一即多、多即一

一即多、多即一

援助交際


しまうのも金がほしいということであろうが、それもブランドものがほしいとか
本当に必要なのではなく、ようは自己の欲望を満足させたいという理由からが多
いようである。現在の日本は不況と言われているが、本当に明日食べるための金
もない、という例は少ないだろう。そこまでせっぱ詰まっていないのに、もっと
いいものがほしいということで売春までしてしまうのは、どこかずれている。また、金を出して自己の欲望を満たそうとする男性側にも、大いに問題はあろう。

 わたしは瞑想などに興味を持ち、実践もしている子供と接することがあるが、
遊びたい盛りの彼らがあまりそういったことに興味を持たず、自分の精神を向上
させることに興味を持ち、実践していることに対して、非常に感心する。
 わたしが精神的なことに初めて目を向けだしたのは高校の時だが、それまでは
勉強もあまり好きではなく、遊びほうけていた。まあ遊びと言っても悪いことは
あまりしなかったが、精神の世界に目を向けるということは、全くなかった。高
校の時もそれほど本格的にやっていたわけでもなく、瞑想も15分できたら「今
日は長くできた」というレベルであった。
 それに対して私の接する子供は、もっと長く瞑想しそのことに対して大いに価
値を見いだしている。そういった彼らの様子を見る一方、援助交際に走る子もい
ることを思うと、魂の違いということを感じざるを得ない。私はここで、単純に
どちらがいい悪いということをいいたいのではなく、個々の魂において違いが明
確に存在することをいいたいのである。

 ではなぜ売春が良くないのか?これについて明確な回答を出すことはなかなか
できていないようである。売春を行っている女性が、「私の体なんだから、私が
どうしようと私の勝手だし、私はお金をもらえて嬉しいし、相手も喜んでいるん
だから、どこが悪い、よけいな世話を焼かないでほしい」というようなことを言
われたらどう反応するか?単に道徳的なことを言ったとしても、全く説得力はな
いであろう。
 これに対して、国際日本文化研究センター所長であり、ユング派の心理学者と
して著名な河合隼雄氏は、次のような見解を述べた。
「売春は魂が傷つくから駄目である」このような見解は、今の日本の学者も研究
者も誰一人言っていないし、考えたことすらないであろう。西洋合理主義に毒さ
れた人には、全く理解できない見解である。しかし私はこの見解はなかなか良い
点をついていると思う。もちろんこれで援助交際に走る女性達を納得させること
ができるとは思わないが、なぜ売春が良くないのか?という命題に対して、本質
を突いているように思う。

 河合隼雄にある仏教学者が、その魂とは身体性を伴ったものか質問したら、そ
れはそうであると答えたそうである。密教では人間は粗雑な身体だけでなく、幻
身という微細な身体も内在させていると説く。チベットの死者の書によれば、人
間は死ぬと誰でもこの幻身の状態となり、生と死の間の中間状態を経験し、次の
生へ至るとする。
 そしてこの幻身は生前の行い、これは業ともカルマとも言えるが、悪い行いを
することによって汚されたり、傷つけられてしまう。それによって、生きている
間に不具合が生じたり、転生に重大な影響をもたらしてしまう。
 そして売春のような、愛を伴わない性的な交わりは、間違いなく幻身言い方を
変えれば魂を傷つけることになる。だから成してはならないのである。

 河合隼雄はまた別の見解も述べている。それは「自分が傷つかないと思っても
周囲の人が傷つくから駄目である」というものである。これは「自分と周りの
人の縁を傷つけ、それが巡り巡って自分自身を傷つけるから駄目」ということに
なる。これはまさに仏教の縁起の思想である。
 人間は自分一人で生きているわけではない。親に養ってもらってきたし、何か
食べるにしろそれを作ってくれた人がいたからこそ、食べることができる。誰の
助けを借りることなく、自分一人で生きてきたという人がいるが、全く何もわか
っていない。この世は一切が互いにつながっており、関係性を持っている。
 だから自分はよいと思っても、周りがそれによって傷つき、それが巡って自分
自身に返ってくるのである。しかし、人間は無知な状態なので、そのことになか
なか気づかない。しかし、これが真実である。
 また表面的には傷ついていないと思っても、深い意識下では傷ついている可能
性が強い。それがつもりつもって、大きなカルマを形成していってしまうのであ
る。

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