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日本を取り戻そう・・・・誰から?ほれ、嫉妬と世界の賞賛を渇望するあの国からか....はたまた、覇権そのものの国策を形振り構わずに推し進めんとするあの国からか.... シマが縄張りなのか、権力を意味するものなのか4年ほど自民党支部に政権を委任して、小沢を冤罪で追放させた後の、口先だけの輩だけが残った支部弟分の無能さを世間に暴露して、過去60数年の自らの汚濁の中に潜って隠れていた連中にまたシノギの機会を与えてやった。4年もあれば、ネット動向を学習する時間も十分あっただろう。どちらかと言えば、反体制を標榜する意見弱者の主張開陳のよすがとされてきたネットワークの利用効果を逆手にとることも覚えただろう。マスメディアの捏造が周知されてきた世情も、充分戦略的利用できると結論をだしたのだろう。 思惑は外れなかった。これで、一向に進まない東日本大震災復興の具体的進展のピッチが上がるならば、ほんの少しでも見直してあげよう。 そんな訳で、まだ何かを書く気も、絵を描く気も失せたままで、本ブログも更新できるほどおちゃらけの気分になれず、今暫らくは、恥ずかしさで、まだ皆様の面前に堂々と出られません。皆様方のご健勝と、全ての災害被災者の方々の少しでも早い復興を祈念しつつ。
2013.01.01
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( せめてもの意地で掲示 ) オメデトウというその一言が、素直に言葉として出しにくい。昨年のたった1年間で、怒りと悲しみが溢れかえり過ぎた。どんな怒りを表明しても、どんな悲惨を訴えても、何を言ってもあの惨禍と人災で積み上げた壁を超えさせられない。唇寒しとはこのことだろう。 年を越えても、今暫らくは全ての被災者、被害者の方達への鎮魂と復興の未来を祈念しつつ、沈黙を続けたい。 気分が沈んだ方にはお詫びします。
2011.12.31
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明けまして おめでとう ございます って、本当にお目出度いのかどうだか分かりませんが、色んな場面で、手前勝手に好きな事を抜かしては沈黙に逃避して、こっそり事の成り行きをカーテンの隙間から覗いている愉快放火犯のような閣僚を制御できない態をお目出度いと言うのか、それとも、サンドウイッチの具になったあの事故から丁度一年ぶりに、バックしてきたアルファルファードというガラがでかいだけの1BOXの尻を、不覚にも軽バンのボンネットに食い込まさせてやった私がお目出度いと言うのか、毛がは無かったというものの、Tバックが食い込むという嬉し恥ずかしレベルの話ではないのだ。 ちょっとは嬉しいが・・・・世間でいう0対100という保険評価が目出度いのか、後ろから前からどうぞと誰が歌うか畑中葉子。一昨年は、サンドウィッチになるわ、昨年は水戸様を顔に押し付けられるはで、ちっとも目出度い年越しをしたと思えないが、本ブログを半年近く放置するしかなかった言い訳にする気は少ししかないものの、訪問して頂いた方々に対する不義理、失礼の段は、自らの能力不足を排除したい実力者に責任転嫁をするオリジナル民酢党を倣い、総て昨年に置き忘れてきよりました。本年も、中断している乗船記を、記憶を頼りに始末をつけますので、何卒、何卒の春をば。
2011.01.01
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お久しぶりです、皆様 いきなりですが、歌います。♪♪ あああああ~ん、やんなっちゃった、あ~んが、んが、驚いた。 政治とカネとは言うけれど、毎日 記事でほじくり倒し、 説明責任迫るけど、貰った機密費 頬っかぶり あああああ~ん、やんなっちゃった、あ~んが、んが、驚いた ♪♪・・・・・領収書無しで貰った官房褒章費(笑)貰った評論家、メディア関係者、どうやって税務申告したんですかねぇ~脱税ですかぁ?得意の説明責任どうすんの?新聞・TV何故追求せんのかな??あんた方が大好きな大大スキャンダルじゃろ・・・・・野党自民の旧政権閣僚にはノータッチという解りやすい方針には笑えます。ザルメディアだけに、都合の悪い記事も、笊の目から零れ落ちるんでしょうな。 ♪♪ あっという間に首相が代わり 小沢の影響遠ざかり、 恐怖も去ったとひと安心、馬鹿でもできるザル取材 あああああ~ん、やんなっちゃった、あ~んが、んが、驚いた。 ♪♪・・・・・・小沢に怯え、尻の穴もつぼまって、本人相手に何も言えず、紙面で大声で喚くザルメディアですねぇ・・・・・あとは、また記者クラブで大本営発の公式声明の横並び。 言った者勝ち、書いた者勝ち、貰い勝ち (腹叩き笑) 早くクロスオーナーシップの見直し法案が立法化されればいいのにね、電波領域オークション販売制もね。♪♪ 独裁政権 声高く 小鳩政権あげつらう 社説を書くのも独裁者 それに気付かぬ編集屋 あああああ~ん、やんなっちゃった、あ~んが、んが、驚いた。 ♪♪ ・・・・・・そんな独裁者経営の新聞会社で、米国の毒饅頭を喰らいながら、何を偉そうに上から目線。 ♪♪ 国民B層釣り易い 世論誘導簡単だ ウソはばれても 報道しない 何れは化ける真実に あああああ~ん、やんなっちゃった、あ~んが、んが、驚いた。 ♪♪ ・・・・・・・いやあ、やっぱり凄い効果です。驚きました。日本支配協力体制簡易早見表としては、色々異論はありましょうが、米ネオコン意志+旧政権党の売国奴→共和党系シンクタンク→米側一部メディア協力→旧政権党既得権益擁護議員→日本国官僚組織→既得権益擁護層+電通+日本側大手メディア協力→政敵転覆というフローでしょうか?菅氏も徹底したスキャンダル調査に晒されるでしょうな。同情の念に耐えません。 何しろ、口先で司法の独立とか、三権分立などと綺麗ごとをほざきながら、冤罪作りに忙しい機関が多いですからして。気ぃつけなはれや!!!そんな訳で、壊れちまった、わし・・・・・・・・のパソコン卑怯にも、突然、画面が固まったかと思うと同時に、真っ黒けになってしまったんですわ。なんや、なんや、なんですかいな!?と、脳味噌が石榴のように弾けそうな瞬間的沸騰をおこしそうになってしまったですわ。 ティファールか・・・・ええ年して、そんなおおげさな表現をするもんではありません。例によって、息子の胸倉を掴んで、 「どーすんだ、どーすんだ、おめえ」と揺さ振ったのです。『ディスプレイが壊れたら、多分、修理代は高いだろうな、お父様』冷たく突き放す息子を横四方固めにして、顎で、肋骨をグリグリやりたい気持ちを抑え、涙を呑んで、尻をポリポリ掻きながら、天を仰ぎ嘆息したのだった・・・・「また、買うんか~」 2008年8月に購入したHPのtx2105を購入しましたと報告して、2010年4月も半ば、たったの1年半でこけてしまった首振りタブレットPC。5月に入って、ようやく12.1インチワイド画面 ASUS UL20A というお徳用PCを入手したのです。気付かない内に肉体から昇華しているメタンガスのような物欲に火が飛んだのです。おまけにBrotherの多機能プリンターにまで食指を伸ばしたのであります。『 なぁ~、おかあちゃん、にしかわの布団買うて~な 』 という関西限定CMの女児の声を真似て、『 なぁ~、おかあちゃん、ブラザーの複合プリンター買うて~な 』 と、おねだり買いをしたのであります。 その後、私の眼鏡は破損し、美しかった私の裸体のあちこちに紫色のあざが点々と出現したのは言うまでもありません。 あ、鼻血が出たのは、別の理由からです。元気です。ほんで、なにが問題かというと、データの移動ということです。 溜めに溜め込んで溢れ返っていた有益無益のデータ。 二度と見ないファイルなども含まれているものの男前の貧乏性は、持って生まれた本性ゆえに、捨てるに忍びなく、邪魔になる訳でもなく数台先のPCの中で眠ることになってもいいち"ゃねえかと、放置することで落着したんです。仕事柄、何かと新製品情報に詳しい息子が【裸族のお立ち台】 という商品があると、馬鹿げた発言をしたのです。(蟹挟みでこかしたろか)という私の顔色を見て、「 いや、ほんまや、ほんまにそんな製品がありまんねんやわ 」 と、千葉県人の癖に、偽上方人の真似をこいて、息子が真顔で断言したのです。そのオフザケ製品を買いましたです。ええ、楽天で、楽天な製品買うたです。そして、納得したのです。ディスプレイが壊れても、HDDには無事なので、PCから取り出した剥き出しHDDが裸族となり、10×5×6cm程のお立ち台(架台)にぶち挿せば、裸族のお立ち台となりその足元から、データがやいのやいのさざめきながら新しいPCに移動してくれるのです。ちゅうか、早い話が、外付けハードディスクに成り代わるもんやね。まあ類似製品が多々あることに気付いたのは、それから後のことです。相変わらず、文明の進歩に疎いわしですが、そんなところが、女子に可愛い~と言われる所以でしょうか。 ほっといてその姿が、まさに、その昔、理想的な父親の立場として、息子に買ってやった懐かしのスーパーファミコンの形状と同じで、私は深い懐旧の念に囚われたのです。あーだこーだ言いながら、ほぼ旧PCのデータを復旧し終えたのでありますが、何と、肝心なこのフェリー乗船記の続きを消してしまっておることに気付いたのです。バックアップが如何に大事かということを思い知らされてしもうたのです。今、またすこしづつ思い出しながら記事を書いていますが、その間の繋ぎでこれ書いとります。 針、のち船の旅 オーシャンフェリー 4 をアプしようと思っていたのです。その序に、現れては消えて悪臭だけを残していく政界面活性剤の泡の如き栄枯盛衰と、それを報じる笊升メディアの、こと政治行政に関わる報道内容に対して、どう読んでも姑息な世論誘導論調を感じてしまう私は、喚き声を上げて、両腕を振り回しながら、大粒の涙を浮かべ抗議をしたくて、ちょっと書いてみましたんやで。誰に抗議をしたいのか・・・・言わずもがなのことですわ。 システムですわ、支配システム
2010.06.07
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皆様、ご存知のように、ハイチ共和国で地震による大災害が発生しました。既に、何らかの募金活動に協力された方も多いことと思います。ダイアルQ2や各放送局などでも告知しているようですが、ともる-さん から教えて貰ったもので、楽天のポイントでも募金が出来るようです。募金活動の中のひとつで、楽天ポイントで募金をするという活動をしているショップがあります。【ストラップヤでも募金活動中】携帯電話用の便利ストラップなどの販売で活躍されているお店です。まだしていないけど、気にかかっていた方や、使う予定の無いポイントがある方、その内の一部でも、【ストラップヤ】さん経由で募金してみませんか。アフィりエート広告などではありませんので、ご安心下さい。ちょっと覗いて、その気になればで結構です。以下、同ショップからの引用です。ストラップヤ 募金活動ページ1月13日 6時53分(日本時間)、ハイチ共和国でマグニチュード 7.0の地震が発生しました。地震そのものの被害もさることながら、同国の政情は安定しているとは言い難く、推定死者は10万人を越えるという甚大な被害をもたらしました。私たちにも何かできないかと考えました。皆さまのお持ちの楽天ポイントを募金しませんか?期間限定の楽天ポイントなどは期間が切れてしまえば消えてしまいます。そんな使う予定のない楽天ポイントを集め救援活動に役に立てば少しでも多くの命を救えるのではないでしょうか?ストラップヤでは,お預かりした募金は、一括で日本赤十字社の被災地救援活動等支援募金に寄付させていただきます。その際に、弊社にてお預かりした金額の10%をプラスして募金致します。引用おわりご協力お願いします。
2010.01.31
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針、のち船の旅 オーシャンフェリー 3撮った写真が圧倒的に少ないのは、船上の雰囲気に浸りきっていた私が悪いのですが、バッテリーがヘタっているのは・・・あっ、やっぱり気付かなかった私が悪いのですが、下手な写真より、直接 オーシャン東九フェリーの Web site へ訪問して頂いた方がよろしきかなと、ちょっと苦しい言い訳をしつつ・・・えっ! 貧弱な画像しかないのに、旅日記など書くな!謝れですって!?はい、航空機のボーディングボードのような通路が、ターミナルビルの2階と乗船口を結んでいる。 徒歩乗船客の待合室で、僅かな時間を潰そうと文庫本を開いたが没頭する間もなく、乗船のアナウンスが響いた。私を含めて5、6名の徒歩客が、急かれるように小走りに足を進める。余りの旅客の少なさに、そうしなければいけないような強迫観念が生まれる。その焦りを押し隠すように・・・・乗降口を跨げば、そこは ほれ、もう私のワンダーランド。そのままレセプションホールとなり、乗船受付をするスチュアードがにこやかに私を迎え入れる。 鷹揚に頷きながら、躓いて、オットット走りにならないよう細心の注意を払って歩を進める私は、野菜工場を視察に来た首領様の如く、悠揚迫らざる立派な御姿に、人民に感動を呼び起こしていたかもしれない。正面に広い昇降階段、右側にラウンジ、左側の船首よりが客室のようである。ホールは吹き抜けとなっており、階上にはホールを見下ろす回廊がぐるりと囲む格好である。精一杯お洒落をした感じであるが、 利用者としてはこれ以上の設備は望むべくもない。 乗りたくて乗る人間にとっては、贅を凝らした調度よりも頑丈な船殻と逞しい動力の頼母しさこそが嬉しい。最低限の居住環境が整っていれば良いのである。 元より、乗用車やトラックを運ぶことが主任務であり、観光船でもなければクルーズ用客船でもないのだ。 実用一点張りでも、何ら支障は無い。既にラウンジでのんびりしている乗客が何組か居た。北九州と東京間航路であって、徳島は寄港地なのだ。 正確に言うと、北九州の新門司港 ~徳島津田港~東京港の各フェリーターミナル間を結んでいる。北九州で乗船していた客が、「 あぁ~、ようやっと半分来たばいね 」 と、寛いでいるのも当然といえば当然だ。約15時間、長くて18時間の単調な船上生活に耐えてきた乗船客には、徳島に入港し、たった1時間余りの停泊でも、更なる16時間近くの船旅に、覚悟とも諦めともつかぬ折り合いをつけようと努めるのだろう。 船旅が嫌いな人であれば、居たたまれない気分になるのも察して余りある。その昔、私が生意気さと男前だけが取り柄の大学生だった頃は、北九州~徳島~千葉の木更津を結ぶ航路だった。 安さが魅力の高速バスより、学割が効く電車より、私は カシオペア ( 当時の船名 ) に乗りたいがために、 徳島からわざわざ千葉まで乗船し、東京湾をぐるり陸路で戻り、横浜の下宿に辿り着くという、 今で言えば、ホラ、あの事業仕分けで蓮舫議員 に、け〇毛まで抜かれそうな無駄をこきまくっていたのだ。しかし私は、決して金銭的な無駄をしていた訳ではない。只管、自分の時間を無為に消費していただけである。 乗船さえすれば、好むと好まざるに関わらず、時間はたっぷり16時間もあると、早く船内探索をしたいとはやる気持ちを抑えて、金持ちに見えるように、悠然と割り当てられた船室へと向かった。この航路は2種類のタイプの船が運航している。スタンダードタイプ と カジュアルタイプ というのが、その営業上の区分だが、この命名にはちょっと気恥ずかしさを覚えてしまう。 技が無さ過ぎ・・・・あ、会社への悪口ではありません・・・ えっ! 謝れですって???はい、 この航路の兄弟船のスタンダードタイプなら、二等船室はカーペット敷きの固い床で雑魚寝型。 シーズン中には好みの場所を確保するのに、 客同士のタックルあり、足掛けあり、倒れた客の上を這って先駆けするなどの技を競い合う必要がある・・・んな、馬鹿な!、嘘抜かせ!、謝れですって!?はい、 私が悪うございました。 ( シーズン中は、ちょっと焦らされる客室である )カジュアルタイプの船室は全室二等寝台室で、二段ベッド3列が向かい合う。同じような船室が並んでいるので、他の船室も似た作りだと思うが、カプセルホテルのように筒口から出入りするのではないので、窮屈さは無い。都合12人部屋であるが、入ったのは5人で、それぞれが下段のベッドをあてがわれた。 敢えて上段のベッドを望む乗客はいないだろう。私の乗船券面の指定は、窓際の下段であった。横揺れがあれば一番振れ角度の大きい場所になるが、一切気にならない。寧ろ私の望んだ場所だった。カーテンを引けば、曲りなりにもプライバシーは在る。固めのマットレスと、枕元にはコンセントタップ付きの蛍光灯がある。洗面用具と1日分の着替え、文庫本とデジカメだけの荷物が、私の寝床で邪魔になろう筈も無く、寝台列車の寝床よりずっと余裕を感じた。**** 政界への悪口雑言を並べなくて済む記事は清々しい・・・とか何とか・・・
2010.01.26
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針、のち船の旅 オーシャンフェリー 2 <オーシャン東九フェリー> 乗船待機場 後ろでのんびり寝そべっているのが 眉山 新年の挨拶だけは欠かせなかったので、ひとつ穴が開いてしまったが、 港のターミナルに到着したタク・・・ベンツから颯爽と、腰を庇うようにそろそろと降り立った私は、乗船券の販売所に急いだ。出港時間まではたっぷりあったが、乗船前に船の写真をとるつもりだったのだ。その意気や良しにしても、またまた私の浅知恵に思い知らされることとなった。ターミナルビルの前は、乗船待機車両の広い駐車場となっている。船はターミナルビルの裏側の桟橋に繋留されているため、俯瞰的に船の全景を撮るには相当な距離と高度が必要となる。何しろ、全長166m 全幅25m の巨躯であるからその浅知恵ゆえの、掲載画像である。 ほっといて見事に船体の一部しか映っていないのは、私のカメラセンスで意図的に撮ったものではなく、ただ先を考える能力が、比較的、欠如しているせいだったのだ。道理で奥行きのない絵を描いているわけだ。 ほっといて 乗船カードに住所・氏名を書き込んで、券売所窓口に提出する。徒歩乗船者は珍しいのか、職員のおねぃさんの随分と丁寧な応対。乗船の手順や、プリペイドカードの使い方まで色々と教えてくれた。プリペイドカードと言うのは、船内に設置された軽食自動販売機専用のもので、都合、5回分の使用権がある。 「お得ですょ~」 おねぃさんは勧めてくれた。それでも、身ひとつなら1万2千弱の料金だ。16時間も船旅を味わってこの値段。阿波踊りを踊りたくなっても不思議は無い。どの自動販売機も、にこにこ払いなら300円均一。私はおねいさんの言いなりに、お得ですょ~ のプリペイドカードにした。5食分も冷凍食かい!とうんざりすることはなかった。実は寧ろ望むところだった。腰の痛みが治まっている今、一昼夜位、非常食で過ごすことに何の不満が有り得ようか。。偏った栄養摂取、溢れる熱量、留まる脂肪・・・「どーんと来い、超剰余現象」 の心境だ。 ( ここ笑うてね )自動販売機のメニューとは、高速道路のSAやPAでよく見かける冷凍食品オンパレードの品揃えだろうと予測した。航空機と同じように、船舶にも出航1時間前に到着する旨の注意事項がある。規律があれば、糞真面目に守る傾向が強い私は、それよりもまだ30分ばかり余計に到着し、場合によっては搭乗前の落ち着かない時間を持て余すことがしばしば。喫煙ルームを出たり入ったり、気に食わなそうな同乗客を見つけては、あんな奴と隣り合わせたくないな・・・などと余計なストレスに晒される。ほんの1、2時間の運命共同体とは言え、ツンと澄ましかえっている隣り合った客に、「お宅、知ってはりますか? この機体って、ほんまは銀紙貼り付けたベニヤ板でできますねやで」 などと冗談を言えそうにない雰囲気がどうも好きになれないのだ。 はい、わしが悪うございました。 しかし、乗船の場合は、退屈を紛らわすものが無くとも、妙に浮ついてわくわくしているのだ。 フェリーが停泊している同じ水路の奥にはうっすらと眉山が浮かんでいる。何の変哲もない、なだらかなだけのその山に背を向けて、ろくに写真も撮れないまま、ターミナルビルに戻った。 ほぼ部外者立ち入り禁止の場所にて
2010.01.13
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。オーシャン東九フェリー乗船記の途中ではありますが、新年ご挨拶を優先させる方が、凄く感じ良く思われるだろうと考えた次第でございます。どうです、惚れたでしょう。( お願いですから・・ひと言) まあ、自・公明連立政権が下野して以来、おちょくるには、余りにその背景が貧弱となり過ぎて、その結果、癖の強い人物も萎んでしまい、カリカチュアする甲斐が失せてきております。( 実際には、2名程、描き置いてはおりますけどね )かといって、民主の流れを支持してきたわしにとって、民主・社民・国民連立政権(長いわ!)の発足以来、露呈してきたドタバタ・ジタバタ劇を逆手に取って、未だ己を【社会の公器】と誤認している升メディアが、高所から、こぞってご都合正義理念を駆使した情緒的揺さ振り・煽り立て戦法を見るにつけ、容易に揺さ振られてしまう世論の弱腰の一部に成るのを拒み、そしてまた、掌返しのように自己の信条を変節するような、理念無き衆の行いとは一線を画すために、今暫く、その行方を見守ろうと我慢の時でもあります。***.google.com から5~15分ごとにアクセスしてくれるちょっと頭の緩そうな貴方にもおめでとうござ・・・あっ、【おめでたい】ことでございます。まあ、することが無いのでしょうな。良いですよ、どんどんアクセスして下さい。うん。ランクりは1日1回でええからね。どうせ見てないし・・・そんな事で、おまはんの鬱屈が解消されるなら、それも人助けになるもんな。わしの腕でお泣き。
2009.12.31
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針、のち船の旅 オーシャンフェリーこれは、前記事の事故で蒙った被害の治療の話ではなく、3年ほど前の出来事を、また長々と内容を水増しし、何度かに分けて報告するものであります。( いつもの手ぇやで ) 読んで得することは、一切書いてまへんで。 長いだけです。 昨夜の雨の跡形もなく、日本晴れの空が広がっていた。最近、日本語の用法が乱れて使われていることが多いようだが、 ( あ~、わしのは勘弁して下さい ) 日本晴れというのは、実は徳島県上空に雲ひとつない状態を言うのだ。 知らなかった方は、この機会に是非覚えておいて頂きたい。うん。そんな日本晴れのもと、実家から6軒離れた鍼灸院に今朝も向かった。針を刺されに行った。これまでの業罰 ( 例えば、政治屋への悪口雑言や自分を男前だと言い張る傲慢さや、魚介類が食えないとか )により、針の筵に座らされるのではなく、私自身が筵になるのだ。ハリネズミのコスプレをさせられることになったのだ。危険な時に自ら尻尾を切ってでも逃げようとするヘッコを笑ってられない。鋭い針を突っ立てられようというのに、逃げることも叶わない。這っても痛い、立っても痛い、括約筋を締めても痛い。思いっきりくしゃみもできないフラストレーションを抱えながら、訳あって帰省していた私は、精神的にも肉体的にも、暗澹たる状態だった。初めての針治療、と言ってもこの日で3日目の針治療が終了した。初日の治療で痛みが嘘のように雲散霧消していた。続けて針を打つのは良くないと鍼灸師は言っていたらしいが、帰省中が好機とばかりに、家人が3日分の予約を押し込んだらしい。噂の名人だからと、気の進まない私に有無を言わせない強行措置。恐る恐る診察台にうつ伏して、さらけ出した私の滑らかな背中に忍び寄る指・・・・「駄目!そこは駄目.....」違うっ、ちゅうねん。3日目の今日、最終日の治療には電気針という名称の、耳にするだに恐ろしげな施術だった。ピクピクとパルス波を送ってくる電気針の犠牲となって、 硬い治療代の上で為すすべも無く横たわっていると、波長を変調しているのか、腰の深部で、発泡酒の泡がプチプチと、弾けるような刺激が早くなったり遅くなったり、はたまた連続的になったりしながら痛みをほぐしていく。 糸ほどの太さにもかかわらず。すりこぎほどのものが入り込んでいるような感触とも言えようか、まったく奇妙な感覚だ。しかも心地良い。手指で圧迫する場合は飽くまで体外から痛み全体を覆うような感触だが、針の場合、その先端が重みを持って痛みの核心を突付いている。 文字通り局所治療だ。治療が終わった時に感じたのは現代の中国社会の諸問題は別として、中国4000年の歴史だ。ウーロン茶だけではないのだ。経絡秘孔を知り尽くした治療がもたらす効果は、理論武装された西洋医学を超える部分が間違いなくあると思う。 新神戸駅から徳島直行の高速バスに乗り込んだ時の痛みが95%は無くなっていた。その即効性を考えれば、一時的な空腹感が、 一杯のカップラーメンで満たされるのとほぼ同等な効果があるようだ。問題は、この効果がいつまで続くのかという不安が残ることであった。 100%でない理由は、この不安という要素である。慢性ではない腰痛は、いきなりやってくる。駆け足でやってくるのではない。ある日、こっそり忍び寄ってきて、何の前触れも無く、 私の、或いは貴方の腰を痛打してけつかるのだ。痛みに対抗しようとしても無駄だ。咳やくしゃみは禁物だ。僅かでも腰の筋肉を使う動作をすれば、その度に情けない顔をして、「あ、だだだだぁ~」 と、これまた情けない悲鳴をあげることになる。皆様が、トイレの中で腰痛に襲われることがないよう祈るばかりである。( んこするのにも困ることになる ) 自宅に戻り、折り返すように迎えのベンツに乗り込んだ。私は、車はベンツしか知らない。4本のタイヤがついていれば 全てベンツと呼んでいる。屋根に提灯を載せていようが四角のライトが点灯していようが、ベンツとして分類している。リヤカーもベンツに間違いない。 ベンツの運転手はしきりと船旅を羨ましがった。初老の運転手が言った。「よろしいなあ、旅行ですかいな? わいもいつかはあの船に乗ってみたいんですわ」 私は鷹揚に頷き 「そやろ?そら誰でもあれに乗ってみたいわなあ.....」 「まあ、いつかと言わんで、六日に乗ってみ 」 とベタな駄洒落ながらもどこまでも洗練された阿波弁で返した。 オーシャン東九フェリー(現 オーシャントランス株式会社)は津田港フェリーターミナルから出航する。新町川の水路を挟んで対岸は徳島港フェリーターミナルがあり、こちらは徳島と和歌山港を結ぶ南海フェリーの乗船専用である。紛らわしくて.....どーも、すぃゃせん。この乗船場所を間違えると、移動にはタクシーを使っても10分はかかることになる。バス乗り継ぎや、徒歩は考慮外とする位、不便なのだ。 ほっといて。 山デジさん:波打ち際を表現するって難しいですわ。山デジさんの画像を 参考にさせて頂いたのですが、記憶の浜を甦らせるのは無理でした。 もっとスケッチが必要なようです。有り難うございました。
2009.12.23
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ドッカ~ン!と一発・・・・・・やられました。うしろからです。 思い切り圧し塞がれたように突っ伏してしまいました。巨人のおかま に後ろから押し倒されて、これから乱暴狼藉を受けるのかと、老いてもなお美しい私の脳裏に、一瞬、そんな不安がよぎったのは否めません。これも今までの記事の中で、散々、水戸様を冗談のネタにしてきた罰だと、諦めにも似た気持ちで、その場合、「いやん、いやん」 とシナをつけて罰を受ければ良いのか、野太い声で吼えるように迎え容れれば良いのか、選択を迫られている気分に襲われたのも・・・・って、ちゃうやん。・・・・また、悪い癖が出てしまいよりました。いっかな更新しようという誠意の見られない私のブログに、いつもご訪問下さっている皆様に、感謝の念とご報告の意を込めて、場違いなおふざけを弄している次第でございます。ご心配をおかけするのは本意ではないので、深刻な内容にならぬよう普通に書き始めたら、こうなりましてん。ほーです。交通事故の被害者となりました。国道の交差点で、信号が青に変わり、先頭の乗用車が動き始めるのにあわせて、同時にブレーキを緩め始めた私の背中に・・・・ドッカーン! と 一発、後ろから、いてこまされたじゃないですか。ハンドルの下に下半身を残して、上半身はフロントウィンドウを突き破ってVista から Windows 7 の側に飛び出すのかと、強い不安を抱いたのですが、メロンパンのような見事なスロープを描く腹筋とハンドルのおかげで、慣性の法則に打ち勝ったのです。何もかもメタボのお蔭と感謝しております。ぼよよ~ん、ぼよよ~んハンドル と メロンパン腹のお蔭だけではありません。思い起こせば、木っ端になったリアゲートの窓ガラスが運転席の私に降りかかるのを視認しながらも、ハンドルから叩き外された左手を咄嗟にダッシュボードにあてて、座席シート共々、ハンドルにめり込ませようとする悪魔の慣性に対抗していたのです。衝突のショックは、座席シートのスライド機構を容易に破壊せしめ、健康器具のボート漕ぎ運動の如き有様になりおおせました。同時に先頭の乗用車の尻が目前に迫るのを、為す術も無く見守るだけでした。ちっぽけなブレーキペダルから 3 E 幅広安全靴 の底は滑り、当然の如く、右膝をダッシュボードに打ち付けたまま、今度は前から、ドッカーンともう一発を喰らったのです。正確に言うとちょっと違います。ほーです。私もまた 釜って・・・・構ってしまったのです。釜突き・・・・玉突き衝突 という結果と相成ったわけです。 いやん・・・ 我が身を守ろうと突っ張っている状態で、咄嗟にブレーキペダルに足を戻す暇もなく、ハットリ君の如き反射神経を誇っていた私にも、年経るに従い老化の一途を辿る瞬間が当にこの時だったのです。流石に軽四バンの尻は、大型コンテナー車の顔に勝てる筈もないことを思い知ったのでした。何を隠そう、尻も隠そう。昨年5月から始めた自営の軽貨物チャーター輸送。前日の夜中に福島県の喜多方市へ納品した帰路でありましたな。南会津の風景をデジカメで切り取ったり、清流を一時眺めたりと仕事と観光をチャンポンにするきらいのある私に、、午後早くもあり、国道を走る車の影もまばらなことをいいことに気分は、水戸黄門マーチ でも口ずさみたくなるような高揚感に包まれ、実際、東野栄治郎バージョン で歌い始めているのでした。茨城県も、下館を過ぎる辺りから、観光気分を失せさせる勝手知ったる風景に、「ああ、あと70km程で自宅だの」と、弛みそうになる気分と茨城だけに、水戸様も 引き締めたところだったのです。 先頭車に圧迫感を与えない程度に車間を取って停止をした私の視界には、しっかり、バックミラーに映る巨大な影を認めていました。近づきつつある鬼瓦のような大型車の顔面に、少しおいどがむづ痒くなると同時に不吉な予感を覚えたのも確かです。信号の変わりばなの排気ブレーキ音が、やたらと、スカしっ屁のような下品な音をたてているのを耳にしていました。そして、信号が青に変ったとほぼ同時に発生した事故なのです。大型が後ろに迫った時、車間をどれだけ空けているかで、そのドライバーの安全優先度が分かります。車間を詰めてにじり寄り、じわじわプレッシャーをかけてくるドライバーは、総じてイラが湧いている状態であります。バックミラーの中に映じるのは、大型車のフロントグリルのみ。メンチカツを切ってやろうにも、近寄り過ぎて運転席までは見えない。顔を見られないのをいいことに、どうだ、さっさと行けと言わんばかりに押し込んできた結果が、自分の首を絞めたのです。納入時間を優先させたい気持ちと、ままならない交通事情の間隙で、交通安全への意識は薄まるばかりなんでしょうな。ようやく採算がとれるところまできたところ、一月近く、寸断されるのはちと精神的にキツイし、前後が見事に内部にめり込んだ愛車のケロ四号は、 くしゃみが出掛かって、思わず顔をしかめたような不細工な有様になっておりました。 幸か不幸か、そのお蔭で、腰椎・頚椎捻挫による3週間の加療という診断書を手にし、リハビリに励みながらも、こうしてブログを更新することができたのです。元々腰痛持ちでも、痛みが退いていた時期に打撃を喰らうとぶり返すのが人の世の常でありますが、何れにしてもケロ四号の修理が完了せねば、営業ナンバーではないので、仕事復帰は出来ないのです。その間はゆっくりさせて貰うしか手は無さそうです。一瞬の時を切り刻み、スローモーションによる長文にしてしまう捻じ曲がった根性は相変わらずで、今回は政治おちょくりを挟まずとも、ここまで長くなってしまいよりました。見放さず訪問していただいた皆様、 お気に入りに登録している癖に、 訪問できなかった皆様 たまさか、この存在の意義すら見えないブログに迷い込んでしまわれた皆様、 お礼とお詫び申し上げます。 *** ちなみに、冒頭の絵は、本文と何の関係もありません。
2009.11.19
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風前のともしびだけに、今の内にアップしておかないとね。と、のほほ~んと構えている内に、見よ、この洗練されたG8お祭りスーツタローちゃん が、あれよあれよという間に解散日未定の投票日確定という、何とも奇妙な宣言をこいてしまったお陰で私の戯言は大幅に修正することになってしまった。 最速でアップしたので多分意味不明かいな。そんな愚痴はどうでもええのんですけんど 揚げては萎む解散時期風船。幾たび揚げむ紙風船。記者会見の度に、『 解散時期は~と思われる・・・ 』 と述べて、ザルメディアを躍らせてきた1年余り。これしか印象に残らない幹事長も風前の灯火ともなれば、今更の解散時期の予測など、もう要らぬお節介。後に続く枕詞の 『 解散は総理の専権事項ですから 』 なら、尚更、不要の記者会見。政権担当能力 があると公言しながら、野党の政策方針に対して新聞一面に公開質問状を出すという 本末転倒戦略 に思わず国民も 転倒 (こけ)てしまった。森に迷い、小泉で溺れ、中川に流され、細田で土まみれ。サミットでオミットされる漂流学級委員長。その人物を陰に日向に支えてきたが、残る日々は僅かにして、唇寒し、一文字。 迫る野党に敵失あらば、形振り構わずのライバル攻撃。追求PT ( プロジェクトチームの略ですと・・・爆 ) まで立上げて、己が足元、森を見ずして、二階へ籠もり、二階以上に寄らしむべし、知らしむべしの、司法合体構造内閣。 構造改革の骨は無し。解散時期予報以外には、『 民主に政権担当能力は無い。民主は無責任 』 のこれしか言ってないような印象を受けているのは、私だけだろうか・・・はい、はい、私だけです。 ほっといて。それしか報道しないザルメディア。勝手に解散時期を決め付けて、恰も自分達の憶測を既成事実であるかの如く、垂れ流し、翌日は、外れた憶測を反省することも無く、痴れっと新たな憶測を振り撒いていく。政治と報道のザル芝居。党内駆引きのためか、はたまた対野党戦略なのか、信用値ゼロのガセネタ会見で一年を終えた。アドバルーンを揚げては、CO2を吐き放し、ほんにおまえは〇のような・・・・ 都議選の開票翌日の今日、衆院の解散日未定で8月30日総選挙という奇妙な宣言をした結果は、自民・公明の 各派閥議員の腹の底 を反映して、混乱の極みを招いているようだ。誰が何を言おうが、政権担当能力のある 与党最高権力者 は、その日程の言質は取られまいと、 『 解散は総理の専権事項 』 の一点張りで、今まで解散を引き延ばしてきたが、都議選開票の結果を見て、一転、総選挙日程を宣言した。本当の 最高権力者 なのかどうかは知らないが・・・総裁に担いだ党内の支持者ですら、投票した自己責任は取らないらしい。『 開かれた党、自民党 』 だか何だか知らないが、今更ながらの 『 国家、国民の為に 』 という言葉がケツの穴をくすぐる。自浄能力は期待出来ない政党ながら、生存本能と、自己防衛対策と調査能力は高い政党であるだけに仮に、数ヵ月後下野するとしても、巻き返しの罠を仕掛けてくるだろうし、その反動は生半可なものではないだろう。経済界の後ろ盾も強力だろう。或いは、分裂し、新党結成に動いても、功利意識の強烈さゆえに派閥単位のミニ現政党がバラバラと出来上がることだろう。投票予定日までの間に、責任と安心をとスローガンで、国民を笑わせてきた与党が自らの立場を危うくしかねない野党第一党の支持率低下策として、どんな疑惑ネタを繰り出してくるだろうか。ブログの本来のテーマから逸れることが多くなり、政治的主張は政治ブログに任せれば良いのかもしれませんが、ど素人もつい、外野から口を出したくなる街角。プロを自称する政治評論家にしてみれば、昔懐かし、 『 一億総評論家 』 との揶揄も使いたくなるであろうが、そもそもが、大衆が沈黙をかましていたからこその現状であろうと思う私は、口チャック出来ないと考えている。否、今まで黙認し、目を背けてきた者の反動かも知れない。だから、もう、ほっといて。 反省してますって・・・・たまには風景画に戻りたいと思うのですが、今暫くはおちょくり似顔絵の世界に浸りたい。 おっさんの愚痴にお付き合い下されば幸いです。 いきなりしおらしくなり、不気味でしょう。 へっ!
