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ぴかろんの日常
リレー企画 228
千の想い 149 ぴかろん
ヨンナムさんを見つめて、ヨンナムさんを思う
そうしているつもりなのにテジュンが入り込んでくる
ヨンナムさんを思う…ヨンナムさんを…
ヨンナムさんの唇が俺の唇から離れ、頬や鼻や瞼に飛ぶ
気持ちがいい
柔らかい
ヨンナムさんは酔っているんだ…
酔わせたのは俺
焦らせているのは…俺…
もう一度塞がれる唇
舌が滑り込む
そう…
キスしていればいい…
キスに夢中になっていれば俺達は…満足するはず…
「あつっ…」
喰いちぎる様にヨンナムさんが唇を離した
「…痛いな…」
「…冷静だね」
「…」
「キスで誤魔化してる…」
「…。何を…」
「気持ち、誤魔化してるんだ」
「…」
「僕も、お前も!」
「…ヨンナムさん…」
「もう一つの気持ちが見えてるんだ!テジュンに悪い事したって…僕たち二人ともそう思ってるんだ!違う?」
「…ヨンナムさん」
「僕の作り出した僕へのチャンスなのに…ずっとお前と過ごせるのに…お前が僕を大切にしてくれるのにっ…僕の心は怖くて逃げてる」
「…ヨンナム…さん…それは…俺も…」
「ねえ、どうなる?」
「なにが?」
「このまま、このまま先に進んだら僕達どうなる?」
今夜、寝ようかと思った
この人と寝てしまおうかと思ってた
「…なんだ…そういう気があったんだ…。じゃ…一緒にシャワー浴びればよかったのに…」
「そんなんじゃない!」
「…じゃあどういう事よ!先に進むってどういう」
「…」
「そういう意味じゃないの?…興味あるんだろ?」
「…ちがう…」
「何が違うのさ」
言葉尻を捉えて絡みつく
『このまま』先になんて進めるはずないじゃない…
「心を置いたままなんてイヤだ!」
「…」
ああ…俺も…そうだ…
「テジュンに心が飛んでってる!」
「…ヨンナムさん…」
「お前だけじゃない!僕の心もっ!」
「…時間が必要…だろ?」
それは俺自身に言い聞かせている言葉
「ゆっくり…俺達をはじめれば…」
「僕といる時は僕をっ…僕をっ…」
言いながら俺のシャツのボタンを乱暴に外し始めるヨンナムさん
酔ったせい?
心を置いたままじゃイヤだって、貴方さっきそう言ったのに…
けど俺はヨンナムさんに抗わなかった
触れ合うのは…気持ちがいいと知っているから…
「…一人だけ飲んでずるい…酒の勢いかよ…」
「そうだよっ!」
肩で息を切らせながら俺の胸を露わにする
掌がすうっと肌に触れる
長い指…
冷たい…
俺は腕を伸ばし、ヨンナムさんの服を捲りあげる
ヨンナムさんは素直に腕を上げてシャツを脱がされる
どうするんだ…
こうして…俺達この先…どうする気なんだ…
焦ってこんな風に抱きあったって確かめられるはずない…ほんとうの気持ち…
なのに俺達は唇を寄せ合いお互いを抱きしめる
肌が触れ合う
くすぐったい
甘い
くちづけを
くちづけだけに心を遣る
誰の唇か知っている
知っているけどその唇の主を
俺はまだ心いっぱいに満たしていないのに
暖かいぬくもりに
柔らかい唇に
逃げ道をみつけて潜り込む
長い指が俺の体を弄る
俺の指が暖かな体を確かめる
唇で、舌で、そこにいるその人の存在を確かめる
俺の掌がその人の背中を這い登り、髪の毛を掴む
その人の唇が滑り降りて俺の体を撫でる
前に
進むのに
心を
置いたままで…
いいはずが…いいはずがないのに…止められない
はあ…はあ…はあ…
体と唇を何度も啄ばまれ
心の置き場所が解らなくなる
掴み取りたいのに掴めなくて
はあ…はあ…はあ…
「ぁあ…あ…」
わざと声を上げて自分を高めている俺
からだだけが俺達を置いて先に行く
ヨンナムさんは俺の上半身に舌や指や唇を這わせ、抱きしめる
それからまた唇を塞ぎ…そして俺の肩に突っ伏して体を震わせている…
はぁはぁはぁ…
「ヨンナム…さん?」
「…テジュンと…間違えてない?」
「え?」
「僕だって…解ってる?」
「…解ってるよ…」
「…ごめん…イナ…僕…これ以上は無理だ…」
俺もそう思ってたから…
「ごめん」
ああ…
心の置いてあるところが見えた…
ほっとした
「ふふ…ふふふ…」
ヨンナムさんが俺の肩の上で小さく笑う
「ふふ…はは…ああ…」
「ん?なによ…」
ヨンナムさんはパッと顔を上げて俺を見た
意外な事に明るい顔をしていた
「…なんだ…ヤケになって笑い出したのかと思ってたのに…」
「…気持ちいい…」
「え…」
「イナの肌…気持ちいい…癒される…」
「…ばか…」
ちゅっ
ヨンナムさんが軽くキスする
俺もヨンナムさんの唇を追いかける
逃げようとするヨンナムさんの頭を掴み、深くキスをする
舌を絡ませる
そのひとときだけ何もかも忘れている…
ゆっくりと唇を離す
見詰め合う
潤んだ瞳
「逃げてる…」
「…」
「誤魔化してる…」
「ヨンナムさん…」
「気持ちがいいから…こんな事するんだ…」
「ヨンナムさん…」
「離れたくない…」
俺の胸に縋りついたヨンナムさんは、すぐに寝息を立て始めた
あは…
思わせぶりなこと言って…
「こんの酔っ払い…」
心地よい重み
柔らかな髪の毛
弄びながら目を閉じた
いいよ
こんな時があっても…
俺達臆病だから
これ以上先には進めないんだ、心がないと…
「こんの…卑怯者…」
胸の重みに向かって呟いた
「お前もだろ…」
「!」
目を閉じたままクフフンと笑ってヨンナムさんは俺の体を抱きしめた
心の穴に風が吹き込む
テジュン…
微笑んで霞んでいく…
テジュン…
ヨンナムさんがそこに入ってきてる…
お前と入れ替わっていくのが…少しだけ、痛いよ…テジュン…
朝がまた来た
テジュンを何日見ていないだろう…
このままもう会えなくなるのかな…
寝ぼけた頭でそんな事を思った
俺の裸の胸に同じ顔の違う人が子供のように眠っている
安心した顔つき…
こんな事をしてていいのかな…
テジュンとは違う人…
同じ顔なのに…
触れ方が違う
キスが違う
だから俺は
貴方がテジュンとは違うんだって解ってる
なのに
過ぎるのはテジュンの切ない顔だ…
こんな事…してていいのかな…
「ん…あ…」
子供が小さな声を出し、頭を上げた
目が合う俺とヨンナムさん
「おはよ」
「あ…イナ…イナだ…くふっ」
ニコっと笑ってまた俺の胸に頬を擦り付ける
「くすぐったいってば…」
「きもちいい…」
『気持ちいいから…こんなことするんだ…』
昨日そう呟いたヨンナムさんは、本当に気持ち良さそうに俺の肌に頬擦りしている
「ちょ…ちょっと…朝っぱらから刺激しないでよ」
「ふぇ?しげき?」
「あ…貴方だって朝っぱらからこんな事されたらっ大変でしょーが!」
「…朝っぱらにこんな事された覚えないもん…」
「え?」
「…だーから…。付き合った子とは、一緒に朝を迎えるなんて事なかったしぃ…」
「…あ…」
そか…
初めてなのか、こういうシチュエーション…
「ふぅん…楽しくない青春だったんだなぁ…」
「…お前だって!」
「…」
「…だろ?」
「…確かに…。いい時代をムショで…くそ」
「おあいこだ~」
「…そんなに気持ちいい?」
「うん。なんか…ビロードに包まれてるみたい」
「ビロード…」
「イナって肌がスベスベだね」
そう言って掌で俺の体をすべすべと撫で回すヨンナムさん
「だっだからっ!やめてっ!あはん」
「え?なんで?」
「俺は感じやすいのっ!はんっ」
「え?そう?ケヒヒ…」
「あああ…くひっ…やめっ…」
ヨンナムさんの擽りから必死で逃れて背中を向けた
ヨンナムさんがぴったりと背中に貼り付いている
「…あったかい…きもちいい…」
しょうがねぇなぁ…
俺の胸に回された腕をすうっと撫でる
撫でながら、これはどこかで感じた事のある感覚だと思った
こないだからそんな風に思うことがよくある
なんだろう
なんでだろう…
少しじゃれた後、俺達は起き上がって朝飯を食った
テジュンは今日も帰らないのだろうか…
ラブの家で何をしているのだろうか…
「イーナ!」
「ん?」
「テジュンの事?」
「へ?」
「考えてるだろ…」
「は…」
「図星だ…」
「…」
「あいつ、ここには当分帰らないよ」
「…。今までのパターン?」
「帰るとしてもきっと…きっとね…服の着替えを取りに来るぐらいだ。僕の留守を狙って…」
「…そ…」
それから俺達はテジュンの事を口にせず、食事を終えて出かける準備をした
今日はパンを作らせてくれるだろうか…
Casaの近くまで送ってもらった時、ヨンナムさんが神妙な顔で言った
「今日はちゃんと時間通り水、届けるからって伝えてくれる?」
「…ああ…」
「…んじゃ…」
「昼」
「ん?」
「電話するから…」
「うん」
そのまま行こうとするヨンナムさんを引き止めて軽くキスをする
キスをしていれば俺は…貴方の事、考えていられる…
「…焦るなよ、イナ…」
「そっちこそ…」
「僕は焦ってなんか…」
「ふぅぅん」
「…けほ…。続きは昼に!じゃ!」
「ばいばい」
走っていく車を見送り、俺はcasaへと向かう
工房の扉を開け、中にいるチェミさんに挨拶する
「おお…昨日はすまなかった」
「…今日は…いい?」
「…言うな…テソンに『チェミらしくない』って散々突かれたんだ…」
「…」
「お前が『忘れないでいる』ってわかったから…俺も前向きに考えることにしたぞ」
「…うわ…らしくない…ほんとに…」
「なんでだ!」
「『俺様は何もかもわかってるんだぞ?ん…』って顔してくれなきゃ…」
「…けほ…。俺様にも『謙虚さ』はあるんだ!」
「へへっ」
軽口を叩きながら粉を捏ねた
ヨンナムさんからの伝言を伝え、ヨンナムさんに意地悪しないように釘をさした
「するかよ!そんな子供じみたこと!」
「くふーん…わっかんねぇ…」
「せんわっ!ふぬっ!」
チェミさんはリズムよく『営み捏ね』をする
俺は…俺は…
テジュンと別れて何日目なのかさえよくわからなくなっている
それだけ心が『穏やか』なんだろうか…
それともやっぱり『誤魔化してるだけ』なんだろうか…
消えないけれど薄れていってる…消えないけれど…
シミュレーター 宵の口 れいんさん
呂律か怪しくなってきたホンピョ(本人はただの巻き舌だと主張したけど)を促し、帰途についた
外気は思ったより肌寒く、薄着だった事を少しばかり後悔した
ホンピョの機嫌は上々だった
僕の財布が軽くなるまで(もともと軽めではあったのだけど)食べて飲んだせいだろう
家に戻ってからも、僕を、なかなか解放してはくれなかった
企画書の事がずっと気になっていたけれど
「じゃ、そろそろ仕事するから」
そう切り上げるタイミングが見つからなくて、僕はそのままずるずるずる…
時折、企画書在中のバッグに熱い視線を送ると
「あの書類、ブルーの寝床に丁度良さそうだな」と、あの時の苦労を水の泡にする様な事を言い出すし
チラチラと置き時計を気にすれば
「大の男が、何、いじいじ時間なんて気にしてんだ。今夜はとことん飲むぞ」と
パタンと時計を台に伏せる始末
これは酔わせて寝せるのが一番手っ取り早いと踏み、ホンピョのグラスにこまめに酌をした
かなりハイペースで飲んでるし、この分なら、日付が変わる頃には、静かに仕事ができるだろう
「ところで、ドンヒ。さっきの俺の鮮やかな仕事っぷり…恐れ入っただろ?」
「うん。確かに鮮やかだった…あんまり誉められた仕事じゃな…」
「だろ?だろ?」
おい、話は最後まで聞けよ、と口にする前に
ホンピョはゴソゴソどこからか布製の巻物みたいなもの(それもかなり年季モノ)を引っ張り出してきた
そしてその結び目の紐を解き、くるくるっと広げ、僕の目の前に置いた
「俺の仕事道具だ」
広げた布の内側には、ポケットがいくつもあり、怪しげな道具が一本一本きちんと収納されている
ホンピョは、チーフのデスクの引き出しによからぬ事をした際使用したモノを、大事そうにそのポケットに仕舞い込んだ
「へぇ…道具も色々あるんだな」
「だろ?これがあればたいていの錠破りは朝メシ前だぜ」
「このヘアピンとか安全ピンも道具の一つ?」
「そーそー。南京錠くらいならそれ一本でちょちょっと、な」
「…この鍵は何?」
「そいつは一般的なマンションなんかでよく使われているシリンダー錠の鍵でな、それを何種類か用意してるんだ
んで、このやすりを使って刻み目や溝を微調整してやれば、すぐに即席の合鍵ができるってわけだ」
「ふ、ふぅ~ん」
あ!何、感心してるんだ僕は
ここで感心してちゃ拙いだろ
「だけど、鍵穴に合うような刻み目や溝って…うまく調整できるのか?」
「そういう時こそ、このパウダーの出番ってわけよ。これを鍵穴に塗してな、とりあえずこの鍵を差し込むだろ?
