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アゼルバイジャンの首都バクーには、ロシア料理屋が数軒。アゼル料理より美味しかったので、よく足を運んだ。その懐かしいロシアの家庭料理の会が先日、横浜であった。しかもロシアの楽器バラライカとピアノの歌のコンサートの後で。クリスマスの夜はそんな思いがけないひとときをすごし、ロシアの歌姫とも、かたことのロシア語で話しができた。年中、そんな楽しい催しをしている場所は横浜桜木町から5分。日本とロシアの交流を行っている草の根の協会。その名は日本ユーラシア協会。今回はハバロフスクからピアノとバラライカを演奏し歌う母娘を招いた。ロシアの民族は、悲劇の民族。帝政農奴時代からスターリンの恐怖政治まで、長い厳しい時代を経た。そのゆえか、民族の歌は、どれも悲しみをたたえ、哀調があって美しい。母娘がデュエットで歌うと声の波長が微妙な共鳴を起こすのか、不思議なハーモニーのある妙なる音調となった。音楽界のあとはロシア料理を楽しむ会が催された。ボルシチとカナッペは美しい愛嬌のあるロシア娘の手作り。ここでロシア料理を指導している美しい先生だった。温和な会長の人柄があふれた家庭的な集い。ロシアの歌と料理とを堪能するクリスマスの夜となった。下記は銀座月光荘の特製クレヨンで描いた「ロシアの歌姫」。気に入ってたけど、本人に所望されて・・・・あげてしまった。鼻が高く声も姿もとてもきれいな色白の典型的なロシア美人でした。
2004/12/26
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日常生活から数時間、自分の生と異なるとこへ旅する。これを異次元空間への旅と私は呼んでいる。忙しい時ほど、この欲望が大きくなる。芝居小屋も、サーカス小屋も、音楽堂も、映画館も私にとって異次元空間への旅。今月はプラント建設の仕事でとても忙しい。7時に起きて帰るのは遅いときは12時。しかし、暇な怠惰な時より心は充実している。こんな時ほど、異次元空間への旅がしたくなる。この1ヶ月で、何度も異次元での時を楽しんだ。その一 下北沢の芝居小屋 「ザ・スズナリ」 柄本明と石田えり主演の「檸檬」 光太郎と智恵子を二人が演じた。子供もなく、二人っきりの創作生活。毎日の相手は光太郎だけだった智恵子。その光太郎は、度々仲間と旅に出た。孤独。創作の挫折。智恵子は心のバランスを失っていく。元気はつらつで奔放な石田えりには似合わない役かなあ。でも、小さな芝居小屋のかぶりつきで、二人の鼓動すら聞こえそうだった。19日まで下北沢の芝居小屋で公演中。この二人の競演した「ダブルベッド」と言う味のある映画がある。それ以来ファンとなった大好きなふたり。その2 アレグリア パリっ子演出の芸術的なセンスあふれた 華麗な代々木のサーカス小屋がその異次元空間。 芸術点では、昨年のサルティンバンコがより素晴らしかった。けど、昔の曲芸団とは一味違う演出がやはりある。その3 音楽三昧 まずは「アルゼンチンタンゴ」ブエノスアイレスの踊り子と楽団が華麗な踊りと演奏を行った。このようなタンゴ楽団のメランコリックな演奏と優雅な踊りは華麗。ロンドンでもモントリオールでも、たまたま出会って感動した。次の音楽三昧は「ジャズ イン 巴里」パリ生まれの二つのモダンジャズの楽団が錦糸町トリフォニーホールで演奏した。洗練された技巧的なジャズだったけど、私が好きな音質と少し違っていて、これは外れだったけど。その4 映画「ジョバンニ」最後のローマ騎士団の英雄のゲルマン民族との戦い。中世の歴史本は夢中で読んでいたので、実像のように歴史に忠実な映像は興味深かった。これは珠玉の名画だけやる日比谷シャンテが異次元空間。もうひとつのお気に入りの空間は、渋谷のユーロスペース。夜9時から名画をふたつやっているので、気分転換したいときに、思いがけない異次元世界へ連れて行ってくれる。その5 落ち葉の森の中の空間秩父の日向山には風の道という人影の少ない落ち葉が散り敷く道がある。そして山頂より少し下った森の中に藪を掻き分けて入ると・・・突然広い草原が広がる。周囲は黄葉の木々に囲まれ、鳥がやってきては飛び去る。眺めているのは、木上の空を流れる雲だけ。誰も知らない、不思議な森の中の空間。昔、周囲の木々を切って炭焼きを行ってできた空間のよう。ここが、今一番自分が自分らしくなれる異次元空間。「おおい 雲よ 悠々とばかにのんきそうじゃないか」「ずっと、いわき平の方までいくんか」この詩を作った中西梧堂の世界である。彼は裸で山を歩くのが好きだった。誰もいないなら自然の中では汗を拭いたあと・・・裸がもっとも心地よい。全身の産毛を森を渡る季節の風が触れていく時、目をつぶって、私自身も「風」と一体になっていく。至福を感じれる時。しばし、浮世を忘れてまどろめる素敵な空間である。写真は、そこへ至る落ち葉が敷きつめられた静かな「風の道」海外へ行けない時は、自分の周りに異次元空間を探して楽しもう。
2004/12/14
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新しい異国の街にいったらまずジャズクラブを探した。ニューヨークの破壊された貿易センターのすぐそばの裏通り。ディキシーランドジャズを演奏する小さなクラブがあった。ピアノ、トランペット、ベースが互いにウインクしながら心地よく音を重ね合う。入場料無料、目の前でジャズが聴けた。絵を描いて見せたらトランペットの男がウインクする。「ベニーゴルソンのYESTERDAYを弾いてくれる?」「いいよ」チップを置いて、好きな曲をいくつかリクエストした。やがてみんなが踊りだした。そばにお婆さんときていたブロンドの女性。ふっくらした丸顔.視線があうとにっこり笑う。誘って一緒にジルバをずっと踊った。ジャズメンと一緒に写真を撮ったり、踊ったり、描いたり。こんな風に、その土地の人と心を通わして夜が更けていく時が至福の時。この写真もロスのジャズクラブでの交流のひととき。 アムステルダムの観光地域にも著名なジャズクラブがある。上品なヨーロッパジャズ。カナダのモントリオールの地下街にも見つけた。リンゴをチーズフォンデで食べながら聴けるクラブ。黒人のピアニストと仲良くなって、ここでも好きな曲を弾いてもらった。ザルツブルグのお城から絵を描いて帰る途中で広告をみた。「今夜開催、ジャズ イン オーケストラ!」オーケストラをバックにジャズを演奏するという試み。ソロのトランペッターが良かった。最後に右手にトロンボーン、左手にトランペットを持って演奏した。今でも不思議でしょうがない。キーを抑える反対の手が使えないのにどうしてメロディーをかなでたんだろう。学生時代もっとも好きだったのが、MJQジョンルイスの乾いたピアノと、嫋嫋とメランコリックなミルトジャクソンのヴィボラフォーンが大好きだった。深夜一人で聴いていると「闇が輝きはじめる」と言った感じだった。黒人のジャズをソフィストケートした美しいヨーロッパジャズに変えたと言われた楽団。そして今夜、錦糸町のトリフォニーフォールで、その上品なヨーロッパジャズの流れを聴きにいく。その名は「ジャズ イン パリ」帰ったら、また報告します。以下は、絵画展の開催報告毎週、裸婦デッサンを楽しんでいる清瀬のデッサングループ。西武池袋沿線で絵画展を12日の日曜日まで開催しています。銀座で個展を開催するプロの画家も多数。油絵、水彩画、デッサンと多様で個性的な作品ばかり。多様な作品が60点ほど展示されています。場所は、池袋から25分の清瀬市郷土博物館。清瀬駅を出て、志木街道の方へ向かい、10分ほど街道を渡って少し歩いた左側にあり。清瀬名物のケヤキ通り沿いなので、美しいケヤキの黄葉のトンネルが楽しめます。市役所行きのバスで、一つくらい前の停留所。僕は、下記を展示しています。20号の油絵「裸婦立像」12号の油絵「朝の港」12号の油絵「ワイエス賛歌」 今日は、その会長さんの奥さんの手作り料理で楽しいデッサン仲間の恒例の忘年会!
2004/12/08
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海外での思い出美人の話をひとつ。ワインが美味しいイタリアのトスカーナ。その丘の上の古代都市ペルージア。迷路のような路地が錯綜し、細い路地に入ると迷子になる。そんなとき創った一句。月天心 途方にくるる 石畳しかし、ここでは上へ上へと登っていけばいい。いずれ頂上の広場に必ずたどり着く。暗い広場にはなにもないように見えるけど、探すと、地下酒場に降りる階段がある。広い石壁の酒場には、学生達がいっぱい。ここペルージアは、海外からくる留学生がもっとも多い大学都市。そんな折りに出会った美人3人組。みな、人懐っこく、東洋の異人が入ってきてもにっこり笑いかける。結局、美女3人を描いて、すっかり仲良くなった。3人3様、個性的で知的で愛くるしかった!うっとりワインに酔って夜は更けていった。 そしていつしか深夜、帰るべきタクシーがなくなった!通りがかったパトカーにたのんだけど、送ってくれない。結局、居酒屋のハンサムなマスターが送っていくよという。小さな車にウエイトレス等と、すしづめになって送ってもらった。広場の聖堂の上には、初夏の月がこうこうと輝いていた。何度でも訪ねてみたい場所のひとつである。4,5年後もういちど、訪ねたら、若いオーナーは変わっていたが、あいかわらず、陽気な学生たちで,いっぱいだった。
2004/12/06
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武蔵野美術大学の教授の指導で油絵を描いた。レンブラントやドラクロアの時代の古典画法。この時代は今とまったく異なる絵の描き方だった。最初に白と黒か褐色だけで下絵を仕上げていた。いわば白黒写真のような絵を描いてからあとで色彩を載せていたという。確かに色に惑わされずに正確な形と陰影を捉えられた。レンブラントの絵を見ながら、古典技法をマスターしつつ描いた。描くのは、鏡の中の自分の自画像。自画像はひさしぶり。思えば、今まで、たくさんの人の顔を描いてきた。アムステルダムのジャズクラブで。リスボンのナザレの猟師町の居酒屋で。スペインのパンプローナの牛祭りの町の公園で。サンフランシスコのシリコンバレーのディスコで。大抵は、一人でぶらりと出かけた異国の町。心地よく酔っ払って、求められたら気前よく描いていた。その総数は1000枚を越えるだろう。1000人もの人と束の間ながら片言で話をし心を通わせた。みな、少し若く描いてあげたほうが喜んでいた。自分を描いてみてよくわかった。やはり若い時の顔が今よりいい。教授には10歳くらい若く描いてますねと言われたけど・・まるで青年時代のような顔になってしまった。でもしわをいれる気がしなかった。自分では、このくらい若いつもりで生きているんだから。まあいいか。
2004/12/03
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