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第6回「七・八節」記念礼拝の御言
二〇〇二年八月十五日(陰暦七月七日)、韓国・京畿道九里市水澤洞 中央修練院 大講堂

​ このみ言は、第六回「七・八節」記念礼拝において、真のお父様が語られたものを翻訳し、編集、整理したものです。編集の都合上、一部割愛してあります。(文責・編集部)​


 今からは、(原理)講義を、黒板で自分なりにやることは、絶対に禁止です。きょう、(二〇〇二年八月)十五日から、そのように制度が変わります。

 (チャートを使えば、)だれでも、簡単に(原理)講義をすることができます。一時間で、大概の原理の内容を説明することができます。二時間、長くても五時間で、皆さんが、何時間もかけて行うその骨子を、説明することができるのです。

 自分を中心として、役に立たず、本にも載っていない言葉を使って(原理講義をして)も、一つも覚えることができません。チャートを中心として、さっと三回だけ読めば、その本の骨子を、すべて知ることができます。何のことか分かりますか?

 韓国、日本、米国、どの国でも、全世界の国家は、きょうから今までの講義のやり方を中止するのです。分かりますね?(「はい。」)チャートで講義しなければなりません。中・高等学校でも、チャートでやっているのと同じように、すべて公式的課程と単位が合えば、チャートをつくることができます。

 創造原理から復帰原理まで、同じ図を反復して使うので、本を読まなくても、一目ではっきりと理解することができます。ですから、チャートを中心として、三回だけ聞いて本を読めば、本のすべてが分かるのです。何のことか分かりますね?

 今までは、(講義の内容を)覚えてやっていたので、チャートもなく、本も参考にしないでやっていましたが、それでは、十回やっても何も残りません。すべて流れてしまうのです。分かったでしょう?(「はい。」)分かりますね?(「はい。」)

 本以外のものを参考にしようとすれば、先生の説教集から、いくらでも紹介できます。ですから、すべてチャートで講義しなければならず、五時間(のチャートによる講義)を三回行って本を読めば、詳細に理解することができるのです。ほかのものや、自分の知識で話をする必要はありません。本がテキストブックです。

 きょうは、何曜日ですか? 何の日ですか?(「『七・八節』です。」)「七・八節」とは、何でしょうか? 何ですか? 天地父母、それから何ですか?(「安着と安息圏宣布です。」)安着、安息。「安息」ですか、「安着」ですか?(「『安息』です。」)



 ですから、皆さんは、すべての段階を経て、上がって行かなければなりません。個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代、天宙時代、天、そのように八段階です。それは、言葉だけではありません。皆さんが、実践生活の舞台において、それを経て行ってこそ、自分のものになります。

 そのような制度が、霊界にできているので、地上ですべて訓練を積んでいくようになれば、霊界に行ってから、一次、二次、三次、どこのどのクラスである、と言えば、すべて合わせることができ、すべて分かっていくので、支障がありません。あの世で、だれかが教育してくれますか? 分かりますね?

 ですから、霊界の事実を知らなければ、今後、統一教会の教会員になることはできません。今から、霊界の現象が、たくさん現れることでしょう。分かりますね?(「はい。」)分かりますか?(「はい。」)霊界を知らなければなりません。

 心が、体の主体ですか、体が、心の主体ですか?(「心が、体の主体です。」)心が、体の主体です。それと同じように、霊界を知らなければ、地上のことが分かりません。

 ですから、今まで、摂理史観がありませんでした。神様の摂理される摂理歴史が、どのようになるのか知りません。それは、霊界の事実をはっきりと知ることによって、心の世界のことをはっきりと知ることによって、分かるのです。

 体の世界は、その影と同じなので、霊界の事実をはっきりと知れば、体の世界の生活圏は、自動的に一致化させることができます。知れば、そのようにすることができるのです。分かるでしょう?(「はい。」)

 現代科学も、そうです。今のスペース・エンジニアリング時代というものも、すべてを知っているから可能なのです。知らなければ、できません。すべての科学的な製品は、公式過程を経て、理論に合うので、それを作ることができるのです。分かるでしょう?

 心霊世界も、自分の体が、混乱を引き起こして堕落したので、霊界をはっきりと知ることによって、これを調整し、合わせ、一つにすることができます。個人時代、家庭時代と、八段階に合わせて合格してこそ、天上世界、天国に入って行くことができるようになっているのです。

 そのような父母になり、そのような父母から生まれ、心と体が一つになった息子、娘を生みましたか、生みませんでしたか? あなたたちの息子、娘は、心と体が一つになっていますか、なっていませんか? どうですか? それが、できていません。別々に離れているのです。

 今までは、霊界が二つの世界に分割され、サタンと天の善なる霊たちが闘う、その中間の立場にいて、二つの世界に挟まれていたので、それを統一できませんでした。今からは、それが統一されるようになっています。

 ですから、昔のやり方とは違います。心と体が闘う環境的条件を許しません。一つにならなければなりません。体を、サタンと完全に切ってしまわなければなりません。完全に否定しなければなりません。そこからサタンの血統を完全に否定しなければならないのです。

 個人否定、家庭的否定、氏族、民族、国家、世界、天宙、霊界まで否定しなければなりません。完全に否定した基盤の上に、個人から八段階まで否定した上に、そこで個人時代、家庭時代、このようにして、再びそれをくっつけなければなりません。

 ですから、先生がすることは同じです。堕落した世界を否定させるのです。すべて否定させて、天が守ることのできる代表的立場で、サタンが占領していた、その基準をすべて占領すれば、負けたサタンは屈伏しなければなりません。

 み言を動機として、「あなたは、このようになったために、サタンになったのではないか? 神様が、これを願っていらっしゃるのに、あなたが願っているものは、違うのではないか?」と言わなければなりません。

 それは、神様とサタンが公認した事実なので、それを調整するのは、神様もすることができず、サタンもできません。先生は、このことを知っているので、先生が闘っているのも、すべて……。

 サタンと神様の闘いは、神様も止めることができず、サタンも止めることができません。それは、だれがそのようにしたのかというと、偽りの父母です。

 偽りの父母とは、何でしょうか? 偽りの愛から偽りの生命、偽りの血統をつくったのです。血統です。「血統。」と、言ってみてください。(「血統。」)日本人の先祖と韓国人の先祖と……。「白衣民族」とは何かというと、血統が違います。血統が違うので、異なる民族になったのです。

 百九十一か国の国連加盟国の中に、神様の国は一つもありません。神様の国が一つもないということは、神様が暮らされる家もなく、神様が共に暮らされる一族も……。金キム氏、文氏、韓国には二百七十五の姓がありますが、神様が暮らすことのできる姓は、一つとしてありません。家がないというのです。



 霊界に行ってみれば、分かるでしょう。文総裁の話が正しいでしょうか? それとも、自分が信じている新旧約聖書で教えてくれることが……。

 それは、今後、すべて火で燃やしてしまわなければなりません。はっきりと知っている人は、文総裁しかいません。分かりますね?(「はい。」)分かりますか、分かりませんか?(「分かります。」)

 目が暗く、耳が遠く、鼻がつまり、口がふさがり、手足が麻痺しています。それをすべて解いて、治してあげなければなりません。

 今、目が、二重のものを見えるようになったでしょう? 普通の人は、霊界にあるものは見ることができませんが、祈祷して霊界に通じる人は、霊界も見ることができ、地上で二つのものを見るというのです。

 わたしたち統一教会においても、霊的体験をたくさんする人は、皆、そのようになっているでしょう? 二つの世界を共に見るので、ここで祝福を受けた人は、夫が霊界に行き、妻が地上で暮らしていたとしても、お互いに見て、一緒に生活することができます。

 ですから、“寡婦がいない”ということになります。“男やもめ”もいません。理想とは、そのようなものであるべきではないでしょうか?

 天地を創造された、王の中の王であられる全知の神様が創られたのに、霊界と肉界、夫と妻が、同じ日に死ぬでしょうか? 夫婦で死ぬ日が違えば、どのようにしなければなりませんか? 夫婦で“離れ離れになっては、生きていけない。”という人たちは、どうするでしょうか?

 夫が先に霊界に行くと、地上に残った妻は、「死んだ。」と言って、大騒ぎするのですが、霊界に行った夫は、大騒ぎしません。

 夫は、“あの妻は、(霊界のことを)知らないから、あのようにしている。神様が創造される時には、本来、分かるようになっていたのに、分からなくなった。あれをどうしようか?”と考えるのです。

 ですから、真の父母が来て、それを解決してあげなければなりません。そのためには、祝福を受けなければなりません。祝福を受ければ、一緒に暮らすのです。分かりますか?(「はい。」)

 祝福さえ受ければ、霊界でも一緒に暮らせるということを信じられない人は、手を挙げてください。信じられない人は、手を挙げてみてください。賞を上げましょうか?(笑い)

 統一教会では、“嫌だ。”と思っても、信じることができなければ、臆面もなく「統一教会の食口である。」といって話をすることもできず、生き残ることもできません。分かりますね?(「はい。」)

 堕落したら、神様に会えますか、会えませんか? 神様は、お父様です。尋ねれば、答えてくださいます。



 堕落しなければ、真の父母も必要ありませんでした。分かりますか? メシヤも必要なく、救い主も必要ありません。父母を絶対に信じれば、そして神様の代わりに孝行の道を歩めば、天国に行くようになっているのです。

 これが、堕落のために、すべてめちゃくちゃになったので、八段階に分かれてしまいました。これが、どのようにして一つになるのでしょうか? いくら努力しても分かりません。

 先生は、そのようなことを、生まれつき知っているのです。「生而知之(学ばずして、おのずから知っていること)」と「学而知之(学んで知ること)」ということがありますが、先生は、あらかじめ知っています。だれかが、得意になって話をしていても、“あれは間違っている。”ということが、分かるのです。

 ですから、よこしまなサタンが、どれほど誘惑したか分かりません。あらゆる姿に化けて現れたのです。神様の代わりになっても現れました。それは、声までも、そっくり同じです。そのようなことをすべて知れば、さっと立てば、すぐに……。

 彼らは、先生の正面に立てば、まっすぐに立つことができません。横に立たなければなりません。それを見て、知るのです。「何度、ずれている。」というように知るのです。分かりますか? ですから、原理世界を発見することができるのです。

 金キム仁珠さん。平壌では、「原理」のみ言を話してあげなかったでしょう?(「原理」を)知らなかったでしょう? 先生は知っていましたが、その時は、そのようにする時でした。

 個人的な環境で生きることもおぼつかない中で、個人生活的な、個人級の生活をしなければならないのに、国で生きることを教えてあげることができますか? そのような時代になっていなかったので、すべて、そのようにした(黙っていた)のです。分かりますか?(「はい。」)

 霊界を知らない人は、統一教会の教会員になることができますか、できませんか?(「できません。」)霊界が分からない人は、嫁いでいくこともできず、嫁をもらうこともできません。

 霊界とは、何でしょうか? 家庭で大移動して、嫁いでいくのです。それとちょうど同じです。

 ですから、自分の新郎の風習を知らなければならず、新婦の風習を知らなければなりません。ところが、地上では、夫婦の生活習慣が、それぞれ違います。

 そのように、地上ではそれぞれ違いますが、霊界に行っても、天上世界の法に合うように、さっと神様をお迎えすることができる準備をして、イエス様も呼ぶことができる準備をしなければなりません。

 使徒たちは、皆、彼の弟です。釈迦も弟であり、それから孔子も弟です。そのイエス様も、(先生にとっては)弟です。

 なぜ弟なのですか? それを知らなければなりません。この地上で、あなたたちが先に、先生から祝福を受けましたか、イエス様、孔子、釈迦、マホメットが先に祝福を受けましたか?(「私たちが、先に受けました。」)

 先に受けたのですが、先に結婚した人が兄ですか、弟ですか?(「兄です。」)そうです、兄です。姉も、先に結婚式をしたので姉であり、先に結婚したから兄なのです。そのことを知らなければなりません。

 「地上で生きているすべての統一教会員は、霊界に行くときに、自分の弟たちを再教育しなければならない。私は、そのようにすることができる兄であり、姉である。」と、一度、言ってみてください。(「私は、そのようにすることができる兄であり、姉である。」)本当ですか?(「はい。」)本当でなければ、気分が悪いでしょう?(「はい。」)

 本当にそうならば、どれほど気分が良いでしょうか? 間違いなく本当です。先生は、うそをつきません。うそであると思うならば、霊界に行ってみてください。

 先生が、聖人について、どうのこうのと言い、「孔子とイエス様までも、自分の弟である。」と言っているのですが、それが正しいか正しくないか、霊界に行って、尋ねてみてください。

 尋ねてみれば、笑われます。笑われるというのです。「分別のない、世間知らずな人が、ここに来ましたね。私たち以上に、真のご父母様によく侍らなければならないのに、侍ることができずに、ここに来た愚かな人たちですね。」と言われるのです。分かりますか?

 霊界のことを知らなくて、よいでしょうか、よくないでしょうか?(「よくありません。」)“何が分かるというのか? どうにかこうにか、好きなように暮らそう。”と思っても、そうやって好き勝手に生きることができるでしょうか?

 小さな家に隠れ住もうと思って、隣り村に部屋を一つ借りようにも、家賃を払って暮らさなければならないのですから、自由に暮らすことはできないのではないですか?

 最初に、その村の犬、その家の犬が、自分のことを見てほえるでしょうか、ほえないでしょうか? ほえますか、ほえませんか? 部屋を一つ借りて、その家に入って行けば、その家にいる犬たちが、ほえますか、笑いますか?(「ほえます。」)

 それが、どれほど気分が悪いでしょうか? 気分が悪いでしょうか、気分が良いでしょうか?(「悪いです。」)犬が喜べば、気分が悪いでしょうか、良いでしょうか?(「良いです。」)それは、主人を知らない犬です。野良犬です。犬は、ほえなければなりません。

 ですから、霊界に行けば、霊界に来たあなたたちを見て、歓迎しなければなりませんか、ほえなければなりませんか?(「歓迎しなければなりません。」)なぜですか?(「兄が来たからです。」)そうです。兄が来たからです。分かりますか? 姉が来たのですから、歓迎しなければならないでしょう?

 それでは、ほえるということは、どういうことですか? “歓迎しない。”ということではないですか? イエス様が歓迎しなければ、どのようになりますか? 気分が悪いでしょうか、気分が良いでしょうか? 答えてみてください。気分が良いでしょうか、気分が悪いでしょうか? 今晩、霊界に行って、「ああ、イエス様7」と言って、尋ねてみてください。

 キリスト教の勧士が来て、「文総裁という人が、『イエス様は弟である。』と言い、『霊界に行くときに、気分が良いか悪いか、尋ねてみなさい。』と言うのですが、世の中に、そのようなことがあるでしょうか?」と尋ねてみると、イエス様が、「この愚かな女性よ。私よりもりっぱなかたが、文総裁である。」と言うのです。分かりますか?

 わたしから見れば、イエス様は、わたしの弟ですか、息子ですか?(「息子です。」)(笑い)神様は何ですか?(「お父様です。」)

 お父様が、二人いるのですか? 二人いますか? 一人は、“心のお父様”であり、もう一人は、“体のお父様”です。二人のお父様の血統を持って生まれたのです。分かりますか?

 二人のお父様の血統を持って生まれたのですが、その“霊的お父様”の血統と、“肉的お父様”の血統が一つの所で合わさり、一つにならなければなりませんか、分かれて二つにならなければなりませんか?(「一つになります。」)どこで一つになるのですか?(「心と体で……。」)

 心と体が一つになる所から子供が生まれてきます。どこで一つにならなければなりませんか?(「そこで一つにならなければなりません。」)「そこ」とは、どこですか? わたしは分かりません。(笑い)「そこ」とは、どこですか? そこ、そこ、そこ、そこ……。(笑い)

 男性のものは、何と言いますか?(「凸です。」)女性のものは、何と言いますか?(「凹です。」)凸凹が合いますか、合いませんか?(「合います。」)夫と妻が凸凸、また、夫と妻が凹凹になれば、どのようになるでしょうか? それは役に立ちますか、役に立ちませんか?(「役に立ちません。」)

 役に立たないものは、なくしてしまわなければならないでしょう? 役に立たないのに、なぜ持っているのですか?

 それは、だれが創ったのですか?(「神様です。」)神様が創られたのですか、あなたの親が創ったのですか?(「神様です。」)このような問題が、問題になるのです。

 学校に行って質問して、先生が答えることができなければ、その先生を追い出してしまわなければなりません。それを、だれが創ったのですか? あなたの親が創ったのですか、神様が創られたのですか?(「神様です。」)

 それでは、その主人は神様ですか、あなたの親ですか?(「神様です。」)それでは、あなたの親は何でしょうか? ふろしきと同じです。ふろしきから中身を取り出して生まれたのが、あなたたちの息子、娘なので、“本来のお父様は、神様である。”ということを知らなければなりません。

 天国に行きたいですか?(「はい。」)一人でですか?(「いいえ。」)二人だけですか?(「いいえ。」)親は、どうするのですか? 親を連れて行けば……。

 親を先に立てて行きますか、それとも親を(後ろに)連れて行きますか? あなたたちが前に立つのですか? 親を先に立てて行かなければなりません。

 その夫婦が、自分たち夫婦よりも、親のことをもっと愛し、侍ることができるならば、このような家庭によって、神様が“訪問したい。”と思われる家庭が始まるのです。

 自分がそのようにするとして、そのような伝統を、だれが教えてくれるのでしょうか? おじいさんとおばあさんは、教えることはできません。堕落したので、教えてあげることができないのです。

 三代がありません。あなたたちが今から……。神様が一代目で、先生が二代目ならば、あなたたちは三代目です。ですから、三代目であるあなたたちが、教えてあげるしかありません。そのようにしなければ、このような伝統を見いだせるところはないのです。

 あなたたちが真の父母を、自分の父母よりももっと愛し、真の父母の愛を受けて一つになり、親夫婦と自分たち夫婦が一つになって、孫の夫婦を愛してこそ、地上天国ができるのです。

 おじいさんとお父さんの二代の愛を受けなければなりません。おじいさんは天の国の象徴であり、過去の象徴です。父母は、現在の王です。全世界の家庭の王です。

 ですから、おじいさんは、天の国にいらっしゃる王であり、自分は、その父と一つになった地上の王です。その天の国の王であるおじいさんと、わたしたち父母が、地上で一つの家に暮らすのです。自分たちの息子、娘は三代目であり、神様の孫の立場です。

 だれが、この息子、娘を、より愛するのかというと、お父さんよりも、おじいさんが、もっと愛するのです。そうですか、そうではありませんか?(「そうです。」)

 なぜ、そうでなければならないのでしょうか? そのようにしなければ、回っていかないからです。ここでもっと愛してこそ、さっと回っていくのです。

 ですから、孫は、おじいさんとおばあさんの愛を受け、お父さんとお母さん……。お父さんとお母さんは、この世の中の数多くの家庭における“王の中の王”です。王なのです。そのおじいさんは、天の国に無数の夫婦がいますが、その中の王です。

 このように縦的に見るとき、そのおじいさんを先祖として、お父さんは王族です。二人の王族を迎えることができる孫は、地上、天上天国……。分かりますか? おじいさんから天の国を相続し、お父さんとお母さんから地の国を相続し、二つの国を相続するのが、孫なので……。

 あなたたちも、結婚して四十、五十歳になれば、孫が慕わしくなります。わたしも、そうです。息子、娘はたくさん生みましたが、忙しくて、子供を懐かしく思ったことはありませんでした。

 昔は、どこかに行っても、“何か買ってあげよう。”ということは夢にも思わなかったのですが、孫ができると、今は、何か良いものがあれば、“孫に買ってあげたい。”という思いがするのです。

 自分を生んでくれたお父さんよりも、もっと自分を愛してくれるのが、おじいさんです。分かりますか?(「はい。」)分かりますか? はっきりと知ってください。

 ですから、自分を生んでくれたお父さんよりも、もっと自分を愛してくださるかたが、神様です。ただ、おじいさんの王様が、神様なのではありません。それは、神様が万代の孫を超えて、もっと孫のことを思われるということです。

 それは、木と同じです。幹から末端が遠ければ遠いほど、芽が遠ければ遠いほど、それは愛を受けるのです。

 大きな木の枝が四方に伸びていっても、春に新しい芽が出るときには、根よりも、幹よりも、もっと愛するのは、新しい葉の間に咲く新しい花なのです。アーメン。そうでしょう?(「はい。」)

 それゆえに、三代目の孫である自分たち夫婦は、お父さんとお母さんよりも、おじいさんをもっと愛さなければなりません。

 そのようにすれば、自身は、上がったり下がったりする愛の主人になるのです。分かりますか? おじいさんから下りてきて、自分が受けたので、返してあげることができるようにしなければなりません。その後世の人もそのようになり、また、その輪がそのように伸びていくので、その愛は変わらないのです。

 三代が一つになって暮らす家庭であってこそ、天の国に入って行くことができます。お父さんよりも、おじいさんよりも……。分かりますか? おじいさんは、お父さんよりも、もっと自分の孫を愛するのです。そのようにしなければ、回っていくことはできません。

 高い所に上がって行けば、真ん中の中心を抱いて、底の方に下りて行かなければならないでしょう? それゆえに、上・中・下を抱いて、左・中・右、前・中・後と、中でこのようにするので、回るのです。ですから、二番目が、宇宙の主動的な役割をしなければなりません。何のことか分かりますか?

