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ぴかろんの日常
リレー企画 192
千の想い 25 ぴかろん
『あやかしの館』を出てBHCの前を通り過ぎる
不思議だ
こんな近くにテソン達の隠れ家…じゃない…『家』があったなんてな…
チェミさんと話す機会なんて今までなかったもんなぁ(だって『不気味隊』の隊長だし…)
パン、美味しくてあったかかった…
風通しのいい家だったな…
『知ってるんだ』
知ってる?
テソンもテスも…チェミさんと闇夜の気持ちを知ってる?
知っててなぜあんなに和んでいるのだろう…
あのバラバラだったテソンがどうしてあんなに穏やかな顔でいられるのだろう…
チョコレートか…
朝飯が美味いって事は解るのに
きっとチョコの味はまだ解んないんだろう…
「また来たいな…ここ…」
「ん?」
「なんかさ、居心地よかったな」
「うん…ギョンジン連れてきてあげたい」
ラブは優しい目をして呟いた
「そだな…あいつ、『家庭』に飢えてるもんな」
「俺もだけどさ」
「…うん…俺もだ…」
歩きながら色んな事を話した
友達や恋人や仕事や…
肉親については触れなかった
俺には両親も兄妹もいないし、ラブは父親とは疎遠になっているらしいし…
だけど、チス伯父貴は俺を息子のように可愛がってくれた
ヒョンジャ小母さんもあったかかった
ヨンドンポの仲間達は兄弟のようで
ムショで知り合ったチョングヒョンは俺にとっては本物の兄貴みたいなもんだ
俺達の家族は多分BHCの皆なのだろう…
あそこに行くと自分が溶け出す
ただ最近は…何かが空気を遮っているように思えた
昨日、眠る前に頭に浮んだスヒョンとミンチョルを覆うあの、薄い膜のようなものが…
「ラブ」
「ん?」
「お前とミンギって友達なんだよな?」
「友達っていうか…親友?えへへ」
「親友か…」
ミンチョルと俺みたいなもん?
「じゃ、ギョンジンは?」
「えー…まぁ…コイビト…だよなぁ…」
「テジュンは?」
「えっ?」
「…そんなにビックリするなよ…」
「…んと…なんだろう…」
「ずーっと一生愛するんだろ?」
「…ぅん…」
少し微笑んで恥かしそうに頷くラブの首を軽く絞めた
「やっ!何すんだよっ!こんな街中で人をコロす気かよっ!」
「人の恋人を『一生愛してる』だなんてよぉ!」
「ぁあん…イナさんだってギョンジンの事好きなんだろっ」
「…別に…好きは好きだけど…。じゃ、ギョンジンは恋人で…テジュンは何なの?」
「…んー…」
「俺は何?」
「イナさんは…」
「俺の事も『愛してる』とか言わなかったっけぇ?」
「言った。愛してるよ」
「ギョンジンは?愛してないの?」
「…」
ラブはまた赤くなった
こいつ…ギョンジンのいない時にギョンジンの事となるとなんでそんな純情?
傍にいる時は絶対そんな素振り見せないのにな…
「ギョンジンはね…なんか…なんか…急に俺の中に居座ってさ、勝手に共同生活始めたみたいな…」
「は?」
「一杯戸惑うんだ。なんでこんな事するんだろうとか、何言ってるんだろうとか、ヘンな趣味だなぁとか…ワケ解んないんだあの人…」
「そうなの?」
「うん…。いつもドキドキする」
「そうは見えないけどなぁ」
「でも…ドキドキするんだ…」
「…じゃ、テジュンは?」
「テジュンはね…染み込んでるの…」
「染み込んでる?」
「怒んないでね…。あの人に…その…あの人と…その…初めて…そのあの…」
「ヤった時の事か?」
コクンとラブは頷いた
「…なんか…満たされたって気がした…」
「…ふぅん…」
「…イナさんは違うの?…」
「俺は…」
抱かれても抱かれても満たされない
もっと抱きしめて欲しいと思う
俺を離さないでって思う
ぽつぽつとそう答えるとラブは、自分もギョンジンに対してはそんな風に思うと言った
「自信…ないな…。いつも俺でいいのかなって思う。アイツはすぐに纏わりついてくるけど…ほんとに俺でいいのかなって思う
夕べ二人が帰ってきた時さ、アイツからテジュンの香りがした時、やっぱりアイツにはイナさんの方が似合ってるんじゃないかと思った」
「はぁ?」
「…そんで…俺…アイツが好きで好きで堪らないと思った…」
「あんなに愛されてて不安?」
「不安だよ…幸せだなって思うけど凄く不安だ」
「…そうなの?」
「イナさんは感じない?」
「え…」
「幸せだぁって感じたら、それを手放したくないって思わない?」
「…ああ…うん…」
「なくした時を考えると不安でたまんない」
「…」
「けど…アイツと一緒にいると…不安が消える」
「…不安なのに不安が消えるの?」
「うん…矛盾してるけどさ。…不安な事考える暇がない。バカだから…アイツ」
「…うん…」
「だから…好き…」
「…ふ…」
「…イナさん…今、考える暇がありすぎるんじゃない?」
「…」
そうかもしれない…。頭で色々考えて決断を下しても、『存在する』物体を目の当たりにすると理性なんか吹っ飛ぶ
『存在する』テジュン、『存在する』ヨンナムさん…
「友達って…なんだろう」
「ん?」
「ミンギとお前は友達だろ?キスとかした事ある?」
「キス?…ふざけてチュッぐらいはしたかなぁ覚えてないや…」
「恋人でもない、兄弟でもない…友達ってどういうものなんだろう…」
薄いベールを被ったミンチョルを思い浮かべた
「ギンちゃんといると…楽しいんだ。話が合うしホッとする…」
「ぅん…」
「何も喋らなくてもなんとなく分かり合えてるように思う」
「…ギョンジンだとそうはいかないの?」
「…楽しいしホッとするけど、ドキドキしてるよ、いつも…」
「いつも?甘えてる時も?」
「うん…」
「俺は…どうだろうな…」
「…」
「…今は…わかんないや、ごちゃごちゃしてて…」
「…誰に対して?」
「…そうだな…。二人とも…かな…」
「…そう…」
「俺とお前は…何なんだろう…」
「恋人でもないし、友達とか親友とかってのでもないような…ね…」
俺達は…何なんだろう…
俺とテジュンは…
俺とヨンナムさんは…
俺達三人は…何なんだろう…
答えの出ない問題を、ツラツラと話しながら歩いていた
千の想い 26 ぴかろん
「ヨンナムぅ」
いつ帰ってきたんだかしらないが、テジュンは二階の自分の部屋にいた
どどどどっと喧しく階段を駆け下りて来て、嬉しそうな顔を台所に覗かせる
「なんだよ…」
「今から先輩んちに荷物置きに行ってくる」
「荷物?」
「明日からの研修の泊まりの荷物、明日朝早く先輩の奥さんが送ってくれっからさ。今夜先輩のうちに泊まるんだ」
「泊まり?何泊?」
「二泊三日の予定」
「…イナ…寂しがるだろ?」
「だから今日はたっぷりふひひひ…。そのために必死で仕事をぜーんぶ片付けたんだし、今から荷物運んどいて、ゆっくりいひひん…イナと…おほほん…んでそのままいひひいひひ…先輩んちに行くから僕ふふふ」
「…はいはい…」
「だから行ってくるっ」
「朝飯は?」
「帰ってから食う」
「…ったく…片付かない…」
「イナ、来るんだろ?」
「…ああ多分ね…。お前一体何時に帰ってきたの?」
「んーと5時頃かなぁ。寝たのはもうちっと後…」
「…三時間も寝てないんじゃないの?大丈夫?」
「へーきへーき。朝ご飯、イナと一緒に食べよっかなっ。すぐに帰ってくるからねっ。ああでも先輩んちって結構遠いからなぁ…。行ってきまぁす」
テジュンはニヤニヤした顔でブツブツ言いながら九時過ぎに出ていった
そんなに好きなのか…全くもう…
可笑しくてクスクス笑ってしまった
イナは何時頃来るんだろう…
僕は汁物と野菜の和え物を用意した
まだ来ないよな
夜遅かったのかな…
ゆっくり寝てるなら…十時ごろだろうか…
僕は庭に水をやり、小鳥のイナにえさをやり、朝早くに拭いた床をもう一度キレイに拭いた
二度目の掃除が終わってしまった
後は…配達の確認をして…
今日は午後からの配達しかないし…
帳簿でもつけようか…
テーブルの上でノートを開く
もう十時だ
そろそろ来るだろうか…
んじゃサッサとつけなきゃ…
僕は伝票を繰り、数字をノートに書き写した
帳簿をつけ終えて時計を見る
十時半を過ぎた
遅くない?いやこんなもんかな…
来ないのかな…
テジュンはいつ帰って来るんだ?
これじゃ朝飯じゃなくて昼飯になっちゃうぞ…
僕は居間のテーブルに食事の用意を整えた
ヨンナムさんの家が近づく
俺は唾を飲み込む
テジュンは帰ってきているだろうか…
帰っていなくてもラブがいるから大丈夫だ…
カラカラと引き戸を開ける
家の中に足を一歩踏み入れる
カラカラカラ…
引き戸が開いた
来た!
僕は玄関の方へ急いだ
「来たね」
「来たね」と満面の笑顔でヨンナムさんは俺を迎えた
俺の後ろからラブが顔を出したとき、ヨンナムさんは少し驚いた表情を見せた
イナの後ろからラブ君が出てきた
あれっ…一人じゃないんだ…
「…こんにちは…すみません俺まで」
ラブが申し訳無さそうに言った
謝る事ないじゃん、ラブ
「あ…いや…。今、ご飯用意するよ、上がって」
なんとか…できるよな…なんとでもなる…
僕は少し戸惑いながら二人に居間へ行くように勧めた
ヨンナムさんの顔がほんの少し曇った
きっと他の人には見分けられないだろう
俺は…そんな事に気付く俺は…
『友達』だって?
自分の気持ちとヨンナムさんの表情にムカついて俺は強めの口調で言った
「飯、いらねぇよ」
「え?」
「もう食ってきた」
「…」
「これ、デザート。後で食おうよ」
チェミさんのデザートをヨンナムさんに渡した
ヨンナムさんがむっつりと紙袋を受け取る
感じが悪い
「ラブを連れてきちゃいけなかった?」
「…いや…」
ヨンナムさんは渋い顔のまま居間に用意してあった食事を片付け始めた
俺は知らん顔をしてラブを呼んだ
「これだぜ、小鳥のラブ」
「へ?」
「突くんだ。俺の事」
「ふぅん…」
「そいつの名前は『イナ』だよ」
不機嫌な声でヨンナムさんが言った
「でも俺の事突くんだぜ、『イナ』がイナを突くなんてさ、ヘンじゃん!」
「でもその小鳥は『イナ』なんだ!」
乱暴に皿を持ち上げ、ヨンナムさんは台所に消えた
「…ね…怒ってるよやっぱり…」
「いいんだよ気にしなくて」
「でも…」
ラブが心配そうな顔をする
ガチャガチャガサンガチンガチャンパリーン
明らかに食器の割れる音がした
俺は台所へ飛んでいった
床に割れた皿があり、ヨンナムさんはブツブツ言いながらゴミ箱に何かを捨てていた
「なに…どうしたの?皿、割ったの?」
割れた皿を集めながらヨンナムさんに近づいた
ヨンナムさんはゴミ箱に、俺が食べなかった朝食を捨てていた
「…何してんだ…。ヨンナムさん、何してるの!」
「食べないならいらないだろっ」
「待ってよ、昼飯に回せばいいだろ?!捨てるなんてヨンナムさんらしくない…」
「らしくない?なにが!」
「食べ物を捨てるなんて…」
「残しておいても誰も食べない!」
「やめろよ!勿体無い」
「勿体無いと思うなら食えよ!なんで食ってくるんだよ!僕、待ってたのに!」
「俺の分作るなって言ったじゃない!それに…朝来るなんて約束もしてないだろ?!」
「…」
ヨンナムさんは黙りこくって皿の料理をゴミ箱に捨て続けている
俺はヨンナムさんの腕を押さえた
「なんなんだよ!なんでそんなに怒るんだよ!おかしいじゃんかヨンナムさん!」
「うるさい!ほっとけよ!イヤなら来なきゃいいんだ!」
「誰もイヤだって言ってないだろ?!」
「イヤだからラブ君を連れてきたんだろ?一瞬でも、僕と二人っきりになるのが…」
「ちが…」
「違わない!イヤなら来なきゃいいじゃないか!」
二人っきりに…なりたくなかった…
ヨンナムさんの作った朝飯を…食べたくなかった…
そんな事をしたら俺は…
だってその後俺はテジュンと…
掴んでいた腕を離し、俺は俯いて唾を飲み込む
ヨンナムさんはガサガサと料理をゴミ箱に捨て、流しにガシャンと音を立てて食器を置いた
ヨンナムさんは…イナさんの後ろの俺の顔を見たとき、戸惑うような微笑を浮かべた
二人になりたかった?
