piled timber

姉弟


そう言えば風呂に入るのも私の記憶では姉と入った記憶は無い。僕は母と入り、姉は祖母と入っていた。

幼き頃から姉と遊んだ記憶は何も無い、強いてあげるとすれば何かを取り合って喧嘩する位だったろうか?。姉弟であるという事実はあるのだけれど、互いに疎遠になってしまっていた。
そしてそれは互いに社会人となっている現在でも変わる事は無い。

その関係が唯一変わってた時期があった。それは母親が末期の癌に冒されたという時であった。それ以前は私に子供が出来た時ですら、姉から私にお祝いの言葉も、お祝いの品すら無かった。けれど私はそれでも構わなかった。
そんな関係の姉弟ではあったが、母の入院の付き添いを休職してまでした姉は私にとって母との大切な窓口であった。だからこそそれこそ年に一言程度会話すれば良いほうで、会いさえしなければ五年でも会話したことすら無かったのに、母の入院中は不思議なほど姉との会話があった。ただし会話の中身は母の状態に関してでわあったのだけれど。

入院中の母から一度だけこの事を言われた事がある。
「あんた達は昔から仲が悪くて、今だってそんなに仲も良くなくて・・・」
苦笑いをしている母がいた。
そんな母の願いは姉の花嫁姿を見ることだった。そんな母の願いをかなえる為に、私は姉に結婚を考えている人がいる事を聞き出すと、その相手を病院に呼び出して貰った。今にして思えば大きなお世話な話である。けれど、当時の私にとっては母の願いを母の生きているうちにかなえてあげたいという思いが強かったのだ。
呼び出した姉の彼氏と始めてあったのは、病院の待ち合い室だった。日曜の待合室は外来患者がいるわけでもなく人の気配も無い寂しい場所だった。
「突然ですいません。姉との結婚の話が進んでいると聞いたんですが」
「ええ、まあ」
「本当に申し訳無いのですが、前倒しに進めてもらう訳にはいきませんか」
そこで私は母の状態を詳しく伝え、取りあえず病室に見舞って貰う事にした。

六月位を目処にという話だったかと記憶しているが、実際には母の命はそこまで持つことは無かった。が、特別の外出許可の是非を私は担当医と二日に一度の割合で取ってはいたのだけれど、母が姉の花嫁姿を見ることは無かった。

それから一年後姉は結婚した。けれど母の死後、私と姉との関係はまた元に戻っていた。私は彼女の新居の連絡先も知らなければ、姉も私の連絡先を知らないだろう。
つい先日従兄弟の結婚式に参列した際、姉に手を引かれた小さな娘の顔を始めて見た。私以外の従弟妹達は皆顔を知ってはいたのだけれど、唯一私だけがあった事がなかったのだ。

こうして姉の隣に座り披露宴を過ごしたのだが、交わした会話は互いの事では無く、父と祖母の事だけだった。

喧嘩をしていなくても、何か気に食わない、何故か気まずい関係のままである、でも会えば話をするというのは姉弟だからなのかも知れない。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: