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先日、あるBarのマスターから、「昔の素晴らしいバーテンダーがたくさん登場するビデオがあるんですよ。ダビングしたので、差し上げます」と1枚の貴重なDVDをいただきました。 早速、家に帰って観ました。食い入るように見つめました。タイトルは「名バーテンダー物語--東京・銀座」=写真右。ニッカ・ウイスキーが電通と毎日映画社に依頼して制作した約1時間ほどの、かなり昔の映像です。テレビで放映されたのかどうかや、どのような形で販促に使ったのかは、まったくわかりません。 この映像には、銀座のBARの中から10軒の名店とそのマスター(バーテンダー)や店長が登場します。サン・スーシーの野村保さん=写真左下、Barクールの古川緑郎さん、舶来居酒屋「いそむら」の磯村信元さん、Bar樽の吉田富士雄さん、Bar山の小板橋幹生さん、Bar SUZUKIの鈴木昇さん、Tony's Barの松下安東仁さん、スミノフの岩瀬庄治さん、KOBAの小林浩さん、セント・サワイ・オリオンズの澤井慶明さんの10人です。 これらのマスター、バーテンダーは知る人ぞ知る、今では伝説的な方ばかりです。すでに鬼籍に入られた方も数多くおられます(今もご存命の方は、このうち何人いらっしゃるのでしょうか? どなたかご存じの方がいればお教えください)。サン・スーシーやクール、いそむらのように、今はこの世に存在しないBarもあります。 うらんかんろは、登場された方々の中では、野村さん、古川さん、磯村さん、鈴木さん、松下さん、岩瀬さん、吉田さんの7人のお店にはかつてお邪魔して、お目にかかったことがあります。 いずれも日本のBar業界の発展に尽くされ、銀座の古きよき時代を知る、素晴らしい人柄の方で、とても「絵になる」バーテンダーでした。映像を眺めていると、初めてお店を訪れた日の思い出がよみがえってきます(写真右=クールの古川緑郎さん)。 映像に出てくる銀座の街の映像やお店に集うお客さんの服装や髪型、眼鏡、女性の化粧などをよく観察すると、ひと昔前の時代を感じさせる雰囲気です。 バックバーのボトルも、今と同じ銘柄でもラベルのデザインやボトルの形がかなり違っています。今なら、さしづめ「オールド・ボトル」と言われ、珍重される垂涎の酒ばかりです(写真左=「いそむら」の磯村信元さん)。 いつ頃の映像なんだろうかとあれこれ考えていると、映像の中にいくつかヒントがありました。クールの古川さんが、「13歳でサン・スーシーで奉公を始めてこの道に入り、もう60年近くやっています」と話しているシーンがありました。古川さんは1916年(大正5年)生まれでしたので、この撮影時は70~72歳だったとしたら、1986~1988年頃ということになります。いずれにしても80年代の後半の映像です(写真右=Bar樽の吉田富士雄さん)。 それはともかく、今ではとても懐かしい名バーテンダーの所作はとても興味深いものです。技術的には、 今の時代のコンクールで優勝するようなバーテンダーの方が素晴らしいものを持っているのかもしれませんが、年季を積んだバーテンダーのシェイキングは個性的で、とても味わい深いものがあります(写真左=Bar山の小板橋幹生さん)。 例えば、サン・スーシーの野村さん。シェイカーを持つ向きが普通とは逆です(トップが体と反対側に来ています)。澤井さんは右腕がリズミカルに上がる独特のスタイル。鈴木さんは伝説的な「片手振り」を披露してくれています。 小板橋さんは、「同じ水割りをつくるにも工夫をしている」として、バーボンとスコッチと国産ウイスキーで、3種の水割りをつくって、違い(例えば、バーボンは氷が少なめ)を見せてくれています(写真右=Bar・SUZUKIの鈴木昇さん)。 映像では、10人が皆さんがそれぞれ、仕事のあり方や「Barとは何か」という哲学を聞かせてくれていますが、それがすべて含蓄のある内容で、今も通じる内容ばかりです。撮影当時の銀座は、第二次カクテルブームだったということで、オーセンティックBarに客が戻りつつある時代だったようで、その名前が知られ始めたスタンダード・カクテルがよく飲まれています。 オリジナル・カクテルを披露しているマスターやバーテンダーも目立ちます。リキュールやフルーツなど今ほど種類がそう多くなかった時代ですから、オリジナルをつくるにも、きっといろんなご苦労があったと思います(写真左=Tony's Barの松下安東仁さん)。 珠玉の言葉の数々を少し紹介すると--。「オーセンティックBarでは、Barでしか飲めないウイスキーかカクテルを味わってほしい。ビールならビアホールで飲んでほしい。Barでビールでは“間”が持たないんです。 女の子がそばにいてほしいならそういう店へ行けばいいんです」「当たり前のことを当たり前にやるのが一番難しい」「国産でもいいウイスキーがあるんだ。それを知ってもらうことを使命にしてきた」(写真右=スミノフの岩瀬庄治さん)。 「珠玉の言葉」の続き--。「この仕事には何年やってもゴールはない。とても奥が深い」「店では毎日毎日違うお客さんと出会う。同じ仕事のやり方が通用する世界じゃない。それがまた勉強で、面白いんです」「欧米では、『バーテンダー』と呼ばれて尊敬される職業だが、日本ではバーテンという(見下した)言い方をよくされる。僕らは、バーテンダーという誇りを持ってずっとやってきた」。(写真左=KOBAの小林浩さん)。 とくに印象に残っているのは、最後に登場した澤井さんの言葉です。「欧米に追いつけ追い越せという気持ちでやってきた。今は80%までは近づいたかなと思うが、あと20%は僕らの世代だけの力では無理。 (後に続く)全国のみんなが頑張ってくれないと」。そう願った澤井さんも先般、鬼籍に入られました(写真右=セント・サワイ・オリオンズの澤井慶明さん)。 個人的には、技術面では今や日本のバーテンダーは欧米を抜いたと言っても言い過ぎではないと思っています。しかし、この映像に登場するあるBarのように、客が来たら必ず、付きだし代わりにジン・トニックを出すような商法は今では客にあまり支持されないでしょうし、また別の店のようにギムレットに、生ではないライムジュースを使うのも、今では受け入れられないでしょう(ただし、80年代後半はまだ生ライムは高級品で、現在のようにどこのBarでも気軽に使えなかったという事情もあります)。 欧米のBarにまだ追いついていないものは何なのか。答えは簡単ではありませんが、日本のBar業界がさらに発展して、「銀座第一世代」のバーテンダーの願いが叶う日が来る日を、Barファンの一人として心から願うばかりです。最後になりましたが、このような素晴らしいバーテンダーに一個人として出逢えたことを、今さらながら本当に幸せに思っています。Bar業界の先駆者たちに感謝です! 【おことわり】この日記で使用した写真はDVDを再生したテレビ画面をデジカメ接写しましたので、若干ピンボケですがご容赦ください。こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】
