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ぴかろんの日常
リレー企画 293
こんなにお前が可愛かったなんて ぴかろん
*****
厨房で物知りの闇夜とテソンからカテナチオのなんたるかを解説してもらい、ジョンダルが求めている新人についてひとしきり話をし、俺はトイレに向かった。だって着いて早々店に出たからさ、鏡も見てないしぃ~。俺、一応ホ○トだしぃ~。身だしなみ、整えなきゃね
厨房から廊下に出るとトイレの近くの壁でジジイが黄昏れていた
俺はソク爺を横目に見ながら奴の前を通りかかった
声をかけるべきかどうか迷ったが、そういう雰囲気ではなかったのでそのまま通り過ぎた
ソクが視界から外れた途端、俺は後ろから抱きしめられた
*****
こんな時にお誂え向きにイナが通りかかる
僕に視線を向けながら、何も言わずに通り過ぎたイナを後ろから捕まえる
どうしてこいつは、縋りつきたい時に僕の目の前に現れるのか…
甘えすぎだと思いながらその背中を借りてしまう
少しだけ…少しだけ…
僕はイナを抱きしめながら胸にひっかかる何かを探していた
*****
しょうがねぇなと思う。今日の俺はちっとばかし『大人』だから、爺さんだって頼りたくなるのかもしれない
ふわりと風が吹く
え?なによ。君なの?
テジュンやヨンナムさんと同じ顔のおっさんだから気になるの?
案外おせっかいだな、君…
背中にしがみつく爺さんの、やるせない気持ちを感じながら、俺は『彼女』を思い出す
それは俺の勝手な想像でしかない。今日は俺のまわりに『彼女』がいるような気がする
そう思い込めば人に優しくできそうで、俺は勝手に『彼女』に話しかける
ソクの体が震えている。スヒョクとあんなに仲が良いのに。お互いの心がお互いに向かっていても、すんなり事が運ぶってわけでもない
本人から直接聞いたことはないけど、奴の事情はBHCの皆なら薄々は知っている。ソクだけじゃなく、スヒョクやテジンやテソンやソヌさんやジホさんや…
他の皆の事だってBHCのメンバーは知っている
みんな、何かしら辛い思い出や抱えている問題がある。何も言わなくてもそれぞれがそれぞれのやり方で甘えさせてくれる
俺の肩をきつく掴んでいるソクの右手にそっと触れた
大げさにビクリとして、その手が引っ込もうとした
逃げようとする腕を捕まえて深呼吸した
「それで?どうしてほしいの?」
「…」
「お前が今抱きしめている『その人』に、何をしてほしいの?」
「…え…。いや…。もう…ありがと…」
背中から離れたソクに向き直り、そっと抱きしめる。体が強張っている
「多分ね、お前がさっき縋ったのは『俺』じゃない。『スヒョク』でもない。『その人』に何をしてほしいの?」
「…い…いや…」
「…ソクさん。ソク。…。ソク爺。ソク隊長…。ソクおじさん…。違うか…。」
「…」
「パパ…かな…」
「…」
「…。パパ。心配しないで。大好きだよ」
ソクが大きく息を吸い込んで俺の肩に突っ伏した
「…パパの幸せ、祈ってるから…」
「やめて…やめ…」
「…」
堪えて震えるソクをそのまま抱きしめていた
「…祈ってくれてるんだよ、あっちでさ」
「…」
「みぃんな。応援してくれてるんだよ、幸せになれって」
今日の俺には、この手の顔を慰めて励ますって役割があるのかもしれない。君、そう思ってるんだろ?
震えが治まるまで、俺はソクの背中を撫でてやった
あ~まったく、この手の顔ときたら、厄介だよな…
気持ちが鎮まったソクは、乾いていない睫毛と瞳のまま、俺にありがとうと礼を言った
「もういい?大丈夫?」
「…うん…」
「確かお前が言ったんじゃなかったっけ?『焦るな』って」
「…うん…」
「でも俺は今、焦りたいんだ」
「…え?」
「トイレ!我慢できないっ!」
「ふ」
笑ったソクに安心して、俺はトイレに駆け込んだ。やっと本当にホッとした
*****
ダーリンはいきなり店に現れたゴージャスでビューティフルなレディ…の隣の、ゴージャスでビューティフルなそしていけ好かない男にえらく愛想よく挨拶して戻ってきた。どうやらドンジュン君のお客様らしい。どこであんなゴージャスカッポーと知り合ったのだろう…
僕がいた『僕指名のお客様』の席に向かってくるダーリンは、見るからに不機嫌そうな顔をしていた。席に座ってもムスっとしていて取り付く島がない
僕は、ダーリンの機嫌を取りつつお客様のお相手をした。突然、「今日はギョンジンを指名してくださってありがと、で?俺って必要?」なんてお客様に向かって高飛車に質問するダーリンにハラハラさせられた。でもお客様はその『ラブ様っぷり』に大拍手。これが噂の『女王様』なのね~なんて感激していた
違うんだけどな…、ダーリンは普段、お客様にそんな失礼な態度は取らないのにな…初めてのお客様だから『女王様技』のなんたるかをご存じない。それが幸いしたっていうかなんていうか…
いつもは僕に向けられる「ばっかじゃない?!」という言葉が、その日その時その席にいたお客様には容赦なく何度も浴びせられた
その度に「きゃ~(*^^*)」と喜ばれているのだからダーリンは幸せ者だ。でも度が過ぎる。僕はそっとダーリンに訊ねた
「どうしたのさ。失礼すぎないか?」
ダーリンは僕をギロリと睨む
「なんか…あった?」
「…。はん!なんにもない!なぁぁんにもっ!知ってるでしょ?あんた!」
確かに『僕達』にはこのところ『なぁんにもない』。その上僕は、イナとの間のことをダーリンにきちんと詫びていない
『詫びそびれた』というべきだろう、ダーリンはドンジュン君とクラシックのコンサートなんかに行っちゃったし…
「ラブ、ちゃんと話をしよう、後で。ね?」
「は?話ってなによ!」
「僕のこと、怒ってるんだろ?」
「…」
ダーリンはまじまじと僕を見つめ、小さな声で呟いた
「怒ってないよ」
「…でも不機嫌…」
「それは…。あいつが…」
「あいつ?」
「…」
チラリと視線を流す先に、カチンコチンになっているドンジュン君と絶世の美女と、そんな席に不似合いなのか似合っているのかわからないソヌさん、そしてあのいけ好かないゴージャスな男がいた
「…あの男…なに?」
胸騒ぎがした
ダーリンはその問いに答えず、お客様に向き直った
「ねぇ、マダムたちってぇ、こいつのどこが好きなの?」
「え~。そうねぇ、ハンサムなのにかっこわるいとこ」
「守ってくれそうだけど危ないとこ」
「エロかっこいいとこ」
「「「キャー(>▽<)」」」
****
突然、パク・ウソクが店にやってきた。それもすんげぇ美人づれで…
ドンジュンさんが固まってる。大丈夫かな?
