一即多、多即一

一即多、多即一

虹の身体


 死について私は子供の頃からよく考えた。私は死が怖かった。死にたくないと思った。しかし今では死の恐怖がかなり少なくなってきた。それは自分なりの理想的な死の迎え方がわかってきたからというものあると思う。

 それでは私にとっての理想的な死の迎え方とはどういうものか?
それは、タイトルある通りである。何のことだかさっぱりわからない方も多いで
あろう。チベット密教のニンマ派にゾクチェンという修行法があるが、ゾクチェ
ンを完成すると虹の身体を得るとされている。それは死の際に粗雑な肉体が空に
還元されてしまい、最も粗雑な髪の毛と爪を残して、消滅してしまうという現象
である。粗雑な物質が微細なエネルギーに還元され、空にとけ込んでしまうので
ある。

 そんな馬鹿な!と思われる方も多いだろう。しかし、この事例は多く報告され
ており、現在でもこういった事例は存在している。
 ナムカイ・ノルブ著「虹と水晶」にはこの事例がいくつか紹介されている。一
つ引用しよう。

 ところがある日、役人が到着すると、家は閉め切られていた。何とか中に入っ
てみると、トデンの身体は修行用のソファに坐ったままになっていた。ただ、そ
の身体は幼児の大きさまで縮んでいたのである。役人は非常に狼狽した。これを
どう中国人の上司に説明すればいいだろうか、自分が何らかの形でトデンの逃亡
を助けたのではないかと疑われる事を恐れた彼は、ただちに、その出来事を上司
に報告しに行った。
 数日後、人里離れたその家に地方政府の高官全員とともに戻ってみると、トデ
ンの身体は完全に消え失せていた。残されているのは髪の毛と爪だけだった。役
人は、とまどう上司に説明を求められたが、古い経典に虹の身体の悟りを成就し
たヨーガ行者のことが出てくる。だが、それを目の当たりにすることになるとは
夢にも思わなかったと答えるしかなかった。

虹と水晶 179ページ~180ページ

 この話はチベット動乱後だから少なくとも1959年以降の話である。だから
ものすごく大昔の話ではない。近代にもこういった話が実際にあるのである。

 虹の身体をえた行者は自分の死期を自分で選べる。生きるも死ぬも自在の状態
である。そして、この世に戻らないのも戻るのも自在となる。涅槃に入ってしま
ってもいいし、またこの世に降りてきて人々を救う活動を行うこともできる。こ
れは通常の死というものとは呼べない境地と言えよう。

 こういった境地に至れる魂は非常にまれではあるが、私はいつの日かこの状態
を達成したいと願っている。

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