《 「天皇はどこから来たか?」連載中 》
故に至誠は息むなし。息まざれば則ち久しく、久しければ則ち徴あり、徴あれば則ち悠遠、悠遠なれば則ち博厚、博厚なれば則ち高明なり。博厚は物を載する所以なり。高明は物を覆う所以なり。悠久は物を成す所以なり。博厚は地に配し、高明は天に配し、悠久は疆り無し。かくの如き者は、見さずして章し、動かされずして変じ、為す無くして成る。
〔桜井和空の現代語訳〕
誠の極致は、はたらきが止むことはない。止まないからそのまま長く続き、長く続くからそのままシンボル(象徴)となる。シンボルであれば、そのままゆったりと深遠であり、ゆったりと深遠ならば、そのまま重厚で広々している。重厚で広々しているならば、そのまま高く明るくもなる。重厚で広々しているので、物を載せることができる。高く明るいので、物を包み込むことができる。ゆったりと長続きするので、物を成就することができる。広く厚い性質は地に当てはまるし、高く明るい性質は天に当てはまる。ゆったりと長続きするものは無限である。このような性質の者は、(自らを)見せびらかさなくても章 かになるし、(他者から)動かされることが無くて(自ら)変化するし、(何事かを)なそうとしなくても(物事が)成就するのである。
結廬在人境 而無車馬喧
間君何能爾 心遠地自偏
採菊東籬下 悠然見南山
山氣日夕佳 飛鳥相與還
此中有真意 欲辨已忘言
廬 を結んで人境に在り、而も車馬の喧 しき無し。
君に問う何ぞ能 く爾 ると、心遠ければ地自 から偏 なり。
菊を採 る東籬 の下 、悠然として南山を見る。
山気 日夕 に佳 し、飛鳥 相与 に還る。
此の中 に真意有り、弁ぜんと欲すれども已に言 を忘る。
人里に廬を構えているが、車馬の音に煩わされることはない。
「どうしてそんなことがあり得るのか」とおたずねか。なあに、心が世俗から遠く離れているために、ここも自然と僻遠の地に変わってしまうのだ。
東側の垣根のもとに咲いている菊の花を手折りつつ、ゆったりとして南方はるかな盧山を眺める。
山のたたずまいは夕方が特別すばらしく、鳥たちが連れたって山のねぐらに帰って行く。
この自然のなかにこそ真実の心があり、それを説明しようと思ったのだが、もう言葉など忘れてしまった。
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