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どーも寒いですなあ。春は遠いのでしょうか。(←何このキャラ)そういや今日は高校の卒業式だ。もう4年も前の話です。★ミカンの種がキライ★ミカンの種がキライだ。気持ち悪い。イチゴの種は好き。というか別にどうでもいい。食べれるから。バナナも同様。スイカの種はある意味キライ。食べるとき、面倒くさい。でも、ププーっと飛ばすのが面白い。しかし、このコンクリートジャングルでは芽を出す種もないぜ。さみしいぜ。ミカンの種がキライだ。種のあるミカンがキライだ。種のないミカンが好きだ。ミカンの種はキライだ。★ぜいたくということ★ぜいたくということは無駄ということである。ぜいたくは「差」である。欲求と現実の「差」をぜいたくというのである。もちろん、現実が欲求より大きい場合に限る。ぜいたくは「余裕」である。ぜいたくは少欲に宿る。ぜいたくは喜びである。★俺は意見を言って、それでどうしたいのだろう★俺は意見を言わないと気が済まない。こういうのを一言居士とか言うのだったか。何か言うのが好きだ。だから、こんなブログを持っている。言うということが気持ちいい。いわば排泄の快感。そういうものだから、意見をいってどうしようということを考えているわけではない。もちろん、「~べきだ」みたいな意見も書くけれど、実際に世の中を動かそうなんて思っちゃいないし、動くとも思わない。結局、自己満足なのだ。しかしそれでも、書かずにはいられない。いったいこの欲求はなんなんだ。★今日の童謡★「♪う~さ~ぎ美味しい かの山~」「ぞーさん ぞーさん あそこが長いのね」「小さいヤギ 小さいヤギ 小さいヤギ見つけた。メエ~」
2005年03月01日
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どーも、寒い日が続きます。いや、昼は暖かいんだけど。★平等は水のごとし★人間は、先天的に差があるものだ。金持ちの家に生まれることもあれば、貧乏な家に生まれることもある。容貌がいい場合もあるし、悪い場合もある。身体の大きい子供、身体の小さい子供。健康である⇔病弱である。気が強い⇔気が弱いなどなど、数え上げればきりがない。しかし、生まれながらにして、人は差がある存在なのである。ここに、異論はあるまい。そこから、平等ということを考える。思うに、一般的に平等というのは、「みなに、同じものを与える」というように解釈されているような気がする。ある人に10あげたら、他の人にも10あげる。それが平等である、というようにされていると思う。でも、俺はそう思わない。俺が思う平等は、先に述べた「差」に合わせて与えるということだ。はじめが2の人なら8あげる。はじめが7の人には、3しかあげない。これが平等だと思うのである。たとえば教育において、ワンパク坊主と気の弱い子に同じ叱り方をしたら、その「感じ方」はぜんぜん違うだろう。ワンパク坊主はほとんど何も感じない。気の弱い子は、ものすごく落ち込む。俺は、これは人の差を考えない不平等な教育だと思う。本来的には、「誰もが同じくらい反省する」ように叱るべきなのではないか。これは、つまり相手が主体ということ。相手のことを考えているからできることなのである。たとえれば、それは水。水は、底面がどんなデコボコな容器でも、その水面は平坦だ。究極の柔軟性。やはり、平等とはそれぞれの相手に合わせてこそ、成り立つのである。
2005年02月28日
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寒いっ!今日も日枝会長、じゃなくて冷え込むねえ。★電車のイスに思うこと★電車の中。太ったオバサンが座っている。明らかに、一人分のイスに入りきっていない。これはメイワクなのだろうか。「フツウ」の人間から見れば、メイワクと言えるかもしれない。オバサンのおかげで、0.5人ぶんくらい、無駄なスペースが出来ているから。じゃあ、太っていて一人分のイスに入りきらない人はイスに座ってはいけないのか。それはそれで、ヒドイような気がする。いったいこの問題をどう解決しよう。イスの大きさが悪いのか。「普通以上のサイズ」であることが悪いのか。しかし、そもそも「平均」というのはある意味で、意味のないことである。となると、あのイスのサイズも単なる「常識」にとらわれたものであることがわかる。だから、デブの人がイスに座ることは悪くないと思う。しかし、現在の電車のイスの構造上、デブの人が座っていると、その隣に座りにくいのも事実である。その人が席を譲れば、二人が座れるということもある。しかし、二人が座れることが良いのか、というのも疑問である。最大多数の最大幸福が正しいとは限らない。一人が座っているより、二人が座れるほうが良い状態だなんて、誰も言っていない。うぬー。結論が出ない。
