海洋冒険小説の家

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(5)不安の中、祇園祭りの巡行が・・



 遊女屋の大二郎が聞いた。
 「詫び証文の中の久遠院・日雄さんと宗論の時の久遠院の日淵さんと名前が違うのはなんでや?」
 助左衛門はもう一度読み直した。
 「ほんまや、違う名前になっとるなあ」
 仁助が、
 「久遠院ゆうたら、法華宗の学寮(学校)やて聞いたことがある。日淵さんは、そこの一番の学僧やないか。学識のある坊さんを宗論に出したんや」
 みんなは、なるほどと頷いた。それでは、日雄さんは恐らく学頭(注1)ということになる。学寮は各宗ごとに、特に大寺の本山内に置いていると聞いたことがある。京にはどれほどの数の学寮があるのだろうか。想像もつかない。
 「詫び証文の妙覚寺の日諦さんと、宗論の時の常光院の日諦さんは同じ人みたいだから、妙覚寺の住持でかつ学寮の常光院の学頭ということになるな」
 秀五郎が「次第」を見ながらそう言った。
 「いや、常光院は妙覚寺の塔頭で、日諦さんは、両方の住持を兼ねているのかもしれんで」
 北野屋の阿智助が異議を唱える。それから、あちこちで話の花が咲き、そのうちしゃべり疲れて、それぞれの部屋に帰っていった。
 助左衛門はこの日、すっかり疲れ果てて、風呂に入り、食事をしてすぐ寝た。

 六月七日、祇園会(祇園祭り)の山鉾巡行が始まり、全員で四条まで見物に出かけた。それぞれが思いっきり派手な小袖を着て歩いた。赤、青、黄に大胆な図柄のもので、扇子を持ち、あるいは刀を肩に担ぎ、長髪をなびかせ、鮮やかで派手な紐を頭に巻いた。堺の風流の恰好は京・町衆の注目を浴びた。長刀鉾を先頭に蟷螂鉾などが通りを並んで曳かれていった。その美しさはやはり京の祭りらしい。
 脇を甲冑を付けた武者が固め、町衆が笛や鉦、太鼓も賑やかに「コンコンチキチン、コンチキチン」と奏していた。大変な人出で、畿内の各地から見物に人々が来ている。普段であれば楽しめたであろう祭りも、今は気もそぞろで、早々に切り上げて帰ってきた。
 夕刻、京の商人で法華宗に帰依している山田屋義右衛門からの書状が、明石屋秀五郎宛に届いた。それには、
 「二十八日、安土より必死に京に逃げ帰り候、暫くは懇意の公家屋敷に隠れ居り候、浄厳院に於いての宗論の様子、書き送り候」
 とあり、浄厳院の本堂の中の様子が図にして書いてあった。山田屋は堺の交易に投資している京の商人であり、堺とは深いつながりがある。
 その図によれば、仏殿の前、右の東側に浄土宗、左の西側に法華宗の坊さんがすわっており、南側の縁近くに奉行の三人が座っている。判者の四人は西側の法華宗の側のやや斜め後ろに座っている。なるほど、宗論というのはこのようにするものなのか、改めて、その物々しさと、そして日光の必死の思いを想像して、身震いした。今日はこれだけしか収穫はなかった。
                  (続く)
[注1=がくとう、教師の首席にあるもの]



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