それでもヨンナムさんは気持ちを変えて俺達を居間に上がるように促してくれた
イナさんがぞんざいに「飯はいらない、食ってきた」と告げると
ヨンナムさんはムッとして食卓を片付け始めた
イナさんは小鳥の名前を『ラブだ』と言い、ヨンナムさんは『イナだ』と言う
…朝ご飯を食べるっての、『約束』だったんだろうか…
台所から皿の割れる音がしたとき、イナさんは血相を変えて飛んで行った
俺はそっと台所を覗いた
喧嘩している
意地の張り合いといったところか…
どう見ても痴話喧嘩にしか見えないんだけどな…
ヨンナムさんはイナさんの事、どう思っているんだろう…
どうしてこんなに腹が立つんだ
イナの言うとおり、約束なんかしてないし
イナは自分のご飯は作らないでくれと言った
僕が勝手にイナの飯を用意し、僕が勝手にイナ一人で来ると思っていた
僕が勝手にイナを待っていて、僕が勝手に…怒っている
イナが僕と二人でいることを嫌がっているから?
わざわざラブ君を連れてきたから?
どうして僕はこんな事をしているんだろう…
僕は何をしたいんだろう…
情けなくて涙が滲んだ
料理をゴミ箱に捨ててしまったヨンナムさんは、俺に背を向けたまま流しに向かい、蛇口を捻った
勢いよく水が流れ出し、乱雑に重ねられた皿にぶつかりヨンナムさんのシャツを濡らした
俺は黙って割れた皿を集めた
ヨンナムさんの背中が震えていた
俺が…悪いのだろうか…
意地の悪い事をしてしまったのだろうか…
どくどくと大きく波打つ血流を感じながら、俺は拾った皿をそこらにあったビニール袋に入れた
「僕に冷たくしちゃいけないんだ…僕の誘いも断っちゃいけないんだ…甘えていいって言ったじゃないか…ひとりで歩き出せるようになるまで…」
小さな声が聞こえた
水音が邪魔をするのに俺はこの人の声を聞き分けている
目を閉じて心を抑える
息を吸いこみ、そして口を開く
「俺が貴方の思い通りになると思ったら大間違いだよ!そういうのが友達だっていうのなら、俺はヨンナムさんの友達なんかにならない!」
「甘えていいって言ったじゃないか!」
「こんなの甘えてるんじゃない!我儘言ってるだけだ!」
「僕に…冷たくしちゃいけないんだ…誘い…断っちゃいけないんだ…」
ヨンナムさんの声が震えていた
その震えが俺の心を大きく揺らす
いけないと頭が命令する
体が動く
立ち上がり、こちらを向かせ、ヨンナムさんを抱く
いけないと頭が命令するのに
俺の腕はヨンナムさんを抱く
「なんで…泣くのさ…なんで…そんななのさ…俺、どうしたらいいんだよ…」
「ごめんイナ…僕が勝手に…。ごめんイナ…イナごめん…」
こんな風に泣くヨンナムさんを初めて見た
俺に我儘をぶつけて荒れるヨンナムさんなんて初めてだった
いけないという命令を愛しいという感情が弾き飛ばす
好きな人に泣かれるのは…辛いよ…
「ごめん…友達なのに…我儘言いすぎた…」
「…いいよ…俺だって意地が悪かったんだ…」
好きだ…
腕の中にいるこの人が
好きだ…
泣かせたくない…
「…加減…わかんないんだ…。心を開く加減が…」
「…」
「…甘えてるんだ…僕は…お前に…」
「…ぅん…ぅん…」
「ごめん…イナ…」
好きだ…
『本当の友達』になろうと…俺はゆうべ決めたのに…
『存在する』その人の前ではどうしようもない…
腕の中のその人を柔らかく包む
抱きしめてしまえば俺の心が流れ込む
それが怖かった
千の想い 27 ぴかろん
暫く言い争った後、イナさんがヨンナムさんをそっと抱きしめた
ヨンナムさんの表情はよくわからないけど
イナさんは体全体で『好きだ』と言っている…
もう伝えればいいのに…
何を怖れるのだろうイナさんは…
俺、ここにいても仕方ないし、こっそり帰ろうかな…
居間のキャビネットに置いてあったメモ用紙を拝借して『帰る・ケロン』と書いて外に出た
なんだか可愛らしい二人…どうにでもなっちゃいなさい
くふふと笑って俺はギョンジンに電話を入れた
…テジュンはいなかったけどさ、お邪魔虫みたいだから歩いて帰るよ…
…そ?僕今黒のシルクのパジャマ手洗い中だからさぁ。お前こっちに来る?…
…匂い嗅いだの?!
…え?!んふ…パジャマは嗅がなかったよ
…じゃ何の匂い嗅いだの!
…ええぇ…そんな事言ったらヘンタイ扱いされちゃうぅう
…ぶぁか!
全くもうあのバカ野郎…
俺はムカついて電話を閉じた
閉じた後にRRHへ行くと告げ忘れたことに気付いた
まぁいいか…また電話がかかってくるだろう…
ようやく泣き止んで落ち着いたヨンナムさんは、食器を洗い始めた
俺はほうきや雑巾で、床に散らばった皿の破片を片付けた
ふと時計を見ると、もう11時半に近かった
ヨンナムさんも同時に時計を見ていた
「テジュンのやつ、遅いなぁ」
「忙しいんじゃないの?」
「…あいつさ、お前に夢中だな」
食器を洗いながら言うヨンナムさんの横顔を見る
柔らかいいつもの微笑み
「夢中って?」
「朝方に帰ってきたらしい」
「…いるの?!」
「お前が来る前に、先輩さんちに荷物持って行った」
「は?」
ヨンナムさんはテジュンの『計画と行動』をくふふと笑いながら話してくれた
つまり荷物を置いてからこっちに帰ってきて…昼から夕方まで俺はテジュンに…
「羨ましいぐらいお前の事『好き』なんだな、あいつ」
「…はぁ…」
「ああっ!しまった…」
「どうしたの?」
「あいつ、朝飯食ってないんだった…」
「…」
「捨てちゃった…」
「…。だから言ったのに!ヨンナムさんらしくない事するからっ!」
「だってお前が…」
「ヨンナムさんはいっつも俺のせいにする!卑怯だ!」
「だって…」
ヨンナムさんが俯く
もう
ずるいよヨンナムさんは…
「…ごめん…」
「…いいよ…テジュンが帰ってきたら、昼飯外で食べようって誘うから…」
「…さみしい…」
「何言ってるのさ!」
「テジュンとは飯食うくせに僕とは食ってくんない…」
「…ヨンナムさん?」
「なぁんてね…」
いたずらっ子のような笑みを浮かべたヨンナムさんを睨んでやった
それにしても…遅いなテジュン…
台所を片付け終わって居間に行った
ラブの置手紙があった
「あは…ラブったら呆れて帰った…。ヨンナムさんのせいだ!」
「違うもん!」
「…あの小鳥は絶対『ラブ』って名前だからな!」
「違う!『イナ』だ!」
「『イナ』がイナを突くわけないだろ?!」
「でも『イナ』なんだ!ほらっ見ろよ!首傾げてるだろ?!」
「…小鳥なんだから首ぐらい傾げるだろ!」
「どうしても『イナ』なのっ!」
「…頑固だな…」
睨み合ってからぷふっと吹き出す
俺の心はドキドキしたまんまだ
テジュン…帰って来てよ早く…
テジュン…俺の傍にいてよ…
今ここにヨンナムさんがいるよ…
お前とそっくりで…そっくりで可愛くて…
俺どうしたらいいんだよテジュン…
昼を過ぎてもテジュンは帰ってこなかった
ヨンナムさんは昼から配達があるので先に昼飯を食うと言ってラーメンを作っている
その鍋を居間のテーブルに持ってきた
「お前さ、テジュンと外行くなら鍵かけてってね。裏口から出て行けばいいからさ」
「…うん…」
「いただきまーす」
「俺の目の前で食うの?」
「ふん。僕と二人じゃご飯食べたくないんだろ?」
「…」
ズルズルズル…ハフハフ…はぁぁうまいっ
野菜たっぷりの辛ラーメンを鍋から直接美味しそうに啜っている
俺はヨンナムさんを睨んでやった
ヨンナムさんはニヤニヤ笑ってバクバク食う
「嫌な男だヨンナムさんって…」
「ふんだ。朝飯の恨みは怖いんだぞ」
「…なんだそれ…」
「美味いなぁ…ハフハフ」
「…ちょっとちょうだい…」
「だめ」
「ケチ!」
「くふふ」
ヨンナムさんはクスクス笑いながら俺の方にラーメンの鍋を寄せた
俺はヨンナムさんをチラっと見て、鍋に突っ込まれた箸を取った
ラーメンを啜る
美味い
もう少し啜る
美味い
ちっと箸が止まらない
調子に乗ってズルズル啜る
ヨンナムさんの顔色が変わる
「お前…ちょっとっちったろ!」
「ひょっとりゃん、これくりゃい」
「お前、自分の口のサイズ解ってんのか!そんなでかい口で…おいっ僕の昼飯無くなっちゃうじゃんかっおいっ」
本気で慌てるヨンナムさんが可笑しい
俺は鍋を抱え込んでずるずるラーメンを啜る
「なんだよっ!食べたかったら食べたいって言えよ!もう一個作るのにっバカっ!」
「ぐふ…ぐふふ。あははあーははは」
「もう!返せよ」
「あは…あはは…はいはい、返すよ。ご馳走様」
「あーあ…残り少ないよぉ…ああん…麺がほとんどないじゃんかぁ!ばか!」
「ぐはははごめんごめん」
「…もう…」
「食べ物捨てるからだ」
「…お前が悪いんだろ?!」
「なーんでも俺のせいにする!」
プリプリしながら残りのラーメンを食べるヨンナムさんを見ていた
可愛いと思う
テジュンも…
テジュンもこんなとこ、あるよな…
俺はテジュンのことを考えた
ヨンナムさんはラーメンの鍋を片付け、じゃあ行ってくるねと出て行った
さっきまでそこにいた可愛い男と、今から帰って来るはずの愛しい男と
同じ男ならいいのに…
そっくりなのにどうして別の男なんだろう…
居間の座卓に頭を乗せてぼんやりとテジュンを待った
そのうち俺は転寝をしてしまった
電話が震えて俺は目覚めた
慌ててポケットから電話を取り出す
テジュンからだった
「もしもし?」
『…ごめんな…ごめん…』
「ん?どうした?」
『…仕事が…』
「…」
『トラブルが発生して…直さなきゃいけないとこが…』
「わかった」
『…ごめん…一日…かかる…』
「…じゃ…そのまま研修行くの?」
『…うん…』
会えないの?
『…ごめん…』
「大丈夫だよ。昨日お前の顔見たからさ」
『…ごめんな…』
「仕事しっかりやれよ」
『…イナ…』
「俺も…俺も頑張るよ…」
『…イナ…』
言葉に詰まって回りを見回した
時計が3時を示している
「あれっもうこんな時間?!…俺、帰らなくちゃ…」
『…。ごめん…連絡遅れて…』
「謝ってばっかしだな…大丈夫だよ。ね、テジュン」
『…』
テジュンが電話の向こうで泣いているような気がした
俺は電話でキスを送り、愛してるよと言った
テジュンはまた『ごめん』と言って電話を切った
大きなため息をついた
テジュンに会えない
寂しいと感じながら一方でホッとしている
こんな不安定な気持ちのままテジュンに会って抱かれても…
だからむしろよかったんだ…
テジュンが研修から帰ってきたら…そしたら…
その時の俺はどんな俺になっているのだろう…
もう一度ため息をついて玄関の鍵を閉め、裏口から外に出た
ヨンナムさんに電話を入れて事情を説明し、俺はRRHに向かった
Starting over 2 オリーさん
ソファの前に小さなテーブルがある
寝室にソファとテーブルが入ったのには理由がある
いつか彼がリビングのソファに座っている時
僕は彼にキスをした
ふたりとも夢中になってしまった
だから気がつかなかった
エレベーターが開いて兄さんが戻ってきたことに
うわっと言う兄さんの叫び声に
僕たちはぎょっとして振り向いた
兄さんはぼうっとリビングの戸口に立っていた
彼は何事もなかったように、おかえりなさいと兄さんに声をかけた
僕も彼の調子に合わせておかえり、と言った
兄さんはただ片手を上げて自分の部屋に向かった
その次の日だった
二人掛けのソファと小さいテーブルが届いたのは
「どうしたの、これ。買ったの?」
彼はただ頷いた
その時の彼のすました顔を思い出しながら、封筒をテーブルの上にそっと置いた
シャワーをすませた彼がバスローブを引っかけ、戻ってきた
僕は声をかけた
「その封筒預かったんだ、渡してくれって」
「誰から?」
彼はそう言って封筒を掴みながらソファに腰をおろした
「中を見ればわかるよ」
彼はちらっと僕を見てから封筒を開けた
そして中から一枚の紙を取り出した
「これは・・」
彼が大きく目を見開き居住まいを正し、そして僕を振り返った
「今日、彼女が持ってきた。渡してくれって」
「・・・」
「直接渡したかったらしいけど、時間がないって。だから僕が預かった」
彼は僕の話を聞きながら、再びその紙に視線を戻した
伏せかげんの睫毛の下の瞳が揺れ、頬のあたりがわずかに震えた
彼女が見たくなかったのは、たぶんこの顔
きっとすまなそうな顔をするわ・・
彼女の声が甦った
「こんな風に・・」
「何?」
「終わって・・」
たぶん、いいんだろうか・・と続く言葉を彼は飲み込んだ
でも深くうつむいたその顔の表情はわからない
彼の心に浮かんだ模様は何だろう
溢れんばかりの自責の念
後悔、懺悔、それとも・・
「電話してみたら」
僕は言った
「電話?」
「話してみたら」
「・・・」
「これっきりじゃ味気ないでしょ」
僕はベッドの上にあった彼の携帯を放った
彼はそれを片手で受けて僕に言った
「いいのか?」
僕はそれには答えなかった
「出てようか。電話するあいだ」
「いや・・」
彼はそう言うと携帯をおもむろに開いた
僕は夜景を見るふりをして窓辺に立った
「・・僕だ・・」
「ああ、受け取った」
「色々すまなか・・」
「え?」
「・・・・」
「いいのか?」
「ああ、大丈夫」
とぎれとぎれに答える彼の声が僕の背中に届く
その声が昼間の彼女の姿を思い起させ、暗い窓の向こうに浮かんだ
涙をためながら、必死でこらえた彼女
いきなり胸に飛び込んできた彼女
僕を柔らかいと言った彼女
僕の頬を優しくさすった彼女
振り向かずまっすぐ歩いていった彼女
僕はこれからあの彼女の後姿を抱いて彼と向き合う
それが僕にできる唯一の事・・
ふたりの会話は続いている
「いや、まだ・・」
「・・・」
「わかった」
「ああ・・そうする」
「じゃあ・・元気で・・」
「・・・」
「ああ・・切るよ・・」
振り返ると、彼は静かに携帯をおろしたところだった
そして手の中でゆっくりとそれを閉じた
それを合図に彼の方へ歩いていった
「ちゃんと話せた?」
腰掛けている彼に上から声をかけた
「ミン?」
彼が僕を見上げた
「何?」
「何か約束したのか・・その・・彼女と」
「約束?したよ。彼女の個展にふたりで行くって」
「個展?」
「彼女また絵を描いてるって。
すごいよね、もう少ししたら個展ができそうだって」
「そうなのか」
彼の顔にかすかに安堵の表情が浮かんだ
ほら、やっぱり・・
「個展にはふたりで行こうね」
「そうだな」
「彼女のご機嫌は損ねない方がいいから」
「ご機嫌を損ねるって?」
「新しい恋人のこと、聞かなかった?」
「新しい恋人?」
「何話してたの?肝心なこと全然聞いてないじゃない」
「・・・」
「あなたの会社の社長さんだって」
「え・・」
「働き悪いとクビにされちゃうかも」
僕は笑いながら彼の隣へ座った
彼は最初驚いた顔をして
やがてその顔に笑みが浮かんだ
「ばか、誰がクビになんかさせるか」
「わからないよぉ。世の中厳しいからね」
「こいつっ」
彼は笑いながら肘で思い切り僕を突いた
「痛いなぁ、八つ当たりはやめてよ」
「八つ当たり?」
「別れた奥さんが、上司の恋人って立場よくないよね、しかも社長だよ」
「・・・」
「妬いてる?」
「ばかっ」
彼は僕の首根っこを押さえたので、僕はそのまま彼の肩にもたれた
「ふう、後は地下水かぁ」
「地下水?」
「いや、何でもない」
「変な奴」
「変で結構。ねえ・・」
「何?」
「僕って柔らかい?」
「何だって?柔らかいって何だ?」
「何でもない」
「何だか変だぞ」
「そっちが鈍感なだけだよ」
僕は彼にもたれたまま、彼の手を握りしめた
「ねえ・・」
「まだ何かあるのか」
「彼女はね、わざと僕の所へ来たんだよ」
「・・・」
「強い人だね」
「ああ・・」
「個展に行こうね」
「ああ」
「時々会ってもいいよ」
「え?」
「三人で食事とかしてもいいよね」
「そうかな・・」
「そうさ」
僕はまた彼の手を握りしめた
彼がその手を握り返した
そして小さい声で言った
ありがとう、と
僕らはしばらくの間、手をつないだままソファに腰かけていた
その夜、背中から抱きしめた僕に彼が言った
ミンは温かいよ・・柔らかいだけでなく・・
千の想い 28 ぴかろん
俺は少し急いで歩いた
4時過ぎにRRHに着き、トンプソンさんに挨拶した
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
短い挨拶を交わして俺はエレベーターに乗り込んだ
シャワーを浴びて用意して、また歩いてBHCに向かう
今日は沢山歩いたから夜はきっとぐっすり眠れる…
ヨンナムさんの事もテジュンの事も考えずに眠れるきっと…
テジュン…
お前の顔が見たかったのに…
また3日間、俺、ヨンナムさんをうまく避けなきゃなんないじゃん…
テジュンのせいじゃないけど…
俺がもっとうまくやれればいいんだけど…
「うまくいかねぇな…くそ…」
それでもラーメンの取り合いや小鳥の名前の言い争いは『友達』っぽくて楽しかった
「やっぱ俺が折れるしかないのかなぁ…ったく強引なおっさんだよな…」
ふざけた調子で声に出して呟いた
そういう風に持っていけば、俺のどきどきする心もきっと治まる…
今までに何度そう思ったろう
一向に治まる気配がないってのに…
はぁ…
40階に着く前に俺は大きなため息をついた
やがて箱が停止して扉が開いた
箱から出ようとしてびくついた
目の前にミンチョルがいたから
「あ…」
「…イナ…」
一瞬絡みついたの視線を振り解くように顔を背けた
なんだかまだ気まずい
俺はミンチョルを避けて部屋に戻ろうとした
すれ違いざまに声をかけられる
「また泣いたのか?」
「は?」
「目が赤いぞ」
俺は振り返ってミンチョルを見た
「お前こそ、目が潤んでる」
「…え…そう?」
「ギョンビンは?」
「今来る」
「出勤か?」
「ああ」
「んじゃ」
踵を返して部屋に行こうとした
「イナ」
ミンチョルが俺を呼び止める
「何?」
振り返らずに俺は聞く
「なんだか…よそよそしいな…」
それは意外な言葉に思えた
よそよそしいのは俺じゃなくてお前だろう…
反発を覚えて俺はもう一度振り返った
「よく言うよ!俺はいつも俺のまんまだ!よそよそしいのはお前の方だろう!お前はすぐ傍にいるのに俺に何も見せない!」
「…イナ…」
「なんかに包まれててお前には触れられない!」
「…」
「…俺はそんな風に感じてる…お前が遠くなった気がする…」
「それは…」
「なんだよ」
「お前の方だ」
「なにっ」
「お前、一人で繭の中に篭ってるみたいだ…」
「…な…」
繭玉の中でスヒョンと戯れてるのはお前だろう!