2009.07.13
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昔々の旅日記を書き終えて、さて、何を主題にしようかと考えあぐねていたら、下品なネタが転がっていた。 もとより下品な男ゆえ、繋ぎのネタと思わず飛びついてしまった。内容は下品なのだが、その底流には、マスメディアと政権との間の妙な蜜月が映じているのではないかという、例のホラ、私の誇大妄想が膨れ上がってしまうのだった。あ、膨れ上がっのは、私の妄想癖だけでは無かった。珍しい話であるが、 【自民命】 の読売新聞でも、流石にせこく、いじましい老いらくの恋の行方には、応援する与党内の獅子身中の虫として、皮肉のひとつも言わざるを得なくなったようだ。大マスコミですら扱ったのだが、私はその扱い方が気になってしょうがない。自分の側近で親友とはいえ、今更何を庇ってやりたいのか、麻生総理のあちゃらかを向いた弁護の愚劣さは逆に嫌らしく、珍しく、読売誌のコラムで与党の閣僚を皮肉る文が載った。普段は故事や川柳などを引用し、社会事象を的に、軽く解りやすく解説している。その文には何の不満も無く、寸評氏に恨みがある訳でもない。しかし、こと政治をまな板に載せるからには、軽いコラムでもその内容については、慎重さが必要なのではないかと・・・・。主として野党の足元を揶揄する内容に絡めて、推論や疑問を既成事実化していくことに力を注いでいるようだが、流石に、この件は倫理的側面として取上げざるを得なかったようだ。しかし、民主党の秘書逮捕(推定無罪)=小沢元代表の犯罪と言わんばかりの展開をこっそりなぞってから、本論を始めている。 あ、あざとい・・・5月14日付夕刊 よみうり寸評 以下引用2009年5月14日(木)14時14分配信 読売新聞◆民主党の小沢一郎代表が辞任を表明したばかりだが今度は自民党の政権中枢からの辞任騒ぎだ。選挙も近いのに、与野党とも互いに敵失でしか得点できない低調なゲームを見るようで情けない◆鴻池という人も困った人、懲りない人だとあきれる。女性問題ではついこの1月に騒がせたばかり。今度は熱海でお泊まりゴルフ。あげくに辞任だ◆古来「世の人の心迷はすこと色欲にはしかず」(徒然草)とか「女事(おんなごと)に賢人なし」(十訓抄)などという。女性問題は分別の外、どんな賢人も愚者となる。鴻池前副長官も女事がアキレス腱(けん)らしい◆議員バッジと使ったJRのパスが泣いている。特権をはき違えた。引用 ここまで。たったそれだけか。「嫌いか?」 と訊かれると、 「す、好き・・・」 と答えてしまう私の弱さの手前、あんまり強硬な非難はできそうにないところが情けないが、世界保健機関(WHO)が27日(現地時間)フェーズ4に格上げし、我が国においても新型インフルエンザと断定したことを踏まえ、4月28日、午前に新型インフルエンザ対策本部が設置された。首相が国家の危機管理の重要課題だという認識をして、対策本部を設置することと、一方で、官僚と官邸を取り持つべき連絡役がしていたのは、議員特権をちゃっかり使用した不倫・ゴルフ旅行との落差である。国会議員であり、更には内閣官房副長官という職責に在りながら、昼間はゴルフ三昧、夜は、よ、夜は熱海市の豪華ホテル 『迎賓館』 で 〇×♪だったようだ。決して羨ましいなどと感じていたのではない。(あ、ちょっと嘘でした)内容のせこさ加減は、庶民の代表だあ!!我らの味方だあ!!と賛同と歓喜の舞を踊る訳にはいかない・・・ように思う。はい、ドーモすいませんでした! などと、怒り顔で謝る訳にもいかない。『健康問題まで任命責任なのか』 と麻生首相。官房副長官の辞任について憮然とした表情で語った。 あくまで健康問題が辞任の理由としたいようだが、白々しさも極まれり。代々侠客の血筋であることを、折に触れて広言する割には、『爺ちゃんのDNAが、俺にそうさせるのだ!』 という情けない答弁に、むしろ妙な親しみを感じてしまう私も私だが、いや、それではいかん、何せ、 【責任能力のある政党】 の議員として、国民の納税した税金から、その歳費は賄われているのだ。GW真っ只中だし、国民は選挙対策用のETC特例に踊っているのだから、『わしらもええやろ、なあ、ええやろ?』 と言いたいのだろうか。後日乗車賃も払ったしね(うふふ)その間、税金を納めるために、額に汗する労働者も居るのであるが・・・・・・・無視か?ザル(笊)とはいえ、マス(枡)メディアとして、もとい、ザルだからこそ国民の目に晒される報道の結論が、寸評というコラムだから、そんな軽いものでもいいのだろうという認識だろうか。そうではあるまい。校正に校正を重ねた筈と思う。『◆議員バッジと使ったJRのパスが泣いている。特権をはき違えた。』 程度の結論で良いのだろうか。それ位で、助平爺ぃは勘弁しておいてやれというのが社会の公器の結論なのだろうか。 職を辞した訳ではない。自民党兵庫県連を除名されたが、官房副長官という役職を辞しただけである。例の如く病院に逃げ込んで、人の噂も75日、本当に頑張り過ぎたのだろうか。【国会議員】という職分で、依然として歳費を食むのであるが、『爺っちゃんの名にかけて』 という金田一少年の言ではあるまいに『爺ちゃんのDNAだから』 という弁明を、新聞という公器は受け入れたのだ。以後、本件に言及する新聞は無く、自らが敵と認識した特定の案件には過剰な位、紙面のあらゆる部分で叩く割には、この件はそっとしておきたいようである。折角、敵に混乱を生じさせることが出来て、思惑通り麻生支持率のアップの美酒に酔っていた時期に、「余計な遊びをしやがって・・・」という程度の認識なのだろうか。『自民党には迂回献金の検察捜査は入らない』 という発言が洩れてしまった漆間官房副長官への追求すら朧の闇に沈む巌のようにぼかしてしまった経緯と同じように葬りたいのだろう。この両官房副長官に支えられていた首相とは、一体何を以って補佐されているのだろうか。そんな馬鹿を書いている間に、隣国がまたミサイルを飛ばしたり、予告通り、核実験を実行した・・・ あざとさに対しては、あざとさで応えてやりたいという私も馬鹿なおっさんですね。 ほっといて
2009.05.30
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町から村から外れた中川氏。 とり憑くのは構造改革の幻か、昔の隆盛、今何処。誰の父にもなりたがる、チルドレンとやらの後見人。BSE武ちゃんが日和見流し目振り撒けば、寄って行こうか、流れようか、揺らめく心の落下傘議員。何処を凝視るその目つき。 目つきじゃないわ、さつきだわ。うふ『盗人猛々しい』 『あの人だけには言われたくない』 とは、過去、政権の裏側で、盗人猛々しいことをずっとやってきた政党の議員らが放った罵声であるが、この時とばかりに勝ち誇って、したり顔の浅ましさ。 己の足元にも二階から転げ落ちる御身(尾身)の在りしか。『自民に風が吹き始めた感じがする』 とヒステリックに檄と唾を飛ばす 【感じ長】 も敵失に乗じて、意気を 感じ長 か、得意満面、頬骨高し、志は低し。二階へ参りま~す。検察はエレベータガール。笑ってしまう位、行動パターンが見えていた。2階が頂上でございま~す 2Fで打ち止め。報道記事が検察リークによるものであれば、政権党閣僚や、元派閥の長や族議員に対するフォロー記事は一切触れられることもなく、今回はリークが少ないのだろうか?(爆)記事は単発。第一面は野党専用で、社会面は単発の与党用の紙面割り。政権党の閣僚の献金疑惑はそこそこにして、へっこの尻尾切り♪ 森の木陰でドンじゃらほ~い、しゃんしゃん手拍子、足拍子、しても検察見えぬ振り ♪泰山鳴動して虚偽記載の立件だけと判明すれば、紙面からは一斉に西松関連記事は消え、有耶無耶は得意の記者クラブ。検察との協力歩調は、談合並みの足並み揃え。大いに現政権の役に立った。紙面は、既に代表の辞任問題と民主の内部分裂を扱う第二段階の論調を始めたようだ。現政権がどんな立派な意見を申し立てても、官僚専横に対峙しうる議員は不在であると判断しているし、内閣人事局という出来損ない組織の新設をしながら有名無実化したことで現政権に人並みの公務員改革すら実行する気が無いことを証明した。 ○○○○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○○○○○ ○○○○○○○○○○○○○書きたい事は山ほどあれど、それでは旅日記が今回終了しないので一旦、忘れたい。忘れていたと言えば、一体、にしの君は何処に消えたのか、にしの君に追いついたのか、それとも追い抜いたのか、行方知らずのまま、とうとう徳島市内に帰り着いてしまった。まさか、徳島駅の外れにある、あたりやの大判焼きに齧り付くにしの君を発見することもないだろう。なんと“大判焼き 徳島市”で検索したらHIT!!そうか・・・まだ頑張っていたのか、私の記憶だけでも50年に亘って続いていたのだ。 うっ、うれしい・・・・そんなまさかの不運、僥倖に出くわす筈もなく、暗澹たる気分は懐の暖かさの前に、即座に雲散霧消し、ついほくそ笑みが浮かぶのだ。かと言って、私が冷淡で薄情な人間という訳ではない。2週間というもの寝食を共にし、先導すれば立ち漕ぎで汚い尻を私に向け振り続け、後続すればうめき声と愚痴を吐き続けたにしの君の、2日の長きに渡る所在不明は、この旅最大の 娯楽 事件であった。私としては、我が家に帰るよりも先に、彼の 巣穴に 実家に立ち寄り御両親に対し、私の管理不行き届きを報告し、その失踪の顛末を語らねばならぬという差し迫った憂鬱を、懐の暖かさが雲散霧消してくれた事実があったとしてもだ。礼儀上、憂鬱そうな顔を瞬間で顔に貼り付ける練習は必要だ。徳島城址公園(通例、しろやまと呼ぶ)を通過する頃には、十分な練習を積み、何処かの国の 草履 総理が心の篭らぬ満面の笑顔を突然顔面に貼り付けるように、私もまた、一気に 【悲痛な表情】 を拵えることが可能となっていた。待ちかねたように、私の勇姿に駆け寄る阿波の婦女子の群れを思い浮かべ、「おいおい、そんなにええのんか?わしがええのんか?」と諌める言葉までも考えながら、福島橋を渡ったのだ。徳島に福島とはややこしいが、私が間違っている訳ではない。県民性が 「けち」 の一言で片付けられてしまう阿波には、徳島と福島が仲良く共存する度量の広さがあるのだ。こじつけも甚だしいが、何せ、これで完結やし・・・ええやろ?なあ、ええやろ?病院の角を曲がれば、我が家へと続く細い枝道はがらんとして、昼前の長閑さだけが通りのどん詰まりまで続いていた。嘘か真か・・・・目を疑った。私を迎える群衆の姿はなかった。してみると、あの旅の出発の朝、日記に記した幟旗の連なりや、鐘、太鼓で私たちを見送る阿波の婦女子の群れ、「これ、うちの気持ちやから・・・」 と、そっと 正露丸 を渡してくれたなおみちゃんの姿、これらに限っては、みな私が思い描いた幻想だったのだ。若き日に思いを馳せ、都合よく編み上げた微笑ましくも初々しいおっさんの幻想だったのだ。つつましいものだ。これ位の白日夢は。なあ、ご同輩。玄関前に自転車を乗り付けた。父親が、いそいそと、ステテコ姿で玄関口に現れた。厳しい表情を繕うとしているのに、口元がニヤ付いている。私に関しては、ほぼ放任主義を貫いてきた父親も、いつもの厳しい表情が明石焼きのようにぶるるんと緩んだ。旅先で受ける親切のあれやこれや、人の世の冷たさ、厳しさ、励ましや共感、それら全てが、私の頭の中で左巻きに轟々と回り始め、疲弊し、擦り切れかかった渦の芯が、崩れて溶けて 凪の瀬のように優しさで満たしてくれたのだ。高校3年のひと夏。 翌々日が二学期の始まりであった。二週間余りの旅が幻影であったかのように、日常が始まる。伊予の片隅で受けた恩を、住所も名前も聞かずに置き去りにしてきた私の迂闊さを(男前とは言え) 中高年と呼ばれる世代まで記憶の淵で澱み続けてきた心残りを、今やっとネットという不特定多数の視線の中へ解放することができた。 有難き哉、 ユビキタス。 了補遺(この言葉を使いたかった)にしの君 の 巣穴 自宅は、下駄履きでゆっくり歩いて5分の所に在った。どちらが先に各々の自宅に帰り着いたのかは確かめなかった。お互い、無事に帰宅できたのだから、それでいいのだ。献呈 狸汁の具とならなかった幸運の余生を、地方公務員として 県民に捧げることを決意して、相変わらずたこ焼のようなホッペだけは 名残を残しながらも、そこそこ頑張っている首領様にしの君に、 この旅行記を謹んで捧ぐ。
2009.04.19
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随分間が空いたが、続いていたのだ。切れぎれではあるものの、性懲りも無く同じようなスタイルで現れるブログ。以前は一晩で一気に書き上げることが出来ていた記事を、今では仕事にかこつけて、平然と1ヶ月の間を空けてしまう。 大した内容でもないのに、(ほっといて) 話題の政界人物の似顔絵と、記事を絡めようとする馬鹿げた試みを始めたせいだろうか。更新のタイミングや話題性の一致を突き合わせていると、これが中々難しい。そろそろアップせにゃならんと思っていても、次から次へとザル法から垂れ流されてくる政界の馬鹿騒動。タイトルを読めば、あの泥酔い元大臣のネタかと思われた方には、ごめんなさい。あれだけ映像を見れば、もう酔ってしまいそうなので、もう一人の中ガマ・・・・・中川氏の方の似顔絵にしたんですわ。どれを虚仮にするのか悩めば、ハンドルが右に左に逸れて危ない。右でもない、左でもない、適切なコース、臨機応変に捌くのがよろしきかと。但し、行く手に仕込まれた落下物(偽証・捏造)を避け、いきなり飛び出す動物(特に、銀狐やら、森の熊)に注意を払い、錯覚(世論誘導)に目を眩まされず、誠実にコースを選ぶべし。それが、国民の取るべきハンドルかなと我が身に問う春。集金力が高いだけなのか、その能力で一目置かれているのか、しぶとく政局へ首だけ残そうとする銀狐への忠誠を現しているのか、行政手腕が買われているのか、策士なのか、派閥に属して、派閥内閥を作り、その罰からバツ位置に格下げとなった。( はい、確かに駄洒落です。 おまけに似顔絵も面倒臭くなって、完成前でアップしました。)ごめんねぇ、ごめんねぇ~ )政治家が、本音を語る筈も無いし、黒塀の内側で、追随者や仲間内に話すのも戦略だけであろう。政治家に本音を期待するほど、皮相でもない。発言をそのまま素で受け入れるほど、純でもない。離党して新政党をつくる覚悟があれば、とっくに派閥も抜けていただろうが、鮫の脳味噌から、嫌味しか言えないだけのお殿様に禅譲された派閥に残り、二番目の男に甘んじている。こけた小泉改革を踏襲し、麻生降ろしを画策しても、同調・賛同者が、政権内ぶら下がりしか能が無い議員連にしてみれば、山のものとも海のものとも知れぬ勢力を、追いかけるだけの気力すら見えない。ひたすら官軍待ちの様子見連中というのが妥当な評価だろう。@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@鮎喰(あくい)川 は吉野川の支流であり、徳島市営バスの終点でもあった。川を越える地域に行くには、徳島バス(株)の路線に乗り換えるしかなかった。この川が徳島市と、当時の名西(みょうざい)郡を区切る境界線のように流れていた。そのためにか、この橋を渡って始めて旅の99%を終えたという感傷が湧いてきた。今ではモータリゼーションの影響で、単なる通過ポイントに過ぎなくなったが、十三世紀頃には、南東への流れの途中には 阿波一ノ宮城址 があり、この地が当時の阿波の中心部でもあったようだ。四国征伐の勲功により、秀吉から阿波を領土として与えられた 蜂須賀家正(小六) が、最初の居城としたのはこの城であるが、築城以来、様々な城主の入れ替わりがあったようだ。 家正が、後の天正13年(1585)、現在の徳島城址に築城し、以後、明治8年(1875) まで徳島城として巨大な城下町を構築されていた (ようだ)徳島市という大都会へ入り込む前に、主ルートを辿る道より、私にとっては、一番馴染み深いルートを通って帰宅する魅力が勝った。・・・若い女子の出現率が高いのだ。 大都会といっても、二階建ての建物が林立する大都会だ。視界は極めて良好。映画にもなった 【眉山】 のお尻側を、撫で回すように見ながら、正面に回り込む道の周辺は 寺町 と呼ばれ、文字通り寺社や墓地が多い。そのまま眉山の正面口まで来ると、ロープウェイ乗り場の玄関へと続くアプローチである。今は、 【阿波踊り会館】 という名称になっており、阿波踊り演舞の常設会場として、季節を問わず阿波踊り演舞を見せている。徳島と言えば、のべつ阿波踊りを踊っている県民と思われているようだが、・・・・・その通りである。 違うかあ・・・・・脱衣所から湯船まで、踊りながら入る訳ではありません。茶碗に当たる箸の音がきっかけで、家族一同踊りだす訳でもないのです。当時は階上に小振りの博物館を兼ねており、阿波を簡単に紹介していた。市内のジオラマや、往古の武具や民具を展示しており、小学校以来、縄張りにしていた定期コースであった。ロープウェイは、乗り場である建物から出発して、眉山山頂 へと客を運び上げ、山頂で客を拾って復路のロープに吊り下がる。山頂に上がっても、細長い尾根道を削って無理矢理作り出した広場に戦没者慰霊パゴダ塔と電波塔と、茶店がぽつねんとあるだけの、およそ観光名所と呼ぶには寂しい光景であった。(今では、温泉付きのかんぽの宿や、自然遊歩道など、そこそこに施設の開発が進んでいるが、かんぽの宿は危うく政財界仲良しクラブを代表する金貸し業者に叩き売られるところだったようだ )それでも悪餓鬼小僧にとっては、冒険心をそそる山であり、ロープウエイを使わずに、杣道(そまみち)と言うに相応しい登山道を駆け登り、一番早く山頂に達するのかを競うのが流行っていた。 地上230mから見下ろす 【市中大パノラマ】 が呼び物と言えば言えた。展望台の望遠鏡を覗けば見える我が家の物干し台の上で、阿波踊りを踊る親父が見えるかもしれない、その場合、合図の手段はないものかと子供心に思ったものだ。ロマンを理解している児童の時代があったことを告白しておこう。何の変哲も無い、只なだらかな外観を女性の眉に擬えて、 【眉山】 と命名した万葉歌人は、当を得た感性の持ち主だったのだろう。春ともなれば、山裾の周回道に沿って薄桃色の桜が咲き乱れ、緩やかな山頂のカーブに相俟って、益々女性のたおやかな風情を際立たせる。花見の折には、周回道は桟敷がずらりと並び、提灯も賑々しく一気に阿波の春が始まるのだ。
2009.03.15
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やや、旬を外した話題ですが、せっかく似顔絵を描いたので、 序でに一言述べさせてね。ん~もういぢわる~なんだかだぁ・・・・ マスコミの表現なのか、自称なのか知らないが、【戦う政治家】 らしい。 【装身具と気位だけが高い政治家】 と思っていた。気の利いたジョークのつもりであったのか、米国の議会で、日本国防衛大臣としてスピーチした際に、『 私を寿司マダムと呼んでおくれ 』 と下手な洒落をかまして失笑を買うだけでなく、見栄と権力志向の売名に燃えた賢しらな幻想が、税金と、防衛網に風穴を空けてしまった。銀狐の下手な選挙芝居の主役としておだてられ、政権党の総裁選候補に名乗りを上げた。僅か2ヶ月弱で、浅ましい口喧嘩レベルの省内権力闘争に破れ、省内の汚職問題に踏み込めず、環境ファッション省大臣ならいざ知らず、役不足を露呈するのは火を見るより明らかだった。任命したのは、狐目の男の付託を受けたボクちゃんだったことを考えれば、さもありなん。国の防衛を担う職責とは、これ程軽いものだったのか。前任まで続いてきた省内汚職問題の決着すらおっ放り出したのか、その後に予想される追及で、経歴を汚されるのを怖れたか、省の顔とすらなれずに、 『私は辞めたのよ』 と自主的辞任を臭わすいたちの最後っ屁をこいて退散したことを棚に上げ、他党代表の経歴を云々できまい。それでも肩書きに 【元防衛省大臣】 と付くのである。今だ、首相候補として名が挙がるのだが、オラ忘れねえだ。今回は、未来への警告として、飽くまで個人的妄想を連ねたに過ぎないので、 ファンの皆様には相済まんこってす。 短めに、短めに・・・・・***********************************渋々と秋に道を譲る夏が、名残りの熱をしっぺ返しのように残している。蚊帳の中で身を起こしたものの、頭の中では額に汗してでも昼までだらだらと眠りたい私を、さんちゃんの息子がはにかみながら起こしにきた。児童から見れば、高校生のあんちゃんが途方も無い大人に見えていただろう。だらけた姿を見せられないのは言うまでもなく、元気を装って溌剌と飛び起きた。さんちゃんは、既に早朝の野良仕事を終え、一息つきに帰ってきたようだ。「おっ、起きたんでかい?もっとゆっくり寝とってええんよ」(お~、起きたの?もっとゆっくり寝ててもいいよ)「ほうしたいけんど、明後日から学校に行かんといかんけん、そろそろ往(い)なんと・・・」(そうしたいけど、明後日から学校に行かないといけないし、そろそろ帰らないと・・・)「ほな、飯、食いない。ほれからゆっくり往んだらええわ」(それじゃあ、ご飯食べなさい。それからゆっくり帰ればいいよ)魚嫌いを知っているさんちゃんの嫁さんが、大量に作ってくれた卵焼きと、凍り豆腐と絹さやと鶏肉の煮物で、ひもじい旅の食生活への復讐と言わんばかりに詰め込んだ。飼っていた牛の姿は見当たらず、牛小屋は物置となって、幼い頃のイメージだけが草を食み、針の束のようないばりを放って居た。また訪問できる日がいつのことになるのか分からない気持ちからか、そして、何れは懐旧の念に胸を痛める夜があるやも知れぬ懼れからか、さんちゃんちの縁側の風景を、やけに細部に至るまで記憶に留めようとしている自分に気が付いた。それとも、さんちゃんが引き止めるのを待っていたのか・・・・ 案の定、さんちゃんは自転車に跨った私を引き止めて、「まあ、これ少ないけんど、持って行き」 と当時の高校生には過ぎた額の札を私の掌に押し付けたのだ。既定通りの伝統的儀式を済ませて、すっかり懐が暖かくなった私は、夏から秋の狭間に退いたような黄色っぽい陽光の下、気だるげにふら~りと、さんちゃんちからペダルを漕ぎ出した。尻の傷はひりひりちくちくと疼くが、自宅まで15km程しかない行程は、それまでの1日の行程と比べれば勝手知ったるあの町、この道、辿る路地。 高校への往復通学距離と変わらない。 ザルメディアも、身内は可愛いってか?