2005年02月27日
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寒っ!今日は何ですかあ?冷え込んでますなあ。★短い毛のこと★毛は、日本人なら黒いはず。だけど、短い毛は青い。坊主、生えかけのヒゲetc.etc.なんでだろう。★知識と知恵、恋愛、武道の技★先日「ファッションでは浅すぎる」を書いた。今日はその続き。知識というものがある。いろんなものに対する情報ということ。しかし、その情報は「生」である。加工がほどこされていない。つまり知識は具材。さまざまな知識を結集し、切って、練って、混ぜて、調理したものが知恵。料理にはゴミがでる。それは、具材のいい部分だけを使うから。具材から、おいしい部分を見極め、それを組み合わせる力。それが知恵ということ。恋は、面白いものだ。けれど、そこから愛が生まれぬかぎり、恋は「たかが恋」でしかない。愛を生む可能性がある、という意味で「されど恋」なのである。武道には、たくさんの技がある。でもそれは、いろんな場合に対処するためではない。そんなことをしていたら、キリがない。何故たくさんの技があるのか。それは、先人が「後世に伝えたいもの」をいろんな形で表現したから。だから、「先人の伝えたかったもの」を感じなければ、武道をやる意味はないと思う。少林寺拳法の開祖は、「武道の技は見せ物(余興)」と言い切っていると聞く。要は、材料、情報、経験、数量から自分なりに「おいしい部分」を抽(ひ)きだし、新しいものを創るということ。そしてその「方程式」を具体的に還元すれば、また新たな「真理」が見つかる。その繰り返しだと思うのです。
2005年02月26日
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今日もあったかくなりそうだ。ちなみに今日は国公立大学の前期試験。受験とか、懐かしいなあ。★倦怠はパルプンテのMP★いちおうパルプンテの説明をせねばなるまい。パルプンテはドラゴンクエストというゲームの中の魔法のひとつ。効果は「何が起こるか分からない」というエキセントリックな魔法だ。それが現実世界に存在する。俺らはパルプンテを使うことができるのである。でも魔法を使うためには「マジックポイント」が必要になる。それが倦怠だ。何か平凡な毎日。悪くはないが、感動もない。苦しくはないが、幸せでもない。つまり倦怠。そういう毎日に、MPはたまっていく。で、それが飽和状態になるとついにパルプンテ発動。それをしたら、「なにが起こるか分からない」ということをしでかすのである。俗な言い方をすれば、自棄(やけ)とも言える。「このままじゃ、何にも変わらねー。 ええい、ままよ。やってまえ!」パルプンテを使うのは、怖いことでもある。だから勇気がいる。その勇気を振り絞ってくれるのは、平凡な毎日。「変えなきゃ、ずっとこのままだ」そんな怒りにも似た焦燥が、勇気に変わる。こんなふうにしてれば、「最近、つまらんなー」なんてことはないと思う。ここで一句。冬も果て 春来にけらし パルプンテ★テツトモと名古屋弁★テツ&トモ(懐かしっ!)が名古屋弁をネタにしていた。「ちんちんの(めちゃめちゃ熱い)みそ汁」とか言うのなんでだろう、みたいなネタ。普通に使うっちゅうねん!「お湯がちんちんに沸いとる」とか。「机をつる(運ぶ)」とか言いますよ!自転車はケッタですよ!えびふりゃあ、なんて言うか!!だぎゃあ、なんて言わんとです。語尾に「みゃー」とかありえない!「食べるみゃー」とかありえない!「見てみやー(見てみたら?)」は言う。「めっちゃしんどい」は「でら(とても)えれー(つらい)」俺、名古屋を愛しとる。
2005年02月25日
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今朝もあったかい、のかな。今日の名古屋はまた10度まで上がるらしい。ふむっ!★ナマイキということ★ナマイキとはだいたい、「本来の立場を省みない、さしでがましい言動」と考えて差し支えないだろう。しかし、「本来の立場」とはなんだろうか。片方が、もう片方に「発言していけない立場」というのがあるのだろうか。たいがい、「ナマイキだ」という人は、何かしら暗黙に「アナタは偉いです」と言われるのを好む人だろう。それで、「自分はエライ」と思っていたら、その暗黙の了解にビビらない人がいて、それで腹が立ってしまうのだ。しかし、そもそも尊敬とかそういう類のものは、自然にそういう念が起こるのであって、立場がそうだからといって、尊敬せねばならないものではない。といっても、良い立場にいる人や、何らかの「ビッグタイトル」を持っている人というのは、それなりにすごい人もいる。