海洋冒険小説の家

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(6)安土城の忍者は海賊衆?



 六月十日、昼過ぎ、即ち午の下刻ごろ、助左衛門宛に安土城奉行の菅屋九右衛門より書状が届いた。助左衛門はまた、この書状を皆に読んで聞かせた。
 それによれば、安土に捕らえられている法華僧の仕置きは見送られ、十二日に解き放たれることになった旨書いてあった。堺の衆全員に喜びが走った。わぁっ、となって、あちこちに人が散ってしまった。早速、秀五郎は宴の準備にかかり、あちこちに指示して、本領を発揮した。
 書状の後半部分は読むどころではなかった。しかし、書状の本意は後半にあった。そこに克明に書いてあったのは、忍者のことであった。琵琶湖の南、西岸にある町、堅田に忍者の潜んでいた屋敷が見つけられ、踏み込んだが、すでにもぬけの殻だったこと。屋敷の借主は、九州・博多の商人、肥前屋五兵衛と名乗ったという。潮焼けした色黒の四十ばかりの男で、衣服も立派で堂々とした態度だったので安心して家主は貸したらしい。出入りしていた者たちは屈強な日焼けした風体をしていたそうだ。菅屋九右衛門が綿密に調べた結果、この者は九州の海賊衆ではないかと思われる、と、そう結論づけられていた。
 なにを根拠に海賊衆とわかったのかは分からないが、何か手がかりを残していたのだろうか。助左衛門は思った。
 堅田であれば、安土は対岸で近いし、舟を使えば人に怪しまれることもない。まあ、ともあれ、仁助の心配事も無くなったし、海賊衆は織田の奉行衆にまかして、今日は楽しい宴で盛り上がるだろう。とりあえず、北山の権大納言に、いままでの気配りの礼と、菅屋九右衛門の知らせてきた事などを書状にして、旅宿の主人に頼みすぐ送った。また、権大納言の屋敷での宴は十三日の夕刻では如何、とも書いておいた。十二日に法華僧が解き放たれるのであれば、遅くとも十三日には仁助の兄・日光は京に着くであろう。仁助が兄の顔を見てから、心おきなく大宴会をすれば良い。

 しかし、菅屋九右衛門の書状を読み終えてからも、ずーっと、頭のなかで、なにかひっかかっていた。時がたつにつれ、そのもやもやしていたものが、すこしづつ形になって現れてきた。海賊衆というのがどうもひっかかるのだ。それも、九州というのも。言葉のなまりが九州なまりだったに違いない。なにか、助左衛門の頭の中で「ピカッ」と閃いた。それで、南海丸の者たちを集めた。六兵衛に高田の将監、小町の源左、六角坊玄海、吉野東風斎、首無しの吉兵衛、熊の十蔵が集まった。
                     (続く)



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