2009.02.10
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♪♪ かおるちゃん、♪♪ 遅くなってごめんね、かおるちゃん、遅くなってごめんね。 君の君の好きな~消費税 ♪♪馨ちゃんは、それでも愚直に主張を貫いた。第二次補正予算案の消費税引き上げ時期を補正案原案に11年と明記するかどうか自公明政権内で散々もめた末の決着は、付則原案を付け加えることだった。曖昧模糊とした官僚作文で、しゃんしゃん手打ち式付則原案に曰く、(1) 11年度までに必要な法制上の措置を講じる(2) 税制抜本改革を具体的に実施するための施行期日等を法制上定める のだそうだ。 要は、期日が決まれば、即、実施できるように準備をしておき、実際の施行期日は、景気動向により決定されるのだということか。答弁そのものがブレるので、文書の精査が必要になる。11年以前に景気回復を示す兆候があれば、(2)を援用し、さっさと施行時期を早めるのか、各種景気指数をクリアーしていなければ、施行時期が延期されるのか、その肝心な点はぼかされている。 (1)(2)のどちらが優先されるのかも曖昧だ。原案だから、いいのか?? 景気回復の判断基準さえ不明だ。 判り難さで言えば、私のブログの文章並みに理解し難い文面である。たろちゃんは、ブレる総理だという評価を何よりも怖れているのだろう。生真面目なかおるちゃんが、飽くまで持論の消費税引き上げに拘り、あっちへたろうろ、こっちへたろうろのたろちゃんが「嫌われるのは覚悟の上で、必要な措置を実行した果断な総理」 だったと後に高く評価されることを期待したのかも知れない。 消費税引き上げの可否は別として、何れは引き上げは已む無しの世論形成となる趨勢であろう。それを敢えて導入しようとする最高権力者は、逆に勇気があったという世論さえも生む。単なる漢字読めない・ぶれる総理という汚名を被ったままで政界引退をしたくない・・・・のかも知れない。衆院解散選挙を戦えないというのが本音の政権内反対派は、俄かに人道的福祉派の衣を纏い、派閥を割りかねない状況になるまで、中ガマ (似顔絵は後日)は 油を垂らし続けて反対を唱えていたが派閥を割らない方が、得策と考えるのが政権党内の派閥力学ということか。ぶれてんジャン! と言われたくないたろちゃんは、自分の答弁内容が修正されないならあとはどうでも良いの太郎。潔い総理だったと評価されればいいのだ。 11年と断言しておきながら、時期をぼかしたのだから、その時点ですでにぶれていることすら気が付いていない。 更に追い討ちをかけるなら、級長就任前では、消費税引き上げ論に反対の立場を述べていたことを忘れているようで、それが180度ぶれたことにも気が付いていない。得意の 「未曾有の金融恐慌」 の発生源が米国にあることは間違いないだろうが、それに追随して、経済政策の運営を進めてきた責任は一切問われていない。しゃんしゃんの手打ちで、良いとこ取り仲良しグループに平和が戻った。一体、そもそも全治三年と断言した根拠が何処に在るのか、教えて欲しいものだ。ねえ、かおるちゃん。 あっ、かおるちゃんの大胆な予測だったのかな?自らを顧みることも無く、不足財源を消費税引き上げありきで論議するのなら、それと並行して、渡りを禁止する公務員法の改革案に諸手を挙げて賛成すべきで無かったのだろうか。 いやいや賛成の方向に向いたが、恐らく自民政権の常で、霞ヶ関主導で、ザル法になるように誘導されてしまうのだろう。*******************************さんちゃんちの風呂は、五右衛門風呂であった。保温用の円形の蓋を持ち上げると、湯の上に更に小型の円形スノコが、プカプカと揺れている。それも取り除くと、風呂釜が直接見える。釜そのものが風呂の底を兼ねているのだ。勿論、それに触ると熱い。五右衛門にならないようにするには、つまり小型の円形スノコに乗って湯船に沈めばよい。頼りない筏に乗るようなものだ。旅の途中でついた、幼稚園児のような就寝時間の習慣はもろくも崩れ、襲う眠気に負けまいと、身体中ごしごしと二日間の汚れを落とした。敢えて痛む傷跡に石鹸を擦り込んで、自分しか居ない風呂場で痛みに耐える男らしさを見せびらかし、「わしって、こんなもんです」 と一人ごちた。 身も心も軽くなったような心地になった。蚊帳が設えられていて、中に潜ると敷布団に茣蓙が敷かれ、火照った風呂上りの体にひんやりと心地よい。開け放したままの障子戸から、渡る夜風に思わず肌掛けを引き寄せて、深い満足の眠りに落ち込んだ。 内容を短くしようとすれば、これくらいには出来る。ひねりは弱い。いつも長い長いもので、反省の意を込めて、今回は短か目で・・・・・
2009.01.24
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まだ居るのである。そもそもの始まりは、良きにしろ、悪しきにしろ この男の存在が大きく影響していることは、明白。「私が総理としてやってきたことは、歴史が証明してくれる」と言い置いて、総理の席を辞した。 『燃え尽きた』 らしい。一体何年のスパンの歴史を指しているのか、厳密にその言を考える国民は不在なのだろう。100年後なのか、10年後なのか、それとも5年後なのか....それなら、もう間近の事である。『人生色々』 の国民の中には、 「雇用形態の多様化」 という美名の下で、職業選択の自由という枠を大幅に狭められた若い人々が居る。若年層にしてこの現実であれば、中高年世代への年齢制限は言うまでも無い。派遣業者に職の選択という権利を囲い込まれ、個人と企業間へ割り込まれ、縁も縁も無い他人の労働賃金まで支配されつつ、その一生をまで左右する世界が完成した。規制緩和を推進した当事者が、自ら自社系列に派遣業を抱えるに至っては、元々、労働形態の多様化というお題目は後付けで、自由に調達し、自由に切り捨てできる労働機械が欲しかったという本音が実現したというのが妥当であろう。その労働力のお陰で空前の利益を内部留保として溜め込んでも、一時期の労働期間延長すらも応じられないという。何とかホールディングと大袈裟な名称で身を飾っても、語るに落ちた経済団体。企業理念も労働者も、地に落としての、『人生色々』か。正社員になって自由を制限されたくないという労働者側の意見を取り入れて、雇用を確保したという弁明を続ける屁ぼ学者も居るが、そんな声がどれだけの労働者を代表していたのか?という問い掛けを誤魔化すことしか出来ない。改革を中途で終えたからと、自己弁護するしかないのが実情だろう。ネオコンと金融資本の日本経済への要望(ほぼ強制)を基に作られた米国の年頭教書で、日本に強制要求しているシナリオ通り従順に動けば、ブッシュが狐目の男を親友扱いするのは当たり前。いささか引き気味でも、プレスリーメドレーも大目に見るだろう。一人は芸能界へ送り込み、一人は世襲まで果たして、先は安泰なれども、まだ居るのである。 講演会やら政界への口出しに忙しいらしい。果たしてどんな歴史が証明されるのか、心身恐々なのだろうか。*****************************予告もせず、いきなり闇から現れた不審な自転車男に度胸の据わったさんちゃんは、鋭く目を凝らしいる。このままでは空気銃で撃たれると恐れた私は、慌てて名乗った。「ふっ、ふく○○(地名)のしゅんいちですわ」ステテコ姿のさんちゃんが立ち上がり、縁側に出てきた。『おお!!しゅんいっつぁんでないで....』 (おお、しゅんいちさんじゃないか....)『どしたん、ほら久し振りじゃなあ....まあ上がり』(どうしたんだ、まあ久し振りだねえ、まあ入りなさいよ。)『どないしよったん?がいごわへんで?』(どうしてたの?お変わりないですか?)たて続けに質問を浴びせかけるさんちゃんに負けないように、合いの手を入れると同時に、この愛車で、2週間の九州旅行をしてきたのだと、だからどうなんだと言われる隙を与えず、一気にまくしたてた。さんちゃんは、目を丸くしたり、あ行三段活用のような合いの手を入れる事に忙しいのに、その間にも、『お~い、しゅんいっつあんが、寄ってくれとんでよ』『ごっつおー(ご馳走)の用意したってよ~』 と家人に呼びかけて『まあ、今晩は泊まっていきない』 と私が望み、且つ期待していた通りに事が運ぶのだった。 その夜、さんちゃんに、ほぼこの日記に書き込んだ内容の大筋を殆ど語り尽くしたのだ。 聞き上手のさんちゃんでもあった。真夜中にようやく、風呂に入る段になった。市内のSY松竹座で、今まさにGストリングを脱ぎ去ろうとするストリッパー嬢の動作に、心ときめかす若い衆のような期待感を持てる訳がない。自分のパンツを脱ぎ、臀部辺りをしげしげと見る若き私の姿を想像して下さい。 どーです。 ほら、どーです。あ、ブリーフタイプです。 美しい尻を撫で擦ると、明らかな線状のかさぶたらしき感触に、それと同じような線状の血の跡が、パンツの裏側に鋭い線を描いていた。敢えて評するならば、象の花子が鼻で巻き取った筆で描きなぐった芸術とでも言えようか。幸い、水戸様ご自身に被害が及んでいる形跡は無かった。白地に日の丸の印が無いことで、痛みそのものはあっても、角田薬局で、 「いや、親父が大変でね~」 と、痔疾治療薬を購入している光景を、すっかり追い出すことができたのだ。 句読点の置き方が変なんです。
2009.01.12
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明けまして おめでとう ございます 2009 元旦本年も変らぬ御厚情のほど、お願い申しあげます。ところで、新年早々不快画像を掲載するご無礼の段、平にご容赦賜ると共に、この高笑いに、冷笑で応えてやって下さいませ。新年を怒りで始めた報いは、甘んじて受けようぞ。 国民の皆さ~ん、オタクの皆さ~ん、大勢の人間の前では、『皆さ~ん』 と呼び掛けるのは、学習(印)したようだ。昨年末に、雇用問題についての具にもつかない視察とやらをやらかした。その顛末は、政治系ブログの皆さんが言及している。私は、当に具にも付かない部分に拘ってしまうのだ。ハローワークに求職相談している若者に対しての第一声は『おまえ。何やってんだ?』、ハローワークに居る現実を思い出して、『いや、何やってたんだ・・・・』 (訊く本人がおたおた)相談者だって困るよね。 糞ぉの役にも立たない演出の道具に使われて、おまけに初対面の人相の悪い爺っつあんに上目使いにいきなり、『お前、何やってんだ!』 と言われたら、咄嗟に、ひょっとこ口の顔真似をして対抗することも思いつかないだろう。本人には、経歴を尋ねる意図があったのかも知れないが、日本語の語彙そのものの不足を露呈するにとどまらず、聴くべき質問内容すら湧かずに、『 生活困窮者を救う 』 と言葉を発するひん曲がり口に、シモジモ相手には適当でいいだろという本音が滲み出てしまった視察。どういう訳か、この第一声は以後の報道では省略されている。側近だか、首相番記者だか誰だか知らないが、『何か他に訊いて下さいよ』 (ばか、爆!)と横合いから促されて、『いきなり訊けったってよ~、何訊いていいのかわかんねーよな。』数々の意味の無い、アソーマンスの一場面であるが、その本質は木偶のデコ人形。 操られて麻生マンスが出来上がる。映像メディアで報じられる政治家のパフォーマンスなど大半がこうした経緯で作られるのだろうが、一国の首相のこの言葉使いの稚拙さと無神経さ、国民に対する意識は、学習(印)できなかった。この年齢では、もう進歩することもなく、逆にその思いが凝縮していくだけだろう。『おまえ』 だって。 国民のおまえら、オタクのおまえら、、、、言葉尻を捉えて、一生懸命、難局に対処しておる首相に対し、つまらぬ批判をするなという方も居る。それを揚げ足取りと言うのだと。あの人は口は悪いけど、根はいい人だ、本音は人情深い性質だ、時折り失言するのはご愛嬌だ。 個性と言うなら個性だろう。言葉遣いなど瑣末なことだ。ご尤もだ。 そう庇いたければ庇うもよし。 私自身はごまめの歯軋りと同列ながらも、そんな擁護論に与する気持ちは更々無く、無神経な言葉遣いの裏に潜む本音部分に対し、確信犯として、罵り、あげつらい、貶している。庶民票狙いのべらんめぇ調は賞味期限切れだが、ともすれば、薄れ、消えてしまい勝ちになる怒りを時に喚起するブログがあってもええんじゃないかとそう思う新年。 『変』 ではなく、『怒』 こそが相応しく思える新年。 * 画面レイアウトのセンスの無さは、予想屋太郎の白いマフラー並みで 恥ずかしい。
2008.12.30
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廻る政策崩れる生活汚れる晩節何をやりぬく大麻草野郎いや、決して麻生太郎氏の事を誹謗している訳ではありま・・・せん。ただ語感が似ているという事を言いたかっただけで、決して、倫理観は欠如しても暇は豊富な大学小僧が耽る大麻ごっこと経営能力は欠如しても漫画購買力が豊富なボケ僕老人が耽る政治ごっこが似ていると、申しておる訳ではございません。麻~そぅですとも。麻生氏の似顔絵を3連発こいてしもた。およそ各所、各界で語り尽くされた笑激の告発は、ほぼ誤読とアキバネタと自称経済・外交通の本質を衝くもので、わしには、もうおちょくりのアイデアは枯れてしもた。枯れたのは国民の信任も同じで、妄信的自民党支持者の信任すら軽く、当て所も無い枯葉の如く、木枯らしに舞っているようだ。外見は骨太を踏(ふ)襲すると公言しても、実は骨粗鬆症である事が露呈されたせいだろうか。街道の族 賊、古賀の 胡麻の蝿、さもなくば護摩の灰にわざわざゴル語録を援用して貰うまでもなく、ゴルゴ麻生は背後から撃たれて引退しようが、(そんなに貯めてどうするんという規模の蓄財もあるので)その無神経さには、ひび割れすら生じまい。すべては漫画の世界での様々なヒーローをミックスし、麻生オリジナルを創り上げて演じているのかな?ひび割れするのは、旧態依然の党の思惑。臭いを嗅ぎ付けては、有利な側の尻馬に乗ろうとする元何とか大臣、何とか長官達の下作な腹の内も、無策な権益集合体のいずくに付けば、先々の安定を望めるか、計りかねていることだろう。かつては、誰が何を言い、誰がどんな主張をしていたのかいずこの軍門に下ろうとも、おめーらのやってきた事や言葉は、グーグルーッとヤフーッと、お見通しだ!!一事を挙げても、所詮は派遣を言葉遊びに使う覇権争いか、はたまた埋蔵金は無いと声高に宣言したその口で、財源を問われると、へい、埋蔵金でと答える阿呆な閣僚。そんな連中同士が、互いに猜疑心を抱きながら、背中を見せないようにゴルごっこしているのだろうか....... 忘れてはなんめえぞ。皆の衆。あんなに後ろから鉄砲玉を撃たれては可哀相だなんどと【呉れぐれも】 思うてはなんねえだ。この数十年に亘り、創り出された不条理と、その責任に思いを致すべし。******************************さんちゃんは、明石屋さんまではない。既に故人であるが (さんちゃんの魂に栄光あれ)私にとっては年の離れた従兄弟であった。そのさんちゃんが母方の里を守り、一家を成していた。親族が一堂に会すると、必ずや、その中にテンションの高い一人二人のおじさんが居る。その集合体の中で場を盛上げる役目を果たす、極めて貴重な人材である。初対面同士の親族の場を和む雰囲気にする人達だ。勿論、逆のタイプで嫌われ者の人物も居るだろうが、さんちゃんは (さんちゃんの魂に幸いあれ)陽気で豪放磊落な気質で、酒が入れば益々陽気に、分け隔てなく、誰の気分も明るくさせる有難い親族の一人であった。この旅行記の当時は、壮年期の脂が乗り切ったビーフ、達磨さんのような勢いのある人物であった。一言で言えば豪放磊落という性格で、農業の傍ら、街道筋にガソリンスタンドを2店も経営する働き者でもあった。母親と訪ねると、殊の外喜んでくれて、私を甘えさせてくれたものだ。さんちゃんは (さんちゃんの魂に安心あれ) 牛を一頭飼っており、搾りたての生ぬるい牛乳を飲み干す私を、これ以上垂れるまいと思われる位目尻を下げて、見守るのだった。帰宅する頃には、必ず 「内緒じゃけんな」 と言って、子供に不釣合いな小遣い銭を渡そうとし、一旦、私が受け取りに抗う振りだけをしながら既に腕だけは、その金に伸びているのに気が付き、互いに、にたり笑いをこぼす。それが訪問の度に、儀式のように行われるのであった。 家の裏は小高い丘となっており、頂上には神社があった。御瀧神社という。 数十段の階段を登り詰めると、小振りながら境内が広がり、祭礼の折には屋台が立ち並ぶ。八世紀半ば奈良時代に建立された国分尼寺の跡地に近く、現在は、遺跡としての研究対象になっている。平安時代の神仏習合の傾向を考えるなら、国分寺や国分尼寺に接して神社が在るのも自然なのだろう。同時期のものか否かは不明であるが、尼寺は地名として名を残し、御瀧神社は今も地元の守り本尊として役割を果たしている。そして歴史へのロマンの残り香を僅かに漂わせて、旧国道の脇に、静かに佇んでいる。旧国道に沿って斜めに向けた鳥居を横目に村道(今は町道か?)へ曲がりこむと、色の褪せた土塀沿いに母屋の灯りが浮かぶ。門柱を過ぎると、長い縁側正面へと続く堅く踏み固められた土の小道。両側の柿の木に狭い瓜畑を懐かしみながら、ゆっくりと自転車を進めた。正面の長い縁側に続く居間には、人影がちらほら。 抑えて書くと、全然面白くねえだ。
2008.12.17