俺は咄嗟にウソクの前に行き、挨拶をした
ドンジュンさんの緊張具合をみるとなんだか心配になる
軽くあしらわれて席に戻った
なんだか気にくわない
スヒョンさん、いいの?盗まれちゃうよ…
あいつね…あいつ…悪い奴じゃないんだよ…
俺がテジュンに惚れたように
イナさんがヨンナムさんに惹かれたように
ドンジュンさんがあいつに取り込まれちゃったら…
ううん
ドンジュンさんはあんなにスヒョンさんを好きなんだもん
大丈夫だ
大丈夫だよね?
でも…
ギョンジンのいる席に近づくにつれ、モヤモヤした気持ちが増殖していく
ちゃんと捕まえてないからだ
ギョンジンの瞳に申し訳なさそうな光がある
ばか!
どいつもこいつも
ばかなんだから!
俺の接客態度、最悪だ
それでも喜んでもらえるなんて、申し訳ないと思う
ギョンジンの近くにいるとイライラする
不機嫌なため息をついたとき、イナさんの後ろを歩く初々しいテジュンが目に入った
なによ…それ…
そんな顔、見たことない…
悔しくなった
お客様のリクエストに答えて、ギョンジンの技に付き合った
テジュンのことが気になる
同時にパク・ウソクも気になった
ギョンジンに罵声を浴びせるだけでなく、お客様をも軽く罵倒した
それでも喜んでもらえるなんて、ほんとに申し訳ないと思う
暫くしてカウンターにいるテジュンを見ると、あろうことかスヒョクのほっぺたを触っているではないか!
ムシャクシャしてた気持ちが一気に爆発しそうになった
「ねぇ、マダム達今日はギョンジン指名なんでしょ?」
「そうよ」
「じゃ、俺っていなくてもいいよね?」
「あら?指名入ったの?」
「そうじゃないけどぉ、ちょっと気になるオトコがいるからさ。そっちに行こうかなと思ってぇ」
「気になるオトコってどなたなの?」
「知りたいの?つか、知らないの?!俺がだぁぁぁぁいスキなオトコ」
「ギョンジンちゃん以外にラブ様が好きな男の人って言うとぉ」
「あ…あの方かしら…」
「イナちゃんの?」
「そうよそうよ!テジュンさんねっきゃー」
「きゃー(*^^*)」
「…ラブ…」
「あったりぃ~マダムたち、初めてなのによくお勉強してきたね。褒めてやるよ。じゃ、またね~ばいばーい」
俺はギョンジンの席から離れてテジュンのところに行った
*****
廊下からカウンターに通ずるドアをそっと開ける
照明が薄暗いからわからないだろうと、俺は口元に笑みを作ってテジュンさんを見た
テジュンさんは相変わらずぽやんとしていてかわいらしい。こんな顔したソクさんを、俺は見ることができるだろうか…
だめだ。あの人の事を思うと涙が出そうになる
呼吸を整えて俺はテジュンさんの方に向かう
「だいじょうぶだった?」
ひらがな喋りでテジュンさんが首を傾げる。その仕種に笑いながら頷く俺。鼻の奥がツンとなり、顔が歪みそうになる
唇を噛みしめて堪え、俺ってせっかちだから…と一言発する
「せっかち?そかな?」
「うん…。イナさんみたいな包容力も忍耐力もない」
「イナに包容力?!」
素っ頓狂なテジュンさんの声に涙が引っ込む
「…。あるじゃない、包容力。今日のイナさんは特に」
「…。そかな…」
テジュンさんの反応が一々可愛らしい。話していると妙に素直になれる
「…イナさんは強いよね。かっこいいし可愛いし…。とってもいい人だよね。惚れっぽいけど」
「スヒョク君?」
「俺はどうしたってイナさんみたいには、なれないもの」
「…。僕だってヨンナムやソクみたいには、なれないよ」
「テジュンさんはそのままでいいじゃない。可愛くて大人で魅力的だ。イナさんとテジュンさんってお互いの全てをうまく引き出してるよね。羨ましい…」
最後の一言を呟いてから、それが俺の今の感情の全てだと悟った
羨ましい
羨ましくて仕方ない
そんな俺は浅ましい
囚われた俺の頬にテジュンさんの掌が触れた
「スヒョク君は素敵だよ。心から人の事考えてくれるいい人だよ」
「…そんな事ない…俺は…」
「んなことある。スヒョク君は心があったかいんだ」
「…」
「でも、人間だからね。いらつく事もあるよ。ね?」
「…。テジュンさん…」
「僕、スヒョク君の笑顔に何度も救われてるよ。君は君。イナみたいになんない方がいいよ」
「…ふ…」
「君は幸せになれる」
「…。へへ。やだな。そんな可愛らしい顔で魔法の呪文みたいなこと唱えられても…」
「魔法じゃないもん!そう思うんだもん!」
テジュンさんは可愛らしく頬を膨らませた
「あ~、ムシャクシャするっ!」
どかっ
「ちょっと!何でスヒョクのほっぺたなんか触ってるのさ!触るんだったら俺でしょ?俺!」
突然カウンターにやって来たラブが、テジュンさんの左太腿にどかっと腰を降ろし、俺の頬にあったテジュンさんの掌を自分の頬にくっつけた
「…ラブ。重いよ」
「重いわけないだろ?何度も乗ってるのに」
「…(@_@;)」
「あーあ。スヒョク、テキーラちょーだいっ」
「ラブ…重い」
「なんだって貴方、今日こんなに可愛い子ちゃんなのさ。襲いたくなっちゃうな。スヒョク、テキーラまだ?!」
ラブのテンションが微妙に変だ。俺はテキーラのボトルとショットグラスをラブの前に出した
「ライムと塩とソーダも!気が利かないなあもぉ」
「いっぺんに出せないよ、わがままだなぁ」
「あ、態度悪ぅい!俺がもしお客様だったらどーすんのさ!」
「お客様だったら謝る」
「じゃ、謝って」
「…。何言ってンだよ」
「謝ってよ!俺のテジュンにちょっかいかけてさぁ!」
「お前のじゃないでしょ?!イナさんの…でしょ?」
「あ!テジュンはモノじゃないんだからね!」
「先にお前が『俺の』っちったんだろ?!」
「ふんっ!スヒョクのバカ!」
「なんだよっ」
「…あの…スヒョク君もラブも喧嘩しないで…」
「ラブ、指名入ってんじゃないの?ギョンジンさんがこっち見てるぞ」
「ない!あるけどない!」
「なんだよそれ」
「いいの!今日のマダムたちはギョンジン目当てだから!」
「…」
「はぁぁぁ。テジュン~。世の中うまく行くようでうまく行かないねぇ~はぁぁ…。スヒョク、ライムまだ?!」
俺はライムを四分の一に切ってラブの前に置いた
「荒れてる?なんかあったの?」
「…。別になにも。なぁぁぁぁんにもっ。ない!」
刺々しくそう言ってラブはテキーラを飲み干し、ライムを齧った
「ひょわわわわ~。しゅっぱぁぁぁ~。きくぅ~はぁぁ…。ねね、テジュンもやろうよ、あ~ん」
「テジュンさんはダメ」
「ん?なんで?」
「車だから」
「…」
ラブがまん丸な目をして俺を見る。テジュンさんはちょっと口を尖らせて、スヒョク君までそんな事を言う~と拗ねる
その顔が可愛くてヘラリとすると、ラブは俺を睨んであああ気に入らない!すっごぉく不愉快!と叫んだ
お客様の相手をしながら、ギョンジンさんがこっちを窺っている。何があったのか…。何もないわけがない。わかりやすすぎるよ、ラブは
*****
図らずもイナに癒された僕は、ドアを潜り抜けカウンターに戻る。スヒョクの前には不機嫌な顔をしたラブ君がいて、その真後ろにテジュンの顔があった
テジュンの上に乗っかっている?相変わらず大胆な子だ。イナが見たらどうなるだろう
でも、今日のイナはなんだか大人だから、喧嘩にはならないような気もする
スヒョクは…
スヒョクは少し落ち着いたようで、ラブ君とテジュン相手に穏やかに微笑んでいる
僕は勇気を出してスヒョクに声をかけた。案の定、無視された
それでも僕は声に出して言った。僕にしか聞き取れない声で…
スヒョク、ごめんね…
僕も一歩踏み出したいんだ、お前と…
ふとスヒョクが振り返った
悲しげな瞳が僕を認め、ほんの一瞬笑ってくれた
それだけで僕の心はやわらかくなる
焦るな
拘るな
そんな瞬間があっても
少しずつ進めばいい
大丈夫だよ
大好きだから
幸せになってね
うん…ありがとう…
*****
もう一度厨房に入り、今日のテジュンについてテソンと闇夜に報告した。聞かれてもいないのに俺はベラベラと喋った
闇夜が「元通り以上になれたみたいだね。これで『こどもぱん』は安泰かな?」と笑った
「そうだね、mayo、これでチェミにゴーサイン出せるかな」
「ぉん。そろそろいいよね」
なんのゴーサインなのか尋ねると、決まってるだろ?パン屋の開店!とビシッと言われた
「ほんとに開店するの?」
「するよ!イナシ待ちの部分もあったんだから!」
「え?俺待ち?」
「いくらチェミのパン屋さんが『気分次第の気まぐれパン屋』だとしてもさ、開店の時に一応目玉商品の『こどもぱん』が萎んでたら評判悪くなるじゃない」
「萎む?」
「イナシの気持ちか凹んでたら美味しいパンにならないでしょ?」
「ああ…」
「だからイナシの気持ちが盛り上がった時に開店することにしてたのよ」
「…。ほんと?」
「半分ほんと(^o^)」
「はんぶん…」
テソンは何度も『一応目玉商品』なんだからさ、と繰り返した。それってつまり
「客寄せってこと?」
「ん。まぁね…。チェミのパンは安定した味だけど、イナシのパンは『不安定』がコンセプト」
「…ふあんてい…」
「開店の時に最高の状態で売りたいでしょ?戦略的にも」
「…ぁうん…ふむふむ…」
「イナシの『こどもぱん』には『ポイントシール』つけるんだから」
「ぽいんとしーる?」
「うん。ポイント集めてもらって『こどもぱんぐっず』と交換できるの」
「…。つまり客寄せ…」
「グッズ、めちゃくちゃ可愛いんだから♪」
「…ふぅぅん…」
「コンセプトは『しんゆう』」
「…ふぅぅん…」
「ここ二、三日中に開店いたします!」
「ええっ?!」
「イナシは幸せ~な気持ちでパンを作ればいいだけです。アラッチ?」
「あ…あらっそ~」
イナシは何にも心配しなくてもいい、いつだって開店できる準備は整ってるという闇夜に頷き返し、テソンが素早く作ってくれた『つまみのような食事のようななにか』を持って、俺はテジュンのところに向かった
*****
ラブの重みを左側に感じながら、イナはどこへ行ったのかと考えた。店内を見回した時、イナが僕の方に向かってくるのが目に入った
鼓動が早くなり、顔が赤らむのがわかる。イナはかっこいい…
カウンターにテソン君特製の『つまみのような食事のようななにか』を置き、イナは僕に微笑みかける
左手で僕の髪に触れ、眉と口角を少し上げて真っ直ぐ僕を見ている
こんなにかっこよかったっけ?僕はイナを見つめ返す
「もぉ~、どうしちゃったんだよテジュン、たまんなく可愛い」
低い小さな声で僕に囁く
もう…どうしちゃったんだよイナ、たまらなくかっこいい…
そう返したいけど言葉が出ない
イナは僕の頭を撫でると、カウンターのソクとスヒョク君に、MKB顔一人足りないけどどうしたの?と聞いた
「逃げたの?ソクが酒飲まさないから?」
「違うよ。なんだかテス君たちと約束があったみたい」
「え?!そうなの?!…ああ…ああそうか、そういえば…」
なにが『そういえば』なんだろう。イナはヨンナムが『海坊主』とテス君に連れ去られた理由を知っているようだ
「ちょっと覗いてくる」
と僕の背中を通り過ぎていこうとする。離れたくない。ヨンナムなんかほっといてほしい
左手を伸ばしてイナの袖を引いた
****
テスとジョンダルに連れ去られたと聞き、ヘッドハンティングの対象人物はヨンナムさんだったのかと驚いた
だけどヨンナムさんの夢である『ほんのちょっとした事で困ってる人を助ける会社』と、ジョンダルがやっている『なんでもや』とは言わば同業になるわけだ
なるほどなぁ
『チョンエが結ぶオトコの架け橋』なんていうわけのわからないキャッチフレーズを思いついてしまった
面白そうなのでちょっと様子を窺いに行こうとカウンターから離れた
テジュンが俺を引き止めた
振り向くと、うるうるした瞳が『いかないで。そばにいて』なぁんて訴えている。可愛い、たまらなく可愛いぞ、テジュン
俺はテジュンの頭を引き寄せ、キスを試みた
唇が近づいた時、ブン!と音を立ててメッシュ頭が割って入った
咄嗟にテジュンの肩を突いて『メッシュ頭』を回避した
『メッシュ頭』はテジュンの左肩を枕にすると、ふてぶてしい横目で俺を見上げた
何かがテジュンの左っ側にいるなぁとは思ってたけど、テジュンの可愛らしさに心を奪われていたので気にしてなかった
テジュンの肩に落ち着いた『メッシュ頭』を無視してもう一度キスにトライする
唇が触れそうになった瞬間、『メッシュ頭』の尖がった唇も近づいてきた
俺はその『メッシュ頭の尖がった唇』を掌で押さえつけ、キスを諦めた
「今はへんてこな邪魔が入るからお楽しみは後にしよっか。待っててね、あっちの様子見たらすぐに戻るから」
そう囁いてテジュンから離れた
「きいっ!なんだよっヤなカンジ!俺は無視かよっ!ふんだ!…テジュン~、イナさんがどっか行ってるあいだに俺がとぉってもディープなチューしてあげるからねっ」
その声に振り向き、『メッシュ頭』に一言浴びせる
「へちゃむくれ」
そして俺はヨンナムさん達のボックス席に向かった
※ヨンナムさんの夢→参照:リレー184 「千の想い4」
****
今日のイナさんは本当に大人っぽくてかっこいい。何かとテジュンさんにちょっかいをかけているラブを軽くあしらっている
『へちゃむくれ』と言われたラブは、凭れていたテジュンさんの肩からガバッと起き上がり、ぶーっと膨れた
「スヒョク!テキーラ!」
「自分で注げば?へちゃむくれ君」
「へっ…へちゃむくれじゃないもんっきいっ!」
ラブの様子に俺もテジュンさんも、そしてソクさんも声を立てて笑った。その優しい笑顔がやっぱり好きだと思いながら、俺は僅かに寂しさを感じる
…ソクさんが…声を立てて笑う…
さっき廊下で俺とキスした時、ソクさんはいつものように『囚われ』てしまっていたのに…
ふとヨンナムさん達のボックス席に向かう、『今日は大人っぽい』人の背中を見る
多分俺の勘は当たっている。ソクさんを回復させるのはあの人だから
俺がこっちに戻った後、きっとソクさんは廊下であの人に…
膨れたラブが俺にグラスをぐいっと突き出す。仕方なくテキーラの瓶を取ってグラスに傾けようとすると、違う、お前が飲めと言う
「え?俺?」
「そ!お前だって飲みたい気分でしょ?!そーゆー顔だもん。腹立つよね、普段は『ごしゃいじ』のくせにさぁ…きいっ!」
「…ラブ…」
「腹立つよ…。あの人、いつだって無意識で奪うんだもん…心…」
テジュンさんの心?それともギョンジンさんの心?
言葉とは裏腹に、諦めた様子でラブが呟いた。なんとなくだけど、ラブの気持ちがわかるような気がした
*****
ジョンダルの大きな体に隠れていてヨンナムさんの表情がわからないが、聞こえてくる声は明るい
どうやらヘッドハンティング話はうまくいっているらしい。けど、そうすると、ジャンスさんやスヨンとの仕事はどうするつもりだ?その前に水の配達はどうなるんだ?
いや、待てよ、そもそもテスとジョンダルは、『かてなちおのかぎ』を開けるヒトを探してるんじゃなかったっけ?ヨンナムさんってそんな事もできたんだ…
ふーん、すげぇな、ヨンナムさんは…などと思いながら彼らのボックス席のすぐ近くまで来た。それでもジョンダルの背中がデカくてヨンナムさんの姿が見えない
「おれ、金庫専門だぞ。それも旧式のしかわかんねぇし。わけのわかんねぇ電子ロックとかはお手上げだぞ」
「知ってるよ。いいんだ、ダイヤル式で」
「でもおれ、しばらくやってないし、自信ねぇし」
おれ?
