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夫が13日間、仕事で家をあけることになった。
10日間以上留守にするのは、久しぶりのこと。ちょっと心細い。 わたしは、夫に対してなんというか……、威張っている。威張りながら、頼っている。頼るなら、威張ったりしなければよいのに、つい、威張る。
つまり、13日のあいだ、わたしは誰に対しても威張れず、頼れずということになるわけだ。心細くもあり、つまらなくもある。
仕事の目的地から夫が、「無事到着」のメールをよこした。自分でくるまを運転して出かけたので、ほっとして、無事をよろこぶ。
メールには、「早くも寂しくなっています。留守が長くなるけれど、よろしくお願いします」とあって、思わず笑う。「寂しい」などと云うことの、滅多にないひとである。こころのなかに起こったことを、そのままことばにできる心境というのは、いいなあと、思える。 こちらも、同じようにゆきたい。そして、こう返信した。
「留守のあいだのことは、大丈夫、まかせてください。さて、わたしが機嫌よく1日を過ごすため、大事だと考えていること、それは何でしょうか。明日の朝までに、この課題を考えて答えてください。ふ」
つぎの朝、メールで「答え」がくる。
「課題の答え。朝、いちご(うちの16歳になる猫)に『おはよう』を云うこと」
なるほど、それはいい答えだ。そしてそれも当たっている。が、答えてほしかったのは——
朝、みんなでその日の分の家事を大方してしまうこと。
それが、答え。
どうして課題を出す気になったものか。
わたしにしたら、夫が13日間留守をすることになったのをきっかけに、この家の1日について考えてみたというわけだろう。考えてみて、1日の家事の大部分(75パーセントほど)を皆で手分けして片づけてしまっていることに、あらためて気がついたのだ。
残り(25パーセントということになる)の家事は、洗濯もののとりこみや片づけ、晩ごはんの仕度、後片づけ。夕方の家事は、25パーセントという数値よりも楽だと思える。1日のおわりに、それはたいていわたしが担うことになるが、それは労働というより一種のやすらぎである。
ひとりごとをつぶやきながら台所で働いたり、とりこんだ衣類をたたんだりしながら、縮こまった神経をのばしてゆく。
わたしが夕方の家事をやすらぎと思えるのも、朝の一同のはたらきによるところが大きい。
いちばんに起きるのはわたしだけれど、つぎつぎに起きだして、忙しく働く。夫は植物の水やりや味噌汁づくり(、ときに掃除)、長女はトイレと洗面台の掃除、二女は風呂掃除(、ときに掃除)、三女は外まわりというふうに、たびたび役をとりかえたり、「きょうはできなーい」と叫んだりしながらも、とにかく働き、平均して1日の家事の75パーセントを片づける結果となる。わたしは、そのあいだに朝ごはんと弁当の仕度、洗濯と洗濯干しをする。
朝がこんなふうにはじめられると、わたしは機嫌よく書斎に入ることができ、待ちかまえている予定に向かえるというわけだ。
夫に、課題の答え(朝、みんなでその日の分の家事を大方してしまうこと)を知らせるメールのおしまいに、こうつけ加えた。「仕事で夜更かししたり、たとえば二日酔いで朝起きられないときには、『ご、ごめんね、起きられないや』と云ってください。けんかしたときも、とにかく朝、わたしがいる台所にきてください」

夫が13日間の旅仕事に出かける数日前のことです。
裁縫箱を、夫が自分で使おうというのは、
初めてのことのような気がします。
しばらく、太い針でちくちくやっているようでしたが、
夕方、こんなのができていました。

こら、こんなふうに。
業務用のビデオカメラの吊り紐になりました。
近所の自転車店で、タイヤのチューブをもらってきて、
古いかばんの提げ紐と、縫いあわせたそうです。
チューブだと、ビデオカメラがすべらず(カメラは
固定が原則なので)、具合がいいというわけです。
先輩カメラマンがつくったのを真似たとのことですが、
男のちくちく、なんていいんだろうと感心しました。
(この写真、ビデオカメラをかまえているのは、わたしです。
思っていたよりビデオカメラは重かった……)。