海洋冒険小説の家

海洋冒険小説の家

(2)その胃袋の大きさに・・・

  [あらすじ=甲比丹助左衛門は、台湾沖で黒旗の海賊を砲撃戦で打ち破ったあと、助けた明国の交易船とともに、琉球へ行く。国王より褒章を頂き、堺へ帰ってきた。すぐ、友人たちから、打毬の試合への参加などを告げられ、目の回るような忙しさの毎日を送る。妻・瀧ともゆっくりする暇もなく、打毬の試合は、公家チームにかろうじて勝ち、町衆は大喜びしたのだった。そこへ、安土城の織田信長より、呼び出しの書状がきた。それで、早速、行く準備をし、翌朝、河内の六兵衛、妻の瀧と出かけることに。]

    (2)

 食事が終わり、一息いれて、出立した。三人は薄い青の小素襖に紺、朱、緑の色とりどりのカルサン(ポルトガル風ズボン)をはいた。足袋、脚絆(きゃはん)もカルサンの色に合わせ、紺に黄、朱に緑、緑に桃色を合わせた。朱に緑は瀧の衣装である。
 美しく輝くばかりだった。くつは毛皮で出来た毛沓、ブーツである。瀧は男の装束を喜んで着た。頭にはポルトガル製の黒い鍔広の帽子をかぶった。堺では縁つき立て烏帽子やら、シャペーやらネーミングに決めかねていたが、いつだったか、堺に来るといつも南海屋に立ち寄って行く北山の権大納言が、
 「もともと、烏帽子はえぼうしとも言い、烏のように黒い墨色という意味で付けられたのだから、え、をはずして、ぼうし(帽子)ゆうたらどうや。これやったら、どんな色でも使えるで」
 冗談のように言ったことが、
 「そやそや、それええわ」
 と、いうことで、帽子になった。この後も、この帽子という言葉が使われたどうか、定かではないが。
 まあ、ちょっと珍妙な恰好かと思える姿ではあるが、なにしろ、流行のファッション姿なので、当時は羨望の目で見られたかもしれない。
 さっそうと、三人は馬に乗った。六兵衛が荷を載せた馬を引いた。

 助左衛門は京から熊野街道への道を逆に進み、近江川(注1)の横を通って、枚方から鳥羽を抜けて京に入り、三条粟田口から日岡(ひのおか)峠、逢坂峠を越え、近江に、そして安土に行くことにした。
 「今日はいい天気やし、馬を走らせるには絶好の日和やなあ」
 六兵衛はうれしそうに言う。助左衛門は、昨日の打毬の試合で、馬を久しぶりに長い時間走らせたので、今日は少々尻が痛いのだが、しかし、そのような素振りはみせられない。なにしろ、堺にその人ありと言われているのだから、体面もある。しかし、痛い。瀧はすっかり女武者振りを発揮して、巴御前のように堂々とした乗馬姿である。
 屋敷を出たくらいから、東の空が白みはじめ、堺の町を過ぎるころにはすっかり明るくなった。道は人もほとんど通っておらず、三人は馬を走らせた。朝の冷たい、しかし心地よい風が、吹き抜け吹き抜けして、体が自然と一体になった感じだった。卯の刻(午前6時)にはもう枚方を過ぎていた。助左衛門はふところから日時計を出して時々時刻を見た。辰の刻(午前8時)には鳥羽口は過ぎ九条まで来た。鴨川の河原で、休憩した。竹筒の水を飲み、瀧が差し出した南蛮菓子をつまんだ。
 「捻頭(ぼうろ)はうまいなあ。堺でも作ってる所あるんやろ?」
 六兵衛が瀧に聞く。
 「南蛮屋ゆう店がさっそく出来て、南蛮菓子つくったんですけど、これがもうたいへんな人気ですねん。乾麺包(注2)や金平糖、浮石糖(注3)などもえらい評判で、店の前はいつもぎょうさん列ができてます」
 「砂糖は福州から堺に大量に入ってきてるからなあ。南海丸もかなり多く積んできたし。砂糖が安く手に入らん買ったら、菓子なんかつくれんわな」
 助左衛門はそう言いながら、もっともっと日本は交易を大事にしていかなあかんなと思う。必要なものは大量に輸入すれば、値もさがるし、どんな人々にも手に入れることが出来る。信長でも、毛利でも誰でも良い。早く戦のない世の中をつくってほしいと思う。
                    (続く)

[注1=この頃は淀川のことを、おうみがわ、と呼んでいた 注2=びすこうと、ビスケットのこと 注3=かるめいら]



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