全9件 (9件中 1-9件目)
1

半年ぶりの日本の山は初雪だった。朝眼が覚めると外がほの白い。山荘の庭の竹林に初雪が積もっていた。初雪や竹の葉重くたわむほど早速、終日入れる温泉の出湯に飛び込んだ。白濁したヒノキの暖かい湯に浸かって雪を眺めた。朝の湯や軒をこぼるる雪の粉半年ぶりの山靴の紐をしっかり締めて歩き出す。新雪を踏むのは心地よい。しずかな樹林の道を頂上を目指して歩く。霜晴れや小鳥の声も澄み透るたっぷり積もった初雪を踏んであるいた。処女雪や踏むをためらう白い尾根風が強いのだろう。富士の山頂は白い雲におおわれていた。霜晴れの富士が近づく峠かな3時間ほど雪の路を踏んで、山を下った。ふたたび、山の出湯に飛び込む。足を踏み入れると、白い硫化物の粉が湯の中で舞った。辛い大根卸しも、名物のやわらかい手作り豆腐も、春菊やアンコウなどの海の幸いっぱいの鍋も、半年ぶり。山歩きのあとの心地よい疲れに麦酒の酔いが早かった。踏みゆきて陽を踊らせる雪の路ひさしぶりの心地よい山旅でした。
2003/12/28
コメント(5)
クリスマスの夜にコーカサスからヨーロッパの空を飛んでいました。そして昨夜東京に戻りました。ちょうど、ドイツ上空あたりで、こんな美しいクリスマスツリーと空を走るトナカイを見かけました。http://holidays.blastcomm.com/ (文字にタッチすると次々に美しい情景に移り変わります。)同じ頃、イラクのテントの中でひとりでクリスマスを迎える兵士がいました。A Soldiers Poem...TWAS THE NIGHT BEFORE CHRISTMAS, THEY LIVED ALL ALONE,IN A ONE BEDROOM HOUSE MADE OF PLASTER AND STONE.I LOOKED ALL ABOUT,A STRANGE SIGHT I DID SEE,NO TINSEL, NO PRESENTS,NOT EVEN A TREE.NO STOCKING BY MANTLE,JUST BOOTS FILLED WITH SAND,ON THE WALL HUNG PICTURESOF FAR DISTANT LANDS.FOR THIS HOUSE WAS DIFFERENT,IT WAS DARK AND DREARY,I FOUND THE HOME OF A SOLDIER,ONCE I COULD SEE CLEARLY.THE SOLDIER LAY SLEEPING,SILENT, ALONE,CURLED UP ON THE FLOORIN THIS ONE BEDROOM HOME.THE FACE WAS SO GENTLE,THE ROOM IN SUCH DISORDER,NOT HOW I PICTUREDA UNITED STATES SOLDIER.I REALIZED THE FAMILIESTHAT I SAW THIS NIGHT,OWED THEIR LIVES TO THESE SOLDIERSWHO WERE WILLING TO FIGHT.SOON ROUND THE WORLD,THE CHILDREN WOULD PLAY,AND GROWNUPS WOULD CELEBRATEA BRIGHT CHRISTMAS DAY.THEY ALL ENJOYED FREEDOMEACH MONTH OF THE YEAR,BECAUSE OF THE SOLDIERS,LIKE THE ONE LYING HERE.I COULDN’T HELP WONDERHOW MANY LAY ALONE,ON A COLD CHRISTMAS EVEIN A LAND FAR FROM HOME.