だから、その実力は尊敬に値する。しかし、その立場やタイトルじたいに、必要以上におびえる必要もないし、その立場やタイトルで威張ることもできない。意外に、人間というものの実力に違いはないものだ。けれど、タイトルによって何か各段に差があるように感じてしまう。思うに、ナマイキということは大体ただしい。間違ったことを言っていないから、腹が立つのである。ほんとに雑魚だと思っていたら、腹は立たない。俺はかつて、立場やタイトル、それに年月に頼る人間だった。今は、それを恥じている。2年前の自分など思い出したくもない。今後は、ナマイキを擁護したいと思う。★時間を遅くする方法★俺は、時間の進み具合を遅くする方法を知っている。それは、「何かすること」である。それも毎日、何かを続けていくのである。日に日に、何かを積み上げていく。そうすると、それがつみあがっていくのが楽しみになって「早くたまらないかなあ」と期待する。そういう期待があると、毎日がゆっくりになる。早く進んで欲しいときに進まぬ、時間の性質を利用したのである。「一日何回○○をやる!」と決めて、記録していくとなおさらいいでしょう。★今日の本当にあった話★「ただいま呼び鈴が故障しておりますので、 こちらのタイコでお呼び出しください」
2005年02月24日
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ひさしぶりに中学の同級生と遊んだ。風は春。風は春の思い出を運ぶ。★人は外見で判断しろ★ちょっと今日は時間がないので、わかりにくい文章になるかもしれない。またのちのち説明するかも。人には、容貌と表情がある。容貌は、客観であり抽象である。だから現実には存在しない。言語でいえば、ラングである。表情は、主観であり具体である。だから表情のない容貌はない。表情は容貌の具体的表出である。言語で言えば、パロールである。思うに、人は他人の表情を読む力がそうとう優れている。たとえ言語化できなくとも、表情から相当多くのことを読み取っていると思う。だから第一印象というのは信じたほうがいいと思う。「第一印象とぜんぜん人柄が違う」ということもあるが、でもそういう人でも、第一印象どおりの一面を持っている。だから「人は見た目で判断しちゃいかん」とも言うけど、「人は外見で判断して良し」とも言えるだろう。まあ、服装や髪型、容貌はあてになりにくいけど、表情の第一印象は相当当たると思う。★ドキドキをさがせ★ドキドキといっても縄文土器ではない。胸の拍動のことである。人間は、興奮がなければ生きられない。人は安定(やすらぎ)を求めるけれど、同時に不安定(ドキドキ)も求める欲張りな生き物だ。ドキドキの作り出し方は人それぞれ。自分にあった刺激を、自分にあった方法で作り出せばいい。これを間違うと犯罪になる。万引き犯なんかは、ドキドキの見つけ方がヘタなんだろう。ドキドキを探す努力をしない人は「なんか面白いことない~?」とか言う。あとは「密着24時」を見たりするのもあるけど、それだとまだまだ受動的だと思う。頼っているところを感じる。ドキドキは自分で見つけるのがいいと思う。俺は刺激が欲しいときは「パルプンテ的行動」を取ることにしている。何が起こるか分からんのは、楽しいものだ。
2005年02月22日
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またしても日記に穴が・・・!というのも東京に行ってきたのでR。PRIDE29を観戦してきた。結果は書かないけど。はじめて夜行バスに乗った。時速100kmで寝た。(といっても行きはほとんど寝れなかった)さいたまスーパーアリーナでけー!人多い!PRIDEのオープニングテーマ、カッコイイ!演出にやられた。生ミルコ、生サク、生高田、生シウバ生吉田、生コールマン、生田村、生浅草キッドetc.感動。そしてたぶんあれは生高島彩だと思うけど、いかんせん遠いので違うかもしれない。残念。生サトエリは間違いないだろう。試合は面白かった。あえてこれしか書くまい。カメラワーク、音楽、ナレーション、これまでの経緯。そういう演出があった。それでも、2階席番号808から見る選手は小さかった。とても。結局そういうことなのだ。近くで見れば大きい。遠くで見れば小さい。そうして試合は終わり、少しだけ飲んで、また夜行バスに乗る。今度はぐっすり。(でも足柄SAで目が覚めた。ていうか足柄ってどこ?)それから帰ってきて、今こうして日記を書いている。ハードな旅だったけど、行ってよかった。今日の朝陽は忘れない。★旅行中に思いついた名言★「失恋とは、恋を諦めることである」★旅行中の奇跡★目が覚めたら、3時33分。そこに、メガネを外したのび太がいた。★旅行中もずっと思い出せなかった★「21えもん」って、何だっけ?
2005年02月21日
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ああ、旅行に行ったせいで一日、日記に穴が・・・。まあ、楽しかったからいいか。★あなたには言えない★どんなに仲が良くても、言えないことがある。その場では、言えないことがある。それがいけないと言っているのではない。言えないことがある、というのが普通と思う。俺が言いたいのは、それが面白いなということ。大人数で話している。何かハッとする話題になる。でも、色々な事情で「その場では言えない」ことがある。俺はそういうことがある。きっとみんなも、そういうものを持っているんだろう。そういうものを抱えた人たちが暴露話をするのは面白いと思う。「これは言える話。これは言えない話」そういうことをビシビシ判断しながら、会話しているんだ。みんなの言えない話が聞きたいなあ。
2005年02月19日
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もうすぐ旅行にいくので、今日は短めに。★今日の「神様の・・・」★「食べ物を粗末にすると、バッチが当たるよ!」★今日の流行らせたい言葉★「プチ失恋」
2005年02月17日
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今日はどうも天気が良くない。低気圧は嫌いだ。ぬー。★争いは、なぜ起こる?★頭がいい、とは相手の心を考える余裕である。物事を考える、とは決め付けないということである。だから知と知は争わない。知と知の交わりは、新たな流れを生む。しかし、片方が思考停止していると、いっこうに会話は成り立たない。そのとき、「対等」であるなら、知が論戦を制する。たとえ思考停止が納得いかないとしても傍から見れば、知の優位は明らかである。困るのは「愚」が上位である場合。または圧倒的な「力」を持つ場合。そのような場合、思考停止は自らの愚をかえりみず、力による抑圧をはかる。そうしたら、知は他の力でもって対抗せねばならない。抵抗せねば、待つのは死である。死ねば、知も愚もない。その抵抗が争いである、と思う。争いは、片一方あるいは両方が愚である場合におこる。知と知は争わない。★「腹が立つ」と「頭にくるの違いは?」★これはどっちとも「怒れる」のような意味だ。しかし、なんで二つとも残っているんだろう。(まあ、今となっちゃ二つとも「むかつく」に集約されているけれど。)二つ残っている、ということは何らかの違いがあるはずだ。また、古人の感覚で両者に違いがあったから、こんな二つの慣用句を作ったのだろう。で、内省してみたところ、仮説が生まれた。それは「頭に来る」は主に、上からの圧迫・抑圧に怒れる場合、「腹が立つ」は主に、下からの生意気に怒れる場合、という区別である。もちろん、重なる部分はあるため、友達などは「頭に来る」「腹が立つ」のどちらも使えるのだろう。けれど、「アッタマ来るなあ」と言う場合は、上から何か言われ場合に多く、「腹立つなあ」と言うときは、下から何か言われたときが多くないだろうか。まあ、ちょっと考えてみただけなんで、正しいかどうか分からないけど、いちおう書いてみました。
2005年02月16日
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ダチョウの卵くらいある大きな卵をパカンと割ったら、恐竜が出てきた。その肉を焼いて、食べようとしたけど、やっぱり食べる気にならなかった。そんな夢を見た。★時代は本物を見つけない★この前、なんかのテレビで20年位前から今までを振り返る、みたいな企画をやっていた。昔の人は、「変な」髪型をしている。でも、当時、誰も気づかなかった。というのは、時代はある種の洗脳だからである。多少なりとも、誰もが洗脳される。だから過ちに気づきにくい。しかし、時間は本物をかぎわける。たとえば歌に関していえば、やはり今でも名曲とされているものは、「古くて懐かしい~」というのではなく「いい歌だ」と思えるものだ。だから、「古いもの」に特に価値はないけど、「残ってきたもの」はどんなものでも、それなりの価値があると思う。時間という篩(ふるい)にかけられてなお、色褪せぬものが良いものなのだと思う。俺らは、その眼を養わねばならないのだ。★勝手な因果関係★ある統計がある。その統計に関連付けて、自説を発表することがある。たとえば、「テレビゲームの出荷数と体力の低下」など。けど、これって、本当なのだろうか?だいたい統計学を出されるとなんとなく納得してしまうけど、勝手な因果関係も多いんじゃないだろうか。俺が読んだことあるのが、「洋式トイレの普及率と離婚率の増加の関係」ってやつ。どっちも比例するように増えているらしいが、おいおい、ホントかよ、と。もちろん、その説が正しいということもある。けれど、自説の正当を示すために、適当な統計が使われているかもしれないということも頭にいれていおかねばならない。★適当は本気にかなわない★何を今更、という感じだろうか。でも俺は今、実感する。本気の理論は、適当、おざなり、自己中心性、保守的思考に負けることはない。適当、おざなり、自己中心性、保守的思考が頼るのは、形骸化した教条、うさんくさい道徳、ニセの和の心、などである。つまりバカ。奇しくも昨日、テレビにライブドアの堀江さんが出演していて、「ああ、本気は強い」と再確認した。適当は本気に対抗するな。何もかもに本気であることはできない。適当なものがあってもいい。けれど、その場合、本気は尊敬するもので、対抗するものではない。適当は本気の下に存在するのである。
2005年02月15日
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今朝はちと寒いかな。まーこんなもんかな。★「嫌い」を「悪い」にする論理とは★「嫌い」は主観である。「悪い」は客観である。「嫌い」は「悪い」ではない。しかし、「嫌い」を「悪い」に変えることができる。それが言いわけという論理である。正当化と言ってもいい。と、悪し様に言ったが、実はそれこそが生きるための哲学でもあり、正当化なくして生きることはできない。「嫌い」なものは確かに、自分にとって「悪い」のである。しかし、それは普遍的な「悪い」ではない。「嫌い」を「悪い」に変えるための論理なんて、しょせん言いわけに過ぎない。その言いわけを、青筋立てて叫んでもむなしいだけなのだなあ、と思う。と、思うけれど、俺はきっとまた言いわけをしてしまうだろう。自分を守るために。★教えることと学ぶこと★俺の経験上、自分で考える習慣のない人は、「明確な解答」を、他人や他人のものに求めると思う。本当はヒントをもらうだけ。解答は自分の中にあり、それは、自ら掘り出すものなのだ。だから逆に、つねに「明確な解答」を与えるような人もある意味でバカだし、嘘つきだと思う。学問なんてどんどん進化していくものなのに、「こうだ!」と教えたら、いつかは絶対嘘つきになる。だけど、困ったことに「明確な解答」を与える人と「明確な解答」を求める人はバッチリはまる。需要と供給が見事にマッチする。まあ、宗教なんていうのはそういうもんでしょう。頭のいい人ほど、真実に対して謙虚だ。けして断定はしない。けれど、「自分のつよい意見」を持っていて、それを「これは主観だぞ」と分からせるように話す。「主格分離」が見事にできている。そういう人は「明確な解答」をくれない場合が多い。それはいじわるではない。「明確な解答」などあげることができないと知っているのだ。学習塾じゃないんだから、いくらお金を払っても、「明確な解答」なんて得られない。答えは自分の中にしかない。以上は安易に他人に頼らないための自戒である。★まったき体系には、崩壊しか残っていない★完全に自己循環・自己完結する体系はもう落ちていく他ない。たしかに、ある程度の体系は必要。ある程度の論理立てはなくてはならないものだ。しかし、体系のどこかに「切れ目」が入っていないと、苦しくてしょうがない。成長もない。この循環の「切れ目」は、過ちと言ってもいい。まったき体系は、排他的だ。もともと、体系は真理を求める効率的な手段として作られたわけだが、「切れ目」無き体系は、体系を維持するために、「異物」を除外することに躍起になったり、そしてそれを「浄化」だと勘違いしたり、「けがれ」を恐れて無駄な労力を使うことになり、結局、真理からどんどん遠ざかる。この「体系」は換言すれば「組織」であり、ひとりの「人間」であり地球である。★今日の耳そうじ★「耳そうじして~」「う~、綿棒!」★今日の保険★「保険入ろっかなあ」「う~、担保!」
2005年02月13日
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日差しが春だよ。あー、何想おうかな。★恥についての哲学★恥を知らぬは蒙昧、人にあらず。恥に負けるは臆病、巨大化する自己愛。恥を知りてなお、動くことこそ肝要なり。よくよく吟味すべし。★ネイルアートという不可思議★男の俺にとっては、女の文化ほど不思議なものはない。不意に考え方とかを聞くと、カルチャーショックを受ける。この前は、ネイルアートの話を聞いて、「へ~」を連発しまくった。ツメをキレイにする、というのは何の意味があるのだろうか。個人的には、何もしていないのがいちばん好きなのだが。(ツヤが出してあるのは良い)まあ、やっぱりキレイにするというのは女の特権なんだろう。男と女は違う、違うなあ~。★バカの壁★いまさらながら、読みました。かなり「遅れてる」が、まあ気にしない気にしない。で、これは面白い。合気道的な部分も多く、いろいろ共感することがあった。特に第8章「一元論を超えて」はこの本の要約みたいな感じで、うんうん頷きながら読み進めた。やっぱり頭のいい人の文章は読んでて楽しいわ~。★今日のカッコイイセリフ(?)★「え、おつりの100円?ああ、いりません。 そのかわり、その100円分の優しさを 他の誰かに上げてください。 そう、100円分でいいんです」★今日の漢字雑学★画数の多い漢字がある。「鬱(うつ)」はその代表格だが、もっとすごいのもある。「鹿」3つで「ソ・アラい」「龍」が3つで「トウ」「雷」が4つで「ビョウ」「興」が4つで「セイ」あと「雲」3つの下に「龍」を3つ書く、「たいと」とかいうのがあるらしい。(「漢字力」リイド社より )超ムズイってカンジぃ?
