海洋冒険小説の家

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(3)平清盛公の屋敷があった・・

     (3)

その昔、平家の若い公達が馬を走らせて賑やかだったであろう面影は、どこにもなく、今はすっかり田や畑ばかりになっていて、広い公秀殿の屋敷の回りには人家がなかった。度重なる戦乱による大火で、このあたりもすっかり家が焼けてしまい、田や畑に戻ってしまったのだった。屋敷を囲む土塀は上土がすっかり落ち、崩れかかったところもあった。塀の傍までびっしり生えた竹林が塀の代わりを務めていて、外からは中の様子が何も見えなかった。松の古木もあって、なんだか寺や社の雰囲気である。
 門の前で馬をおり、近くの柵に手綱をつないだ。助左衛門は門の横のくぐり戸を開けて中に入って行ったので、二人は同じようにして入った。美しく刈り込まれた庭木の間の小道が門のところからぐるっと右に回って、左に回り、くねくね行った所でようやく屋敷の玄関に出た。唐破風造りの玄関で、板の間が寺のように広々としている。助左衛門が玄関に吊るされた魚板を棒で2回叩くと、肩衣を着た背の低い爺さんがでてきた。
 「助左衛門殿か、あるじがお待ちかねじゃ」
 すぐに、家の中に案内された。廊下をぐるぐる歩いて、奥の広い板の間に通された。この部屋には大きな机があって、透明なビードロの椀や瓶が所狭しと置かれてあり、銅製の鍋や壷は火にかけられ、ぼこぼこと音を立てていた。

 そこに、この屋敷のあるじ、小見の公秀殿が椅子に座り、なにかの本を読んでいたが、助左衛門たちの方を見て、歯が三本ほどしか無い口を開けて、ニーッと笑った。
 歳のころは七十ばかり。頭髪は真っ白で、総髪を後ろで上品に括っている。眼はきらきら光り、生き生きしていて、柔和な顔とともに印象的だった。いかにも学者風である。白い麻の着物姿は清潔感を印象づけた。

 「頼まれておりました書物を、ルソン(呂宋)のイスパニア商人から手にいれました。おっしゃるとおり、イスパニア国のサラマンカ(salamanca)の学校(サラマンカ大学)で使われていたそうです。他の国々では、学者たちがちらほら持っているようですが、イスパニアでは天文の新しい発見の書物として学生(がくしょう)に教えられていたそうで、これはその学校の学生から手に入れたものです」
 助左衛門はその書物を渡した。公秀殿は宝物でも扱うように、大事そうに受け取った。その赤い本の表紙には金文字で、
 「NICOLAI COPERNICI Torinensis De Revolutionibus Orbium Coeiestium Libri VI.」
 と書いてあったようだが、公秀殿を除いて誰も読むことも、理解することも出来なかった。
 助左衛門はイスパニア商人から少し聞いていたので、意味は分かっていた。公秀殿はパラパラと始めのページをめくって、大きな声を出して書名を読んだ。
 「ニコライ コペルニチ トリネンシス デ レボルチオニブス オルビウム ケレスチウム リブリ ろく」
 最後はどうも日本の言葉でろく(六)と読んだようだ。
                  (続く)




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