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先週のつづきで、「不便」と「便利」のことを考えている。考えずにはいられない。なぜと云って、暮らしをどうにかくりまわしてゆこうという立場のわたしたちにとって、「不便」と「便利」は大問題だからだ。 暮らしをどうにかくりまわしてゆこうという立場のわたしたち、と書いて、可笑しくなる。暮らしをどうにかくりまわしてゆこうという立場でないひとというのは、この世には(ほとんど)いないことに突きあたって。(ほとんど)と記したのは、この世には思いがけないことがいくらでもあるからだ。そして、わたしには、その思いがけなさがまだまだわかっていないからだ。
さて、「不便」と「便利」のはなし。
わたしが小学校から短大まで14年間かよった自由学園という学校は、不便な学校だった。どんな学校でしたか? と尋ねられたときには、「うつくしくて、不便な学校でした」と答えることにしようと決めているくらいだ。 残念ながら、そういう問いを受けたことはない。自由学園のことをすこしは知っているひととのあいだでしか自由学園のことは話題にならず、話題になるときには、たいてい相手が「おもしろい学校」、「変わった学校」というふうに云ってはなしが終わる。
いつか、「うつくしい」というほうのはなしも書いてみたいと思うけれど、きょうは「不便」のほうのはなしを。
自由学園は、羽仁吉一・もと子夫妻の創立した(1921年)学校である。ことしの4月、創立90周年を迎えている。
羽仁吉一せんせいの著作に『雑司ヶ谷短信』(上・下巻/婦人之友社)がある。月刊誌「婦人之友」の巻末に、1932年(昭和7年)以来23年間書きつづけられたものだが、そのなかに「教育は不便なるがよし」という一文がある。
なんと潔いことばだろうか、「教育は不便なるがよし」とは。
学生生活のなかには、たしかに不便なことがたくさんあったけれど、このことばを胸のなかで唱えることによって、その値打ちをわかる者になりたいと考えていた。その意味では、健気な学生であったとも云える。が、そういう方向で考えないと、このめずらしい学校生活をたのしむことはできないだろうという切実な思いがあったのも、また確かだ。
昼食づくり(当時は当番の25人ほどで約600人分の食事をつくった)。後片づけ。掃除ほか、多くの事ごとが生徒の自治でおこなわれた。
そのひとつひとつに、ほとんど昔ながらの方法で立ち向かってゆく。リヤカーでの荷物運び(坂道はあったし、あれはほんとうに重かった)、薪を使っての竃(かまど)のご飯炊き、サカナも600尾下処理して炭で焼いた(高校1年の1年間、サカナ料理だった。初めて焼いたサカナはトビウオで、そのときは、サカナ嫌いの友人に代わったのだった。そうしてその後1年間、当番のたびにサカナを焼く羽目になった)大鍋での煮炊き(おかずばかりでなく、ジャムやミンスミートもつくった)、学校じゅうの雑巾洗い、カーテンの洗濯、繕いもの。堆肥もつくったし、芝刈りもした。
冬は寒かった。
学校のある東久留米市は、同じ東京でも23区に比べると1度か2度気温が低い。その上、学校の正門を入り、坂を下りて女子部にたどり着くとまた1度か2度気温が下がっている。わたしが生徒でいたころは、各教室石炭ストーブだった。当番が朝早く登校して、石炭バケツで石炭を運び、ストーブを焚く。ストーブのなかで空気(気流)がうまく上昇するように焚ければ拍手喝采だが、ときどきうまくゆかずに、教室じゅうがもくもくと煙だらけになった。休み時間になると、皆がストーブのまわりに集まり暖をとる。そんなときに、はずみでスカートやセーターを焦がすというようなことも、1度や2度ではなかった。
なつかしい日日を思い返しながら、ふと思う。
あのころ、わたしの目には「不便」と「便利」が見えていた。ただし、そのふたつは相反するものではなくて、そう、ともだち同士のようなものだった。
「不便」は「便利」に向かって云う。
「あのさ、どうしてそこまでしてくれるの?」「便利」は「不便」に向かって云う。
「キミが大事だからに決まってるじゃない。いなくなってもらっちゃ困るからね」
ともだち同士が、こんなこと云い交わすなんてこと、ないと思う。云う場面があるとしたら、そうとうに切羽詰まった場面ということになるだろう。が、このたびは、暮らしをどうにかくりまわしてゆこうという立場のわたしに、確かめる必要があったので。 おかしな会話をさせたこと、「不便」と「便利」にあやまりたい。
ところで。 あのころくっきりと見えていた「不便」と「便利」が、いまはよく見えない。「便利」があたりまえになり、そうなると「不便」もまた、見えなくなくなっている。ふたりはもうともだちでもなく、お互いの顔も見えない場所に立っている。

ナイフの写真なんか出してきて、
驚かせたら、ごめんなさい。
これは、結婚して実家をでるときそろえた
ナイフです。
西洋料理を食べるとき、使いましょうと思って。
フォークとスプーンは6本ずつそろえましたが、
ナイフは2本。必要になったら買い足すつもりでした。
ところが。ナイフを買い足すことはなかった……。
出番がくると、ナイフだけは使いまわします。
肉を切ったら、「はい、つぎのひと」というふうに。
さいごはたいてい、ナイフとフォークの両方を使って食べるのが
好きな三女とわたしが使いつづけます。
きっと、これからも2本のままだろうなあと、思います。
ナイフが2本というのなんかは「不便」のうちには入りませんが、
この、じゅうぶんでない感じが、わたしはちょっと好きなのです。