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しばらくバンコクに行っていました。 私がいちばん好きな国。 もう何年振りでしょう、、 見つけました!激安ツアー♪ う~ん久しぶりのバンコク、、笑顔が爽やかで気持ちがいい。。。 ささやかな新婚旅行です。 「ももかもいっしょに行こうね♪(*´ー`)(´ー`*)」と笑顔で言ったら 「ママたち二人で行ってきて おみやげよろしく バイバイ~~~(o^-^o)」 って(;_;) なんかすごく淋しかった、、~~~ でも何度も最終確認をしたけれど 彼女の気持ちは変わらずで そのチョイスを優先することに しました。 お泊りはおさとみたいな療育園。 久しぶりでなかよしの看護婦さんたちもいて 楽しかった様子。 「すごくいい子でした(o^-^o)(o^-^o)(o^-^o)」 「みんなで本当にお姉ちゃんになったねって言ってたんです」と 看護婦さん。 彼女はそこではかなりのいい子でした。 小さなこどもたちのお世話もしていたようです。 でも学校で 大好きな先生の前では めずらしく泣いたようです。 しかし私の前では お迎えに行ったらご機嫌で普通を装っていました(o^-^o) 小さな子が泣いていた話や クラスメートと行ったUSJで 乗り物に載れなかった話などを 普通にしてくれていました。 そして 「ママ手作りのカレーと ママ手作りの、、」と リクエストの嵐でした。 でも ももはももなりに きっと気を使って無理してたのかもしれない、、、 なあ。 あんなにママっ子のももだものね。 3月はママと旅行に行きたい みかん狩りをしたいと言っていました。 もうすぐ卒業。 卒業旅行に連れて行ってあげたいな、、。。。 お財布と相談して、、、☆ さてさて バンコクのこの旅の課題は 日常生活を忘れること。 そして心を癒す 「癒しの旅」 24時間もものことが離れない私。 いつも いつも いつも 「手放してこころを開放して 休んだとき 私は何を感じるんだろう? もう日本に帰りたいと思わないかもしれない? 本当は子育ても介護がはいると義務のように思ってる? どれくらい愛してるのだろう? どうなんだろう? 私はいいお母さんなんかじゃない ただ精一杯だった気がする。 生きていくことに。 でもそんな精一杯を常に楽しみたいと思い 生きてきた。 きたない部分の感情はどれぐらいあるのだろうか? いろんな自分も全部見つめたいなって思いました。 普段の生活を離れたとき 普段忘れていた色んなものが見えました。 まず 自分がかなり疲れていることを感じて もしかしたら何年も何年もそんなことに 気づかないように生きてきたことを感じました。 すっかり忘れていたことを 突然思い出したり いろんなこころに浮かぶ数々のこと、、 それを味わうというよりも さらっと流して そして 「今」を生きていることに焦点を合わせました。 今に焦点を合わせると まず感じたのは 愛情。 温かい友情。 ぬくもり。 目に見えないものばかりでした。 私と彼とは9歳の年の差があって あと何十年一緒にいられるかわからなくて 共に時間を共有できる時間は 天から与えられている時間だって思いました。 「君との時間は一分、一秒貴重なんだ。 無駄にしたくなくて だから結婚も急いだ。 まあ 僕は長生きするけどね 笑 でも もし僕がいなくなっても 僕はずっとそばにいるよ 永遠に・・・ そして君がちゃんと生きていけるように ずっと守っていく・・・」 そんなことをさらっと でも誠実に心をこめて言ってくれる人。 色んなものが見える素敵な友人によると 私と彼は前世でも何度も何度も出逢っているそうです。 お互いが思うことも許されない時代 悲しい最後をとげている。 お互いのビジョンに初期から浮かんでいた 12月24日という日。 なぜか心に浮かぶその日。 なぜこの数字がいつもみえるのだろう、、と。 私が決めたわけではなく 彼が決めたわけでもなく ビジョンにみえる12月24日という数字。 そしてヨーロッパの遥か彼方の遠い記憶。 それはどう説明したらよいかわからないけれど 私のなかの真実で充分だと思っている。 初めてあった瞬間に なにかわからないけれど 魂が震えた。 感じたことのない 不思議な感覚。 その日は二人がともにいつか生まれ変わったら 必ず一緒になろうと誓った日だと知った。 その日は今生で 本当に結婚記念日となった。 私たちはコンサート後の友人たちの前で 打ち上げを兼ねて人前結婚式をして 永遠の愛を誓った。 お互いの生き方が好きだから 共に生きたいと思ったから。 人前結婚式とは別に 近所の小さな教会で3人で厳かな式も挙げさせて頂いた。 それは自然についた道でした。 本当は挙げる予定ではなく ご近所の素敵なご夫婦である牧師ご夫妻に 入籍のサインをお願いしたところ 明日 サインの前に心からの祝福を捧げさせてくださいと 突然のミニ結婚式を挙げていただくことになった次第だ。 それが昨年の12月24日だった。 3本の美しいろうそくの光と共に クリスマスツリーが優しく祝福してくれていた。 3本のろうそくは 主人と私、そしてももかだと牧師夫妻からお話頂いた。 「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。 愛は高ぶらない、誇らない。 不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、 恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。 そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える」 (コリント I 13:4-7) その日 こんな話を主人から聞いた。(前回の日記に記した言葉です) 義理のお母さんが主人に行ってくださった言葉。 「ももちゃんを自分の本当の子と思い大切にすることが あなたが本当にしあわせになるということだよ ももちゃんは二人を結びつけたエンジェルなんだから 絶対に粗末にしてはいけない。 生涯大切にしていくように、、」と。 そんな話を聞いて涙があふれたのです。 私たちは過去世で夫婦を繰り返しているらしい。 であったときも よくわからない不思議なものを感じ 何かに動かされているように 私たちが直感で見たビジョンは すべて現実化していった。 もしかしたら私たちは自分で決めているようで 動かされているのかもしれない。 最高のクリスマスプレゼントを与えてもらったと思うし 未来 先にどちらかが逝ってしまったも クリスマスが近づくたびに 世間はしあわせ気分に包まれていて たとえ老いて ひとりぼっちになっても いつか来る未来、この時を思い出し 孤独に感じないように 彼がプレゼントしてくれたように思うのです。 永遠のパートナーであると信じたいです。 最近出逢う人はみんなつながっていて 本当に驚くことが多いのだけれど 改めて ももか主人そしてすべてのお人とのご縁に感謝の気持ちがあふれました。 いままでいかに守られてきたか。たくさんのお人のぬくもりを感じることができて生きて来れたか。普段の生活がいかに恵まれているか。 生きていること 生かされていること。 私は平凡であることがいちばんしあわせだと思っている。 彼も私も一度病気で死に掛けている。 今 生きていることが奇跡だと思うのです。 今 ここにいられることがただただ ありがたいと思うのです。 いのちの輝きと 与えられた時間、、、 この星に生まれて 与えられた時間の中で 私は何を残せるかな、、 そして与えられた気づきは 周りの人を大切にすること。 自分や家族を思うように 出逢いひとつひとつを大切にすること。 与え 与えられ 愛し 愛され 癒し 癒され 生きて 支えられ 宇宙から見たら とても小さな星にこうやって縁あって 時を同じくして生まれた私たちなのだから、、、と。 今日も生かされている一日をありがとうございます。 日本から遠く離れて 感じたのは 車いすの娘 ももかへの深い愛情。 私はもものママになれてよかった、、、 早く逢いたくて逢いたくて逢いたい病になった私でした。 ママ業もリフレッシュできました。 愛情もまたあふれて 可愛くて仕方ありません、、 PS 19才からずっと夢だった象さんに乗りました。 いまいくつよ 笑 象さんの背中は硬くてごつごつした感じでした。 活発な象さんだったので 楽しいわくわく半分 落ちるかもって怖さ 実はいっぱい そしてはじめてのドキドキ感でいっぱいでした。 振り落とされるかと思った場面も、、 ぞうさんの調教には かなづちの先がとがったのを 使うのにはびっくり。 それ痛いよ~~~ でもぞうさんかなり硬いから それぐらいじゃないと 全然響かないのかもしれない、、なあ。。。 感じる感度が違うのかもしれないなあ、、、。 喧嘩したり 笑ったり 泣いたり 大忙しな旅行でしたが ふと気がつくと どんなつらいときも そっと支え 大変と思われることも むしろ楽しんで共にチャレンジしたいと 笑顔でいろんなことに参加する主人。 仕事をしながらも いくつも色んなことをやりながら しかも私たち二人を支え かなりのタフな人です。 どんな気持ちをぶつけても そのままに 私も受け入れてくれる 主人にただただ感謝です。 いつもありがとう、、と そっと日記に気持ちを記しておきたいと思います。 感謝をこめて
2008.02.08
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思い切って今までなかなかできなかったことを勇気を出してトライしました。そう「できない」と思い決めつけていたのは自分でした。ずっと「そうしたい」と思いながらできなかったのは所詮無理とこころのなかで無意識に思っていたからだと思います。でもビジョン、目標として必要と自らその壁を乗り越えるために実は自分自身のこころのなかには描いてきたように思います。無理と思う自分から、、壁を越える。越えたい。越えよう。できる。やってみよう。自分を信じよう。そう自分を信じる。「気づいて」行動化。「できる」と信じて行動化。気づく→行動化→気づく→行動化人生ってどうとでもいきることはできますが何かを目標に掲げ自分を変えていきたいならばその繰り返しの気がします。自分の周りで起こっていることは偶然なんてひとつもなくて必然、、、現状は鏡の法則そのものだと感じます。「あなたは本当にそれがしたいのですか?」と何度もカタチをかえて随分長い間聞われてきた気がします。そして色んなカタチで試されながらも小さなことにつまずいて転んでひとりぼっちを感じてみたり人のぬくもりを感じたり、、振り返ると必ず素敵な出会いを与えられてきた気がします。小さなことのつみかさねの毎日、、きづきを与えられ感謝、ありがとう、感謝、ありがとう、、の気持ちがこころのなかで風船のようにふくらんでいきました。小さなことがしあわせだなあ、、(*´ー`*)☆今日もありがとう、、、失敗してもそこから気づいてアリガトウ、、今日はこれができたよ ありがとう、、、そんななか最近自分の中であるしっくりできなかった答えが突然解けました。なんだか神様に与えていただいた気分でした。それも自らが絶対に説きたいと長年強く思ってきたことです。そして解けた答えはただの答えからわたしの心の中で強さへと少しずつ変わってきています。ミラクルがいくつか起こり始めている気がします。ミラクルを起こす鍵、、なにか法則があるような気がします。それは行動化するなかに感じることなのですが起こり始めるとありえないことが次から次に起こります。そこに愛と調和があるかが大切だと長い間いろんな思いをして気づきました。宇宙の波動と同調する。謙虚に気づいて行動化だと思うのです。途中まるで試されるかの如くいろんなことがおこります。無理だと落ち込んでみたりします。でもその時本当に自分がそれをやりたいのかがわかるのだと思います。そして普段当たり前になっている与えられていることへ心から感謝できるのだと思います。プラスもありがたいことだけどマイナスもプラスへ向かうために心のきづきを与えてくれる大切な時間でありプレゼントだとわたしは思っています。心をこめて←よかったら応援クリックよろしくお願いします♪(o^-^o)☆☆楽天ブログランキングにもぜひ一票♪お願いいたします。ありがとうございました(*´ー`*)☆.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜☆.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜.:*:'゜☆.:*:'゜愛情一杯☆ぱんだ家のおやこ遊びから生まれました(*´ー`*)☆ 体験から生まれた、こころを育てる工作キットです。21世紀を羽ばたく豊かな人間性(個性・感性・こころ・創造性)を育てます。思うだけではなく考えて行動化できる子へ導きます。
2006.07.05
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皆様のお陰で昨日のアマゾン大作戦☆結果は午前の3万位から夜にはトップ11位まで上がったそうです。1位のハリーポッターはさすがに高く飛んでるようで 笑トップ10入りはなかなかの厳しさでした(*´ー`*)☆でも一時ビジネス書ランキングでは一位になったそうです(o^-^o)皆さん本当にありがとうございました。心から感謝しています実は私にはとてもたくさんのハッピーなことが起こりました。大切な友達だけれど日々の忙しさで疎遠になっている友達たちに勇気を出して(〃´ー`〃) ご挨拶メールを送ったことで即行☆お返事をくれた友達。近況や「すぐ見てみる!」とレスしてくれた友達。長い長い心のこもったメールをくれた友達、、、みんなの温かさをこころいっぱいに感じることができました。またみんなとつながることができてとっても嬉しいです(o^-^o)そんななかのひとつ、、昨夜こころにじ~んとしみたメールをご紹介させて頂きます。(ご本人の了解を頂いて♪ありがとうね*´ー`*)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー○ちゃんの頑張りを見るたびに、私たちも何かできないかなって思っていたんだ。でも何にも思いつかなくてね。。。。そしたら、ある人に、「身近な人からでもいいから、うちのだんなとわたしの得意な楽しいツアーを少しでもたくさんの子供たちに広げていって こころの豊かな子供に育てる小さな思い出作りに貢献してもいいんじゃないか」っていってくれるひとがいて、そんなことでも役にたつのかなぁなんて漠然とおもっていたのね。あ、そうそう、上記のツアー(勝手にツアーなどと言っているけど)にね、ダウン症を持った子が一人参加したのね。もちろん親のサポートなしでは達成できなかっただろうけど、子供たちが彼をごく自然に、そして一生懸命サポートしててね、彼もとっても楽しかった らしくて、本当に素敵な夏休みを私もすごさせてもらったの。ももちゃんの行動範囲が私には詳しくわからないのだけれど、もしよかったらいつでも気軽に遊びに来て!みんなで楽しみにまってるからね!○ちゃんは一人でいままで頑張ってきたじゃない。確かにもしあの当時私が状況を知らされていても、一緒に泣くか、慰めるかぐらいしか できなかっただろうし、今だって何もできることはないのだけれど、でもね、ずっと心配してたんだよ。ももちゃんの年賀状、毎年楽しみにしていたのに、3年目から急に来なくなって。 (←大阪へ引越して0からの出発の頃)あれからずっとずっとずっと心配していました。連絡が取れてからは、驚きの連続だったけどね。何が?って、いつも「○○○」って私の後ろで、ニコニコしてるか泣いてるかだったかよわい○ちゃんが、とってもとってもたくましいママになっていて。これほど驚いたことはなかったよ。母の強さってやつを見せ付けられたかんじだったな。何もしてはあげられないけど、友達はずっと、いつだって、かわらずいますよ。ここに。今もたくさんの人たちに支えられて頑張っていることと思いますが、忘れないでね。少なくとも私は、昔とかわらずボケーと何もかわらずここにいますから。夢を目の前に実現していっているあなたが人間としてとってもうらやましく、そして尊敬していますよ。頑張ってね!私も今、東京で頑張っています。.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜☆.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜.:*:'゜☆.:*:'゜~子どものこころはボーダレス(*´ー`*)☆~ぱんだハウスから生まれた教材☆応援してね←ランキングへこころのことも親子で楽しく遊びながら学べたらいいのにね♪☆こころのバリアフリーを楽しく学ぶおもちゃのような教材☆手作りバリアフリー教材の情報はこちら→ 大切なこころのことを遊びながら学ぶことができるおもちゃのような教材親子で心をこめて作成しました(*´ー`*)☆
2006.03.14
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123da---さんやもちもちもっちさん、、、など今いくつかのサイトでも皆さんがご紹介されている鏡の法則大切な皆さんにもぜひ知って頂きたいと思います。新年早々泣いてしまいました。こころにじ~んときすぎて すぐに紹介できませんでした。私のこころに感じるものがたくさんとてもありました。気づきがいっぱいありました。こころが洗われました。読んでみてください。心をこめてぱんだ家に一票←ブログランキング
2006.01.11
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どんなつらいことも必ず乗り越えられると信じて負けないで欲しいということを実体験を通してかきたいと思う。誰にも話さなかったこと。そして自分の力で超えたこと。☆ブログランキング☆まずは(o^-^o)←クリック♪で応援よろしくお願いします♪.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜☆.:*:'゜☆.:*:'゜今朝早起きをした。朝日がとってもきれいな夏の朝。こんなにセミが鳴いていたなんて知らなかった。あまりに美しく感じてただただしあわせだな、、と思った。夏をそのままに感じられるということはなんてしあわせなのだろう。私は過去を振り返り自分のチカラで乗り越えたと感じて優しく微笑んだ。.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜☆.:*:'゜☆.:*:'゜私にもなかなか超えられない過去があった。8年前 毎年大好きなはずの夏が来るのが急に怖くなった。特にお盆の時期が近づくとセミの声が聞こえ始める夏が来ると急に胸が苦しくなった。セミの鳴き声や夏の感覚を身体が感じると宣告のときのあの時にワープする。呼吸が苦しくなった。また楽しいことをしていてもその感覚を体が感じると勝手に意識がそこにワープしてフラッシュバックが起こった。急に誰にも会いたくなくなったり外にでたくなくなった。大丈夫、、大丈夫、、と深呼吸をして自分を落ち着かせた。なぜそうなるのか 私は理由を知っていたからだ。答えは必ず自分の中にある。他ではなく 必ず自分に。何かに依存してはいけない。その理由はこれだ。愛する娘が生まれてしあわせな時を過ごしある日 突然に私の心は深い悲しみの底に落ちた。障害宣告を受けたのが生後半年の夏のお盆の時期だった。その宣告を受けた日、医師の話を静かに聞きながらこころはあまりのショックで深く傷ついた。出産時のトラブル?脳に酸素欠乏の跡?のうせいまひという障害をもったその理由は原因不明だった。色々な病院に行った結果出産時へその緒が首と肩に巻きついたのが影響しての可能性が高いと言われている。しかし出産時に私が彼女を傷つけたのかもしれない、という自責の念で私は苦しんだ。そして女として母として 私はちゃんと子どもを生むことができないのか?と自信をなくした。原因がわかってもショックだっただろう。原因がわからないというのも色々と憶測してつらいものだ。結果自分をどこまでも責めるカタチとなった。自分で自分を追いつめた。愛する我が子、愛おしいからこそ我が子の未来を変えてしまったかもしれないと自らずたずたに傷つけた。罪を感じて 自分の心をえぐるように自分で傷つけた。私は自らを許すことができなかったのだ。当時 何度私は心の中で娘に「ごめんなさい」を繰り返しただろう。人は本当につらい時は涙も流すことができないことを私はうまれてはじめて知った。涙がぽろぽろと流れるまでにはずいぶん時間がかかったと思う。