2009/09/27
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◆あきれる交通マナー 上海に着いて早々、空港からホテルまで送ってくれたHISの担当者=現地の中国人の方=から、「車道は右側通行で、赤信号でも右折できるので、歩行者が横断歩道を渡っていても強引に右折する車がほとんど。道路を横断する時には左側から車が来ないか十分注意すること」と言われた。 まさにその通りで、上海で横断歩道を渡る時は命がけ。タクシーもマイカーも歩行者がいても強引に突っ込んでくる。ヒヤっとしたことは何度もあった。そのくせクラクションがやたら鳴らしまくる。近代化されて、少しは人間優先の社会になっていると想像した上海だが、交通ルールは車優先である。なんとかならんのかねぇ(写真左=人民広場駅そばの交差点)。 ◆一般市民のマナーは 車がそうだから、一般市民のマナーもあまりよくない。地元の方に言わせたら、「これでも北京五輪前に政府が始めたマナー向上運動で少しましになった」と言う。だが、地下鉄に乗る時の割り込みは目立ったし(しかも誰も注意しない!)、エスカレーターも「請左行右立文明乗梯」(歩く人は左側を、立つ人は右側に)という「注意書き」があるにもかかわらず、ほとんど守らない。 車内での携帯電話のマナーもないも同然。元々、中国語はなぜか大きな声に聞こえるので、実にやかましいこと。不思議なのが、地下鉄が駅間走行中でも喋っていること。日本の地下鉄なら駅間は「圏外」になって通話不能だが、中国の携帯電話は謎だ。ついでに言えば、仕事中も携帯で無駄話をしているデパートや商店の従業員を数多く見かけた(日本なら処分ものだぞ)(写真右=お世話になったホテル前のコンビニ)。 ◆観光地への案内板が少ない 観光客が数多く訪れる上海だが、結構メジャーな観光地でも最寄り駅から道順や方向を示す案内板がとても少ない。最大の観光スポット「豫園」への最寄り駅「大世界」でも、地上に出た所にある大きな交差点に、なんで案内表示がないのか。郊外の超人気スポット「周荘」に着いた駐車場にも、案内板がまったくなかった。どうなってんの?! 地下鉄・上海体育館駅でも同じだったが、周荘など郊外行きのバスが出発する「バスセンター」に行くには何番出口に出たらいいのか、まったく案内板がなかった。外貨獲得のために観光に力を入れている中国だが、まだまだ本当のサービスとは何かを知らない殿様商売をしている。観光局の役人は仕事せーよ(写真左=上海市人民政府庁舎)。 ◆治安はいいのか 大都会・上海ではそれなりに犯罪も多いと聞いた。今回は二人旅で、比較的治安のいい場所を安全な時間帯に行動していたので、犯罪に遭うことはなかった。しかし例えば、日本人相手に偽ブランド品を売っている連中に付いていけば、ぼったくりの店へ連れていかれると聞いた。地元の方からは「スリも多いから注意して! 歩いている時もかばんは体の前の方へさげること」と言われた。 いくら近代化されたと言っても、かっては「魔都」と言われた街。市内には地方から出稼ぎに来ている労働者だけでも500万人いると言われ、上海人との貧富の差もあって、トラブルを起こすケースもあると聞く。昼間はまずどこを歩いてもまず大丈夫だろうが、夜は、大通りですら街灯が日本のようには多くないので、とくに女性の一人歩きはやめた方がいい(写真右=お土産に買った京劇役者の額。結構モダン)。 ◆ニセ札に注意しろと言われても… 地元の人から「ニセ札が多いので注意するように」と言われた。誰がつくっているのか知らないが、ニセ札がたくさん流通しているらしい。両替店でニセ札をつかまされることもあるという(だから、両替はほとんど事前に日本でやっていった)。確かに、買い物や食事をしてお金を払うと紙幣を鑑定機にかけている店をよく見かけた。 しかし、我々日本人にはニセ札かどうかなんて分かるわけがない。つかまされたら運が悪かったと思ってあきらめるしかない。小さな商店や田舎の土産物屋さんに鑑定機がある訳などない。実際、僕だってニセ札と知らずに使ったかもしれない。だが、相手も何も不審がることもなく受け取り、それで世の中は回っていく。中国って、そんな国なんだと思うしかない(写真左=上海のBarはええよ…ほんまに)。 ◆ぬるくて腹が立つ飲料類 本編でも少し触れたが、レストランや食堂でもコンビニでも、とにかく飲料があまり冷えておらず、ぬるい。喫茶店で出てくる水までぬるい。中国人はこんなにぬるいのが好きなのか? 食事をする機会は計9回あったが、ビールがちょうどいい感じに冷えていたのは、3日目に食べた「上海姥姥」1軒のみ。 ついでに言えば、コンビニで売っているペットボトル入りの中国茶や紅茶類に加糖のものが多いのには参った。日本のメーカー製の「お茶」や「烏龍茶」は当然無糖だが、売っていない店も多く、本当に困った。砂糖の入った緑茶なんて飲めたものじゃないと思うが…(写真右=南京飯店前の食堂街。全店を制覇したかったなぁ)。 ◆カネをかけなくても美味しい店はある ツアー旅行をした人からよく聞くのが「食事がまずかった」という話。確かに、ツアーに付いてるお仕着せの店の料理はなぜかまずい。旅行社と契約していて、努力しなくても客が来てくれるからか。上海のような大都会なら、地元の人の舌もこえているし、中国全土から美味しい食材も集まってくるので、まずい店を探す方が難しいと思うが、残念ながらまずい店はある(僕らも今回1軒だけそういう店に出会ってしまった)。 美味しい店に出会う「打率」を高くするには、(1)特定のガイドブックだけを信用しない(2)ネットでの口コミ情報をできるだけ集める(今は実にたくさん情報がある)(3)地元の人に教えてもらう(4)地元の人でにぎわっている店を選ぶ――に限る。僕らがこのルールにもとづいて今回選んだ店は1軒を除いてすべて及第点の店だった(写真左=周荘秋景)。 ◆なんとかならんか量の多さ 食べ物は美味しいのだが、1品の量の多さにはどこの店でも閉口した(唯一、「上海姥姥」は適量だったが…)。2人で旅行する場合、これが一番困る。たくさん種類を食べたいのだが、1品の量が多いので、せいぜい3~4品しか食べられないのがいつも悔やまれてならない。 2日目に食べた「上海漁亭」という店で食べた酸辛湯(サンラータン)は、お店の人は「これは2人前だ」と言うが、どう見ても5~6人分くらいの量だった。中国のレストラン業界の方、このあたり何かいい改善策を考えていただけませんか?(コースのある店では、コースで頼んだ方が良かったのかな?)(写真右=「豫園」は必見!)。 ◆言葉はできた方が楽しいに決まってる 上海では、主に「上海語」という江南地域の言葉(方言)が話されていて、上海の方に言わせると、「北京人が上海語を話す人の輪に放りこまれたら、おそらく何を言っているのかほとんど分からないくらいの差」だと言う。しかし、今は中央政府の「普通話(標準語=北京地方の言葉)政策」のおかげで、上海でもよほどの年配の人でない限り、標準語が十分通じる。 僕がこれまで学んでいたのは当然、標準語で、そのレベルはまったく自慢できるものではない。旅行中、僕の発音やイントネーション(四声)が悪くて、一度で通じないこともあったが、旅行で訪れた日本人が一生懸命中国語でしゃべっていると、上海の人たちは好意を持って必死で理解しようとしてくれて、最終的にはなんとかコミュニケーションがとれた(写真左=魯迅ゆかりの「内山書店」跡)。 今回はせっかく上海を訪れるのだからと、僕は少しだけ上海語も覚えていった。「ノンホウ(こんにちは)」(標準語の「ニンハオ」)、「シャヤ(ありがとう)」(同「シエシエ」)、「ツェウェ(さようなら)」(同「ヅァィジェン」)の3つ。旅行中、基本は標準語で通したが、レストランの従業員らに御礼を言う際、上海語で「シャヤ」なんて言ったら、ニヤッと笑って、嬉しそうな表情を返された。 僕の持論だが、外国を旅する時には現地の言葉を少しでも喋って、現地の人とじかに話した方が旅は絶対楽しくなるに決まっている。だから、どこへ行く際でもその国の言葉を学んでいく(4年前、イタリアへ旅した時は事前に3カ月勉強した)。相手の国の言葉でコミュケーションがとることで、相手の国への理解も深まるし、相手も日本人に好印象を持ってくれると思う。これこそが「草の根の民間外交」だと僕は信じている(写真右=「新天地」内の素敵な路地)。 ◆改善の余地多い接客マナー これも本編でも少し書いたが、商店やデパートをはじめ、タクシーやバスの運転手、空港や航空会社の社員らの接客マナーはとにかく良くない。基本的に、客に対して、笑顔で接客したり、感謝の言葉を発したりすることは極めて稀だった(西洋人観光客の多い「豫園」や「新天地」ではまだましだったかも)。買った商品をバッグや袋にいれてくれたり、包んでくれたりという細やかなサービスも、デパート以外はまずなかった(日本がちょっと過剰ということもあるが…)。 いまや資本主義経済にどっぷりと組み込まれ、中国でも最も近代化が進んでいると言われる上海がこれでは…。上海万博開幕まであと8カ月。「旅行者には笑顔を、客には『謝謝!』の一言を」という運動を、政府が音頭をとって真剣に取り組む時期に来ているのではないか。そして、せめて、旅行者が買った商品くらいは袋に入れるような心配り(サービス)ができる国になってほしいというのが僕のささやかな願いだ。
2009/09/22
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9月7日、上海滞在の最終日。いつも思うのだが、旅に出ると毎日が過ぎるのがとても早く感じる。最終日になると、もう2、3日いたいなぁと思う。しかし、チケットがあるし、やはり帰らなければならない(悔しいなぁ…)。 さて、最終日はまず、まだ訪れていなかった上海博物館へ向かった。上海博物館は市内中心部、人民広場駅のすぐそば、人民公園に隣接している。北京の故宮博物院、南京博物館とともに、中国三大博物館と言われている(写真左=早朝、ホテルの前では「お好み焼」のようなファスト・フードを売る屋台が。出勤前の人たちが次々と買っていった)。 付近には、上海市人民政府庁舎や上海美術館、上海大劇院、産業展示館などもあり、文字通り、上海の中心的なエリアだ(写真右=あちこちで見かけた2010年上海万博のキャラクター。可愛いというより、ちょっと不気味?)。 嬉しいことにこの博物館は入場無料。文化財の維持管理に少しはカネもかかるだろうから、少しくらい入場料を徴収してもいいのにと思うのだが…(ただし、入場の際の持ち物検査は厳しく、ペットボトルのお茶も「ここでひと口飲んでみてください」と言われた)。 上海博物館は、青銅器や陶磁器、土器、書、絵画、彫刻、貨幣、家具など実に幅広いコレクションを誇るが、展示スペースや展示物の数は想像していたほど広くない。じっくり見ても1日あれば十分で、急いで回れば、半日でざっと鑑賞することは可能かもしれない(写真左=上海博物館)。 午後2時すぎにはホテルを発って、帰国のため空港へ向かわないといけないので、僕らも駆け足で鑑賞した。印象に残ったのは、やはり唐三彩の陶磁器や古い時代の青銅器の素晴らしさ、宋代、明代の見事な書にも魅せられた(写真右=上海博物館内の吹き抜けのロビー。自然光がうまく取り込まれている)。 博物館内の展示で、中国の長い歴史の中の様々な文明の栄華を見て、僕らは改めてそのレベルの高さに感銘を受けた。しかし、そうした積み重ねの結果が、今の共産党一党支配と、とどまるところを知らない弱肉強食の資本主義経済化であるとしたら、果たしてそれは進歩と言えるのかどうか…。考え込んでしまう僕だった。 さて、ホテルへの帰途、僕らは友人らへのお土産を買うために、南京東路近くにある、大きな食料品店に立ち寄った。月曜の昼間なのに店内は凄い人出。観光客というより、地元の人が結構買い物に来ている=写真左。 高級食材の燕の巣や干しナマコも売っていたが、500gで(日本円換算で)数万円という日本ですらかなり躊躇してしまうようなお値段。これを買える上海庶民がどれくらいいるのだろうか? 僕らは缶入りや袋入りの中国茶や腸詰めなどをあれこれ購入したが、お茶売り場の女性は「能不能、再便宜一点?(少し安くならない?)」と聞いても、突き放すように、「不行(プーシン=ダメです)」とただ一言。「たくさん買うんだけど…」と言っても、答えは同じ(写真右=乾物売り場。とにかく種類が多い!)。 接客には笑顔一つもない。「客にモノを売って生活の糧を得ているのなら、もう少し愛想の良い接客を勉強した方がいいぞ!」と怒鳴ってやりたくなったが、やめた。彼女もこれから、資本主義経済の上海で嫌でも接客を学んでいかざるを得ないだろうから(写真右=燕の巣やや干しアワビ、干しナマコなどを売ってるコーナー。干しナマコは100g数万円から数百円のものまでピンキリ)。 さて、上海最後の食事は昼ご飯は「麺類が食べたいなぁ」ということで意見が一致し、南京東路を直角に交わる、南北の通りで看板に「麺」とか「面」とうたっている店をあれこれ物色。そのうちの1軒、客の入りが良くてはやっている蘇州麺の店(写真右=店の看板の「〓州」の〓は「蘇」の簡体字です)に決めた。地元の人でにぎわっているなら、「味も大丈夫だろう」と…。 この蘇州麺の店は上海に来て初めて食券を買うスタイル。僕らは骨付き鶏入りのラーメン(写真左)と冷麺(写真右)を頼んで、シェアすることにした。麺のコシも、味もまずまず。なによりも麺が細いのが嬉しい(上海の麺はこれまで太いのが多かったし…)。冷麺のタレはピーナッツの風味が少しするが、これは好みが分かれるところか。 中国は広い。だから、麺一つとっても、地方地方でいろんなバラエティに富んだ麺が楽しめる。今回は上海、杭州、蘇州と3カ所の麺を味わえたが、もう一つ食べてみたいと思っていた揚州麺とは、残念ながらチャンスがなかった。日本に帰ったら、どこかで揚州麺を出している店をぜひ訪ねてみたい。 買い物と昼食を終えて、再びホテルのロビーに戻った僕らは、空港までの送迎の方と合流。上海の街に別れを告げて、ワゴン車で浦東国際空港へ向かった。しかし、相変わらずの道路工事で渋滞、また渋滞。空港までびっちり1時間かかった(写真左=上海では高層ビルやマンションが今なお急増中。この発展はどこまで続くのか…)。 おまけに空港ではチェックイン・カウンターでさらに20分ほど待たされて、これじゃぁ、免税店で買い物をする時間がほとんどないじゃないか! これなら、もっと早く迎えに来てくれたらいいのに! 次回上海に来るときは時間の読めない車での送迎は断り、空港からはリニアと地下鉄を乗り継いで市内まで行こうと誓った僕らだった。 それは、ともかく楽しく充実した3泊4日の上海の旅もおしまい。「エキサイティングで熱い街・上海」には近い将来、また訪れてみたい。だって、近いし、食べ物は美味しいし、北海道へ行くより旅行費用は安いし。国内のホテル・旅館業界、旅行業者の皆さん、殿様商売していたら、客は海外へ逃げますよー。(完) ◆「上海への旅」は今回で本編は終わります。長い間、ご愛読有難うございました。次回は、もう1回だけ「旅の追記(こぼれ話あれこれ)」を掲載する予定です。
2009/09/20
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さて、周荘から上海に戻るともう夕方の6時。3日目の晩ご飯は「少し遅めにスタートを」と考えていたので、それまでの時間、どこか市内でもう1カ所訪ねてみようかということになり、上海体育館駅からひと駅中心部へ戻った「衡山路」駅で下車。かつてのフランス租界の界隈を散歩することにした。 プラタナスの並木に包まれた衡山路の界隈には今も、かつての洋館が数多く残り、租界時代の香りが漂っている。そして、その洋館を活用した各国のレストランやバー、おしゃれなショップなどがたくさんあり、新天地と並んで、上海市内の人気のエリアになっている(写真左=周荘からの帰途、バスから見えた謎の物体(建物?))。 付近には、孫文夫人の宋慶齢(1893~1981)が暮らした家も残っており、一般公開されている。時間があれば、「おしゃれな洋館のバーでちょっと一杯」といきたかったが、これは次回の楽しみにとっておくことにしよう(写真右=夜の衡山路界隈)。 通りの中心には、租界時代からのゴシック風のキリスト教会も残り、そこは今も信者の祈りの場となっている。この日は日曜だったが、夜になにやらミサをやっているようで、信者が次々と入っていく(写真左=大きな石造りのビルも残っていて、活用されている)。 社会主義の国と言っても、キリスト教徒や仏教徒の数は少なくない。中国ではご存じのように、チベット自治区での仏教徒への弾圧が国際問題になっているが、宗教に寛容さを示せるかどうか、今後、中国政府の懐の深さが問われるところだろう(写真右=界隈でひときわ美しい洋館はレストラン・バーになっている)。 衡山路駅から再び、南京東路駅へ戻った僕らは、最後の夜の晩飯の店へ向かう。最終日は、「地球の歩き方」+「上海ナビ」でダブルチェックして、まず間違いないだろうと思った「上海姥姥」という店=写真左。「おばあちゃんの味」をうたい文句にしているので、楽しみにしていったが、期待を裏切らない味だった。 僕らは、鶏の蒸しもの(写真右)、川海老の醤油煮ニンニク風味(「招牌蒜香」=写真左下)、上海風汁麺(写真右下)を頼む。最初の2日間は4品頼んだが、一品の量が多くて食べきれなかったので、とりあえず3品で様子をみようと。鶏の蒸しものも最高に旨かったが、川海老の醤油煮はもう絶品! 「この3日間で一番美味しい店かも」と連れ合いとの意見は一致した。 飲み物は相変わらず、青島ビールの純生を頼んだが、上海に来てからこれまでどこで飲んでも若干ぬるいのが不満だったのが、この店ではきりりと冷えてて旨い! やればできる。やはりビールはこうでなくっちゃ。 ついでに紹興酒をグラスで頼んだが、担当の女性従業員は「ボトル売りしかない」と言う。「じゃぁ仕方ないね」と僕が残念そうな表情を見せたら、しばらくして、「1杯だけでいいか?」と聞いて、グラスで持ってきてくれた。何たる親切なサービス。上海に来て初めて(?)こんな気配りをしてもらってもう感激! この従業員には帰りにチップをはずんでしまった。 中国社会がまだ資本主義経済に十分慣れていないということもあるけれど、こういう親切な従業員がもっと増えれば、そして笑顔を見せる店員がもっと増えれば、訪れる観光客もきっといい印象を持って帰国するに違いない(写真左=滞在中ずいぶんお世話になった「青島ビールの純生」)。 さて、3日目の最後の夜は、ジャズ・バーで締めようということに。上海は租界時代に欧米からジャズが入り、ジャズ・バーがたくさん生まれた。その伝統は今も受け継がれ、平均年齢80歳近くのバンドが演奏する店もある。 僕らは、たまたま晩飯を食べた「上海姥姥」の店のすぐそばに、リストアップしていたうちの1軒、「House Of Blues & Jazz」という店があったので、そこにお邪魔することにした。 この「House Of…」は古い洋館をそのまま使ったような素敵な内装。キャパも結構広く、バック・バーの酒の品揃えも充実している。聞けば、オーナーは上海在住の中国人俳優だとか。壁には、ここを訪れたウイントン・マルサリスがオーナーと一緒に撮った写真も。 残念ながら、この夜のライブはジャズではなく、「Blues Jam Night」。西洋人4人組のブルース・バンドの演奏だった。ライブのスタートは夜9時半。演奏が始まると、やはり、続々と客が集まってくる。演奏のレベルはかなり高い。 ここも初日のバー同様、ドリンク(お酒)は日本とそう変わらないお値段。だから、客はやはり観光客や在住の外国人が多いようだ。ここにいると、ここが中国であることを忘れてしまう(ライブチャージは驚くほど安かった。この夜だと、1人10元=約140円=プラスになるだけ)。 ウイスキーを味わいながら、約50分の演奏に酔いしれて、僕らは店を後にした。上海は、今後も世界に開かれた国際都市であってほしい。そのためにも、世界中の音楽を受け入れる街であってほしい。機会があればまた、上海の違うジャズ・バーも訪れてみたいと思った夜だった。 【上海姥姥】上海市福州路70号 【House Of Blues & Jazz】同市福州路60号
2009/09/17
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上海滞在3日目。この日は郊外にある江南水郷の代表的な町、周荘(ヂョウヂュワン=現地では「周庄」と表記されている)へバス往復での半日の旅を計画した(江南水郷ではほかにも朱家角、同里、西塘などが有名で、とくに西塘はトム・クルーズの映画「ミッション・インポシブル3」のロケ地になった)。 上海西方の江南地方には、宋・元・明代の面影を今に伝える水郷の町や村が数多く存在する。12世紀頃から水運や商業の拠点として発展した周荘は、上海市中心部からほぼ西へ約80kmに位置し、バスで約1時間45分ほどの距離だ。 周荘には昔の古い民家や伝統的な生活様式今もよく残り、素朴な暮らしが息づき、郊外の人気観光スポットになっている。街の建物や水路の6割以上が明・清代のものという(写真左=出発前にホテル前の大衆食堂で食べた「お粥定食」。これで10元=約140円=と信じられないお値段!)。 水郷地域への観光バスは、人民広場駅から地下鉄1号線を南へ6駅行った「上海体育館」駅そばの観光バスセンター「上海旅游集散中心」から出ている。周荘までは、観光施設の入場料が込みになったお得な一日往復チケット(周遊券)があるとガイドブックにはあった(写真右=バスの車内風景)。 しかし、バスの出発時刻や1日に何本出ているのかや、現地のどこに到着するのかなどの情報は、ガイドブックによってまちまち。どれを信用してよいのか分からない。とにかく行ってみれば何とかなるだろうと、バスセンターのチケット売り場に行って、周荘までの周遊券をほしいと口で言って、念のために紙に書いて見せた。 窓口の女性はすぐに僕の言うことを理解してくれたのだが、行き(8時半発)はOKだが、帰りは僕らの希望する周荘午後2時半発ではなく、4時発になると言う。2時半のバスは満席なのかどうか分からないが、とにかく「4時発のバスしかない」というのだから仕方がない。とりあえず無事周遊券2枚をゲット(ちなみに1枚150元=約2100円でした)。 で、無事に8時半発のバスに乗れてひと安心。バスは同里経由で周荘へ行く。乗車率は7割くらいで、欧米人の観光客もちらほら。意外と日本人の姿はほとんど見かけない。 周荘へ向かう途中の車窓からは、上海郊外の湖のほとりで建設中のリゾート・マンションやすでに完成済みの別荘をPRする看板があちこちに見える(写真左=周荘の街に入るゲート。ここで周遊券を見せる)。 なかには、入り口のゲートに警備員もいるような豪華な一戸建て別荘もある。上海市内では路上暮らしをする労働者も多いのに、こんな別荘を買えるセレブな中国人も現実にはいるということなのだろう。 日本も戦後の経済成長の過程で、貧富の差は広がったが、成長の恩恵もほぼ万人が平等に受けることもできた。ここまでひどい格差は生まれなかった。中国政府の経済政策がどこかおかしいと思わずにはいられない(写真右=周荘の狭い街路。観光客であふれていた)。 さてバスは無事、周荘へ到着。しかし降ろされた場所がガイドブック(「地球の歩き方」)に書いてあった場所とは違う。どちらへ行けば、周荘にたどり着けるのかは分からないが、ここは中国人らしき観光客に付いていくに限る。上海市内もそうだが、案内板が少なくて中国の観光地まだまだ不親切だ(写真左=美しい水郷が自慢の周荘中心部)。 駐車場から10分弱ほど歩くと、周荘の町のゲートに到着。町に入るのには入場料が要るが、僕らは周遊券見せればOK。周荘は想像通りの趣のある水郷の町だ。町というより村という感じか。蘇州同様、中国のベニスと言ってもいいかもしれない。 早速僕らは、水郷巡りの遊覧船に乗る。遊覧船は1艘80元で、8人まで乗れる。これに乗って30分ほど、のんびりと町をぐるっと一周する。水面を渡る風が心地よい(写真右=僕らを乗せた遊覧船の船頭のおじさん。船頭はなぜか女性が多かった)。 水はお世辞にもきれいとは言えないが、驚くなかれ、両岸では洗濯をしたり、野菜を洗ったりする光景が…。生活用水として使っているようだ。健康面で大丈夫かなぁ…(写真左=周荘には古い石造りの橋がいっぱい)。 船を下りた僕らは今度は、町の中の狭い街路を散策。街路沿いには、土産物屋や食堂、食品店がぎっしり軒を連ねている。そんな中に、「姓名題詩」と看板に書かれた店がところどころに見かけた。聞けば、名前の漢字を使って即興で「七言律詩」にしてくれるという。 周荘というか、中国の旅の記念にぴったりだと思い、そのうちの1軒に入って、お願いする。書家兼詩人の名人(?)はなにやら地元では有名な人らしいが、僕の名前の字を見て考えることわずか5分ほど(はやっ!)、早速まずペンを走らせ、さらさらと七言律詩を書き上げる。 名人は、僕が少しは中国語が分かると思い、詩の意味を中国語で説明してくれるのだが、そんな詳しい説明は僕には理解不能(笑)。だが、詩の漢字を一字一字見ていたら、だいたいの意味は分かる。同じ漢字を使う民族同士で本当に良かった。 