海洋冒険小説の家

海洋冒険小説の家

    (5)

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 「南海屋の使いで参りました」
 新左衛門はジロリと次郎丸の方を見、一瞬なにか思い出そうとして、間があいた。そして、おもむろに、
 「明石屋のせがれ?か」
 と聞いた。
 「はい、明石屋の次郎丸です。甲比丹の書状を持参いたしました」
 銭屋の主は書状を受け取りながら次郎丸を見て、すぐに利発ないい子だと感じた、眼がくりっとおおきく、丸顔で、口は真一文字に閉じられている。子供らしさは残っているが、大きな額が賢さをあらわしている。堺の町はこんな子が、自分たちの後を引き継いで発展させていくのだなと、改めて思いながら、眼を書状に移した。宛名と差出人の名前を確かめ、書状を開いた。
 「返事を書くから待っといてや」
 次郎丸に声をかけ、書状に目を通し始めた。
 次郎丸は新左衛門のほうを見ながら考えていた。歳は六十の半ばで、みてくれはしょぼくれた年寄り。背は低く色黒で、よく見ないと顔の造作も分からぬほどだ。顔も頭も小さく、この頭のどこに深い智恵がひそんでいるのか、と思われる。しかし、いったん銭を手に取り、金、銀の延べ板を調べる眼光の鋭さは、みかけだけで判断出来ぬ人物であることがわかる。いまや日本全国に銭屋の下で薫陶をうけた商人たちがいて、日々銭の目利きをしている。甲比丹助左衛門の尊敬を受けているのもうなずける。そやけど、四角の穴の開いた銅銭のことを鳥目と呼ぶのはなんでやろう、と思う。鵞鳥の目なんかに似てないで。そうこうしているうちに、書状が書き上がった。
 「これを渡しておくれ。それから土産のインコの礼もたのむ。わしが喜んでいたとな。それで、初めての航海はどうやった?」
 ここで微笑した。次郎丸はすこしほっとして、ニコっとしてぺコンと頭を下げ、
 「はい。よかったです。甲比丹さまの活躍はすごかったです。伝言はそのように伝えます」
 返事をしてすぐ店を飛び出した。新左衛門はなんと忙しいやっちゃと思い、しかし元気があふれてるなとも思い、自分の子供の頃を一瞬思い出したが、すぐそれを打ち消した。まだ仕事が残っとる。しかし今宵はいい酒が飲めるぞと思うと体がぞくぞくしてきた。

 夜、戌の上刻を過ぎるころ(注1)、材木町にある若狭屋の広い座敷は、打毬の関係者であふれていた。南海丸の無事の堺への帰還、大量の商品の荷揚げと売買で町は活気づき、町衆たちはいきいきしていた。今回の南海丸の交易に投資したものは数十人に上る。堺と京の商人、公家衆などだ。そして商人にはまた数十人の小口の出資者がいる。もちろん一番多く投資しているのは船主船長の助左衛門であるが。十万貫文(注2)に近い商品がこの堺で取引されたのだ。このほかに南海丸の乗組員が個人で買った商品もあり、それを入れるともう少し増えるだろう。
 その熱気をそのままこの若狭屋に持ち込んで、料理に酒、南蛮渡来の葡萄酒や琉球の焼酎(注3)などが出されて、宴会は大いに盛り上がっていた。ただ、明日試合に出場するものは自重して、酒は控えていた。とにかく打毬の試合に勝ちたい。勝った後で勝利の美酒に酔いたい気持ちだった。昨年初めて勝ったのだから、今度もと思う。

 料理を食べ、酒を飲みながら、黒旗の海賊衆との一戦について、あちこちから、声が飛び交い、助左衛門はそれらにいちいち答えていた。
 「よう切り抜けたもんやな」
 「船腹のあちこちに大砲の弾の通り抜けた穴やその他の穴があいてますけど、運のええことに、火薬の樽に当たらんかったので、なんとか無事に帰ることが出来ました」
 話をしている間は酒は飲まなくてすむので気楽に話すことにした。二度にわたる切り込みを撃退した所は河内の六兵衛にまかせた。実際、彼の奮闘ぶりはすごかったのだから。鉞のぶんぶんうなる音が聞こえてきそうな熱の入った話しぶりである。投げた斧で頭の割れた海賊がぶっ倒れるところなどは真にせまっていて、酒を飲む手がつい止まった程だった。
 大頭目の六条の院がどうもいなかったようだ、というと、皆は「ふ~ん」と考え込んだ顔になった。堺の商人にとって自由な交易を阻害する海賊衆は敵なのだ。海外へ船を駆って交易に出かける者にとっては、新しい情報はいつも重要な意味を持っていた。やけくその黒旗の海賊たちはどこの国の船であろうとこれからも襲うであろう。とにかく自分たちで、自分の船を守る以外にないのだ。備前屋の三郎四郎も船主で船長をしていて、海賊と過去何度も戦ってきた。彼は助左衛門のさらりと言っている言葉の意味を一番よく理解しただろう。何度もうなづいて聞いていた。海賊と戦ったことのないものにとっては、単なる物語なのだから。宴が盛り上がって一息ついた、そこへ若狭屋のあるじ徳兵衛がやってきて、助左衛門に「ちょっと」と言う。それで廊下に出た。徳兵衛が言った。
 [説明の項目]
 (注1=午後8時ごろ)(注2=約百億円)(注3=本当はシャム{いまのタイ国}製の焼酎。この当時、琉球では焼酎は王家のためだけにつくられていた)
                     (続く)




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