ぴかろんの日常

ぴかろんの日常

リレー企画 195

千の想い 38  ぴかろん

ガサゴソという物音で目が覚めた
スタスタゴツッ「いて」という小さな声がした
俺の足に躓いたヨンナムさんの声だ

「大丈夫?もう起きるの?」

俺はひそひそ声でヨンナムさんに言った

「起こしちゃったか…ごめん…。ご飯の支度する」
「こんな早くから?」
「うん。今日は食べてってね」

バチンとウインクして居間の戸を開け、眠っているソクとスヒョクを起こさないように、ヨンナムさんは台所へ向かった
はぁぁ…
そんな事聞いちゃったら俺も手伝わないわけにはいかないか…
はぁぁ…
俺は寝床をそっと抜け出し、ヨンナムさんとともに台所に立った

「寝てればいいのに」
「十分寝たもん…体動かしてた方がいい」

何も考えなくて済むから…

「そ?じゃあ卵焼き作って」
「…卵焼き?」
「作ったことない?」
「…目玉焼きじゃダメなの?」
「…教えてやるから作って」
「…」

ヨンナムさんが教える卵焼きを、俺は作った
勿論…ボロボロの卵焼きになった…
ヨンナムさんはクックッ笑いながらそれを切った
やな感じ…

汁物を作るヨンナムさんを見ていた
ヨンナムさんは説明しながら手馴れた様子で野菜を鍋に放り込む
その長い指に俺の心がときめく

「いつでも嫁に行けるな、ヨンナムさん…」
「違うだろ?『僕と結婚する女性は幸せだな』だろ?」
「…ぅん…。ヨンナムさん…結婚する?」
「…いつかはしたいな…」
「ぅん…」
「お前…結婚してたんだっけ?」
「ぉん…」
「幸せだった?」
「最初はね…」
「…」
「家が台風で飛んでから…ちっと…へへ」
「台風で飛んだ?!」
「あー…立地条件が最悪だった…景色は最高なんだけどさ…なんか…そういうとこがダメだったみたい…」
「嫌われた?」
「…共同生活力がないって…。夢ばっかり追ってるって…」
「…つまり…コドモってことかな?」
「…」
「はは…やっぱお前は『ヨシヨシ』ってしてもらわないとダメなんだな?」
「…違うもん!」
「あははあははは…」
「ふん!」
「あは…まあいいじゃん…今幸せなんだから。だろ?」

…そうかな…

「イナ、ほうれん草茹でて」
「…え…」
「なべにお湯沸かして」
「…あ…はい…」

俺はヨンナムさんにチミチミと苛められながら朝食作りの手伝いをした


ヨンナムさんとイナさんが台所へ行っちゃった
ソクさんと二人っきりになっちゃった
俺はよく眠っているソクさんの傍に擦り寄った
でも起きない
二人は戻ってきそうにないし…くふ…
そっとソクさんに抱きついた
でもでも起きない
なんでだろ…いつもならニヤッと笑ってキスしてくるのにな…
指でソクさんの顔をそっとなぞった
鼻、口、頬、顎、眉毛、瞼、長い睫毛
それでも起きないソクさんに俺はキスをした
軽くチュッ…
でもでもでも起きない
…くそ…
俺は少し濃い目のキスをした

「ん…ぁぁあ…ん…すーすー」

む…
むむぅ…
また眠っちゃったよ…
でも…たのしっへへっ
俺は逆襲してこないソクさんの唇にキスしまくった
歯の間から強引に舌を滑り込ませていろいろしてみたのに
まだ起きないっ!なんで?!
ちょっと腹が立ってきた
ソクさんの舌を吸った

「ん…んむ…」

反応アリっ!
ソクさんの腕が俺の背中に回され、俺はキスに夢中になった
スタスタバタン

「なんだよまだ寝てるよ…ヨンナムさぁん、まだ寝てるけどどうするぅ?」
「んじゃ僕の部屋に座卓置いて」
「はあぁぁい」

パタンスタスタ…

ああびっくりした…突然イナさんの足音がしたので俺はとっさにソクさんから離れて自分のいた場所に戻ったのだったはぁはぁ…
イナさんが出て行ってからもう一度ソクさんの傍に転がった
…まだ寝てる…ほんとに寝てる…
俺はその横顔を見つめた

すきだよ…

ソクさんの肩に額をくっつけた
ソクさんの横に体を寄せた
傍にいるだけで嬉しい
俺ももう一回眠っちゃおうかな…

「くふっ…また寝るの?」
「え?!」
「今度はどんな技で来るかって待ってたのに…」
「ええっ?!起きてたのぉ?」
「ヨンナムさんが起きたときからね」
「もうっ!」
「うふふ…」
「もうっもうっ!」
「スヒョクぅくふふん」
「ふんっふんふんっ!」
「すっごく嬉しかったよスヒョク…」
「…」

嬉しそうににっこり笑っているので、俺は膨れっ面しながらソクさんに軽くキスした
それからもう一度ソクさんの首に絡み付いて、目覚めの濃いキスをお見舞いした
唇を離してソクさんを見ると…余裕綽々の顔をしている
その後俺はソクさんの電撃キスを受けて、つい「ぁあっ」っと大きな声を出してしまった
それを聞いてかどうかは知らないけど、イナさんがドカドカと入ってきて、くっついている俺達を蹴飛ばし、起きろクソバカと怒鳴りながら布団を引っぺがした
俺達はクフフと笑いながら起き上がって顔を洗いに行った
朝食の時、イナさんはちょっと俺を睨んでいた


居間の寝床でキスしていたスヒョクとソクを見て、二人を蹴飛ばしてやった
ご飯を食べているときも見つめあったり食べさせあいこしたりしてヤなカンジ…
睨んでいるとソクがニヤニヤしながらお前もやればいいじゃないなんて言う

「誰と!」
「ヨンナムさん」
「なんで!」
「なんでか理由を言ってほしいのか」
「…」
「いひひん」
「…何言ってるのさバカソク…」
「けひひひ」
「何言ってるんですかソクさん…ほっぺたに飯粒くっついてますよ」