ちなみに、写真右のように筆で書いてもらって額装する場合は200~400元=約2800~5600円=くらいとられます(※詩をペンで紙に書くだけなら10元です)。 さて、周荘で昼食はやはり、地元の名物である豚足の醤油煮込み「万三蹄」=写真左=は外せない(豚足肉と言っても足先ではなく、膝から腿にかけての肉らしい)。肉はプリプリでコラーゲンいっぱい。甘すぎない、辛すぎないちょうど良い味付けで、白ご飯が進みます。他に「阿婆菜」というお漬け物、魚のすり身団子のスープ、青菜炒め、ビール1本をいただいて、130元=約1800円=也。 周荘の街には、お茶を楽しめる茶館(カフェ)が何軒かある。せっかく中国に来たのだから、本物の中国茶を味わいたいと思い、これも上海ナビに出ていた「三毛茶楼」にお邪魔する。僕らはおすすめの「龍井茶(ロンジンチャー)」をいただく。 龍井茶は杭州付近で生産される中国二大緑茶の一つ。初めて飲んだが、とてもまろやかで味わい深く、気に入ってしまった。帰りにお土産で買って帰ろうっと(写真右=お茶は湯飲みのフタをしたまま、フタを少しずらして葉が入らないようにしていただくのが作法だとか)。 茶楼店主の老夫婦はとても親切で、あれこれ飲み方を教えてくれて、「好きなだけお湯を足して飲んでいいよ」と言ってくれた。僕らが茶をいただいた二階には、開放されたたくさんの窓から心地よい風が吹き抜ける=写真左。 周荘の町を心ゆくまで楽しんだ僕らは再び、バスで上海へ戻る。帰途のバスは定刻より12分も早く、何も言わずに出発した。「おい、おい、積み残しはないのか?」と僕はつぶやく(写真右=「三毛茶楼」の2階の窓から下を見下ろせば…)。 チケットは原則として事前予約とは言え、運転手が出発前に乗客の数を確認していた様子はない。何かにつけて、いい加減な国民性が見えてしまう。 上海に近づくにつれ、夕方の渋滞がひどくなる一方。結局、バスセンターへの到着に約2時間もかかってしまった(写真左=周荘の街に入る正門。僕らが入ったのは裏門だったようだ)。 周荘など江南水郷の町や村には、上海市内では絶対体験できない、古い時代(宋~元~明)の雰囲気に心ゆくまで浸れ、長い中国の歴史の奥深いところを垣間見ることができる(上海だと再開発も進んでいるので、せいぜい清の時代までだろう)。もし上海へ旅をされるなら、ぜひ半日でも、郊外の水郷エリアへ足を伸ばすことをお勧めしたい。
2009/09/14
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上海2日目。この日はリストアップしていた市内の観光スポットをできるだけ多く回ろうという一日。ホテルの朝食バイキング(あまり期待していなかったが、なかなか充実の内容)を食べた後、早速街へ繰り出すことに。 まずは南京東路を散歩しながら、地下鉄・人民広場駅へ。土曜日なので南京東路は朝から結構な人出。歩行者天国になっているので歩きやすいが、日本人と見て、「とけい、かばんあるよ」と偽物ブランド品を売りつけに来るのがうっとおしい。途中、広場のような場所で、数十人もの人たちが社交ダンスをしているのを発見=写真左。他にも公園では、集団で太極拳をしていたりと、中国人はグループで集まって練習するのがお好きなようだ。 10分ほど歩けば地下鉄への出入口=写真右。上海の地下鉄網は1995年に1号線が開通し、今では8路線までに増え、最も便利な公共交通機関だ。自販機での切符購入方法は日本とほぼ同じ。基本料金は3元(約40円)と安い。 さて、この日まず目指したのは、中国が誇る文豪で、日本人にも馴染みが深い魯迅(1881~1936)関係のスポット。浙江省紹興市生まれの魯迅は、南京や北京にも住んだが、晩年は上海で暮らし、この地で亡くなったため、墓も上海市内にある。 そんな魯迅関連の史跡は、人民広場駅から地下鉄に乗って北へ15分ほど、虹口(ホンコウ)という地区に集まる。「虹口球技場」駅で降りて徒歩数分、まず「魯迅記念館」へ。ここで、魯迅という人の生い立ちや経歴を改めて知る(ちなみに虹口はかつて日本人租界があったエリア)。 展示の中には、仙台医学専門学校(現東北大医学部)に留学していた魯迅が、恩師の藤野厳九郎教授から贈られた、裏面に「惜別」と記された写真もあった。魯迅は、結局、医学校を中退するのだけれど、藤野教授への感謝の念は終生忘れず、「藤野先生」という短編を書いたのは有名だ(写真左=上海の地下鉄駅)。 上海時代の魯迅はまた、内山完造という書店経営者の日本人と深い親交を結び、経済的な支援も受けた。日中戦争のために、日本に対していまだ悪いイメージを持つ中国の人たちは少なくないだろうが、個人的には、こうした魯迅と日本(人)との縁を忘れずに、将来の良き隣人関係を築ければと思わずにいられない。内山の書店は今はもうないが、当時の資料や写真等を集めた「内山書店陳列室」が虹口の銀行支店の2階にある。 虹口では、魯迅が晩年を過ごし、亡くなった家「魯迅故居」=写真左下=も訪れた。レンガ造りの3階建ての古い建物内の部屋には、家具やベッドなどがほぼ当時のまま残されている。客間もあり、当時としては立派な家だったに違いない。文豪の暮らしぶりがしのばれ、魯迅ファンなら必見の場所だろう(写真右=魯迅記念館)。 さて、魯迅とお別れした僕らは、次なる目的地「豫園」へ向かう。「豫園」は、上海に来た観光客が必ず訪れるという中国式の名園だ。面積は約2万平方m。16世紀に四川省の役人が父のために18年の歳月をかけて造った庭園が元になり、その後荒廃した後、18世紀に上海の有力者たちによって再建されたという。 現在では有料(大人1人30元=約400円)の「豫園」と、隣接するショッピング街「豫園商城」とを合わせたエリアを、広い意味で「豫園」と呼んでいるが、「豫園商城」にはみやげ物店やレストランが数多く集まっている。 僕らはとりあえず庭園を鑑賞。広い園内は様々な趣向を凝らした建物や庭が迷路のような道でつながっており、出口を探すのに苦労するほど。ただし1時間も見ていると、どれも同じような庭に見えてきて、「まぁこの辺りでいいか…」と庭園を後にした。 「豫園」はおそらく上海市内ではもっとも国内外の観光客が集まる人気スポット。この日も、まるで休日の原宿か心斎橋のようにごった返している=写真右。ちなみに、今では日本にも進出している小龍包(ショウロンポウ)の名店「南翔饅頭店」は、この豫園商城内の店が本店だとか。お昼はここで食べようと思っていたのだが、すでに長蛇の列。並ぶ時間がもったいないので、あきらめる。 豫園を後にした僕らは、初めて上海のタクシーで乗り、いったんホテルに戻る。