映像四郎の百人斬り

映像四郎の百人斬り

「リトルガール・ブルー」





 大学のころのダチが、写真・詩・演出をやってる舞台を見ちったっす!

 3人の男と、4人の女の役者たちが、詩を読み上げてゆく。

 バックのスクリーンには、YUKI-TO氏の写真が、

 約5秒間隔で、連写されてゆく。

 男と女のあいだに流れる「好き」を媒介に、

 詩と写真が、交錯し、物語が、進行してゆく。

 舞台とは、生ものであるだけに、贅沢なメディアだ。

 演ずる人間が、観る人間と、同じ空間に存在するからだ。

 原理的には、観客が、舞台に上がって、役者に触れてみることも可能だ

 (そんな危ない人はいないと思うけど)。

 映画もいいけど、舞台もいい。

 活字もいいけど、舞台もいい。

 生身から発する声は、アンプから、流れる声とは、違う趣きがある。

 人の言葉は、論理以前に、色であり、感情であることを、

 改めて感じさせられる。

 だから、あえて、詩を歌いあげる役者ではなく、

 バックスリーンに流れる写真のほうに、ずっと目を向けていた。

 さりげない自然体の日常風景が、どこか切なげに、

 どこか楽しげに切り取られている。

 舞台劇として、固定しないことで、詩と写真とのリンクが、ゆるくなる。

 だから、観客自身に、再編集の自由度が、高いレベルで、ゆずりわたされる。

 おそらく、どこに、目を向けていたかで、

 観客ひとりひとり、印象の編集のされかたが、全く違ってくるのだろう。

 そこが、実験的で、面白いと思った。

 構成的にも、役者の「トーク番組?」を挿入することで、

 息をぬくところは抜き、集中力を持続させられた。

 「声音」と「写真の温度感覚」によって、

 マッサージされてるような感じだった。

 だから、細かいところは、おぼえていない。

 しかし、主人公が、別れた彼女に会いに、

 北方に赴き、列車の扉が、開くたびに、粉雪が、舞い込んでくる、

 「詩の描写」は、印象に残った。

 http://milktea.frenchkiss.jp/

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