2005年02月12日
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なんかこのごろは春を思わせる気候だね。嬉しいような悲しいような、なんとなく切ないなあ。★幸せを考える★たとえば夫婦生活がうまくいきすぎて、亭主のグチばかりの井戸端会議に参加できないとしたら?参加しなきゃいいじゃん、という意見もあろうが、近所づきあいもあるし、何より越してきたばかりで、友達もいない。しかし井戸端会議に加われば、妬まれる。こりゃ困った。こういうことはよくある。自分はうまくいっているが、「うまくいっていないみんな」の会話に入れない。せっかくうまくいっているのに、なんか淋しい。そうなると、ちょっとくらい不満をもっていたほうがいいのかな、なんて思ってしまう。うまくいかないことを自虐的に話し合うのは面白い。恋愛の成功談なんて聞いても面白くもなんともないが、失敗談ならみんなで笑える。でも、失敗談のネタを持ってくる係になっては、いつまでも成功しない。やっぱり本当の幸せを掴みたいなら、グチの集団から抜け出たほうが良さそうだ。「要らない仲間は要らない」たしか、あの孔子も「自分より劣る者を友人にするな」みたいなことを言っていたよ。「己に如かざるものを友とするなかれ」だったかな。っちゅうことは「孤独を恐れるな」ってことだよね。やはり確たる自分があってこそ、一人で立てるからこそ、だから、友がいて嬉しいってことなんでしょう。「人という字は、支えあっているんです」とか言うけど、ありゃウソだね。「人」みたいに依存してたら、いつか共倒れだよ。というわけで結論!「一人で立てるものが、幸せになれる」★気の利かない人★よくエスカレーターで、空けておくべき道をふさいでいる人がいるでしょう。連れ合いと一緒だからって、横にならんでんの。アホか!!邪魔じゃ!!どけ!そういう人を見ると、無性にイライラする。なんでそんなに周りが見えないんだろう、と。そんな時、俺はだいたいその人の後ろについて「どけオーラ」を出して、どかす。だって、邪魔だもん。気の利かない人にはなりたくないもんだ。★低俗パワー★建前の(オモテの)社会的には高尚なもののほうが権威がある。しかし、実際の(ウラの)社会的には低俗なもののほうが力があるではないか。というのも、高尚な話題についていけない人は高尚なものについていけない自分を恥じたりしないが、(むしろバカにしている)低俗な話題についていけない人は、なんか気まずそうな顔をしている。 まあ、高尚も低俗もどっちが素晴らしいというものではない。「人間は理解できないものを軽蔑する」という言葉を覚えておけば、いいんじゃないかな。もちろん、「軽蔑しているということは、理解できない、ということだ」と言い換えてからね。★今日の英語★「鳥肌」は英語でどういうのか調べたら、goose・flesh goose・bumps goose pimples とか色々でてきた。gooseはガチョウらしいが、この3つの違いがよく分からない。「鳥肌」「サブいぼ」「寒ぼろ」みたいな違いなのかな。★今日のオススメ本★「ゆかいな誤変換(イースト・プレス)」とかいう本を買った。これ面白いからぜひ買って。ちょっとだけ中身をご紹介。「あなたの顔、何回も見たい」→「あなたの顔、なんかイモみたい」「倒産か 辛かったろう」→「父さん カツラ買ったろう」「今、髪とかしてる」→「今、神と化してる」その他、「大歓迎です」→「代官ゲイです」「空虚感」→「食う巨漢」など抱腹絶倒うけあいの誤変換がもりだくさん。これは買いです。
2005年02月11日
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昨日、マジでいい陽気だった。チャリンコで駆け回っちゃったよ。★マニアは強し★やっぱり21世紀はマニアでしょう。とことんまで追求するマニアが、これから飛躍してくるんじゃないかな。マニアの語感が悪いならスペシャリストと言ってもいい。とつぜん、カッコよくなるね。まあ用語なんてどうでもいいけど、とにかく、専門分野には徹底的に強い、そんなんが強いと思う。マニアは深い。深いというのは結局、地球で見れば「中心に近い」ということ。言い換えれば、真理に近いということ。一つを深く掘り下げれば、他の分野の深いところもおのずと理解しやすくなる。一流は一流と、三流は三流と話が弾む。同じ深さなら見方もほとんど同じなのだ。世の中のことを浅く広く知っているのもいいが、そんなことをしなくても一つのことを本気で求めれば他のものも見えてくる。ただし、その一つのことを求めるために、色々なものを見るのはいいと思う。しかし俺は、オタクという響きは好きではない。それは家にこもった印象を与えるからだ。自分の専門にハマるのと、家のこもることは関係ない。