2003/12/26
コメント(2)

カスピ海沿岸のアゼルバイジャンの首都バクーに滞在して1年。今夜23日深夜のルフトハンザで東京に戻ります。この一年、仕事で、公園で、テニスコートで、ショーレストランで、いろんな人や子供たちと友達になりました。この国の人はみな、素直で真面目で正直なこと!いやな思いなどしたのは、みな私の勘違い。むっつりした不機嫌そうな髭親父が素晴らしい科学者だったり。男は男らしく強健な身体と心を持ち、みな真っ正直だった。女性は女性の魅力を最大限に発揮するすべを身につけているよう。やや華美に見えた化粧や振る舞いもしばらくすると、それが自然に見えてきた。多分、心根は素直、貧しさの中でもひたむきに華麗に生きようとしていることがわかってきた。数知れない人の笑顔が目に浮かぶほど、たくさんの出会いがあった。ショーレストランでは、たまたかここのトップモデルの誕生日。絵を描いたら、彼女が仲間の席に呼んでくれて一緒に踊ってくれた!ホテルのセキュリティと友達になったら、彼の友人の結婚式にもぐりこませてくれた。乞われるままに絵を描いたら、またそこから人の輪が広がった。ケーキと鶏肉一匹を持参して彼の恋人の家に押しかけて夕食をご馳走になったことも。じっくり焼いた鶏肉がウオッカに合って美味しかった。そんな一年を終えて・・クリスマスは機上。途中で世界の空を駆け巡っている多数のサンタを乗せたトナカイにあえるのを楽しみにしています。昔、小学校3年まで、クリスマスの夜は、寝ないで待つといって親を困らせていた私です。煙突がないから家のドアを鍵かけないでとか、靴下に自動車の模型は入らないけどどうしようとか。人は何かを信じている方が幸せなよう。だから今でも信じている。見えないと思っている人には何も見えない。見えると思っていると、いつかきっと賢治のように銀河を走る鉄道が心に浮かんでくる。だから、先日はシベリア上空で眼前に白い帯のオーロラが見えた!クリスマスと言えば、とても印象に残った旅がある。ノルウエーの北のはずれの吹雪の港町。人通りが全くないのに通りはこうこうと明るかった。クリスマスツリーのランプのみがにぎやかに輝いていた。海よりのみぞれの中の降誕祭さて大晦日から正月は、大菩薩峠の山小屋にいる予定です。絵は、八つガ岳の雪の上にテントを張って泊まった時の絵。沸かした湯をペットボトルに入れて抱いて寝たけど・・・寒かった!
2003/12/23
コメント(4)

90分のロシア語の個人レッスンがわずか6ドル。ロシア美人の女子大生ナターリアに習うこと約半年。誕生日に招待されて、祖母、母親、姉妹とロシア料理をご馳走になった。発音と文法は理解できたので、あとは実践あるのみ。タクシーに乗ったら覚えたての初級ロシア語を運転手相手に楽しむ。コーカサスでは英語は敵性語として長く禁止されていた。ロシア語で話しかけるとびっくりしてのってくる。「兄弟姉妹は何人いる?」「兄がふたり姉妹が3人でさあ」貧しいわりにアゼル人は子沢山。「かみさんは何人?」あるとき「4人」と真面目な顔で答えた運転手がいた。モスレムでは4人まで妻帯可能!「みなクラシーバ(美人)?」手のひらをおもてうら回転させながら「ノルマリナ(まあまあ)」「月にどのくらい稼ぐ?」「400ドルくらいかな。」驚くほど頑丈で驚くほど故障しやすいロシア製の車ボルガや時にはベンツが中古なら6000ドルで買える。平均月の給与70ドルのこの国ではいい稼ぎである。「前の大統領や今度大統領になった息子はどうだい?ハラショー(いい)?」答えの7割は親指を下に向けて「ネエ、ハラショー(良くないよ)」「どうしてだい?」答えはさまざま。「自分ばかり金を集めるだけで、みんな仕事がない」とか、「息子は昼11時ごろ出勤するなまけものだから」とか。息子がトルコで博打した数十億円の借金を国の財産で払ったとかいう話はあまり国民には知らされていない。そう言う報道をする新聞社の社長はすでに数回投獄された。それでも死ぬまで出版を続けると言う豪傑。その新聞を読んでいるだけで、国営企業を解雇される。前の「偉大な大統領」は、ソ連より独立のごたごたで、大統領が国外に逃げ、その後を継ぐようにして大統領になった。もとはこの国のKGBのトップ。業績のひとつは警官を至るところに配備して世界一と言って良い、犯罪のない安全な国をつくりあげたこと。同時に、政府に反対するデモ隊も気を失うまで警棒で鎮圧していると欧米は警告。頭脳明晰で策略家の隣国ロシアのプーチンに比べると国政は低迷している。アルメニアに領土を占拠され数百万人が難民生活を送っているのに放置したまま。ソ連から独立して13年たつのに、多くの国営企業は閑古鳥がなき給与も未払い状態。しかし、選挙は公明正大?に行われ後継者の息子は得票率80%で当選。「不正選挙だ」と反対した数万人の勇気あるデモ隊は、一時、街の中心部を占拠した。しかし、暴徒化したデモ隊の一部始終を国営テレビが撮影した後は、武装した警官隊にことごとく蹴散らされ、主力野党は400人逮捕され壊滅した。テレビは、「無政府主義は民主主義ではない」と一斉キャンペーン。いま、その前大統領の死去で国民は1週間喪に服することを義務つけられた。車を運転していた友人もポリスに叱責された。「喪中だ。音楽を聴きながら運転するな。」彼は果敢に反論、「自分の叔父が死んだ時だって1日喪に服しただけだ。「なぜ他人が死んだのに、そうしなきゃあいけないだ。」本音を言って、あやうくひっぱられそうになった。5つあるテレビ局は、1週間、24時間!葬儀の中継のみ。「偉大なわれらが前大統領」を延々と讃えている。さて、本題。牛頭馬肉のようですみません。そんな人間世界の出来事をよそに、季節は空を渡り、自然は変わりなく美しい表情を変えていく。幻想風景第2弾 「秋のパレット」
2003/12/20
コメント(3)

バクーは別名、風の街。晩秋のバクーの街を、黄葉の公園を抜けて海へ下るとそこはカスピ海対岸には、サマルカンドやロシアの地が広がっている。シルクロードの西端、この異郷の街の旅情に不思議に似合う歌がある。ホテルで静かに本を読んだりする時、しばしば聴きいっている。” 遠く遠く 海へと下る 忍ぶ川のほとりを歩き 風の街にたどり着く時 空の色が悲しく見える振りかえる場所は 遥か遠くなる・・・・・青い月が旅路を照らし長い影に孤独を覚る人の夢は浮かんで落ちて されど赤い陽はまた登る鳴きながら鳥は何処へ帰るだろう?飛び慣れた夜も ひとりじゃつらい ・・・・・・ 桑田圭祐の歌の中で曲も味わいのある一番好きな歌 「月」風となり山に埋もれゆく月夜月仰ぐしぐさ淋しき霜夜かなところで、あと10日で日本に帰れる!帰ったら、白鳥がたくさん来ている湖に旅してみたい。白鳥の歌はなぜか女性がうまい。なんとなく恋する人の胸によりそいながら創ったような艶やかな句は白鳥の胸で押し割るうす氷 林民子白鳥に託して、かたくなな恋人の心をふっくらした胸で押し開きたかったのかもしれない。次は沖の俳人辻さんの句。こんな句にふさわしい美しい人です。白毛布明日白鳥になるつもり さて、私の句は・・・・寒くないのなら白鳥のように吹雪の中で眠ってみたい。白鳥の雪にまぎるる夜の底身も心も純化され、清く浄化されそうな気がする。白鳥の夢清めつつ吹雪きけり写真は、幻想風景 「晩秋の暮れゆく空」
2003/12/14
コメント(2)

晩秋のコーカサスの園は、いまだに落葉しきり。カスピ海へ抜ける風が、逆光に映えて美しい公園の黄葉をさらっていく。海に出て 木枯し 帰るところなし 山口誓子この句が発表されたのは、東条英機が南シナ海の戦況の陣頭指揮を取っていた頃。ひそかに海に飛び立つ特攻隊のかなしみを詠ったという人がいる。それでは詩としての価値が落ちると言う人もいる。私は前者、裏の意味を含めて命がけで吐露したように思う。東条はしばしば無理な進撃を陸軍に指示し、インドシナでは屍街道と言うほど、累々とした死の行軍が続いた。それは同じく心ある文化人が投獄され、拷問を受けて獄死していた頃のこと。気づかれれば投獄、死刑もありえた時代に、これを発表した。一度しかない人生を、戦争に駆り出され、むなしく戦争で死んでいった人たちがたくさんいる。死ぬときに何を思っただろう。子供の頃、読んだ本の挿絵で忘れられない場面があった。戦地で死にゆく兵士が、眼下の平和な蟻の世界を見て心から思う。この蟻になりたいと。落葉は深夜の人の途絶えたあとも降り止まない。落葉や 朽ちゆくものはとめどなし自分がもしそんな人生しか送れなかったら・・・・。黄落や月下の園はさびしかり故国を思いながら、鳥になって帰りたいと思った人もきっといただろう。渡る雁 いつしか天の点となり写真は、米軍の空爆で両手を亡くしたイラクの子供。この子はまだ知らされていない。両親を含めて家族みんなが爆死し、ただおばあさんだけが悲嘆にくれていることを。
2003/12/13
コメント(2)

今日は、御茶ノ水博士の特別講演です。題は「日本の敵について」 では、博士、どうぞ。「みなさん、アトムもいろんな敵と戦ってきましたが、今日、日本が防衛しなければならない敵とは誰でしょうか?ひとつ防衛庁の立場になって考えてみましょう。今まで仮想敵国だったソ連や共産国家があったから、防衛も必要だったわけです。ところがソ連が欧州連合と協調姿勢を取りすでに敵対国家でなくなってしまった。中国ともベトナムとも日本は協調関係にある。もう共産圏は敵ではなくなった現在、日本を攻撃する恐れのある敵国らしいのは北朝鮮のみ。これも、民意を喪失した独裁体制。早かれ遅かれ、滅びる運命にある。日本国民にとって初めて戦争相手が見つからない幸せな時代がやってくる。防衛庁も、防衛大学も、防衛費もいらない時代がやってこようとしている。約4兆9000億円の防衛予算を福祉にまわしてもらえれば、国民にとっても万々歳!国民一人当たり700万円も使い込んだ借金もまとめて返せる。良識ある政治家だったらそうするでしょう。しかし、これでは困る人たちがいる。防衛費に支えられて生活をしてきた人たちです。第一は、競争の無い特命受注で高利潤をあげてきた軍需産業。第二は、その発注権限で、軍需産業に厚遇されて天下っていた官僚たち。 もちろん筆頭の防衛庁の現職官僚にとって死活問題! アメリカのペンタゴンが同じ運命にあった。敵国ソ連が崩壊して存亡の危機。 そのあとの敵国としてどこに敵を作るかを思案した。 そして考えついたのが「大量破壊兵器を隠し持っているイラク」。第三は公然の秘密だが、発注額の3%は口利きした自民党政治家の懐に入る。 公称「政治献金」と言い、税金で養っている「政治秘書」達がその取立てを行っている。 利権政治家の行動パターンは明瞭。要するにだれが自分に利するか。 特に40%もいる2世議員は、親の利権企業が後押ししてなった。 だから信念より利権に牛耳られる。麻生2世や福田2世のように、よくこれで政治家になったなあと感動するような付き合いがたい人物がテレビにしばしば登場する。政界は人材が不足している。 だから民主党の当選者のように、誰でも政治家になれる時代がやってきた。ともあれ、いま、軍需産業と防衛庁にとって、まさに死活問題。どこかに敵をつくらねばらない。たとえそれが地球の反対側の「とても攻めてきそうにない」イラクでも構わない。派遣が必要だという既成事実ができれば、遠洋艦隊や航続距離の長い戦闘機の予算が手に入る!今日のEURO NEWSでも徘徊する米国の戦車に子供たちがたくさん石を投げていた。早く帰れ、自分たちで統治させろと言っている。決して日本の軍隊派遣をイラク国民は望んでいない。軍隊を送るより、イラクの新しい治安部隊や警官に資金を供与して自治力を与えるべきもの。その方がはるかに安くて済むはず。そうすればイラクの深刻な失業問題も多少解決する。どこの国だって、自分たちの仲間を監視に来る他国の軍隊を好むわけがない。 しかしそれでは石油利権が手に入らないからアメリカはそうしない。しかも東洋の無関係の国まで軍隊を派遣するとは。石油利権に眼をくれず正論を唱える独仏の態度が評価されると言うのにあいかわらず、国連すら反対しているアメリカの統治に着いて行こうとする。参戦しないとアメリカが分配するイラクの石油利権と巨額の復興投資の受注がもらえない。だから遅ればせながら参戦を表明した。民の危険より自分の利権が欲しい不純な理由。そのために首都にテロが起ころうと、海外の日本人が危険にさらされようと、知ったことではない! と言うわけ。では、私たちの敵はだれか? もちろん、イラクではない。それは国内で戦争を仕組んで我々を危険に曝そうとしている亡国の徒たち。じゃあ、この身内の敵と戦うにはどうすればいいか。鉄砲も大砲も要らない。今、イラク派遣が必要だといってる顔を覚えとくこと。国民の危険より自分の利権を選んだ政治家を次回の選挙で落選させること。戦争に巻き込まれたくなかったら、戦争利権の政治家を確実に落選させること。」絵は、イスラムに国を奪われたスペインの国土奪回を祈る巡礼者像昔の戦争には、それなりの理由があった。日本は今、無理に創リ出している。
2003/12/10
コメント(9)

クリスマスに日本に帰ったら、大晦日は山小屋ですごそうと思っている。美しい山だが、冬には登れない山がひとつある。その名は苗場山。苗場山は、苗場スキー場とは異なる、奥深い山。山頂そのものが、南北4km東西1kmに及ぶ広大な山頂の高層湿原。山頂に広大な山上庭園を有す稀有な山。天上の楽園でもある。 クマザサの群落、散在する大小の池塘、太古からの風雪が作りなした自然の庭園。初めて登頂した時、夕暮れの霧が晴れ、一面の湿原が浮かび上がった。そしてその向こうに谷川連峰の山頂が雲海の上にのぞいていた。そして、もうひとつの楽園がこの山にはある。川原の露天風呂「赤湯温泉」に下る途中に。 その名は「ふくべの平」落葉樹とぶなの樹林が混在した美しい樹林の原。10月10日頃、そのに足を踏み入れたとき、息が詰まるような感動を覚えた。赤や黄のつたが、白い幹に絡み合って天空高く色を染めていた。まさしく「黄金の御殿」。 道程はしばし至福な感動に包まれた。絵は、霧の晴れた木道に座ってかいた「苗場山頂庭園」 いま、この山周辺は西武資本らの餌食になって荒廃しかけている。かって和田小屋を囲んでいた紅葉の樹林はブルトーザーで撤去された。山腹の美しい草原や潅木樹林もリフトをつくる砂利道で蹂躙されつつある。江戸末期、鈴木牧之は北国の厳しい生活を書した名著「北越雪譜」にてこう語る。「苗場山は越後第一の高峰なり 絶頂に天然の苗田あり、依て 昔より山の名に呼ぶ。この絶頂は周り一里といふ。莽々たる平蕉、高低の所を見ず、山の名によぶ苗場といふ所ここかしこにあり。そのさま人のつくりたる田の如き中に、人の植えたるやうに苗に似たる草、生ひたり。」彼は、文化8年(1811年)7月6日に同行12人で登頂。山頂より富士を望んだと言う。 夏には、ヒメシャクナゲ、モウセンゴケ、ワタスゲなどの湿原植物が花を咲かすも山頂直前に急峻な急登があって、晩秋にはや雪の訪れあれば、人跡を閉ざす。この楽天の知人の奥さんが、かって冬季に単独行を試みて、遭難し他界された。10月の紅葉期でも、裾野からたどり着くのに、和田小屋経由以外は長い道程。頂上小屋から、ふくべの平を経て、赤湯温泉を過ぎ、いくつもの尾根を越えたことがあった。雨と風が伴う寒さに休むこともできず。ようやく登山口の車道に出た時は、すっかり日が暮れ、寒さに疲労困憊していた。