春日井市高蔵寺の整体院「空」

春日井市高蔵寺の整体院「空」

2007年05月03日
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カテゴリ: 真理論
きっとほんとうの孤独は、何よりもゆたかなのだ。


一般的にいって、
孤独じゃないような気分がするのは、
誰かとわかりあえたような勘違いをしているときだ。

誰かが自分のことを認めてくれた、分かってくれた、
と言ってはニヤける。

しかし、
理解されないからといって苦しむのと同じなのである。


「理解される=嬉しい 理解されない=かなしい」
という考えに固執するかぎり、
「(他人に)理解されるかされないか」にとらわれ、



ぼくが思うに、もっと自由にならねばならない。


理解してくれようがが、理解してくれまいが、
どっちでもいい 」というのが自由なのだ。


解ってくれと叫ぶでもなく、
解るはずもないとスネるでもない。

ただ、「理解してくれても、してくれなくてもいい」
そうすれば、相手の評価にとらわれることはない。

理解者には冷静に「ありがとう」
批判者にも冷静に「そうですか」。

どっちでもいいのだから、冷静なのである。



そんな解ったようなフレーズが巷間ささやかれているが、
その意味は
「自由になりたければ、さみしさに耐えねばならない」
みたいな感じじゃないだろうか。

一人はさみしいけれど、「自由」だからいいや。みたいな。




本当の孤独はなによりもゆたかなんです。

他人に自分のことは理解されない!とあきらめてしまうと、
「さみしい孤独」になります。

しかし「 理解してくれても、してくれなくてもいい
という超然とした姿勢であれば、
そこに「ゆたかな孤独」が生まれるのです。

「分かり合いたい」なんていうこだわりを捨てれば、
そこに自由が生まれる。
それが 「孤」が「個」になる瞬間 だ。

「孤独=さみしいもの」と思っている人にとって、
孤独はさみしいものとなる。

しかし「孤独は当たり前の性である」と思っている人にとって、
孤独は愛するものでもなく、忌むべきものでもなく、
たんに 孤独は孤独なのである

人はひとりで生まれ、そして一人で死んでいく。

その事実を、
愛しいことを思うか、
さみしいことと思うか、
それとも、それが当たり前だと思うのか。

その根本の考え方で、
思考や行動も大きく変わってくるのである。





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最終更新日  2007年05月03日 10時36分47秒
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