 目が貴いですか、鼻が貴いですか? どちらですか? それが分からないのですか? 目が貴いですか、鼻が貴いですか? 原理を学んでも、それも考えずに暮らしていたのですね。どちらが貴いですか?(「目がより貴いです。」)

 鼻は、“生死の境”です。目を一時間、このようにつぶっていても、人は死にません。しかし、水の中で息をすることはできないではないですか? ですから、生死の境を、鼻が案内しています。

 これ(目)は、宇宙で考えれば、神様を象徴し、鼻は、アダムとエバを象徴します。ですから、“生死の境”の主人はだれかというと、人類の先祖です。血統を担っているからです。愛も一代であり、生命も一代です。

 人に「人間にとって、いちばん貴いものは何ですか?」と尋ねれば、「愛です。」と答え、「その次は何ですか?」と尋ねれば、「生命です。」と答えます。そして、「その次は何ですか?」と尋ねれば、「分かりません。」と言うのです。それがアダムです。

​ 最も貴いものは、愛でもなく、生命です。父母の生命が貴く、愛を通して生きるとしても、血統が連結されなければ、親もいなくなるのです。​

​ 父母が、「父」という名を持ち、「母」という名を持とうとすれば、息子か娘、自分の赤ん坊を持ったときから「父」と「母」という言葉が成立するのです。その話は正しいですか?(「はい。」)そのことを今まで知りませんでした。​

 いくら女性がりっぱであるとしても、大宇宙の原則において、女性が、主人となることができる資格を持つためには、女性の前に男性がいなければならず、男性の前に女性がいなければ、愛の場を知ることもできず、見いだすこともできないということです。分かりますか、分かりませんか? はっきりと知らなければなりません、はっきりと。はっきりと、何ですか? はっきりと知りなさい。(「はっきりと知りなさい。」)

 先生が「はっきりと知りなさい。」と言えば、あなたたちは、「はっきりと分かりました。」と、答えなければなりません。先生と同じように言ってはいけません。それは、はっきりと知らなければなりません7(「はっきりと分かりました。」)本当に分かったのならば、それでよいのです。分かりますか?(「はい。」)

 そして、兄というものは、弟を愛することができなければなりません。兄を、その一族の“長孫”にしてあげることができるのは、弟なのです。弟がいなければ、「兄」という名も生まれず、兄の愛もなくなるのです。分かりますか?(「はい。」)

 また、兄がいなければ、弟の愛、弟の生命までもなくなるのです。それは何かというと、人間の家庭生活において、すべてが相対的なペアになっているということです。ペアです。上下のペア、左右のペア、前後のペアです。

 これが何かというと、この中にあるものが、何ですか? 愛です。上下も、おじいさんと孫が、愛を中心として一つになるでしょう? そうですか、そうではないですか?(「そうです。」)そうですか?(「はい。」)それでは、忘れてはいけません。ペアになっていてこそ、愛があるのです。

 それでは、“独りで暮らしたい。”という寡婦、男やもめは、手を挙げてください。“独りで暮らす。”という女性が、多いではないですか? 独身生活、それは、一代で終わります。いくら一代で豊かに暮らしたとしても、それは、“この被造世界の寄生虫であった。”ということです。

 父になり、母になって、娘を嫁がせることができなかった場合、その父と母は落第です。おじいさん、おばあさんになることができません。母方のおじいさんになれないでしょう? そうですか、そうではないですか?(「そうです。」)

 それでは、神様は人格的神というのですが、人格的神とは何かというと、おじいさんの中のおじいさんであり、お父さんの中のお父さんであり、夫の中の夫であり、それから妻の中の妻であり、息子の中の息子であり、孫の中の孫ということです。

 神様は、そのように、すべてなることができるのです。なぜでしょうか? 愛が通じることができる血は、どこにでも行くことができるからです。

 血統があれば、どこにでも行くでしょう? 先生のかかとから流れていく血が、この頭に巡っていきますか、巡っていきませんか? どこにでも巡っていくのに、「おいおい、来てはいけない。」と言うのですか?

 数多くの系統があり、多くの枝分かれがありますが、これがどこに通っても、すべて詰まらずに歓迎するようになっているということです。それは、血統です。「血統」と、言ってみてください。血統。(「血統。」)

 何の血統ですか? 自分勝手にできた血統と、完全無欠な血統、どちらを願いますか?(「完全無欠な血統です。」)完全無欠な血統とは、清く完全な血統のことです。

 清く完全な血統になろうとすれば、清い父母、清い愛です。完全な父母、完全な愛でなければ、清く完全な血統が生じることができますか、できませんか?(「できません。」)できませんか、できますか?(「できません。」)そうです。

 清い血統です。清い生命、父母の生命、清い愛でなければ、自分は清い血統になりません。第三者を必要としません。

 エデンの園のアダムとエバは、エバが二人でアダムが一人でしたか、一人と一人でしたか?(「一人と一人でした。」)なぜですか? 凹が二つで、凸が一つならば、どのようになりますか? 凹が二つならば、一つは、なくさなければならないのです。

 皆さんが結婚して、夫が浮気をして、女性二人の前に男性が一人になったならば、その女性を殺したい気持ちになりますか、生かしてあげたいですか?(「殺したい気持ちになります。」)尋ねているではないですか? 皆さん、率直に答えてみてください。皆さんの心はどうなのか、わたしには分からないので尋ねているのです。

 それでは、神様が、それをご存じであったでしょうか、ご存じでなかったでしょうか?(「ご存じでした。」)ご存じでした。ですから、エデンの園において、絶対の男性は一人しかいなかったのであり、絶対の女性も一人しかいなかったのです。

 なぜ、そうなのでしょうか? 愛は二つではありません。絶対的です。絶対に一つなのです。女性の愛も、男性の愛も、絶対に一つです。二つではありません。一つです。一つになることを願いますか?

 夕方六時くらいになれば、夫が帰ってくる定刻ですが、一時間でも遅れれば、女性たちの胸がやきもきするでしょう?「何か事故でもあったのか?」と言うのです。

 何が事故なのでしょうか? “酒場に行って、女性にたぶらかされるのではないか?”と心配して、そのようになるのではないですか? そのような心配をしますか、しませんか?(「します。」)しますか、しませんか? この者たち。すっきりと答えてみてください。(「します。」)それは、間違いありません。

 誠実で美しく、香りが漂う、花のような女性の心の中には、男性が二人いるのではありません。絶対的に一人であり、それから唯一的に一人であり、変わらず不変的に一人であり、永遠的に一人であることを願うのです。

 真の愛が偉大なのは、なぜでしょうか? 絶対、唯一、不変、永遠の愛として行く道は、一瞬の最短距離を通ります。それゆえに、醜い女性も醜い男性も、自分の愛は絶対的なものです。自分の愛は、ただ一つ、絶対、唯一、不変、永遠の愛であることを願うのです。

 ですから、醜くて、ぺちゃんこにつぶれて、あらゆる病を抱えた男性と女性であったとしても、そのような愛、そのような属性を持った愛、四つの愛の性稟を求めるのが、全人類の正常な思考方式です。

 永遠になれば、過去、現在、未来です。女性も絶対の愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛、男性も絶対の愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を願います。それを願いますか?

 それを願わない人は、手を挙げてください。賞金を上げます。賞金を上げますから、手を挙げてみてください。全員、願うのですね?

 それでは、“神様の四大絶対属性を自分のものにしたい。”と思わない人は、手を挙げてみてください。耳があって、聞いていることは聞いているのですね?(笑い)ですから、耳が宝です。

 それでは、“その属性に似た私になる。”という人は、手を挙げてください。地獄に行くような人は、一人もいませんね。(笑い)

 全員、天国に行くでしょう。「私の愛。」と言うとき、絶対的私の愛、唯一的私の愛、不変的私の愛、永遠的、永遠にアーメン。十本指アーメン。(「アーメン。」)“二八パル青春”、アーメン。(「アーメン。」)“二八青春”、アーメン。

 なぜ“二八青春”なのか、分かりますか? この右手には、十四の節があります。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、十二個で、神様を象徴するこの二つを合わせて、十四個です。十四個が二つなので、合わせてちょうど“二八青春”です。分かりますか?

 この親指が、このように入っていくのですが、これがさっと出てくるのです。すべてを従えて、「私の言うことを聞きなさい。」と言えば、「はい。」と……。“二八青春”、手足が一つになることができれば……。そのようになれば、いくつですか? 手足(の節)を合わせれば、いくつですか? 五十六です。

 最近の五十六歳といえば、定年退職時代に入っていくというのです。“二八青春”に下りていきます。それで、これは男性を象徴し、これは女性を象徴します。このようにしてみてください。このようにしても“私の愛”、あのようにしても“私の愛”です。一度、やってみてください。本当にやりましたか?

 “私は、そのように生きなければ、死んだほうがよい。”と決心した人は、手を挙げてみてください。分かっていることは分かっているのですね。そのくらい分かれば、よいですね。

 もう、先生が話をする必要もありません。何の話を、もっと聞こうというのですか? 凸凹の話をしますか?(笑い)笑って聞くことができなければ、それも事故ではないですか?

 さあ、サッカーの話を少ししましょう。

 (尹晶老氏が、サッカーに関する報告をする。)

 天国が、どこにあるというのですか?(「心です。」)何ですか?(「心の中にあります。」)心と体の中です。天国というとき、心と体が一つにならなければ、天国は離れていくのです。ところが、私たち人間は、心と体が闘いますか、闘いませんか?(「闘います。」)

 いつ、その闘いが終わるのですか? そのままにしておけば、永遠に終わりません。永遠に続きます。神様も、これを止めることができません。堕落して、サタンの血統になったものを、神様が干渉なさることはできません。サタンも、それを止めようとしません。「もっと闘え。もっと闘え。」と言うのです。

 それゆえに、世の中を見れば、強盗の一味やテロ団がいますが、彼らは、日がたてばたつほど、もっと闘い、テロ団は、形容することができないほどのひどいことを、だんだんと付加させていっています。それが、彼らの日常生活です。分かりますか?

 わたしたち統一教会の教会員は、心を中心として、体を屈伏させるべき責任があります。それが、日がたてばたつほどさらに強くなり、自分が天国に行くようになるときには、すでに心身は統一されて、心の世界にサタンの影がなくなって、神様の反射体となるのです。それは、太陽の光を受けて、月が反射することと同じです。分かりますか?

 太陽が明るく輝けば、月はどうなりますか? 曇って見えますか、明るく見えますか?(「明るく見えます。」)太陽が明るくなるとともに、月も明るくなります。ですから、“一つになっているので、一日の昼と夜は、神様が主管なさることができる。”と、このように思うのです。

 同じように、すべてのものがペアシステムになっています。昆虫世界を見ても、雄と雌です。言ってみてください。(「雄と雌。」)雄と雌です。(「雄と雌。」)人間世界は、男性と女性です。(「男性と女性。」)それを分けることができますか? 男性と女性を分けることができますか? 動物世界の雄と雌を分けることができますか? 昆虫世界の雄と雌、主体と対象を分けることはできません。できないのです。

 鉱物世界を見ても、すべてプラスがあり、マイナスがあります。プラスイオンとマイナスイオンの相対になっています。動物世界を見ても、雄と雌です。人間世界も、男性と女性です。

 心の世界でも、心と体が一つになっていなければならず、天と地も、神様と人間も、二つの世界が、二つが一つになってこそ、天地の平和世界が成されます。

 そうして、昆虫世界から人間世界まで、地上世界、人間世界を超えて天の国の果てまで、統一された世界にならざるをえないのです。分かりますか?「アーメン。」と言いますか?(「アーメン。」)

 その「アーメン。」と言うことができる主流思想とは、何でしょうか? これが真の愛である、ということです。真の愛です。真の愛が最も好むのは、何でしょうか? 真の愛が最も好むのは、何ですか?(「『絶対』です。」)「絶対……」、何ですか?

 真の愛が最も好むのは、真なる女性と真なる男性です。そうではないですか? 真の愛が留まることができる所は、どこですか?

 真の愛だけでは、留まる所がありません。休む所もなく、暮らすことができる環境もありません。その最も好む所が何かというと、男性という生き物であり、女性という生き物なのです。

 それは、なぜですか? なぜ、最も好むのですか? 男性独りでも、真の愛が暮らすことができず、女性独りでも、真の愛が暮らすことはできません。男性と女性が一つになるところにおいてのみ、真の愛が暮らすことが……、できるということですか、できないということですか?(「できます。」)理解していることは理解しているのですね。

 さあ、ですから、わたしたちの周りに展開されているすべての万物は、どれを見ても、必ずペアシステムになっているということを知らなければなりません。そのペアシステムは、何を必要とするのですか? 真の愛の主人が必要なのです。真の愛の主人です。真の愛の主人にさえなれば、真の愛を最も好まれる神様は、そこについて行かれるのです。

 それゆえに、そのような因縁を持って存在するすべての世界は、一生が永遠に継続します。永遠にです。分かりますか? 一生が永遠に継続するのです。

 皆さん。昆虫世界のとんぼを見ても、それは幼虫から育ってとんぼの姿になりますが、そのときになって、そのような姿になることが決まるのではありません。それは、創造当時に、神様から始まったのです。

 そのようにして始まったとんぼの一族を連結させた存在が何かというと、愛なのです。愛です。分かりますか? 愛は、何を通して愛するようになるのですか? 男性という家であり、女性という家です。二つを一つにして、男性の生命体と女性の生命体が、一つにならなければならないのです。

 愛の力には、いくつにも分かれた存在を一つにする力があります。分かりますか?(「はい。」)雄と雌は、どれほど異なるでしょうか? 男性と女性が、どれほど異なりますか? 百八十度、異なります。

 男性は高い所を願うのですが、女性は低い所を願います。正反対です。男性が北極ならば、女性は南極であり、男性が東側ならば、女性は西側です。極と極は、一つになることができないのですが、一つにすることのできる力が何かというと、真の愛なのです。

 その真の愛がある所においては、なぜ一つになるのでしょうか? 神様が、共にいらっしゃるからです。神様が、愛を中心として好まれるものは、一つにするための創造の理想……。

 創造理想は、真の愛が一つになる所で成し遂げられるのであって、真の愛が留まることができない所においては、雄なら雄、雌なら雌、その一代で終わるのです。分かりますか?

 二つが一つになって継続するところにおいて、神様の新しい愛、神様の新しい生命、神様の新しい血統が永遠に継続するのです。

 ですから、万宇宙の存在は、主体と対象の相対的関係を持たざるをえません。なぜ、そうなのでしょうか? 愛の主人になるためです。分かりますか? 神様に似た、永遠に生きることができる生命の主人になるためなのです。

 また、そればかりではなく、天地を満たして完成させ、人間を完成させ、人間世界の理想的な国や、天地に天国を完成させることができる愛を必要とするので、その血統が必要なのです。

 ですから、皆さんも、今から主人になるためのものが……。「愛の主人になろう。」と、一度言ってみてください。(「愛の主人になろう。」)主人になりましたか? なりましたか、なっていませんか? 人間を「万物の霊長」というのですが、神様と、お父様と一つになりましたか、なっていませんか? なっていない原因は、神様が来られて……。

 神様の愛は、統一させる力です。ところが、一つになることができる、そのような主体と対象の相対が、水平と縦的な基準が合わないので、一つになっていないのです。

 「人」といえば、人には、思いが二つあります。心の思いと、体の思いの二つがあります。体は、世の中を中心として“自分のものにしよう。”と思い、心は、“無限なる天の世界を自分のものにしよう。”と思うのです。

 それを統一させているのは、生命ではありません。男性と女性の生命では、できません。神様の愛と一つになった男性と女性になるときには、血統が生じることによって、その血統を通して、統一することができるのです。

 ですから、血統を通して生まれる息子や娘を見詰める親は、二つになる(別れる)ことができません。親が、「ああ、わたしの息子、わたしの娘。」と言うときに、「これは、お母さんの息子、娘である。」とか、「これは、わたし(父親)の息子、娘である。」と言うでしょうか?

 お父さんもお母さんも、「わたしの息子、娘。」と言うのです。親は二人ですか、一人ですか? 二人なのですが、子供を呼ぶときには何と言いますか?「わたしの息子、娘。」と言うのです。「わたしの息子、娘。」がよいですか、「わたしたちの息子、娘。」がよいですか?

 皆さんが言うときは、どうですか? 学校に通う二人の息子、娘に対して、「わたしの息子、娘。」と言いますか、「わたしたちの息子、娘。」と言いますか? 夫がいなくても、「わたしの息子、娘。」と言い、夫も「わたしの息子、娘。」と言い、親が二人共いても、「わたしの息子、娘。」と言うことができるのが、より近いということです。

 なぜでしょうか? 血を分け合っているからです。血を分かち合っているというのです。自分の心と体が一つになった血です。男性の心と体が一つになった血統と、女性の心と体が一つになった血統は、同じでしょうか、違うでしょうか? 同じではありません。

 しかし、愛を通して一つになることができるので、父母という二つの体になっていますが、愛によって一つになったその子供は、自分の子供になるのです。ですから、二人が一つになったので、「わたしの子供」です。分かりますか?

 ですから、「わたしたちの子供」よりも「わたしの子供」です。「わたしたちの妻」という言葉がよいですか、「わたしの妻」という言葉がよいですか?(「『わたしの妻』です。」)「わたしの夫」がよいですか、「わたしたちの夫」がよいですか?(「『わたしたちの夫』です。」)

「わたしたちの夫」というのは、何人かの人がいるとき、「わたしたちの夫」と……。皆さんにも夫がいるので、その中の一人として、「わたしたちの夫」と言うことは、どうですか? そのような夫を好む人がいますか?

 “夫と妻は、ひとえに二人だけで、あなたと私しかいない。”というときに、「わたしの夫」、「わたしの妻」、「わたしの子供」と、このようになるのです。自分を中心として決定することを願うのが人間の特性なので、神様の絶対性、唯一性、不変性、永遠性を備えて、個性真理体になるのです。アーメン。(「アーメン。」)

 皆さん。“義なるもの”とは何かというと、犠牲の羊であり、その立場をどこでも守っていくことができる人を「義人」というのです。分かりますか?(「はい。」)

 「人」(という字)も、“二人”のことをいうのです。“二人”です。犠牲になる祭物というものは、一人の祭物は必要ありません。神様と人間とが、水平になるためや垂直になるために、二つが一つになるための場においては、義なる祭物が必要です。

 祭物は、鳩、羊、牛、これは、すべて善良なのです。鳩も、そうではないですか? 鳩も、つがいになれば、死ぬまで一緒に暮らすのです。

 このようなことを見るとき、二人が一つになることができるためには、義なるものになるためには、犠牲になるところにおいて、義なるものが成し遂げられるのです。

 夫婦同士で「義なる夫婦」というとき、何と言いますか? 女性が考えるときに、「私は、愛されるために嫁に行く。」と考えますか? どうですか?「なぜ、嫁に行くのか?」と尋ねるとき、「新郎に愛されるために嫁に行く。」と言いますか?

 愛を受けてばかりいて、愛を横取りし、愛することを知らないというのですか? 愛されるために嫁に行くというとき、夫が愛する以上に息子、娘を愛すればよいのです。受けたのですから、返してあげなければなりません。

 恩恵を受けて、世話になって、それを返すことができない人は、負債を負った人なので、負債を負った人は、天下のいかなる万物も、相対世界のいかなるものも、好むものは一つもありません。ありますか、ありませんか?(「ありません。」)わたしよりも優秀ですね。ありますか、ありませんか?(「ありません。」)あります7(「ありません7」)

 「善」という字も、そうです。「善」という字にも「羊」があります。そして、「犠牲」といえば、その「犠(犧)」という字は、「羊」を中心として「秀」という字です。ですから、“最高に秀でて犠牲になることができるもの”が祭物です。このように考えるのです。

 それゆえに、漢字をだれがつくったのかというと、東夷民族がつくりました。東夷民族です。甲骨文字、この骨のようなものを……。その時を見れば、昔の古代韓国であると、歴史的に知られています。分かりますか?

 韓国人は、そのような面において、手本となることができる人たちです。気分が良いですか、悪いですか?(「良いです。」)

 そのかわり、欲も深いのが韓国人です。欲が深いというのは、“自分第一主義”ということです。そのような性格があるので、第一主義の人たちが、その第一主義で犠牲になれば、神様が好まれるというのです。神様が、いちばん好まれるのではないでしょうか?