そう言い返したかったがギョンビンの足音がしたのでやめた
「お待たせ…。…イナさん…お帰りなさい」
「…あ…ああ…」
ギョンビンは晴れやかな顔をしていた
俺は今度こそ部屋に向かおうと思った
ギョンビンとミンチョルがエレベーターの前で立ち止まった
「イナ…」
ミンチョルがまた俺を呼び止める
「なんだよ」
さっきと同じように背を向けたまま俺は返事をした
「ヨンスと…別れた…」
ミンチョルの声が少し震えていた
俺は振り返って奴の後姿を見、エレベーターの前に行った
「別れたって…」
「離婚届けを出す」
「…正式に?」
「ああ」
「…」
「彼女が…ミンを通じて…渡してくれたんだ…」
「…。そうか…」
何か言おうと思ったのだが言葉が浮ばない
「皆には黙っててくれないか…今の話」
「え…あ…ああ…」
「…話したのはお前が一番最初だよ…」
ミンチョルは弱く微笑んだ
瞳が濡れているような気がした
「じゃ、店で」
「…あ…ああ…」
すうっと扉が閉じて行く
その数秒間に俺は様々な事を思い出していた
あいつとヨンスさんのこれまでの事を…
俺に一番最初に話した?
スヒョンじゃなくて俺に?
たまたまそうだったのかもしれない
もし一番最初に出くわしたのがスヒョンなら
ミンチョルはスヒョンにこの話をしていただろう
でも…
スヒョンよりも先に俺に報告してくれたのだ
ミンチョル…
薄い膜を周囲に張り巡らせていたのは…お前の言うとおり、俺の方だ
いつの間にか自分が繭玉の中で時を過ごしていたんだ
俺はエレベーターの扉を開けた
ギョンビンとミンチョルが同じような丸い目をして俺を見る
二人を睨むように見つめてから俺はギョンビンに言った
「ギョンビン、近いうちにミンチョルを借りる」
「…え?…」
「ミンチョルと二人きりで飲みたい」
「…は…」
「お前はギョンジンの相手でもしてろ!…ミンチョル」
「…なんだ…」
「…過去を振り返るのはイヤか?」
「…過去?」
「ヨンスさんとの事だ」
「…」
「ちゃんと思い出にできてるか?」
「…」
「お前一人で整理ができてるなら俺の出る幕はない」
「…イナ…」
「俺が必要か必要でないか言ってくれ」
「…」
「要らないなら二人で飲む必要もない」
ギョンビンは真っ直ぐ俺を見つめていた
悪いなギョンビン…ミンチョルと彼女との事はリアルタイムで見てきたんだ
スヒョンだって知らない
ミンチョルと俺だけが知ってる
だからミンチョル…
思い出を語りつくして引き出しに仕舞え
新しい道を歩みだすために…
「俺がスヨンと別れたとき、お前が付き合ってくれた」
「…そうだったな…」
「考えといてくれ。必要ないならそれでいい」
そう言って俺はエレベーターの扉を離した
またすぅっと扉が閉じた
ミンチョルも俺もお互いの目を真っ直ぐ見ていた
閉じた扉が再び開いた
ミンチョルが箱から飛び出して、俺に抱きついた
どぎまぎした
「…イナ…」
涙声で俺の名前を呼ぶミンチョル
俺の目には箱の中で悟ったような微笑を浮かべるギョンビンが映る
「…必要だ…イナ…」
「…ミンチョル…」
震えている体をそっと抱いた
箱の中のギョンビンがぼやけている
ミンチョル…
俺達って…友達なんだよな…
暫く抱き合った後、ミンチョルは涙顔のまま俺を見つめ、両手で俺の頬を挟んだ
ん?
そして震えながら俺の唇に唇を寄せて…
ちょっと待て!
待ってミンチョル!
ばこーん☆
「何してるんですかっ!」
「あっごみん…」
ギョンビンが豹のように箱から飛び出してきてミンチョルの動きを封じた
助かった…
「ムードに流されてイナさんにまでそーゆー事するんだったら、二人っきりの飲み会なんかさせませんよっ!」
ああ…ギョンビンの目がいつものように釣りあがっている…
なんだかホッとした
「助かったぜギョンビン」
「…気をつけてくださいよイナさんも!」
「了解」
飲み会しても半径2m以内には近づかないようにしよう…
俺は二人を見送って部屋に戻った
モヤモヤしていた気持ちが少しだけ晴れた
ミンチョル
ありがとな…
ギョンビン
ありがと…
時つ風 足バンさん
閉店になり事務室に戻ろうとすると通路にぽつんとイナが立っていた
病み上がりで少し弱っているせいか店でも元気はなかった
僕は何となくイナには気をつかっていた
というより気をつかわないように気をつかっていたと言うべきかな
ミンチョルやあのふたりもそれなりに、だったと思う
イナは上目づかいでおとといの事務室での件を謝ってきた
「悪かったよ…俺…どうかしてたかも…って言うか…」
「本当のことだ…気にするな…」
イナの肩をポンと叩いて事務室に行きかけ振り向くと
あいつは心細そうにこちらを見ている
泣きたそうな…突っぱねているような…すがりたそうにも見える目
やっぱり何かあったかな
テジュンさんがラブと姿を消したあの時とも違う
僕はそのまま抱いてやろうと一気に近づき手を差し出したところで止まった
いつもの僕なら迷わず抱きしめているところだけど
そのどこか怯えた小動物のような目に躊躇した
気持ち…読めばいいってもんじゃない
読んでほしくないことだってある…だろ?
