パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

パスターハリー(Pastor Harry) の書斎

詩編122編



【はじめに】
 今日はアドベントです。教会暦で言えば、一年の初めです。ここから新しい一年の歩みを始めます。礼拝では「正しい裁きをする神」を見上げるようにと語られました。この一年、主を見上げ、主の正しさに信頼し、賛美しつつ歩んでまいりましょう。
クリスチャンの人生は巡礼の旅にたとえることができると思います。その中でひとつの節目は十字架を見上げ、救いを受け入れる時です。その時、主はわたしの歌となるのです。「わたしの」歌となるのです。

【テキストの解説】  詩篇122篇は「都もうでの歌」の3つ目の歌です。120篇が神の平安を望み、救いを切望する「志望の歌」とするなら、121篇は「出発の祈りの歌」です。122篇は「救いの門への入場の歌」ということができます。

【メッセージのポイント】
1)主の家に行こう、と人々が言ったとき
わたしはうれしかった。(1節)
⇒ 主の家に行こう!
この詩人は今、神の都エルサレムの門の中に入っています。エルサレムは町自体が城壁で、外敵から身を守るために囲まれています。詩人は巡礼の旅を続けて、今感激のなかでエルサレムの門の中に立ったのです。彼はその時の感激を歌うのに、まず、出発の時のことを思い起しています。人々に「主の家に行こう!」と言われて「そうだ、父なる神様の所に行くのだ!」そう決意した時のことを思い起しています。わたしどももそれぞれに教会に来ようとしたきっかけがあります。あの時の不思議な喜びの心を忘れないようにしたい。

2)2エルサレムよ、あなたの城門の中に
わたしたちの足は立っている。
 3 エルサレム、都として建てられた町。
そこに、すべては結び合い
 4 そこに、すべての部族、主の部族は上って来る。 
主の御名に感謝をささげるのはイスラエルの定め。
5 そこにこそ、裁きの王座が
ダビデの家の王座が据えられている。(2‐5節)
⇒ われらの足はいま、あなたの門の内に立つ!
2節にはこの詩の中心的な内容が記されています。「エルサレムよ、あなたの城門の中に、わたしたちの足は立っている」。詩人は今、長い間、夢見たエルサレムの町並みに足を踏み入れたのです。 「しげくつらなった町のように建てられているエルサレムよ!」(3節口語訳)とエルサレムの町並みの状況を描きつつ、町に語りかけてます。彼は神の都に足を踏み入れました!この聖書の感激にあふれた信仰の告白は、今、あなたのものとなっていますでしょうか?
あなたの霊的状態は「主の平安を志望する状態」「求道の歩みが守られている状態」を越えて「神の都に足を踏み入れた状態」になっていますでしょうか?主の十字架を仰いで人は救われ、神の国に入るのです。「天国の鍵」は「十字架のあがないの信仰」ですがあなたはそれを持っておられますか?

3) 6 エルサレムの平和を求めよう。
「あなたを愛する人々に平安があるように。
7 あなたの城壁のうちに平和があるように。
あなたの城郭のうちに平安があるように。」
8 わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。
「あなたのうちに平和があるように。」
9 わたしは願おう
わたしたちの神、主の家のために。
「あなたに幸いがあるように。」
⇒ エルサレムのうえに平安を祈れ(6節)
この詩の最後は「この神の都、エルサレムのために祈れ!」という歓呼の叫びで終わります。「平安」や「平和」は共に「シャローム」と言う言葉です。シャローム、シャローム、シャロームのこだまのようにこの詩は美しく結ばれてゆきます。合唱のようにこの詩は歌われています。
さて、神の臨在される都、エルサレムとは一体どこであろうか?
神の臨在の場所とは新約の光に照らせば「教会=キリストのからだ」を意味すると多くの説教者は言います。神の臨在の場を大切にし、「神の平安」を歌い敬う人は豊かな祝福を受けるのだと彼は歌うのです。新しい生涯は神の臨在される教会と共なる生涯なのです。主イエスキリストは教会と共におられるのです。

【結論】
わたしどもは、今、主の家に帰ろうとあの放蕩息子のように決意し、旅し、神の教会の門の内にいるのです。何たる幸い!神の庭に歩む1日はよそにいる千日にもまさるのです。今日はアドベント、一年のはじめです。この一年、いつも神のエルサレム、神の臨在の教会の中にあって、「平安」を歌いつつ、祈りつつ歩みましょう。ハレルヤ!

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