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ええっ!12,000円やれば、いいんじゃねえの?8 8月30日が、この旅の最後となるので、この昔々の旅日記もそれに合わせて完結したかった。如何せん、ケツが痛くなったので完ケツしなかった。余計なエピソードを加えたものだ。残暑の残る9月ではあったが、それに輪をかけるかのような、暑苦しい総理ンピックが開催され、クールビズは何処へやら、暑苦しい化粧と顔がゴリンと並び、今までの不祥事を詫びることも無く、不始末からは国民の眼を逸らし、未来のみを語り、ライバル党への反論機会を奪取し、ザルメディアの提灯行列がそれに続く。まさに秋の大祭か、ノアの箱舟を擬した泥舟で責任追及から避難せんとする議員一同。どの泥舟が沈まぬかを右顧左眄。 未来も自分の寿命分だけの安寧を確保せんと、乗客の議員が右往左往。それが 『政権担当の責任能力がある』党の実態で、選んだ頭領は、漫画閣下。 初対面の人間にも偉そうな物言い閣下。それを気さくというか、不躾と取るか、しもじもの国民の感性の問題であろうが、私なら、つい、こう洩らしてしまいそうだ。「偉そうに声を掛けるな、手前の会社の社員じゃねえぞ!!」そして振り向きざま裏拳をかましている、【愉快な】想像をしてしまった。そうこうしているうちに、体感する空気にさぶえぼを生じるような晩秋を迎え、 『国民一人あたま、12000円やる。その代わりに3年後に消費税を増税するぜい。』 と、得意気に答える曲がった口に頭付きを喰らわせてやりたいと思うのは私だけか。 私だけだった.....元は一体誰の金と思っているのか。 高級ホテルのバーで、ブランデー片手に葉巻をくゆらせようが、話す時に、片眉だけを上げる練習の成果を見せようが、口をひん曲げるのが、ショーン・コネリーの真似をし過ぎたのかそんな事は、好きにやってくれればいいのだが。元々、国民の金を、恰も手前の財産かのように国民に 『やる』 と偉そうに語るその一方で、次から次へと補助金を与える外郭団体を増やし、天下りシステムの中で、土地転がしならぬ職転がしの輪っかは回り、特別会計の中からは、とんでも無い額の退職金がばら撒かれている。消費税が10%になろうが、痛む腹ではなし、既に痛みは国民に押し付けてある。 「押し付けたのは、狐目の男であり、おいは責任は無いけんね」とでも言いたいのか。そうした事態を忘れて、目先の12000円に喜ぶもんじゃありませんて、皆々様よ。もとい、喜ぶのは良くても、それを一個の首相のお陰と思う事勿れ。誰でも出来る幼稚な技。もう一方の事態もユメユメお忘れ召されるでない。あ、また、前置きが長くなってしまった。これも欠点やね。これが。 でも本文が面白くなければ、余分なおちょくりで水増しするのが、私の手ぇやしい。そんな下品な経緯に呆気に取られている内に、何と、 今はもう秋。 解散もしない泥沼に足を踏み入れたままの政府、記事の更新もおぼつかない私。中秋の名月を見るに至っては、メイゲツならぬケツの話の続きを始めねばと焦って再びのきたないつたない日記のケツ末を記してしまうことにする。*****************************私のケツの実態は、パンツを脱いで合わせ鏡で確認するべくもなく、指先の感触から、擦り傷を負っているのが明白だった。 公道で合わせ鏡でケツを覗き込む若者は、流石に徳島県には居ない。 右臀部側部にある、おでき切除の下手糞なメス跡の盛り上がりが唯一の欠陥ではあるが、全体的に素敵な私のケツは、今頃、無残にも細い擦り傷の線だらけになっているのだろう。 更なる応急措置は、タオルを折畳み、スポンジの上に敷き少しでもケツの負荷に対するサドルの反作用性を減じることであった。成る程、成る程、確かに、アタリが柔らかくなっている。 これで、数時間の走行なら耐えられるであろうと、再びペダルを漕ぎ出した。ちくちくと針で刺されるような痛みも、応急のクッションでぼやけた痛みになりかわり、吉野川の南岸に寄り添う伊予街道(国道192号線)とそのまた横を走る国鉄徳島本線と先を争うように、都へと急いだのだ。 吉野川沿いの観光名所や名物は、今でこそ数多く紹介できるが、当時の私には、郷土愛は別として、目前の好物に眼を向ける気が薄かったのかもしれない。 高校生にそれほど魅力的に映る物がなかったのであろう。 普段眼にするものの有り難味が判るようになるのも、長く齢を重ねる必要があるのだろうか。記憶に甦るのは、今もなお名物の座を守っている銘菓の名前。【海越えて、誉められに行け、ぶどう饅頭】 というキャッチコピーで四国放送の紙芝居風TVCMで、今もなお徳島県民の脳裏に燦然と輝く銘菓の記憶しか無いのである。 この銘菓の箱を開けると、何と一億円札が一枚鎮座しているのである。勿論図案の人物は社長の顔。 TVCMも国際線の旅客機の窓から社長が顔を出した図案。顔でか。 飛行機よりでかいその顔がとても素敵でした。90年の歴史を誇る、日の出本舗の健在を喜び、大袈裟具合、奇天烈さが自分に似て、何ともそのセンスに親近感を覚える菓子の紹介をしてしもた。興味の向きは、ぶどう饅頭で検索を。本店は穴吹という町にあるが、池田市と徳島市の中間地帯まで辿り着いたのだ。
2008.11.13
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解散するのかしないのか、あ~そいは、首相権限ばってんが、下々の皆さんの内の一人であるわたしは、皆さんのブログを訪問しないで、このごっつぅ、年賀状用の似顔絵を練習しとったばってん、まっこと、申し訳なかばい。 そいはそいとして、 段々、絵がヨーダのようになりんしゃった。 政局混迷の中、いつ、ニュースバリューが無くなるかわからんごたるけん、取り急ぎアップしてしもた。 あ~、なんぼセメントが余っちょっても、コンクリート漬けは御免蒙るばい。 政治の達人は、少年ジャンプの大人買い ドーダ、明るいだろうが、ヨーダ!! 訪問頂いている皆さん、本当に訪問が途切れてすまんです。と、 笑いながらお詫びします。 年賀状原稿は又別に描かんといけん。 その時は、また別の人物かもしれまへん。
2008.10.16
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気持ちだけは、綺麗な絵を描きたいという思いなのに、露骨な世論誘導に耐え切れず、汚い喩えをすることをまず最初にお詫び申し上げまする。 枯れ木も山の賑わい賑わいは、野壺を隠す腐れ蓋。羽目板を数枚並べて、丸い蓋。芯の羽目板は、野壺の中に垂れ架かり、端の羽目板は小振りに過ぎて、野壺の中を隠すに至らず。詭弁を弄するは、黄便を漏するに通じるか、汚れきった野壺の中で何を騒ぐか、羽目板連中、臭いを煽ぐな枡ゴミ屋。 30数年前の峠道は、幹線道路とはいえ、狭く、野良作業で留守になった民家が両側に迫り、板塀の風雨に色褪せた羽目板と、縮緬皺の入った土壁が疲れを訴えかけててくる。今となっては旧街道となっているが、当時の面影が残っているのを他の方のブログの画像で拝見した。思わず唸ってしまった・・・・30数年前の私の足跡を見た思いに、図らずも画像の粒子がぼやけた。センチメンタリズムがオヤジの心を洗うとは思いも寄らなかった。全てが昇華され、すべてが許される一瞬というモノが有るのかもしれない。こうした一瞬を積み重ね、豊富に蓄積していける者は幸せの意味も理解できるのかもしれない。30数年後にそんな感慨を覚えることになるとは夢にも覚えず、私は只管、孤独感に包まれながらも、峠を越えた安堵感と最後の難関を越えて、汗まみれの全身に当たる風の心地良さに浸っていた。この周辺は旧三好郡。(今は市に昇格?)室町時代に、戦国武将として名を馳せた三好長慶の出世の地であり、勿論、日本史に興味が無ければ、単なる地名に過ぎないものであろうが、貴方も暇がある時に地元の歴史なんぞ紐解けば、思わぬ歴史の事実を知って、地元への愛着が深まるかもしれない。 10kmの距離はあっという間に過ぎて、目前には吉野川が横たわる。三好橋の手前を右へ向かえば、国道32号線が土讃線ともつれ合いながら渓谷に沿って土佐路へと下る。四国山脈を縦に断ち切るように鋭く刻み、既に完成した、大歩危、小歩危という奇岩の作品を見ながらのルートになるが、「大歩危?小歩危?誰がボケやねん!(森か?小泉か?)」この景勝地を訪れる観光客の誰もが発する、あの技も切れも無い決まり文句を唱えてしまった自分が恥ずかしくなった。 否、恥じる程ではないか。考えてみれば、パンツを裏表穿くかのように離党撤回をする不潔なユルパン姫ほど恥ずかしくはない。 比例リストで得られた議員職にもかかわらず、その職を辞することもなく、新党結成しようとする図々しさ、無知さ加減、歳費欲しさのいじましさほど恥ずかしくない。恰も、防衛次官との確執を原因として、喧嘩両成敗による結果での解任という自作自演の道筋をつけて、後に石波前防衛大臣が塗れることとなった防衛省の汚わいを被ることなく旨く避難した。1月余りで、元防衛大臣という要職をおっ放り出した実績を持ちながら今度は総理に立候補するという能面女史のような臆面の無さ、始球式のように、またまた理由をつけておっ放り出すつもりか。これを総理候補と担ぎ出すガマ蛙のしょんべんほど恥ずかしくない。 何度も見た大歩危・小歩危を訪問する理由も無く、私は橋を渡って池田町へと入り、池田高校に見下ろされながら、私は吉野川を見下ろしながら、残る距離を快調に縮めて行った。起伏はそこそこ。往路でも比較的スムーズに走ってきた自信もあり、吉野川の流れに運ばれるように、走る気分に余裕が生まれた。ハシリに余裕が出た所で、思わぬ事態に気がついてしまう余裕も出た。ハシリではなく、シリに鋭い痛みを感じるようになったのだ。シリが痛いと言っても、それだけでは内閣改造と同じで意味不明である。 その説明せねば・・・・すでに阿蘇山横断の時に、その兆候を感じてはいた。食器洗い用のスポンジ2個を、サドルにタコ糸で取り付けた経緯は文中に記したが、それはそれで応急的に痛みを緩和する結果となっていたが、固定に使ったタコ糸が元凶であった。単純にサドルに縛り付けたタコ糸の細さが、その上で前後左右縦横無尽に動き続ける尻タボを傷つけていたのだ。逆に言えば、己が可愛い尻タボを、細くて頑丈なタコ糸に擦り付けていたのに過ぎない、痛いのは尻タボだけではなく、その中央部に舞妓さんのおちょぼ口のようにすぼまった水戸様が、矢七が誤って投げた風車が突き立ったような痛みを訴えているのだ。(旧バージョン)僅かにおいどの両端を支えるスペースと先細りの先端に、私の小奇麗で品の良い形の尻が耐えられなくなってきたいたのだ。「けっ、けつ、痛ぁ~」痛いのに気が付いた以上、痛みが刻一刻と意識に登る。ええい、どうして、こんなに形容句の長い文章になるのだ。
2008.09.05
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暑いじゃありませんか。皆様、とうとう2ヶ月に1回の更新となってしまいました。更新していなかったにもかかわらず、訪問して頂いては一声かけて頂くなり、一瞬でも「このおやじ、どないしたんやろ」とご心配頂いた方々に、心よりお詫びと御礼を申し上げて、暑中御見舞いの言葉に代えさせて頂きたいと存じます。あ~、決して心身の具合が悪いわけでもなく、依然として男前なんですが、貧乏暇無しの度合いが酷くなりました。そのお陰で、パソコンに触れる物理的時間が圧倒的に少なくなってしもうたというのが原因です。でも無駄な時間が結構あるので、ノートパソコンさえ入手できれば、覚束ないながらも、やや以前の状況に復帰できるかなと期待しながら紫蘇ジュースを飲んで頑張っています。そして今、新しいノートで、この昔々の旅の完結を書き始めましてん。ほーです。頑張ったお陰で、手に入れたのです。ヒューレット・パッカードのtx2105という製品です。 詳細スペックはこちらですが、アフィリエイトではございません。首も振ります。 扇風機じゃあるまいし。ディスプレイを反転させて、ペタンと倒すと、そのままペンタブレットになり、お絵描きボードになります。手動電子カンバスじゃあるまいし・・・・いや、そうやがな。 とても便利な代物です。ただ、重い。モバイルとはとてもじゃないが、よう言わん。 本当は、8インチの新製品を購入する予定だったのが、反響があり過ぎて、度重なる受注日程の延期に、もう辛抱堪らんと、在庫確認できた製品に飛び付いた次第。重いのは値段の軽さで解消できるもんですわ。聞いて驚け、83,000円。 12.1インチワイド画面それがこれですねん。 たっちゃん5765さん、こんなスペックです。ご参考まで。安いのに、今所有しているデスクトップの性能を凌駕するとは、どういうこっちゃ!そんなこんなで、途切れていた訪問を開始して、貧しい旅の記録を続けます。 これがオーラスになるかと思っていたら、まだ終わりが見えてこない。さて解散か!と思うと、改造で粘ろうとする意味の無い行動のようです。終わらせたくない気持ちは共通しているのかもしれないです。【安心実現を 『国民に』お任せします内閣 】 『郵便女は二度寝返りをうつ』 うえっ、気持ち悪う~
2008.08.03
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熊野古道 習作 『神、そらに知ろしめす』 とは、ブラウニングの詩の一節(海潮音/上田敏 訳)であるが、まさしく欧米人にとって、神は空より人を見守る存在なのであろう。しかし、大和民族にしてみれば、神のおわす道の草木、石の階段の其処此処にその神意が潜み、神の座へ近寄ろうとする善人男女を優しく見守るのかもしれない。人によっては、底知れない不気味さに包まれて、恐怖するかもしれない。或いは、余りのスピリッツの洪水に畏怖を感じる方も居るかもしれない。何れであろうとも、神性とは人をして自然と居住まいを正させる大気がたちこめた場所である。題材は那智大社にある大門坂近辺であるが、そんな神意のイメージを先入観によるものだろうが、原始への単純な畏怖であろうが、心の内に囁きかける無言の戒めを感じ取ることだろう。 どんな大げさな遺産として指名されようが、個人的な思いでは、返上して欲しい気がする。何故なら、清涼飲料水の空のペットボトルや、空き缶が増える気がするからだ。 心無い阿、呆門者による阿呆な行為で神意は去る。あ、ほんでね、これ自体は只の習作ですから、習作。たまには油絵風で描きたかっただけですのん。*****************************さて後は、大きな休憩を挟むことなく、一気に阿波まで上るだけである。しかし、二つの難局を切り抜けた私であるが、最後の難局が残っている。県境を四国山脈の残り滓のような尻尾が県境を塞いでいるのだ。往路では、それほど苦しいと思わなかった。長い下りの快調さを味わっている最中に、一瞬、帰路の時の困難さが掠めたが、その時には、これから走破する楽しみと期待が高く、意識の外に追い出していた。壁が目前に迫るまでは考えもしたくないという、典型的な怠け者の性向として、私もその例に洩れることなく、その徴候を現し始めていた。 四国の凹み部分の端から端へと辿りつくと、川之江となるが伊予三島も含めて、いつの間にやら 【四国中央市】 という市が出来上がっているのに気が付いた。♪~びっくらこいた、びっくらこいた~♪三県の県境に接している位置であり、四国のほぼ中間地帯にあるという理由で言えば、確かに四国の中央にある市だからという理由に拠る命名。 実に簡潔明瞭な命名である。すぼめた唇の間から、ふふっと笑いがこぼれそうな程、安易且つ、想像力の存在を感じさせない位、直接的な命名である。ほんの数年前の市町村合併の結果である。『【虫来ナーズ】という安易な名前で売れています』という虫除け剤のCMがラジオで流れているが、同じように、「ああ、あの市かあ!」と知名度を向上できればよいのだが・・・・その 【現、四国中央市】 から、国道11号線 は観音寺を経由して北の高松へ向かい、阿波には 国道192号線 が向かう。四国山脈の外れの山裾を登っているのだ。たら~り、たらり と、気だるげなペダル漕ぎの素振りには、あの有名な ツール・ド・ぉフランス の颯爽とした選手の走り振りとは懸け離れて、それはそれは、のたくりながら地を這うメメズのように、不細工極まりない仕儀であった。私のようにスタイルも顔も良い男が見せるザマではなかった。 先ほどのカレーと一緒に摂った水分だけ雲散霧消し、舌を上口蓋に接着させ、カレー味だけが口の中から湧き出てくるのだ。自然と口からの酸素取り入れに頼り、鼻から呼吸することを忘れているから余計に口の中が乾く。鰓呼吸も出来ればと願うほどである。残る距離の走破のためにスタミナを残しておく必要があるのだ。男前でも、恥を忍び、鯉のような口か、アマゾンの半魚人のようなぶっ細工な表情も甘んじて衆人に晒す他無いのだ、・・・・あは、あははは。 こうなると、♪~サイクリング、サイクリング、Yahoo、Yahoo~♪などと歌っていられなくなる、ひたすら続く苦難の登り。いにしえの同行二人とは、ここを歩いたのだと思うと、泣き言は言えない。ましてや、近年の女子小学生の南米縦断のツアーなど見聞きすると、♪~びっくらこいた、びっくらこいた~♪ (気に入っている)現在は 【境目トンネル】 という県境を貫通しているが、峠を越えるには6~7kmもつづら折りの寂しい登り坂を尻を高々と上げて、標高400mまで立ち漕ぎしながら登らなければならなかった。トンネルが完成したのはこれから3年後だったのだ。 悔しいーです。【境目トンネル】 これも【虫来ナーズ】と同じ......そのままやん!!