ヨンナムさんが真面目な顔して淡々と言った
ソクはでれでれの顔をスヒョクに向けた

「あぁんスヒョク取ってぇぇ」
「もう…しょうがないなぁ」

パク

スヒョクは唇を嘴にしてその飯粒を食った…はぁぁ
やってろよ!勝手にキスでもえっちでも!
俺はプリプリしながら飯を食った
…飯は…うまかった…

「怒るなよイナ」
「べっつに怒ってないもん…」
「テジュンの代わりにやってやろうか?あーんって」
「いい!」

ばか!ヨンナムさんのばか!
全く『この顔の男』ってイライラする…

イライラしながらもソクとスヒョクの様子は微笑ましくて羨ましくて、なんだかふんわりとした気持ちになった
朝飯を食べ、片付けをした後、俺はヨンナムさんに帰ると言って外に出た
ゆっくりと歩きながらあの『あやかしの館』を目指した

『あやかしの館』だから今日はなかったりして、なんて思いながら歩いていくと、その館はちゃんとあった
俺は昨日の腰高窓から中を覗いてみた
いるいる…ふぬっふぬっぅうっお…ああぁっ…って声だけ聞いてりゃぜったい『営み声』だよチェミさん…
にゃぁおう…と猫の鳴きまねをしてみた
「ふぬっふぬっ…下手糞!」という声がデカい背中から飛んできた

「入って来い野良猫」
「ふぁい…」

俺は昨日と同じ裏口から中に入って行った
はるみちゃんはドアのところにはいなかった…
はぁん、上でテソンかテスにじゃれついてるんだな…
あの猫、表情あるよな…
やっぱ『あやかしの館』に住み着くだけあって…『怪猫』だようん…

「昨日のデザートうまかったですぅ」
「4人で食ったか?」
「うん…予定してた4人じゃなかったけど…」
「ん?」
「顔は同じだけど…ラブとテジュンのかわりにソクとスヒョクが食った」
「なんだ。そうなのか?」
「ちっと都合で…」
「そうか。テジュンさんにはまた作ってやるからな」
「うん」
「お前もパン作るか?」
「いいの?」
「いいぞ」
「わぁい」

俺は作り方を思い出しながら、イーストと粉と水を混ぜ、ねちょねちょの種を次第にまとまりのある種へと変身させていった

「小さいパンでも作って、お前の親友に食べさせてやれ」
「ミンチョルに?へへ…うまくできるかなぁ」
「ふふ。気持ちを込めれば大丈夫だ」
「うん」

楽しかった
俺は夢中で粉を捏ねた
チェミさんに「中々いい手つきだ」と褒められた
そして「テスにも教えてやってくれ。あいつはどうも腰が浮ついてなぁふぬっ」とも言われた
パンを発酵させる間、俺はチェミさんに聞いてみた

「昨日のゼリーのことだけど」
「なんだ?」
「俺達三人みたいって…」
「ん?ひっかかったか?」
「…。どの三人?」
「ん?」
「俺とラブとギョンジン?それとも俺とラブとテジュン?」
「ふ…」
「違うの?」
「もう一組の三人だ」
「もう一組って…」

誰だよ…

「思い当たるフシがあるだろう?」
「…え…」
「同じ顔の男に挟まれてお前は…」

まさか…
ヨンナムさんとテジュンと…俺ってこと?

チェミさんはニヤリとした
俺はびっくりした
ラブとギョンジン以外俺の気持ちは知らないはずなのに…

「どういう…こと?」
「ふふん…」
「誰と…誰だよ…」
「言ってほしいのか?」
「…」
「ヨンナムさんとテジュンさんとお前」
「…」
「それぞれが触れ合ってて危うい」
「…」
「お前の気持ちも知ってるぞ」
「…なん…で…」
「顔みればわかる」
「…え…」

じゃあ…みんなにバレてる?


千の想い 39   ぴかろん

俺の顔を見てチェミさんはニヤリと笑った

「なぁんてな…ウソウソ。ここに住んでるメンバーみれば想像つくだろ」
「…」
「BHCやらオールインやらに仕掛けてある監視カメラのこと、忘れたのか?」
「え…」
「オーナーの意向で最初につけられてたろうが」
「あ…そうだった…」
「だからここの住人たちは色々と知ってるんだよ」
「…」
「お前の事だけじゃない。あの4人の事もな…」
「…え…もしかして…ミンチョルたちの…」

コクンとチェミさんは頷いた

「…映画の…はなしも?」

コクン…

「は…」
「知ってても言わないけどな、俺達は…くふふ」
「…陰で楽しんでるのかよ!」
「楽しんだり悩んだりな…一緒になって考えてる…仕方ないだろうオーナーからの指示なんだから…」
「…全く碌でもないオーナーだな…」
「心配なんだよ皆の事が…って事にしておいてやれ」
「…全く…参ったな…」
「だからお前昨日、あんな事聞いてきたんだろ?俺に」
「…あ…ああ…」
「テソンやテスに気持ち、聞いてもいいぞ。でもお前が聞くよりむしろテジュンさんが聞くべき事だと思うけどな」
「テジュンは何も知らないもん」
「だよなぁ…うん…。ま、もしも万が一知られたら…俺に言え。うちのとっておきの『癒しのお手々』を派遣してやるから」
「…テス?」
「そうだ。本当なら1時間5万ウォンは取るけどお前は特別だ。パン五十個で手を打ってやる」
「パン五十個って…」
「作れって事だ。うまく出来たら店に置いてやる」
「へ?」
「『こどもぱん』って札立てて格安で売るんだ。はっはっはっ」
「…」

『こどもぱん』のネーミングはちっと気に入らないけど…

「万が一そういうことがあったらね、無いように頑張るつもりだけどさ…」
「おお」
「だけど…俺…そんなふわふわしてる?」
「…さぁなぁ…」

知られていたとは…迂闊だった
少し考えれば解ったことなのに
これからは秘密の会話は店では控えよう!
ミンチョルたちにも教えてやろうかなぁ…でも…
誰にも言わないでおいて、時々ここで内緒の事を教えてもらうのもいいなぁふふふん…

「こら!今日は特別に教えてやったけど今後はお前には何も言わんぞ!」
「じゃ、ミンチョルたちにカメラの事言うけどいい?」
「ミン・ギョンビンは最初にカメラを壊しただろう」
「へ?」
「一番最初に店に来た時に…ドンジュンも知ってるはずだ」
「そうなの?」
「知ってるけど忘れてるんだよあいつら」
「ふぅん…じゃ…わざわざ言わなくてもいいか…」
「そのほうが面白いだろう!」
「…ヤな趣味」
「くっはっはっはっ…」

発酵が終わって成型をして、俺はクリームパンとチョコパンとロールパンを作った
焼きあがるまでの間、また『あやかしのリビング』でお茶をもらった
『きんかん茶』だった

見た目がちっと…
なので俺は飲むのを躊躇っていた

「おいおい、そのお茶っぱ100gウン十万の代物だぞ!お前、飲まないのか?あったかいうちに飲めコラ!」

チェミさんがギロっと睨んだので俺は恐る恐る口をつけた
そして…
一口飲んでそのままおいといた
それを目ざとく見つけたはるみちゃんが何か俺に抗議しているようだった
俺ははるみちゃんを抱き上げて耳元で呟いた

「おれ、こどもだからさぁ…こういう、あまいんだかしぶいんだかわかんねぇのみもの…ちっとにがてなんだにゃ」
「んみゃっ!みゃみゃみゃ!みゃぁぁあ~ぁぁあっ」

なんだか前足をバタバタして激しく怒っているみたいな顔をしている
よく見ていると『もったいにゃいっ!じゃああたしが代わりに飲むにゃ』と言ってるみたいだった
俺はそっとはるみちゃんにきんかん茶のグラスを近づけた
はるみちゃんは…くぴくぴ飲んだ…

怖い…

何口か飲んだあと、はるみちゃんは俺を振り返って「うみゃぁああ~」と啼いてニヤリと笑った…
ひいいい…

俺の様子を見てmayoさんがコーヒーを淹れてくれた
こどもだけどこーひーは飲めるじょ!あ、さけも飲むけど…
こーひーはぶらっくで飲めるじょ!
ぶつぶつ言いながらコーヒーを啜っているとまたはるみちゃんが「んっみゃっ♪」と啼いて俺をじっと見つめた
…くそ…馬鹿にしたろ…くそ…
はるみちゃんにイーって顔をしてたらテスがやってきた
はるみちゃんはそろそろっとテスの懐につたって行った
俺はテスの顔をまじまじと見つめた
チェミさんと…闇夜の事を知ってるテス

辛くない?

聞きたかったけど…どんな風に切り出せばいいのか解らなくて、結局昔話をして和んだ
テスの兄貴の事を申し訳なく思っていると改めて言った
事故だったんだって、今は思える…第一火をつけるって言い出したの、チョンウォンさんなんでしょ?とテスは口角を上げて微笑むような顔をした
俺はただただ頭を下げた

「もういいよ…取り戻せないんだし…罪はお互い…償ったでしょ?」

テスはなんて大人になったんだろう…
俺はいつまでもあのヨンドンポのチンピライナのまんまなのに…

ぽちゃぽちゃ

テスの両手が俺の頬を包んでくれた
『しあわせのくりいむぱん…』
ニコッと笑ったテスの顔がとても可愛かった

「もうすぐ焼きあがるよ、イナさんのパン」
「チェミさんがさぁ…『こどもぱん』って言うんだ」
「そうだね」
「そうだねってお前…」
「だってそうだもん」
「…。…そうだな…」

それから暫くして俺の『こどもぱん』をみんなで試食した

「中のクリームとかチョコとかがおいしい」
「それはチェミさんが作ったんじゃんか!パン生地はどうなのよ!」
「うーむ…こども並みだな…」
「…」
「ま、修行したらなんとかなるかもな。ははは」

売りに出すにはまだまだだけど、おやつにはちょうどいいと言う事で、俺は何個かを袋に入れてもらい、親友へのお土産にした

テジュン…うまくできたらお前にも…いつか食べさせてやりたいな…

その後に浮びそうになった同じ顔を、俺は慌てて掻き消した
それから俺は、一旦RRHに帰った
親友にお土産を渡したかったけれど、ミンチョルの姿は部屋にはなかった
もう出かけたのかな…
俺はパンを部屋に持って帰り、シャワーを浴びて衣服を整え、店に出た
ギョンジンとラブは開店ギリギリにやってきた
ラブが俺の顔を見てニコリと笑う
それから後ろにいるギョンジンを突いた
ギョンジンは唇をムンとしてから俯き、パッと顔を上げて微笑んだ

昨日のキスは…

もういいか…もういい…
俺はこの二人に頼りすぎてる
きっと昨日は二人っきりで甘い時間を過ごしたんだろう…
俺は二人にありがとうの気持ちを込めて微笑み返した

ミンチョルに声をかけた

「今晩飲み会してもいいか?」
「…え…ちょっと聞いてみないと…」
「誰に」
「…と…とれーなー…」
「トレーナー?!」
「…あぅん…」

ミンチョルはギョンビンのところに駆け寄って二言三言言葉を交わし、それから満面の微笑みを湛えて俺のところに来た
ちっと可愛らしい…
久しぶりにミンチョルのこういう笑顔を見た気がする

「いいって。飲みすぎなければ…」
「…。トレーナーって…ギョンビン?」
「ああ」
「…。ちっとさぁ…釣り目で俺を睨むのやめろって言ってくれない?」
「…」
「言えないの?!」
「メニューが増えると困るから…穏便に…」

は?

ちっとわけが解らないところもあるのだが、俺はその夜ミンチョルと二人きりで色々な事を語り合った
俺がこっそりミンチョルにパンの袋を渡しているとき、エレベーターが開いた
俺達が身を寄せ合っていたからなのか、降りてきたギョンジンが固まった
振り向くとコチコチの笑顔を見せてギクシャク歩き出した

「おい。ギョンジン。どうしたんだよ」
「お兄さん、ラブ君は?」
「きき…今日は帰れって…」
「ははーんやっぱし…」
「やっぱしって何さ、イナ!」
「昨日濃かったんだろ…のーこーなあまいよるだったんだろ…ん?」
「…いつもと同じだけど…」
「お兄さん、いつも濃厚なんですか?!」
「はうっ…ミンチョルさんっ…そんな事言わないでくだしゃいっ」

ギョンジンはいつものギョンジンに戻っていた

「お兄さん、僕等の部屋にミンがいます。よかったら相手してやってください」
「ええええっ!ああ…相手ってそんな…おお…弟とそんな」
「お前馬鹿じゃねぇの?話し相手になれって意味だぞ」
「あ…ああ…そう…じゃ…そうします…」スタスタスタ…

「お兄さんに向かって馬鹿はないだろうイナ」
「だってあいつ、ギョンビンの『相手』になろうって考えたんだぞ」
「相手になってくれと僕が言ったからだろう?」
「あいつが考える事だ、なんの相手か解るだろう」
「なんの相手だ?」
「…」
「…」

ヒソヒソヒソ

「…」
「あいつならやりかねない」
「…大丈夫だろうか…ミン…」
「大丈夫だ。ぶっ飛ばされて罵られて終わりだ」
「…。お兄さん…」

その後、ギョンビンが時々俺達の様子を見に来ていた
ミンチョルが緊張しているのがわかった
俺の作ったパンが入った袋を握り締めながら…

夜遅くまで俺達は話をした
穏やかな気持ちになった
寝室までミンチョルを送った
だってギョンジンがまだいるだろ?
あの馬鹿、またアホウな事考えるといけないからさ…

ドアを開けてギョンジンを呼び、ギョンビンとミンチョルにおやすみを言った
それからギョンジンにもおやすみを言おうとした

「昨日…ごめんな…」

ギョンジンが俺を見つめて言った

「噛み付いたりして…」
「あ…うん…。あれ…なんだったの?」
「ちょっとイライラしてて…お前に当たっちゃった…ラブにも怒られた…。ごめんな…」
「いいよ。お前にはいっぱい世話になってるから…」

俺達は暫く見詰め合った
くすっと笑ってお互いに腕を伸ばしてハグをした
パンパンと背中を叩き合い、ついでに軽くチュッとしておやすみを言い合う
離れようとした俺をギョンジンはもう一度抱きしめた

「なんだよ」
「辛くなったら…いつでも来いよ」
「…は…」
「な…」
「…うん…」

ギョンジンは俺の額に軽くキスして俺を解放した
部屋に帰って行くギョンジンの背中を見ながら、俺は短いため息をついて自分の部屋へ戻った


千の想い 40 ぴかろん

テスト研修をしながら、辻褄の合わないところや問題点などを話し合った
頭で考えていたことよりもずっと多くのケースがある
僕は仕事に没頭した

チュンムンホテル側のスタッフも何人かいて、的確なアドバイスをくれる
この案を更に練り上げたら、もっといい研修内容になるだろう
僕達には解らなかったポイントを突いたり、素晴らしいアイディアを閃かせたりするそのスタッフは
このホテルの専属の社員ではなく、済州島のホテルのアドバイザー的な存在だときいた
まだ若いその女性スタッフは、かつての僕の部下に似ていた
かつて僕に想いを寄せてくれていた若い女の子…ユンヒ…
あまりに風貌が似ているので、僕は彼女に声をかけた

「失礼ですが、キム・ユンヒさんという女性をご存知ないですか?」
「いえ。存じませんが…」
「そうですか。失礼致しました」
「…なぜ私に?」
「いや…かつての僕の部下だったのですが…貴方が彼女にそっくりだったのでご親戚か何かかと思いまして…」
「私に似た女性ですか?」

くすっと笑った顔はユンヒよりも幾分大人っぽかった

「…あの…口説いているわけではありませんので…本当にそっくりだったのでつい…失礼しました」
「いいえ」

ニコリと微笑み一礼して彼女は去った
その日は夜までホテル関係者と打ち合わせ、親睦会などをしていた
考え事をする暇もなかった
部屋に帰り、シャワーを浴びると睡魔が襲ってきた
イナにメールを打とうと思っていたのに…僕は知らない間に眠っていた

明け方目が覚めた
隣のベッドで寝ている先輩の大いびきに起こされたのだ
天井を見つめながら考え事をした
イナのためにできること…
イナのために純粋に…できること…
僕は漠然としていた想いを少しずつ纏めた
電話にバッテリーを入れ、その想いをメールにする
一文打つたびに心が痛む
書いて消してまた書いて消して…何度もため息をついた
そしてようやく文面が決まった

『イナ…昨日はごめんね。寂しいか?僕も寂しいぞ
実は今、済州島に来てるんだ。お前の働いてたホテルだぞ!内緒にしててごめん
また帰ってから土産話聞かせてやるよ。だから待っててね(^o^)

あのな、僕がいない間な、寂しかったらヨンナムに甘えていいぞ
アイツはお前に甘えすぎてるから、僕のいない間ぐらいイナの我儘聞いてやれって言っておくから…
もしアイツが意地悪したら帰ってからケチョンケチョンにしてやるからちゃんと報告しろよ
それと、ここにいる間、電話できないと思う
研修と接待とでプライベートの時間なんて取れないと思うから…だから今もメールにした
電話して、お前が出なかったら哀しいもん
じゃあね   テジュン』

大嘘つきめ、大嘘つきめ!
それでも僕はイナをヨンナムに甘えさせてやりたいんだ
溢れそうな涙を唾と一緒に飲み込んだ

そうだ
ヨンナムにも短いメールを打とう

『イナを存分に甘えさせてやってくれ。恋人のようにね…テジュン』

きっとあいつはこれを見て怒るだろう
電話してくるかもしれない、どういうつもりだって…
イナも『なに言ってるのさ』って涙声で怒るかもしれない
僕は今、お前の傍にはいないから…
お前の思い通りに振舞えばいい…イナ…
それでヨンナムとうまくいくのなら…僕は…

メールを送ってフリップを閉じ、もう一度バッテリーを抜いた
陽が昇っていた


昨日の案を元に練りなおした講義をする
午後からは、その講義を更に削ぎ落としてスリムかつ目的のハッキリしたものにするための会議だ
今日もホテル側のスタッフと熱い議論を交わす
昨日の…ユンヒに似た女性は、控え目ながらも鋭い意見を述べる
僕は感心して彼女を見つめた
講義の検討が終わり、僕は彼女にまた声をかけた

「貴方は…お若いのに各ホテルのアドバイザーをしていらっしゃるとか…」
「はい」

僕はしばらく彼女と話をした
ユンヒのような明るさはないが、人の気持ちを和らげる微笑みを持つ女性だった

「ほぉ…語学も堪能でいらっしゃると…」
「堪能というほどではありませんが、日本語と英語は一応…。観光ガイドもしていましたから…」
「ホテルマンとしての経験は?」
「実は…ふふ…ありません。私の助言は『客としての目線』として受け入れられていると思います。ただ、カジノのディーラー経験とホテルの企画室勤務の経験がありますので、そういった点を重んじてくださっているのだと思いますよ」
「…お若いのにしっかりしていらっしゃいますね」
「ありがとうございます」

彼女と話している間、僕はイナの顔を思い出さなかった
思い出さなかったのに僕はずっとイナと一緒にいるような気分になっていた
その後、先輩と夕食を食べた
先輩は僕の顔をじっと見つめて切り出した

「仕事して忘れたのか?イナ君の事…」
「…ええ…」
「なんだ。また同じ事を繰り返すのか?」
「え?」
「仕事を逃げ場にするな」
「…」
「変なとこ切り離すくせに肝心なとこは切り離してないよお前」
「…」
「言ってる意味が解らない?」
「…切り離す場所が違うって事ですか?」
「切り離すべき時に切り離せない。切り離さなくていいのに切り離す。逆だ」
「逆って…」
「やるべき事が間違ってる。一晩考えてみろよ。イナ君を思いながら」
「…」

先輩は時々禅問答のような言葉を投げかける
部屋に戻り、風呂に浸かりながら、僕はその意味を考えた
先輩は言った

「ビジネスの話をイナにしても構わない
イナとの間にビジネスを持ち込んでいるわけではない
ただ、イナと共通する仕事の話をして、アドバイスを貰うと言う事だ
それをお前は、まるでイナを仕事のために利用していると考えていないか?そうじゃないんだぞ
お前、不器用だからな…うまく使い分けができんのは解るが…利用するんじゃないんだ」
「解ります、でも」
「面倒くさがりだからなお前…面倒だから『もういいや』ってさ、恋人に教えてもらうのを放棄するもんな…馬鹿だ、チャンスなのに…」
「チャンス?」
「アドバイスを貰うってのは、その人物を信用してるって事にならないか?そういうアピールができるのに…馬鹿」

だからそこは切り離すべきではないと…
そして今日は「仕事をして忘れる」「仕事を逃げ場にする」という事を考え直せと言われた

仕事をして、その間イナの事を考えない…それは逃げているという事か?
確かに…彼女の時もそうだった…
ヨンナムに対する彼女の気持ちに気づいた時、僕は仕事に逃げた
彼女が事故に遭ったときも、僕は仕事に逃げていた
そうしなければ気が狂いそうだったから…

「あの時のお前は異常なぐらい仕事に没頭していたな。けど、どの仕事も中途半端だった」
「…」
「忘れようとしても忘れられない。考えずにいようとしても考えてしまう。人間はそういうもんだろう。一つずつ解決しなくちゃ新しい気持ちで問題に向かえない」
「でも…仕事が差し迫っていて…」
「お前は『これ以上イナの事を考えたくない』って気持ちで仕事に向かってる。それじゃいけないんだ。『今、ここまで考えた。もう一度後からちゃんと考えよう』って一旦ピリオドを打ってから仕事に向かえと言っているんだ」
「…」
「簡単に言えば気持ちの切り替え方を間違えているって事」
「…」
「ま、誰もが陥る間違いだけどな…。以前の彼女の時、そういう風にしてうまくいったか?」
「…いえ…」
「うまく行かなかったのにまた同じ事をしてどうする」
「…はい…」
「もっと考えろ。もっと落ち込め。底まで行ったら必ず浮き上がれる」

それは…ラブと過ごしたあの時、僕が体得した事ではなかったか…
浮き上がってもまだもがくんだ…
とても苦しいんだ…
底まで落ちて苦しんだのに、浮かび上がった後も苦しくて哀しくて堪らないんだ
苦しんだ挙句掴んだ幸せは、ほんの一瞬だけ僕に平穏を与えてくれた
これでもう苦しむ事はないのだと油断していた僕はまた、海の底に沈んで行く
海の底も慣れればそれほど苦しくない
いや、苦しいのは苦しいけれど、どうすれば逃れられるかが解っている
仕事に没頭すれば一瞬そこから逃れられる
まるで麻薬だ…
状態が良くなるわけではないのに、一瞬の安堵を求めてしまう
そうだな…そうだ…彼女の時はそんな風にすごして、結局あんな事になった…

ああ…疲れた…もう考えたくない
先輩…明日でもいいでしょ?逃げないから僕…
休みながら考えてもいいでしょ?

風呂から出てベッドに潜り込む
打ち合わせに行っている先輩の帰りを待てず、僕はまた眠りに落ちた
眠りに…逃げたのかな…先輩…


千の想い 41   ぴかろん

RRHで気持ちよく目覚めた
と言ってももう昼に近かった
リビングに行くとギョンジンがコーヒーを淹れていた

「おれにもくれよ」
「おはよう。いや、『おそよう』だな、イナ」
「飯は?」
「ない」
「ない?」
「食べたかったらヨンナムさんちにでも行けばぁ?」
「お前食わないの?」
「食べた。ミンチョルさんたちにパンもらった」
「…ぱん…」
「クリームとチョコクリームが抜群にうまかった。パン生地はちょっとアレだったけど…」
「…アレって?!」
「硬くてポロポロってかんじ。もっとしっとりしてたほうがいいな」
「…幾つ食った?!」
「んーと、クリームパンとチョコパン一個ずつとぉ…ロールパン2個」
「なんだって?!」
「…なによ…」

ほとんどこいつが食ってるんじゃんミンチョル!
なんだよっ!きいっ!せっかくミンチョル達のために2個ずつ持ってきてやったのにっ!きいっ!

「どしたの?怖い顔して…」
「ばかっ!」

俺はコーヒーを飲み干して外に出た
また『あやかしの館』へ向かった
腰高窓から中を覗いて「ぶー」と低い声で言ってみた

「あ…ぉうん…ふ…」パタン…

丁度終わったのか脱力したチェミさんの背中が見えた

「ぶー」
「…」
「ぶーぶー」
「今日は…はぁ…ブタか?」
「ぶ」
「可愛い子ぶってもお前と同じ顔には反応せん!」
「ぶー」
「くく…入って来い!」
「ぴー」

中に入るなり俺は愚痴を言った
ミンチョルが2つしかパンを食べなかった事を嘆いた

「あんなんで親友って言えるか!なぁチェミさんっ俺は悲しい!」
「ぷはっ。仕方ないだろう。やっこさん映画出演決まってるんだから身体を絞らんと…」
「ふん!邪魔してやる!」
「ぷはは…お前がいくら頑張ってもやっこさんには…ホレ…これがホレ…」

チェミさんは目尻を指でぐいっと吊り上げた

「ああ…」
「あの岩窟王がいる限り無理だ」
「厳格王だしな…」
「2個のパンだってお狐様の口に入ったかどうか…昨日も控え室でキリキリ注意されてたぞ…おっと…お前には教えないって言ったんだったな…」
「ちゅうい?」
「おお…酒は飲むフリだけにしろだの座ってる時もできるだけ腰を浮かせろだの歩くときはつま先立ちでだの立ち居振る舞いは指の先まで神経を行き届かせろだの…」
「ぷっ…くくく」
「お狐様がな…『そんな一度にできない!僕は不器用なんだから!』と開き直ってなぁ」
「ぐはぐははぐは…チェミさん物真似うまい…ぐははは…
「したらコレが…」

チェミさんはまた目尻を指でぐいっと吊り上げた

「そんな事言って恥かいてもいいんですか!一度にこなせなきゃ役者なんてできない!負けてもいいんですか!ウナっちに!」
「あはは…だめっ…似すぎだってチェミさん…。で、ウナっちって?」
「うん…。お狐様のライバルらしいぞ」
「ふんふん。んで?」
「んでな、お狐様の前髪が乱れたんだ。お狐様は黙って前髪を整え始めた」
「くぷぷ」
「したら岩窟厳格王がな、小さい鋭い声で『前髪だけだね、神経が行き届いてるのは…』だと」
「ぐあっはっはっ…ひーひー」
「内緒だぞ!」
「あひぃあひぃ…な…ないしょにするからなんか食わせて…」
「ったぐ…上にあがれ。何かあるだろう」
「はぁい」
「今日はパンは作らんのか?」
「…」
「作りたかったら作ってもいいぞ」
「じゃ…作る…。ギョンジンに生地がポロポロしてるって言われた…」
「ふはは。ま、頑張れ」

俺はまた『あやかしの館』で飯を食わせてもらうことになった
上に上がっていくとひゃああんとかうわぁぁんかわいいいんとかいう声がした
ラブだ…

「テソン、ラブ来てるの?」
「うん。インテリア見て騒いでる」
「へ…部屋に入れたのか?!」
「ミンギ君と一緒にね。仕事の関係で雑貨の下見したいって言うから…」
「…」
「イナさんも入りたいの?」
「…おれは…またこんどにする…」
「なんで?いいよ見ても」
「…おれはえんりょぶかいんだ…」
「ふ…。じゃ、今度みせたげるよ。ライトとか見たいんでしょ?」
「見たいっつーか…ほしい…」
「それはダメ」
「…」

俺は出された飯を食った
いつも本当に旨い
旨いし…『あやかしの館』なのに居心地がいい
風通しがいいからかな…
ふと見上げるとああ…モビールってやつがふらふらゆらゆらしてる

「イナさんさぁ、ここに来るとご飯食べるかパン作るかしかしてないよな」
「うん…」
「一度夜おいでよ。晴れた日に」
「よ…よる?!」
「うん。ベランダや中庭から星みるの…」
「ろ…ろまんちっくだな…」
「なによ!僕には似合わないっての?」
「うにゃ…」
「…二人で来ればいいよ…」

どの?

「二人で…仲良く…」
「…ああ…」

どの…二人で来ればいいんだよ、テソン…

飯を食った後うだうだと話をした
随分長い事『あやかしの館』で時間をつぶした
ラブが部屋から出てきて俺を見て目を丸くした

「なによ、毎日来てるの?」
「毎日じゃないけどさ…」
「ギョンジンどうしてた?」
「ん?洗濯と掃除するって。いい奥さんになりそうだな」
「奥さん?!…奴隷だよ!」
「…ラブ…」

そんな会話も楽しんだ
それからまたパンを作らせて貰った
今日のパンは焼きあがったらテソンが店に持ってきてくれるというので、俺はそのままRRHに戻った
それからなんだかんだ用意して店まで歩いて行った
まだ誰も来ていない
ロッカーに電話を仕舞おうとしてメールに気付いた
テジュンからの短いメール
俺は…その何気ない文面を読んで動悸が激しくなった

なに…これ…どういう…いみ…
テジュン…テジュン?

『寂しかったらヨンナムに甘えていいぞ』

あ…ああ…友達だから甘えても平気なんだお前…
そうだよな?
…深い意味なんか…ないよな…

手が震えた
心を見透かされたような気がした


ソクさんとスヒョク君はこのところ毎日ご帰還である
相変わらず仲がよくて、今日はイナがいなかったから僕一人で二人の相手するのは少々キツかった
朝になってテジュンから物凄く短くて物凄くムカつくメールが入った

『イナを存分に甘えさせてやってくれ。恋人のようにね』

またこんな事を!あの馬鹿は…
恋人のようにってどういう意味だよ!ほんとに馬鹿!油断しすぎ!
こんな事ばかりしてると本とにイナを奪うぞ!
…ンなことしたら、後で泣くくせに!
いくら忙しいからってこんないい加減な文面送るなよ
僕はイラついた
ほんとに…甘えさせてやるぞ!知らないんだからテジュン!
腹の立つメールをうっちゃって僕は配達に出かけた


千の想い 42   ぴかろん

夜の配達時にBHCへ行った
テジュンのメールが気になって僕は店を覗いてみた
イナはいつものように頑張って仕事をしている
大丈夫みたいだな…甘えさせてやる必要は…ない…かな…

かなぁ…

イナは寂しがりやだ
寂しがりやが寂しがるのはやっぱり夜だろう…
とすると、こんな営業バリバリ中のあいつを観察してみても仕方ないんだなぁ
ということは…

それで僕は今、BHCの裏口の前に立っている
閉店時刻を過ぎ、次々と同じ顔の面々がその扉から出てくるのを眺めていた
何人かは僕に気付き会釈をくれた
イナが出てきた
驚いた顔をしている
僕は片手を挙げてイナを手招きした
イナは目を泳がせてそこに突っ立っていた

「イナ。おいで。帰ろう」

呼びかけてもまだ突っ立っていた
イナの後ろからテプンさんとシチュンさんが出てきた

「お…なんだよイナさん、危ないじゃないかこんなとこに突っ立って」
「ああ…ごめん…」
「イナさん、これ、テソンさんから…パンだって」
「あ…うん…」

テプンさんから紙袋を受け取った後、イナは俯いて歩き始めた
僕の前を通り過ぎようとしたので僕はイナの腕を掴んだ

「…なに…」
「寂しいだろうから誘いに来た」
「…寂しくないよ…」
「テジュンからメールが来たよ。お前を甘えさせてやってって」
「…」
「おいで」
「いいよ」

イナは僕の腕を振り切って歩き出そうとした


過保護のストーカー…
ヨンナムさんは過保護でしつこい
なんで俺を迎えにくるんだよ
寂しくても平気だよ
貴方の傍にいる方がどれだけ寂しいか知らないだろ?
俺はヨンナムさんを振り切って帰ろうとした

「イナ!僕はテジュンから頼まれたんだ。お前を寂しがらせるなって!今日もソクさんたちはうちに帰って来るからさ。安心して泊まっていけばいい
おとといは楽しかったろ?テジュンが帰ってきたらもうこんな事できないぞぉ」
「なんでヨンナムさんちに行かなきゃいけないのさ!」
「だって…」
「いいよ!ヨンナムさんの顔なんか見たくないもん!」
「んなこというなよ」
「『友達じゃないか!』って言うんだろ?友達の域、超えてるよ」
「…イナ…」
「ほっといてよ。寂しくなんかないから!」
「だってさぁ…。テジュンのメールにさぁ…『恋人みたいに甘えさせてやってくれ』って…」
「…は?」
「ほら…」

ヨンナムさんが見せてくれたテジュンからのメールを、俺はぼんやりと見つめた
なにか嫌なものが腹の中で動いた

テジュン…どういうつもり…

「あら?お邪魔だったかしら?」

ふざけたソクの声がした
ソクは扉から一人で出てきた
俺はその顔を見つめた
ニヤニヤと意地悪そうに笑っているソクの顔
それでも今の俺にとっては
憐れむようなヨンナムさんの顔や
靄の中で哀しそうにしているテジュンの顔よりも
安心できる顔だった

俺は余程情けない顔をしていたのだろう…
意地悪な表情がみるみるうちに優しくなって、ソクは小さく両手を広げた

来いよ

唇を薄く開けてそう言ったように思えた
一歩、二歩とソクに近づき、その腕の中に飛び込もうとした時
ソクの後ろにスヒョクの顔が見えた
俺はその場に留まり、一瞬のちに微笑んだ
そして踵を返して歩き出した
憐れむ人から遠ざかろうと足早に歩いた

「イナ!」

何も答えずに進んで行く
俺は…家に帰るんだ…
一人で…テジュンの帰りを待つんだ

「おいでよ」

その手が俺の腕を『恋人のように』捕まえる
俺のからだは凍りつく
俺は一瞬で囚われの身になる
もうどこへも行けやしない
テジュン
なんのつもり?
どういうこと?
俺を…俺を試すの?!

「ソクさん、スヒョク君、帰ろう」

俺は連行される
甘い夢を見せてくれる処刑場に…
なぜ抗えないのか
なぜ振り切れないのか
俺の腕を引くその人の後姿を
なぜ俺は熱く見つめるのか
テジュンを…
テジュンを待っているのに…ああ…


「ソクさん…」
「んぁ?」
「…さっきイナさんを抱きしめようとしてたでしょ」
「…んふ…」
「…」
「怒った?」
「…好き…なんですか?」
「ん?」
「…イナさん…」
「…」
「イナさん…ヨンナムさんの事を…好きなんですか?」
「…スヒョク…」
「…。なんで…」
「どう思う?お前」
「…テジュンさんはどうなるんですか?!」
「テジュンはこっちに置いといて。ヨンナムさんとイナって…どう思う?」
「何言ってるんですか、ソクさん!」
「仲いいと思わないか?」
「…。思います…」
「くっついたらどうなるだろうな…」
「…ソクさん?」
「イナは…抑えてる」
「…」
「なんでだろうな…」
「ソクさん…」
「あいつらしくない…」
「好きなんですね、ソクさんはイナさんの事」
「…スヒョク」
「特別なんですね」
「…。うん…」
「…俺は…ヨンナムさんも貴方と同じ気持ちのように思えるんですけど…」
「え?」
「違うかな…」

僕とスヒョクはいつもの荷台の上で顔を寄せ合って話をした
そうしないとお互いの声が風に飛んでいってしまうから

スヒョクの言葉になるほどと頷いて、僕は頭上の星を見つめた

「ヨンナムさんとイナさん、違う星を見つめてるように思います。思いっきり違う星を…」
「…スヒョク。僕達は同じ星を見つめてる?」
「…似たところを見ているんじゃないかなって思ってるけど…」
「正反対の方向見てるのと微妙にずれたとこ見てるのとじゃ全く違うのかな?」
「…え…」
「正反対向いてたってうまくいく恋人達もいるだろ…」
「…」
「目標とする星は違っても、僕達はいつもお互いを意識してる。お互いを気遣いあってお互いを見ている」
「はい」
「イナとヨンナムさんは…どうだろう…どう思う?」
「意識してるし気遣い合ってるし…お互いを…見ていると思うけどでも…」
「視線が合ってない…」
「…はい…」

そうか…そうなんだな…
見詰め合っていても視線が絡んでいないんだ…

「ふ…」
「そういうの…切ないですね…」
「うん…」

それでも『想うこと』は止められないんだよな…イナ…
僕はスヒョクと額を合わせた



頑固なイナを連れて帰ってきた
これは『恋人のように優しく』していることになるのだろうか…
わかんないや、テジュン
連れてきてよかったのかな…

また4人で飲んだけど、おとといのように楽しくはなかった
イナのテンションは下がりっぱなしだし、ソクさんとスヒョク君もなんだか大人しかった
イナは眠たいから寝ると言い、ソクさん達は部屋に行くと言った

