小野さん道の駅「はくしゅう」は、白州のお水が有名で、水くみ場がありました。台ヶ原宿市のようす台ヶ原宿市とは、「400年の浪漫が交差する、甲州街道の宿場町として栄えた「甲州 台ヶ原宿」。3日間でおよそ5万人が訪れる台ヶ原宿市には、全国から集められた「新しいモノ」と「古き良きモノ」が集結します。アート作家やクラフト作品、骨董品、暮らしを彩る緑との出逢い。大自然が育んだ、おいしい地元農産物販売や屋台の出店。いろいろな出逢いと、想いの詰まった台ヶ原宿市。毎年10月の第三金曜日を初日に、金土日の3日間開催しています。」ということで、いろいろものがありました。「山梨銘醸株式会社」で作っている日本酒「七賢」有名なのは「山梨銘醸株式会社」で作っている日本酒「七賢」です。さすがにこの日はサントリーで「白州」を飲んだので、パスしましたが、次の行った時はしっかり試飲したいです。「台ヶ原金精軒」「信玄餅」それともう一つが和菓子の「 金精軒」の「信玄餅」です。この地域で有名なものに「信玄餅」がありますが、どうもここが本家のようです。お土産にして、生の信玄餅をいただきましたが、これまで食べたものよりも本当に美味しかったです。
2022年11月05日
コメント(0)
この蒸溜所はサントリーのシングルモルトウイスキーの最高峰の一つである「白州」を蒸溜しています。森に囲まれた白州蒸溜所僕は最近ほとんど飲んでいませんが、ウイスキーというとシングルモルトが定番ですが、サントリーの「白州」にはなかなか手が届かず、もっぱら「マッカラン」にこだわっていました。しかし、本命は「白州」だと自負してました。その「白州」の本拠地に行けるのかと思い、胸は高鳴りました。参加者は地元の小野さんご夫妻(小野洋蘭果樹園)、北海道・大空町の僕の友人の吉田さん、僕(佐々木夏実)の4人です。山梨県北杜市白州町にあるサントリー白州蒸溜所は、森に囲まれた素晴らしい自然環境の中にありました。そして、白州蒸溜所はそびえているという感じが強いと思いました。工場見学の予約は友人の小野さんがしてくれました。予約を取るのは大変で、この日もキャンセル待ちをしていたのですが、キャンセルが出て入れることなりました。一応一通りの工場見学から試飲コーナーへ一応一通りの工場見学をして、楽しみの試飲のコーナーに来ました。メニューは飲み比べメニューです。試飲コーナーのメニューサントリーの「響」「山崎」「白州」の3つです。どれもサントリー代表するウイスキーですが、「響」はブレンテッド、「山崎」「白州」はシングルモルトです。飲み比べをしたサントリーの「響」「山崎」「白州」の3種類のウイスキー係の方に無理をいってボトルと並べていただきました。シングルモルトをインターネットで調べると、「『モルト』とは英語で大麦麦芽の意味。 大麦麦芽のみを使用したウイスキーを『モルトウイスキー』と呼ぶ。 そして『シングル』が意味するものは単一の蒸溜所でつくられたウイスキーをボトリングしたものだ。 つまり、一つの蒸溜所でつくられた『モルトウイスキー』だけを瓶詰めしたものが『シングルモルトウイスキー』。」とのことです。それに対して、ブレンテッドは、「ブレンデッドウイスキーとは、モルトウイスキー原酒とグレーンウイスキー原酒をブレンドしてつくったウイスキーです。大麦麦芽100%のモルトウイスキーと比べて、様々な穀物を原料にしたグレーンウイスキーの方がコストを安く抑えることができ、モルトウイスキーとグレーンウイスキーを混ぜるブレンデッドウイスキーの方が価格も安くなるためです。」とのことです。(サントリーお客様センターの開設)サントリーの「響」「山崎」「白州」に堪能している参加者「響」は納得するウイスキーの感じ、「山崎」は、品格が高い感じ、「白州」は何と言っても最高峰という感じがしました。僕がウイスキーを飲むのは5年ぶりぐらいです。この間、体調不良で、夜の街を歩くのをやめていたことが大きな原因です。家では昔からお酒は飲まなかったので、まったく飲まないでも、問題はなかったのですが、白州に来て飲まないわけにはいきません。久しぶりにサントリーのウイスキーたちを堪能しました。それも白州の18年にはノックアウトされた感じで、本当に素晴らしかったです。工場名:サントリー白州蒸溜所所在地:〒408-0316 山梨県北杜市白州町鳥原2913-1営業時間:9:30~16:30(最終入場 16:00)工場見学には予約必要です。休業日:年末年始・工場休業日(臨時休業あり)
2022年11月04日
コメント(0)
小野洋蘭果樹園は、僕が北海道に移住するまでは毎年にように訪れていました。小野洋蘭果樹園小野洋蘭果樹園は山梨の南アルプス市西野で5haの農場でさくらんぼう・桃・葡萄・かきと洋蘭とうを作っています。なつかし小野洋蘭果樹園のさくらんぼ畑と葡萄畑毎年7月には「農と食のフォーラム」のさくらんぼうオフラインミーティングが開かれていて毎年参加しました。農と食のフォーラムがなくなってからも有志で、さくらんぼうオフだけは毎年のように開かれ現在も続いてます。小野洋蘭果樹園はたくさんの思い出があります。40度を超す炎天下のぶどう園で袋かけ作業をしたことなどです。筑波大学附属盲学校在勤の夏季学校での桃の収穫やぶどうの袋かけ(2000年)筑波大学附属盲学校在勤の時は、山中湖に合宿(夏季学校)に来ていたのですが、その帰り道、山中湖と小野洋蘭果樹園が割合近いこともあって、農業体験で桃の収穫やぶどうの袋かけをやらせていただきました。こう思ってみると、僕の若い頃の農業体験は小野洋蘭果樹園がルーツだったと思います。この日収穫した葡萄夜は葡萄も宴会の肴になりました!
2022年11月03日
コメント(0)
友人の小野さんが関わってる農産加工施設を訪ねました。小野さんは「NPO法人南アルプスファームフィールドトリップ(https://marmellata.shop-pro.jp/)」という団体を作って。この農産加工施設を運営しています。南アルプス山麓の桃源郷にて江戸時代から八代続く農家が始めたNPOで花びらジャムや農産加工品を作っているとのことです。小野さんは5haの小野洋蘭果樹園の園主で、サクランボ・桃・葡萄等を作っているここ30年来の友人です。小野さんとは当時、パソコン通信のネットワークのNifty-serveの「農と食のフーラム」出会い、僕が横浜在住の頃は、お互い良く行き来していました、何度か小野さんの農場の手伝いをしたことがあります。この頃は小野さんの農場を案内できるくらいの付き合いができていたと思います。友人の小野さんサクランボの時期には、「農と食のフーラム」のオフラインミーティングを開催しました。参加者が多いときは128人もあつまった時もありました。僕が北海道に移住してしまい、小野さんとの直接的な接触はなくなりましたが、Facebookでの付き合いは継続していて、今回の訪問を実現しました。1993年に開催された「農と食のフーラム」のオフラインミーティングこの施設で作っている代表的な「きんもくせいジャム」をいただきました。家に帰って試食しましたが本当に美味しかったです。このジャムは「金木犀の花びらの自然な橙色を活かし、ほのかな金木犀の甘い香りがやさしい味のジュレジャムで、人工の着色料は一切使っていない」とのことです。きんもくせいジャムまた、このNPOで作っている「とれたて卵プリン」も現地でいただきましたが、卵の味と雰囲気が凝固したかたちで本当に美味しいプリンでした。プリンを堪能している仲間達夏は、キッチンカーでかき氷の販売もしているとのこと。
2022年11月02日
コメント(0)
北海道のオホーツクにはデニーズなどの有名なファミレスがありません。安価で割合豪華なブレックファーストを食べるには、デニーズがぴったりです。山梨の甲府で見つけましたので、早速入店しました!写真を撮るのを忘れたのですが、大好きなフレンチトーストも含まれていてそれを選びました。フレンチトーストを食べたのは20年ぶりのような気がします。友人のO君と会うときは、必ずフレンチトーストだった気がします。デニーズのブレックファーストで大満足でした!
2022年11月01日
コメント(0)
「天下の名瀑」といわれる白糸ノ滝に行きました。白糸ノ滝ここは昔訪ねたようなような記憶があるのですが、ほとんど忘れています。だいぶ整備されたような感じでした。滝まではかなり歩きます。普段隣の家までも車で行く身の上としては、歩くのは結構きついものがあります。しかも階段で・・・。「この滝は、富士山の雪解け水が、上部の水を通す地層である新富士火山層と下部の水を通さない地層である古富士火山層の境の絶壁から湧き出しています。高さ20m・幅150mの湾曲した絶壁から、大小数百の滝が流れ落ちています。 その姿は白糸の名にふさわしく、幾筋もの絹糸をさらしているようです。優しく、女性的な美しさで、滝壺近くに立つと、三方が水のアーチとなって幻想的な世界を見せてくれます。 国の名勝及び天然記念物。(平成2年日本の滝百選に選定)」とうのは富士宮市の観光協会のホームページからの引用です。滝に近づいてじっくり見ていたのですが、その滝の流れは、心が落ち着く感じがして、いつもまでもここにいたくなります。北海道にある滝とはちょっと雰囲気が違うように思いました。白糸ノ滝での吉田さんと佐々木夏実この滝でみた富士山も素晴らしかったです。白糸の滝の商店のある場所からの富士山
2022年10月30日
コメント(0)
本当は河口湖から富士スバルラインで富士山5合目へ行って売店でソフトクリームを食べる予定だったのですが、何を間違えたのか、静岡県の富士宮市・富士山表口5合目へ行ってしまいました。富士山表口5合目での吉田さんと佐々木夏実間違えたことに気づいてはいたのですが、僕もこのルートは初めてだったので躊躇せずに行ってしまいました。静岡県の富士宮市・富士山表口5合目は当然というか、売店も何も施設がありませんのでソフトクリームはありませんでした。それよりか寒さが身に応えました。今は移住して20年近く経つ立派な北海道人だと自称していますが、この寒さには勝てません。富士山5合目から上を望むいっしょにいった吉田さんは元気で、寒さなんか・・・という感じでしたが、僕に付き合ってくれて、早々に富士山表口5合目を引き上げてくれました。富士山表口5合目は標高が2400mもあって、それは高いと言うことを実感しました。眺めは素晴らしかったです。標高が2400mを実感
2022年10月29日
コメント(0)
ここは過去に行ったことがあるけど記憶はあまり鮮明でなく、ほとんど新しいところに来た感じがしました。小さな池が8箇所あるようですが、流れる水がとてもきれいで美しいところでした。人がたくさん訪れていて、人が少ないところに生きているもはや立派な北海道オホーツク人としては、人に酔う感じです。土産物屋がたちならびこれも北海道人としては、もほや意外性が感じられました。逆に観光地としては、こうあらなければならないなという思いを新たにしました。人がいるということはすごいことだというのが北海道人として思った次第です。山中湖へ行ったという記事を書いたら、教え子が翌日この忍野八海を訪ねるという記事を返信してきたので、日程がずれたらもしかしたら再会ができたのではないかと思うと残念です。きれいな場所に写真を添付しておきます。
2022年10月28日
コメント(0)
すでにiphoneで撮影した画像はFacebookにアップしていますが、一眼レフカメラで撮った画像はアップしていませんしたので、改めてアップします。2005年北海道に移住するまでは、東京と横浜に住んでいました。山梨県の河口湖と山中湖は、何度も行きました。特に山中湖は、18年間勤めた筑波大学附属盲学校(今は国立大学法人筑波大学附属視覚特別支援学校)の中学部で夏休み前の夏季学校として、3泊4日で筑波大学の山中湖の施設に来ていました。何度も行事の担当者として、下見から当日の運営を担いましたから、特に思い出深いです。河口湖や山中湖から見える富士山は、これだけ全貌が見えるのは地元でも稀でそうで、僕たちは良い日にこの河口湖と山中湖に行けたようです。河口湖から見た富士山山中湖から見た富士山山中湖の看板と共に一緒に旅をした吉田さんと佐々木夏実お昼は、ガストが見えたので躊躇せずに、入ってしまいました。北海道にオホーツク圏では、チェーン店のファミレスがないからです。面白いことに食事に配膳はロボットが活躍していました。食事を終わった食器は、ロボットには戻せないようです。拒否されてしましいました。ガストでのロボットによる配膳
2022年10月27日
コメント(0)
横浜での夜の話は、北海道に帰ってからということだったので、先に書いておきます。プロのフィリピンの歌手のサポートでカラオケをやる佐々木夏実横浜で友人たちとの再会は、大いに盛り上がりました!実は、2004年の在住横浜時代には、昼間は自営のIT業と障がいのある仲間が中心となっているピア・サポートという会社での障がいのある人達のサポートとWeb制作業務をやるということ以外にちょっと別の仕事をしていました。それはフィリピン料理レストランです。夜の8時からビザのあるフィリピン人女性を雇用して1年間運営していました。その時のスタッフとの再会でした。2004年にフィリピン料理レストランをやっていたときのお店のようすフィリピン料理レストランをやっていたときに出した料理といってもフィリピン人の女性達は多くがフィリピンに帰ったり連絡のとれない人も多かったので、来てくれたの1人だけとなりました。後は僕の昔からの友人で時々店を手伝ってくれた今は居酒屋の店主のHさんと、フィリピン関係に詳しいスタッフのUさんとの4人での再会でした。今回集まってくれたメンバ達当時は本当に和気あいあいの楽しいお店でした。僕が社長になりましたが、一番この地でやさしい社長だと慕われていました。店の方は、最初は良かったのですが、オリンピックの年で急にお客さんが来なくなり、2月には赤字となり店は閉じました。それでもオンラインでの交流は続いていて、今回会おうということになりました、このメンバーで集まったらフィリピン料理を食べないわけがないと横浜のフィリピン料理の店を訪問しました。行った店は横浜の伊勢佐木町にあるバヤニスキッチン(Bayani's Kitchen)です。フィリピン料理の代表的な料理のシニガン(Sinigang)、フィリピンの伝統的なスープ。野菜と牛肉のかたまりをベースに煮込み、タマリンドで味付けした酸味のあるもの、シシグ(Sisig)、細かく刻んだ豚肉をしょう油、ビネガー、にんにく、唐辛子で炒めた鉄板料理、レチョン(Lechon)、豚の丸焼き。レモングラス、玉ねぎ、にんにくなど様々なハーブを詰めた豚をじっくりと焼き上げて作るなどを頼んで、午後8時から午前3時過ぎまで大いに楽しみました。注文した料理飲み物はサンミゲル・ビール(San Miguel)、有名なフィリピンの国産ビールブランドでコレなしのは始まりません。あとの飲み物は、個々人の好みで、僕はウイスキーをシングルのストレートと水で攻めました。入店してからお客は僕たち4人ともう一組(1人)だったように思いますが、貸し切り状態でした。店員は「こんなことはよくある」と気前よく対応してくれました。店員は全員フィリピン人で昔とった杵柄で僕もフィリピン語(タガログ語)で会話していました。店の様子でもスタッフのサービスは行き届いていまいた。ここにはプロのフィリピンの歌手が2人いて、最初は彼らが歌を披露していました。ファルセットでとても素晴らしい歌声を聞かせてくれましたが、途中からは僕たちも参加するように促されて、カラオケをしました。僕たちが歌っているときも歌に入り込んできてサポートしてくれました。僕は英語とフィリピン語(タガログ語)の歌で攻めました。フィリピン語(タガログ語)の曲を歌ったことでプロの歌手達とはとっても仲良くなれました。カラオケで頑張る佐々木夏実気がつくと時間は午前3時を過ぎていたので、場所を変えて、延々5時まで飲みました。延々5時まで飲むのは、僕が脳梗塞をやる前のことですから、本当に久しぶりでしたら、横浜の夜を満喫しました!
2022年10月26日
コメント(0)
友人の吉田さんとの話で吉田さんの仕事のついでで僕が吉田さんに同行して、関東地方の山梨県の甲府等と神奈川県の横浜市に旅行しました。仕事の都合で10月21日~24日は吉田さんの仕事の間があるので、30年来の友人たちが住んでいる山梨県の甲府にいこうという話になりました。その帰り道で、僕が20年間住んでいた横浜市に送ってくれるということになり、横浜に住んでいる友人たちと再会することになりました。当日は格安の航空機が就航しているPeachで北海道の女満別空港(オホーツク・大空町)から成田まで飛びました。15:40分に出発し、17:50に到着する予定でしたが20分ぐらい早く到着しました。飛行機の中からの夕陽が本当に素晴らしかったです。格安の航空機が就航しているPeach山梨での友人たちの再会横浜での友人たちの再会旅の途中にFacebookにはいろいろ投稿しましたが、一眼レフで撮影した写真も含めて再構成して、旅の様子をアップして行きたいと思います。本当に楽しい旅でした!旅でお世話になった方々には感謝がたえないです。本当にありがとうございました。
2022年10月26日
コメント(0)
全19件 (19件中 1-19件目)
1