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今、ソビエト連邦で実際に起こっている恐ろしい現実。あるマフィアがギリシャ人を殺害して逮捕されて自供。ある男に頼まれてやったと「ある男」の名を自供。彼は、少なくとも50人の人の殺害に関与していると。その男は、かってはやくざなボクサー。その後、ジムの体操教師。そして今は、ソ連の巨大なアルミ企業の名のよく知れた社長。かつ国会議員にもなっっている。しかし、警察は彼を逮捕しようとはしない。彼は、ソ連の経済界の40%を牛耳ると言われるモスクワマフィアの一角のリーダ。もう一例。ある若い青年将校はかって秘密警察の一員として東独でスパイ活動に従事。その後、市長になった恩師のつてで、その二の腕として市の経済の建て直しに辣腕をふるう。その後、恩師とともに失職。モスクワで、ある経済問題の解決を依頼されて有能さを証明、頭角を現す。ちょうど、その頃、ソ連の大統領は、身内の不正問題で検察官に激しい追及を受けていた。そんな頃、国営企業のテレビに突然、画像が流れる。隠し撮りされた映像。検察官が、娼婦に金を払っている光景だった。検察官は失職。追求は止まった。盗み撮りを仕掛けたのは、元秘密警察のその青年将校。この敏腕さを買われて、アル中の大統領は、後任にこの将校を指名。それが今のプーチン大統領。政府の要職に、かっての秘密警察の将校達をつぎつぎに抜擢し、権力を固めている。今、ソ連は、秘密警察出身の不気味な一団とマフィアとに支配されつつある無法国家。1年に要人を含めて25,000人が殺害され、同数が行方不明になっているのに、ほとんど逮捕できない。警察すら、時に強盗に変わり、信用できない。アジェルバイジャンのようなかっての属国の人たちがモスクワで殺されても平然と「自分達で勝手に探しな」と相手にしない。アジェルバイジャンの人は言う。「ソ連?アンビリーバブルな国だ!」と。かっては、国境のない同じソ連邦でありながら、このアジェルバイジャンの首都は、豪腕の大統領に支えられて、マフィアや麻薬のの影もなく、安全ですごしやすい都市です。
2003/01/30
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春にいっせいに花が咲くのは、5月中ごろとか。最近は寒い日がつづきます。ここは貧しく、生きるのに精一杯の国なので、スキー場はあるけど、リフトはないそう。いわゆる観光ガイドブックのようなのもあまりない、国全体が観光化されていない自然のままです。手付かずの自然が一斉に花開く日を遠く待ちわびながら、石畳の雑踏を、コートの襟を立てて、街の人も、いろんな店を散策しています。「シルクロードの顔」を「人と風景」に変更しました。
2003/01/28
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アジェルは長寿と美人の国と聞いて来ましたが、確かに!街を歩いていると、びっくりするような美貌で長身の女性とすれ違います。とっておきのカスピ海美人を紹介します。例のコーカサスのジュリエットが身を投じた乙女の塔の狭い石段ですれ違った、とっておきの美人。末代まで語り継がれるからには、きっと、薄幸のジュリエットもこんな人だったのでしょう。決して「ききキリン」さんのような方ではないような気がします。あの方も、たしかに、とっても個性的で、魅力的で、素敵な方ではありますが!
