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ぴかろんの日常
リレー企画 241
千の想い 195 ぴかろん
*****
唇を噛みしめてテーブルの灰皿から動かなかったイナの瞳が突然驚きの色に染まった
せわしなくあちこちに飛ぶ視線
イナは何かを見つけようとしているのだろう
声をかけても無駄かもしれない
そう思いながら僕はヨンナムの言葉を伝えた
「ヨンナムがお前を好きだって。ずっと一緒にいたいって…。でもそれは『友達』としてだって」
瞳が一点で止まる
焦点は合ってない
心の中を探っているのか
僕の声は聞こえただろうか…
何度か瞬きをした後、イナは言った
「聞いた…さっき…」
「…それから、自分の事は気にするなって…気持ちがはっきりして前途洋々だって…そうお前に伝えてって…」
「…」
止まっていた瞳が左右に動く
僕は彼の気持ちを確かめようとした
「お前は…本当にヨンナムが好き?ずっと一緒にこれからの時間をあいつと過ごしていきたい?…『恋人』として…」
「…」
「僕に戻ってなんて言わない。お前の気持ちを聞きたいだけだ。聞かせてほしい…」
「…俺は…」
「ヨンナムはお前を『友達』だって言った。それでもヨンナムが好き?」
「…好きだ…」
「…恋人として?」
「…ああ…」
一点に留まった焦点の合わない瞳を見つめた
頑なに閉ざされた心
僕に呆れ果てているんだろうな…
「…。わかった…」
テーブルから離れ、ブリーフケースと上着を持ってキーをイナの目の前に置いた
「僕、会社で仕事するから。お前ここで眠って。朝出て行く時フロントにキーを預けといて」
「…」
「ゆっくり休んでね」
僕は微笑んでイナを見つめた
イナの瞳は空を見て動かない
大好きだよ
『抱きしめてやれよ』
資格がない
『イナはずっとお前を見てる』
…ヨンナム…
『イナの恋人はお前だ』
イナは僕を拒絶している…
ドアに向かう
心がイナにしがみついている
ドアを開けて廊下に出た
僕の背中でドアが閉じようとしている
その隙間から何かが聞こえた…
*****
テジュンがヨンナムさんの言葉を繰り返す
ヨンナムさんにとって、俺はただの『友達』なのだと
それでも…好き?『恋人』として好き?
俺は短く肯定した
一人になりたくないと呟いたヨンナムさんが、俺の心を漂っている
スヒョク
ギョンジン
一人にさせたくないんだ…
あの時は、俺にはテジュンが居て、ソクの傍にはスヒョクが居て、ギョンジンにはラブが居たんだ
でも今ヨンナムさんの傍には…
テジュンがカバンやらジャケットやらを抱え、それからテーブルに部屋のキーを置いた
俺にこの部屋で眠れと言う
自分は会社で仕事するからと
ゆっくり休んでね
そう言ってドアに向かった
俺は…一人になる…一人になってしまう…
何しにここへ来たんだ、俺は…
何で会いたいと思ったんだ俺は…
『自分に嘘つくの一番キライなんじゃないの?…残りの人生ずっと嘘ついて生きていくの?』
『…誤魔化すのか?自分を』
スヒョク…ギョンジン…
『嘘ついたまま一生送る気か?!そんな事、僕がさせない』
ヨンナムさん…
悪い魔法にかかってるんだ
その魔法をかけたのは僕
だから魔法を解いてあげるね
だけど完全に魔法を解くには
かかった人も努力しなきゃなんないんだ
お前と僕にしかできないんだよ
いいね?
テジュンが好き?
…す…き…
行ってしまう
テジュンが行ってしまう…
魔法を…解くには…
俺が…
沈んでいた想いが小さな渦を作る
その渦が少しずつ丈を伸ばしながら
瞬時に俺の体の中を昇る
渦に蹴散らされたあとに
目を逸らしていたものが見える
「…い…かないで…てじゅ…」
詰まった喉の奥からか細い声が出た
*****
完全に閉まりきる前に僕はドアを押し戻し、部屋に入った
空耳?僕を呼んだ?
僕はイナのところに歩み寄った
虚ろな瞳のまま、イナは僕を見た
目が合った瞬間、その瞳の膜が溶けた
「…イナ…」
たまらず抱きしめた
身を硬くしていたイナが小さな声で僕の名前を呟いて崩れ落ちた
僕は彼を更に強く抱きしめた
「イナ…イナ…お前が好きだ」
「俺…テジュンが…す…き…」
体を僅かに離してイナを見つめる
潤んだ瞳が歪み
硬かった顔が歪み
閉じていた唇の隙間から僕の名前が溢れ出す
イナの頬を包み間近に寄せた
こみ上げてくる涙を抑えられなかった
「…てじゅ…ん…の…香り…」
呟いた唇に唇で触れる
僕の名前に触れる
僕の名前を呑み込む
それから深くイナにくちづけをした
*****
テジュンが俺を抱きしめた
俺の体は石のように硬くて
身動きできなかった
テジュンに包まれてその名前を呼んだ時
俺を支えていた黒い棒が折れたような気がした
テジュンは更に俺を力強く抱きしめる
テジュンの香りが体一杯に溢れかえる
砂で全部隠したはずなのに
それはほんの少しの間のことで
くるりと返された砂時計は
溜めていた砂を落とす
隠しておいたものが見えてくる
大切だからここに埋めてしまおうと
そう思っていたそのまんまの塊が露わになる
好きという気持ちが声に乗って出て行く
閉じ込めていた塊が
魔法を解かれて放たれる
ずっと
口にしたかったその名を
唇が声にする
ひとつ名前を呼ぶたびに
俺の中で光が舞う
テジュンの掌が俺の頬を包み
俺の目にテジュンの震える睫毛が写った
ぽとりとテジュンの涙が俺の頬に落ちた
瞼を閉じて深く息を吸った
「…てじゅ…ん…の…香り…」
柔らかな唇が重ねられる
俺はその名前を呼び続ける
一番欲しかった唇が俺を包み込む
セピアの残像 7 れいんさん
あの人がそこにいる
手を伸ばせが届くところに
その憂いた瞳には、いったい何が映っているの?
まるで言葉を忘れたように
意識だけがどこかを浮遊しているように
きっとその瞳には私の姿は映っていない
空想の中の私なら、あの人をこの胸にかき抱く事ができるのに
今の私にできるのは伸ばしかけたその手を力なく下ろす事だけ
あの人と私を隔てる深い川
その川を渡り、あの人と共に歩くのは私ではない
姉と弟、その関係は永遠に変えられない
その境界を越えてしまったその先に待っていたもの
それは苦しみでしかなかったはず
それでも時折、考えてしまう事がある
何にも縛られず生きられたならどんなにいいかしらって
あなたの心が誰を見てても構わない
頑なに私を囲う壁を壊し、本当の私を曝け出し
形振り構わず泣きじゃくって
あなたに気持を伝えられたら・・
それでも今
私の心が悲鳴をあげても
私は私を演じ続ける
まだ幕は下りていないのだから
軽く頭を振って立ち上がった私は、ぼんやりしているあの人に言った
「まず熱いお風呂に入るの。考えるのはそれからにしましょう」
戸惑い顔のあの人をバスルームのドアの向こうに押し込むと
着替えの用意をしたり、温かい飲み物の支度をした
何かをしていなければ粉々に砕けてしまそう
それなのに、この家に残されている『あの人達の日常』は
私の心をかき乱す
残酷に無機質に至るところに存在して
深く息をつき、もう一度自分を組み立て直した
私の中に息づく炎
それはこの手で消してしまおう
大丈夫
私は平気
哀しいなんて思わない
そんな呪文を呟きながら
熱いバスタブに浸りながら、窓ガラスを伝い落ちる滴を見ていた
音のない静寂は優しく僕を包んでくれる
こうしていると、どこまでが現実なのか
曖昧だった意識の片を繋ぎ合わせる事ができた
そこには、時を止め、感じる事をやめようとしてた僕がいた
コックを捻り熱いシャワーを浴びた
不甲斐ない自分自身を全て洗い流してしまいたくて
ほとばしる熱い滴に僕は次第に覚醒していく
何が一番大切で、何が一番必要で
それは誰にとってなのか・・
自分に嘘をつかず、誰も傷つかず誰も苦しまず
僕の大切な人達も、僕自身も、誰も何も失くさないで・・
それはただの綺麗事で
そんな事は不可能で・・
求めたいともがいても、その答えはいつも鼻先をすり抜けていく
辿り着いたと思っても蜃気楼のように霞んで消えて
シャワーの雨は痛いくらいに激しく降り注ぎ
愚かな僕をそぎ落としてくれた
去っていったあいつへの想いだけを残して
濡れた髪を拭きながらバスルームを出た
キッチンにいたウンスは僕に気づいて顔を上げた
立ち込めた白い湯気の向こうでウンスは微笑んでいた
ゆっくりとその視線が手元に落ち、ウンスは言った
「熱いお茶を淹れてみたの。勝手にこんな事してスハさんが気を悪くしなければいいけれど。あなたこの事は内緒にしててね」
申し訳なさげに肩をすくめてみせるウンス
「カップやソーサーはきちんと整理してあったからすぐに分かったんだけど、肝心のお茶がどこにあるのか分からなくて・・これ、あなたの口に合うかしら」
器用な手つきでお茶の支度をするウンス
それは一緒に暮らしていた頃、よく目にしていた光景で
その癖やその細い指先はとても懐かしくて
そして哀しかった
これ以上ウンスに迷惑をかけるのは心苦しい
優しくされる資格なんて僕にはないから
カップが触れ合う音が聞こえる
僕はそれを制して言った
「・・ごめん・・ウンス」
ウンスは手を止め次の言葉を待つように僕を見た
「もういいよ・・もう大丈夫だから・・ありがとう」
ウンスはゆっくりと瞬きをした
「・・いいから早くここに座って」
ウンスは僕の背中にそっと手を添え
オープンカウンターのスツールに僕を座らせた
カウンターの上にはティーポットと揃いのカップが二つあった
「それを飲んだら出かけましょう」
「出かけるって・・どこに?」
「だってあなた・・何も食べてないんでしょ?何か作ってあげたくても何がどこにあるか分からないし
これ以上キッチンを触るのも、もし逆の立場だったら嫌だもの」
「ごめん・・悪いけど・・何も食べたくない」
「ダメ。食べたくなくても食べなきゃ」
「・・」
「ちゃんと元気になってくれないと私の任務が終わらないでしょ?エジュさんに叱られるわ」
「でも」
「もう黙って。こう見えても私言い出したら聞かないのよ。知ってた?」
「ウンス・・」
「義姉の言うことは大人しく聞くものよ、ね?」
そう言ってウンスはカップにお茶を注いだ
スハが言っていた事がふと胸を掠めた
ウンスが僕を愛してる・・
あの時スハはそう言っていた
ウンスが僕を・・兄ではなくこの僕を・・
それは・・本当なのだろうか
ウンスの横顔をじっと見つめる
淹れたてのお茶をそっと差し出すウンス
どうしたの?と言いたげに僕を覗き込むウンス
弾かれたようにカップに視線を戻す僕
カップの底の花の絵が液体に透けて小さく見える
そこに答えが書いてあるわけでもないのに
それをじっと見ながら僕は思った
例えばそれが事実だったとして・・
それを聞いたところで
僕の中で何かが変わるというのだろうか
失くした時間はもう帰らない
ウンスを愛してた
ウンスと一緒に暮らせるのなら
どんな形でもいいとさえ、あの頃の僕は思っていた
でも今の僕がウンスに何をしてあげられる?
もう一度ウンスの手を取る事ができるというのか
自分の心に問いかけてみる
ウンスと暮らした頃の僕
スハと暮らしてからの僕
過ぎていく時間の中で
川の流れが次第に地形を変えていくように
あの頃の僕の想いは少しずつ形を変えていった
気がつくと、乾いた大地に雨が沁み込んでいくように
いつしかスハが僕を潤す存在になっていた
だからもう・・あの頃の僕はいない
もし僕がウンスにしてあげられる事があるとしたら
それはその美しい微笑みを
もう二度と曇らせたりしない事
凪いだ湖面に波紋を投げかける・・ウンスはきっとそれを望んでいない・・
傷ついた哀しい記憶も
傷つけた苦い記憶も
いつかは思い出に変わるのだろうか・・
変わらなければ辛すぎて
変わってしまえば切なくて・・
ウンスが淹れてくれたお茶はとても温かくて
少しだけほろ苦い味がした
千の想い 196 ぴかろん
*****
唇を離して僕はイナを見た
僕を見つめる瞳に吸い込まれ、また彼の唇を吸った
イナのシャツのボタンを一つ外した
指先に感じるイナの肌に煽られ、もう一つ、ボタンを外そうとした
イナの手が僕の手首を捉まえた
我に返った僕はイナから少しだけ離れた
捉まえているその手にそっと口づけを落とし、僕は自嘲気味に言った
「…ふ…。ごめん…。変なことしないって…言ったのにね…」
イナの手を握り締めた後、僕は会社に行ったほうがいいなと呟いた
「ここに…いて…テジュン…」
「…イナ…」
「…話したいことが…俺達、話さなきゃなんないことがいっぱい…あるよな?」
「…うん…そうだね…」
イナはゆっくり微笑んで僕の頭をそっと撫でた
久しぶりに見たイナの笑顔に胸が震え
僕はみっともないぐらい大泣きしてしまった
そんな僕をイナは抱きしめて頬擦りしてくれた
*****
「あいつらどぉしてますかねぇ。ねぇそくさん」
「ふぁ?あ…すひょく…おねがいだからっ…ゆるしてっ…」
「へんな寝言言わないでください!」
「そくさん寝ちゃった?」
「さあ。タヌキ寝入りかもしんない…」
「そっかぁ…」
「布団、敷きますか?」
「適当に…」
「はい」
僕等三人は、結局居間で宴会して雑魚寝のコースを辿った
ソクさんが早くに潰れたのが一番の理由だけど、ソクさん、わざとかもしれない
スヒョク君はブーブー文句言いながら、それでもやっぱり安心した顔をしている
不思議な二人…いいな…こういう繋がりって…
あいつら…うまくやってるかな…
僕も…僕にも良い人が現れるかな…
疲れていたんだな、僕
知らない間に寝てしまった
夢を見たような見なかったような…
彼女が出てきたようなそうでないような…
よく頑張ったねって小さな声がして
僕の頬にキスしてくれた
それから僕を抱きしめて
よしよしって頭を撫でてくれた
気持ちのいい夢だったな…
「素敵な恋人が見つかるよ」
耳に囁かれたような気がした
*****
朝、配達できる状態の人は俺だけだったので(俺は夕べあまり飲まなかった…万が一に備えていたのにっ!(-_-))
ヨンナムさんのスケジュール帳を確認して配達に行った
俺って親切だなぁ…
同じ顔の二人を起こさないように、そっと裏口から出た
駐車場に向かうとテジュンさんの車が停まっている
俺は驚いて車に駆け寄った
「おす」
「イ…ナさん」
「心配かけたな」
「…テジュンさん…イナさん…。じゃ…じゃぁ…」
二人が並んで座っているのを見て、俺は泣いてしまった
イナさんが降りてきて、泣くなよ、泣かないでくれよ、ごめんごめん、ありがとな、スヒョク…そう言って俺を抱きしめた
「お前どこ行くの?」
「配達…」
「ヨンナムさんは?」
「寝てる…ソクさんと並んで…」
「…」
「あっ、こんな事してる場合じゃない!俺、午前中配達するからってヨンナムさんに言っといてね。ひぇええ」
俺は二人を残し、慌ててトラックに飛び乗った
「裏口、開いてますからそこから入ってね」
「さんきゅ」
よかった…
イナさんの笑顔が柔らかくなってる…
テジュンさんは…涙目だ…
よく見るとずっとイナさんのジャケットの裾を掴んでいる
くく…かわいい…ひひん…
よかったね…イナさん…
でも朝っぱらから一体どうしたんだろ…
*****
スヒョク君が配達に出て行ったのは知っていた
よく働いて気の利くいい子だなぁ…つい甘えてしまうなぁ…
僕は同じ顔のソクさんと朝寝しようともう一度目を閉じた
ガタン☆
裏口の戸が開いて誰かが入ってきた
「…ヨンナムさん…」
イナ?
「ヨンナムさん、いる?」
…
なんでこんな朝早く帰ってきたんだ?
「寝てるみたい。部屋に行く?俺は下にいるから」
ん?
テジュンも一緒か?