「お前どこで寝る?」
「…」
「僕の部屋で一緒に寝よっか」
「ここで一人で寝る」
「…そ…」

無表情のまま呟いたイナに、それ以上何も言えなくて、僕は布団を一組居間に置き、膳を片付けて自分の部屋に戻った
連れてきて…よかったんだろうか…


布団に潜り込んで目を瞑る
どうして俺はここにいるのだろう…
テジュン…早く帰って来てよ
俺の傍にいてよ…
壁一枚隔てた向こうに
あの人が眠っている

恋人のように優しくしてやってなんて
どうしてそんな事言うのさ
ヨンナムさんに甘えていいよなんて
どうしてそんな事…

明日になれば…明日の夜になればきっとテジュンに会えるから
そしたらテジュン、いつものように俺を抱きしめて「会いたかった抱きたいすぐに抱きたい!」なんて騒ぐだろ?
俺を縛り付けといて
どこへも行かないように
お願いだから
テジュン

待っていた睡魔が訪れて俺はようやく眠りに落ちた


上出来   足バンさん

営業開始前のミーティング
店内でいつものようにその日の伝達事項が言い渡された後
スヒョンは1度ため息をついてからみんなにちょっと聞いて欲しいと言った

スヒョンが目で合図すると
少し離れた所に立っていたミンチョルさんがすっと前に出て横に立つ
どうでもいいけどその自然な感じやめてくんないかな
と思ったけど我慢…これからの僕は大人な対応を目指す

スヒョンは黒いシャツに渋目のジャケット
ミンチョルさんはいつもより少し濃いめのスーツ
こうして店内の落ち着いた灯りの中に並ぶふたりを見ると悔しいけどサマになる
シン監督がふたりのショットを見てムクムクと創作意欲に火が付いたって
わかる気がする…のが癪に障る…けど我慢

我慢のあまりむくれた僕の顔を覗いたギョンビンがおかしそうに微笑んだ
妙に余裕じゃないこいつってば

(何だよおまえ…達観しちゃったの?考え過ぎてネジ飛んだ?)
(もうやる気満々です…調教魂が蘇りました)
(ちっおまえも大人への道?)
(は?)

「スケジュールなどがはっきりしていなかったので言えずにいたが
 無用な混乱を招くといけないのでこの辺で発表させてもらいます」

だからそこでいちいち目を合わせるなってのっ…うう我慢

「僕が映画に出演しミンチョルのミューズが音楽を受けることになったのは知っていると思いますが
 ミンチョル自身も役者として出演することが正式に決まりました」

その件についてほとんど知らなかったらしいジュンホ君やテプンさんたちが
やんやと手を叩いて反応してる

「もとチーフなにやるんでしょう」
「スヒョンさんならコマシの話でしょ」
「おまえと一緒にすんなよ」
「コメディならオファーはテプンさんにくるよね」

額を掻いていたスヒョンは一度咳払いをして息を吸った

「コメディでもコマシでも…いやコマシは少し入ってるかな
 とにかくどこからどう見てもシリアスな映画です…ミンチョルは僕の過去の恋人役で
 いわゆる恋人にふさわしいシーンなどもありますが
 そういう部分に重点がおかれた内容ではありませんので誤解のないように」

お…一気に言った
テプンさんたちが「ほぉ~」などと聞き入っているのがかえって生々しいっつうの

気になってたけど気にしないようにしていたイナさんに目を向けると
スヒョンたちのことをちらっと上目づかいで見て
それから僕らを見てちょっとにっこりしてまた下を向いた
少しは安心してもらえたかな…よけい気を揉んじゃう?

「ロケなどで僕たちが留守をする時のチーフ代理はイヌ先生にお願いしてあります
 あとジホ君も映画製作に関わっていますので何かとお世話になると思います
 暫くはみんなにも迷惑をかけますがよろしくお願いします」

スヒョンとミンチョルさんがぎこちなくお辞儀をして解散となった

みんなもうちっとツッコむかと思ったけど意外とあっさり
あんまり感心ないのかなと思ったら
後で”おまえたちの前で反応できるかよ”ってスヒョクさんに言われた
どうも僕は恐ろしくぶんむくれてて
ギョンビンは目がギラギラしてたらしい
何だよ…けっこう頑張ってみたのになぁ

閉店後、事務室のデスクで残務をやってるふたりの横で
僕とギョンビンはソファに座ってファイルの整理を手伝った

「ミンチョル…監督から電話あった?」
「日本の件か?」
(ドンジュンさん日本って何です?)
(ほらラストでジンとソニがお父さんとこ行くじゃん)
(ああ…なるほど)

「おまえのシーンもやっぱり入れたいって言ってたよ」
「ああ1日だけでも合流してくれって連絡があった」
「その頃音楽大変でしょ?大丈夫?」
「何とかする」
(ええっミンチョルさんも~?)
(何驚いてるんですか)
(だって台本じゃ”現在”にヒョンジュは出てこないもん)
(でも彼に語りかけるシーンとかあるじゃないですか)
(ちっ油断したな)

「鎌倉は一度行ってみたかったんだ」
「余裕だなスヒョン…かなり難しいシーンだろう?」
「ふふ…少しは楽しまなくちゃ」
(まったく…)
(どうしたんですか?)
(だってあいつら僕らの監視の届かぬ異国だよ?)
(そうですね)
(うなっちはスターだから廻りの目はそっちにいくじゃん、ノーマークだよあいつら)

「おまえ…どうしたの今日ちょっと動きが変じゃない?」
「しごかれてる」
「もしかして身体?」
「他に何がある」
「監督もボディ管理は徹底するって言ってたよ」
「まいったな」

その後の「僕はそのままでもいいんだけどなぁ」ってスヒョンの小さな声を僕は聞き逃さない
まったく…すぐにこれだよっ…でも反応しない僕

そして大きな試練…
帰り際に洗面所でミンチョルさんと鉢合わせた
実はイナさんの激震以来この人とはちゃんと喋っていない
鏡の中でじっと見るとミンチョルさんが視線を合わせてきた
こういう時のひと言で真価が問われるんだよね

「スヒョンをよろしくね」ニカッ

と自分ではかなり自然に微笑んでから
ミンチョルさんが何か反応する前にゆっくりと余裕かましてそこを出た

うう…ちっと頑張り過ぎたかもしんない…笑顔が張り付いて戻んない

「どうしたの中国のかぶり面みたいな顔して」
なんてお気楽なこと言ってるエセ天使の尻にヒザ蹴りをくらわせて
僕の”大人への道”第一歩は無事終了しました








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