2008.05.18
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あと2回、あと2回と予告しながら、完結しようとしないブログが存在していても良いのだろうか?国民の皆様はそんな欺瞞のブログの存在を許してもいいのだろうか?暫定税率維持の詭弁ほど酷い話じゃないし、完全に実施されるものでも後期高齢者医療保障ほど、国民を愚弄して居るわけでもないし。その保障制度の張本人で、国民を愚弄した狐目の男を、「分かり易い」「リーダーシップがある」「何かやってくれそうなムードを持つ」「変人だから」と根拠の無い理由で支持した国民が、後に自らの首を絞めた事にも気付かずに、再登場を待望するという国民ほど無神経でもないし...いいのかな?いいかなあ? まっ、ええかあ!!予告は予告じゃし。まあ、此処は今一度、心鎮めて静謐に浸り、木立と水面の語らいに耳を貸そうではないか.... 習作 静謐 自己満足の旧き良き時代の九州旅行の顛末であるが、本当に、後2回で完了する予定で書いている...... ぅえっへ。 例によって、いい加減な約束でもあるが、それはそれで...つまり本更新を含めて後2回なのか、含めずして2回なのか、自分でも分かっていない。ついつい書き込み過ぎる執拗で、理屈っぽく、饒舌な性格は、人生の半分を過ぎても緩和されることなく今に至っているのだ。尤もその生存年数なら、私のずっと上をいくだけ生き抜いてきた政権与党の蛇蝎の如き執念深さと貪欲さ は持ち合わせていない。本格的に独断で絵を描きだしたら、このお絵描きソフトが本当に面白くなってクスクス笑いながら、絵を描くことに夢中になってしまったのだ。ブログタイトルとは裏腹 に、殆ど絵を掲載していなかった恥ずかしい過去に、美しい頬をトイレでいきむ位紅潮させ、気分一新、更新する度に、新しく描いた絵をアップして見ようかと思ったりもしたが、そうそう絵画の世界に浸っているほどの時間的余裕もない。飯を食わんとすれば、趣味の一部を犠牲とするしかない貧しき者、食わずして、作画にのめり込めるのは芸術家であろう。私は、芸術のゲの字も感得しえない、ずぼらやのふぐのような者に過ぎない。苛立つ社会情勢に膨れっ面をしてみせる事くらいしか出来ない男である。男前とは言え、そんな性根無しの男であれば、諸物価高騰の折、働かずんば、食うべからずといういにしえの断りに急かれる如く、老体に鞭をうち、明日も労働の喜びを、無理矢理惹起せしめ、利益追求の旅へと身を打ち震わせて向かうのである。描きたい思いとおまんまの狭間でジレンマに身悶えした結果、「毎回はきつい」 と、決心した気分を 「まあ時々くらいで」 とあっさり翻した決心と同じくらい安易にを食う選択をしたのだ。 寒川海水浴場でひとときの感慨に浸るよりも、まず飯であった。寒川海水浴場に沿う道路には、食堂などがあった記憶はなかった。2週間前の時点で、すでに海の家は客足の絶えた秋を予感して佇む廃墟のように寂寥感の漂う掘っ立て小屋と化していたのだ。幟旗の降ろされた支柱が枯れ枝を思わせるように、突っ立っているだけだった。その頃はまだ、夏休みの折り返しとなったばかりで、まだ近所の小僧どももそこかしこに走り回っていたようだが、あと数日となった夏の日は宿題に追われて、自宅幽閉の憂き身にあっているだろうと思うとざまあみろ、可哀想だなと労わる気持ちも一杯で、相変わらずクスクス笑みを浮かべながら大衆食堂を探したのだ。国道から逸れて寒川駅に向かうと、当然のように食堂はあった。地方へ行くと、小さい駅前のターミナルの片隅には大抵食堂がある。食べられるメニューをあれこれ浮かべながら、それでも、残金の600円を全て使えない悲しみも噛み締めながら、引き戸を開けて薄暗い店内に入り、壁に張り出されたメニューの値段を一覧した結果が、カレーライス大400円也であった。うどんと飯の組み合わせに心惹かれるものがあったが、何よりも濃い味を肉体が欲していた。大盛りなら、食欲も満たせる。そのうえ200円も残れば万歳である。 小太りの頭に布巾を被った アンパンマン の顔をした婦人オーナー兼ウェイトレスが氷水の入ったコップを置き、取り組み前の力士のように堂々と私のそでに待機の構えを取った。塩を投げつけられる前に私は、 「カレーのだい。」 と誤りが無いように、簡潔明瞭に正しい注文をした。 クーラーの極端な冷気が汗を退かせると共に、本日始めての食事に食欲をそそるカレーの匂いを鼻孔に送り、理想的なカレー環境をもたらし、幸福感に包まれながらいっときの食中枢への刺激を楽しんだ。極端なスパイス志向ではない、昔ながらのカレーが自宅に居るような錯覚を覚えさせ、大振りのジャガイモに玉ねぎもその姿を消さずグリーンピースまでトッピングされている。最後にとっておいた 福神付け と白飯の一口で、口中をさっぱりさせると、有難い氷の入った水を二杯飲んで、大いに満足を覚えた。水分と炭水化物の大で増えた体重に、他人事でない親しみを覚えた腹の中で、液体が騒ぐ音が喧しい。
2008.04.21
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旅も最後に近づいて、 本ブログも 20、000 hit のアクセスを頂くに到りました。栄光の 20、000 hit目の方は、お気楽融通無無碍サマというほのぼの家族と、日本酒(これがまた、多い)の紹介をされておられる、優しい親父です。しかし、これも、よー、こんなブログを開設する奴がいるもんだ!と呆れながらも、訪問し続けて下さった皆々様のお蔭でもございまする。 引き続きご愛顧の程、御願い申し上げます。 澱みにあらじ そは長旅に ひと時の休息 紺碧の淵となりて、 また新たなる流れを待たむ 習作 淵 軽いねえ~。軽い。 このブログの内容通りに、軽く距離を縮める愛車。自転車は降りて一緒に歩むものではなく、跨ってペダルを扱いで進むものと実感した。 風を切るのだ。 バイクとは違う風の切り方。心地よい風を受けられるのも、生温い風になぶられるのも、己の脚次第。 そして重荷のとれた軽い頭に浮かんだのは、( そうじゃ!何も今日、自宅に帰り着く必要はないやん ...)という、私の中で増殖する いんきん ばい菌のような陰謀だった。今迄散々、私が男前で、心の美しい人間であることを証明してきたが、実は、腹の底にはサナダ虫のように、私の美しい心根を蝕む本心を隠してきたのだ。 他人の金で、コンパニオン嬢の費用まで丸抱えの慰安旅行のような大それた物ではない。どこの省庁でも行われていると言われる拡大解釈された職員福祉に費消される税金ほどのことではない。そうだ、徳島の手前15km程の処に 親類 があることを思い出したのだ。母親の里でもある。 今夜はそこまで行き着ければいいのだ。私が浮かべた腹黒い陰謀とは、親類で1泊させて貰い、私好みの晩飯を食らい、あわよくば、不労所得をせしめるという企画であった。 「阿波欲場」 とも呼ばれる言葉の由来でもある。只、親類の家庭に寄るだけで、不労所得を得られる機会を利用する陰謀のことを指す。**********************************・・・嘘ですよ~!。嘘、冗談ですよ~このブログは、こっそり嘘をつきます。前回の記事でも、鳴門の渦潮の発生は、吉野川の流れの勢いで潮目が変わるために起きると書きましたが、嘘ですよ~!これは、月の引力による潮位の変動(干満)と、鳴門海峡の地形構造で発生するものですよ~。って、それこそ蛇足かもしれへんけど、こんな断り書きを入れないといけないってのも、何だかな~。たまたまクレームが来なかったのはもっけの幸いでもあるが、そんな事が有り得る世情であることも情けない話ではある。*********************************そんな陰謀を巡らしながら、生温くなった風の中で、吐く息も 「ぶへへへ~ 」 と 阿波ポークのように洩らしている私が、伊予路の西条市を駆け抜けていく。してみると、行程は1日増えたものの、本日は150km強を走れば汗を流したさっぱり顔で、心尽くしの手料理に舌鼓を打ち、ふんわか布団の安眠と、出立の折に何だか秘密めかして『 ○ちゃん、これ少ないけんど、まあ持って行きない 』と手渡される幾ばくかの小遣い銭を、「 いや、もうそんなんされたら、困りますわ!」と クリアクリーンのような爽やかな青年 を演じつつ、止むを得ず出す手のたいみんグーと、自然に受け取るふぃーりんグーのしみゅれーてぃんグーな私だった。「 そーですかあ~?そんなん困る~、親父に怒られるやん 」と、いう腹の底とは逆転しきった言い訳がましい言葉と同時に、厚みを探る指先の感触を想像して、にんまり、もんまりする私の後ろ道に含み笑いが転げて落ちていく。軽い軽い気分で、浮き浮きと新居浜まで30kmを走ったところで、頃合もよし、昼飯時となったのだ。見覚えのある道の様子に、何と 初日のテント泊 をした寒川海水浴場のそばまで帰り着いたのに気が付いた。あんときゃ、 首領様にしの君 が私の主導権の下で、日光の土産物屋を狙う日本猿 のように、私のリーダーシップを奪おうと、常に私の目の届く処をうろうろしていたものだった。ほんの2週間前の過去だった。 その2週間で、ねじれ現象が何度も生じた。自公明と野党の比ではない。 リーダーシップは猫じゃらしの如く軽やかに、一人と一匹の間を飛んだり跳ねたりした。残る150km程度の距離で、邂逅する可能性は毛ほどもなく、更に1日経てば、その可能性は皆無となろう。 まっ、ええかあ 此処に至って、ようやく 首領様にしの君 の、その行く末について憂慮する行動を完全放棄し、 食堂を探すことが何を以っても第一義、伊予の猟師の鉄砲に倒れ、狸汁の実にされてしまったであろう首領様にしの君 への心配は奇麗サッパリと忘れることにして、更に身軽になったのだ。 頭の中は、重たくなったサイフを想像していた。
2008.03.28
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流れ流れて 何処へ行く 深き碧を湛えつつ、流れて入れ 心の宝石箱へ 習作 流れ 吉野川自転車本来の機能を取り戻した。空気圧を強めにして弾ませると、気持ちよく跳ねるタイヤが手に頼もしい感触を伝える。『 まあ、ええじゃないか 』 と、ワゴン車を持ち上げてブン投げる母さん程には元気はないが、気持ちの高揚は抑えきれない。 親指に唾をつけて、1枚しかない千円札をパチッと弾き、手渡した。『 にいちゃん、得しよったの 』(にいちゃん、得したね)「 いや、ほんまに助かります。これで何とか昼飯は食えますけん 」サイドバッグやテントを取付けた重みにも関わらず、しっかりと地面からその荷重を跳ね返さんばかりに、頼もしさを感じる。自転車店の敷居から外へ乗り出した私は、パンクロックのお父さんの前で、なぎだ武の演ずるディランのように、爪先まで伸ばした脚でサドルに跨った。『ほいじゃあのぅえ、気ぃ付けていんできーよ 』(それじゃあ、気を付けて帰ってね)「 ほんまに、どうもすんましぇん 」私が国道へ乗り出す角で振り返ると、パンクロックのお父さんはそれに合わせるように手を振った。私も頭を下げた。片手を上げて左へと曲がって、決して無駄な道路ではない国道11号線の利用者となった。国道192号 は、同様に国道11号線と重複しながら途中で分岐し、前者は、愛媛県西条市から徳島県徳島市に至る国道であり、11号線 は、観音寺(かんおんじ)へ抜け瀬戸内側へと北向きのコースをとり、高松市を経由し、四国の頭をぐるりと周って、同様に 徳島市 へ到る。当然ながら、ほぼ四国の平面をまっすぐ横切る192号線が最短距離となる。いくらうどん好きな私でも、讃岐路を走る余裕はなかった。おまけに当時は、讃岐うどんの知名度は精々、四国までが圏内で、迷信と先入観から一般人には本州と呼ばれている海外地方にまで知れ渡る機会も、紹介するメディアも無かったのである。現在のように誰もが食への貪欲さを、薀蓄として語る時代ではなかったし、日本国でご馳走とは精々がステーキ定食という処で、「定食」 という語尾をフルコースの代わりに当て嵌めることが何とも言えない昭和回帰の流行の尻馬に乗ろうとしている訳ではないが、どうせなら、今後フレンチ定食と呼ぶことにしよう。タイヤ屋が、道を旅するドライバーの利便にと始めた宿泊案内や近辺の食堂紹介が、いつの間にか肥大し、その格付けにまで信任を置かれることになった。格式を何より尊び、自己を特別な存在化させることに熱意を持つ層からは喝采を浴び、その星の数を参考に世界の美食家がその評判を賞味する。独自の格付けが万人に共通するわけでもないだろうが、そこに権威主義を尊び、有難たがり、縋り、差別化を図る側につこうとする。それはそれで、商売繁盛、経済活性、贅沢な海外を旅する者の指針となるのだろう。( 貧乏旅行をする者にとっては、○その役にも立たないし、地元の場末に潜り込もうとする旅行者には縁の無い、○そガイドブックであるが...)人間の基本的な本能から出る意識を応用し、そこに付加価値を付け利益に繋げる思考が、文化を形成し、生存本能の動機付けの一部となる事に何の不満も無い。 それはそれで尊重すべきであろうが、妄信するだけの持ち上げ方に引っ掛かる天邪鬼人間でもある。 そんな性向であるだけについ流れに棹挿す事を敢えてするし、流れがあると覗き込みたくなるのだ。 覗きたくなるのは、何も銭湯だけではない。 そ、それは中学生で卒業した。流れと言えば川の流れである。 渓流でもあり、下流の泥や生活廃水の混入した流れではなく、深山幽谷を人の思惑に関知せず流れる水を覗き込むのだ。 西条市は、愛媛県の東予地方、西日本最高峰の石鎚山を背に、瀬戸内に向き合う穏やかな街である。その 石鎚山 は、当時、四国で唯一スキーが出来る山でもあったが、その東の山麓で、高知県側に 吉野川の源流 がある。その周辺の険しいV字谷に端を発した小さな渓流が一本の清冽な刃となり、岩を切り刻み、地床を抉り、山脈を駆け巡る。1800mの高みから、東へと時間を駆け下り、V字の斜面に芸術を掘りつけながら北へ進んだかと思えば、気紛れな村上ショージのように鼻からドゥーッ!!と、真東へ徳島平野を貫き通し、河口でクラッカーのように弾けたのだ。その勢いで淡路島に衝突した返り波が潮目を変え、鳴門で渦が巻く原因となった。それ位の事は拙ブログを訪問された方なら、どなたもご存知と思われるので、蛇足であった。 うふふ。
2008.03.16
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良かったら、告知のご協力お願いします。行方不明になっている少年が居ます。2月11日 朝7時30分頃~北海道の伊達市幌美内町の〔伊達の太陽の園〕から、ケイ君という、15歳の男児が居なくなりました。最新の目撃情報は2月11日午前9時頃 伊達の黄金砕石場でそれらしい男の子が目撃され山の方に昇って行ったとのことです。下りてきたのは確認されていません。もしかしたら,山に入ってしまってるのかもしれません。その目撃情報より後は情報がございません。まだ雪の影響が大きく残る北海道です。見覚えや手掛かりになるような情報を、お持ちなら是非、下記にご連絡して下されば幸いです。 社会福祉法人 北海道社会福祉事業団 太陽の園ケイ君の特徴 氏名 砂浜 佳祐 君(男)年齢 15歳身長 161cm体重 48kg髪型 長髪 細面で長髪なので、女の子に見間違える 服装( 上 )黒色ジャージ ( 下 )黒色ズボン又は黒色ジャージ (履物)紺色夏用スニーカー体型 痩せ型ケイ君の写真私は北海道の住人ではありません。ましてや伊達市とは縁も所縁もありませんが、北海道が大好きなだけです。少しでも告知のお役に立てればと思います。
2008.03.06
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いや、一句浮かばないからといって、習作中の絵で誤魔化そうとしたのではなく・・・ 千葉 習作 あ、まだ使いこなしていないソフトだから、タッチが絵葉書みたいで、いや、こりゃどうも 『 二しぇん円なら、どないぞ?』( 二千円なら、どうだろうか? )私の刷り込みは、パンクロックの貴公子には効果が無かったようだ。( 何~んも聞いてないやん )改めて、私の手元不如意を告げるしかなかった。「 しぇん600円しか持ってないんですわ、ほなけん、パンク修理だけでええですわ。」(1600円しか持ってないんですよ、だからパンク修理だけでいいです)『 ええ!?なんぼやて?しぇん600円しか持ってないって、なんじゃそれ 』「いや、さっきからそない言うてますやん・・・」(何処に耳付けとるんじゃい)『 ほんまかのぅえ?昼飯も食わにゃあいけんぞな 』グリースで爪の中まで真っ黒にしたパンクの貴公子はん~んと和式で息張るような唸りを上げて、考え込んだ。『 徳島まで、長いけんのぅえ・・・』ええい、もう、しぇん円でかもわんわい 』( 徳島までは、まだ距離があるからなあ・・・よし、もう1000円でかまわないよ )一挙に半額になった・・・・600円は余る。1000円余らせたかったが、流石に言い値の半額だけでも有難い。それに、タイヤを外してチューブ交換作業まで頼んで、600円でやってくれと頼むような真似は出来なかった。鬼でもなければ、悪魔でもない。ましてや、社保庁をや。ここで、また、私が政治ネタに持ち込もうとしていると思われた訪問者の方は、このブログに毒されている。私がいつも政治をネタに愚痴るばかりの親父だと思っていると、それはそれで大当たりだ。しかし、今回は端折りたい。おちょくりに耐えられない事件事故のトピックばかりが充満している世の中だ。 それでも摘み出し、穿り出してブログのネタにしていたが、もうね、もう脱力ですわ。『 燃え尽きた 』 と言うなら、辞任すりゃあええものの、沈黙する議員にしては歳費だけはしっかりと受け取り、『 元総理 』 の威光を振りかざしては、ファンクラブ講演会で自画自賛。利害関係者のみの支持を国民の声と混同して、その気になって再び食器棚の裏を這うコックローチの動きそのままに、妙なべんちゃらを振り撒きながら動き始めた。 あたかも一般財源化の言いだしっぺであるからには、己も与野党の尻馬に乗り、再び我が世の再来を目指す権利が在るかの如く、不気味な動きで再び日本を奈落と貧困の世界に落とそうとするのか、国海会、波高しである。新しき船の就航式が引きもきらず、乗り遅れまいと右往左往する税金盗人で超過密となる海賊船か、善良なる意思と自然を必要なだけ乗せるノアの箱舟になるのか誰も確信を持てるものではないが、何れにしても既得権益の擁護と適正な質問に対し、曖昧な答弁しか出来ない政党に存在の意義は無いことは明白である。 存在の意義 がそれ程在るとは思えない私だって、それなりに忙しくなるのだった。何にも増して、来週あたりからやや多忙になる予定でそれもあって、端折ると言うのも又事実であり、惑星Xの存在が予測されたから忙しくなる訳ではないし、三浦容疑者がサイパンで逮捕されたからでもない。それは確かである。 喉の渇きには、途中の道路沿いに吉野川の大量の水が香川県にあげる程ある。腹が空けば、600円 ある。 1日、生きていけるではないか。これで すき焼き でも ハンバーグ でも何でも食える・・・いや、少なくとも オムライス は食える。いや、オムライス が難しければ、チキンライス は食える。いや、そんな贅沢を言わず、うどん にすれば、2杯以上は食える。あははははは、大丈夫だ。 うどん屋に2回入れる。私は、パンクロックのお父さんに感謝の思いを込めた流し目 と、身体をくねくねしながら作業を労う言葉をかけた。「 いやあ、にしぇん円言われた時には、びっくりしましたやん 」ほんま、助かりますわ~、ほんでもほんまにええんですか?」『 ええことない 』 と言われても、絶対払う気は無いという意思を身体全体に漲らせて申し上げた。 望む方向へと進みだした。 料金の話題を出すのは止めた。パンクロックのお父さんに、何を言われても耐えよう、それが サンバ であれ、 阿波踊り であれ、 ドジョウ掬い であれ、踊れと言われれば踊って見せようとせんばかりの私の誠意は、あ~とか、うぉ~とか感嘆の声を上げるものの、あまり人の話を聞こうとしていないパンクロックのお父さんの心をゆるゆるに溶かしたのだ。慣れきった手際で、タイヤを外してチューブを取り替える手元を見ながら、2つ程苦難を減らしたという安堵を噛み締めた。晴れて徳島へ向かって、スタートを切る段階に達したのだと実感した。運良くタイヤサイズに合う中古チューブがあったこと自体が幸運であった。 残る170kmの旅を、安心して乗り切れるのだ。
