☆バンコクの奇形児を抱えた物乞いのお話



私は空の仕事をしていたことを恥ずかしいけれど書きました。

(どうしても過去のことを書かないと表現ができないからです(/o\) )

フライトで行く先で色んなものを目にして

心に感じることが多くありました。



いちばん衝撃的だったのはバンコク滞在の際

ステイ先のホテルのそばに

向かいの大きなデパートに渡るための歩道橋があり 

その歩道橋の階段を登りきったところにいつも

小さな奇形児の赤ちゃんを抱えて

ただそこに座るお母さんがいたことです。



横に置かれた哺乳瓶にお金を入れる入れ物。

当時の私はただ赤ちゃんをこんなところに、、

こんな炎天下の暑い日に 

子どもを見世物のようにして

その時の私はただその現実だけを見て

物乞いをする彼女が許せなかったのです。

だからそこに寄付することはしませんでした。




しかし

娘が障害を持って生まれ

初めて私は自分の力で努力しても

どうしょうもないことがあることを知りました。


無気力になって生きる希望も持てなくなった時

私は初めてあの時の彼女の気持ちが

おこまがましいけれど 少しだけ解かったというよりも

いやただ心に感じたのです。


彼女はただ生きる気力をなくしていたのだと思ったのです。

ただそこに座ることさえも精一杯なのに

生きるために子どものために

ただ精一杯のことをしていたのではないかと。

あの時の彼女が仕事を得ることは難しかったでしょう。

いつもふたりだったからふたりぼっちだったのかもしれません。



ステイ中いつも彼女たちの姿はそこにありました。

私は自分自身が子どもの障害を受け入れる過程において

その後なぜか何度も あの暑いバンコクの感覚と

この親子のことを不思議にも思い出したのです。




あの子はどうしてるかな、、

あのママは、、、

ちゃんと生きていて欲しい、、。



今の私だったらどうするのだろう、、と思い出すたびに


心の中で考えました。


そしてなぜか何度もあのバンコクの


あの地にワープしたい行きたい気持ちになりました。



今の私だったらどういう気持ちを向けるのかな、、と。


きっと私はただ微笑んで


あの子を抱きしめていいかと彼女に聞くでしょう。


そして心からハグするでしょう。


あのママのことも。


そしてこころをこめてそこに寄付という上から


与えるようなことはしないと思います。


愛をこころこめて真心からのお金を入れるでしょう。


数日食べれるお金をという


カタチのエネルギーを。


そしてできるならば新しい衣服を。


そして彼女たちの祝福を心から祈るでしょう。


神様の愛とたくさんの天使たちのお守りを、、、と。




真実の愛だけが人の心を魂を揺さぶり


生きる気力となることを


私は愛する娘に教えてもらいました。



それは小さなただのきっかけ。


そのきっかけをどうしていくかは彼女次第だと思います。


そのままその生活を続けていくかもしれないし、


なんらかの生きる希望を新たに見出すかもしれません。


そんな小さなきっかけで


人生は驚くほど大きく変わったりすることがあります。


人との出会いは奇跡、実にミラクルですね。


私自身もこの数年後いくつもの出会いときっかけを通して


心を揺さぶられ 生きる気力を与えられ 自らが掴み


前を向いて生きてきたから


今があります。


心のつながりを大切にする、そんな素敵な友人たちとの出会い。


今与えられた現実は 私自身のこころが変わり


ひとつひとつを感謝して 超えてきた結果、



与えられたものだとすべてのことに心から感謝しています。




娘が生まれるまで私はすぐ人を見てジャッジしようとしていました。


こうだからこうと決め付けていたように思います。


物乞いの彼女のことも。



ジャッジすることはくだらないことだとある時気がついたのです。


色んな価値観があっていいのだと。


みんな違うのだから。


一人として同じ人はいないのだから。


大切なのは自分から湧き出てくる真実の気持ちだと知ったのです。


娘は私の心の成長を加速させるために


私のところにきてくれたのでは、、と思うときがよくあります。



なぜなら現実の私は一歩一歩涙を流して受け入れていくのが


精一杯なのに 



障害を持った子(しかも肢体不自由児)を


喜びで授かることをチョイスしている、


この人生を歩みますとチョイスしている 



生まれる前に自分で決めた、



前世の記憶が不思議だけれど



嘘みたいだけれど



私の中には確かに存在するのです。



そして娘は夢で見たとおりその日に生まれてきた事実。


いくつかの不思議な体験を通して


親子の絆をさらに強く私は感じることとなります。


どの子もママをしっかりと選んで生まれてきてるのだと思います。


泣き虫で泣き虫で大変だった我が子も


きっとこんな私をどこからか見て


選んで生まれてきてくれたに違いありません。



人生において無駄なことはひとつもない。


これが私が手に入れた答えです。


どんなこともです。


どんな壁もどんなつらいことも。


何かを気づくために自らが与えた壁で


答えは自らがすでに持っているのです。


すべては自分が生前にチョイスしたことだと私は信じています。


必ずどんなことがあろうと超えられるはず、、と思う


強い私も弱い私と一緒に存在しているのも事実。


私は今回この人生から何を学び


気づかなければならないのでしょうか?


現実の私は一歩一歩手探りで見つけて確認して


ひとつひとつの扉を自分の力で開けていきます。


私のしたいことは 娘を授かり


彼女との毎日の生活の中で色んなことを感じ


娘の車いすを押しながら


色んな思いをして


心にひとつひとつ色んなことを感じながら


泣いたり笑ったりしながら


日々クリアーになっていってる気がします。



(o^-^o)今日もありがとうございます!



こころをこめて

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