メキシカン・アメリカンな暮らし

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お姑ごんが病気になった




今振り返ってみても、お姑ごんが食事の際に、噛む時に異様なほどに不快感を感じたり、呑み込み辛くなったりしたと訴えるようになったのが初期症状だったのではないかと思う。

当初は、お姑ごんも夫も、きっと長年使い続けた入れ歯を新調するのが必要に違いないという結論に至り、入れ歯を新調してみたものの、それでも食事の際の不快さは消えることがなかったようだが、数ヵ月後に私と夫がお姑ごん宅を訪れた時には、お姑ごんが何もないところでつまづき倒れるようになったのである。

丁度、夫たちが出かけ、家の中には私とお姑ごんと姪っ子(小舅ごんの娘)だけの時に、お姑ごんは初めてバタッと足がもつれたかのように倒れ、その時は私も急いでお姑ごんの体を起こすのを手伝ったのだが、『年をとっている証拠ね、、、。』と言ったお姑ごんの台詞を私もすっかり鵜呑みにしてしまったことが、今でも悔いとして残っており、例え早期発見を成し遂げたとしても助からない病気だと分かっていても、もっと早く病院に連れて行けば良かったと、今でも強く思うのである。


ある日お姑ごんが、私の夫や小舅ごんではなく、私だけを呼び寄せ、あなたに見てもらいたい物があると言ったのだが、お姑ごんが私に見せた物は下着についた大量の血であった。
お姑ごんは出血に戸惑い、小刻みに震えていたほどだったのだが、すぐに病院に行こうと、私の夫も連れて一緒に病院へ、、、。

病院に着き、かかりつけ医とお姑ごんの状態などの話をし、今回の出血と、嚥下障害があること、そして、何もないところでつまづくことは関係があるのかなどと質問をしてみたのだが、その時は、出血は恐らくホルモンのバランスが崩れたことと関係しているに違いないということで、暫く様子見をしてみることになったのである。

それから約半年後、出血は見られなくなったものの、お姑ごんがつまずき倒れる回数もさらに増え、さらにあごや腕、指にさえも力が入らなくなり、これは単なる老化現象ではないだろうと胸騒ぎをし始めた頃に、お姑ごんは筋萎縮性側索硬化症(ALS、または、ルー・ゲーリック病)と診断されてしまったのである。

その診断を私は小舅ごんから電話越しに聞いたのだが、電話内容は、「兄(つまりは、私の夫)に君からそう伝えて欲しい」ということであった。
この病気に関しては、私の伯母の義理の父親が患っていた病気だったこともあり、この病気が不治の難病であること、そして、この病気を宣告されたことはほぼ死を宣告されたことと一緒だということを知っていた分、酷な診断を受けたお姑ごんのこと、そして、今からその診断について知ることになる夫のことを思うと涙が抑えきれず、、、。
その時に仕事から帰ってきた夫に、おいおいと泣きながらお姑ごんの病気について話す羽目になってしまったのである。

夫は、『きっと誤診だろう。』と繰り返して否定していたが、その後、数ヶ月に渡る精密検査で、お姑ごんは筋萎縮性側索硬化症(ALS)と正式に診断されてしまうことに、、、。
スペイン語しか理解出来ず、医者とのやりとりの通訳はきまって私の夫か小舅ごんだったお姑ごんは、病名は告げられても、それがどんな病気かということまでは暫くの間は知らされず、私はそのことに胸を痛めることさえあったのだが、お姑ごんがいつものお姑ごんである限り、私も出来る限りいつもの私で居ようと決心したのである。







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