2008.03.03
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蒲の穂の 川面くすぐる 秋便り -【吉野川一本竿丸太下り大会】 竿を握りて 右に左に飛ばす俳句会 洩れたで賞 選外作-【 解説 】 吉野川の河原を吹き抜けていく風が蒲の穂先を撫でて、 まるで水面を擽るかのように見え、秋の訪れを教えてくれる。 タイヤの皮をめくるのを見ていた。そしてあっという間に、臓物のようなチューブを引き擦り出した。『兄ちゃん、こらだちまかん、チューブが死んじょろうわ。』(にいさん、こりゃ、どうにもならないよ、チューブはもう寿命だよ。)1分前の天国から地獄へ突き落とされた。『こんなんで徳島までいんにょったら、いつパンクするやらわかれへん。チューブ換えんとだちまかんわ。ほれ、見てみ』( こんなもので徳島まで帰ってたら、いつパンクするかわからないよ!チューブを交換しないと、とんでもないよ。 ほら、見てごらん ) こまわり君のホッペのように横方向へ伸ばすと私の目に映ったものは、何ヶ所ものパッチゴムによる補修跡と補修されていない部分一面に見られる縮緬皺のような裂け目であった。裂け目の所々は深く、確かにちょっとしたショックで容易に裂けるだろうことが見て取れた。どつぼにはまった私は断末魔の声を上げた。「うっそ~ん、ほんま?チューブ交換ゆうても、ほんな金が・・・」すか目で、自転車父さんの様子を窺いながら、私は大袈裟なジェスチュアーで身をくねらせた。 悪代官に見初められ、帯を解かれて独楽のように回る前の商家のおぼこ娘のように初々しい色気を見せ付けるように。 先程来より、揮発油税暫定措置法維持に賭ける地方自治体の首長のように財政破綻寸前の実情を散々刷り込んでいたが、効果の程は怪しかった。自転車父さんに再認識して貰う必要を感じた。 私の実情は当面の残金1600円であった。*******************************ほぼ特定産業への補助金として、恒久法の如く既得権益化した予算を組み入れている実情であれば、目前に迫った新年度予算のどてっ腹に風穴が開いてしまうと、自治体の長も顔色変えて維持に固執するのもむべなるかなである。 気持ちはわかる。しかし交付された補助金の本来の目的が、道路の新設、維持運営という用途に使われるべきが、残余が出れば箱物建設に費消される。道路で、もとい道理で自治体周りの立派な施設が建っている訳だ。グリコを買えば、嬉しいおまけもついてくる。地元建設業は潤い、自治体の法人税収も増えようが、困る困ると自治体首長に陳情するのは、主として関連業者であろう。地元住人は、道路が出来て、立派な公民館が建てば、(ほ~お、こんな立派な道やら、公民館やら一杯建ててくれて今度の知事様は、立派な知事さんじゃあ~) 程度の認識だろう。財源云々を言うのなら、会計検査院の報告がイカにイカされたのか教えて欲しいものだ。暫定といいながら、30数年も続けてなお更に10年続けようと図る愚は政権与党の無為無策の結果に過ぎない。角栄以来30数年に渡って、恒久予算として一般予算に計上されないのは決まった財源からの拠出には、厳しく査定されるがゆえの措置。暫定予算として、不明朗な用途のまま据え置きたいのであろう。維持の反対、賛成を唱えるものではない。ただその存在理由の曖昧さと、用途の不自然さを唱える国民の疑問に、顔面カワウソ大臣も自治体首長らも、共に応えようとしない事に対する鬱積から出る雑文と解して欲しい。吸血天下り蝙蝠のぶら下がり外郭団体の数が、霞ヶ関一の省庁ならではの固執ぶりに、その下心が透けて見える。 通販で、透け透けX線メガネを購入して、覗いてみたいものだ。 ****************************『中古のチューブやけんどな、サラピンみたいなもんじゃ、ほかさんと置いといたんじゃけど、安ぅしたげるわ 』(中古のチューブだけど、まだ新品みたいなもんだよ。捨てないで保管してたけど、安くしてあげるからね )得意そうにパンクロックの貴公子は、店奥の倉庫兼住宅に入った。『安ぅにしたげるわ』 の 『安ぅ』 が一体幾らになるのか、『北町奉行・遠山左衛門尉様、ご出座~』に鳴る太鼓 か、『段々よく鳴る(成る)法華の太鼓』 かと言わんばかりに胸の鼓動は高鳴っていた。パンク修理だけなら、高くても500円で済むだろうが、中古でもチューブの交換になると、想像もつかなかった。パンクロックの貴公子がだらりんこと腕にぶら提げて店先に出現した。 もう少しで完結すると予告しながら、一向に終えようとする気がない。
2008.02.12
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遍路衣の 独り歩みて 野辺の菊 弘法も筆の誤りで会 駄洒落俳句の夕べ -15番札所賞特選 【選評】 野辺の菊に道を訊くかのように、遍路が独り巡礼の旅路を歩いていく 孤独な風情の中に、訊くと菊をかけたどんでん返しが秀逸である。 逆さに立てた自転車の傍らに座り込み、一心不乱に片手でペダルを回転させ続けていたお父さんが私を見上げた。『パンクかいな~?』「は、はい、そーです、○○から、ずーっと歩いて山越えですわ」『あは~ン、そらせこいこっちゃな~、どら、これがしもたら、なおしたるけんな~』(アア、そりゃ大変だったね、 どれ、こちらの仕舞をつけたら修理してあげるよ。)と、ふにゃふにゃ した口調で、元の自転車の修理にかかった。『何処、行っとったんで~』「ああ、九州廻って、徳島へ帰る途中なんよ」『ほ~、九州でかい?九州っちゅうたら、ほらがいなこっちゃな~』お父さんの修理作業を見ながら、心の底では早く終われと願っているにも関わらず、つい調子に乗って、べらべらと苦労話を問わず語りに喋り始めた。悪い癖だ。 ペーストアンドコピーと擬音、擬態語の乱発で、お父さんの作業が滞り始めたのを見て始めて、余計な時間消費をしていることに気が付いた。本質は寡黙で、親戚筋でもクールで、シャイで渋いヤツと評判だった私だが、この旅の至る処で発揮せざるを得なくなった処世術が、身に着き過ぎた結果だ。此処では、如何に修理代金を安く済ませるかという事を一大テーマとするべきだったのだ。 現状の愛想振り撒き作戦でいくか、下手な水増し請求に断固反対型のクールで寡黙な高倉健的無愛想型を追及すべきか迷ったのだが、先ほどまでの洗練された標準語での会話は、お父さんにとって、理想の若い衆像という印象を与えてしまっていた。『こんなええ子は、まっちゃまに貰いたいくらいじゃな~』 という印象を、お父さんに刷り込んでしまったのだ。その印象を壊さず、値段交渉に於いて有利な条件を引き出すべく、健さんモードを何の未練もなくあっさりと捨てて、饒舌の権化と化した。「そう言や、昨日今日に、同じ様な自転車旅行をしとる狸を見んかったですか?」『狸?狸って、狸が自転車旅行しとるかいの?』「あ、いや、狸の顔をした男っちゅう意味やけども・・・」「なんせ、汚い格好して、これがまた狸と同じような顔してるんですわ」私の質問の仕方が悪かった。『いやあ、そんな狸の顔したような兄さんは見んじゃったけんど、それがどないかしたんかいの?』「一緒に廻っておったんじゃけど、まっちゃまの手前ではぐれてしもてね・・・」私は、首領様にしの君の失踪以来の出来事を、一気にまくしたてた。おまけに、そのお陰で手持ち不如意となったように脚色を加えたのだ。即ち、首領様が軍資金の大半を持ち去ったが如く、物語を作ったのだ。それは恥ずべき行動であった。普段なら美しい私の心根は、生まれて初めて嘘をこいた事実に、心の底から 笑った もとい、動揺したのだ。し、しかし正直な話、思い起こせば、私としてはその時は必死であった。最大2食分位の食費代を残すことを考えると、洗練さを増した持ち芸の二つや三つは披露してもよいと覚悟していた。勿論、洗練された芸と言えば、田中邦衛の顔真似 は外すことは出来ないが、他に、スクールメイツのステップを踏みながら、【ヤン坊,マー坊天気予報】 を歌うことだ。尚更に奥行きのある芸を出せと言われれば、8ビートと16ビートの使い分けによる阿波踊りである。そんな私の至芸を見せるまでもなく、自転車店オーナーの言うことにゃ、『にいちゃん、先にやったろわい。 急ぐんじゃもんな早う、しゃんしゃんやらまいと、にいちゃん、こまんなはるわな』(にいちゃん、、先回しで修理してあげるよ。急いでいるんだもんね早くさっさとやってあげないと、にいちゃんが困るだろうからね)『天国と地獄』 の天国の声を聞いた。「ええ、ほんまですか?そら助かりますわ、いやほんま」お父さんは、脚立を改良した手作りスタンドに、私の愛車をロックして後輪を浮かせ、いとも簡単にパンクの修理に取り掛かった。サイドバッグを外す手間もかからず、プロの手技とお道具への拘りの真髄を目の当たりにした。人は彼をパンクロックの貴公子と呼ぶ。 政治家へのオチョクリ水増しが無いと、これだけ短縮できることが分かった。しかし面白くないのだった。
2008.02.02
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つじ辻で 振りかへりつつ 夏の逝く 国際忍者養成学園 みんなでスッパイ俳句コンクール 諜報賞入選作 【解説】 暑かった夏も、村の辻を名残惜しむように、少しづつ去っていく それはそれで嬉しいことであった。少なくとも肉体的な関門の一つは通過したのだ。結局10km程の登りだったのだろうか、何とか乗り越えたのだ。残るは、170kmの踏破と、その途中にあるポン愛媛・夢の渦潮徳島の県境にあるもうひとつの峠越えであった。その前後は比較的、走行しやすい道路が続くのを既に逆に走っていた経験から知っていた。走り続ければ、夜中だろうが明け方であろうが、我が家に辿り付けるのだ。しかし、パンクの修理を完了するという問題に思いが至るやいなや、腰砕けとなり、路端に座り込んだ。指でつつかれて丸くなる団子虫のように丸くなって、気力も腐り始めていた。♪ くさ~る、くさ~る、くさ~る ♪ 化粧品があるらしい。TVCMでは、確かにそう歌っている。なるほど、防腐剤を含まない製品なのか、製品がフレッシュであることを前面に押し出したインパクトの強いセールスコピーかもしれない。奥様、お嬢ちゃまには、試して合点の製品かどうかよく知らないのだが、私にとっては、最初耳にした時は、くさ~い、くさ~い、くさ~いと聞こえた事実は別として、腐るのは化粧品だけでなく、人間も腐るし、人間である役人も死ねば腐る。しかし死ななくても精神は腐る。内閣官房の情報調査室でいる役人の精神も腐ったのである。相手はロシア大使館の何等書記官かは知らないが、職務上知り得た日本国内の経済、国勢情報を金で売るという、昔風に言えば売国行為をしたいたのだ。早く言えばスパイ行為と同様であり、国情次第では スパイとは死刑処分も有り得る程、重い逆賊行為なのである。 相手は公称は大使館員でもSVR(ロシア対外情報庁)所属の大使館員。ソビエト連邦が存在していた時代では、悪名高いKGBの後継機関のようなものである。国を売る腐った行為の目的が金と色欲、物欲という個人単位の享楽である。公務員としての職業倫理は腐敗し、国を危うくするかもしれない腐ったリンゴならぬリン菌を抱えていたのだ。ところで内閣官房内閣情報調査室とは一体何をやっている部門なのかというと基本的には内閣の重要政策に関する情報収集と分析、その他、調査に関する事務を 担当する部門である。 内閣情報官のもとで、国内、国際部門、経済部門の情報を収集し、内閣情報集約センターや内閣衛星情報センターで分担し、処理しているのだが、その中には、国際サイバーテロや、治安維持に関する情報なども扱われるものと考えても間違いないだろう。直接的な防諜機関としては公安調査庁があり、この件も公安の捜査の結果である。公安調査庁は、日本の情報機関として、内閣情報調査室、警察庁(警備局)、 外務省(国際情報統括官組織)、防衛省(情報本部)で構成される、 内閣情報会議・合同情報会議の一員であり、独自の情報収集や分析活動を続けているが、 内閣に直結する情報調査部門にこんな腐れ果てた人物がいたのでは 防諜網も破れ放題であることを痛感したかもしれない。日本の防諜意識や能力の薄ら寒さは、防衛省の先日の情報漏洩事件も含め在上海総領事館員が2004年5月、中国人から女性問題に絡む罠(ハニートラップ)にかかり、機密情報提供を強要されたとの遺書を残して自殺した事件など、このところの危うさは、偏に国の職務を遂行しているという理念と自己を律する意思が欠けているという証左であろう。もうちかれた安倍ぇ~君が在任時に、首相官邸の外交機能を強化のために ぶち上げた 「米国のNSC(国家安全保障会議)」 の物真似設立構想があった。当時の広告塔、小池百合子首相補佐官(安全保障担当)は、米英仏を視察して構想をお勉強したらしいが、元より安保担当補佐官という米国の物真似体制が権限の不明瞭さを以って、本来の職責である塩崎官房長官との間で、軋轢が生じるのは自明である。互いにアメリカ風パフォーマンスを好む素人同士。その結果、何が生まれたのか? 内閣官房内閣情報調査室の職員の腐れ根性であったとは痛烈な皮肉である。 片や官房長官という重責にありながら、自己の組織をNSC並みに昇格すらさせられなかった。片や単なる研修外遊の無駄。立身出世欲の自己満足に過ぎなかったのだ。既存の組織を上手に使えぬ者が何故か長官とは・・・、理念もプロの職員も育たぬ訳だ。 最高責任者にしてからが、中途半端をして中途半端に辞めた。辞めたのは国民にとっては、快哉であるが、私にとっては快哉半分の気分である。 おちょくり甲斐があったのだ。快哉半分の峠超え。下り坂であっても、颯爽と駆け下りることが出来ないからだ。僅かに肉体的な楽を味わうだけで、結局徒歩で、重い自転車を支えながら歩くのだから逆に、手を離せば倒れる癖に、勝手に前方へ私を引っ張ろうとする自転車を引き止めながら歩くのだ。下りがそれほど楽になったとは思えない。この時ばかりは、ただ一歩一歩を機械的に運ぶだけで邪魔な障害物と言わんばかりに、すぐ傍らを通過するトラックが引き起こすツムジ風で、排ガス交じりの埃が巻き上がる。鼻で空気を吸うことができず、普段の私に似つかわしくなく、横顔が鯉のぼりの口のように、開いたままだった。そのせいで口の中は砂漠の砂の舌触り。朝食を(と言っても、食料は無かったのだが)摂ろうにも、山間部の国道沿いに店の姿もなく、ようやく午前9時になんなんとする時間では、名古屋や岐阜であるまいし、もー腹一杯でかんわモーニングサービスをする喫茶店などある筈も無い。そんな鬱々とした思いを更に朝青龍に追い討ち、止めを差されるが如く、「パンクは無料では直らない」現実に打ちのめされた。 1600円の残金でパンクの修理費に 『イカホドー♪』 などとバカを言ってられない状態だったのだ。一体幾らの料金になるのか分からないまま、残金を減らす訳にはいかない。また数km程の緩やかな勾配を繰り返しながら、ようやく垂直歩行感覚が甦ってきた。峠を越えて町場の入り口に着いたのだ。道路の両端に建つ商店や倉庫などの看板を丹念に確認しつつ、交差点があると、念の為、その左右の奥へ繋がる市道をも見晴るかした。民家ばかりである。自転車か、サイクルというキーワードで看板を確認しなければならない。念願の自転車店を見つけたのは、やや大きい交差点まできた時だった。交差点を渡る前に市道側の右を見渡し、渡り切って左側の店を見渡す。すぐに途切れる小規模な商店が数軒立ち並ぶ。その内の一軒の前には、自転車が何台も連ねられているのが見えた。スカターン農家の長 が言っていたように、国道沿いではなかったが、些細な違いなど、見つけた安堵の気持ちを考えれば、どうでもよかった。スキップでも阿波踊り でもしながら行きたい気持ちであった。近づくにつれ、間違いなく自転車屋であることが知れた。疲れたやろ?
