パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

詩編第3編


詩編3編 主はわが盾、わが栄え、頭をもたげてくださる方

【 はじめに 】 ワールドカップのドイツ大会。昨晩は、寝るときに、ドイツとエクアドルの対戦を見ていて、その熱のこもったプレーに、お風呂に入るがなかなかできませんでした。今朝、新聞で3-0でドイツが勝ったことを知りましたが、スポーツの世界も勝ち負けの厳しい世界だなとよく感じます。わたしどもの日常生活でも、主に祈り、み言葉にはげまされ、御霊に満たされて歩み行かねば、敵であるサタンに、やられて敗北してしまうことがあります。いつも、主にある勝利を得て進みましょう!

【 テキストの概略 】 詩編3編から「ダビデの歌」という歌集が始まります。3編から41編まではダビデ歌集のひとつのまとまりをなす。その意味では詩編の精神を示すトップ・バッターとしてこの詩編は重要な位置を占めています。構造は、次の通りです。
1 表題:ダビデがその子アブサロムを逃れた時(の詩)
2―3 訴えと嘆き 敵の圧迫と嘲笑
4―5 信仰告白 主の守り、祈祷への応答の確信
6―7 主の支えによる安眠、多くの敵の包囲の中での平安
8 神の介入への強い訴え、
9 救いの源である神への信仰告白、民への祝福を祈る

【メッセージのポイント】
1)1 【賛歌。ダビデの詩。ダビデがその子/アブサロムを逃れたとき。】
2 主よ、わたしを苦しめる者は/どこまで増えるのでしょうか。多くの者がわたしに立ち向かい
3 多くの者がわたしに言います/「彼に神の救いなどあるものか」と。〔セラ                     (1-3節)
⇒ 人生には厳しい試練のときがある。
ダビデの苦しみはこの場合、複雑でした。それは今、自分を苦しめ、自分を殺そうとしているのは他ならぬ、自分の愛する息子なのでした。自分の敵は「ますます多く膨れ上がる」。敵は彼の罪「バテセバ事件」を取り上げて、「彼には神の助けはない!」と責めたてています。自分の良心も自分を責めます。彼は絶体絶命のピンチに立っているのです。
人生には時に、厳しい試練の時があります。自分に過信してはいけません。人間は自分の体温が2、3度上がっただけでも、うわ言を言うような弱い存在なのですから。へりくだって主とともに歩みましょう。

2)4 主よ、それでも/あなたはわたしの盾、わたしの栄え/
わたしの頭を高くあげてくださる方。
5 主に向かって声をあげれば/聖なる山から答えてくださいます。〔セラ
6 身を横たえて眠り/わたしはまた、目覚めます。
主が支えていてくださいます。
7 いかに多くの民に包囲されても/決して恐れません。(4-7節)
⇒ 試練のただ中にこそ主を盾と仰げ。
絶体絶命の絶壁に立って、詩人は、「しかし、主よ!」と叫んでいます。これは内村鑑三がよく言った「Great But」の信仰です。天を仰ぐのです。四面楚歌の窮地でも、天は開いています。現実だけに囚われてはいけません。主がおられる。全能の主がおられるのです。盾となり、栄えとなり、頭を挙げてくださる愛の主として厳然と臨在されるのです!ここに信仰の逆転があります。
ユダヤ人は地理的にも、歴史的にも、厳しい状況の中に生きつづけました。彼らは神様を見上げることを忘れたら、現実の重さでつぶれてしまっていたでしょう。
ユダヤには「ミルクの桶に落ちた蛙」という話があるそうです。あるとき野原を散歩していたかえるが桶の中に落ちてしまった。足元はミルクですし、桶の壁は高い。どんなに跳んで外に出ようとしても外に出ることができない。さあ、このかえるは一体、どうしたでしょうか?という話です。かえるは最後まであきらめることがなかった。手足を動かしているうちにミルクが固まってチーズとなり、その板の上に乗って、かえるは外に出ることができたと言うものです。主を見上げてあきらめないことです。

3)8 主よ、立ち上がってください。わたしの神よ、お救いください。すべての敵の顎を打ち/神に逆らう者の歯を砕いてください。
9 救いは主のもとにあります。あなたの祝福が/あなたの民の上にありますように。〔セラ                  (8-9節)
⇒ 主よ、立ち給え!(クンマー・アドナイ)と祈れ。
ここには、詩人の究極的な祈りがあります。「主よ、立ち給え!(クンマー・アドナイ)」と言う祈りです。これは神の歴史介入を願っての祈りです。また、これはユダヤ人がエジプトを脱出し、荒野の旅を続けた時の朝ごとの祈りの言葉です(民数10:35)。彼らは一日の出発の際に、まずこの祈りをもって歩みだしました。一日のうちには、多くの危険と誘惑、失望や苦境というようなことがたくさん起こるのです。それこそ、圧迫されて、眠れないようなことも起こるのです。しかし、詩人は「主よ、立ち上がってください!」と言う祈りによって乗り越えてゆきました。別の表現をすれば、「神の臨在の信仰」によって乗り越えたのでした。詩人は神の守りを確信して安眠します。そして、恐れから解放されました。神が共におられる所に勝利があるのです。そして詩人は最後に民の祝福を祈ります。「救いは主のもとにあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように」と。ハレルヤ!

【 結論 】 詩編中の信仰者の姿は、試練と戦う信仰者の姿です。試練や問題のただ中で主に寄り頼むのです。主に立ち上がって頂くのです。主は盾となって、われらの前を前進して行かれます。この一週間も朝ごとに「クンマー・アドナイ!」と叫びつつ勝利しましょう。

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