頼んでおいた今夜の上海雑技団公演の予約券がフロントに届いているはずだから。タクシーは、地元の人から「ブルーの車体以外のタクシーはぼったくったりするから、乗ったらダメ」と言われたので、その教え通り、ブルーのタクシーをつかまえた(ただし、運転手はまず日本語も英語もできないから、行き先は中国語でしっかり伝えるか、紙に書いて見せるしかない)。 ホテルで予約チケットを受け取った僕らは、旧フランス租界にある、「新天地」へ=写真左。人民広場駅からは地下鉄でひと駅の距離。租界時代の1920~30年代の石造りの住宅を修復し、おしゃれなカフェ、レストラン、ブティック、ショップ、映画館などに再生させた地区で、タイムスリップしたような気分に浸れる。 2001年に誕生した新天地は上海でいま最もトレンディな地区で、地元の若い世代だけでなく、在住外国人にも人気のスポットだ。約100軒以上の店が集まり、センスのいいお土産が買えそうな店も沢山あり、上海の「熱い今」と「懐かしい過去」が同時に楽しめる場所だ(ちなみに新天地地区には、毛沢東、周恩来らが集まり、中国共産党第一回大会の会場となった建物が今も残り、名所の一つとなっている)。 さて、晩ご飯の時間も近づいてきた。この夜の上海雑技団公演の劇場は、人民広場駅から西へ2駅の「静安寺」駅のすぐそばなので、とりあえずその周辺まで移動する。静安寺=写真右=は三国時代の247年の創建で、9世紀には空海も遣唐使として訪れた由緒ある寺とある。しかし、訪れた寺はどうみてもここ200~300年の間に再建されたように新しい。まぁ、この際、それは目をつぶることに。 この夜の晩飯は、憧れの上海ガニ。上海ガニは「大〓蟹(ダーヂァーシエ)」=すみません、真ん中のヂァーに当たる簡体字が表示できません=という。残念ながら、今は少しだけ旬じゃないが、それは仕方がない。で、僕らが選んだのは「上海漁亭」という店=写真左。上海ナビというサイトに出ていた店だが、口コミ情報もあったので、まず安心か。早速、上海ガニの爪の蒸しものを頼み、他に酸辛湯、空心菜の炒め物、カニみそあんかけ炒飯も。 しかし予想とは違って、カニの爪は、身があらかじめ出された状態で皿に乗ってきた=写真右。2種類のタレに漬けて味わう。自分で殻から身をほじって食べたかったのに、これは少々がっかり。でも、酸辛湯(写真左)も空心菜も旨かったし、飲んで食べて400元弱。まぁ、許すことにしよう。 食事も終えた後はいよいよ、この夜のメインイベント「上海雑技団」。実は、最初は、見に行くつもりはなかったのだが、上海在住の中国の方から「見なければ絶対後悔する」と言われて、「そこまで言うなら」ということになった。雑技団は、上海市内でもいくつかの団体が別々の場所で公演しているが、この「雲峰劇院」を勧められた。 開演は夜7時半。チケットは150元、200元、280元の3種類で、僕らは真ん中の200元の席にした。客席はほぼ満員。ショーは、司会役の女性が英語と中国語で演目ごとに紹介してくれるが、まぁ観れば分かるので説明不要かも。 最初の演目は、伝統の竹登り。天井から吊された竹棒に登り、それをブランコのように振って、後ろの竹にバック転で飛び移って客席を沸かせるが、これはまぁ序の口。その後も、輪くぐり、皿回し、椅子タワー、フラフープ、帽子キャッチボール、ロープ・ブランコ、自転車(写真右)…と、バラエティに富んだ演目が1時間半に渡って次々と繰り広げられる。 演技をしている男女は若い人が目立つ。小学生のような子供もいる。きっと地方から家族の期待を一身に背負って、このステージで頑張っているのだろうが、「ちゃんと学校にも行っているのかなぁ…」と気になる。 腹一杯晩ご飯を食べた後なので、座席で睡魔に襲われるかもと心配していたが、一瞬たりとも目が離せない演技の連続なので、それは杞憂だった。圧巻はフィナーレの球面内バイクレース=写真左。金網でできた球面の中をバイクで走り回る。それが最初は1台、次に2台、3台、4台と増えていって、最後は5台。 ぶつかりそうで観ている方もひやひやする。実際、ぶつかったら命に関わるから、チームワークを守るため血のにじむような練習を重ねているのだろう。5台がブンブン音を立て、高速で走り回る姿はただ凄いの一言。 上海雑技団はサーカスのようなものと言ってしまえばそうかもしれないが、アクロバティック・アスリートの本物のプロ集団だという思いを強くした。皆さんももし上海へ行かれる機会にはぜひ、一度ご鑑賞を! 【上海漁亭】上海市華山路325号 【雲峰劇院】同市北京西路1700号
2009/09/11
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夏休みをもらって、連れ合いと二人で中国・上海に3泊4日の旅に出かけてきた。中国語圏へ旅するのは、香港、台湾に続き、3度目。香港に行ったのは中国返還1年前だったので、中国領の本土に足を踏み入れるのは、今回が初めてである。 世界が同時不況に苦しむ中でも、中国は(ひと頃よりはペースダウンしたとはいえ)なお経済成長を続けている。その中国でも、流動人口も含めると1800万人の人口を抱える最大の経済都市、上海の急成長ぶりは目を見張るものがある(写真右=上海・浦東国際空港のターミナルビル)。 そんな上海の「今」を、租界時代の雰囲気が残っているうちに体感してみたいと思ったのが、今回の旅の大きな理由。いつものように団体ツアーではなく、往復の航空便とホテルがセットになっただけの、完全なフリー・プランの旅である。 「フリー・プラン」だと、自分たち行きたいところへ行けて、食べたいところで食べれて、お仕着せの観光ツアーでは味わえない時間が過ごせる。ガイドがいない分、それなりにハプニングや苦労も多いが、それも含めてが旅の面白さ(写真左=空港からは最高時速430kmのリニア・モーターカーが市内とを結んでいる)。 中国語は昔、独学で少し勉強したことがあるのと、香港、台湾での旅の経験でクソ度胸だけは少しはあるので、食事や買い物、ホテル周りくらいなら、まぁなんとかなるが、込み入った内容になるともうお手上げ。でも、可能な限り現地の言葉を喋り、地元の人と直接、生の言葉でコミュニケーションができる楽しさは何ものにも代えられない。 さて、前置きが少々長くなったが、関西空港発のCA(中国国際航空)922便は、わずか2時間で上海・浦東(プートン)国際空港に無事到着。わずか2時間。飛び上がったと思ったら、もう着陸のために高度を下げ始めるようなフライトだ(写真右=市内のあちこちに上海万博PRの立て看板が)。 