そして努力しても自分の力ではどうしょうもならないことがあることも私は知った。なんて人間は無力なのだろう。なんて私は無力なのだろう、、と。実家の娘が生まれたしあわせな日々を過ごしたお部屋。ただそこを見るだけでも当時の私はつらかった。朝が来て 現実を思い出す。夢だったらいいのに、、と思った。「神様 わたしには超えられません」と思い空みてもその空の青さが目に心に痛かった。この世には神様なんていないにちがいないとさえ思った。娘が障害宣告を受けた頃最初に泣いたのは母だった。娘、そして孫を不憫に思ったのだと思う。「私は大丈夫だから」私は泣かなかった。いや 泣けなかったのだと思う。私は親の前では決して泣かなかった。それは心配をかけては親不孝だと思っていたからだと思う。遠くに嫁いだ私。電話口で「何も手伝えなくてごめんなさいね」と泣く母を見たくないから私はいつも元気な私でいた。我が親は本当に私が大丈夫だと思っていたらしい。こんなに弱いのに。私は親の前でも泣けない私は子どもの頃から手のかならないいい子をずっとしてきた。だからどこまでもいい子である私がいてそんな私が悲しかった。ある日たまたま言った小児科で若い看護婦さんに言われた。娘を抱いてきっと宣告を受けたばかりの頃の私は不安な顔をしていたのだろう。「障害児のお母さんはみんな明るいのよ」きっと励まそうとしてくれたのだろう。でも私の心はこう叫んだ。「じゃあやってみて」と。でもいえなかった。どうして障害児のお母さんはみんな明るくないといけないのですか?そう思いながらも 誰にも心配をかけないために明るくしている私がいた。障害があるとわかると人は言う。「まあじゃあ手に職をつけてあげないとね」どうして障害があるとわかるとそうなんですか?まだ赤ちゃんなんです。障害があると特別な人にならないといけないのですか?大きくなってベビーカーに乗っていると大人たちは本人が目の前にいるのに平気で聞いてくる。「この子どこが悪いの?」なんて無神経なのだろうか。そこに子どもがいるのがわからないのだろうか?赤ちゃんだから子どもだからわからないと思っているのですか。子どもはじっとただ大人の言葉をそのままに聞いているというのに。こどもの心を平気で傷つける大人たちが私は許せなかった。こころを傷つけないで下さい、、お願いだから。でも私は明るく言わなければいけない。そんなことにそして第三者の目や言葉に疲れ果てていた。でも私の周りの人たちはこれっぽっちも私がそんなことを思っていたり感じているとは思わなかったと思う。私はきっと元気で明るい一生懸命なお母さんに映っただろう。たしかにいつも一生懸命だったしよく誉められもした。でも 誉められても何が変わるわけでもなく虚しい想いがこころに広がった。何かをしていなければ私はさらにくずれていった気がする。あの頃の私の心はガラス細工みたいだったと思う。しかもそのガラス細工はキズキズにキズがはいって今にも割れそうなのに割れないようにとどまっているような状態だった。割れたくても割れなかった理由は娘に手がかかったからだ。娘は過敏で一日に何十回と泣いた。生後3ヶ月からの強い人見知りで私以外を一切受け付けなかった娘の育児は3人の育児よりも大変なものと当時3人の子を育てるママに言われたが それくらい今振り返ってもあの頃はよくやってたと思う。私は私の心をみる余裕がほとんどなかったし逆に見ないようにしていた。それでも感じるなにかの感覚で突然毎日のように 宣告を受けたあの時にフラッシュバックを繰り返した。それくらいにこころは傷ついていたのだろう。そして夏はプラスして苦しくなった。ある日勇気を出してはじめて心療内科たるものに行ってみた。それが最初で最後となったが。親友が変なところに行ったらだめだからついていくと行ってくれたが私は一人で行った。自分のチカラで前に進まないといけないと思ったからだ。続く.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜☆.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜.:*:'゜☆.:*:'゜ココロのバリアフリーを伝えるおもちゃ&絵本実現化に向けて♪(o^-^o)☆ブログランキング☆クリックで応援してください。みなさんの気持ちがとっても励みになっています。
2005.07.21
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ブログランキングに参加中です♪応援してるよ~♪と思われた方は(o^-^o)←ココをクリックで一票よろしくお願いします。.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜☆.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜.:*:'゜☆.:*:'゜昨日 学校の担任の先生との懇談があった。もも100ます計算もずいぶんゆっくりだったが折れ線グラフを見ると4倍近くスピードが上がったらしい。障害があるから、手が不自由だからと決め付けては何も生まれないし何もできない。数字も上手くかけなかったけれど本当にがんばって毎日積み重ねて かけるようになってきた。 最近は枡の中にもほぼ納まるようになってきた。驚くのは漢字だ。まだまだ読める字と読めない字があるけれど私には読める字がとっても増えてきた。プリントのところどころにかすれた鉛筆線が入っている。みんなにはいたずら書きのようにしかみえないこの線。実は手がぶれたり 何度も鉛筆を落として自分で持ち直したりした時につく線。これは一枚のプリントに時間がかかってもひとりで彼女が努力してがんばった証だ。全く手が動かないところから私は彼女を見てきた。無理だときめつけたら何も生まれない。1%の可能性でも可能性があるならば直感を信じたい。自分の心がやりたいならば私はその可能性にかけたい。娘とともに色んなことにチャレンジしていきたい。突然 障害児の母となったわたし。だからこそ見える世界がある。みんなには見えないものが見える。これをプラスと見るかマイナスと見るかで生き方は大きく変わってくると想う。悩んだ時期がありそして今の私は私は思いっきり娘とそのままの私とそのままの娘を受け入れどんなことも楽しみたいと思っている。時には弱くなって泣いたり落ち込む日もあるけれど私らしい私でいつもいたいと思っている。過去のどんな時を歩いてきた私よりも今の私が素直で楽しく私らしく生きているからいちばん好きだし私らしいからしあわせだと思う。あんな弱かった泣き虫の私が誰にも会いたくないと思っていた私が9年後 バリアフリーなおもちゃや絵本を作成しようと思って動き回っているなんて思いもしなかった。人生はどこでどうかわるかわからない。まったく先が見えないけれど私は自分を信じて前を向いていきたい。小さなことに感謝して小さなしあわせをいつも感じられる私でありたい。ふわっと優しくみんなのこころを潤していきたいな。優しく優しく、、みなさん今日もありがとう。.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜☆.:*:'゜☆.:*:'゜♪.:*:'゜.:*:'゜☆.:*:'゜☆ブログランキング☆クリックで一票よろしくお願いします♪ココロのバリアフリーを伝えるおもちゃ&絵本作りみなさんのお気持ちがとても励みになっています。
2005.07.14
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人気ブログランキングに参加中です♪応援してるよ~♪と思われた方は(o^-^o)←ココをクリックで一票よろしくお願いします。みなさんこんにちは私は今北海道にいます。(驚いた?すみません、、いつも娘とともにこんな感じの私です)娘ちゃんからお許しを頂き、、一人旅なわたし。誕生日割引のチケットだけをもって風のままに気の向くままに一人旅。昨日は千歳から入りまして電車に揺られて景色を見ながら旭川へ。いつか娘と行く約束をしている日本一の来園者を誇る人気の動物園旭山動物園を下見しました。車椅子の方々がたくさんいらしていました。退院したらいこうね、、もも。昨夜は上富良野と美瑛の間にある木の香りがいっぱいのペンションへ。同じ一人旅の女性。ご家族3人で北海道旅行を楽しんでいるという仲良しご家族との素敵な出会いがありました。木だけでできているペンション。広いリビングに大きなブランドピアノ。すばらしい安らぎの空間。まるでそのまま続くように大きな窓の向こうには美瑛の美しすぎるほどの自然がそのままに広がっています。美しい畑と高い空。雲。あいにくの雨だったけれどただその景色をみているだけでそれだけで安らぎました。知らない間に傷ついたり私のこころは疲れていたのだな、、と気づきました。どんなに忙しくともたまにゆっくり休暇をとり自然を感じたり自分を省みる時間をとることは大切だと感じました。ちっぽけな自分。大きな自然、そしてその力、、私でもできることを精一杯がんばることが大切なのですね、、、リフレッシュすることでまた優しく前を向いていける気がします、、夜 大きな大きな窓から美瑛の自然の景色を見ながら私と同じ世代のオーナーご夫婦のクラッシック生演奏を聞きました。(そのレベルの高さに驚きました)ママは今、自然の木々やお花にそしてそのただ存在する安らぎの中でこころを洗ってもらっています。ももちゃんありがとう、、そしてみなさんいつもありがとうございます。北海道 美瑛より日頃の感謝と愛をこめて、、☆ブログランキング☆クリックで一票よろしくお願いします♪ココロのバリアフリーを伝えるおもちゃ&絵本作りみなさんのお気持ちがとても励みになっています。いつもありがとうございます。
2005.07.07
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今日は長編の3つをお届け♪(o^-^o)ちょっと長いけれどさらさら読めちゃいます。これがあって今の私があります。ひとつひとつの心の気づきと学び、、(o^-^o)よかったら読んでください。真実の記録~心のバリアフリーを学ぶための教材化までの道~◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇障害を持つ娘が生まれる前 私は空の仕事をしていたことを恥ずかしいけれど書きました。(どうしても過去のことを書かないと表現ができないからです(/o\) )フライトで行く先で色んなものを目にして心に感じることが多くありました。いちばん衝撃的だったのはバンコク滞在の際ステイ先のホテルのそばに向かいの大きなデパートに渡るための歩道橋があり その歩道橋の階段を登りきったところにいつも小さな奇形児の赤ちゃんを抱えてただそこに座るお母さんがいたことです。横に置かれた哺乳瓶にお金を入れる入れ物。当時の私はただ赤ちゃんをこんなところに、、こんな炎天下の暑い日に 子どもを見世物のようにしてその時の私はただその現実だけを見て物乞いをする彼女が許せなかったのです。だからそこに寄付することはしませんでした。しかし娘が障害を持って生まれ初めて私は自分の力で努力してもどうしょうもないことがあることを知りました。無気力になって生きる希望も持てなくなった時私は初めてあの時の彼女の気持ちがおこまがましいけれど 少しだけ解かったというよりもいやただ心に感じたのです。彼女はただ生きる気力をなくしていたのだと思ったのです。ただそこに座ることさえも精一杯なのに生きるために子どものためにただ精一杯のことをしていたのではないかと。あの時の彼女が仕事を得ることは難しかったでしょう。いつもふたりだったからふたりぼっちだったのかもしれません。ステイ中いつも彼女たちの姿はそこにありました。私は自分自身が子どもの障害を受け入れる過程においてその後なぜか何度も あの暑いバンコクの感覚とこの親子のことを不思議にも思い出したのです。あの子はどうしてるかな、、あのママは、、、ちゃんと生きていて欲しい、、。今の私だったらどうするのだろう、、と思い出すたびに心の中で考えました。そしてなぜか何度もあのバンコクのあの地にワープしたい行きたい気持ちになりました。今の私だったらどういう気持ちを向けるのかな、、と。きっと私はただ微笑んであの子を抱きしめていいかと彼女に聞くでしょう。そして心からハグするでしょう。あのママのことも。そしてこころをこめてそこに寄付という上から与えるようなことはしないと思います。愛をこころこめて真心からのお金を入れるでしょう。数日食べれるお金をというカタチのエネルギーを。そしてできるならば新しい衣服を。そして彼女たちの祝福を心から祈るでしょう。神様の愛とたくさんの天使たちのお守りを、、、と。真実の愛だけが人の心を魂を揺さぶり生きる気力となることを私は愛する娘に教えてもらいました。それは小さなただのきっかけ。そのきっかけをどうしていくかは彼女次第だと思います。そのままその生活を続けていくかもしれないし、なんらかの生きる希望を新たに見出すかもしれません。そんな小さなきっかけで人生は驚くほど大きく変わったりすることがあります。人との出会いは奇跡、実にミラクルですね。私自身もこの数年後いくつもの出会いときっかけを通して心を揺さぶられ 生きる気力を与えられ 自らが掴み前を向いて生きてきたから今があります。心のつながりを大切にする、そんな素敵な友人たちとの出会い。今与えられた現実は 私自身のこころが変わりひとつひとつを感謝して 超えてきた結果、与えられたものだとすべてのことに心から感謝しています。娘が生まれるまで私はすぐ人を見てジャッジしようとしていました。こうだからこうと決め付けていたように思います。物乞いの彼女のことも。ジャッジすることはくだらないことだとある時気がついたのです。色んな価値観があっていいのだと。みんな違うのだから。一人として同じ人はいないのだから。大切なのは自分から湧き出てくる真実の気持ちだと知ったのです。娘は私の心の成長を加速させるために私のところにきてくれたのでは、、と思うときがよくあります。なぜなら現実の私は一歩一歩涙を流して受け入れていくのが精一杯なのに 障害を持った子(しかも肢体不自由児)を喜びで授かることをチョイスしている、この人生を歩みますとチョイスしている 生まれる前に自分で決めた、前世の記憶が不思議だけれど嘘みたいだけれど私の中には確かに存在するのです。そして娘は夢で見たとおりその日に生まれてきた事実。いくつかの不思議な体験を通して親子の絆をさらに強く私は感じることとなります。どの子もママをしっかりと選んで生まれてきてるのだと思います。泣き虫で泣き虫で大変だった我が子もきっとこんな私をどこからか見て選んで生まれてきてくれたに違いありません。人生において無駄なことはひとつもない。これが私が手に入れた答えです。どんなこともです。どんな壁もどんなつらいことも。何かを気づくために自らが与えた壁で答えは自らがすでに持っているのです。すべては自分が生前にチョイスしたことだと私は信じています。必ずどんなことがあろうと超えられるはず、、と思う強い私も弱い私と一緒に存在しているのも事実。私は今回この人生から何を学び気づかなければならないのでしょうか?現実の私は一歩一歩手探りで見つけて確認してひとつひとつの扉を自分の力で開けていきます。私のしたいことは 娘を授かり彼女との毎日の生活の中で色んなことを感じ娘の車いすを押しながら色んな思いをして心にひとつひとつ色んなことを感じながら泣いたり笑ったりしながら日々クリアーになっていってる気がします。(o^-^o)今日もありがとうございます!こころをこめて
2005.06.08
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私はいつもどう転んでも「よかったな探し」をします。昨日体調を崩してよかったな、、と思いました。なぜって?私は体調を崩すと必ずその後たくさんの気づきがあります。日頃の当たり前の生活が決して当たり前ではなくてなんて守られていてしあわせなのだろうと。普段当たり前になって鈍くなっていることを再確認します。そして反省すべき点をはっきり心に感じてどうやったらプラスにしていけるかをよく考え見つめることができるチャンスになるからです。どんなこともチャンス♪私のなかに「不幸」や「アンラッキー」はひとつも存在しません。どんなことにも必ず学びと気づきがあることを私は知っているからです。そして小さなしあわせを数えられることは本当にしあわせなこと、、、耳が痛くなって ももちゃんのお話をちゃんと聞いていたかなこころで感じていたかな、、と反省して どうしてあげたらもっと彼女が楽しめるのかな、、と。そうそう私はももちゃんはももちゃんのままであなたのままでいいといつも思っているのに山のような宿題と数ヶ月のちに普通小学校へ復学するプレッシャーで補助もほとんど全くつかない状態ということでチカラをつけなければ、、と無意識に焦っていたのだと感じました。来週は計画を立てて楽しくゲームのように遊んで学べるようにママも考えるね。楽しい思い出になれるくらい楽しいやり方をママなりに考えるね。次にももちゃんに会えたときに「ももちゃんごめんね」を言おうと思います。子どもと言えども「個」があるからです。悪かったことは悪かったと認めてちゃんと伝えたいと私は思っています。 一生懸命頑張ってることを誉めて ママが焦っていたことを誤りたいと思います。 一緒にわかんないところを教科書見ながら 繰り返して何度でも何度でもやってみたいと思います。 時間はまだまだ十分にあるのだから、、、と。 もものペースでゆっくりと積み重ねていきたいと思います。すべてはママの私だったと思いました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇私の心は今しあわせを感じてありがとう、、て感謝の気持ちでいっぱいになりました。体調を崩したお陰♪(o^-^o)しあわせは遠くにあるのではなくてこうなったらしあわせと条件をつけるのではなくてもうすでに与えられているもの。毎日のないげない生活の中にたくさんそれはたくさんちりばめられていています。マイナスを見るのではなくたったひとつでも光るプラスを見はじめるとプラスを数え始めます。しあわせ探しをしていると笑顔になってしまいます。ものの見え方が違ってきます。自分自身の気持ちの設定次第で不思議なことにまわりがすべて変わっていきます。重い肉体をまとっているけれど本当は誰もがきらきら輝く光、、、の存在。すべての人が輝くことができるのです。そして光輝くことを自らがチョイスしない限り絶対に輝くことはできません。すべては自らのチョイスです。私は娘の内側の光をどう輝かせてあげるかが大きなそれは楽しいママとしての過大だと思っています。今日もありがとうございます。こころをこめて(o^-^o)
2005.06.07
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~2ヶ月ほど前にお絵かき消失で娘が芋バンで作成した絵です(o^-^o)私も大きな木のようにずっしりと根をおろしてどんなことにも動じない優しく強い母親、人間になりたい~☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆木々の音を聞いたことはありますか?聴診器で音を聞くと「どくどくどく、、、」と音が聞こえるそうです。その話を聞いたとき私はとても感激したのです。人間と同じように木々もまるで心臓の音のようにどくどく音がするなんて素敵ですね(o^-^o)私も試してみたい、、本当にどんな音が聞こえるのかな?人間と同じように木も花もそのままにそこにしっかりと根を下ろし、一生懸命その時を生きている。自分らしくそのままに。精一杯そのままに。枯れても枯れてもまた蕾ができて毎年美しい花を咲かせる。精一杯花咲かせて散っていく。そのくりかえし、、、そしてその輝きは私たちの心を優しく癒してくれます。いろんな花があるから美しくていろんな木々がそこに優しくいてくれて心が安らぎます。小さくても精一杯咲いてる花が私は大好きです。どんな状況におかれていてもその人らしくプラス波動で今この時をきらきら輝いて生きることが大切だと木や花たちが教えてくれているようです(o^-^o)☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆私の大切な友人が育てている観葉植物の鉢植えはすべて十年選手だそうです。10年も?驚いてしまいました。いつも声をかけ気持ちをかけて育てているそうです。そしてそのなかのひとつが去年美しい花を咲かせたとのこと。(o^-^o)その咲く花の時期もそれぞれ 素敵だなあと思いました。その話を別の友人にしたらなんとその友人の実家には30年選手の大きな観葉植物の鉢植えがあるそうです。驚いたけれど鉢植えはこうあるもの、すぐにだめになってしまう、、などの勝手に作った概念があったのだなあ、、と反省しました。愛情をかけたらさらにさらに素敵に育つ草花たち。人間にはさらにもっとすごいチカラがあるのでは、、と私はいつも思っています♪(o^-^o)これから美しい春の花があちこちで見れますね♪この新しい生命の誕生、花が咲き乱れる春から夏にかけての季節が私は大好きです。みなさん 素敵な春をお迎えください(o^-^o)今日もありがとうございます。