2003/01/26
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これから少しづつ人物を増やしていく「シルクロードの顔」を左記に追加しました。3大国、ロシア、トルコ、イラン、カスピ海を渡るとカザフスタンという東西文化の交流点バクーでであった人々の風貌を描いて追加していきます。ところで本題。1990年のある日、ソ連戦車隊は、大型戦車を連ねて、この首都バクーに侵入。その後方には、たくさんの銃撃歩兵部隊が、連なっていた。バクー市民は、市内にバリケードを張って進入を阻止。しかし、大型戦車は、つぎつぎにバリケードを乗り越えて進撃し、バリケードを守っていた、多くの市民がタンクの下敷きになって死亡。大型戦車の重みで身元が判別できないほど無残な死体が後に残っていたという。ソ連崩壊をうけて独立宣言してから、ソ連重戦車部隊が首都バクーに侵入し、ほんとうの独立を勝ち取るためには、6ケ月もの市民戦の攻防があったという。写真は、その時死んだ、4748人の犠牲者を祭る記念墓地。4748人全員の精密な像を黒い石に刻んでたたえるところも、この国の人々の真面目な人柄を示している。なかには、花嫁姿の乙女と一緒の若者の像があった。ふたり一緒に葬ってやりたいという遺族の願いが感じられた。 そして、もっと素晴らしいのは、この国に残った7%のロシア人に対する態度。決して、いじめたり追い出そうとしたりしない。「戦いを挑んできたのは、モスクワのロシア人、ここのロシア人ではない」と。金正日という非道な人間がいるからといって、国内の無邪気な韓国の娘達に帰れといったりする人はこの国にはいない。絵は、そのメモリアルパークから見た美しいバクーの街とカスピ海。その戦没者記念日が1月17日、ちょうど私達がバクーではじめての休日の日だった。海を見渡す丘に、なくなった人の血を意味する赤いカーネーションがあふれるほど供えられていた。思い出したのは漱石の句 あるほどの 菊投げ入れよ 棺の中ほとばしるような悲しみが、かなしいという言葉をひとことも使わずに表現されている。俳句を素晴らしいと思うのも、こんな時。
2003/01/25
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この国は貧しいけど食豊かでほほえみにあふれていることに最近気づきました。アゼルバイジャンの人々は、トルコ民族と同じと思っていたら、そのオスマントルコが攻めてきてトルコ半島から先住民を追い出して移り住んだ1300年ころより、はるか前にここに住んでいたようで、トルコ人とは性格はより質実剛健で真面目で勤勉で良心的。トルコでは、ベリーダンスは7000円。居酒屋で数万円もぼられた人もいましたが、ここではいわゆる「ぼられる」ことが全くありません。ここは首都。いわば東京のような200万人都市。しかし人々は実直ですれていない。繁華街の地下にディスコや酒場がたくさんありますが、どんなに長居しても、飲んだビール代のみ。大ジョッキでも120円程度しかとらない。ジャズクラブに行って、ジャズを聴いても200円程度。いわゆる日本のジャズクラブ等の悪しき慣習、ショバ代なるものがありません。国民性がこんなにしっかりと統一されているのも不思議。物価が安く、安心して住める、居心地のよい国です。子供達が純心で、眼があっただけでニコッと笑っていっしょに遊ぼうと話しかけてきます。たしかに誰かが誘拐して持って帰りたいと言ったほど可愛い。でも大きくなると、サダムフセインのような顔に近くなるのが欠点と言えば欠点。
2003/01/24
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これから述べることは嘘のような本当の話です。カリフォルニア州チコの市議会は、念願の法令をようやく制定。同市内での核兵器を禁止し、万一核兵器を爆発させた者には 500 ドルの罰金を課すことにした。これで市民は安心して眠れるようになった。 ペンシルバニアの警察であった出来事。尋問されている容疑者の頭には電線のついた金属製のカゴがかぶせられ、電線の先はコピー機につながっていた。供述が嘘だと思われるたびに係官はコピー・ボタンを押した。その度に「彼は嘘をついている」と書かれた紙がコピーされて出てきた。それを見た容疑者は「嘘発見器」が正常に動作していると思いこみ、ついに観念して自白に至った。今、私がいるアゼルバイジャンで山登りをしようとしたら、隣国アルメニアの国境の山脈には、ジャッカルやひょうがいるそうで、山登りといった奇妙な「風習」はないそう。このアルメニアはペルシャの圧制を逃れたらアレクサンダーに占拠され、ローマの属国になったと思ったら、アジアの蛮族トルコ民族の襲撃で60万人が虐殺される。さらにスターリンの圧制に耐え抜いて、ようやく独立できそうと思ったのも束の間、大地震にみまわれ国中の産業を破壊されいまだに立ち直っていない。敬虔なキリスト教の国だが、神の子キリストはこの国の民だけは特別に可愛いのか、幾度も幾度も、これでもかというほどの試練をお与えなされ、手塩をかけて面倒を見ておられる。