ヨンナムさんが「おれ」なんて言葉使うだろうか?
なんか甘ったれた変な声だし…
あれ?ヨンナムさんの声じゃねぇよな?!
俺はジョンダルの禿頭を横に押しのけ、ボックス席にいる人物を覗き込んだ
「イナ。どうしたの?」
「あれ?やっぱりヨンナムさんだ…」
「イナシ、邪魔しないでっちったじゃんか~」
「あ~ごめんごめん」
「どこにでも首突っ込むのな、キム・イナって」
「こらっ!なんて事言うんだ!」
ん?んん?!なんでここにこのコンビがいるんだろう?
ああ、ああそうか、ここはBHCだから、一応『ホ○ト』を指名しなきゃいけないわけだ
「それでこの二人を指名したのかぁそっかぁ~」
頭の中で到達した『結果』だけを口にすると、ボックス席のみんなの頭上に次々と「?」マークが浮かんだ
「…あは…、んでジョンダル、ヨンナムさんのヘッドハンティングはうまくいきそう?」
「は?あ、イェ~。ヨンナムヒョンニムには既に了解を得てますけど」
「すげぇなヨンナムさん、鍵なんか開けられるんだぁ」
「は?イナ?なんのこと?僕は鍵開けなんてできないよ」
「へ?だって『かてなちお』とやらの鍵がどーのこーの」
「早とちりなのな、キム・イナって」
「こら!先輩に向かって失礼な口きくなってば!…イナさん、すみません」
仏頂面で無礼な言葉を吐くホンピョの隣でドンヒがヘコヘコと頭を下げる。いいコンビだと思う
「何が早とちりなんだよ、野良犬」
「む」
「テスぅ、指名するんならもっと違う奴にしろよぉ」
「おれは指名されたんじゃねぇ!」
「へ?」
「おれは『客』だ!」
「は?」
「あのその、そうなんです。指名されたのは僕でして」
ドンヒが頭を掻きながらヘコヘコと説明する
「もぉぉ、イナシはあっち行っててよ!僕達、ホンピョ君を口説き落としてるんだからぁ!」
「へっ?!」
*****
「全く!あれほど言ったのになんで貴方は我慢せずに飲むんですか!」
「だからぁ~ソクさんとテジュンがぁ~運転手でぇ~、ぼかぁ~お客様なの!」
ヨンナムさんはほろ酔い加減らしく、怖い顔をしてみせるソク爺をへらへらとかわしている
結局あの後、俺はテス達のボックス席から追い出され、それと同時に指名が入り、へちゃむくれたラブや黄昏れてるソクや爽やかなスヒョクのもとにテジュンを残して仕事をこなした
ドンジュンが強張った様子でどえらい美男美女の相手をしていた。その場所にドンジュンの師であるスヒョンがついていたが、スヒョンの様子は『らしからぬ』気がした
ミンチョルはといえば、撮影が一段落したからなのかいつも通りで…そういえばあいつ、俺の『最高のパン』食ったんだろうか?…それからテプンはドンジュンの席の美女に英語が通じたと大騒ぎし続けていたし、チョンマンは、あの二人を主演に映画を撮るなら何がいいかということをジホさんと議論し続けていた
ギョンジンは傍にラブがいないのと、ギョンビンのことが気になるのとで…だろう…元気がなかった
幸せそうに見えるのは、イヌ先生とウシクと、スハとテジンのカップルぐらいか?
けどあの二組だっていろんな問題を抱えているってわけだ
俺達は、俺とテジュンはそうすると、今一番幸せなんじゃないかと思った
この気持ちがチェミさんのパン屋開店日(ほんとに二、三日中なんだろうか?)まで続くよう、俺は努力しなきゃいけない
「テジュン、飲まなかったろうな!」
ヨンナムさんがテジュンにそう聞くと、可愛らしいテジュンはコクンと頷く。それがまた俺の胸にキュンとくる♪
「えらい!おまえはえらいな、テジュン」
ふんぞりかえってテジュンの頭をイイコイイコするヨンナムさんもまた可愛らしく思える。胸にキュンとはこないけどね
「スヒョク、助手席に乗ってってね」
ソクがスヒョクに声をかける
「俺、今日はヨンナムさんちに行きません」
「え?…寮に帰るの?」
「…。はい」
スヒョクの声は平坦だ
「なんだぁ?喧嘩したのかぁ?」
俺は二人を茶化す
「別に。喧嘩なんてしてませんよ」
スヒョクの瞳も平坦だ
「たまにはいいでしょ?別行動しても」
ちらりと俺を見上げた瞳に小さな炎がある。あれ?ソクを慰めたのがバレたみたい…
ソクの気持ちはスヒョクを向いているんだから大丈夫だよ
俺はスヒョクに笑いかけて宥めようとした。その言葉はしゃしゃり出たへちゃむくれに遮られた
「スヒョクはね、俺と飲みに行くんだよね~」
「へ?あ…うん…そう…ラブと…」
「…ラブ、僕も行っていい?話しがあるんだ…」
ギョンジンが控え目に、だがここぞとばかりに切り込んだ
「ごっめ~ん。今日はダメ。スヒョク、行こ!」
「あぅん…じゃ…」
「ラブ!」
呼び止めたギョンジンに真っ直ぐ向かって、ラブは言った
「今日はアンタの話を聞く余裕ない。じゃ」
スヒョクの腕に自分の腕を絡ませ、強気で、でも逃げるように、ラブは店から出て行った
「あれぇ。ラブちゃん、お前のこと待っててくれるんじゃなかったのぉ?」
「…イナ…」
縋るような瞳でギョンジンが俺を見た
「じゃ、行くよぉ、ほら、ギョンジン君もね」
「へ?」
ヨンナムさんは上機嫌でギョンジンの肩をポンポン叩き、それから俺の横に可愛らしく突っ立っているテジュンの肘を掴んだ
「痛いよヨンナム」
「なぁにを可愛い子ぶっちゃってこいつ!行くぞ!僕、お前の車に乗るからな。後部座席だ後部座席」
「あ…」
ぐいぐい引っ張られるテジュンを追い、ヨンナムさんに声をかける
「ヨンナムさん、ちょっと待ってよ、俺も行くからさぁ」
「だめ」
「え?」
「イナは今日は来なくていい」
な…なんだって?!