イナの言葉がよぎる
風が…吹いてくるんだ…
自分の気持ちは何があっても変わらないって、そう強く決めてても…
同じ場所には戻れない…戻ったとしても…同じ気持ちにはなれない
そんな事があるかもしれないって…お前ら…知らないだろ…
僕は肩に力の入っているイナをずいぶん見つめて
そして広げた腕を下ろし「おやすみ」とため息をついた
イナは半分ほっとしたような半分寂しいような目を残して歩いて行った
おまえ…絶対にずっと変わらないって決めてるって…
だから何か辛いことになってるんじゃないの?
同じ気持ちに戻ることだけが大事なことじゃないかもよ
なんて…言ってやりたかったけど
でも…今の僕が何を言ってもきっと説得力ないだろ?
それくらいの自覚はある…このエセ天使にも
「あれ?あれれ?」
「は?」
「ん~…ふうん…」
「やだな…何ですか監督…目が非情にいやらしいです」
「いや…うん…何か吹っ切れた?…けへへ」
店を出てシン監督の事務所に顔を出すと監督が僕をしげしげと見て
何やら満足そうに鼻歌まじりで打合せに入った
どうやら僕の環境の変化を見逃さないらしい
ある意味吹っ切れたのは確かかな
「…とまぁスケジュールはこんな具合になりそうです」
「顔合わせの後すぐCMですか」
「うん…これも物語性を活かすからよく役を掴んでおいてね
それで映画本体のポスター撮影は少し予定早めますんでエステ関係もこの辺に突っ込みます
撮影は3人のスタジオとあとジンとヒョンジュの屋外の2回ね」
「日本ロケはラストになったんですか?」
「うん…その辺だけ順取りの調整できなくて…そこでクランクアップ!ね、打ち上げはどこでやろうか?」
「めちゃくちゃ気が早過ぎます」
「うはははっチョにもユン女史にも言われた!」
打合せ中、近くまで来たので寄ったというウナさんと初めての挨拶を交わす
思っていた通りの控え目で物腰の柔らかい女性
この人が役に入ると別の人格になるのだろう
柔らかい握手と微笑みの裏にプロの強い意志を感じ
相手役ソニとの出会いのシーンを思い出す
彼女そのもののような気がして…僕の中に初めてリアルなイメージが広がった
ビルのさほど広くないロビーに下りると
入口付近のベンチからドンジュンがひょこっと立ち上がった
「あれ?ギスの事務所に行くんじゃなかったの?」
「行ってきたよ…さっさと済ませて来た」
「何だよ…何ニヤニヤしてるんだよ」
「くふふん、見てこれ!」
「え…」
「ウナさんのサイン~♪」
「おまえなぁ…」
「だってスヒョン待ってたら出てきたんだもん…やっぱすっげぇ綺麗な人だなぁ…ちっと心配…
あなたのジンは僕のモノですってクギ刺しておけばよかったかな」
「ばーか…ほら帰るぞ」
手帳のサインをひらひらさせて
歩道を歩く僕の横に並んだり前に出て後ろ歩きになったり
周りを踊るように歩いているドンジュン
「そういえば…今日イナさんが僕とギョンビンに謝りにきた」
「そう」
「何か言おうかと思ったけど…イナさんあんま目を合わせてくんないんだもん」
「ドンジュン」
「わかってるよ余計なことは言わないってば…弱ってるの…あの人の方みたいだし」
「うん…」
「少し落ち着いたら聞いてあげたら?」
「…」
「でもあれさ…マジで考えちゃった…僕ら4人で囲い作ってるっての」
「うん?」
「ね、映画のことお店のみんなにちゃんと言いなよ…僕たちの魂胆に協力して下さいってさ」
「おまえトゲがあるってば」
「ね、言った方がいい」
「大丈夫だよ…発表はちゃんとする」
行き過ぎる人が振り返るがドンジュンはまるで平気
今度は僕のコートの腕を掴みながら
どうやら石畳の”グレーの部分”だけを踏んで飛び歩いている
仕方なく歩調を合わせる保護者のような僕は
それでもその跳ねる恋人を見ているうちに自然と笑みがこぼれる
その元気が単純なものでないことはわかってる
それでもこいつは
こうして僕の横で跳ねて笑ってくれる
「ドンジュン…キスしようよ」
「何で?」
「すごくしたくなった」
「踏み潰し終わったらね…108つ」
「え…」
「誰かさんの煩悩」
「う…」
「きゃ~逃げろ~」
…やっぱり…
思いたいけれど…
同じ気持ちに戻ることだけが大事なことじゃないって…
説得力ない?…イナ…
千の想い 29 ぴかろん
親友との会話は切り離されそうになっていた俺の心を繋ぎとめた
また頑張れる…俺には仲間がいると、実感できた
シャワーを浴びて服を着替え、BHCに行った
店に出てお客様のリクエストを次々とこなした
ちょっとした客の切れ間に裏へ行き、厨房を覗いてテソン達に今朝の礼を言った
厨房から出たとき、ヨンナムさんに出くわした
「イナ」
「あ…こんばんは」
「なんだよ改まって」
「いや…。水?」
「うん」
「どうぞ」
俺は厨房のドアを押さえてヨンナムさんが通りやすいよう道を開けた
「お前、大丈夫か?」
「え」
「テジュン」
「…ああ…いつもの事だから…」
「…寂しくなったらいつでも顔見に来いよ」
「…誰の!」
「僕だよ」
「なんで!」
「同じ顔だからさ」
「それならソクで事足ります」
「ふ」
「早く通ってよ」
「あいあい」
ヨンナムさんを中に通して、俺は席に戻った
全くどうしてヨンナムさんにばかり会うのだろう
テジュンに会いたかったのに…
苦笑いしながら席に戻った
今日の出来事をあれこれ考えながら、目の前にあったグラスの液体に口をつける
「「ああっ」」
「え?なに?!」
ゴクゴクゴクンとその液体を飲みこんでしまった
喉が焼け付くように熱くなった