2005.03.27
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☆美しき人☆ 障害児を抱えた両親は誰でも一度は「この子を連れて、、」などと思ったことがあると思う。私もかな~り昔 そうそう障害宣告を受けた頃 後ろ向きになった時期がある。どうやって生きていったらいいのかと、、、それは今思うと先が見えない不安から未来が描けなかったからだと思う。先日のこと、、ある障害者の先輩ママとこの話をしていた時彼女は一度もないと即言い切った。そして優しく微笑んで言われたのです。「私は障害を持つ○○を授かる前に生まれたばかりの赤ちゃんを亡くしているの」それは 生後2日しか生きることができなかった命。彼女は色んな気持ちを経験し命がいかに尊いかを身を持って体験したと言った。「だから○○が障害があるとわかったときに もちろん大変ではあったけれど、、 でも生きてる 生きてるから それだけでいいって」「亡くなった子にはしてあげたくても何もしてあげれない、、、 でも生きている子には何でも 本当に何でもしてあげられるから、、」と。 「亡くなった子にはお線香あげるしかできへん」 「お線香炊いてたらなあ 家のなか けむたいだけやんか・・」 と最後には笑わせてくれた。 そして最後の彼女が言ったことそれは「あの2日だけ生きてくれたあの子のお陰で私は越えてこられた」と。天使になった赤ちゃんはたった2日だったけれど彼女は想像できないほど受け入れがたいつらい時があったと思うけれど人として成長する大きな機会をたしかに与えられた。「たった2日しか生きなかった子」は彼女の人生に大きな影響を与えた。彼女の生きるパワーとなり偉大なる仕事をこの世で成し終えて天に帰っていった、、、偉大な存在だと思う。私は人の命はその長さではなくいかに周りの人の心にその存在を焼き付けるかだと私は思っている。小さな天使たちの役割はすごいと改めて思った。 生きているということも決して 当たり前のようだけれど本当に当たり前ではない、、、彼女の優しい笑顔と温かさ、、内面からあふれる愛情と強さが伝わってくる。なんて美しい人なんだろうと私は思った。娘の笑顔が浮かんだ。 ママはあなたのために何をしてあげれるかな、、、
2005.01.27
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人生を左右したふたりの医師の言葉 娘が障害宣告をされた生後半年の夏。あれから早いもので8年もたちました。抱きしめると愛おしくて、愛おしくて、かわいくてしょうがない、大切なわが子でも 目に見える現実あの頃の私はただ「なぜそうなったのか」ばかりを考え、ちゃんと生んであげれなかった、自分を責めて責めまくり その頃の私は「できないこと」ばかりを数えていました。無神経な大人たちの言葉や視線、小さなことに傷つき自分のこころを見ないようにした時期もありました。「僕が見る限り異常はありません。お母さん 大丈夫です」そう言っていた医師が 数ヵ月後「こんな悪いと思わなかった、、、」 それは 脳のMRIを見ながら医師がつぶやいた言葉。新聞にもよく名前がでるある有名な医師ある有名な医大小児科での出来事でした。その言葉は深くそれはふかく私の心に突き刺さりました。私は娘を抱っこしてその日どうやって帰ったかわかりません。その医師のなにげない言葉で 私は生きる気力を無くしました。何のために生きるのか、この先どうやって生きていけばよいのか、、目に入ってくる健常児の成長は こころにとても痛かった そんな時期でした。初めての子育てと過敏な子ども。療育と「普通」と言われる子育てとのギャップ障害を持つ過敏な子どもを抱えての無意味とも思える病院の検査と通院 日々の訓練、先の見えない不安 座らない首、全く動かない手足 未来になかなか希望を見ることができませんでした。そんななか明るく笑顔でいなければいけない、、遠くに住む両親に心配はかけたくない、、私は生きることに疲れ果てていました。過敏で私しかだめで泣きじゃくる子ども。体重計に乗るたびに1kgずつ減っていく、、激やせしていく自分。ベビーカーを押しながら何度も何度も倒れそうになりました。でも誰にも助けを求めることができませんでした。それは過敏で泣いてばかりの私しかダメなこの子を見れる人がいなかったからです。主人は仕事が忙しく 育児はすべて私でした。働いていたほうがどれだけ楽だろうかまた働きたい、、、一日でいいから思いっきり眠ってみたいただ何もかも忘れて眠ってしまいたい、、、その頃 子どもが眠ってからいろんな本を読みあさりました。 この先どうしていったらいいのか何を私はすべきなのか。答えを模索し続けました。本を通して、そして偶然のいくつもの出会いがありました。ひとつひとつの出会いは「必然」だったと思います。そのなかで私は「本人の気持ちを感じてあげること」「子どもは親の決して所有物ではなく一人の人間であること」「そのままを100%として受け入れてあげることの大切さ」「褒めて育てることの大切さ」を知りました。私はこころのなかで周りと比べることをやめるよう努力し始めました。一人として同じ人はいないと気づいたからです。医師のいう言葉は確かかもしれないけれどでも人間のいう言葉だからそれが絶対に正しいとは言えない。未来はわからない わからないから面白い。誰が信じてくれなくても ママとしてどんなことがあっても私だけはいつも味方でいてあげたい、私だけはあなたの未来を信じてあげたい そう思ったからです。全く動かない手足、、、ぐらぐらの首 お座りできない身体、、、マイナスからのスタートでした。でも私は信じようと決めました。植物だって愛情をかけたら美しく咲くのですから感情のある人間ならばもっともっとこころが通じるはず、、、愛おしくて何度も何度も涙がこぼれました。「ごはん食べれたね 上手に食べれたね」「今日は何回にこにこできたよ」「ももちゃんはママの大切な大切な宝物だよ、、」みんなには当たり前の誉めるまでもない日常生活の中の小さなことをひとつひとつ探しては見つけて誉めることを始めました。自信をもたせてあげたい、あなたはあなたのままでいいそして愛されていることをこころに刻み込んであげたい。「神様この子は生まれてきてしあわせなのでしょうか」そう何度も問いかけても答えがあるわけでもなく、涙が何度も何度もこぼれました。