メキシカン・アメリカンな暮らし

メキシカン・アメリカンな暮らし

進化論と創造論




アメリカの科学の先生はとても大変だと偶に思うことがある。
あるローカルニュースで、科学の先生が授業中に創造論ばかりを唱えたが為に問題になったというニュースが流れた。

一緒にニュースを見ていたお姑ごんは即座に、『進化論なんて馬鹿らしい。創造論だけでいいのよ。』と例の科学の先生の肩を持つのである。
しかも、お姑ごんだけではない。
小舅ごん(私の義弟)も創造論派で、『そうだ、そうだ。』などとテレビに向かって声を張り上げている。

これまで創造論を強く支持する人にも会ったことが無かったので、その新鮮な考えにドキドキしていたのだが、進化論が馬鹿らしいという発言には少々面食らってしまった。

なんでも、創造論は多くの原理主義キリスト教信者(キリスト教右派)やカトリック教信者が主に支持しているのだそうで、簡潔に言えば、神が天と地、そして生き物や人間を創造したという説である。
一方、進化論は日本でもお馴染みのダーウィンの進化論のことを意味している。

進化論と創造論の対立なんて日本の教育の場では滅多に見られないし、まして進化論を学校で習うことなんてほぼ一般的なことだったような気がするのだが、あるデータによると、アメリカでは、創造論4分の1、進化論4分の1、折衷論2分の1という割合で指示されているそうで、学校側もどういう風にカリキュラムを組むべきか、またどういう風に教えていくべきかなど、頭を抱えずにはいられない状況なのだそうだ。(今となってはどのニュース番組だったか定かではないが、1999年頃のデータだったと覚えている。)
そんな対立も、宗教がこの地に息づいているということが影響していると言っても過言ではないだろう。


そうこう色々考えているうちに、『もしかして、進化論信じてるでしょう?』と小舅ごんがにたにた笑いながら訊いてきたのだが、私は『信じているって訳ではないけれど、進化論も創造論も同じくらい興味深い。』と軽く返した。

すると小舅ごんは、

『じゃあ、君の曾おじいちゃんは猿だと言い切るのかい?
まあ少なくとも、俺の家系は猿じゃないことは確かだね。』

と言い返す始末、、、。(ーー;)

こらこら、進化論も興味深いって言っただけなのに、どうしてうちの曾おじいちゃんが猿になるんかい!?
どうやら進化論を否定しないという発言だけが小舅ごんの耳に留まったようだ。

すると、お姑ごんはどこからともなく即座に聖書を取り出してきて、
『ほらね。ここに何よりの証拠があるの。』と創造の章が載っているページを私の顔のすぐ前に開いて見せては、創造論について熱心に語り始めたのである。

進化論も創造論もどちらが真実か、またいづれの論も真か偽か確実には誰にも分からないと私は思うし、また、きっとこれからも永遠のテーマになり続けるだろうと思っている。
ただ一つ言えるのは、両論とも真実を追究しようとした人達のロマンの結晶であって、これが違うあれは違うなどとたやすく議論するのもとても虚しい気がするし、神様が土から人間を作った話も、人間が猿から進化したという話も
自分はどちらを信じるかということを抜きにしつつ語り継いでいってもいいのではないかと思うのである。

するとお姑ごん、、、。
私のそんな思いを察したのか、『子どもに進化論も教えるつもり?』と殺気立って訊いてくるのである。
やれやれ、この調子じゃあ、どうやら私とお姑ごんの間でも進化論と創造論はきっと永遠のテーマになるに違いない、、、。(ーー;)


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