無神論者の多い大和の民は、試練にめぐまれず、神に見放された不幸な民族である。その驕りが、国中に蔓延してもう取り返しのつかない危機的限界にきている。よってたかって国民の資産を無益なダムや道路に投じて建設会社に天下った官僚と、その3%を上納金として懐にいれた自民党族議員。国民一人当たりの借金はいまや700万円、老後の年金も失敗をくりかえす株の投資に費やされて底をついた。甘い汁を吸ったのは、年金財団の理事など数億円の退職金を年金から搾取したり銀行に天下った官僚の方々。寛容な神さまでもこの厚顔無恥な方々には、あきれるはてのでは。ぜひ天罰を与えて欲しいもの。欧州の歴史を読むと、これらの方々にふさわしい趣向をこらした刑罰がある。下記のどれがいいかなあ?いずれも、どこかの民族が実施して効果は保証済み。① 石の上に首を載せて尋問し、嘘をついたら即断首の刑。② 眼を閉じられないようにして、炎天の砂漠に放置し、 失明させる刑③ 首だけ砂漠に埋めて軍隊蟻が食べるのを待つ刑。④ さそりのいる井戸に裸で放置する刑ところで、先日、シルクロードの隊商が疲れを癒したという由緒ある六角の中庭に面した風雅な個室のレストラン、キャラバンサライに行ってきました。 絨毯を敷いた穴倉のような貸切の部屋で、串に刺した、牛、羊、豚、チョウザメの美肉を赤葡萄酒と共に大食漢になりつつある胃に投じて堪能。六本木ならば、これだけの内装と料理とボトルワインで1万は取られるところ。勘定を見て眼を疑いました。1人1200円!この国の紙幣の一番多いのが10,000マラト、日本円で200円。100ドル両替すると厚みが1cmくらい!まではいかないけど。両替した小遣いがなかなか減らずに「重い」ので困ってしまって・・・・。この国の人々は、ほんとうに親切で真面目で勤勉。明治維新の頃の日本のような雰囲気あり。この国最大の都市というのに夜も犯罪はほとんどない。朝出したパンツを夕方にはアイロンかけて綺麗に畳んで出してくれる笑顔のアゼルバイジャン美人の若いメイドさん達。いつも徹夜で警備してくれる大学出の好青年達。でっかいケーキを買ってきてプレゼントした次第です。ああ、今日もたくさん食った!
2003/01/22
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今、私がいるアゼルバイジャンの国は、中央アジアに位置するけど、ヨーロッパのトルコと陸続きの同じ国だった。ソ連から独立したら、ソ連のリベンジで、各工場が物資供給を止められて崩壊。ほとんどの工場が閉鎖していたもよう。再建までの3年間は、この国の人にとって苦難の時代。主な購入先のソ連もなくなって、今西欧向けの高品質製品を生産するために、懸命です。私がここに居る由縁です。剛毅で忍耐強い風格のこの国の人は、今、日本の明治維新か終戦直後のような国家再建の熱気に燃えています。月曜は、その怨みのソ連に数十万人殺されたことを悼む記念日とかで3連休。アレクサンダー大王が騎馬で駆け抜け、ジンギスカンやチムールが、大軍を率いてやってきた街。周囲には城壁が巡らされ、史跡多数。シルクロードの隊商が泊まった城壁をくりぬいた穴倉のようなとてつもなく安くて美味しいレストラン キャラバンサライ等多くのレストランがあります。たらふく、七面鳥のシシカバブや美味しい料理を食べて、ワイン飲んで、ビール飲んで1200円でした。キャビアを採るちょうざめの白いほくほくした肉の串焼きがとても美味です。いろんな世界を旅行した方にも、一見の価値のある古都。またソ連と違って、治安が良く、人々が陽気で真面目なこと。左の欄で少しづつ紹介していきましょう。
2003/01/18
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ようやく、カスピ海沿岸のバクーに到着し、これからの長い生活の第1歩がスタートしました。このカスピ海沿岸のコーカサス地方の多くの国々は、苦難の歴史を経て、ようやく自立しようとし始めているよう。帝政ロシア崩壊のあと、独立を一旦許したソ連は、約束を反古にして侵攻。多くの国々が、多数の犠牲をだしてのち、占拠され、スターリンによって、シベリアの多数強制移住させられた。ソ連崩壊後、子孫は故郷に戻ったが、自民族の言語を話せないほど長い年月が経っていた民族がいるという。これからとりあえず3ケ月滞在する「シルクロード水彩画紀行」の第1報です。
2003/01/17