 ですから、韓国人は、独特な人たちです。世界のさまざまな民族、日本民族や他の国の民族たちはだれでも、外国に行って、そこに自分の国の大使館があれば、大使館を訪ねて行きます。しかし、韓国人の特徴は、死んでも、自分の国の大使館には訪ねて行かないということです。(笑い)

 日本人が旅行に行けば、なぜ、旗を持った人を中心として、ぞろぞろ、ぞろぞろと、一日中歩き回るのですか? 引率者が「来なさい。」と言えば、一人も離れる人がいないというのです。韓国人は、解散命令をすれば、一人も残っていません。全員、どこかに行ってしまいます。

 ですから、“大使館に行けば、会えるだろう。”と思って大使館に行っても、会うことができず、どこに行っても、会うことができません。韓国人は、自主的力、自主性が強いのです。一度、言ってみてください。(「自主性が強いです。」)わたしは、自主性が強いです。(「わたしは、自主性が強いです。」)

 何の自主性ですか? 自主性は、絶対に必要なものです。神様を愛する自主性、父を愛する自主性、夫を愛する自主性、息子、娘を愛する自主性、自分の家庭を愛する自主性、自分の国を愛する自主性、自分の世界を愛することができる自主性、自分の神様を愛することができる自主性です。

 そのような自主性を統一することができる忍耐を中心として、犠牲になる民族は、世界の統一国の王子、王女になることができるのです。(「アーメン。」)

 さあ、“そのような人になりたい。”と思う人は、一度……。目を閉じてください。目を閉じて、手をさっとこのように広げてください。両手ではなく、片手です。このように広げて、挙げてみてください。本当に美しいです。写真を一枚写してください。

 わたしも、今まで何度もだまされて、“人を信じないようにしよう。”と結論を下そうと思ったこともありましたが、今からは、離別する時が来ました。皆さんは、皆さんの行くべき道を行かなければならず、わたしは、わたしの道を行かなければならないのです。




 今から、先生は地上で、どれくらい生きるでしょうか? 十年ですか、二十年ですか? 別れる日が、だんだんと近づいてきているというのです。分かりますね? 別れてから“先生の命令を成し遂げよう。”というのは、落第する人です。学生が学校に行って……。

 学校に通うときも、先生の話を中心として、卒業するまでに、その話を完全に成し遂げてこそ、その学校に名前が残るりっぱな学生となることができるのです。そうして、すべての教職者から、学校の歴史を代表する先導者として後輩の前に立てられるということは、間違いありません。分かりますか?

 ですから、先生がいる間に完成しなければなりません。先生がいる間に完成しなければなりませんか、いなくなってから、自分たちで完成しなければなりませんか?(「いらっしゃる間に完成しなければなりません。」)なぜですか? 完成しても、賞を上げる人がいないではないですか? だれが、賞を上げるのですか? あなたの夫が、賞を上げるのですか、あなたの義父が、賞を上げるのですか?

 義父の義父の義父の王の義父が先生であるならば、そのかたが生きて、王の孫の孫の孫の長孫となる、その孫と孫娘を祝福すれば、その間にいるすべての人は、孫であり、息子、娘となります。ですから、一緒に祝福圏に入っていくことができるのです。

 それは、どういうことかというと、きょう、ここに集まった統一教会の人は、先生の話を聞いて、“私も、そのようになろう。”と、決心して出発し、先生が霊界に行っても、“私は行く。”と思って、従って行けばよいということです。

 そうすれば、ここ(地上)で生きているときに、間違いなく、“霊界で皆さんと会うことができる。”という約束をしてあげます。「アーメン。」と言わなければなりません。(「アーメン。」)

 例を挙げれば、第二次大戦の時、日帝時代において、徴兵召集命令が出れば、すべての村では、親が「逃げなさい。」と言い、あらゆるおかしなことが起きました。警察署の署長、面長、里長、班長が協力して参戦する準備をして、その人たちから「行ってきなさい。」と言われました。

 そうして、村を離れて汽車に乗る場所に行き、汽車に乗ると出動サイレンが鳴るのです。サイレンが鳴るや否や、「わあ7 第二次大戦が終わった。万歳7」と言えば、汽車に乗っていた人は、汽車に乗ったまま万歳を叫ぶでしょうか、降りて来て万歳を叫ぶでしょうか?(「汽車に乗ったままです。」)

 汽車に乗ったままですか? 降りて万歳を叫ぶのは、どうですか? 二つのうち、どちらがよいですか? 汽車に乗ったまま万歳をするのがよいですか、降りて万歳をするのがよいですか?(「降りて万歳をするのがよいです。」)

 降りて万歳をするのが、よいですか? 汽車に乗ったままするのは、どうですか? 汽車に乗ったまま国のために万歳をするのと、降りて、親と共に万歳を叫ぶのとでは、どちらがよいですか?

 愛というものは、遠い所から先に愛しますか、近い所から先に愛しますか?(「近い所からです。」)聖書では、自分の家の者が怨讐であると言っているのですが、汽車を飛び降りて、“私のお父さんとお母さんと一緒に、きょうの喜びを万歳しなければならない。”と思えば、汽車に乗ったまま万歳する人よりも、降りて、親に対して万歳する人を、すべての人が「悪い。」と言うでしょうか、「良い。」と言うでしょうか?

 村全体、親、兄弟、派出所の主任や面長まで、村全体で万歳するのと、汽車に乗って、汽笛の音はしたのですが出発しないので、待っていて、(万歳をしないで)そのまま汽車の中で待っているのとでは、どちらがよいですか?(「降りて万歳を叫ぶことです。」)そうです。

 家庭が問題です。国も、家庭を立てた後に、国に行かなければなりません。いちばん喜ぶのが父母、妻、息子、娘でしょう。

 金鎭文氏も、そうですか? どこを回っているのですか?(「どこを回っていても、家庭がいつも頭にあります。」)家庭がいつも頭にあり、写真を持ち歩いているのですか?(「はい。持っています。」)写真に三回ずつキスしますか? 息子、娘、妻。(「写真は、親のものも、すべて持っています。」)

 写真があるのは分かるのですが、「キスは毎日、三度の食事のたびに、一度ずつしてあげるのか?」ということです。(「電話をするときにします。」)電話ですか? 一年に一回、電話をするのならば、それは“一度しかしてあげない。”ということではないですか?

 ですから、人には、自分の精誠というものがあるのです。分かりますか? 愛も、精誠を基盤とした愛は、どこにでも通じます。写真を持ち歩いていても、朝食を食べ、昼食を食べ、寝て、すべて一緒に暮らしながら、一緒に喜んで暮らすのと同じようにすれば、その写真が、先祖にもすべて通じるというのです。信号です。分かりますか?

 わたしたちは、一人で暮らすのではありません。三代圏を中心として暮らすので、いつでも……。環境を無視する人は、堕落した人、つまらない人になり、自分のことばかり考える人になります。

 環境を重要視する人は、全体を抱いて、もっと大きな環境を訪ねていくようになります。そうして、町を豊かに暮らせるようにして、さらに“国を豊かに暮らせるようにしよう。”と考える人になることによって、愛国者となるのです。

 そのようにして、さらに“世界を豊かに暮らせるようにしよう。”と考えれば聖人となり、天地、神様まで解放すれば、天の国の王子、王女になるのです。アーメン。(「アーメン。」)

 “最高が嫌いだ。”という人は、手を挙げてください。“最高が好きだ。”という人は、手を挙げてください。では、何を最高にしたいですか?

 親を最高に嫌う人がいるでしょうか? 最高を願うでしょう? 親が最高なのですが、結婚する人たちが、「私の妻が最高だ。私の夫が最高だ。」と言うとき、どちらが最高ですか? 親を“最高だ。”と思うのが貴いですか、新郎新婦を“最高だ。”と思うのが貴いですか?

 歴史性を備えたものを見るときには、親でしょう? 新郎新婦は、二十代、三十代、四十代、一生の四分の一、五分の一を過ぎて出会ったので、いくら愛しても、“父母の愛”を超えることはできません。

 それで、結婚した夫婦は、夫を生んでくれた父母、妻を生んでくれた父母の代わりとして一つになってこそ、父母の位置に立つようになるのです。

 ですから、新婦は、夫の親によく侍り、新郎は、“妻の親までも、自分の親のように侍ろう。”という心を持ってこそ、それまで、結婚して一つになることができなかったとしても、そのことを埋めて余りあるというのです。

 環境が必要です。環境。分かりますか?(「はい。」)手があれば、手自体に表裏があるでしょう? これ(表)が自分の夫の家庭であるならば、これ(裏)は妻の家庭です。この二つが、一緒に動かなければなりません。

 ですから、夫を迎えた女性は、夫を“自分の父親の代わりである。”と考えなければなりません。分かりますか? 女性を迎えた男性は、妻を“自分の母親の代わりである。”と考え、妻の両親を“自分の両親の兄弟である。”と考えなければなりません。そのように考えなければならないのです。兄弟は、一つになるのではないですか?

 氏族まで一つになろうとすれば、父方の系列だけでよいでしょうか? 母方の系列を外してよいのですか? 三百六十度、姓氏をすべて合わせてこそ、一族の環境が円満になるのです。

 ですから、より大きいものを投入しようとし、犠牲になろうとする人は、より大きなものの中心存在になるのです。(「アーメン。」)これが天理です。歴史が変わっても、より全体のために苦労する人は、小さな所でも大きな所でも、より犠牲になる人は、その小さい所や大きい所で主人の位置を占有するようになるのです。分かりますか?(「はい。」)

 統一教会に入って来て、“統一教会の主人になりたい。”と思う人は、手を挙げてください。このように四千人のために生き、犠牲になることにおいて、四千人が競争して、その一等になることができる人が、中心者です。より、より、より犠牲になる人は……。

 神様は、なぜ神様になられたのでしょうか? 人類を中心として、数千万年の間、ために生きられて、またために生き、投入して忘れ……。父母とは、そういうものです。子女を愛することを忘れて、もっと愛することができないということが、恨なのです。

 子供のために、正月や誕生日に、いちばん良いプレゼントを買ってあげるとしても、“デパートに行って、いちばん良いものではなく、このような物を買ってしまった。”と思うとき、一等、二等を忘れて三等の物を買ったというとき、父母の心は平和でしょうか、幸福でしょうか? 幸福ですか、不幸ですか? 平安ではありません。不幸ではありませんが、平安ではありません。

 ですから、“来年は、それ以上の物を買ってあげよう。”と、父母は犠牲になるのです。その息子、娘よりもです。分かりますね? 親とは、そのようにして息子、娘よりも犠牲になるものなので、父母のことを、自分の中心存在の中の中心存在として貴重に思うのが、孝子の道なのです。アーメン。(「アーメン。」)

 それは、「神様を中心として、どうして文総裁がメシヤであり、真の父母なのか?」という話になります。歴史上には数多くの父母がいて、精誠を尽くした大勢の夫婦がいましたが、キリスト教宗教圏においても、二十四時間、食べずに精誠を尽くしてでも、父母の心の立場がどのようなものであるのかということを知り、その深い谷間の心情を知り、崩れた高い希望の壁を積み上げていることを知ってきたのです。

 それを心配してあげ、直してあげようとして、“千年、万年、苦労した神様よりも、自分は、その千年、万年以上、苦労なさった神様のために生きよう。”と思って中心的な立場に立てば、神様のみ旨が成し遂げられるときには、千年万年もかからないで成される、その心情世界を相続させてくださるのです。

 神様は、そのような神様でいらっしゃいます。息子、娘が精誠を尽くしたことを、いつかは忘れたとしても、遺言もできずに忘れたとしても、父母には、“いつでもそれを成し遂げてあげよう。”という心があるので、父母の父母であられる神様は、そのように生きる人を永遠に忘れられることはありません。

 さらに、“彼らを、すべての存在の中心存在として立ててあげよう。”という心を持っていらっしゃるので、「神様は、どれほどありがたくありがたい、父の中の父であられ、師の中の師であられ、主人の中の主人であられるだろうか。」と、言わざるをえません。

 そのかたたちが好み、そのかたたちが“したい。”と思うすべてのことは、“自分が代わりにする。”というとき、神様は、ご自身が持っていらっしゃる秘密の倉庫に入れておいた宝物までも、すべて「おいおい、子供たちは大勢いるが、あなたに上げよう。」と、訪ねて来られて、こっそりと下さるのです。分かりますか?

 例を挙げて話をすれば、わたしたち統一教会の教会員たちが嫁いで行くとき、日本人の所に嫁に行き、西洋人の所に行き、五色人種の中で、嫁に行かない所がありません。

 先生の教えが、このように、「ために生きる人が主人になる。」というものであることを、耳にくぎを刺すようにして聞き、“そのように生きよう。”とする人たちは、息子、娘がいくら大勢いても、自分が何番目であっても、祝福家庭としては、いちばん最後であるとしても、中心的な立場に立つようになります。

 夫の父母や兄弟が最も好むのは何かというと、全体のために自分を忘れて生きる人であり、それが統一教会の教会員です。ですから、統一教会を中心として、父親でも何でも、その環境でも、兄弟たちが中心に迎えて一つになるのです。

 真の愛は、永遠に統一圏を完成する、その心情を持っています。ですから、(そのような資質や感性について)自分では分からなくても、神様がお気づきになれば、神様は、環境の統一圏として、この“私”を中心存在として立てられるのです。

 そうして、神様は、そのような“私”を選出することができるように推薦したり、選挙で当選することができるようにされ、そのような人物を立てられて、その人に“国と世界を任せたい。”と思われるのです。それが父母というものです。父母の中の王の父母は、そのように考えざるをえない、ということを知らなければなりません。

 皆さんが天国に行ったとき、皆さんの親が天国に訪ねて来て、“息子のために生きる。”というときに、神様は、「おい、おい7 あなたの息子は天国に行くが、父母であるあなたは、行くことができない。」とはおっしゃいません。

 息子がために生きれば、そのために生きる息子の所に、“もっとために生きよう。”として訪ねて行く親については、いくら傷が多かったとしても、その場で道を開いて(息子のいる所まで)案内してあげるというのです。

 そうして、その道を超えて、親が息子を助けてあげることができるようになるときには、その親にも、天国に行って息子に会い、一緒に暮らすことができる道が、いくらでもありうるのです。そのような道がありえますか、ありえませんか?(「ありえます。」)

 ですから、親が、子女が願うその世界に行き、資格はなくても、その息子、娘が願う理想のために生きようとすれば、その親も、中心の位置に立つことができる息子、娘と同参することができるのです。分かりますか?(「はい。」)

 ですから、自分独りが全体のために生きようと、自分が父母のために生きようと、世の中の果てやどこに行ったとしても、ために生きる心を持って暮らす人は、絶対に滅びません。分かりますか?(「はい。」)わたし文総裁が、そのように生きてみると……。

 わたしは、哀れな存在です。父母たちも追い出し、父母も「行くな。」と言う道を「行く。」と言うので、皆が足にしがみつき、首にしがみつき、大騒ぎしているのを蹴飛ばして出て来たことを思い出します。独りで山道の峠を越えて、見えない所まで飛び出して来たことを思い出します。しかし、わたしが帰るときには、親が願う理想の世界を……。南北を統一して……。

 わたしは、以北(北朝鮮)に行って、母の墓参りをしながら、「わたしが、ここに来たのは、金日成の徒党たちが願い、その心で意図することのために来たのではありません。わたしが、ここに来たといって、母の墓を案内してくれたので、母の墓参りに来て、涙を流す……。」と報告しました。

 先生の姉と妹が、断腸の思いで痛哭するのです。「お母さん。」と言いながら、「あれほど愛していた息子、お兄さんが来ました。」と言い、「弟が来ました。」と言うのですが、そこに立って、胸が崩れ落ちようとするのを止め、涙を流さないようにすることが、どれほど大変であったでしょうか? 北朝鮮に行って、涙を流さなかったのは、初めてです。

 そして、わたしが祈祷したことがあります。

 「わたしが、ここに来たのは、父と母を慰労するための個人の訪問ではありません。以北において、二千万の同胞を生かすために、三十八度線を取り除き、万国が解放の自由天地を迎えて、南北にいる兄弟たちが共に集い、国境を越えて、どこに行っても、その兄弟たちが友愛を保護し、孝子を保護し、息子、娘を愛する父母の愛を保護することができるようにするためです。今、その天地に向かう途中にいるので、そのような天地になるとき、初めて息子として訪問し、涙も流し、父母様を慰労してさしあげます。その日までお待ちください。」と、祈祷したのです。

 世の中の人たちは、「文総裁は、なぜ、以北に平和自動車(の工場)をつくるのか?」と言います。先生には、“かかったお金を一銭でも取り戻そう。”などという考えはありません。

 “親が、わたしを愛してくれた、その愛の心があったのならば、その以北が、なぜ、あのようになったのだろうか?”と、考えてみたときに、自分自身が“愛そう。”という心を持って、地上においてであろうと、“南北の統一を成すことができる。”という心を中心として、果たさなければなりません。

 そうして、(霊界からは)霊的に助けることができる親戚が、(地上の)親戚を助け、良心的な善なる人がいれば、その善なる人を助けて、南北を水平化することができ、一つになることができる、このような面に対して、もっと協助してくれるようにと願うのが、先生の希望であり、父母の希望なのです。

 しかし、心が同じであってこそ、それが成し遂げられるのであって、一つは上がっていき、一つは下がっていくということではいけません。分かりますか? 分かりますか? 分かりますか? 後ろの方は、聞こえますか?(「はい。」)

 孝子になりなさい7“自分は、間違いなく孝子である。”という人は、手を挙げてください。「孝子」なので、女性は、だめでしょう?

 それでは、女性が気分を悪くするので、男性も手を挙げて、女性も、“孝女になりたい。”という人は、手を挙げてください。両方とも挙げなければならないでしょう? 挙げていない人は、いませんね? 全員、挙げたでしょう?

 ですから、父母の立場にいる文総裁は、いくら悪党の頭目のような息子、娘であっても、愛さなければならない運命であり、両方とも「(孝子、孝女に)なります。」と言うので、福を祈ってあげますか、災いを祈ってあげますか?(「福を祈ってあげます。」)

 きょうまでのことは、すべて忘れますが、今から、祝福を受けることができる、より犠牲になる中心存在になり、環境に奉仕することができる基盤を広げなければなりません。そのようになれば、きょう、祝福したその事実を再び成して、過去の歴史を埋めて余りある解放的な、ために生きる主人にならなければなりません。アーメン。(「アーメン。」)(拍手)

 統一教会の原理のみ言の中で、最も重要なものは何ですか? 「最も重要なものは何か?」というのです。すべて重要でしょう? 第一、二、三、四というとき、息子も全員、重要ですが、一番目、二番目、三番目、四番目がありませんか?

 今、父子関係です。堕落した人間が、父子関係を語ることができるでしょうか? 復帰しようとすれば、何が必要ですか?(「蕩減です。」)蕩減です。

 蕩減とは何ですか?「蕩」という字は、“溶かして削って小さくする。”ということです。そうですか、そうではないですか?(「そうです。」)

 夫に対する蕩減の限界点は、どこですか? 女性たちは知りません。知っていますか? 男性たちが、女性に対して蕩減することができる限界点を知っていますか? それは何ですか? このような根本問題は、理論的にわきまえておかなければなりません。

 神様の属性が、何ですか? 属性は、目の属性、耳の属性、鼻の属性、五官の属性、すべてあります。肢体には、すべて属性がありますが、主流の属性は何でしょうか? 主流の属性が、“絶対属性”です。神様の属性は、絶対属性です。神様は、絶対的なおかたです。唯一のおかたです。不変なおかたです。永遠のおかたです。分かりますか?(「はい。」)

 そのようなおかたが最も好まれるものは、何でしょうか? 真の愛です。真の愛が最も好むものが、何でしょうか? 真の息子、娘です。そうでしょう? 真の息子、娘がいなければ、真の愛は流れてきません。その真の息子、娘が大きくなって、孝子にならなければなりません。孝子になり、二人の兄と妹が大きくなって、闘ってはいけません。

 神様は、二性性相の何ですか? 中和的存在です。二人を一つにすることができながらも、いつも主体の立場に立つことができます。主体の立場にいらっしゃるので、主体的立場で、性相が形状を従えるのです。

 言い換えれば、男性と女性で、男性が性相、女性が形状ならば、性相は、この後ろに来て回るようにして、一つになるのです。プラス、マイナス、そこにプラスです。そして、運動が起きるのです。その運動に入っていくことができるチャンスができれば、「さあ、今から一つになる。」と言って、初夜の初愛です。分かりますか?(「はい。」)

 初愛は、女性の生殖器、男性の生殖器です。そして、内的な生殖器の主人が神様であり、外的な生殖器の主人が、アダムとエバです。分かりますか? 二人が一つになり、プラスが先なので、内的なものから一つになり、外的に引っ繰り返って一つになるのです。

 愛すれば、自分が高いのか低いのか分からない、というのです。そうですか? わたしは、よく分かりません。「なりたいようになろう。神様が解放で、私たちも解放だ。万象は完成である。」と言って、そこで一つになります。そこで、“天地が合徳する。”という言葉ができるのです。

 それゆえに、夫は、神様の代わりです。夫の心の中には、神様が入って来ておられ、女性の心の中には、二性性相が入って来て、二人が一つになるのですが、愛の最初の出発場所は、神様です。

 内的な心から体が一つにならなければなりません。それが創造原則なのですが、堕落したので、未成年のエバと愛の関係を結んで逆さまになり、そこで線が引かれて、それ以上、上がって行くことができないのです。

 ですから、堕落した血統は、ここで神様の本然の血統が、許諾できない怨讐の血を受けたというのです。これを清算することが、どれほど困難な事実であるかということを知らなければなりません。分かりますね?(「はい。」)

 ですから、だれであっても、祝福を受けなければ、天国に行くことはできません。そして、三対象目的を完成した家庭を成し遂げなければ、天の国の入籍が不可能なのです。いいかげんに生きるようにはなっていません。はっきりと教えてあげます。分かりますか?(「はい。」)分かりますか?(「はい。」)

 皆さんが、神様の愛を受けるために、おばあさんからお母さん、妻、娘の位置に行くのです。エバは、娘であり、アダムの新婦であり、神様の新婦であると同時に、おじいさんの新婦であるのです。分けることはできません。そのことを知らないのです。

 それゆえに、神様の愛は、絶対、唯一、不変、永遠です。お父さんも絶対、唯一、不変、永遠なものであり、お母さんも絶対、唯一、不変、永遠なものであり、自分の夫と妻も、絶対、唯一、不変、永遠なものであり、息子、娘も、絶対、唯一、不変、永遠なものです。

 ですから、上弦と下弦を東西南北、十二に分けて、そのどこに合わせても、九十度で、ぴたっ、ぴたっと合うのです。統一されないものがない、ということです。

 おじいさんの懐に、孫が入って行っても、オーケーです。分かりますか? お母さんの懐に入って行ってもオーケーであり、お父さんの懐に入って行ってもオーケーであり、お兄さんの懐に入って行ってもオーケーです。また、お兄さんが、弟の懐に入って行ってもオーケーです。

 だからといって、肉的関係のことを言っているのではありません。そのように一つになるようになっています。一つになるのが、自動的な原則です。仮想的原則ではありません。自動的に、そのようにならなければなりません。

 それゆえに、親がいないときには、長女として生まれたのならば、弟や妹たちを、自分が親の代わりになって保護することができなければならない、ということです。世の中においても、韓国は、そうでしょう?

