メキシカン・アメリカンな暮らし

メキシカン・アメリカンな暮らし

母と比べてしまう私




ある日、日本に住む友人から小包が送られてきたのだが、
その中にある主婦向けの雑誌も入っていた。
パラパラと捲った上でふと目に留まったのは
『義親、夫の親戚とのおつき合いこうして成功!こうして失敗』の特集である。
勿論、早速読み始めた。

これがまたなかなか面白く、
義理の家族と何らかのトラブルがある読者の経験談を披露した上で、
それらに関するコツやアドバイスが書かれており、
どれもふむふむと頷くものばかりである。

なかでも特に印象が残っているのは、
「義親、夫の親戚とうまくつきあう3か条!
・・・1、自分の親と同じだと思わないこと!」であるが、
その付けくわえに書かれていた、
「隣のオジさん、オバさんくらいに思っておくといい」
という言葉はやけに私の胸に響いた。

それはきっと、
お姑ごんがやることや言うことをいちいちまともにキャッチしては、
上手に聞き流すことや他人事のように思うことが出来ず、
その上、お姑ごんを私自身の母と比べてしまい、
その結果、お姑ごんに批判心を抱いてしまう自分を
知っているからだと思うのだ。


「人はそれぞれ違うから比較はしてはいけない」
、、、なんてことは頭では分かっているつもりなのだが、
お姑ごんに対して感情的になるとどうしても、
『うちのお母さんはこうしないのに、、、』とか、
『うちのお母さんならこうするのに、、、』
などと思ってしまう癖が私にはある。
勿論、私の親の方が誰よりも特別に優れているなどとは思っていないし、
私が自分の母の方がいいと思うのはきっと、
私の母の考えや行動が私に多大なる影響を与えていて、
母のすることは大体、私にとってそれだけ心地良いからだと思うのだが、
それでも、「比べて批判をする」ということを辞められない私がいるのだ。


比較するのを辞めたら、お姑ごんに対する批判はかなり減るだろうと思うし、
そういった意味でも、
『お姑ごんを自分の親と同じだと思わないこと!』というルールは、
私とお姑ごんにとっても、
うまく付き合っていくコツなのかもしれないと思うのである。


とはいえ、
それが難しい瞬間が多いのもやっぱり現実だったりする訳で、、、。

例えば、スーパーでお姑ごんとレジの前に並んでいる時の話であるが、
店内で迷ってしまったのか、
車椅子に乗った老紳士がレジの前の通路から逆走してきたことがあった。
チェックアウトする為に丁度そこに並んでいた私と他の客は、
後ろに寄りその道を譲ったのだが、
お姑ごんは何やら考えごとをしていたらしく、
この老紳士がなぜ反対側から来たのかすぐには理解出来なかったようで、
老紳士とお姑ごんは3秒間ほどじーっと見つめあったままであった。(ーー;)

そこで、私はお姑ごんに
『ここを通りたいようですから、ちょっと寄りましょうか。』
と言ったのだが、
その台詞も終わらない内に、
店員の苛立ちの声が聞こえてきたのである。

店員:『すみません!ちょっと後ろの方に寄って頂けませんか!?』

お姑ごんは苛立っている店員の早口英語が理解出来なかったようで、
その場できょとんとしたままだったのだが、
私は『ちょっとこちらに寄りましょうね。』と
すかさずお姑ごんの手を引いた。

老紳士は何事も無かったかのようにすーっと側を通っていったのだが、
今度は例の店員とお姑ごんが見つめあっていたから大変である。
しかも、それだけで終われば良かったのに、
『ちょっとどいてあげるだけでいいんですよ。』
とこれまた店員が何やらブツブツ言い始めた。

その時はさすがに、私は何やら納得出来ない気持ちに襲われ、
『店内入り口を示すサインを貼るように
マネージャーにリクエストして頂けませんか?
そうすれば、チェックアウトの通路に迷って入ってくる客も
減ると思いますので、、。
あと、うちの姑は英語圏の者ではないので、
あなたの言っていることが理解出来なかっただけです。
決して悪気はなかったのですよ。』
と強気に口を開いてしまったのである。

その後、店員と私の間にも心地悪い空気が漂い、
私とお姑ごんは支払いを済ませると、早々と店を後にしたのだが、
それでも私は、何事もなかったかのように荷物を車に積み、
お姑ごんと車に乗り込んだのである。


が、そこからがもっと大変であった、、、。(ーー;)
お姑ごんはそれはもう文句のオンパレードで、
『あのデブ店員、態度が悪かったわよね~、デブの癖に、、、!』やら
『あんなんでストレス溜めているからブタなのよね!』やら
『あのブス店員、あんな口調で言わなくてもいいわよね~!』などと、
家の前に駐車するまで続いたから私の耳はもう破裂寸前であった。

愚痴なら一向に構わないのだが、これじゃあただの暴言である。
私がこんな暴言をうちの母に吐いたりでもしたら同情されるどころか、
『人をブス、デブ呼ばわりしないように、、、!』に始まり、
『あの人がブスである事、デブである事がこの問題に関係しているの!? 
そうじゃないでしょ!』などと説教されるところだ。


モラル上、確かに私の母の言うことは当たっていると思うし、
お姑ごんのしていることは、
わざわざ私の母と比べなくても明らかにいけないことだと思う。
しかしながら、私がお姑ごんを自分の親と比較して非難するということは、
「こうあるべきだ」という、あくまでも私の中での基準を
お姑ごんに押し付けてしまっているにすぎないのだ。

私がお姑ごんをMamaと呼ぶが為に、
お姑ごんは私の『アメリカの母』に君臨(?)しようとし、
私はそんなお姑ごんを自分の母と比べることによって
私の中の、「母親としてあるべき姿」をお姑ごんに押し付けてしまい、
結局がんじがらめになってしまっているのではないかと思ったりする。

そういった意味でも、お姑ごんと自分の母との比較を避け、
特にお姑ごんの悪い点が見えてどうしようもない時は
お姑ごんをその辺の隣のオバさん程度くらいに思って目をつぶる覚悟で、
お姑ごんはお姑ごんと割り切る事が、
私とお姑ごんのお互いにとって、いい結果を生みそうな気もするし、
私の中に出来るストレスもだいぶ減ると思うのだ。


『お姑ごんも相当腹が立っていたから暴言を吐いたのだろう』、
と理解したい私と、一方で、
『腹が立っていたからとはいえ、人をブス・デブ呼ばわりするのは
正当化出来る言動ではない』
と批判する私、、、。
そして、『またお姑ごんと自分の親と比べてしまった』
と反省を繰り返す私、、、。
残念ながら、割り切れるようになるにはまだまだ時間がかかりそうである。



参考文献:
雑誌『おはよう奥さん』(2002年2月号)

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