おんさま日記 onsama

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複眼思考の源



 私が「複眼」に出会ったのは1984年のことだと思う。今手元に本はないが、その頃報道とか事実とは何かについて興味があってルポルタージュなどの読み物をあさっていた。というのはマスコミを通して語られる「真実」は、本当のことなのだろうか。著者や論者の幻影の反映ではなかろうか、と色眼鏡で見ていたのである。
 そんな中で、例えば本田勝一『事実は何か』(1984年、朝日新聞社)を読んだりしていた。メモによれば「立場による報道はありえない」(純粋な客観的報道など不可能である)などと書いている。
 その頃柳田邦男の著作に出会った。『事実の読み方』(1984年、新潮社)である。メモでは「事実を確かめるには、複眼で見る目が求められる」とある。私のいうところの「複眼思考」を後押しするものだった。「現象や現実を固定観念でとらえてはならない」とメモに書いている。
 この日記の説明に複眼思考と書いているが、そのおおもとになっているのは柳田邦男によるところが大きかった。

 さて、同じような複眼思考を論じている人がいる。書評のホームページでどなたかが語るのは次の解説である。

『知的複眼思考法』 苅谷剛彦(講談社、1996)
 本書の著者苅谷剛彦は、1955年生まれの東京大学大学院教育学研究科助教授。著書に『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書)がある。この本の帯に「全国3万人の大学生が選んだ日本のNo.1ティーチャーが教える思考ノウハウ」という文句がある。怪しげな帯だが、本の中身はわかりやすく、ためになり、社会科学的思考の基本がきっちりと押さえられている。わたしもそうだが、大学の先生はよく学生に「自分の頭で考えなさい」という。それに対して、学生は「自分の頭で考えなさいといわれても、どうすればいいのかわかりません」と答える(か、あるいは黙っている)。すると、大学の先生は「まったく最近の学生は、自分の頭で考えることがまったくできとらん、何のために大学に来ているのか」とブツブツいう。一方で、学生は「まったく大学の先生は、まったくひとがわかるように教えてくれん、これじゃ何のために大学に来ているのかわかりゃしない」と思う。こういう悲しいすれ違いを超えて、著者は、きわめて懇切、丁寧に学生にその思いこみを気づかせ、常識を問い直し、自分の頭を使った(批判的な)ものの考え方、本の読み方の世界に導いていく。著者は序章のなかで次のように述べています。
 「この本でまざしたのは、ありきたりの常識や紋切り型の決まり文句、つまり「ステレオタイプ(決まり切ったものの見方)」にとらわれずに、あなた自身の視点からものごとをとらえ、考えていくための方法です。」
 学生にも読んでほしいし、大学の先生たちにも読んでもらいたい一冊です。


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