楽にいこうか

楽にいこうか

准看護師の私の自己実現



6月12日に高校事務職員対象の講演の一文ですがご紹介いたします。


序文略・・・
「自己実現」は自己の素質や能力などを発展させ、
より完全な自己を実現して行くこととあります。

私は、実現までいかなくても「自己満足」でもいいと思ってます。
自己を満足させられない人は、
自分自身にプライドが持てなません。

ということは、
それ以上である自己実現が無理なのですから。

まずは自分自身をよく知ることでしょう。

自分を見出す努力が自己実現の第一歩だと思います。

よく質問を受ける内容で、
「准看護師としてコンプレックスや自分の立場に
引け目を感じてることがあるか」というものです。

今はありませんが、以前の自分を思い返してみると
自分というものが見出せないことのあせりが、
コンプレックスや立場に対する引け目を増徴させていた事もあります。

どうして今コンプレックスや引け目を感じなくなってきたかというと、
次のように考えるようになったためです。

まず、准看護師であることは事実ですから
そのことには認識をもち、
なぜ、この事にコンプレックスまたは、
ひけ目を持たなければいけないのか考え始めました。

私の母は、幼い頃母をなくし 親戚の家で育ち中卒で若くに結婚した 
非常に苦労人です。
この母は、社会の常識というものにとらわれ、
その中から外れないようにと
私が小さい頃から言い続けた人です。

自分が苦労したから、子供に同じ思いをさせたくない。
この一念だったのでしょうが、何をするにつけても、
「常識・非常識」や「人さまの目」を意識した子育てをしてきました。

私は、自分に刷り込まれた 母の考え方に向き合うことで、

私自身が学歴や生活環境で人を差別するという考えを持っていたと悟りました。

世間の常識の枠組みはいったい誰がしたのだろうか?
常識・非常識の境界線ってなんだろうか?と考えると

答えなんかないんですね。

母の経験や母の情報元という
非常に視野のせまい、不確かなものによって
自分は普通ではないんだという
位置づけにしたのだと気付きます。
母が悪いわけではないのでしょう。
だいたいにおいて
社会生活を送るなかで人をランク付けして
自分の位置を確認したいという人が多いですから。

しかし、このランク付けで私は社会の負け組みのレッテルを自ら貼ったのです。

そのあと実に私を苦しみ続けたレッテルです。
周りの人に露骨に差別されていなくても
ちょっとした反応に対して
自分が差別されている。と思うようになります

実際に差別はあったのかも不確かです。

では、なにがどういけないんでしょうか。
その頃の私の口癖を思い出して見ますと、

●私は准看護婦で資格が低い。そのためどんなにがんばっても給料が安い。
●自分は劣っているので控えめに目立たないようにしなければ。
●自分は人より 特に看護師より仕事が出きるけど評価されないだけ。

なんておごった考え方をしていたんでしょうね。

ここで述べた口癖の中からは自己実現どころか何も生まれません。
この3つを否定的に分析してみると、立場の置き換えによる資格や制度の無視。
制度に対しての理解力不足。自己実現からの逃避であり、
こんな考え方をしていたのでは、自己実現どころか
今の私でもできるかもしれない可能性すら見失ってしまいます。
今の自分の全身で私が私の立場で精一杯できること。
准看護師の私にだからこそできること。
それを見つけたい。と思い始めた頃、広島の今の病院に勤めることになりました。

今の病院は今までの病院と違い最先端医療を取り入れた病院です。
看護師や役職をもった多くの上司と仕事をすることになります。
苦労をすることはありますが、差別はありません。
それと数多くの情報が入ってくるようになります。

看護協会に入り委員会活動するなかで
准看護師、特に地方の准看護師の情報の希薄さに改めて気付かされます。


看護問題検討特別委員会でも1年間活動することになります。
県の准看護師の実態調査を行いまとめ意見交換しました。
「准看護師制度」について県内の准看護師がいかに少ない情報しか提供されていないか訴えました。
そのことで何かの制度が変わったわけではないかもしれません。
だけど、資格が低いからといって大人しく目立たなくしていたら何も変わらないし、
准看護師が准看護師について語らなければ本当のことは
何も伝わらないことに気付かせていただきました。

中略・・・
長い時間私の話を聞いていただきありがとうございました。
皆様のお仕事の中に通じるものがあればよいのですが。
医療の世界といえ私も皆様とおなじ組織の中の1人間です。
その中で色々感じて、考えて悩んで日々を送っています。
最近では、受身(うけみ)だけではいけない。発(はっ)信者(しんしゃ)にもならないと、思って活動もしていますが、
まだまだ未熟な部分が大きく、皆様の元気の元になるまでにはいたらないかもしれません。
この度のお話を頂いて、自分自身を見つめなおす良い機会を頂きましたことを感謝いたします。






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