社会を忘れたヒトは、「人間」ではない。そうではなく、マニアなのだ。★サンドする★俺、前から気になっていたんだけど、「はさむ」っていうかわりに、「サンドする」っていうの変じゃない?なんとなく分かりはするけどさあ。サンドウィッチは言うまでもなくサンドウィッチ伯爵から来ているわけでしょ?別に「ウィッチ」を「サンド」したわけではないのだよ。なのに、「アンコを間にサンドしました」とか使われてない?これはすごい用法だよ。他に例のない外来語じゃないかな。★今日の英語の発音★「お前、『F』の発音のときに、上唇かむのやめろよ」★今日のアンケート★該当するものにチェックしてください。■笑顔の練習をしたことがある■せっかく抜かしたのに、赤信号で追いつかれる■ぽっちゃり型の男に「俺、筋肉あるよ」と言われる■割り箸が、いつも上手く割れない■で、袋はきれいに折ってハシ置きにする■フランス料理店に「すいません、ジーパンでもいいですか?」と聞いたことがある■中華料理店でテーブルをクルクル回して醤油とかをこぼし、遠心力ってすごいなあ、と感心したことがある■ファックスで「メロメロ」と書いた紙が送られてきたことがある■ちっぽけな縁起かついで、右足から家を出る■「今日も元気だ!」と言って階段を駆け上がり、膝を故障したことがある
2005年02月10日
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またちょっと暖かくなったかな。冬来たりなば、春遠からじって感じ?いや、違うよね。★ブラックジョークは難しい★なんとなくだけど、このごろお笑いにブラックジョークが増えているような気がする。ていうか、面白くないのをごまかすための安直なブラックが多いように思う。ただ、「触れちゃいけないところに触れた」というその危機感を楽しむだけ、というか。そういうのは俺は嫌いだ。面白くない。今の風潮から考えても、ちょっとくらいタブーを破ったって普通。ひどい禁忌は放送禁止。やっぱ面白さにタブーを少しスパイスとして加えるくらいにしてほしい。★今日の台風★「遅刻すんなよー」「ごめんごめん。朝弱いんだよねー。 低気圧だから。」
2005年02月06日
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さっき、二日遅れで豆をまいてきた。やっぱり季節の行事を大切にしないとね。せっかく日本に生まれたし。★なごり雪、そして道★まだ雪が残っている。ちょっと粋だ。雪はアスファルトには積もりにくい。降り始めのころ、草や芝の上にふわりと積もっても、道路には積もらない。自然と自然は相性がいいのかなあ、なんて思う。そして、道の雪はすぐになくなる。これもアスファルトのせい?いや、違う。道は、人が歩くのである。はかなさ、それゆえの美しさ。すぐに壊れる繊細さとすべてを包む大きさ。雪。道を歩くことは、或いは残酷であるかもしれない。けれど、歩かねばならないときがある。道の雪は、すぐになくなる。・・・今日は詩的に書いてみました。★こだわる男★一般に、女に比べて男はこだわる。ハマり性というのは、男に多い性質だと思う。これは、なんでだろう。いい例ではないが、男は浮気をする、と言われる。これは、まあ種の保存という理由で解決できる。(なんで種の保存をしたいか、ということは 解明できていないが)でも、こだわるということが男、いやオスにとって何の意味があるのだろう。こだわるということで、異性を惹きつける何かが生まれるのだろうか。まあ、「何かに打ち込んでる姿が好き」みたいなのはあるけど。なんで男はこだわるんだろう。分からん。★今日の漢字雑学★よく「かまける」って言うけど、「仕事にかまけて、家庭がおろそかに・・・」みたいに使うアレね。漢字は「感ける」らしい。これは初めてみたよ。
2005年02月05日
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今日は晴天だな。といっても家の周りにはどっぷり雪が残っているけれど。道の雪 溶かす朝陽の うつくしさ★雪の日におもうこと★昨日は大雪だった。朝は20cmくらい積もっていた。せっかくなので、本家のHPにその写真をアップしたみた。さて、雪だ。雪が降ると人々ははしゃぐ。いろいろ行動が面倒になるとしても、少しははしゃぐ。すくなくとも俺は、はしゃぐ。なんでだろ、って考えてたらもしかして変身願望? って思った。雪が降ると、街は一変する。いつもと違う街に見えてくる。これが旅気分を味わわせてくれるのではないか。旅気分は、「ハレ」気分と言ってもいい。「ハレ」と「ケ」の「ハレ」ね。つまり、非日常。思うに、人は常に非日常を求めている。どんなに小さいことでも。俺は、メールの未読マークでさえも非日常だと思う。と同時に、人は日常を求めている。平凡な、ありふれた毎日を求めている。であるからして、人は「安定と不安定を同時に求める欲張りな生き物」ということになる。雪の日に、そんなことを思った。★ファッション★ファッション、つまり「流行」という単語はほとんど「おしゃれ」という意味で使われている。それほど「おしゃれ」の流行り廃りは激しい。でも、なんでだろ?なんでそんなにも「カッコイイ」は変わってしまうのだろう。美は不変ではない。平安時代は下ぶくれが美人、というのは有名だ。また、美は普遍ではない。現代でも、太っていればいるほど美人、お尻が大きいほどいい、という文化もある。こりゃ一体どういうことだ。たぶん、美というのは生きるためのものだ。どちらかといえば、美は「人生を彩るもの」と捉えられがちだが、きっと、もっと根本的なことなのだ。美を選ぶということは、おいしいものを食べられるということであり、優秀な子孫を残せるということである。つまり生、そして生殖。だからおそらく、美はそんなにも変わるのだ。時代が変われば、生きるために必要なことも変わる。美はよりよく生き、そして良い子孫を残すための判断基準なんじゃないか。
2005年02月03日
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朝起きたら、外は一面銀世界。こりゃ、外に出るのがおっくうだよ。幼な子の 小さな手から 雪こぼる★男と女の間には・・・★深くて暗い川がある、ってのはこりゃホントだねえ、と思います。ことあるごとに違いを感じるからなあ。で、最近思うのは、このすき間を埋めるのに、本が役立つということ。もちろん、本質的にすき間は埋まらないけどね。別に埋めるものでもない。まあ、相互理解といったところか。ベストセラーの「地図が読めない女 話を聞かない男」をはじめ、男女の根本的な違いを示した本というのは、非常に役に立つ。なんでかっていうと、マニュアルじゃないからね。本質的な違いを示してくれるだけで、あと応用は自分で、って感じ。だから逆に使える。もちろん異性だから、完全に共感不能の部分はある。でも、理解はできる。それだけでだいぶ違う。女の子が「かわいい」を連発するのは、語彙が少ないだけじゃかなったんだ、と分かったときは、いろいろ納得することがあったし。やっぱ無駄な争いは避けたいもんね。★ワルグチ★昨夜、芸能人が悪口をいいあい、怒ったら負け(機械で測定している)、という番組をやっていた。で、やはり「本当のこと」を言われるとカチンとくるようだ。自己欺瞞でがんばっていてもいつかはバレる、ということを示しているようだった。「ぜんぜん気にしてないよ」とか「俺は俺だから」って言ってる人に、測定器をつけてみたいなあ。あと、自分もあれやってみたいなあ。俺は何を言われたらキレるかな。って考えると悪口では本当のことを言ってはいけないね。逆に言っていい悪口を見つけるのも、人間関係を構築する上で大切だと思う。★今日の予告★さーて、来週のサザヱさんは・・・「サザヱのストパー」「フネの逆襲」「ワカメちゃん・オブ・ジョイトイ」の3本でお送りします。★今日の学研のおばちゃん(平安時代編)★「はい、今月の6年の雅楽」
2005年02月02日
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今日は寒いね。そりゃ雪も降るわ。★意外に科学は文学的だ★科学というのは、完璧に精緻な論理で構成されているかと思いきや、意外に文学的なところがある。この前、本で読んだところによれば、統計で、たとえ100%じゃなくても、95~97%がそうであるならば、「○○とは~~である」と言い切っていいのだそうだ。そうしないと研究が進まないらしい。言われてみればそうか。まずは大多数にあてはまる理論があって、そのあと例外が出てくる。例外があるからといって、その理論が「間違い」というわけじゃないのだ。科学と言えどけっこう文学的だなあ、と思う。「科学的に~」なんて言われると、正しいのかなあ、と思いそうになるけど、「大多数は~」くらいに思っておいたほうがいいね。だからやっぱ「例外のない法則はない」と思っていないとなあ。法則(理論)は有効だけれど、すべてではない。★今日の「来週のサザヱさん」★さーて来週のサザヱさんは・・・「カツオ、一本釣りされる」「波平、ヅラ疑惑」「アナゴさん、脱サラ」の3本でお送りします。★今日の料理★【梅チャーハン】いきなり思いつきでつくった梅チャーハン。ダジャレじゃないが、うめ~!!レシピを紹介します。一。チャーハンを作る。二。梅干しを混ぜる。※量はお好みで。★カウントダウン★愛・地球博開催まで あと52日。
2005年02月01日
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