私は努力してもどうしょうもないことがあることを知りました。人間とはなんて無力なのだろう、、、「普通であることって?」「幸せと不幸の違いってなに?」「生きる意味とは?」先が見えない いつまで続くか全くわからない真っ暗な長いトンネルのなかにたしかに私はいたけれど私はあなたのために絶対に自分に負けたくないと思ったのです。愛おしくて抱きしめると愛おしくてただただ愛おしくて、、、だいじょうぶどんなことがあってもママが守ってあげるから大丈夫だから、、、そして時間はゆっくりとゆっくりと過ぎていきました。時間は残酷なようでいてとても人に優しいことを私は知りました。時の経過とともに私の凝り固まった価値観もあなたとの歩みの中で 知らず知らずのうちに変わっていきました。幸せかどうかを決めるのは 周りではなく自分自身の心。「本人」だということ。唯一、本人の価値観だという当たり前のことに気づいたからです。そして 人の目を気にしておどおどしていた自分。なんて私は愚かだったのでしょうごめんね ももちゃん、、そんなある日私はたくさんの子どもたちの中で、あなたのとびきり輝く笑顔を見つけました。いろんなことをこだわっていたのは私ということに気づいたのです。子どもたちはそれは楽しく遊んでいたのです。子どもの世界にはバリアはまるでありませんでした。そして娘が風邪の時 受診した小さな病院のある医師との出会いがその後の私を大きく変えたのです。「あの、、脳性マヒなんです」今までそう言い伝えると医師や看護婦の対応がかわり なぜか 冷たく感じられました。だからその頃の私は言うのが嫌でした。でもその先生は違ったのです。一人の医師が笑顔で私に言いました。私の心に言ってくれたのです。「お母さん 僕の父は脳外科でね僕は子どもの頃からたくさんの優秀な障害を持たれた方を見てきた」彼は穏やかな口調で私の目を見て優しく語りかけてくれました。「障害があるならば あるからこそ 僕はこの子に健常と言われる人の2倍も3倍も何倍もの たくさんの経験をさせてあげて欲しいな」 私の心の中で何かがはじけました。 涙がぽろぽろと流れました。気がつくと私はできることを数えるようになっていました。そしていろんな体験をひとつでも多くさせてあげたいと考えるようになりました。誉めることそして小さな体験の積み重ねの大切さを知りました。ちょっとの「できた!」でもあなたの笑顔がはじけました。段々あなたの笑顔が増えていきました。私も しあわせを心で感じるようになっていきました。ゆっくりだけど それは本当にゆっくりだけど 確実に成長している、、生きている、、生きていることもあたりまえじゃない私は小さな小さな成長を見つけては今度はしあわせで感謝の涙があふれて止まらなくなりました。生きてるってこんなに幸せなんだね、、命の尊さを教えてくれたのはあなたです。振り返るとたくさんの温かな出逢いそしてあなたは何百倍もの喜びと「こころに感じる」本当のしあわせを運んできてくれました。そうです幸せを感じる感度が大きく変わったのです。生まれてきてくれて本当にありがとうママはももちゃんのママになれてよかった。きらきら輝く笑顔それだけで私はしあわせをこころいっぱいに感じるようになりました。あなたはこの世でいちばん愛おしいいとおしい私の宝物です。いつまでもいつまでも あなたはママの大切な愛する宝物です。PS そしてあなたも愛されて生まれてきた宝物です。 この世に生を受け生まれてくるということは 本当に本当に難しいこと、、 奇跡なのですから、、、 o(^-^o)☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆
2004.12.20
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みんな大切なひとりひとり、、、 「障害」ということにとらわれ 全くの無知で自分の価値観だけで泣いてばかりいたお母さん一年生だった私。そしてプチ・チャレンジドのママになって8年、泣き虫だった私もかなり強いお母さん8年生になりました(笑)「娘の笑顔になる瞬間を少しでも作ってあげること」娘とともに「一生はたったの一回きり!いかに楽しむか」が今の私の課題です。そして車椅子生活をいかに楽しむかを親子で考え 実践中です今も娘は入院中で手術をするべきか否か考えなければいけない現実があります。でも 大変なこともたしかにあるけれど大変と言っていてはそれでおしまいでつまらない人生になってしまう。 泣いてしまう時もたしかにあるけれど それでも私は心を切り替えて楽しいことを探していきたい。 本当は泣き虫で弱い私だけれど子どものことは全力で守ってあげたい。きっと全国には私と同じ思いのママがきっといらっしゃると思います。ゆっくりの子育て電車の旅はお天気と一緒で時に雨が降ったり曇ったりと落ち込んで涙する時もあるけれど、特急や快速電車では決して味わうことができないとびきりの出会いや心のふれあいという醍醐味もある素敵な旅でもありますよね。今から5年前私は「ももかの宝箱」というメインのHPを開きました。それは私とももかのつたない体験ではありますがお伝えすることで日本中でたった一人でもいい、「障害宣告」を受けて同じような思いをしているそのママの心が少しでも楽になったらという思いからでした。そうしているうちにメールで「こころのバリアフリー」に関する質問を中高校生の方々に頂くようになりました。学校の感想文、課題や宿題にとよく出題されるようです。みなさんとのメールのやり取りの数年がたち この微妙な立場で感じる気づきや思いはやはり「表現しないと伝わらない」そんな気持ちになりました。皆知らないだけだからこそ伝えたい。それは私のこの子を授かったひとつの使命なのかなと思い勇気を出して私は自分の感じた気持ちを素直にまとめることにしました。ハンディを持つお子様をこれから育てようとされるご両親、身近な大切な方が障害を持たれたという方、介護するヘルパーの方々、障害児に携われる方々、そして時代を担う子どもたちに「障害」のこと「心のバリアフリー」のことを少しでもお伝えできたらと思います。大人の方々もどうか先入観を捨てて、童心に戻り透明なこころで読んでみてください。この母の熱い思いを感じてください。私が感じた素直な気持ちをお伝えすることで「こころのバリアフリー」に関することを少しでも皆が理解するまでいかなくてもいいのです、、ちょっとだけこころに「感じる」ことで人としてお互いが助け合い、支えあうことの大切さを考えて頂けたら私はとても嬉しく思います。みんなが「めがね」をかけるように車椅子やそれぞれのしょうがいが当たり前のように個性として受け入れられる日が来ることを願って・・・ blogランキング参加中☆何か心に感じることがあった方は ぜひクリックをお願いいたします☆
2004.12.16
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