「どど…どうしてさ!」
「定員オーバーになるから」
「なんでだよっ!スヒョクもいないしヨンナムさんとギョンジンだけなら十分乗れるじゃんか!」
そうだよ!こんな可愛らしいテジュンを俺から引き離そうってのか?!
「だめだよ、イッパイだもん。僕でしょ?ギョンジン君でしょ?テス君とジョンダル君でしょ」
「ソクがトラック運転するんだろ?助手席空いてるしゃないか!」
「あとホンピョ君とドンヒ君が乗るもの、助手席も荷台もダメ~」
「荷台にもう一人乗れるはずだっ!」
「あいすいません、イナヒョンニム」
ぬぅっと俺の目の前にジョンダルの頭が突き出た
「ななな…」
「あっしが…その…二人分になっちまうもんですからして…」
「ふぁぁ?!」
そ…そんなっ!
「ななな…なんでテスとジョンダルとホンピョとドンヒがヨンナムさんちに行くのさっ!ギョンジンが行くのになんで俺はダメなのさっ!」
「『カテナチオ会議』だから」
「『かてなちお…かいぎ?』…ヘッドハンティングメンバーでやればいいんだろ?テジュンもギョンジンも関係ないじゃんか!」
「関係あるの。テジュンとギョンジン君の知識が必要『かもしれない』から~ひひひん」
「いっ…イジワルしてるんだろ、ヨンナムさん」
「ひひん。そうかも~。でも違うかも~」
「ヨンナムさんっ!」
「あいう~イナヒョンニム、申し訳ありませんが『カテナチオ問題』、本当に切羽詰っておりまして…早急になんとかしないと他の仕事ができなくてぇ(;_;)。あらゆる角度からあの鍵を開ける可能性を見出したくてぇぇ(;_;)」
坊主頭が茹蛸になって困っている
テジュンの知識?テジュンは鍵なんか開けられるのか?詰め寄る俺にヨンナムさんは、こいつ器用だからさ、なんてニヤニヤと答え、ささ、行くぞ行くぞとその一団体をぐいぐい外に押し出そうとする
…仕方ないか、ジョンダル、かなり困っているみたいだし…
俺は諦めてその塊が移動するのを眺めていた
塊の中のテジュンが俺の方を切ない顔で振り返る。潤んだ瞳と長い睫毛
俺は駆け寄りヨンナムさんを止める
「なぁんだよぉもぉっ」
「ちょっとだけ待って」
「なによ!」
唇を尖がらせる『テジュンと同じ顔』を覗き込む。子どもっぽいところや甘えた仕種に心を揺さぶられたのにな…
俺を好きだと言った。俺の体を這った。その唇
もうときめかない。だってこの人ははじめっから俺を『友達』としか思ってなかったんだ…
『大好きな友達』でしかなかったんだ、俺は…
ヨンナムさんの中に俺の知らないテジュンの姿を見ていた。俺が一人で勝手にこの人を思い、恋焦がれ、そして離れた
それだけのことだったんだ…それだけの…
『僕とテジュンを重ねないで!』
『重ねてなんかいないよ…』
重ねてしまっていた、テジュンと貴方を。違う人だと言い聞かせながら、テジュンにこんな風にしてほしいと思ってた
奥深くにある貴方自身を、結局俺は見つけることができなかったのかもしれない。それでもやっぱり好きだった。多分、友達以上に貴方を好きだった
ヨンナムさんに微笑かけた後、俺はテジュンの頭を引き寄せ耳元に囁いた
明日、楽しみにしてる…
テジュンから離れ、見送る。明日は絶対に二人で過ごすのだ。今夜は我慢しよう。俺はテジュンに手を振った
移動する塊からテジュンが抜け出てきた。俺の首に巻きつき、一緒にいたいのに…と呟いた。どうしようもなく可愛くて、俺は唇を寄せる
待ちきれない風にテジュンは、俺の唇に吸い付く。ああ…テジュン…
「もういいだろ?」
「一人だけ幸せに浸ってていいはずはない!」
「そうだよ!可愛い子ぶりっこめ!クソジジイのくせに!」
「見せつけなくてもいいと思います」
「祭りん時のキム・イナはもっとヤ~らしかった」
ソクとギョンジンとヨンナムさんとドンヒとホンピョが一斉に文句を言い始めた
確かに俺達は今、とっても幸せなんだもんな。くふふふ
笑いながらもう一度テジュンの唇に軽くキスをして、わかった、続きは明日にすると言い、テジュンを塊に戻した
テジュンは切なそうな顔のまま、扉の向こうに消えた
さぁてと…、マンションに帰るとするか…
事務所にいたイヌ先生に今日の遅刻の訳を話し、それからテジュンがどんなに可愛かったを話し、ついにはウシクに事務所から『突き出され』てしまった
夜空を見上げながらマンションに向かう。そうだ、今夜は『キツネ』と寝よう。但し、可愛いほうの『コギツネ』と
寒さの和らいだ街を、平穏でいられることに感謝しながら歩いた
*****
場の雰囲気もあった。ギョンジンの話とやらを聞かなくちゃなんないとも思う。けどどうしても真っ直ぐにあいつの顔を見る勇気がない。というか、俺、まだ心の準備ができてないのかもしれない
あの夜、ズタボロのあいつの声を聞いた時は俺、確かにあいつを甘えさせてやろうって決心してたのに…
テジュンをいじくってるスヒョクは、いつもと違って色っぽかった。その色気が哀しそうに見えたのと、奴の顔見てたらなんだか鏡見てるみたいに思えたってのもある
それで俺は突然、強引にスヒョクを飲みに誘った。スヒョクは頷いてついてきた
考えてみればこの組み合わせって珍しいよね、そう言うとスヒョクは祭ん時以来だね、と静かに答えた
「祭?」
「やだな。忘れたのかよ。俺達同室だったろ」
「え?あ…そうだっけ?」
「…。ラブは毎晩どっかに行ってたからね~」
「えーっと…」
「あの頃ってお前ミンジちゃんと付き合ってたんじゃなかったっけ?」
「あ…そうだった」
「聞いてもいい?ミンジちゃんとはどこまで…」
「だめ!そういう話は飲み屋に行ってからにして!」
「…」
ミンジちゃんとのことなんて、酒でも飲まなきゃ答えられないってぇの!