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笑う門には福来たる今日は、ちょっと笑っていただこうとある人の話を紹介させていだきます。●先日、ぼくが友達とファミコンをしていると、通りかかっ た母が、 「おまえたちはいいねぇ、毎日がエブリデイで」と言った。 母はいったいなにが、いいたかったのだろう・・・●家族揃って夕食をとっているとき、 何かの拍子に怒った父が、 「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ」 と言おうとして、 「誰のためにメシ食ってんだ!」と怒鳴った。 私と姉は「自分のためだよ」と答えた。●夫婦ゲンカのとき、父が母に「バカモノ!」 と言うのを、間違って、 「バケモノ!」と怒鳴ってしまった。 ケンカはさらにひどくなった。●うちの母は、頭が痛くなると氷で おでこを冷やします。 先日も夜中にかなり痛みがひどくなり、 暗闇の中をフラフラしながら台所へ。 冷凍庫から、あらかじめビニール袋に 入れてある氷を取り出して、おでこにのせて 眠りました・・・。 翌朝、目が覚めてみると、 母の枕元には解凍されたイカが転がっていました。●甘味屋さんで、母は田舎汁粉を、私は御膳汁粉を 頼みました。 店員さんが、「田舎はどちらですか?」 と聞いたら、母はとっさに、 「はい、新潟です」と答えてしまいました。●先日、父は、男にフラれて落ち込んでいた 姉をなぐさめようとして、 「おまえ、人間は顔じゃないぞ」と言うところを、 「おまえの顔は人間じゃないぞ」と言ってしまった。●妹が夕食にスパゲティを作ってくれることになりました。 妹は、「今日はカルボナーラを作るね」と母に言っていま した。 夕方、私が外から帰ると母が、 「もうすぐボラギノールができるってよ」 ●弟は、誰に似たのかとても勉強ができる。 それで、高校1年生のとき、アメリカに 留学することになった。 そのとき、母は親戚や近所の人に、 「うちの息子をアメリカにホームレスにやるんですよ」と 言って、自慢して歩いていた。こんな楽しい家庭だと、子供はのびのびと育ちそう。以上は、吉祥寺にある「旅の学校のまど」さんよりいただいた話です。この「のまど」さんでは、いろんな海外の旅行などの講演があり、面白いので、お気に入り欄にて紹介しています。いろんな海外旅行の相談にのってくれます。童顔のとても素敵な社長さんに惹かれて、実を言うと僕も、10月にスペイン水彩画紀行と似顔絵の描き方を講演。その時の状況も、このホームページでご覧になれます。この一年、いつも笑顔でおれたら、いいなあ。
2003/01/06
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今年初めての登山、箱根駒が岳山頂に登った。風が強く、しっかり足を踏みしめないと吹き飛ばされた。おかげで、富士はくっきりと晴れて美しかった。 左記に「箱根よりの富士遠望」を追加しました。 霜晴れの 富士が近づく 峠かな 寒風に 吹き払われて 富士秀麗
2003/01/05
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箱根駒が岳は風が激しく縦断を断念雑煮を山頂で3杯食べてリーダの熱海の別荘に押しかけて鍋をかこんで宴会しています寒風の古道はるかな富士麗峰
2003/01/04
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「忘れえぬ人々」という国木田独歩の名作がある。人生の途中でたまたま出会い、その生き様を垣間見た人々。さびしい一人旅の船から見た、瀬戸の磯で黙々と海草を採っていた老人。尾道の雑踏を尺八の音とともに過ぎた虚無僧。永遠に変わらぬ独自の姿で、悠久の天地をともに生きていくと思われる人々。スペインでは、ほんのの14,5分絵を描いている間に会っただけなのに、今でも気になる人たちがいる。たとえば、この「風になった少女」のように。 今、どこでどうしているか、幸せでいるだろうかと。僕の「忘れえぬ人々」を水彩画と画像で紹介します。左記の「スペインの忘れ得ぬ人々」をご覧下さい。
2003/01/03
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やわらかく夕波に舞ふ冬かもめ海峡をゆく魚の眼に初日映ゆ雪雲の遥かな尾根を越えゆけり風花は晴れた日に遠くからはぐれて飛んで来る雪片風花に蕩児の浮かれ心あり瀬戸の海より江戸へ向かう車中に作句して投稿しました10日にフランクフルトに一泊してバクーへいきます。とりあえず3月末までカスピ海のそばに滞在しシルクロードの楽しいスケッチを送る予定です。皆様の書き込みで異郷の心をなぐさめてくださいますよう今年もよろしく
2003/01/02
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雪山のお正月 あけましておめでとうございます。1月10日に欧州に出発、シルクロードよりお便りします。ことしもよろしく。蔵の疎水が美しい倉敷の風景をアップしました。昨年は、いろんなユニークな方々、芸術家肌のシックな方、文章はエッチだけど、実態は「まともな」方、着流し風の自然体の方、よくまあこれだけと旅をなさっている方、それぞれ、その人の個性的な生き方に出会っって学ぶこと大でした。 今年も、ともにこの悠久の大地を楽しんでいきましょう。
2003/01/01
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