僕は起き上がって居間の扉を開けた
「いな、てじゅん。どうしたんだっ!」
「ヨンナムさん」
「…なんでこんな朝早く…」
「三人で話、しなきゃいけないと思って…」
「…えと…。なにかまだ拗れてる?」
「…」
「その前にメシ食いましょう」
「「「そく」」さん」
「で、それからお話伺いましょう、三人じゃなくて四人で…ね?」
「そう…ですね、何を話すのか知らないけど、二対一じゃね」
「二対一?」
「テジュンとイナのチーム対僕ってさ、僕、不利じゃん」
「…」
「ソクさんは僕の師匠ですから」
「えっほん!」
「「…」」
イナとテジュンは顔を見合わせていた
…僕は多少テンパっていたかもしれない…
「…で?なに?」
「…あ…うん…」
「その前に布団たたんでメシ食いましょう!」
「あ…そうですね。イナ、台所でなにか食べるもの探してきて」
イナに命令した後、僕は師匠のソクさんにくっついて布団を畳んだ
師匠は僕に擦り寄ってきてぼそぼそと話しだした
「貴方、昨日スヒョクに寝かせて貰ったの知ってますか?」
「へ?」
「貴方がテーブルに突っ伏してたからスヒョクは貴方を抱き起こして…」
「…」
「かーわいいーとかよく頑張ったねとかいいながらっあなだのほっべにぢゅっで…」
「え…」
じゃあ、あれ…
「ぞりがらあだだをだぎじめで、あだまを…ごのあだばをずりずりぐじゅっ…ええぇっえええっ…」
「ソクさん…泣かなくても…」
「ぼぐばじんばい゛でじんばい゛で」
「起きてたんですか?」
「あだだがねぼげでズビョグにギズじだらどうじようっで…ぐじぐじ」
「止めればいいじゃないですか!」
「らって」
「らって?」
「スヒョクが優しそうなお顔してたんでつい見惚れちゃってでひひひん」
「…」
僕は頬にそっと手をやった
あれはスヒョク君の唇だったんだ…うふ…
ソクさんはムッとした顔で僕を見た
そして両手を思いっきり広げると、僕の頬を『両手挟みビンタ』した
「いっでぇぇぇぇっ!」
「ぶわかっ!」
「何するんですかっ!」
「なんでアンタが可愛くて僕はジジイなんですかっ!」
「は?」
「スヒョクがアンタを寝かしつけてから僕の隣にやって来て僕を見つめて『ジジイ…』って一言ぐすっ…」
「…」
「腹が立ったのでとっ捉まえてきつーい電撃をお見舞いしましたけどね!」
「ジジイかぁ…」
「スヒョクは電撃に痺れましたふふん」
「そうですね、同じ顔三人の中では貴方がジイさんでテジュンが父さん、僕が息子って感じですもんね」
「!…むきーっ!」
「ヨンナムさぁぁん!」
「「ん?」」
「パンぐらいしか見つかんなかったけど…」
イナは台所の前の廊下に出て叫んだ
居間から首を出して見てみると、イナの後ろにテジュンのバカがぴったりくっついていた
「パンでオッケー」
さらに目を凝らしてよく見ると、テジュンのバカはイナのジャケットの裾を掴んでいると解った
「ふ…かわいい…」
「何が?」
「あれですよ…」
「う!…あの男…新兵器を生み出したな…」
「は?」
「よし、今度僕もスヒョクのジャケツの裾を掴んで頼りなげにくっついて歩こう…」
「…ああ…孫がジイさんを散歩に連れて行くって図ですかね」
「むきーっ!」
千の想い 197 ぴかろん
*****
台所の流しの横に菓子パンの入った袋が置いてあった
それと一緒にコーヒーカップが二つ用意してある
几帳面な字のメモが乗せられている
『コーヒー作りましたから飲んでください。パンしかないけどごめんね。スヒョクより』
スヒョクは優しいな…
俺は食器棚からあと二つコーヒーカップを出そうと振り返った
すぐ後ろにテジュンがいて、ぶつかりそうになった
「うぇっ…テジュン…」
「あ…う…」
「…なに?俺の服掴んで逃げないようにしてたの?」
「…ちがう…」
恥ずかしそうに俯くテジュンが可愛かった
「ごめん、コーヒーカップ取りたいからちょっと離して」
「あ…」
テジュンは俺の服をパッと離す
カップと皿を取り出して、それから冷蔵庫を漁る
何かないかな…ないなぁ…
「イナ…」
「あん?」
冷蔵庫の扉を閉めて振り向くと、テジュンが抱きついてきた
「なっ!テジュン!なんだよっ」
「やだ…ヨンナムんちの冷蔵庫の中身まで知ってるイナなんて…やだっ!」
「…」
「…やだ…」
「…中身知ってるってわけじゃないよ…」
「…勝手に中、見るんだ…」
「…それは…うん見る…」
「やだ!」
「…」
「やだ…」
「ばか」
俯いたテジュンの顔を上げ、頬を包んでニコッと笑ってやった
テジュンは唇を噛みしめたあと、不利じゃん、僕、不利じゃん!みんなお前の味方だし、みんなヨンナムの味方だもんっ!僕責められるもんっ!…と拗ねた
俺はパンとカップを乗せたトレイをテジュンに渡し、居間に持ってってと指示した
スヒョクの淹れてくれたコーヒーの入ったポットを持って、テジュンの背中を押した
*****
居間のテーブルに役者が揃った
…いや…ひとり余分な気がする…
ヨンナムとイナと僕…だけでいいんじゃないのか?
なぜソクがニコニコと…イナとヨンナムの間に座っているのか解らない
そしてヨンナムの野郎、ソクには随分と懐いているじゃないか…
僕には全然懐かなかったくせに!
「で?話って?」
ソクが切り出した
…そうか…司会としてヤツは役立つ
「ヨンナムさん…ありがと。俺の魔法解いてくれて…」
「んふ…どういたしまして…。どうだった?久々のテジュンは…けひひ」
「…ヨンナムさん…」
「あのさ、イナ、僕はお前とどうにもなれなかったけど、だからこそずっと友達として歩いていけると思ってるんだ。これから先は、テジュンの事で何かあったら、純粋に友達としてお前にアドバイスできるしテジュンにだって文句言える。僕は僕にビッタリの恋人を探すのが楽しみなんだ。お前達みたいにノーコーなヨルをウッフンって過ごせるぅ…」
ヨンナムは僕とイナをチラチラと恥ずかしそうに見た
恥ずかしそうなのか探りを入れているのかよく解らない
イナは真面目な顔つきになって、ヨンナムに言った
「俺とテジュン、昨日は一晩中色々話しただけだよ」
「え?」
ヨンナムは驚いた顔で僕を見た
その目が段々険しくなってきた
「あんで…なんでお前はそこでイナとキメないんだよっ!」
「あの…ヨンナムさん…。一応キスはしたけどさ…」
イナが答えた
「なっんでっ!なんでその先までいかないの!」
「なんでって…」
僕は黙っていた
イナは少し口を尖らせて俯いた
ヨンナムは唇を噛んで僕を睨んでいた
僕達を順に見て、司会者のソクが口を出した
「けほん、ヨンナムさん、言ったでしょ?イナは貴方の事を気にしてるって」
「…」
「だろ?イナ。ひとりぼっちにしたくないんだよな?」
「…。うん…」
どうしてソクはイナの気持ちが解るんだ!
「ヨンナムさん、本当の事言って」
「ほ…んとのって…」
「俺がテジュンとくっついても…いいかどうか」
「そ…んなの…、好き同士なんだから…くっつきゃいいんだ…」
「俺達がくっついたとしても、ほんとに俺の事『友達』って思ってくれる?…甘えたり、相談してくれたり、一緒に遊びにいったり…してくれる?」
「…お前が許してくれるなら…そうしたい…」
「ほんとに…俺の事…『友達』としか思えない?」
「それは…うん…」
「キスしても?『友達のキス』って受け止めていいの?」
「うん…」
「俺が…テジュンに戻っても…ほんとに…大丈夫?」
「大丈夫って…大丈夫だよ!」
「ありがと…」
イナはヨンナムの方に手を伸ばし、そっとヨンナムの腕に触れた
目を泳がせていたヨンナムが、イナに触れられてゴクリと唾を飲み込み、それからイナと目を合わせた
「僕こそ聞きたい…お前に時々…甘えてもいいのか?」
「もちろん…俺は嬉しいよ…」
それからヨンナムは僕を見た
「テジュン。僕はイナに甘えるけどいいか?」
「…あ…うん…」
「甘えついでに抱きしめたりキスしたりするかもしれないけどいいか?」
「…う…」
「時々デートしてもいいか?」
「…」
「お前、もう嫉妬しないでくれるか?」
「…それ…は…」
「僕はイナを友達としか見てないから…」
ならキスするなよ!
「あ…不満そう…。キスするのはダメ?」
「いいんですよヨンナムさん」
ソクが口出しする
「え?」
「友達のキス宣言しといてあとは隠れてやりましょうヒヒヒ」
「…ソク…」
「ん?なんだテジュン」
「…お前もイナにキスしたいのか…」
「僕は最近イナとはご無沙汰…。でもないか?ん?」
「とにかくテジュン。僕達にへんなヤキモチ焼くなよ。イナはお前でなきゃダメなんだ。それ、よぉく解ってるだろ?」
「う…ん…。僕だってイナじゃなきゃ…だめだから…」
それから僕達4人は、スヒョク君のコーヒーを啜り、パンを少し食べた
僕はヨンナムに、近いうちにここに戻ると言い、イナは俺も近いうちにRRHに戻ると言った
ヨンナムは、うん解ったと言って微笑んだけど、ほんの少し寂しそうだった
一呼吸置いて、ヨンナムはイナの手を握った
そしてイナに尋ねた
「どうして昨日テジュンと寝なかったの?」
「露骨だな。できるわけないじゃん…」
「…僕のせい?」
「うんそう」
「…。じゃ、これですっきりしたね」
「俺の方は…ね」
「え…」
「あとはテジュンと貴方だ」
「…」
イナはヨンナムに微笑み、僕に微笑んだ
それから立ち上がってソクを誘い部屋から出た
僕達二人で話せって意味だろう…
「なに…こういう…打ち合わせ?」
「ってわけじゃないけど…」
「昨日…どういう話…したんだよ…」
「ん…あのな…」
昨日イナが語ったことをヨンナムに伝えた
*****
昨日の夜、僕が大泣きした後、イナはベッドの縁に座り、僕を隣に座らせて話し出した
僕と別れた後の事
RRHに戻れなかった事
僕とラブとを感じた事
それで僕を諦めた事
ヨンナムと始めようと決意した事
なのに…うまくいかなかった事
ヨンナムの中にスヨンさんを見た事
正東津へ行った事
イナがヨンナムを抱こうとした事
何度かやってみたけどできなかった事
ヨンナムもイナも『違う』と感じていた事
ずっと一緒にいて欲しい
ひとりにしないで
ヨンナムをひとりぼっちにさせたくない
その想いが強くあって、僕への気持ちは押し込めようとしていた事
ヨンナムが、僕のところへ行け…なんて言うのは強がりで
一人になったらまた心を閉ざしてしまうのではないかと思っていた事
それから…
スヒョク君やソク、ギョンジンやラブやミンチョルさんやチェミさんや店のみんなが
自分だけでなく、ヨンナムの事も同じように気にかけてくれた事
それが嬉しかった事…
そしてみんな…イナは僕のところへ戻るべきだと思っていた事…
イナの想いのほぼ全てを、僕は聞かせて貰ったと思う
その後僕は、例のラブの一件を話した
イナはくすっと笑って、あいつらしい…自分も満足するやり方でテジュンを解したんだなと言った
満足…したのかな…
一応僕は、ラブではイケなかった事を特に力を入れて伝えたつもりだ
イナは信じてないような風だけど…ほんとなのにっ!
何時だったか、眠ろうかと言ったイナがそのままベッドに転んだ
僕はソファに行くべきかどうか迷っていた
「お前、寝ないの?」
そう言ってポンポンと自分の隣を叩くイナ
眠そうな顔で僕に微笑む
色っぽい…
僕はのそのそとベッドに上がり、両腕を突っ張ってイナの顔を真上から見下ろした
イナは眠そうな目を僕に向け、何か言おうとして止めた
唇が半開きのままで止まっている
僕はイナの唇にキスをした
つい…
ボタンを外そうとしてしまう…
イナは僕の体をぐいっと押して、いやだとはっきり言った
ヨンナムさんが気になると言った
それで僕は、明日、三人で話しをしようかと提案した
早くすっきりさせて、イナと…本当に…愛し合いたい…
そう思った…
「お前もさ、ヨンナムさんと向き合って、ちゃんと話しろよ…」
イナはそう言ってからふわふわとあくびをした
唇を寄せ合い、何度かキスをした後、イナはコトンと眠った
僕はイナの指に自分の指を絡ませてしっかり手を繋いだ
もう離れたくないと思った
セピアの残像 8 れいんさん
あまり気乗りがしないまま、半ば押し切られた格好で外に出た
それでも眩しい太陽や澄んだ空気は清清しいと感じた
車で移動するよりもこの辺りをのんびり歩きたいとウンスは言う
スハと歩いたこの道を
ウンスと連れ立って歩くのは何か不思議な感じがした
水平線を横目で眺めながら、緩い傾斜の坂道を下りると
そこに馴染みのレストランがある
この辺りで感じのいい店といったらそのくらいしか思いつかない
店に着き顔見知りのシェフに挨拶し、椅子の背に回りウンスを座らせた
丸いテーブルを挟み僕も腰を下ろした
ウンスの形の良い爪が
淡い色のテーブルクロスにトントンと小さくリズムを刻む
こういった店の雰囲気があまり好きではなくて
もしかして落ち着かないのでは、と思ったが
くるくる動かすウンスの瞳は、どこか弾んでいるようにも見えた
「ここ・・よく来るの?」
「ああ、時々」
「とっても素敵なお店・・」
「そう?よかった。・・これでなかなか味はいいんだ」
「そう、あなたのお勧めはどれかしら。オーダーはあなたに任せるわ」
パタンと閉じたメニューを僕に差し出すウンス
僕はそれを受け取り、ざっと目を通し
ちょっと右手を上げてみせ店の人に合図をした
とりあえず、軽めのロゼワインやそれに合うメインディッシュ
付け合せに温野菜のサラダなど、いくつか適当にオーダーしてみる
オーダーを済ませると、ウンスはふっと睫を伏せた
「ロゼが好きな事、覚えててくれたのね」
「ああ」
僕は短くそう応えた
何か不思議な気持ちがした
こんな風にウンスと向き合って食事をするのは、随分久しぶりで
切ない記憶も苦い後悔も、まだどこかに残っているが
それでも、あの頃みたいな嘘や気負いや苦しさはなく
そう、例えるなら、旧知の友人に会っているような懐かしさや温かさを感じ
それと同時に、過ぎた時間を振り返り、ほんの少し寂しくなる、そんな気持になっていた
もしかしたらこんな風に、ごく自然に穏やかに
ウンスの前で、素顔を曝け出せたのはこれが最初だったのかもしれなかった
薄桃色に透けた液体がウンスにきらりと反射した
わずかに首を傾げてウンスは僕を覗き込む
「少し・・顔色が良くなってきたみたい」
「そう・・かな」
「ええ、だって・・さっきのドアを開けた瞬間のあなたといったら」
「そんなに・・ひどかった?」
「何日もどこかを漂流してたのかしらと思ったくらいに驚いた」
それには思わず苦笑した
「あなた、やっと笑った・・」
ウンスに微笑みかけられて、言われてみればそうだったと、はたと気づいた
まだ笑う事ができたんだ、そう思ったら空腹感まで感じ始めた
どんなに悲嘆に暮れていても、僕の身体はちゃんと活動していたのだ
なんとなく気恥ずかしくて
照れ隠しに目の前の料理をたくさん口に頬張った
ウンスがくすりと笑った気がした
そういえば、と僕は、さっきから気になっていた事に話題を変える
「あの・・ホジンはどうしてるの?今日は一緒じゃないけど」
「ホジンは今日はお友達に・・正確に言えば後輩だけど、その子に預かってもらってるの」
「後輩?」
「ええ」
ウンスは身振り手振りを交えながら話し始めた
その後輩というのはウンスが出産前に手がけていたプロジェクトの後任で
仕事上のいろいろな相談事やアドバイスをしているうちに
ウンスの事をとても慕ってくれるようになったらしい
未婚であるその女性はホジンをよく可愛がってくれ
もちろんホジンも懐いていて
プロジェクト前の休暇中という事もあり
きたる将来の結婚生活の為の予行演習にと
(ウンスが言うにはその日がいつくるかは未定らしいが)
ホジンを預かる事を快く承諾してくれたそうだ
どうやら僕はその会った事もない女性にまで迷惑をかけてしまったらしい
ウンスはその後輩と共に次のプロジェクトに本格的に参加する事になっていて
それが復帰後の初仕事になるのだと話してくれた
「仕事・・復帰するの?」
「ええ。いつまでもこうしてはいられないもの」
「もしかして・・」
「え?」
「・・。」
「やだ、違うのよ。あなたが送ってくれるものでもちろん十分なのだけど・・やっぱり私仕事していたいの」
「そう・・でも大変じゃないのかい?」
「平気よ。たっぷり充電したから」
「しかし・・ホジンは大丈夫なの?寂しがらないかな」
「ええ・・それはね・・まだ小さいから・・でも・・頑張ってる姿を見せるのもあの子には必要な事かもしれない・・なんてね」
「君にばかり・・すまない・・あの・・僕にできる事があったら」
「あら、あなたはあなたでやらなきゃいけない事あるでしょう?」
「え?」
「あなた・・あの個展でもう終わるつもりなの?」
「・・」
「好きなんでしょう?創る事が。」
「それはそうだけど」
「だったら創り続けて」
「でも・・今は・・そんな気持ちになれない」
「・・スハさんが原因?」
「・・。」
「スハさん・・今のあなたを見たらきっと哀しむ」
「だけど」
「スハさんがどんなにあなたを想ってたか、あの家を見たらすぐにわかる。
カップひとつにしてもそう。お庭のお花達もそう。とても大切にしていたのね、あなたとの暮らしを」
「・・」
「なぜスハさんは去ってしまったのかしら」
「・・」
「・・もしかしたら・・私が・・」
「いや、僕のせいだ」
「・・」
「悪いのは僕だ」
その名を聞くと途端に動揺してしまう
僕はスハへの想いをワインと一緒に流し込もうとした
ねえ・・とウンスが口を開いた
「何があったのかは分からないけど・・」
「・・」
「今あなたたちに起きている事・・」
「・・」
「それに正解なんてものはないんじゃない?」
「え?」
「何も抱えずに生きてる人なんていないと思うの。後悔した事のない人もいない思うし、後悔しない人生もつまらない・・。
人生は選択の連続。間違ったらやり直せばいい。そう思わない?」
「・・」
「正解を出そうと思うから苦しいのよ。数式を解くように簡単にはいかない事もある」
「ウンス・・」
「迷った時は・・大切なものを一つだけ選ぶの」
「大切なものを一つだけ・・」
「選ぶのが難しい時は・・そうね、目を閉じて耳を澄まして本能に問いかける、というのはどう?」
「・・。」
「あなたって昔からそうだった・・誰かが先に行動したら自分の気持は引っ込めて閉ざしてしまう・・それで余計難しくなってしまって」
ウンスはどこか遠くを見ていた
その瞳の奥にはあの頃の僕が見えた気がした
ウンスを見た瞬間たちまち恋に堕ちたあの頃の僕
兄さんの恋人だと紹介された女性が
僕がずっと心に秘めていた人だったあの衝撃の瞬間
考えてみれば、それまでに打ち明けるチャンスはいくらでもあったのかもしれない
なのに僕はそれを放棄した
そして兄夫婦と僕という、三人の奇妙な暮らしが始まったのだ
そうなる前になんらかの行動を起こしていれば、と、今さら後悔してももう遅い
兄さんが最後まで僕の気持ちに気づいていなかったのか・・
それだけは、今となってはもう確かめる術もない
「今度はちゃんと掴まえるの。結果がどうあれ、自分の気持を伝えなきゃ何も始まらない」
ウンスの手が僕の手に重ねられた
涙が溢れてどうしようもなかった
風に運ばれてきた潮騒の音は僕の嗚咽を消してくれ
鼻を擽る潮の香りは、喉の奥につかえていたものを少しずつ融かしてくれるようだった
ウンス、君は僕を憎んでない?
そう聞きたかったのに何も言葉にならなかった
瞳を潤ませたウンスはただ優しく微笑んでくれていた
その夜、ホジンが寝付いた頃に電話が鳴った
ベルが鳴った瞬間に相手の顔が浮かんできた
受話器を取ると
「どうだった?」
開口一番、そんな声が飛んできた
今日一日、悶々としながら仕事に忙殺されていただろう、エジュさんを想像して可笑しくなった
「どうって?」
「生きてた?あいつ」
「ふふふ。息はしてたみたい」
「あはは、そう。・・で?」
「で・・って?」
「生存を確認しただけで帰ってきたの?」
「ああ、えっと・・部屋の換気をして・・お茶を淹れて・・」
「そうじゃなくて」
「・・?」
「押し倒した?」
「まさか!」
「あら・・獲物は弱りきってたのに?」
「獲物って・・エジュさん、あなた検事を目指してるというのに、いいの?そんな事言って」
「まだ修行中の身だし・・まあでもそこのところは一応オフレコでお願い」
「ふふっ」
「それで・・ウンスさん、家まで行ってどうしたわけ?」
「ちゃんと『義姉』として立派に振舞ってきたわよ」
「ふぅん・・」
「あら・・ご不満?」
「別にそういうわけじゃないけど・・」
「エジュさんだったらどうしたかしら」
「そうね・・私だったら、この色気を武器に、弱りきったあいつを徹底的に慰めて・・そして・・」
「そして?」
「う・・やっぱ・・できない」
「でしょ?」
「あ~あ・・何なんだろうなぁ」
「ふふ」
「結局ガンガン叱り飛ばして食べさせて元気ださせてバンバン励まして・・そんな風にやっちゃいそう」
「まさにそれよ」
「・・何なのよ、全く」
「ふふふ」
「どうしてよそ見してるようなヤな奴がこんなに気になっちゃうんだろう。あったまくるなぁ」
「どう?・・一緒に飲みますか?」
「えっ?」
「エジュさんが帰国した時に・・朝まで・・なんてどうかしら?」
「ウ、ウンスさん?」
「いけなかった?」
「いけなくはないけど・・ちょっと意外で・・」
「迷惑?」
「とんでもない。ウンスさんに誘って頂けるなんて光栄ですわ。とことんお付き合いするわよ。もちろん酒の肴はあいつに決まりね」
「あら楽しみ」
「いい女が二人して酔いつぶれるのも悪くない・・か」
「ふふふ・・」
エジュさんと私はその夜
戦いを共にした同志のような気分になって
随分長いことお喋りをしていた
司法試験が終わったら必ず会おうと約束も取り付けて
しんしんと夜は更けていく
私は窓から星を見上げながら
こういうのも悪くないかも、なんて
これからの自分をもっと好きになれそうな気がしていた
千の想い 198 ぴかろん
*****
イナを恋人としては考えられないと僕が言った事を、テジュンはそろそろと突っ込んで来た
曰く
どうしてあんな可愛い男を恋人だと思えないか
どういうわけで『でき』なかったんだ
それはお前がいろいろと偏見を持っているからじゃないのかと
酒も入っていないのにテジュンはくどくど僕に絡んだ
じゃあ『ヤッ』ちまってもよかったのか
もしくは『ヤ』られちまっててもよかったのか
そうなっちゃったら僕は、『快感からの愛』に目覚めて
間違ったまま、どんどん本気になっちまったかもしれないんだぞと
…実際その快感に身を委ねそうになったあの時を思い出しながら答えた
イナはああ見えて実は『清純派』なんだ、だからその…中々他の人とその…
そうなると…ああ…そうかマズい…大変にマズい!ダメだ!
お前とあんなそんな関係になってたらイナは…ああ…ああううその事に囚われてうう…そうだよかったんだ…うう…
だろう?!フン!僕が制御しなきゃイナは大変なことになってたんだ!
イナは…純情だな…。けどでもその分お前が誰とでもどこででも『ヤ』っちゃうんだろ?!だからイナがぐしぐし悩んで…
僕は『誰とでも』じゃない!
じゃ『ラブ君となら』だ!
ラブは…
なんだよ!
*****
言い争いになりかけた
ヨンナムが理解してくれるかどうか解らなかったけれど
僕はラブか僕にしてくれたことを一生懸命説明した
はじめはフンっと斜め向いていたヨンナムだったけど
僕が僕の気持ちを話していくうちにコクンコクンと頷き始めた
「…わかるよ…それ…」
「へ?」
「…その…感覚…わかるテジュン」
「…」
「体ごと…ぶつかってきてさ…それで…『僕』を解していってくれる…。わかる…」
「…」
「イナだ…」
「…え…」
「似てるんだ…イナもラブ君も…スヒョク君も…」
「…スヒョク…君?」
「ソクさんの話聞いてたら…」
「そういう…体質なのかな?BHC顔って」
「…あは…。かもしれないね…。けどお前…、役得だよなぁ、あんな色っぽい可愛い子ちゃんと…」
「…役得って…。しょうがないだろ…」
「しょうがない?!」
「…だぁぁぁって!…あっちから…だもん…ほぼ…」
「ふん。どすけべ。」
「…れもさ。…い…かなかった…もん…」
「ふぅぅん…『イナじゃなきゃ?』」
「うん。イナじゃなきゃだめになっちゃったみたい…」
「ぶわかっ!」
ヨンナムはムッとした顔で僕に怒鳴りつけた
「ヤんなかったヤツにはわかんないよ!」
「アイツだって『お前しかダメ』なんだからできるわけないだろ!できなかった僕に解るわけないだろっ!ぶぁかっ!」
「…」
「ふん…」
「ヨンナム」
「なんだよ!」
「…。お前、僕に遠慮したんじゃないのか?ほんとは…ほんとは抱きたかったんじゃないのか?」
「違うよ」
「でも…寸前までいったんだろ?よく止められたな…イナ相手に…」
「ふん!言っただろうが!僕はお前とは違って理性が働くんだよ!」
「…」
「…。本とは…怖かったんだ…」
「…」
「抱くにしても抱かれるにしても…、自分の気持ちより体の感覚に迷いそうで怖かった…。ほんとの恋かどうか判断できなくなりそうで…」
「ヨンナム」
「そこに、お前の顔がちらついてさ。ヤっちまえって声とやめとけって声とが何度も闘うんだ…辛かった…」
「結局理性が勝った?」
「って言うより…解ってたんだ僕もイナも…。イナの恋人はお前なんだって事はじめから…。でも見えてないっていうか誤魔化してたっていうか…お前がラブ君と寝ちゃうから…」
「…」
「僕が抱くつもりだった…それが反対になっちゃってさ…。余計混乱しちゃった…。…お前さ、一回アイツに抱かれてみろよ」
「は?!」
「…結構ヤるぜ、『あいぶ』とか蕩けるぜ」
「ばっ!ばかっ!」
「だってそれで僕、フラフラっとなっちゃったんだもん…。ほんとにさ、『抱かれてもいい』って思ったんだもん、最終的には無理だったけど」
「…ふ…ふむ…」
「僕さ、思った。一線越えられないってことは、勇気も自信もないし責任も持てないっつーことだって」
「…」
「お前、越えちゃってるんだから、責任持てよな」
「…うん…」
「僕を気にするなよ」
「…うん…」
「これでうまくヤれる?」
「…イナがOKしてくれたらね…すぐにでも…」
「…。やらしっ!」
ヨンナムはバンバンと僕の肩を叩いた
明るい顔をしている
「なあ…。僕の言ってること、ちゃんと理解できるか?お前に気を遣ってるわけじゃないけど、なんだか誤解されそうでさ。僕、ほんとに…そこまでイナを想えなかった…」
「…うん…」
「お前も…ラブ君を…そこまで想えなかった?」
「…今回はね…」
「…前は?」
「…本気で…愛したよ…」
「…むきーっこのドすけべぇ!」
ヨンナムはまた僕の肩を叩いた
いってぇなぁやめろよ!と叫んでヨンナムを睨んだら、奴も僕を睨んだ
それからフッと笑い、僕に腕を回して僕を抱き寄せた
なんかようやく枷が外れたみたい…
お前の事、大好きだよ、テジュン
耳元で、奴はそう呟いた
僕はこれ以上、この男に嫉妬すまいと思った
*****
「ほんとにあの『クドすけべ』、昨日の晩、我慢したの?」
「…ああ…」
「なんでよ。久しぶりにお前に会えたのに!普通ならぶっちゅーれろれろぱたーんいそいそあひんあふんそれそれそれそれ~ってなんない?」
「…ああそうかもな!」
「…。あれ…。イナ。怒った?」
「ほんとにお前、『口だけセクハラ』だな」
「…いや…そうじゃないんだイナ…」
「祭ん時はあんなに焦ってたのに。一回ヤったら満足?」
「…そうじゃないってば!」
「…大切にしすぎて、宝物の求めているものがわかんなくなってる状態…か?」
「…ぴ…ぴんぽーん…。お前、鋭いじゃん。随分大人になったなぁ。10歳の誕生日おめでとう」
「俺も今回そんな感じだったかも。そういう時はね、ソク」
「うん」
「周りの人の意見をちゃんと聞くことも大切だよ」
「…うん…」
「今晩スヒョクと一歩進んだすきんしっぷを…」
「は?!」
「うふふん…頑張れ!」
イナは大人っぽい顔でそう言って笑った
「できるかなぁ…」
「ふ…ほぉんと、スヒョクに関しては『純情ジジイ』なんだなぁ…」
「む」
「俺にはそんなじゃなかったのにっ」
「…」
「なぁんかさ、みんなそうなのかな…。他人の事ってよっく解るのに、自分の事って…解ってないのな…」
「…実感したの?今回の事で」
「うん…」
「そうだな…。解ってるようで解ってない…」
「…な、ソク、景気づけに電撃キスしてよ…」
「なっなんだって?!」
「…久しぶりに…したいな…」
「おっ」
「…ダメか…」
「おっ…ぼっ…てっ…なっ…くっ…」
「何言ってるの?」
きょとんとした顔が無邪気で無防備だった
テジュンと会えて安心したか…
安心した途端コレか!
「いっ…いたしかたないですなぁっげほん…」
キョロキョロと辺りを見回して、僕は台所でイナにキスをした
ふっと身を預けてくるイナが可愛くて、それとやっぱり久々だったので
…それでつい…
僕は本気のマックスモードでイナに電撃キスをかましてしまった…
案の定イナはクッタリなっちゃって
僕はそれをさらに抱きしめちゃって…はむはむはむはむ…
殺気を感じてイナから唇を離すまで、僕ははむはむはむはむ…
「だいっきらい!」
顔をあげるとそこに閻魔様のようなスヒョクがいた
スヒョクは静かに一言、腹に響く声でそう言って居間に走っていった
居間から悲鳴と怒鳴り声が聞こえた
俺だってしますから!ジジイばっかりずるいです!
テジュンさんヨンナムさん!僕と一発キツーいキスを決めましょうっ!きいきいきい!
す…スヒョク君…どどどうしたんだっ!
どっちから行きますか?ヨンナムさんいきますか?ん?ソクさん直伝の電撃お見舞いしましょうか?
それともテジュンさん、あの天然浮気者五歳児を仕込んだその技、盗ませていただきましょうか?きいっ!きいきいっ!
「…お前のせいだぞ、どうしてくれるんだ…あんなに…スヒョクぅぅ…」
「なんでよ…軽い電撃でよかったのにお前がノっちゃって…」
「…ああ…どうしようスヒョク…」
「あ!」
イナはバタバタと居間に走っていき、そして叫んだ
てじゅにしゃわるなっ!てじゅは俺のこいびとらっ!
…
ああ…
スヒョク…
僕が悪かった…
僕は廊下に土下座してスヒョクの怒りが治まるのを待ったのであーる…
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