 親に息子、娘たちがいれば、(自分の弟妹に当たる)その息子、娘たちを全員育てて、自分の息子、娘よりも尊重して育ててあげることができてこそ、その家庭を相続することができるのです。その代を、天の天理に代わって、千々万の先祖たちの歴史的伝統に代わって相続することができる者になろうとするので、大変なのです。分かりますね?

 それを一族に関して言えば、七親等、八親等、十二親等が一緒に暮らす、その人々の前に手本になろうとするのですから、どれほど大変でしょうか? そしてまた、息子、娘を育てるのは、お母さんしかいません。

 女性というものは、子宮を持っています。子宮は、だれのものですか? 男性のものですか、赤ん坊のものですか? 自分の乳房は、だれのものですか? おしりが大きいのは、だれのためですか? 自分のものは、一つもないのです。

 赤ん坊に骨まで、骨の髄まで与えてあげても、“もっと与えたい。”と思い、そのようにして、より大きく犠牲になることを願いながら家庭を導いていく人が、天の国の女性になることができ、王になることができるということです。分かりますね?(「はい。」)分かりますね?(「はい。」)

 これが堕落することによって……。よく聞いてください。堕落することによって、どのようになったのかというと、時計の針のように、神様から……。黒板に描くのも時間がかかります。

 このように四位基台になり、このようになるのですが、これが、中心を中心として、プラスとマイナスであり、これが男性と女性です。これは上がって行き、これは下がって行って一つになるのですが、ここに個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代と、八段階にすれば、世界的になるのです。

 この線を見れば、何かというと、八段階に分かれるのです。プラス、マイナス、プラス、マイナス、このようになるというのです。分かりますね?

 堕落がなければ、時計の針のように回るはずでしたが、堕落することによって、反対に回ってしまいました。こちらの方に回ったというのです。分かりますね? 逆さまに回れば、個人的なものから逆さまに回り、引っ繰り返って回るのです。

 ですから、ここにあるものが、こちらの方に回らなければなりません。そうして、個人復帰完成、家庭復帰完成、氏族復帰完成、民族復帰完成、国家復帰完成、世界復帰完成、天宙復帰完成、この世界、大きな宇宙が、すべて入るのです。

 ここを中心として、天の国のある……。堕落していなければ、神様は、これをすべて合わせて、だんだんと、このようにして見えなくなるのです。すべてこのようになるのですが、これをさっと切った、その面を、わたしたち人間が行かなければならないということです。

 時計の針が回るように、ここで、このようになっていたならば、永遠に、このようになるはずですが、逆さまになりました。個人的にも逆さまに復帰し、これを復帰、復帰、復帰して、世界、八段階まで、こちらの方まで復帰するのです。

 そうして、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、線を引くときに、ここで詰まらないように、ここまで来るのですが、そこで、このように行くのではありません。本来は、元の位置に行こうとすれば、この出発点から一つになって、こちらの方に回ってくるはずであったのですが……。

 これが、ここで、このように行くことができません。逆さまにして回らなければならないのです。分かりますね?

 堕落した人間は、このように落ちたので、復帰すればよいのですが、メシヤや救世主が来て、復活の役事を行い、これが、ここまでなった世界の果てから、これをすべて蕩減したものを中心として、神様を端からお迎えして……。

 来られる真の父母も、同じように蕩減の道を反対に行かなければなりません。天宙的路程、世界的路程、これをすべて蕩減していくのです。

 そして、本然の位置にぴたっと合わせて、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰、民族復帰をします。分かりますか? このようにして、アダム家庭がしなければならないことをすべてやったので、代表的家庭となるのです。

 そうして、皆さんが、八段階の結実として、堕落していない中央線を中心として、ここから、さっと越えていくようになれば、……。これさえ越えていけば、かち、かち、かち、かちっと、時計が回るのです。

 それゆえに、真の父母は、ここの中心として、堕落するときに、ここまで行ったことを蕩減し、神様をお迎えして、ここに帰ってきたのです。サタンを片付けてしまったのです。祝福を受けなかったのですが、祝福してあげて、個人に、家庭に、氏族に、民族に、世界にさっと入っていくのです。分かりますか?

 ですから、皆さんは何かというと、「祝福中心家庭」です。それは何かといえば、八段階の完成ができなかったことを、代わりに真のご父母様が完成したということです。

 それで、「真の父母」というのですから、真なる父母の勝利したすべてのものを、真なる子女たちが、自動的に相続するのが天理であるということです。分かりますね?(「はい。」)

 ですから、このような立場から見れば、皆さんには、まだ課題が残っています。地獄にいた人たちを引っ張り出す、そのようなことをするのです。アベルが行って、地獄から引っ張り出して、すべて蕩減復帰完了です。

 今日で言えば、「天地父母安息圏」を宣布したでしょう? 今では、サタン世界のすべてのものを整理して、この原則を中心として、真のご父母様が勝利しました。真のご父母様の命令によって、地獄にいるカインたちまで、最悪のカインの王、サタンの王を祝福してあげたでしょう?

 第二次大戦の時の、スターリンなどの共産世界の頭目たちを祝福してあげたので、彼らの相対的関係にある地獄に行った人たちも、アベルの責任によって呼び出して祝福してあげ、兄弟の立場に立てておくのです。そして、同じ位置で、聖人と殺人鬼を祝福してあげるということです。

 そして、真のご父母様が個人完成して、八段階を完成し、真のご父母様を中心として、この世界のサタンが屈伏し、この世界のすべてのものを蕩減して、橋を架けておいたので、こちら側の人も、このように……。

 これを回っていけば、どれほど遠いでしょうか? こちらに行くこともできるのです。足を超えて、頭に行くことができ、こちら側の人は、頭を超えて本然に行き、その本然を誇ることができるのです。分かりますね?

 これは、地獄も解放することができるということです。天の国も解放することができる二つの道を、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の……。自分なりの意識、観念、考えではいけません。完全に空にならなければなりません。

 ですから、神様の御前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従です。神様は、絶対信仰で天地を創造され、天地は絶対愛の対象です。神様が完成されるためには、愛の対象がなければなりません。

 息子、娘がいてこそ、「父母」という名と「父母」の看板をつけることができるということと同じように、息子、娘を中心として、一つにならなければならないということです。

 息子、娘が、父母を主人の立場に、夫が、妻を主人の立場に、妻が、夫を主人の立場に立てるのです。そのように、お互いがお互いを完成させてあげることができる相対的存在であるので、絶対愛を成さなければなりません。自分を犠牲にして、ために生きてあげなければならないのです。

 お互いが、ために生きて、ために生きて、ために生きながら、どんどん高まっていくので、神様までも、ために生きることに拍子を合わせて下りて来られ、ぴたっと一つになるのです。

 このようになってこそ、皆さんの心と体に力が生じます。思ったとおりに、すべてのものをコントロールすることができるのです。世の中に何か悪いものがあれば、すぐに体が、さっと背を向けるのです。しかし、今、そのようになっていないでしょう?

 真の愛の力だけが……。先ほど、「統一することができる力がある。」と言ったでしょう?(「はい。」)善悪を分別していくことができるのです。

 ですから、神様を絶対信仰し、絶対愛し、絶対服従することにおいては、“自分は、何々の女性である。”という概念や、“何々の男性である。”という概念は、なくさなければなりません。それは、生まれてもいない、男性なのか、女性なのか……。

 生まれて大きくなるまでは、男性なのか女性なのか分からないではないですか? そのような立場で、「幼子のようでなければ、天国に行くことはできない。」という話があるのです。すっかり成長して、あらゆる欲心が、たくさんあるでしょう? 自己中心的に食べることが罪です。どこかに行って、よいものを食べても……。

 どこかに招待されて、テーブルにいちばんよい食べ物があれば、箸がそちらに行きますか、どこに行きますか? われ知らず、そちらに行くのです。分かりますね?(「はい。」)

 神様と、おじいさんと、すべての王たちが来て、座っているところなのに、名もない孫と孫娘が、そのようにすれば、腕を切ってしまわなければなりません。ために生きる心があり、すべての人が食べ終わった後に、何が残っていても、感謝することができる……。

 女性たちが、そのようにすれば、福を受けるのです。夫とおじいさんが食べて……。部屋に入って行って、テーブルに座ることもできずに台所にいて、食卓に座ることもできずに食べて暮らしているので、福は、その人たちが受けるのです。そのようにして中心存在になるのです。

 そのようになれば、夫の両親も、自分の秘密の話を嫁には話すのです。ところが、娘には話しません。(親にとっては自分の息子である)夫にも話さないというのです。分かりますか? それは、“主人になった”という事実に間違いない、ということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」)その後ろの人たち、分かりますか、分かりませんか?(「分かりました。」)

 地獄も、時計の針が、このように行くものが逆さまに行ったので、このように逆さまに行かなければならないのですが、先生を懸け橋として、地獄にいる人も本然まで引っ張って来るのです。

 そうして、この線を中心として、このように直線で、先生を乗り越えていくことができ、こちらの方に行った人も、自動的について来て、ここに越えて来るのです。

 それで、先にいる人が最初なので、兄の立場になり、次が弟の立場に立ち、父をお迎えして、天国に入って行かなければなりません。そのようにしてこそ、立て直すことができるのです。そうして、蕩減復帰の完了が成されます。全体蕩減するためには、真の父母が絶対不可欠の存在なのです。アーメン。(「アーメン。」)万歳7(拍手)

 ですから、悲しくても、先生にしがみついていなければならず、うれしくても、先生にしがみついていなければなりません。そうですか?(「はい。」)統一教会は、特別なのです。あなたのお父さんとお母さんも、そうでしょう?

