海洋冒険小説の家

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第八章 安土城の抜け穴見つかる

  第八章 安土城の抜け穴見つかる

    (1)
 二十八日卯の刻(午前六時)、南海屋の前に油屋の仁助以外に、明石屋の秀五郎、北野屋の阿智助、遊女屋の大二郎など打毬仲間、南海丸の者たちでは、六角坊玄海、吉野東風斎、高田将監、小町の源左、船頭の首無しの吉兵衛、舵取りの熊の十蔵など凡そ二十騎が集まっていた。助左衛門は表に出て、その顔ぶれは勿論のこと、その出で立ちにびっくりした。背中に太刀を背負い、槍を持ち、あるいは弓や矢筒を肩に、興奮気味の馬の手綱を手にして、たむろしているではないか。
 「おーい、これなんや、合戦に行くのとちがうでぇッ!」
 助左衛門は叫んだ。これでは山賊の一団のようである。
 「京は物騒やから、みんな付いていくゆうてんねん」
 仁助が返事した。
 「そんな恰好で京の町に入れる思うてんのか。鳥羽口あたりで、信長殿の足軽から、鉄砲弾を食らうでぇ。京まで行かんでも、堺を出たところで、あちこちから、鉄砲弾が飛んでくるわ。それに、こんなに沢山で街道を走ったら、なにが起こったかと、うるさいことになるでぇ」
 「それやったら、どうしたらいいのや」
 「弓矢に槍は持たんこと、太刀は馬の鞍にくくって目立たんようにしておく。腰には脇差だけ。それで、みんな行くのんか?」
 「行く行く」
 「それやったら、静かに馬走らすねんで、ええか」
 「相分かり申し候」
 と誰かがふざけて言い、みんなはどっと笑った。ほんまに、しょうのない連中や、と思いつつも、助左衛門も大声で笑ってしまった。

 弓矢に槍は、南海屋で預かり、出立した。六兵衛と秀五郎の倅の次郎丸も助左衛門に続いた。六兵衛は闘斧(トマホーク)を二本腰に差し、まさかり(鉞)を一挺鞍に括りつけている。
 道中、心許せる仲間同士の気安さで、話込んだり笑ったりして、進んだ。京に続く街道では、特別咎められることもなく、無事通過した。鳥羽口から西八条の小見の公秀殿の屋敷に立ち寄り、次郎丸を届けた。公秀殿とは翌日、即ち二十九日朝、辰の刻(午前8時)に旅宿・大原屋で落合うことにしている。
 次は三条にある大原屋だ。そこを根城にして情報を仕入れようというわけである。七条通りから鴨川を渡り、鴨川の東側の道を通った。とにかく、目立たぬように行動した。二騎、三騎と分けて、大原屋を目指した。京の町は、いつもの賑わいが感じられなくて、ひっそりしていた。やはり昨日の騒動が影響しているのだろう。町屋の塀の内側から風鈴のチリリーンという音が今日は鮮やかに聞こえてくる。暑い夏の日差しを和らげてくれる音である。法華衆は、どこに押し込められているのだろうか。奇妙な緊張感が人影のない通りに感じられて、人の視線を感じる。京都奉行・村井長門守の手のものがこうして、馬に乗っているのを、恐らくどこかで監視しているに違いない。しかし、姿は現さなかった。兵の姿はどこにも、なかった。

 宿の大原屋に着いて、色々の事が分かった。京の法華衆徒千人ほどが久遠院という、大宮通四条上がるあたりにある法華宗の寺に押し込められたこと、その者たちを如何致すかについては、村井長門守が信長殿の命を待っていること、そして寺の破却についても、その用意をして待っていること、などである。
                     (続く)




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