海洋冒険小説の家

海洋冒険小説の家

(2)鳥羽街道

     (2)鳥羽街道

 鳥羽街道は、昔から桂川まで舟で往来し、鳥羽から物資の輸送を牛車で行っていたので、道路は敷石で舗装されてあった。助左衛門の計画では途中、三条の旅宿で一泊して翌日、安土に着くようにした。それで舟と馬と馬車の借用を契約したのだ。帰りも同じように、二十三、二十四の二日かけて帰ることにした。なにしろ総勢五十名余り、荷物と商品が山のようにあるのだ。信長殿に献上する葦毛の馬一頭は、南海屋の番頭、次郎左衛門によって、すでに手配され、安土に向かっているはずである。

 京都には、六兵衛と次郎丸を連れて行くことにした。次郎丸には、色んなことを見聞させて、広い知識を身につけてほしいと思う。助左衛門には子がおらず、次郎丸には将来、交易船の船頭になってもらいたいというきもちが心の中にあった。それになんだか感じるのだ。この子は甲比丹になれると。
 十五日、卯の下刻(午前7時頃)ごろに、明石屋の秀五郎の許可を得て、次郎丸を連れ、六兵衛と三人で馬に乗って出かけた。次郎丸は父・秀五郎の下で、幼少の頃より、乗馬の特訓を受けたそうで、何も心配することはないということだった。馬は秀五郎のもち馬で、鹿毛のよく慣れたおとなしい、体の小さな馬だった。三人とも白の小素襖をで肩衣(かたぎぬ)をベストのように着て、カルサンをはき、毛沓をはいた。帽子はあの黒の広い鍔広の奴である。
 次郎丸は久しぶりの遠出で、嬉しくて、その辺を走りまわりたい気分だったが、なにしろお目付け役に甲比丹と六兵衛がいるので、おとなしくするよりほかはなかった。
 助左衛門は馬を早く走らせたり、並足に戻したりして次郎丸の技量を試したが、腕前は合格点だった。さすが、馬にうるさい秀五郎の倅だけのことはある。それからは、少しも心配せず、自由に馬を走らせることが出来た。

 小見の公秀殿の屋敷は鳥羽から近い、京の西八条にあった。このあたりはその昔、平清盛公の屋敷があったところである。

                     (続く)


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: