おしゃれ手紙

2019.11.25
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カテゴリ: 国内旅行

■10月30日
「白鳳城」の雅名をもつ端麗な城「伊賀上野城」に行った。

現在の天守閣は、当地選出の代議士、川崎克氏が私財を投じて藤堂氏の天守台に復興・再建したもので、昭和10年に竣工しました。
天守閣は、木造三層の大天守と二層の小天守からなる複合式天守で、白亜塗り込めの純日本建築様式をとり、別名「白鳳城」とも呼ばれています。
城跡は昭和42年に国の史跡名勝記念物に、天守は昭和60年に伊賀市有形文化財に指定されました。

●筒井定正・藤堂高虎の城●
近世城郭として上野城を築いたのは、豊臣秀吉により、大和郡山から移封された筒井定次。

(▲この道は、空堀だった。)
その後、家康の信任が厚く築城の名手として知られた藤堂高虎が、伊賀・伊勢に移封され、慶長16年(1611)から上野城の大修築を行いました。


(▲空堀の石垣の苔むした美しさよ!)

(▲城のある丘は平清盛の発願によって建立された平楽寺という大寺院があったと言われている。
そのせいか、古い墓が苔むして、オブジェのようだった。)

お城に続く道は、うっそうと木が茂っていた。

中に「多羅葉(たらよう)」という木があってこれがその葉っぱ。

多羅葉の裏に文章を書いて切手を貼れば、郵便はがきになるという!!
「葉書」という言葉は、こんなところから来たのだろうか?


このムクロジの実は、石鹸の実(以下、ソープナッツ)とも呼ばれ、日本をはじめ各国で石鹸の代わりに重宝されてきた。
私も使ったことがある。

この竹は、篠竹(しのちく)といい、節と節の間が長く、笛の材料になる竹。

(▲石垣は数年に一度、自衛隊が命綱をつけ、石垣に生えた植物を除去する。)
藤堂高虎が本丸の西に築いた石垣。
高さ約30メートルの高石垣は、日本有数の高さを誇ります。
黒沢明監督の映画「影武者」のロケ地にも使われました。


石垣の上は、木がいっぱいあって、気持ちのいい散歩が出来た。

▲石垣の上には、加工された石があった。▼

▲何に使っていたの石だろう?▼


天守閣の欄間は、弓の弦と矢で作られている。
代議士、川崎克氏の弓矢のいらない平和な世の中という思いからだそうだ。

藤堂高虎が使用していた家紋は「蔦紋」。
蔦(ツタ)とは、壁などに張り付いているあのツタのことです。
 ツタは絡みついて茎をのばすことから「生命力が強い植物」と言われてきました、このため、縁起がいいとして家紋に多く使用されています。
高虎が使用していた紋は、その中でも「藤堂蔦」と命名され、他のものとは区別されています。

藤堂高虎は、若い頃貧しく、仕官先を求めてさまよい歩く浪人だった。
高虎は近江国(現・滋賀県)の出身ですが、仕官先を求め三河までやってきた時、遂に手持ちの資金を使い果たしてしまう。
 空腹で歩いていた時、三河国吉田宿(現・愛知県豊橋市)の餅屋で焼いていた餅に飛びつき、夢中で餅を食べたが、支払う金がない。
しかしこの餅屋の主人は、餅代を請求しないどころか、高虎に銭まで恵んでくれた。
その後、城持ち大名になった高虎は、餅屋を訪ね、礼を言った。

藤堂高虎が治めた津藩上席家老・中川蔵人という人の日記に、
『藩祖高山公(高虎の事)、ゆかりの三河吉田宿中西与左衛門方にて餅を食ふ習し也』 との記述が残されているという。
高虎の旗印は、白い餅。
白餅・・・しろもち・・・城持ち・・・。

バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ!!!

伊賀焼:長谷園

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Last updated  2019.11.25 00:07:09
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