それにしても、俺達は祭の時一緒の部屋だったのに、全くと言っていいほどかかわりを持とうとしなかった
「お前ったら夜行性だったじゃん?夜になるとどっか行くから、お前ってコウモリなのかって思ってた」
「コウモリ…」
「昼間ずーっと寝てるし。とっつきにくかったなぁ」
「スヒョクだって…。人を寄せ付けない雰囲気持ってたもん。だから怖くてぇ~俺はぁ~夜にぃ~遊びに行ってぇ~気を紛らしてたの」
「ふぅぅぅん」
「へ~んだ」
「…。へちゃむくれ…」
「違うもんっ!」
軽口を叩きながら、俺達は居酒屋に入った。店内を見回したスヒョクは俺の隣のカウンター席に腰掛け、くふっと笑った
「なによ。ここじゃ不満?」
「いや。ラブのことだからもっとオシャレなところかと思ってた」
「…。ヤなら場所変えるけど」
「ヤじゃないよ。いい雰囲気」
「でしょ?スヒョク、何飲む?焼酎?それとも焼酎?」
「…。じゃ、焼酎」
「あいよっ。おじさぁん、焼酎持って来て~。あと、おすすめのオツマミね」
「…。おじさんか…」
「ん?」
「お前、祭ン時、ギョンジンさんのこと『おじさん』って言ってたよね?」
「ん…あ…ああそうだっけ?」
「それがいつの間にかドレイ扱いだもんなぁ」
「だってドレイだもん!」
「誰が誰のドレイだって?いくらラブちゃんが可愛くてもおっちゃんはドレイにはなんねぇぞ」
「やだなぁ、おっちゃんドレイにしたらおばちゃんに引っ叩かれるからしないよぉ」
気のいい親父さんと軽く言葉を交わした後、スヒョクと乾杯する。酒が進むにつれ、お互いのプライベートな部分にさぐりを入れて行く
スヒョクはまず、ミンジちゃんと俺の関係を問い質した。キスまで、と正直に答えたのに信じてくれない。お前がそんなところで終わるはずがない、なんて言う
ふぅ、とため息をついて俺は答えた。俺だってそこで終わりにするつもりはなかったよ、健康な男子なんだからさぁ、でも…ほんの軽く、ほんっとにほんの軽く唇にキスした時にさぁ…ふぅ…、スヒョクは目を輝かせて俺の顔を覗き込んでいる…ああ…
「すっごい…イヤな顔された」
「なんでっ?!ミンジちゃんお前の事随分気に入ってたじゃないか!」
「…それなんだよ…。ミンジちゃん、なんで俺の事気に入ってたか知ってるだろ?」
「え?」
「…『おにいちゃんそっくり』だったから…」
そう言ってから『おにいちゃん』という言葉にドキンとした
「おにいちゃんって…ミンチョルさんか…」
「そ。だからぁ…」
「ああ!おにいちゃんにチューされたみたいでヤだったのかぁ」
『おにいちゃん』
あいつの顔。あいつの弟の顔。ミンジちゃんの顔。ミンチョルさんの顔
「図星だろ?ん?ん?」
スヒョクの茶化した調子があいつの顔を遠ざける
「…ぅん。それと…」
「それと?…。…。わかった!『おにいちゃんだったらもっとスゴォいキスするのに』とか?」
「…」
「…と…か…?」
「無理だよ。俺には…あんな…」
「…。まあ…。無理だよな、俺達にあのキスは…」
「はぁ…」
「…。で、でもいいじゃん?ミンジちゃんと別れたおかげでギョンジンさんと知り合えたんだから」
「けっ!」
「…けっ…て…」
「ふん!あんな奴」
蹴っ飛ばすように吐き捨て、グビグビグビと瓶に口をつけて焼酎を流し込んだ
あんなに大切にされてるのに何が不満なのさ、わかんねぇ奴、と呟くスヒョクに向き直り、『お前だってそうじゃないか!』と言おうとした
スヒョクが寂しそうな顔をしていたので、俺は言葉を呑みこんだ
「俺も…大事にしてもらってる…。けど、お前みたいに…」
そこで言葉を切って、今俺がやったような飲み方で、スヒョクは焼酎をあおった
「スヒョク、ソクさんとどうなってるの?」
聞いてもいいのかどうか迷ったけど、酒の勢いを借りて探りを入れてみた
「あれ?言わなかった?一回っきりだって」グビグビ
「…ほんとに一度っきり?」
「そ!」
「…」
「はあっ!」
「えと…でも…毎日一緒にいるじゃん?」
「一緒にいて、キスして、一緒の布団で寝て、ああ『寝る』って『眠る』ってことね。んでご飯食べて…そんだけ」
「…うん…」
「一緒に…生きてる…んだよな、ソクさんと俺…。けど…。はぁ…」
そうだね、一緒に生きてるんだよね、俺もあいつと…
「ふぅ…」
「ラブがため息つくことないだろ!」グビグビ
「いいじゃん、俺だってため息つきたいんだもん」グビグビ
「しっかしさあ!」
スヒョクが焼酎の瓶をドンとカウンターに置き、俺の方を向いた
「イナさんはなんでああなの?」
「え?」
「俺のソクさんなのにさ!」グビ「ソクさんの不調、治すんだもん。今日だって…」グビ「甘えたり甘えさせたり、なんであんなに自在なの?にくったらしい!」
「スヒョク…」
「今日のテジュンさん見た?!どうよあれ!」
沈んじゃうんじゃないかと思ってたスヒョクは『本日のイナさんの包容力に対する理不尽な怒り』に燃え始めた
それは、俺も、そう思う。でも俺は知ってる。イナさんの『今日の』包容力は苦しい道のりを歩いてきて得たものだってことを
それでも俺もやっぱり悔しい。なんであの人は辿り着けるのか。どうして俺にはできないのか
僻みだとわかっていても口にせずにはいられない。テジュンの蕩けた顔を思い出すとますます悔しい
それにあいつ…
いざとなるとあいつが凭れかかるのはやっぱりイナさんなんだもの…悔しい
「なんか俺もちょっと腹が立ってきた」ぐびっ
「だろ?だいたいさぁ、テジュンさんって人がいるのに、なんでソクさんを癒すわけ?!」ぐびっ
「そうだよな。テジュンの面倒だけみてりゃいいのになんであのバカをほっとけないわけ?!」ぐびっ
「「俺に任せろよな!五歳児のくせにっ!」」ぐびぐびっ
腹立たしさの矛先を、幸せそうなイナさんに向け、俺達は盛り上がった
イナさんをこきおろして爽快な気分になるなんて、酷いな、俺達。けどでもやっぱり、許せない!と乾杯を繰り返した
おっちゃんが、ラブちゃん、今日のテンション変だね…と呟いて青唐辛子を差し出した
齧りついてヒーヒー言いながら、イナさんの口いっぱいにこいつをぶち込んでやりたい、と俺達の毒づきは止まらなかった
イナさんを肴に結構な量の焼酎を流し込んだ後、次ぎ行こう次、と立ち上がったスヒョクを追って俺は居酒屋を出た
街中をフラフラ歩きながらスヒョクは、俺もテジュンさんと浮気するぅなんて叫ぶ
「テジュンは俺のモノなんだから!」
ちがうけど…
「んじゃ、ギョンジンさんと浮気する」
「ぎ…ギョンジンは…」
「ん?ん?ん?」
俺のテンション、やっぱり変だ。急に舌がもつれ出した
「ん…と…えと…。…。どうぞ。やれば?」
「え~っ?!いいのぉ?!じゃ、今度迫ってみよっとぉ」
スヒョクの目にいたずらな光が宿っている。いつもの俺なら『女王様の如く』振舞えるのに…
「…」
「ん?なに?急にショボンとなっちゃってぇ。大丈夫だよぉ、ラブの大事なギョンジンさんに迫ったりしませんから」
「…ん…別に…いいよ…」
「どしたのさ、なんか悩みがあるんなら俺が聞いてやるよぉハハハ」
スヒョクは陽気な笑い声をあげた。長く続いた笑い声の切れ端は、やっぱり寂しそうだった
「はぁ…はしゃいだら疲れちった…ちょい休憩…」
街路樹に凭れ、少し俯いたスヒョクは、泣いているように見える
「なぁんか俺、…もっと明るい性格だといいのに…」
深くため息をついて、スヒョクはますます俯いた
「もっとこう…なぁんにも気にしないって吹き飛ばしちゃえるといいのに…」
ブツブツ言いながら上着のポケットを探ってタバコを探すスヒョクに、俺は自分のタバコを差し出しながら近づいた
「…大事なものさえわかってれば、後はなるようになるって…毎日明るく笑って過ごせればいいのに…」
「タバコ。吸えよ」
「…ありがと…」
1本飛び出したタバコを口で受け取ったスヒョクは、もう一度街路樹に凭れかかって俺の方を見た
「火、貸してくんない?」
「返してくれるの?」
からかいながらライターを灯す
火を受け取りに来たスヒョクは色っぽい
一服吸って煙を吐き出し口からタバコを外したスヒョクの顎を捕まえる
「…なにさ」
「返してくれる?」
「え?火?お前も吸うの?」
きょとんとしているスヒョクの唇に唇で触れる
そのまま舌を滑り込ませると躊躇していた舌が絡み付いてきた
なんのキスだろう。酔っ払った不満だらけの俺達は、街の真ん中に立つ木の下でキスしている
頭の中にいるのは『あの人』であり『あいつ』であり…
そうだろうか?ただの身代わりなんだろうか?
ふいにスヒョクの唇が外れ、すすり泣く声がした
「やだ…こんな…やだ…俺…」
しまった。ついキスしちゃったけどスヒョクは『清純派』だったんだ
「ごめん、お前、可愛かったからつい…」
「やだ…もう、俺、やだ。こんな俺、もう…」
「ごめん。俺が悪かった。泣くなよ」
「ちがう…俺が…ラブ…悪くない…俺が…自分が…ヤで」
自分が嫌で…
スヒョクが何故泣いているのか、俺のからだは感じ取っている。うまく説明できないのにとてもよくわかっている
俺のキスに応えてしまった自分が許せないってのも少しはあるんだろう。真面目な可愛いスヒョク
でも、それだけじゃないんだ…感じ取れるのに説明できない
俺は奴の頭を抱き寄せ、背中を擦ってやった
「俺ってぇ~ついしちゃうんだよな~、キス…」
頃合を見計らってスヒョクから離れ、顔を覗き込んで奴の手を握った
「俺んちに行こ。飲みなおそうよ」
にっこり微笑んだ俺をスヒョクは疑いと驚きの表情で見つめた。あれ?
「な…なんだよその目。俺が何かすると思ってんの?!」
「だっていきなりキスしたもん…」
「それはぁ~だからぁ~つい…。それ以上のことはぁ~しないしぃ~」
「…ほんと?」
「ほんとだよ。しないってば!飲み足りないだろ?だからさ、うちにおいでよ」
「…ん…」
スヒョクはコクンと頷き、ようやく笑った
俺達は手を繋いでマンションまで歩いた
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