改めて、日本と中国は近くて遠い国だけど、これだけ時間的距離が近いのだから、もっと人が行き来すればきっと、さらに理解は深まり、仲の良い隣人になれるはずだと思う。なにより世界中さがしても、漢字を使い、お箸でご飯を食べるのは、中国人と日本人だけだ(写真左=上海万博の中国館もすでに姿を現していた)。 なお、これだけ資本主義経済に組み込まれているのに、CAのアテンダントはまったく無愛想だ。ひと頃言われたように、おしぼりを投げてよこすということはなかったが、笑顔はほぼゼロ。乗客に笑顔を見せたら損をするとでも思っているのだろうか…。 さて、滞在中の宿は南京東路駅近くの「南京飯店」=写真右=で、日本で言えば、新宿か道頓堀の混沌と喧噪のすぐそばというロケーション。でも幸い、ホテルのある中山南路には警察の出張所があり、深夜でも警官が出入りしているので安心だ。 南京飯店は1931年創業の古い建物で、租界時代からある怪しげなホテルという雰囲気。最大の魅力は、立地の良さである。上海最大の観光スポット「外灘(ワイタン)」=写真左=にも、市中心部の地下鉄のメイン・ターミナル「人民広場」にも徒歩10分圏内だから、使い勝手は最高だ。 ただ、5年前にリニューアルしたと言うが、設備はそう立派なものではない。部屋は暗いし、ドアの建て付けもいまいち。セイフティ・ボックスも部屋のカード・キーを使うので、開け閉めしている間は部屋の電気は消えてしまうのが困る。 しかし部屋のシャワーのお湯はちゃんと出たし、トイレもちゃんと流れたし、エアコンも効いたし、泊まるだけなら、何の問題もない(冷蔵庫がないのは唯一不満だったが…)。おまけにホテルのすぐ前には24時間営業のコンビニもあり、とても便利だ。 さて、チェックインを済ませた我々は、早速街へ。とりあえず、もちろん外灘に向かった。ホテルからまっすぐ西へ歩くと、あの絵葉書で見た黄浦江沿いの近代建築群(19世紀後半~20世紀前半)があった!=写真左 神戸や横浜でもこれほど多くのビル群は今では残っていない。ただ、ただ素晴らしいの一言。ひと頃は、租界時代の古い建物をどんどん壊して、再開発のために建て直していた上海市だが、最近は、保存すべき地区や建物は壊さず残していこうという方向へ転換したとのことだ(写真右=晩ご飯を食べた杭州料理店「南麓碧郷」)。 中国の人にとっては、租界(欧米列強や日本の植民地)時代の思い出は「負の遺産」かもしれないが、負は負として後世に伝えていくことも、僕は必要なことだと僕は思う(それが結果的に、古き良き上海の雰囲気が守られていくことになれば、それも良いことだと)。 それにしても、上海の街の第一印象は「ほこりっぽい」。急成長に加えて、来年2010年5月に開幕する上海万博のために、市内は今、あちこちで建設、道路工事だらけ。夜も工事をしているところもある。粉塵対策なんてあまりない、いい加減なお国ぶりだから、街全体が埃っぽくて、煙っているのである。 さて上海初日の晩ご飯は、上海料理という案もあったのだが、せっかくなので、日本ではあまり味わえない中国の地方料理の店にしてみようということになった。 僕らが選んだのは、外灘からすぐ近く、福州路と四川中路の交差点そばにある「南麓碧郷」という杭州料理の店(「地球の歩き方」の地図が間違っていたので、苦労したぞー!)。 有名店・超人気店なら事前に電話か、昼間に近くまで行った際、ついでに夜の予約をしておくのだが、今回はまぁ2人だからなんとかなるだろうということで、とくに予約はせず。玄関にいた従業員に、「予約はしていないけれど、席はありますか?」と聞けば、「大丈夫です」とのお返事で、すぐ案内してくれた。 さて、杭州料理の代表格と言えば、「東坡肉(トンポウロウ)」(=豚の角煮)=写真左上。これは外せない。そして、おすすめメニューだと聞いてきた「西湖醋魚」(淡水魚の甘酢あんかけ煮)=写真右。これが黒酢を使っためちゃめちゃ旨い一品だった! さらに2品(野菜とキノコの炒め物、杭州風汁麺=写真左)を頼んで、計4品&ビールを2本飲んで、これでお勘定は164元(約2300円! 1元=14円で換算)。!! 店は結構おしゃれな、高級レストラン風だったのに…、こんなに安くて、本当にいいの?! 上海も物価は高くなったと言っても、食い物の値段はまだまだ安い!(観光客が集中するエリアは、たまに外国人料金高いこともあったが…)。ほんとに嬉しい! チップをあげたくなったが、地元の人に「(日本同様)チップの習慣はないので、不要です」と言われたので、やっぱりやめた。 さて、腹ごしらえも終わった後は、やはり「100万ドルの夜景」と言われる外灘の夜を楽しむしかない=写真左。で、大阪のバーテンダーさんから事前に教えてもらった「外灘5号」という古いビルの6階にある「The Glamour Bar」へ=写真右。 この「外灘5号」=写真右=はもともとは日本資本で建てられたビルだという。外灘エリアではここ数年、こうした古い石造りの建物をおしゃれな複合ビルに改造する試みが盛んだ。 「The Glamour Bar」は想像していたより広いBarだった。ゆったりとした空間に、カウンターやソファ席などが配置されている。ただ、1杯の単価は60~100元くらいと日本とほとんど変わらない。2人で2杯飲めば、この日の晩ご飯の店より高いお値段なので、当たり前だが普通の上海「庶民」の姿はまず見られない。客の8~9割は上海在住の外国人、旅行者で、中国語はほとんど聞こえてこない。 上海の街角では、ゴミ箱をあさっているような人たち(男も女も!)や、道路工事のために地方から出稼ぎに来て、そのまま路上にテントを張って寝ている労働者も結構目にした。経済発展とともに、貧富の格差も広がっているのが上海の現実のようだ。窓から見える素晴らしい夜景を眺めながら、少々複雑な気分になった。 そんなことを考えながら、窓の外の川向こう、浦東地区を眺めたら、上海のランドマークとも言える、アジアNo1高さのテレビ塔「東方明珠塔」が、夜も更けてカラフルにライトアップされていた=写真左。黄浦江を見下ろすと、行き交う遊覧船まで電飾で飾られている。そういう意味でも、上海はまさに「光と影の都市」なのかもしれない。 【南京飯店】上海市山西南路200号 【南麓碧郷】同市四川中路220号 【The Glamour Bar】同市外灘広東路20号6F【その(2)へ続く】
2009/09/08
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