そうすっとどこをどう削ればぴたりと合うのか、この鍵にその輪郭がくっきりと…」
「な、なるほど」
だから、『なるほど』って感心してる場合じゃないだろう
ハッキリ言って犯罪なんだし…
「これがな、金庫破りになるとそう簡単にはいかねぇ。じゃじゃ馬を乗りこなすっつーか、ちょっと手こずるんだよな」
「そーなのか」
「だけど…こう、金庫にピタリと耳くっつけてな、金庫の声を聞いてやるんだよ」
「その金庫は喋るのか?」
「馬鹿。まんま取るなよ。なんつーかそーゆーの、職人の勘って奴?
ダイヤルをジーコジーコ回してくと、カチっと微かな手応えがあるんだよ。それがまた快感でな
金庫ちゃんがいくら噛み合わせを誤魔化そうとしたって、俺にはどんぴしゃ分るんだ」
ふーん…そういうものなのかぁ
ふとそこで素朴な疑問が湧いてきた
「それだけの腕があるんなら、お前ってどこの家でも出入り自由?」
「まぁな。でも…やらない」
「…だよな」
そりゃ、そうだ
そんな事やってたら、最後には、僕は差し入れ持ってムショに面会だ
「あのな、俺は、俺のその才能、何か人助けとかになるってんなら喜んでやるけどな
単に金儲けとかの為にはやらねぇ。ポリシーってもんがある。男の美学って奴だ」
ホンピョはひとしきり演説をぶって、得意げに胸を反らした
話のどこからか、僕の正しい判断基準も鈍くなり
ホンピョがカッコよく見えてきたものだからどうかしてる…
「それにな、そんな事、もうやる必要ないんだ」
「え?」
「だって俺、今の生活、結構気に入ってっから…」
語尾が聞き取りにくくて
「何だって?」と聞き返した時には
ホンピョは酔いつぶれてテーブルに突っ伏していた
『今の生活、結構気に入ってっから…』
確かそう言ったよな…
段々じわじわとそのセリフがきいてきて、心の中がほっこり温かくなった
多分、僕の顔は今ニヤケていると思う
近くに誰もいなくてよかった…
もしここにジホ監督なんかがいたなら
「くぅっ!いいねぇいいねぇ、甘酸っぱくて!」
などとからかわれてた事だろう
それから僕は、ぐでぐでになってるホンピョの前に回りこみ
屈みこんで背中を向けた
「ホンピョ、ほら、ホンピョ。背中…」
「んぁ?」
ホンピョが寄りかかりやすい角度に背を向け、ホンピョの腕を僕の両肩に垂らした
背中にホンピョの重みを確認してから、「ヨイショ」と立ち上がる
あれ?…今ヨイショって言っちゃったな…ちょっとジジ臭かったかな…
つい苦笑いが零れる
背中からずり落ちそうなホンピョを、もう一度しっかり背負い直すと、ダラリと垂れ下がってた腕がユラユラ揺れた
なんだか首の据わらない赤ちゃんをおんぶしてるみたいだ
あやす様にリズムをつけてゆっくり歩くと、背中にホンピョの温もりが伝わってくる
そのドアを開けたら、ベッドはすぐあるのに、まだもう少し部屋の中を歩き回りたい気分だった
完全に脱力してたホンピョの腕がその時ぴくりと動いた
「ホンピョ?…起きてるのか?」
首を傾けて様子を伺う
一瞬、頬と頬が触れ合った
甘い酒の匂いがした
「…おい…俺は…まだ飲むぞ…」
この有様なのに、まだそんな事言ってる
「無理だって」
「うるせー。ごちゃごちゃ言わずにもう一杯持ってこい」
「もうこんなにぐでぐでじゃないか」
「俺はぜんっぜん酔ってねぇ」
「はいはいはい。そうでしょうとも」
「あ…何だ?おまえってば、このままベッドに連れ込もうって魂胆だな?ヤらしい…」
「…そんなわけないだろ」
「フン…馬鹿ドンヒ。お前じゃ話になんねぇ。…よし、ブルーの奴を酒の相手に任命してやる。ブルーはどこだ」
「ブルーはいない」
「あの猫め、どこ行った」
「夜の散歩かな」
「けっ。またシルバーグレーのかわい子ちゃんのところにプチ家出か?」
「今度は白のペルシャだったぞ」
「ったく、誰に似たんだ。しょーがねーなー」
「全くだ。ここの住人の中ではあいつが一番モテてる」
「ちぇっ。俺ら、猫にも負けてんのかよ」
「みたいだ」
「いーよなーブルーはよぉ。気楽でよぉ」
「羨ましいのか」
「だってさ、どんなにあっちの猫こっちの猫とイチャイチャしたって、親猫から『責任取れ』なんて詰め寄られたりしないだろ?」
「それは経験に基づいた発言か?」
「あーあ…俺も今度生まれ変わる時は猫に…そしたら…若気のいたりで…いたしまくりで…」
それっきり、耳元でホンピョの声は寝息に変わった
やれやれ…
漸く僕は寝室のドアを開け、ホンピョをベッドに転がした
ベッドの端に腰掛けた反動でホンピョの体が弾み、「うぅん」と寝返りをうった
大の字で伸びてるホンピョの靴下を、片方ずつ脱がせていると
「…この野郎…やる気か?…どっからでも…むにゃむにゃ…」
夢の中でもケンカっ早いらしい
危うくキックのとばっちりを受けそうになったけど、うまくかわした
「むぅ…順番順番…かわい子ちゃん達♪…」
どうやら今度は調子のいい夢を見てる様だ
お前を見てるとホント飽きないよ、ホンピョ…
ふとこんな事を想像した
例えば僕とホンピョが、子供だったとして、それで、一緒に遊んだとして…
僕が一つ一つきちんと積み上げた積み木を、こいつは頭突きで壊したり…
いじめっ子に泣かされた女の子を僕が優しく慰めていたら、ホンピョは棒きれを振り回していじめっ子を追い掛け回して…
そして先生に耳なんか引っ張られて逆に叱られて…
でも何を聞かれても言い訳しないで、ぶすりとだんまりを決め込んでるんだ
絶対そうだ
僕とは対極にいるタイプだもんな…
だから、僕は…
自分にない物を持ってるそんなホンピョが
気になって気になって仕方ないのかな…
ピクピク動くホンピョの瞼を眺めながら僕の口元も一寸綻んだ
「いい夢見ろよなホンピョ…」
ホンピョの頭をくしゃっと一つ撫でて立ち上がり、スタンドの灯を消し
僕は靜かに寝室の扉を閉めた
千の想い 150 ぴかろん
ラブとギョンジンに挟まれて目覚めた僕は、これ以上ここに世話になるわけにはいかないと、二人を起こさないようにそっと起き出した
テーブルに置手紙をして、僕はラブの部屋から外に出た
陽は高く上っている
もう9時前だ
そろそろ日常に戻ろう
そうすれば…仕事をしていれば…
考えずに済む
歩きながら先輩に電話を入れる
先輩は何かを感じ取っているらしい
まったく…あんなガタイのあんな性格なのに、触覚が鋭いからな…
『今日出てくる?無理すんなよ』
「…無理って…」
『風邪ひいたんだろ?』
「あ…いう…」
『今日も休んでいいじょー暇だじょー』
「…いえ…昼過ぎにでも…挨拶に…」
『挨拶?かたっくるしい…どしたの?風邪菌頭に回った?』
「…そう…みたいです…」
『…。無理すんなって…』
とにかく行きますからと電話を切った
本当に暇なのかどうかわからない
僕なんか居なくても会社は回っていくのだろう…
こんな…僕なんか…
ふふふ
昨日はラブが剃ってくれたヒゲも、今日は剃ってない…髪の毛もボサボサのまんま…
第一着替えがない…
服はギョンジンが洗濯してくれた
マメな男…
とにかく…
僕は日常を始めよう
それが僕の第一歩だ…
車をBHCの駐車場に置きっぱなしにしていた
朝なら誰もいないだろう
そう思って取りに来た
ポツンと僕の車が寂しそうに待っている
近づいてみると、なんだかキレイになっている
フロントガラスのワイパーにメモが挟まっている
『中身はまだだけど、あんまり可哀想だったんでピカピカにしといたよ。御礼はめちゃくちゃ美味しいフレンチでいいからね』
フグがにっこり笑った絵が添えられている
ドンジュン君だな…
その優しいメッセージを僕はサイフに仕舞った
キーをあけて乗り込んだ
通りをトラックが走りぬけた
何気なくそれを見ていた
ヨンナムの…トラックだ…
ヨンナムが笑っている
配達だろうか…
ヨンナムが笑っていた
なぜ…
僕は車から降りて、一つ向こうの筋に向かった
ヨンナムのトラックが停まっている
Casaの駐車場にエンジンをかけたまま
壁に隠れてそっと見る
ヨンナムの後ろ頭の向こうに重なっているのは
イナだ…
キス…なぜヨンナムがイナを…こんな朝から…ここへ…
ああ…RRHに迎えに行ってここへ送り届けた…キスを…
それとも…昨日の夜を一緒に過ごしてそのままここへ?
キスを…している…
微笑んで手を振り、casaに向かうイナ
イナの姿が消えるまでヨンナムのトラックは動かない
頭の中が白くなった
いいじゃないか 別れたんだ
いいじゃないか 誰とキスしようと
誰と夜をすごそうと 何をしていようと…
ヨンナムのトラックは僕に気付かず走り去った
僕は…車に乗ってヨンナムの家に向かった
引き戸の鍵を開け、中に入る
まっすぐ僕の部屋に向かう
必要な荷物をまとめる
何日か後にここに帰ってくるのだろうか
それともこのまま…
ふと、イナのモビールが揺れるのを感じた
返さなきゃ…いけないのに…
返す?
もしイナがこの家でヨンナムと一緒に居たのなら
わざわざ僕が返さなくても取りに来てるはずだよ…
そうだよ…あれはやっぱりヨンナムが朝、RRHにイナを迎えに行って…
どうでもいいじゃないか関係ない…
イナが誰と何をしようと関係ない…
トランクとブリーフケースを持って階段を降り、そのまま出て行こうと思ったのだが、ドンジュン君のメモを思い出し、居間にメモを残すことにした
それぐらいは礼儀だろう
荷物を玄関口に置いて、居間に戻った
布団が…畳んで置いてある
これは誰のための?
どきんどきんどきん
電話のそばにあるメモ帳に『しばらく会社近くのホテルに泊まる。気持ちが落ち着いたら帰る』と書いた
布団…誰のための…
胸騒ぎがした
無意識に台所に飛び込んだ
皿が、コップが、箸が…2つずつ
僕のじゃない皿、箸…
裏を覗いて見る
干された洗濯物
律儀なヨンナム
ヨンナムのものじゃない下着とシャツ…
誰のものか僕は…知っている…
泊まったのだ…イナは…ここに…
そうか…居間に泊まったんだな?
じゃあ…じゃあいいじゃない…
一人で寝たんだろ?そうだろ?!
なぜキスを…
なぜ微笑みを…
だってイナはヨンナムが好きなんだもの…
寝た?
一緒に?
もう?
そんなに…簡単に…
そんなはずは…
キスしてた…
キス…
おかしくなりたかった
なれない自分に腹が立った
ピピピ…チチチ…
ああ…『イナ』
なんだ?エサは貰ってるんだろ?
水?
換えてやるよ、待ってて…
僕は小鳥の水を換え、それから荷物を持って鍵をかけてヨンナムの家を出た
何をどうしていいのかわからなくなった…
日常に戻らなくちゃ…
そうだ…先輩に挨拶…
いいじゃないか 誰と何をしようと
僕達は 別れたのだから…
訪問者4 オリーさん
店から出てきた君は、煙草に火をつけた私の方へゆっくりと歩いてきた
街頭の薄明かりを背に受けた君のすらりとしたシルエットは
暗闇の中でもそのしなやかな筋肉が容易に想像できるほど魅惑的だ
「どこに行きましょうか?」
君の落ち着いた声が薄明かりの中、秋の冷気をくぐりぬけ私の耳をくすぐる
「君におまかせ・・でいいかな」
君は小さく頷いた
「韓国の料理は食べてます?」
「ホテルの朝食でお粥という物を間違って食べた」
「間違って?」
「クラムチャウダーだと思って注文した」
君は吹き出した
「全然違うじゃないですか」
「その・・とろとろ加減がチャウダーかと」
私の間の抜けた答に君は気持ちよさそうに笑った
「他には?」
「焼肉を」
「それだけ?」
「まあ・・」
「たまに店の帰りに寄る店があるんです。ちょうどマンションと店の中間くらいに」
「ほお・・」
「韓国の料理、食べてみませんか」
「いいよ。挑戦してみよう」
「じゃ散歩がてら歩きませんか」
君はそう言って私を誘(いざな)って歩き出した
しばらく歩いたところで
携帯の着信音が君のジャケットのポケットから聞こえた
君は僕に軽く会釈すると携帯を耳にあてた
あの彼からだろう
「兄さん、何か用?」
「え?何のこと?」
「大丈夫だよ」
「子供じゃないんだから」
「何だって?」
「わかった、わかった」
君は苦笑して電話を切った
「お兄さん?」
「ええ」
「よっぽど私が気に入らないようだね」
「すみません。そういうわけじゃないと思います」
君はちょっと首をすくめた
「ただちょっと別のことがあって神経質になってるんだと思うんです」
「あの若い彼と喧嘩でもしてるの?」
「いえ、あの二人じゃなくて、ちょっと別のことで・・」
君はそれ以上のことは言葉を濁した
悩み多き人生は実り多き人生でもある・・
そうなのだろうか・・
しばらく歩いて君は小さな店の前で立ち止まった
「ここなんですけど、いいですか?」
「別にかまわないよ」
「店がまえは大したことないけど、安くて美味しいんです」
「よし、入ろう」
店の中も外見と同じくこじんまりしていた
右手に小さなカウンター、その奥に厨房、左手に座敷があった
古くて狭いが、磨きこまれたカウンターから手入れのよく行き届いた店だとわかった
店員が君をみて、笑顔で声をかけてきた
「今日はいつもとお相手が違いますね」
「韓国料理の初心者をつれてきました。よろしく」
「それはそれは。席はカウンターにします?」
「そうだな、座敷にしようかな」
「じゃあ、あちらにどうぞ」
店員は私にも愛想のいい笑顔を向け狭い店の奥の座敷を示した
ちょうど座敷に座ったところでまた君の携帯が鳴った
君は出る前から軽いため息をついた
「用もないのにかけてこないで。切るよ」
電話に出た君はいきなりそう言い放った
お兄さん・・だね
私は思わず笑みを漏らした
「どこに行くって、洒落たレストランを探してるとこ。兄さんいいとこ知らない?」
どうやら君はお兄さんからの電話を楽しむことに決めたようだ
「とにかく豪華なディナーを楽しむから。じゃ切るよ」
君はいたずらっぽい微笑みを浮かべて電話を切った
「神経質にもほどがありますよね」
そう言いながらも君はちょっとうれしそうだ
「最近ご無沙汰でしたね」
お茶とメニューを持ってきた先ほどの店員が君に話しかけた
「ちょっと彼がダイエットしてたもんで」
「ダイエット?あの人が?」
「そうなんです」
「ダイエットするほどでしたっけ?」
「ちょっと事情があって」
君は肩をすくめた
「そうかあ。あの人がねえ。でも時々は顔見せてくださいよ」
「かなり落ちたから、またそのうちにね」
「じゃ、注文決まったら呼んでください」
君と彼の行きつけの店、
そこに君は私を・・
「半年ほど前に店の帰りにおなかが空いたので、たまたまこの店に入ったんです。
そしたら、結構美味しくて。それ以来時々店が引けた後来るんですよ」
「そう・・」
「でも最近彼がダイエットしてたもんで、ちょっとご無沙汰しちゃってて」
「ダイエット?」
「ええ。例の映画のために体重落とす必要があって」
「本格的だね」
「役柄が若干若い設定なので、少し絞ったんです」
「君がトレーナー?」
「もちろん。ビシビシとやりました」
「こりゃたまらないね」
あの彼が君に絞られている図というのはちょっと想像しがたいが
目の前の君の目には自信が満ち溢れていた
「適当に注文していいですか?」
「そうだね、君にまかせるよ」
「辛いのは大丈夫ですか?」
「嫌いではないが、まあ私は初心者だから」
「わかりました。軽めでいいですよね」
君はざっとメニューに目を通すと、手をあげて店員に合図した
店員はすばやく私達の席にやってきた
「ええと、チヂミを。海鮮とニラで。あとは豆腐チゲとトッポッキを。
チゲはちょっと辛味をおさえて」
「今日のおススメは春雨の煮物ですけど、いかがです?」
「じゃあ、それも」
「毎度でーす」
感じのいい店員はすばやく注文をとると厨房の方へ消えていった
と、また君の携帯がわずかに振動したようだ
君はまたポケットから携帯を取り出すとため息をついた
「どうしたの?ちょっと間隔があいたみたいだね」
「今ね、すごい洒落たレストランに着いたよ」
「どこだっていいだろ。これから食事だから。じゃね」
君のとぼけた芝居もなかなか楽しい
「今度かけてきたら、先生出てみます?」
「私が?」
「脅かしてやりましょうか」
私は君を見つめて真面目な顔で頷いた
君はにっこりと笑った
しばらくすると君の頼んだ料理が次々と運ばれてきた
「これは?」
「トッポッキ。もちもちしてて美味しいですよ。ちょっと甘辛なタレだから大丈夫でしょ?」
「ふむ。面白い食感だ。このパンケーキの薄いのは?」
「チヂミです。韓国風パンケーキですね。このタレで食べて」
「このタレがなかなかいいね」
「気に入りました?」
「うむ。このヌードルは?」
「これは春雨です。今日はちょっと辛めに味付けしてあるけど大丈夫ですか?」
「うん、うまい」
「豆腐チゲ、お待たせしました。水キムチはおまけです」
店員は熱々の器と小さな器を二つ置いていった
君は店員にお礼を言って、私を振り返った
「これ、水キムチです。さっぱりしますよ。スープも飲んでみて」
「これは果物?」
「梨です」
「梨か・・なかなかいける」
「こっちの豆腐チゲは体が温まりますよ」
君はそのチゲを取り分けてくれた
食事というものはやはり一人でするものではないな
私は目の前にいる君を見て、そう思った
その時また君の携帯が鳴った
君はいたずらっぽい目で私を見ると携帯を開いた
「兄さん、いい加減にしてよ。今注文したとこだよ!
それより、食事の後どっかで飲もうかと思ってるんだけど、いいお店しらない?」
「危険ってなんで?」
君は額に手をあてて、笑いをこらえながら応対している
私は君の手から携帯を抜き取った
受話器からあながちまんざらでもないストーリィが聞こえてきた
お兄さんは豊かな想像力をお持ちのようだ
「お兄さん、心配しないでください。僕は彼にそんな危害を加えたりしませんよ。フハハハ…
それより僕の声はそんなにいやらしい声ですか?ハハハハ」
お兄さんは「げ・・」といううめき声を上げた後、一言「いえ」と答えた
私は笑いながら君に携帯を返した
「兄さん、それって昔の兄さんの手口だったんだろ?近くにラブ君いないの?暴露してやろうか」
君は物騒なことを言いつつも無邪気に笑いながらじゃあね、と電話を切った
「お兄さんはやり手だったの?」
「あ、ええ。すごい勢いでもてまくってました」
「それはそうだろう。魅力的な人だからね」
「僕も全部彼女盗られてました」
「え?」
「子供の頃から彼女が出来るたびに盗られちゃってました」
「それは・・」
「僕の持ってる物、全部欲しかったみたいです」
君は屈託なく笑った
たぶん違うだろう
君の物がほしかったわけではない
やれやれ、君を想う人は本当に誰もが手強い
その後すぐまた携帯は音をたてたが、君はすぐに切ってしまった
けれど次の呼び出しには再び律儀に電話に出た
「ねえ、飲む場所でいいとこない?」
「居酒屋とか屋台はだめだよ。相手が先生だから。豪勢なとこじゃないと」
「え?どこ?」
「ラブ君の家?もういいかげんにしてよ。今夜はもうこれきりにしてよね」
君はフリップを閉じて大きなため息をついた
「すみません、落ち着かなくて。せっかくの食事なのに」
「いや、いいんだ。お兄さんも一緒にいるみたいじゃないか」
「先生、皮肉に聞こえます」
「いや、全然。私は楽しんでるよ」
「でも、いいかげんうるさいですよね」
そう言うと、君は再びフリップを開き何やら操作した
「着信拒否にしましたから」
「それは、お兄さん気の毒だね」
「いいんです。他に心配することがあるはずですから」
「そうなのか」
それから、私にとって初めてと言ってもいい韓国の料理を楽しんだ
最後の方に、また店員が小ぶりな皿を二つ持ってきた
「ビビン麺。ちょっと辛めだけど、こちらの方にどうかと思って。サービスですよ」
「ありがとう」
「これはどうも」
細やかな店員のサービスも心地よい
君はさっそく箸のようなもので、私の皿の麺を具と混ぜ込んだ
「こうやってタレと具とよおく混ぜるんですよ」
私は肩肘をついて君の手元をじっと見ていた
君の手は器用に動き、麺と具をまんべんなく混ぜていった
器用に動く君の手と、その中の銀色のチョップスティックス・・
「食べてみてください」
ひとしきりかき混ぜた後、君は皿を私の目の前に置いた
その麺は最初甘辛く、後から辛さがじんわりとやってきた
「君、これはちょっと辛いな」
「そうですか?先生、まだまだですね」
君はまたにっこりと笑ってその麺を口に運んでわざと平気な顔で食べた
私も負けずに食べたが、一口食べるごとにお茶を飲んだ
それを見て君が笑う
最高の食事だ
「ところで、その映画とやらはどんな内容なのかな?」
だいたいの皿が空になったころ、私は君に尋ねた
「そうですね・・一言で言うと、ひとりの男の再生の物語です」
「で、君のあの彼の役どころは?」
「んと、主人公の最初の相手・・です」
「というと、主人公はあのチーフだったね」
「はい」
君は下を向いたまま、水キムチのスープを口に運んでいた
「興味深そうな映画だね」
「そうですね」
君は相変わらずスープをすすっている
「WTCはまだ終わっていない。あちこちで色々な形で影響を及ぼしている」
「あの監督さんは随分考えてあの映画を決めたそうですから」
君はやっと顔を上げた
が、瞳の焦点がわずかにぶれていた
私は適度な満腹感を味わいながら、気持ちよくその店を出た
もちろん君がおごってくれたせいもあるだろう
「今日は突然押しかけてすまなかったね」
「いえ」
「それじゃあ・・」
「先生」
「ん・・」
「どこか飲みに行きませんか」
思いがけない君の言葉だったが、私はどこかでそれを予感していた
千の想い 151 ぴかろん
目が覚めた時、テジュンはもう居なかった
バカは昨日の深酒が効いているのかぐーすか眠っていた
俺はそっと起き出してテジュンの姿を探した
テーブルに残された手紙を、俺は時計の棚に仕舞いこんだ
テジュン…
大丈夫?
仕事してた方が…気が紛れるの?会社の近くに宿を取るの?なんで…
ここに居ればいいのに…居てくれればいいのに…
ガタンゴトンいでっひーん
バカが起きた
もっと寝てろよ!何も考えられやしない!
「おは…おはよ…ラブ…頭痛い…がんがんがんって」
「寝てれば?」
「らってお前起きてるしジジイもベッドにいないしっひーんがんがんがんって」
俺はバカに水をやった
「ジジイと変なことしなかった?あああがんがんがんって」
「っるせーなぁもう…」
「ジジイは?ひぃぃんがんがんがんってぇぇ」
「だから寝てればいいじゃん!」
「キンキン言わないでっひひーんがんがんがんって」
「一々がんがん言わなくていい!」
「ジジジジイは?」
「…出てった…」
「…出てった?」
「会社に行くって」
「…会社…」
「仕事してるほうがいいってさ」
「ふむ。そりゃそうだろう。あの人仕事人間だからなーがんがんがんっひいん。でも時間まだ早くない?」
「だから寝てなさいよ!」
「うにゃ!電話しなきゃいけないしっ!」
「あーそー…」
「…で?ジジイは朝飯食べてったの?」
「し…。食欲あんまりないって…。なんか…えっと…服とか書類とか取りにいくって…」
「ふーん。服とか書類とかってヨンナムさんちにあるんだろ? ヨンナムさんと出くわさないのか?」
「さぁね。配達してる時間帯狙うんじゃない?それに車もBHCに置きっぱなしだし…」
車を取りにいくとなると…casaに近づくよな…
イナさんに会うかもしれない…大丈夫?テジュン…
「ふーん。そ。まあいいや」
がさごそがさごそ
チャッ☆「…むぅ…むむぅ…出ないじゃない…」
「あんた、着信拒否されてんじゃなかったの?」
「だからRRHに電話してるんだ!なんなんだ!みんな寝てるのかっ!」
「みんなって…イナさんとギョンビンの二人しかいないんだろ?」
「だっから!どっちかが出るだろうっ!」
ちょっと興奮したバカは、途端にこめかみを押さえて蹲った
ばーか!
「ひぃぃん…出ろよぉぉ…出ろよぉぉ…」
俺はバカを放っておいて顔を洗いに行った
ヒゲ剃ったり髪の毛整えたりしてからリビングに戻った
「ひぃぃん…出ろよぉぉ…出ろよぉぉ…」
さっきと同じ言葉を繰り返している
俺はバカを放っておいて湯を沸かした
コーヒーが飲みたかったから…
戸棚からコーヒーの粉を取り出し、フィルターにセットする
いつもならこのバカが「ミルでゴリゴリしてあげるー♪」とか言って豆から挽いてくれんのに…
「ひぃぃん…出ろよぉぉ…出ろよぉぉ…」
ピー
ケトルが音を立ててカッカしてる
俺はそのお湯をコーヒーの粉に注ぐ
いい香り…
「アンタも飲む?」
「ひぃぃん…出ろよぉぉ…出ろよぉぉ…」
「あっそ」
いらないのね
それどころじゃないのね…
俺は自分の分だけコーヒーを淹れ、バカの前に座ってそれを飲んだ
バカは涙目で俺に訴える
「出ない…」
「ふーん」
「どうしよう…あの教授とナニのアレだったら…ああおお…」
「大丈夫でしょ」
「だって!ミンチョルさんいないしっ!食事したんだよっ食事!それに飲みに行くとか言ってたしっ!(@_@;)」
「ギョンビンちゃんとしてるし、教授は紳士だからさ」
「だって!」
「RRHに帰ってるって」
「だって出ない!」
「だーから!着信拒否してるんじゃん!RRHの電話、かかってきたナンバー解るんでしょ?」
「でもだって!…イナは?なんで出ないのさ!」
「casaに行ったんだろ。朝早いんじゃないのぉ?」
「でもだってでもっ。…ううううう…」ちゃっ☆
バカはまた電話をかけている
「アンタさぁ…」
「なによっ!」
「テジュンにさぁ、『執着しすぎて嫌われた』とかなんとか言わなかったぁ?」
「…」
「アンタ、ギョンビンに嫌われるよぉ」
「でもだってこれはおにいちゃ…兄として心配なだけでっ(@_@;)」
「嫌われてもしーらないっ。ていうかぁ…『着信拒否』されてるっつーことはぁ…もう『嫌われ始めてる』ってサインじゃねぇのぉ?」
「…(@_@;)…(。_。)(゜q゜)…(-△-)…(~。~)…(_ _ )」
しょんぼりとフリップを閉じて立ち上がったバカは「もう少し寝ます」と俺の寝室に戻ろうとした
「あ!俺さぁ」
「…なぁに?」
「ちっと時計の仕事の関係でぇ」
「ん」
「昼間、っていうか、朝御飯食べたらっていうか…出掛けるから」
「…」
訝しげな目つきだな…
ついてこられちゃ困る
「あんた…どうする?一緒に来る?」
こういう場合は心理作戦だ
ギョンビンの事でいっぱいいっぱいの上に二日酔いでヘロヘロだから…
こうやって俺が誘ったらこいつはきっと『誘われた』という事実に安心してついてこないはず…
「僕…寝てます…」
「そうなの?」
やた!
「起きたら一度RRHに帰ります…ジジイも会社行ったし…イナも心配らし…ギョンビンも…ほんとにちゃんと帰ったかどうか確かめないと…」
…ふん…
俺は心配じゃないのかよ…
「んじゃ寝ます…」
「鍵、かけて出てよ!店で貰うから!」
「あい…」
とことことこ…パタン
バカが扉の向こうに消えた
ほっとすると同時に少し寂しく思う
寝ても覚めてもギョンビンが一番かよ…
ふー
簡単な朝食を済ませ、寝室の奥のクローゼットに入り、服を選ぶ
バカは、はぁんはふーんほぉんへひーんとため息の雲を吐き出している
部屋から出ようとした時、バカがちらっとこちらを見た
近づいて、突き出た唇にチュッとしてやった
目を丸くしている
…マズかったかな…いつもと違う行動だ…
ピースサインをしてニコッと笑ってやるともっと目を丸くした
それで俺はそのピースでバカの目を突く真似をした
バカが慌てて目を閉じたので、バカの顎を掴んで揺さぶってやった
「ひいいんがんがんがんってぇぇ」
「がんがんがんってしてて大好きな可愛い最愛の弟に嫌われかけてて着信拒否されて元気なくて可哀想だからチュッてしてやったのに何だよその顔はええ?」
仕上げに爪でバカの下唇をぎゅううう…
これで大丈夫だろう…
くひんけひんと泣きながら、バカは俺の枕を抱きしめている
「よだれつけたらケツ蹴飛ばすぞ!」
「ひぃぃん…」
怒鳴りつけて寝室から出た
はぁ…
手に持ったくすんだピンクの花柄のシャツ
テジュンが買ってくれたそれを、俺は身につけた
何でこれを…選んだの?俺…
ただテジュンが心配で…
今日どこに泊まるのか確かめたくて…
そう…テジュンの会社に行ってみようと思ったんだ…
鏡の前でヘアスタイルを整え、サングラスをかけてニコッと笑ってみた
ぎこちない笑い方…
玄関を出ようとして俺はリビングを振り返った
その奥の、俺の部屋の扉を見つめた
引き止めないの?
心配しないの?
俺が…どこへ行くか…気にならないの?
「いってきますっ!」
大声で奥に叫んだ
返事はなかった
「…ばか…」
呟いて家を出た
ヨンナムの家を出てから、僕は会社の近くまで車で行った
ほぼ向かいにあるホテルに今夜から何泊かの予約を取り、荷物を預けた
それから…
先輩に会いに会社に行った
知り合いに見つかるのがいやで、10階まで階段を使った
ここを昇るのは2回目だ
あれは…先輩に…イナを紹介した日だったな…
先輩…僕達…
途中何度も立ち止まりながら僕は10階のフロアに着いた
息が切れ、汗もかいていた
化粧室で顔を洗い、鏡に写った情けない男の姿を見る
執着しすぎると嫌われるよ…
ふ
イナはヨンナムのもとへ行った
ふふ
僕が今まで縛りつけていたから
ふふふ
こんな…しつこい男…嫌われて当然だ…
ふはははは…
もう一度顔を洗い、僕はオフィスに向かった
ドアを開けると誰もいなかった
奥のデスクに組まれた足の裏が見える
「…あの…」
「おお?テジュン!」
ギイガタガタンと先輩が身を起こし、ニコニコと僕に近づく
「お前、これはないだろう」
「は…」
「誰よお前は」
先輩は僕の髪と顎をツンツンと指差して言った
「いくら病み上がりだからってぇ…出社する気なら散髪行ってだなぁ…もうちっとピシっとしろよ」
「…はあ…」
「なんかあったのはわかってる」
「…」
「だいたい想像はつく」
「…先輩…」
「そんなボロボロじゃやけぼっくいに火もつかんわい!」
「…」
「しつこいお前がえらく諦め早いなぁ」
「…しつこいから…離れたんです…すっきりするかと思って…」
「…ふーむ…重症…。で?仕事に逃げるパターンか?」
「…はい…」
「そーとー重症…」
「…すみません…」
「ま、いっか」
「は?」
「離れるのは正解かもね♪」
「…」
「明日から来る?今暇だからみんな休んでもらってるんだけど」
「…会社、回ってってるんですか?」
「うん。大丈夫。ほんっとに暇なの、今。だからこの間に俺も『副業』に打ち込んでるしぃ」
「『副業』?先輩そんな事してたんですか?」
「ひひ」
「なんなんですか?『副業』って…」
「いやぁん…ひ・み・つ」
「…」
「なんだよ!ツッコミ入れろよぉジャンス寂しい~」
「…。お笑いですか?副業って…」
「ひひっ。秘密よ秘密。ひひひひー」
陽気な(妖気というべきだろうか)先輩と話をしていると、気持ちが落ち着いた
この暇な時期に、これまでの研修や講演会の記録などを整理したいと思った
「目の前に宿を取りましたから、いくらでも残業できます」
「ぶー!人件費かかるぅ電気代かかるぅ!ぶーぶー」
「儲かってるんでしょ?いいじゃないですか、投資ですよ」
「ぶー!…まぁいいか…ボランティアだよな…」
「は?」
「おめぇのリハビリの!」
「…はぁ…すみません…」
「この恩は一生わすれるべからず!」
「…」
「あら?感謝してないの?」
「…してますよ…」
ムカつく言い方…
でも…見事にくすんだ気持ちを入れ替えてくれる
さすがは先輩だと思う
それから僕は会社を出て、なんだか解らない『先輩の副業』を想像しながら街に出た
散髪…身だしなみ…整えなければと思いながら
幾つもの店を素通りして歩き続けた
道を挟んだ向こう側に洒落た店があった
ショーウインドウに、黒いシャツを着た男のマネキンがいる
イナに買ってやった黒いシャツを思い出す
いや…イナを…思い出す…
僕は目を逸らす
胸が苦しくなる
自販機でタバコを買った
路地に逃げ込んでタバコを吸った
ちらりちらりとその黒いシャツを見る
苦しくなるのに僕は思い出す。そしてその場から離れられない…
一体今は何時だろう
目が回る…
そう言えばメシも食ってない
ぼんやりと辺りを見回し、また時々そのショーウィンドウを眺めながら
その場所に僕は随分長い事突っ立っていた
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