「それ…ウォッカだよ…大丈夫なの?イナさんあんまり強くないでしょ…」
傍にいたウシクが心配そうに俺を見る
「けぇぇきつぅぅ」
「大丈夫?イナ君」
「大丈夫ですよこれぐらい」
お客様の言葉に平気な顔を装って答えたものの、かなりヤバい…
ウシクのお祈りの後に俺の回し蹴りを披露しなきゃいけないんだよな…
だれだよウォッカのストレートなんかグラスに注いだの…
顔が火照っているけれどとにかく頑張らなくては…
俺は回し蹴りをやり、その後もリクエストに答えた
「…イナ君なんだか酔ってるみたいだから…あれやってあれ」
「え?あれって?」
「歯でコルクポンって抜くの…ヨイヨイで…」
「ふぁ…あれですか?その後の『試してみろよ』は?」
「いやっいらないっそんな事言われたら死ぬから!」
「…大丈夫だと思いますけど…」
「コルクポンだけでいいわ」
「解りました」
そんなリクエストのほかに『ダラダラ腕を伸ばして頭を乗せて上目遣いで見る』や『なー』や『泥酔して人とぶつかりぶっ倒れる』や
酔っ払い系のリクエストが集中した
やっているうちに本当に酔いが回ってきた
その席はなんとか持ちこたえたけれど、ウシクに頼んで30分ほど控え室で休ませてもらった
控え室の椅子に座り、ぼーっとした頭を休める
こんな時に思い浮かぶのはテジュンの顔や声だったりする
『…ごめん…イナ…』
ああもう…謝るなよテジュン…
テジュン…会いたかったよ…でも…会うのが怖かったんだ…
「だから…気にすんなよな…テジュン…」
声に出して言ってみた
目頭が熱くなり涙が零れた
会いたい人に会えなくて、会いたくなかった人に何度も会うなんてな…
おかしな話だ…
おかしな話なのに俺は何故涙を流しているのだろう…
ウォッカのせいだな
酔ってるんだ…
口元を手で覆って涙を堪えようとした
カチャン
「…あ…」
ドアを開けて入ってきたのはギョンジンだった
俺を見て驚いている
涙を見られたついでに、びっくり顔のギョンジンに報告した
「…テジュンに…会えなかったよ…。かわりにえへへ…ヨンナムさんと…長い事話した…えへ…何泣いてるんだろうな、俺」
ギョンジンは暫く俺を見つめていた
俺が喋り続けているとツカツカと寄ってきて俺の前に座り込んだ
「ん?なに?」
聞いても答えず、俺を憐れむように見つめながら親指で涙を拭く
「…ギョンジン…俺…」
言葉を続けようとした俺の唇に突然ギョンジンが噛み付いた
文字通り…噛み付かれた
驚いて身を引こうとしたが、ギョンジンは俺をしっかり捉まえていて動けない
噛み付いた後、乱暴に俺の口腔を攻める
俺は抵抗した
ギョンジンは俺の顎を強く掴み口を開かせようとした
どうしたんだ、こんな乱暴なキス…何で俺に…
一瞬唇が離れ、俺はやめてくれと漏らした
ギョンジンは何も言わずに額を俺の額にくっつけ、今度はそっとキスをしてくれた
どうしたんだよ…ラブと何かあったのか?
キスが終わったら聞いてみようと思いながら、さっきとは違う優しいキスに俺は夢中になった
こんなキスをしたかったのに…テジュン…
長い口付けが終わってまた額同士をくっつける
「…醒めたか?」
「あ…うん…」
俺が返事をするとギョンジンはそっと笑って部屋から出て行った
酔い覚まし?
なんで…噛み付いたんだ?
気になってドアを開け、ギョンジンの後を追おうとした
廊下に出るとラブとギョンジンが熱い抱擁の最中だった…
酔い覚ましの…キスだったんだろう…
控え室に戻り、椅子に座って唇を押さえてみた
それから暫くして俺はまた店に出た
閉店になり、今日はRRHに帰ろうかと考えた
ラブとギョンジンは既にいない
冷たい奴等…
さっきのキスはなんだったのか聞きたかったのに…
裏口からを出て、路地を抜けた
俺はまた呼び止められた
「イナ」
…ヨンナムさんの…声だ…
「なんだよ…またヨンナムさんか…もう用はないだろ?」
「あるんだ」
「…何の用よ…」
「デザート食べてないだろ?」
「あ!忘れてた」
「来いよ。食べよう」
「来いよって…」
「泊まっていけよ、寂しいだろ?」
冗談じゃない…なんでヨンナムさんちに泊まらなきゃなんないのさ!
言い返すつもりでヨンナムさんを睨んだら、ヨンナムさんは別の人物を見つけて叫んでいた
「ソクさん!スヒョク君!」
「あ、ヨンナムさん。ひさしぶりぃ」
「久しぶりじゃないよ、ソクさん…。家賃もったいないぞ、めったに帰ってこないなんてさぁ」
「あはは。今夜は~帰りますよ。なっスヒョク?」
ソクはスヒョクの肩を抱いて上機嫌で言った
「イナ。ソクさん達が帰って来るからさ、一緒にあれ、食べようよ。な?」
あのゼリーは美味そうだった…
二人きりでないのなら…
ゼリーだって食べたいし…
「じゃ、食べたらすぐに帰る」
「なぁに言ってるの!遠慮しないで泊まってけ。テジュンの部屋に寝ればいい。ソクさんスヒョク君、乗ってください」
「「ええっいいの?」」
「いいよ。乗り心地悪いけどね、荷台だから」
「うえええ…荷台に乗るの?」
ブツブツ文句を言いながら、空きボトルの積んである荷台の上に二人は昇った
「イナは助手席」
「俺も荷台に乗る!」
「なぁんで僕を避けるんだ?」
「今日一日中貴方の顔見てたから見飽きたよ」
「僕は見飽きないけどな」
また…
またそういう事を
「だからそういう事は恋人に言うべき事でしょ?!」
「そんな事ないよ」
そんな事ないことない!
ヨンナムさんのトラックは助手席に俺を、荷台にソクとスヒョクを乗せて走り出した
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