頂上直前の急峻な登頂は、雪の時には、多大な危険を伴う。美しい天上の楽園も、天候が変わると一転して、過酷な試練が待っている。山頂直前の急な崖で滑ったら、潅木の樹林を埋めた雪の上を滑って谷深く埋まったろう。赤湯への下りの急なガレ場の尾根で滑ったとしても同じだろう。一人で谷底の深い雪をラッセルして抜け出し、ふもとにたどりつくのはむつかしい。厳冬の尾瀬に一人で入ったことがある。湿原は一面の平坦な雪の原でところどころに木々が散在するのみ。期待に外れて、春秋には美しい尾瀬も、単なる雪の原だった。冬季の苗場山頂もこれと同じだとしたら、山頂の広い草原で雪に木道が埋まる。そうすると下山道を見失ってしまうだろう。ひとり、寒さの中で自由がきかず意識が途切れていく時に、人は何を思うのだろう。寝たきりやボケや意識の無いままの生命維持装置で子供たちに迷惑をかけるくらいなら、そうなる前に雪の中の天幕で眠るように死ねたらとよく思う。叔父は、意識を無くしたまま、生命維持装置で1年以上病院にいた。家族はそのために多大な負担を強いられた。私は、「1ケ月意識をなくしたら、すべての生命維持装置を外して自宅で自然に死なせるように」と遺言を書いている。もう存分に人生を楽しんできたから、子供に迷惑をかけて寝たきりになってまで長生きしたくはない。できることなら、そうなる前に山の中で食を断って自然に去っていきたい。でも、やはりさびしいのだろうか。きっと、コタツに入って家族みんなが一緒にいた頃の、楽しい日々を思い起こすような気がする。子供たちへ「ありがとう。一緒にいて楽しかったよ」と感謝し、先に亡くなったかみさんへひとこと、「辛い思いさせて、ごめんね」と謝りながら・・・。
2003/12/09
コメント(5)

(鴎外の舞姫、荷風の仏蘭西物語に心酔して、擬似古文調に挑戦)はや師走、絹の道の西端に在する海辺の此の街は、今、黄落の只中。カスピ海より一陣の風起きれば、一斉に梢より落葉しきりなり。噴水の園を巡る樹陰の其処彼処には麗人あまた集いて落葉を見仰ぐ。風の街バクーを南下すること1時間、かって海近き丘陵に、10万年前の原始人描きし線画あまた発見されし。其処に、絹の道を行き交う駱駝の列。10数世紀に描かれし線画なりと案内の男の言の葉。東へ行く駱駝、西へ向かう駱駝の列に、不思議な感動を覚えけり。遠き昔、この街をギリシャのアレクサンダー大王が通過し、残虐な帝王チムールも攻め寄ってきたと言う言い伝えあり。 異郷に旅して一年、ようやくに降誕祭の頃、東洋の祖国へと帰る日近づく。大晦日は大菩薩峠の山小屋にて山仲間と過ごす算段。前後して山仲間の山荘にて過ごす誘いをうけて、楽しい集いのいくつか。今日は、風のように早く過ぎ去った1年を振り返って無為にすごす。 小春日を何するとなく過ごしけり暖かき小春日和には、まばゆき日、天中にありて汗ばむばかり。日暮れなんとすれば、街頭は一変してうそ寒く行き交う人影もまばらに転ず。 旗のごとたなびく冬日をふとみたり高浜虚子の美しく寂しさを秘めた名句を思い起こす。先日は、モスクワのプリマドンナが華麗に踊りたるバレー組曲白鳥の湖に魅了されてCDを買い求めんとて外に出れば、手風琴の調べ、石畳の遠くより響きわたる。常なる石畳の黄落の下に知己となりし楽師なり。好む露西亜の民の歌を歌えば、肯いて弾き始める。頬赤き貧しき子来たりて無心するにわずかばかりのお金を渡せば、しばらくして楽師のかばんにその一部を投じけり。この国の人々は貧しきながら、優しい心通うことあまた。去りがたき念おこるもせんかたなし。黄楽の下を行き交う乙女らの華やいだ容姿を眺めつつ、哀調ある手風琴の調べにしばし異郷にある浮き草の思い、うたかたの旅情にひたる。人も樹も装いあらた黄落期
2003/12/06
コメント(1)
全9件 (9件中 1-9件目)
1


![]()