海洋冒険小説の家

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第十一章 六条の院との決戦 播磨沖海戦


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 六月十八日、午前中かかって、六尺の高さの黒の御影石の台座に、八尺の白いエウロペの女神の美しい裸体の石像が大小路町の広場に建てられた。日本の都市で広場があるのは、ここ堺の町だけであろう。洋風の建物も建てられて、日本のベネチアと呼ばれるにふさわしい町並みをほこっていた。
 女神は堂々とした体格で、美しい乳房、肩から腰にかけて布を羽織っており、頭を高く掲げ、前を、港の方をみつめていた。
 大小路通りをまっすぐ西へ行くと堺の港である。この広場から港が見通せた。その表情には、美しさだけでなく、力強さがあった。この力強さが堺の町の発展をもたらすような気持ちにさせた。どうも、これはあの、美と愛の女神ヴィーナスのようであったが、勿論、堺の人々はそれを知るよしもなかった。
 これが、ここに建つまでには、今井宗久など納屋衆、会合衆など長老への根回し、堺政所の松井友閑への説得があったのだが、思ったよりもすんなり理解が得られて、うまくいったのだった。安土宗論における法華宗に対する弾圧などで、常に新しいことに対し反対する仏教各派も、さすが、このたびは、弱弱しい声をあげるだけで、黙認した。切支丹宗徒で、豪商の日比屋一族、薬種商の小西一党など、切支丹の商人たちも後押しをしてくれた。
 これからの堺の発展のために、また、多くの国々から交易船の来る港のシンボルとしても、この石像はいいことだと、多くの町衆からも受け入れられた。石像の前で助左衛門と瀧は顔を見合わせてにっこりと微笑みあった。その回りを南海丸の乗組員や打毬仲間、次郎丸などの少年たち、そしてこの町に住む人々が取り囲み、びっくり顔や感心しきりの顔などを集めて、しかし、悪い気分はしないのだった。

 翌十九日、助左衛門は、南海丸を土佐・中村に回す準備に懸かっていた。船の修理、塗装、船底の牡蠣殻をとりのぞかねばならない。このような、南海丸のような大船を修理できるのは、土佐・中村の船大工しかいないので、そこまでいかねばならないのだ。荷を下ろした船はバランスが悪く、おまけに、大砲まで積んでいるので、そのために船底に重しをおろしていた。
 港には交易から帰ってきた船があり、荷下ろしに小舟が動員され、陸では荷車が走り回っていた。そのうちの一艘が南海丸を目指して櫓をこいでいる。なんだか急用のように助左衛門には感じられた。すぐ、舟は着いた。乗っていたのは、堺政所の者だった。
 「なにか急ぎの用か?」
 「はい、奉行殿が急いできてもらいたいとの事でござる」
 「なにかあったのか?」
 「九鬼水軍からの火急の知らせが届いておりました」
 「で、どんな?」
 「いや、われわれには、それ以外のことはわかりません」
 「じゃあ、いくか」
               (続く)


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