 「先生」と言うのですが、「先生」が何だというのでしょうか? 地獄に行ったとしても、先生を懸け橋として天国に行き、お兄さん、お父さんを訪ねて行くことができるのです。先に入籍して復帰された、すべての統一教会の教会員たちが、イエス様よりも先に来たので、イエス様も、皆さんの弟になることができるのです。分かりますね?(「はい。」)早く先祖たちを復帰して……。

 イエス様の息子、娘は、いないでしょう?(「はい。」)息子、娘がいないので、皆さんが息子、娘を持てば、イエス様が、一番びりになります。ですから、早いうちにイエス様の養子を選んで、代を継ぐようにしておかなければなりません。

 金鎭文氏。金鎭文氏の娘は、何人ですか?(「娘は二人です。」)息子は何人ですか?(「息子は二人です。」)だれか一人、養子として上げますか?(「“養子として上げよう。”と思ったのですが、その家庭が、息子を生んでしまいました。」)

 違います、違います。(霊界にいる)四大聖人や聖賢、賢哲たちは皆、男やもめです。(「お父様のみ意どおりにいたします。」)わたしの願うとおりにする、というのですか?(「『上げなさい。』とおっしゃれば、上げます。」)

 何を上げるというのですか? 自分たちが願って、兄弟で相談しなければならないでしょう? お父様が「こうしなさい。」と言えば、数多くの霊界や地上世界が、どれほど複雑になるでしょうか? 先生の頭が、溶けてなくなります。そのことを考えなければなりません。興進と薫淑のことを知っているでしょう?(「はい。」)結婚させてあげたでしょう?

 さあ、孔子様の夫人、立ってください。孔子の夫人です。「私は、孔子の夫人です。」と、こちらに来て宣布してください。宣布しなければなりません。大学の総長が何ですか? 嫁に行かなければならないでしょう? 宣布しなさい、というのです。(「私は、孔子の夫人です。」)

 やりくり上手な夫人ですか、取るに足らない夫人ですか?(「やりくり上手な夫人です。」)先生よりも孔子を、もっと愛しているでしょう?(「はい。」)(拍手) そのように思えば、孔子が訪ねて来るというのです。孔子が訪ねてくる時が来たのです。分かりますか?

 「すべての心と体、骨髄から、骨から、産毛まで、すべて孔子のために生まれたので、思いどおりにしてください。」と言えば、わしが、さっと奪っていくように、空中に飛んでいくのです。そのような体験をして暮らさなければなりません。そのような時になったというのです。

 それから、張貞順さん。来ましたか、来ていませんか?(「来ていません。」)李貞玉さん。(「はい。」)この小さなおばさんが、だれの相対のように見えますか? 出て来てください。だれの相対ですか?(「マホメットです。」)何ですか?(「マホメットです。」)

 私は……、だれであると宣布しなさい、というのですか? きょう、宣布しなければなりません。(「私は、マホメットの夫人です。」)(拍手)

 自分の夫から愛される以上に、夫を愛することができるようになれば、マホメットが訪ねて来るというのです。訪ねて来てくれればよいですか、訪ねて来なければよいですか?(「訪ねて来ればよいです。」)それでは、死ぬほど片思いしてみてください。がちゃっと開かれるというのです。なぜ、笑うのですか?

 さあ、それからまた、ソクラテスです。名前を言ってください。(「私は、金明熙です。ソクラテスの妻です。しっかりと侍っていきます。」)(拍手)

 今から、思いどおりに一緒に暮らす時が来るのです。今から一緒に暮らす時が来ます。時代が変わるというのです。分かりますか? それから、姜賢實さん。(「はい。」)賢實さんは皆、知っているではないですか? 皆、知っていますか、知りませんか? それでも……。(「皆、知っています。」)

 きょうは記念日なので、宣言しなければならないでしょう? 宣言が必要です。イエス様も、メシヤを宣言できずに亡くなったのです。宣言をしていたならば、死んでも霊界に行きません。(「私は、アウグスティヌスの妻です。」)(拍手)

 じっとしていてください。アウグスティヌスに会って、損をしていませんか?(「損していません。」)毎日のように会っているのですか?(「毎日ではありませんが、会っています。」)

 霊界の事実をすべて宣布しなければ、霊界に行ってから聖賢、賢哲たちに、面と向かって責められます。「こいつめ。先生が昼夜、強調したにもかかわらず、覚えてもいない。」と言われます。問題が起きるというのです。分かりますね?(「はい。」)

 霊界は、“私”の霊界。(「霊界は、“私”の霊界。」)霊界にいるすべての人は、“私”の弟たち。(「霊界にいるすべての人は、“私”の弟たち。」)弟たちです。尋ねてみてください。祈祷してみてください。そうですか、そうではないですか?

 わたしが、今から数十年前に、「この四大聖人は、わたしの弟子である。」と言うと、仏教界でも、キリスト教界でも大騒ぎになりました。大騒ぎした彼らは、すべて退いても、わたしは残って、今、主人のふるまいをしているのです。分かりますね? 自信を持たなければなりません。自信。(「自信。」)よく信じる人ということです。


 さあ、そのように理解して、今からは……。午後二時半なので、講義をします。分かりますね?(「はい。」)チャート講義です。

 講義を一時間で、すべてできますか? すべてあるでしょう?(「はい。」)一時間、二時間、五時間。五時間は、梁昌植氏、あなたがしなければなりません。(「私は、時間がなくてできません。」)やっている途中でやめれば、次にまた、やればよいではないですか?

 明日の朝、また集まるのでしょう? どこかに行く飛行機が問題ですか? 飛行機に乗るために移動する時間が問題ですか? 死ぬか生きるかの問題ではないですか? 今から、(霊的)革命が起きるというのです。原理講義を勝手にすることはできません。チャートでするのです。

 わたしが以前に、チャートの一時間のものを聴いたのです。すべて聴きました。わたしが鑑定しなければなりません。ですから、今後、二時間、五時間のものも、絶対にこのチャートで講義をしなければならず、チャートでしないものは、禁止です。分かりますか、分かりませんか?(「分かりました。」)

 “分かった。”という人は、両手を挙げて、神様の御前に誓わなければなりません。郭錠煥氏も、手を挙げましたか?(「はい。」)影が挙げましたか、実体が挙げましたか?(「実体が挙げました。」)

 黄善祚氏。(「はい、挙げました。」)なぜ、こぶしを握ったのですか? 開かなければならないでしょう? こぶしを握って、万歳を叫ぶ人が、どこにいますか? 開いて、しなければならないでしょう?

 先生が、きょう、はっきりと話したので、そのようにしなければ、地方の教会長から教区長たちは、讒訴しなければなりません。今から、六大州に二人ずつ配置します。分かりますか? 二人、三人ずつ、ここから配置して……。

 史吉子さん。六大州に三人ずつ配置して、そこに行って、チャート講義の手本を三回ずつ見せてあげて、自分たちですることができるようにしなければなりません。しなければ、国家メシヤでも何でも、首です。分かりますね?(「はい。」)巡回師たちも、そうです。チャート講義をしなければなりません。

 巡回師の人たち。(「はい。」)分かりますね?(「はい。」)それでは、“分からなくない。”ということが事実であると、先生は信じます。(「はい。」)それでは、拍手しなければならないでしょう?(拍手)

 わたしがいるときよりも、み言をよく聴いて感動すると思いますか、思いませんか?(「思います。」)わたしが五年間、訓練しました。この者たち。まったく、統一教会の人が、自分勝手にするのですか? 協会長でも、だれでもです。どこにいますか? 天の願いに絶対服従しなければなりません。そうでしょう?(「はい。」)

 そのようにすれば、一騎当千です。「一騎当千」と、言ってみてください。(「一騎当千。」)二つはありません。影はありません。それは、“影がない”ということです。昼でも影がないということです。そのように理解して、よく訓練してください。講義するのは、だれでもできるのです。

 劉正玉氏。(「はい。」)今、日本で行っている「訓読教会」をモデルとして、全世界が、それを相続しなければなりません。そして、『神様の摂理から見た南北統一』と、今回、お母様が語ったみ言を五十万冊出版するのです。本をすべて出版しましたか?(「今、やっています。」)

 それを分けてあげなさい、ということです。(「はい。」)二百万ドルです。何百万ドルではありません。国民全体の前に、教材として分けてあげなければならないのです。世界が……。分かりますね?(「はい。」)

 そのようなものを一つ、一つ、ここで講義する人たちの前で……。女性たちもしたので、しない者たちは、頭に立て札を刺さなければなりません。“そのような命令は守らない。”というのですか? そのように理解して、絶対一方通行です。いいかげんに講義してはいけないのです。

 そのようにいいかげんに講義をしたとしても、自分の話と自分の自慢が、半分以上になります。原理のみ言は、講義したとおりにしようとすれば、本をそのまま……。三回だけ講義を聴き、三回だけ本を読めば、さっと頭に入ります。本だけで、万事オーケーです。

 それから、「訓読会」の教材として使えば、十年、万年たっても、すべて平和統一の基盤として、完全にパスすることができる食口を育てるということは、問題ありません。そのようなことを知っている先生が、「このようにしなさい。」と言わなければならないでしょうか、「するな。」と言わなければならないでしょうか?(「『しなさい。』と言わなければなりません。」)

 金興泰氏7(「はい。」)サッカーをする人をたくさん教育して、六大州を管理することができるようにして、郭錠煥氏と一緒に、会議するときに多く条件をつくるのです。(「はい。」)

 そうして、心配なく部署をつくり、今からは、郭錠煥氏が任命して、「金興泰氏は後退。」と言えば、後退するのです。(「はい。」)“自分がすべてやろう。”と考えてはいけません。(「はい。」)門を開いておいて、大衆を案内しなければなりません。

 この世界、二百四か国にサッカーチームをつくらなければなりません。FIFA(国際サッカー連盟)やペレがしなければ、わたし独りで、すべてすることができます。オリンピックも、わたしの手ですべて整理しなければならないのです。分かりますね?(「はい。」)

 先生に、そのような能力がありますか、ありませんか?(「あります。」)わたしには、能力がありません。(笑い)“皆さんに能力がある。”と信じて、このように言うので、そのように理解して、どのような命令をしても、わたしよりも一所懸命にすれば、敗者にならずに勝者になるのです。アーメン。(「アーメン。」)万歳7(「万歳。」)

 皆、喜んでいますね? さあ。(「はい。全員、お立ちください。」)さようなら7 さようなら。グッドバイ。(「立ったまま、天地父母様に敬礼をいたします。」)

 一所懸命に聞いてください。特別に感想文を書いて行ってください。国家メシヤたちと責任者たちは、感想文を残して行かなければなりません。分かりますね?

 原理講義をするのは、女性たちが責任を持たなければなりません。母親が、よく教育しなければなりません。父親が、感動を受けるようにするのです。小羊の婚宴をすることができ、天下のすべての名門の家庭をつくるためには、母親たちが賢くなければなりません。分かりますね? 父親が賢いだけではいけません。

 今回、平和大使を全世界に立てて……。全世界に、平和大使をすべて立てるのです。郭錠煥氏、分かりますか?(「はい。」)黄善祚氏、分かりますか?(「はい。」)

 (「万歳三唱をして、きょうの一部のプログラムを終えて、食事後に原理講義をいたします。」)

 (万歳三唱)​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2025.03.17 00:31:47
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