パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

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詩編第2編


シオンに立てられた王
わたしはわが王を聖なる山シオンに立てた
詩編2編

1 なにゆえ、国々は騒ぎ立ち/人々はむなしく声をあげるのか。
2 なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して/
主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか
3 「我らは、枷をはずし/縄を切って投げ捨てよう」と。
4 天を王座とする方は笑い/主は彼らを嘲り
5 憤って、恐怖に落とし/怒って、彼らに宣言される。
6 「聖なる山シオンで/わたしは自ら、王を即位させた。」
7 主の定められたところに従ってわたしは述べよう。
主はわたしに告げられた。「お前はわたしの子
今日、わたしはお前を生んだ。
8 求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし/
地の果てまで、お前の領土とする。
9 お前は鉄の杖で彼らを打ち/陶工が器を砕くように砕く。」
10 すべての王よ、今や目覚めよ。地を治める者よ、諭しを受けよ。
11 畏れ敬って、主に仕え/おののきつつ、喜び躍れ。
12 子に口づけせよ/主の憤りを招き、道を失うことのないように。
主の怒りはまたたくまに燃え上がる。
いかに幸いなことか/主を避けどころとする人はすべて。
(新共同訳)
【 序文 】 「自分の王とは誰か?」を問うことは大切なことである。自分自身を王とするのか。この世の何かを自分の王とするのか。

【 詩編第2編の概略と区分 】 この詩編には詩編1編同様に表題がない。多分この詩はダビデ集(3―41)と第二ダビデ集(51―72)がひとつに編集された時に、序詩として置かれたものと考えられる。使徒言行録13:33にはピシデアのアンテオキアでのパウロの説教があるが、「詩編の第2編で」と引用があるが、ある古代の写本には「詩編1編で」となっている。それは現在の詩編第1編がなく、この第2編が、詩編の冒頭にあった時のことを思わせられる。この詩は力強く、「ヘブル詩の最高傑作」(チェネイ)と言われる。内容は神と神に立てられたメシヤに反逆する諸国民の姿。それを天上であざけり、シオンにメシヤを王として立てて、わが子と宣言する神の姿。そして、反逆する諸国の王に対する警告がある。ここには人類の歴史の要約がある。
1 ― 3節 全人類がこぞって神とメシヤに反逆する姿。
4 ― 5節 神のあざけりと怒り。
6節 メシヤをシオンに立てる。
7 ― 9節 メシヤの全地の所有と支配。
10―12節 反逆する王たちへの警告。
なお、この詩は「キリスト預言」として新約聖書に9回も引用されるので有名。マタイ3:17(イエスの洗礼)、マタイ17:5(山上の変貌)、1ペトロ1:17(山上の変貌)、使徒13:22、黙示録19:15(再臨のキリスト)その他。

【メッセージのポイント】
1)「なにゆえ、国々は騒ぎたち/人々はむなしく声をあげるのか。なにゆえ、地上の王は立ち構え、支配者は結束して/ 主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか。 (1、2節)
⇒ 全人類の神への反逆の歴史!
この世界は神が創造され、神が支配される世界である。しかし、人類はアダムの堕罪以来、神の義と聖に反逆し、罪の中に落ちてゆく。2節に「主の油注がれた方」という言葉があるが、これは「メシアフ」という言葉で、ギリシャ語70人訳に翻訳された時にΧριστοωが使用された。使徒4:25―28ではヘロデとピラトが神に敵するものの代表とされる。自らの中に神に反逆する思いがあるかないかを反省すべきである。

2) 「天を王座とされる方は笑い/主は彼らをあざけり/憤って恐怖に落とし…・」(4節)。
⇒ 神のあざけりと怒り!
全能の神の威厳と絶対性がここに現れる。創造者から見れば人間の反逆などは子供の戯れにすぎない。主は激しく怒られて、御自身の主権を宣言される。ここで使用される「笑う」はヘブル語で「イスハク(=イサク)」。

3)「聖なる山シオンでわたしは自ら、王を即位させた」(6節)。
⇒ 神はシオンにまことの王を立てた!
ここにこの詩編の中心的なメッセージがある。シオンにメシヤなる王を立てると、この詩は宣言する。主イエスが洗礼を受けた時にこの言葉が響き、山上の変貌の際にこの言葉が響き、復活の勝利、再臨の勝利を語る箇所でこの言葉が響く。

4)「お前は鉄の杖で彼らを打ち、陶工が器を砕くように砕く」(9節)。
⇒ キリストは鉄の杖を持って、サタンの業を砕かれる!
ここでは鉄の杖と陶器が、比喩として対照的に用いられる。かつてエジプト王は遠征の際にこの比喩を用いたのだそうだ。また、メソポタミヤの王たちも用いたという。「硬い鉄の杖」と、「もろい陶器」では、激突すれば結果は知れたものである。新約聖書では、主イエスが十字架のできごと、復活のできごと、再臨のできごとをもって、サタンの業を砕かれるものと語られる。

【 結論 】 現代のような複雑な世界は、その複雑さのゆえに自分を失い、この世の支配に取り込まれがちである。「人間の神への反逆の性質」、「神の立てられたまことの王への忠誠」、「サタンの業を砕き給う主への全ったき信頼」をもって、主に従ってゆきたいものである。「イエスは主なり!」(フィリッピ2:11)こそ我等の信仰!


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