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大家
私がイタリアで一人暮らしを始めた最初の家の大家は、建築事務所を経営する私より2歳年下の既婚の建築家だった。
中肉中背でイタリア人には珍しい真摯な私好みの男前だったが、私は手を出す(?)こともなく、彼もまた私に手出しはしなかった。
二人で一度だけお茶を飲みに行った事はあったが、それは固定電話の契約に、賃貸人と賃借人揃って書類に記入する必要があった為二人で電話局に行き、その帰りについでにお茶を飲んだだけのことだ。
彼は毎月、私の所に家賃を取りに来ていたが、私はそれが当たり前の事と思っていた。
数ヶ月を経た頃から、この大家の奥さんが怒りの調子で私に電話をかけてくるようになった。
私は未だそんなにイタリア語が流暢ではなかった上、この奥さんが怒りに任せて超早口で喋り捲るので、私は当初彼女が何を言いたいのか把握できず、初めての妊娠中で気が立っているんだろう・・くらいにしか思わなかった。
しばらくしてから理解できたのは「早く出て行って欲しい」ということだけだったが、そんな事突然言われても、賃貸物件探しの超困難なイタリアでどうすりゃいいの?とチョッと途方にくれたが、何事も前向きな私としては「出て行く理由が私にはないが、悩んでいても仕方がない」と家探しを始めた。しかし、贅沢好みだった私に気に入る家は中々見付からず、家探しは困難を極めた。
その間、やっと大家の奥さんの怒りの原因が嫉妬にあった事が解り、イタリア女の嫉妬は噂どおり凄まじいもんだと実感した次第である。
他の店子の家賃は、各賃借人が彼の元へ持参していたらしいが、私だけ彼が自分で取りに来ていた事から彼女の嫉妬が始まったようだ。私にすれば
「そんな事知るか~!」
という気分だった。
結局、新しい家を見付けるのにかかる事2ヶ月、偶然その時、日本から遊びに来ていた男友達と観光に行った町、Arezzoを新天地に決めたのである。
理由はその街が金細工で有名だっだことと、前の町Perugia(中田で有名になってしまったペルージャ)と比べて、男前を街で多く見掛けたという単純な理由からだった。
>新しい町での生活が始まった。新しい家は4階建ての4階、駅からも近く裏が警察署というとても安全な場所で、私は気に入っていた。
新しい大家は旅行代理店経営の50代後半の小太り親父で、私の好みとは到底かけ離れていたし、奥さんの嫉妬で悩まされそうもなかった。
ただ問題があったのは、その家の暖房給湯器がガスではなく電気だったこと。イタリアはただでさえ水周りが悪く、電気の給湯器だと十分にお湯が出ない。給湯機内に溜まっている湯約100リットルを使い切ると、次に湯が出るまで3時間は掛かるという代物である。
よって、バスタブにたっぷり湯を貯めてお風呂に浸かるなんてことは出来ない。私はわずかな湯を貴重に使いながらお風呂に入るしかなかった。それに、この建物はコンドミニオといって建物の暖房設備が全戸共通で、夜の11時になるとスイッチが切られてしまう。私以外の7戸には全て年寄り夫婦が住んでいた為、彼らは11時前になると皆寝入っていた。
そんな冬のある晩の夜の10時半頃、私はいつもの調子でお風呂に入っていた。少ない湯で体を洗い、髪にシャンプーを付け泡立て始めた途端、突然家の電気が全て消えた。私は暗闇の中、濡れた体で手探り状態でブローカーまでたどり着いたが、ブローカーを上げようが何をしようが電気は点かない。
当然、電気給湯器は稼動不可能状態、暖房も既に切れてしまったようで寒くて仕方が無い。頭に泡をいっぱいつけた裸の私はパニックに陥った。この寒さの中、まさか水でこのシャンプーを洗い流す勇気もその時はなかった。
私は思い余って大家の家に電話をかけようとしたが、真っ暗で電話機のプッシュボタンもまともに見えない。
仕方なく私はホーローのコップにちぎった新聞紙と油を入れて火を点けた。真っ暗だった家に少し明かりが差し、やっとこさ大家の家に電話をかけた。そして
「入浴中に停電して、わたしゃ一体どうすりゃいいの!?」と叫んだ。
大家はそれに対し
「こんな時間、電気屋を呼ぶわけにもいかんし僕にはどうしようもない、明日電気屋に行かすのでそれまで待て」とほざく。
≪頭にシャンプー付けたまま待て~ちゅうんかい!≫と私は異常に腹立たしく、興奮状態で大家に対し文句を言い続けた。
すると、その大家、いやに落ち着いた調子で
「Passerotta!落ち着け!君が今すべき事は、今すぐベットに行って布団をかぶって眠る事だ」とほざいたのだ。
私は目が点になって
“朝方、頭にシャンプーつけた日本人女が、ベットの中で裸で凍死しているのを発見!”
という新聞の見出しが頭に浮かんだ。
こんなお馬鹿な大家とは話しにならんと電話を切り、如何にすべきかと腕組みをしていると、急に大きな明かりが差した。
なんと!ホーローコップの火が1mほどにも立ち昇り、コップの下のクッションが燃え出していたのである。
私は慌ててバスルームへ走り、洗面器にぬるくなった湯を汲むと、そのぬるい湯をザバ~ッと火にかけた。一度だけでは火は消えず、私はバスルームとリビングを何度も往復し、やっと火が収まった時には、裸でしている今の自分の行動がとてつもなく可笑しく、そして哀れで泣けてきた。
しかし泣いている場合ではない!
ハタと我に返ると、私は体と頭にバスタオルを巻き、コートを羽織って、1階の親切な老人の家へと駆け下りた。夜中の突然の、しかも頭にバスタオルを巻いたへんてこりんの外人女の訪問に、そのおじいさんは眠そうな目をこすり、ガウンの隙間からトランクをのぞかせて「どうしたの?」と優しく聞いてくれたのである。私はまたまた涙が溢れ、
「おじいさ~ん!助けて~!」と事情を説明した。おじいさんは迷惑そうな顔一つせず、何やかんやと道具を持って地下へと降りて行った。
数分後、私の家の電気が復活した時には急に力が抜けて、私はへなへなとその場に座り込んでしまった。
おじいさん、ありがとうございま~す!
※この大家、私が又引越しをする時、私が外国人だと思って不動産屋と手を組み、敷金を騙し取ろうとした。後で噂に聞いた事だが、この不動産屋は巧みに嘘をついて、多くの外国人から敷金などを巻き上げていたらしい。私はPerugiaの弁護士の友人に相談し、この友人に言われたように彼等を軽く脅すと、彼らは急に手のひらを返したように低姿勢になって、私が納めていた敷金全額を返金したのである。ア~めでたし!めでたし!
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