2008.01.20
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ブログでご協力頂いた方々にお礼を申し上げます。もう、皆さんTV報道などで、ご存知かと思いますが、 クリスマス・イブに行方不明の発見にご協力をお願いしていた 12歳の岩田君が、8日、無事発見されました。千葉県の四街道という所で、自動車と接触事故があり、それで本人確認の結果、岩田君と判明したようです。不幸中の幸いで、軽傷だったとのことです。何れにしても、無事でよかったです。横浜市都筑区の自宅から千葉まで、野宿をしながら 自転車で移動していたようですが、大きな事故や犯罪に巻き込まれなくて、本当に良かったです。 改めてお礼申し上げます。 ともるーさん、フロントページの固定回付、本当にありがとうございました。 こちらでお知らせしていました。http://plaza.rakuten.co.jp/pintura/diary/200712240000/
2008.01.09
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あ、す、済みません・・・うっふっふっふ ふ、くだ の笑いを載せてしまいました。えっ、!! らくだの笑いですって? うっふっふっふっふ うまいこと言いますねぇ、うっふっふっふっふー 元旦からこいてしまいました。うっふっふ・・・ 性格もねじれてますって?福田の笑いだから、福笑いって安易すぎるじゃねーか とお怒りもごもっとも、セーフ(政府)もアウトですよね。反省します。ですからね、 私も申し上げているんですよ。連立しましょうよ。 大連立。 うっふっふ・・・2008年、夢にでるぞー いつも訪問して下さる有難い皆様方、タイトル騙しで、たまたま迷い込まれてお怒りの方、新年早々の鬼笑いで、「 そんなお前が好きだぜ 」 と言いながらご勘弁下さい。そんな訳で、まだブログを続けますので、本年もよろしくお願い申し上げます。
2007.12.31
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歳神も 越えよとばかりに 師走風 日本 政治屋連合 【 第60回高級料亭俳句大会 】 「金麦冷やして待ってるわ~賞」【 解説 】 慌しさばかりを感じさせるような歳の暮れに、師走の風までが 早く歳を越せよとばかりに歳神様を吹き煽るものよのう。【選者コメント :金奴ねえさん】 汚染は隠し通して、新年もまたいらしてね。あなたの金奴より また野球拳しましょうね♪あら、御代は税金につけときますわ 夏も終りの早朝とは言え、地球温暖化はまだSF小説界の見解であった。見事、その見解が当たっていたようであるが、私自身も、その時にゼイゼイと吐いた二酸化炭素がその進行を早めたという事実に、今となっては涙と後悔と反省の日々を送るばかりである。そんな私の謙虚な精神を逆撫でする議員もいる。 最大の二酸化炭素排出国である米国を除く京都議定書の発効に漕ぎ着けた功績を私のお陰よと環境行政の権威の如く振舞う元環境ファッション相だ。 (ファッションショーと読みます)自己過信がKY前防衛大臣並みに肥大していたのだ。 あの山田の案山子の菌の玉であった守屋を、『更迭できた功績は私だからこそ』 と 自画自賛するほど肥大していた。翌日には守屋元事務次官の管理主導体制に『オンナの直感で、これはよろしくない』 と 思ったそうだ。「オトコの直感で、こやつは危ない」 と私が思ったのもマスメディアを始めとして、奇妙に一目置いた評価に不気味な兆候を感じているからである。直感など無くとも、国会議員ともなれば、防衛省内部の裏表位は噂にも聞いていよう。ましてや官邸内部の閣僚の立場で、地検の内偵情報なんぞ知りえたであろう。それを直感だの、性差ゆえの能力と言わんばかりの言い換えに、性根の狡さを感じてしまう。 時系列を入れ替えるなよ、おい。時を翔る少女ではなく、時宜を利用するおばはん。しかし、私もその当時は過信亡者に化身していたのだ。そんな驕りと自己過信ぶりに酔い頭を使うことが出来なくなった私が、朦朧としてよたよたと自転車を押して登っていたのは、どうも、まっちゃま市に隣接する西条市へ至る中間の山地であったようだ。地図を持ち合わせていない私には、国道沿いに寂しく立つ地名標識に頼らざるを得ないが、地名が判っても、それが一体どの辺りのことなのか、距離感がつかめない。 登りがどれ位続くのかも知らずに、登り続けるのは苦痛以外の何物でもなく仮に距離感があっても、更に苦痛なのは何よりも後輪が足枷となっていた。パンクした後輪は、両側に吊り下げた荷物の重力により、塩辛のためにワタを抜かれた紋甲イカのように平たくなり路面への設置面積を増やし、それだけ摩擦係数は高くなり、最早、タイヤとしての回転機能を放棄していた。ニュートンと動摩擦力が相乗効果を持ち、私の足の平目筋に乳酸を溜め込むという、物理学と生物学の融合をもたらしたのだ。質量の垂直抗力と静止最大摩擦力に勾配が加算される場合、それは力学的に言うと、すんごい重いという話だ。丁度、果てしの無い海原を、只管、櫂を漕がされるガレーの奴隷漕ぎ手のように、いつ終わるとも知れない単純重労働を続けるのだ。例え平坦な道路になろうとも、路面の上の小石の様子までが、空気の抜けたタイヤを通して、振動が手のひらにもろに伝わる。パンクしたのが小さい穴としても、空気が抜けきったチューブは何十回と回転する度に、その穴を広げていくのだろうと暗澹たる気持ちを引きずりながら、一歩、また一歩と歩を進めるしかなかった。考えてみれば、旅の始めから2日目にこの道を小気味良く、走り抜けた筈なのだが、いっかな道の様子を思い出せない。早くも2週間が過ぎたのだ。 (それを1年もかけて書くわしが愛しい)身も心も絶好調で、まっちゃま観光港 を目指していた時の様子が陽炎のように浮かんでは、流れる汗に消える。渓谷のせせらぎを左に聞きながら辿る国道の標識に、記憶に残る【桜三里】 という文字通り桜の名所を示す文字を目にして、ようやく峠に近づいた事が知れた。この 【桜三里】 という味わいのある地名と、国道沿いに並ぶ桜並木を、春の旅なら愛でたものをと未練を残しながら 「ウッヒャッホー」と雄叫びの下、首領様にしの君を従え、瞬く間に駆け下りていった爽快さが、その落差を嘲るかのように甦る。ニヤニヤ笑いを浮かべた首領様にしの君のたこ焼き頬ッペまでが現れて後ろを向きで、お尻テンテンをしながら、スムースに坂を登っていく幻影。帰路にこんな苦しい旅が待ち構えようとは思いもよらなかった。季節が季節で桜が咲いていない国道は、そっけないもので渓谷沿いに、まだ熱を持たない風が吹き抜け、心地よさを感じることだけが救いであった。四国の大動脈とも言える国道沿いに、春の桜はさぞ色気を湛え街道を辿る者の目を楽しませることであろうが、往路の時に感じていた余裕の歩みが帰路に至っては、名所に気付くのも億劫な道程に成り代わっていた。それから1キロ程もクネりながら自転車を押し続けられたのは、後は下るばかりという安堵感の下で休憩をとる贅沢を味わいたいという気持ちだけであった。 まだ書くぞ・・・
2007.12.27
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クリスマスで幸せを感じている方も、不幸せを感じている方も少しの間だけでも、お力を貸していただけませんか?【粋兆のブログ】 さんから以下のブログ回覧がきました。 *****************ここからみなさんの力をお貸し下さい! 〓『◆捜索願いです◆』〓 12歳の男の子が、12月6日(木)から行方不明です... 大変なことが起きているようです。12歳の男の子が、行方不明です。 横浜市都筑区東山田 (港北ニュータウン)在住 岩田和輝(いわたかずき)君 皆様の力を貸して下さい。 お願いします... ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 良かったら、この日記をコピーして、貼り付けて日記を書き、 バトンのように回して頂けると、捜索出来る範囲も広がると思いますので、皆さんご協力を! ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 詳しい内容は以下のHPを見てください。 http://ns.mediagate.co.jp/kazukikun/ <連絡先>都筑警察署:生活安全課 TEL;045-949-0110 皆さんのご協力、宜しくお願いします。 ここを見て下さい 目撃情報を求めています。 みなさん、回してみて下さい。*********ここまで私のブログの柄ではないのですが、少しでも捜索のお役に立てば幸いです。 ご協力が可能なようでしたら、よろしくお願いいたします。
2007.12.24
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朝まだき 山かげの背ぞ 陽の温む 【解説】 朝というにはまだ早い時刻で、黒々とした山陰の背だけが、 僅かな陽光で暖められているものよのう ブログ開設1周年記念ひとり俳句大会 特典特賞作品より 「あーすんましぇん、自転車がパンクしてしもて・・・」機先を制して、奇襲攻撃をかけた私が近寄ってくるのを、電線雀のように縁側に並んで待ち構えている一家の長と思しき中年人に話かけた。『あゝ、うちの畑じゃけんど』婆さまが答えた。長はむっつりと黙って、私を凝視したままだ。坊主頭の小学生が私を見上げたまま、その足を使ってポールダンスをしている。「すんましぇん、勝手入り込んでしもて・・・「パンクで先に進めんようになったもんじゃけん」 私は時系列を二つほど入れ替えて説明した。 咄嗟の戦略であった。 突然のパンク発見という災難を上手に利用したのだ。そんな不利な状況を素早く有利に展開させる技を見て、人は、私を小池元防衛ファッション大臣の突発辞任戦略の男版だと謗る。こう書くと、訪問された方の中には、ああ、また偏見に基づく政治ネタが始まるのかと嘆息が聞こえそうである。しかし今回はその裏をかき別の機会に譲りたい。(タイミングを逸するのは残念であるが、書けば文字制限にかかる) 『はあ、パンクしよったんじゃ?ほら困ったもんじゃ』『ほれ見てみぃ。ほやけん、うちが言うとらぃ・・・あんな、この子な、ゆんべ石でもくせたろかい言うてな・・・ほんないじくされよばんのよって、うちが言うたんよ。』(それでね、この子が夕べ、石でも投げつけてやろうかって言うから・・・そんな意地悪な事を言わないでおきなさいと私が言ったのよ)『ほやって、あやしいやつが勝手にうちの畑でうろうろしとったら、そない思うじゃろが』長が不満そうに答えたが、すでに警戒が解けた口調に変わっていた。訳が飲み込めた農家一族は一気に饒舌になった。私の戦略勝ちである。ほくそえみながら、止めを刺した。 「心配おかけして、ほんまにすんましぇん」『かんまんよ、ほんで何処までいぬるんぞ?』(構わないよ、それで何処まで帰るの?)「今日中に徳島までいぬんですけど」『ほうかな~ 徳島までいぬんじゃ・・・』(そうなんだ~、徳島まで帰るんだ)『ほじゃけんど、パンクしてもたらだちまかんのう。』(しかしパンクしたんだったら埒があかないね)『このねきは自転車屋はひとっちゃ無いけんのぅえ』(この近所は、自転車屋は全然無いからねえ・・・)『○○町に下ればの、○○にはあろうが』『あゝほうじゃ、ほうじゃ、このまま一山越えたらの、次の村のとばにあるが、こまこうに言わんでもわかるけぇ』坂はえらいけどのぅえ』 (ああ、そうだそうだ、このまま国道を進んだら、次の村のとば口にあるけど、細かく言わなくてもわかるから。坂道はつらいけどね)良かった。 先には自転車屋はあるようだ。 時計を見た。まだ朝7時前・・・阿波徳島までの距離約180km 休まず走り続けても9時間余り。途中の険しい高低を差し引いても厳しい行程だ。最も肯定したくない行程。 厳しい行程に先立つ、愛車のケツ押し、自転車店を探し、パンク修理という、考えたくもない無益な時間。「ほな、探しもって行ってみますわ。」一時も無駄に過ごせない事情がじんわりと肉体に沁みこんできた。『おう、早ういなんと暮れてまうわぃ』(おお、早く帰らないと日が暮れてしまうよね)テントの傍らで、闇に向かって銀色の飛沫を飛ばしたことは伏せた。しかし、彼らは私が夜テントを張ったのを知っていたのだ。息子が石を投げつけてやろうかと言ってたという。してみると、彼らは私が闇に潜む魑魅魍魎の類に向かって抜き身で3mの放物線を描き出す技も眺めていたのかもしれない。妖怪に向かって、てんしき攻撃を備え、括約筋を激しく調節する様も目撃したのかも知れない。そんなわけで、私は早く逃げ去りたい思いを抱えながらもヘコヘコと米搗きバッタのように頭を下げ沈み込む後輪を苦労して持ち上げながら、畑から押し出していた。国道に出て尚も振り返っては、ハンドルに覆い被さるような姿勢で登りにかかった。坂道を押しながら歩を進めれば、パンクをした後輪にぶら下げた荷物が進行の邪魔をする。早くも額から這い落ちる雫が、彫りの深い眼窩に流れ込む不愉快さに、音を上げ始めた。昨夜の闇は跡形もなく、潜んでいた妖怪に魑魅魍魎も路傍の隅々まで行き渡る陽光を怖れて森の中に逃げ去った。着の身着のまま、パンクで空気が抜けたように精気も抜けて妖怪に勝ち名乗りを上げる気分も失せ、よろよろと鬼婆の去った峠道を這い登っていた。
2007.12.11
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欲望の案山子旅行記も終了寸前のここへきて、本筋から外れた記事が多くなった。今回は旅行記から寄り道に逸れる。如何にもブログの継続を願うが為の水増し記事のように見えるだろうが、その通りだ。 水増しの為の水増し記事。どうか、この掲載画像で心安けく御容赦願いたい。 うへぇ、うへぇ、うへぇへっへっへっへっへっへっへ あ、石を投げるのは止めてけれ!!あ、悪意は無い。 ただ見せびらかしたかったから・・・心貧しき者の、見栄張り根性とお笑い下され。 大人げの無い行為と蔑んで頂いて結構です。 しかし、私の水増し作業なら、訪問される方のお目汚しだけで済むだろうが、山ちゃんのやったことは会社ぐるみの盗人である。守屋の収賄容疑にのみスポットをあてるマスコミ論調に苛立ちを覚えるが故にする投稿である。単なる贈収賄行為で済む事件ではない事に、せめてもの注意を喚起したい。旅日記に政治ネタがそぐわないことは私も認識しているのだが、朝、目が覚めたら、自転車の後輪がパンクしてましてん。の一文節だけで片付くことを、一記事にして水増しすることを昔から 『山田洋やる』 と言うことは皆さんご存知のことと思う。地方によって、 『山田、ようやるで~ほんまに 』『山田、よう言わんわ~、』 と様々な水増し用途に使われてきた。 山田の案山子のように目立っていた。防衛庁と呼ばれていた時代から武器調達商社として目立っていた。皇室御用達の威光で売る老舗と同様、防衛省御用達商社として目立っていた。部外者ですら異常さに気付く事態を、周辺関係者が知らぬ存ぜぬと放置の法治。利害が絡めば皆黙す。何十年と目立ちながら、歴代事務次官、歴代長官、大臣の目には目立ってなかった。 山田、洋やられた。というのは嘘で、実はみんな知っとった~けど、知らん振りしてた~というのが、真相であろう。キャリアシステムの難関国家1種試験を通過して選別された優秀な方々が気付かぬ筈はない。本当に気付かなかったと冗談こく官僚の方々は完了している。上司に不正の臭い紛々を嗅ぎ付けても見て見ぬ振りは、御身の出世、何れの日にか同じ金弾掴まんと虎視眈々の狙い。武器調達の窓口が一社に集約される状況を不審に思う者の在らずは、不快、不可思議を超え、シビリアン・コントロールの城砦に開く大穴か、脱がずに出来るパンツの穴に喩うべきか。調達にあたり商社の見積りを唯々諾々と間に受ける素人臭さの間抜けさ故か、メーカーから直接買い付け可能な商取引を一企業に委託する愚は、狐目の男の一つ覚えの戯言か民で出来ることは民でやるを実践する忠義の心、官に在りか?民でやろうが、官がやろうが、つるんでいるなら民民ゼミの如き掛け声の無意味さを元総理の知性は感じ取ることすら適わない。<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<武器という特殊性ゆえに、取扱う商社もまた限定されると詭弁を弄す。 百歩譲ってその弁を認めても、現地価格の4倍に上る水増し見積りに気付かぬ計算嫌いでもあるまいに。 防衛調達審議会委員である某大学教授の言は専門を会計学としながらも、更に奇怪な弁解をする。『商社を通じて調達した装備品は、海外メーカーが 【原価】 開示に応じないことが多く、契約金額が妥当なのかどうか、検証しにくい』であるそうだが、当然だ。【原価】 を開示するメーカーは日本にも無いだろう。一体どこのメーカーが原価を開示するのだろうか。【原価】 ではなく、現地での 【標準販売価格】 がわかれば良いのだ。【販売価格】 を発表するのに不都合が生じる企業はない筈だ。商法上の販売代理店契約を盾に、それすらもメーカーが拒否するなら発注停止できる筈。 メーカーの拒否は米国国防産業への警鐘になる。 発注側の有利性を、何故行使しないのか?メーカーから山田洋行への販売価格がわかればその後の水増し操作が何処で行われたか分かる筈だ。仮に米国内で、メーカーが山田インターナショナルへ販売し、山田インターナショナルが山田洋行へ輸出するというルートをとったとしても、その販売価格が分かれば良いのである。公表できない筈があろうか?防衛省の調達武器として輸入手続上、特別配慮として申告価格は不明記で輸入許可がおりるとしても、現地で販売した価格をメーカーが隠すことは出来ない、仮に購入者と口裏を合わせても、メーカーが米国内の法人税の申告では、本来の価格を基に申告する筈ではないか。でなければ、メーカー自体も米国内で脱税行為を犯すこととなる。水増し操作が何処で行われたのかが問題なのだ。水増しは山田洋行乃至は、山田インターナショナルによって行われた操作である。でなければ、4倍という水増し数値がわかるのか?新聞は適当な数値をでっち上げたのか?何処から数値を拾ったのか?>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>防衛省だけではない。適正価格の裏付け確認の必要性すら認識できぬ知性なら存する価値の在りや無しや。不審を見て見ぬ振りが出来る官僚を、選良と呼ぶは愚かなマス・メディアのみ。野党議員の追求の尻馬に乗らざるを得ぬ調査能力欠如。欠如にあらずば放置に加担。マス・メディアの現代の進化は退化を意味す。***********************旅行記というには畏れ多いが、その途中で、しりあすホールの政治ネタを入れて水増しするのはほでなすではないかとの謗りは免れない。尻アスとは、英語訛りの重箱読みであるが、深刻な、とか真面目なという意味の形容詞である。従って、本記事も尻アスな投稿である故にご批判、ご非難のお言葉は尻ません。 更に言えば、現場で防衛職務につく職員を含めた非難ではない点を付記したい。
2007.11.30
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1,2,3,4.....いや、ラジオ体操をしている訳ではない。このところ妙に耳に残るメロディーがある。iPod nano のというおもちゃだか何だか知らないのだが、その製品のCMで流れる曲なのだが、その冒頭の歌詞がOne Two Three Four~♪ というフレーズなのである。 どうも頭から離れない。 何かあると、1,2,3,4・・・という部分が頭について離れない。掛け声のような歌詞にもかかわらず、落ち着いたしっとりした歌声と、抑揚が乏しいにも関わらず何とも美しいメロディーが、耳について離れない。絶叫調の歌ばかりが絶え間無く流れる昨今、この曲が一服の清涼感を与えてくれるのだ。One Two Three FourTell me that you love me moreSleepless long nightsThat is what my youth was forOld teenage hopes are alive at your doorLeft you with nothing but they want some moreOh, you're changing your heartOh, You know who you areカナダのシンガーソングライター Leslie Feist お洒落だぜ。あ~、わしが勝手に気に入っているだけです。だからわし以外の方は手を出したりしないで下さい。 そんな腰の低い私ではあった。故 川島英五なみに目立たぬように~♪はしゃがぬように、動作は小さく、 テントの折りたたみもそこそこに、パトロンがいきなりお出ましになったマンションのベランダから靴を両手にぶら下げて足音も立てずにお忍び出立する間男の腹積もりだったのだ。サドルバッグを荷台にかけると、自転車はグッと沈んだ。一斉放射される視線に気付かぬ素振りで、身支度を整えた。そっと自転車を押して進もうとした。 うっ、動かない。いつもより回しています~と傘の上で回る一升枡みたいに、タイヤが回らなくても不思議ではない。しかし、それにしても幾ら何でも円形のタイヤが回らないのは、どう考えてもおかしい。 後輪が引っ張られるのだ。車輪とハブの間に雑草でも噛み込んだのかと、後輪の中心部に目をやった。問題は中心部ではなかった。その周囲にあった。あははははははははははははははははははは。パパパッ、パンクゥ 何でや、何でやねん と、手の甲を90度横に振っても空を切るだけである。相方は居ない。相方こそが頼みの綱の【必携自転車パンク修理キット】。首領様にしの君は、伊予の山深くで狸汁の実になっている筈。頼みの綱は、昨夕猟師に食われた筈だ。失踪が明らかになった段階で、互いの所有物の優劣を極めて冷静に分析した筈だった私は、最後に勝負に負けたのだ。『別に・・・』 と言ったエリカのように罰を食らったのだ。互いに関知する対象ではない者同士が、片や罰を受けようが、鼻の前でパッと広げられた手の平から異様な臭気が広がろうが、胸の痛みを感ずることもないのだが、この場合、私が当事者だったのだ。罰を受けたショックは、私を畑の青首大根のように下半身が土中に埋め込まれ、菜っ葉だけを出して身動きできなくなる状況に追い込まれた。坊主頭の小僧がこちらを指差ししながら婆様に話しかけ婆様は気の無い独り言を呟き、こちらを訝しげに見ている。一瞬のスカ目でそんな様子を見て取った。スカ目?スカ目をご存知ない?ほら、ドッジボールで、顔だけあちゃらか方向に向けて、目だけは肝心のターゲットを盗み見るテクニックを標準語では、 「スカ目こく」 と言うのですが・・・この慌しく消えてしまいたい状況に輪(タイヤ)をかけて、ミツワ石鹸のように錯綜した難儀の輪に、慌てた。後輪部を見て、私はこの時ほどもぐらに化けたいと思った時はない。この時以外にも、もぐらに化けたいと思ったことはない。首領様にしの君であれば、狸としてもぐらであろうが、へっこであろうが化けられたであろうが、呉ではこんにゃくに化けたこともあるのだ。私の場合、残念ながら化けても精々ダビデの像くらいしかない。技術は要らない。ただ身動きせずに突っ立っていればそのままダビデの像となっていたからである。私を知る人は「そんなことはない」と、一言のもと吐き捨てるように否定する。「ダビデなら、何で腹が割れていない」そ、それは・・・そんな失礼な質問は、私は常に聞かなかったことにしてきた。百歩下がっても二百歩進む私には、この窮地を逆手にとって透明人間戦略を一瞬で切り捨てる決心をしたのだ。 次回も進まない。何故ならデジカメ画像をアップして全然旅行記とは関係無い記事を書くからだ。
2007.11.25
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スカターン、スカタン人を馬鹿にするのもええ加減にしとけよとおぼろげな頭の中で考えながら目が覚めた。お向かいさんが雨戸を勢い良く戸袋に押し込んでいる婆さまが、顔だけはこちらに向けたまま、手馴れた朝のルーチンをこなしている。手元は見なくとも、1分100ワードのオペレータのようにクールに雨戸を横に送り続ける老婆。目が合った。見詰め合う二人。見つめあう恋 【There's A Kind Of Hush】Herman's Hermitsではなく、The Carpenters でもなく当時思いっきり流行っていた曲名ではない。いきなり出現した、野原のザニーズ風好青年の姿。その時、いきなり鼻孔の中と喉の奥に針ネズミでも走り始めたかと思うような痛痒感が走り肺の中の呼気を一挙に吐き出してしまった。 スカタンと呼ばれて目覚めると同時に、鼻粘膜の乾燥した引き攣りに気が付いていたが、次の瞬間に婆さまと視線を絡み合わせていた。そして片や、夜な夜な包丁を研ぐ蓬髪の老婆ではなく、また片や、いきなり地球に黄色い船で舞い降りたエイリアンではなく美貌のザニーズ風好青年。そしてお互いを確認しあったと同時に、婆さまは、女学生の頃の初恋の君に偶然出くわしたかのように皺だらけの頬をタンニン酸のように染めて、羞にかむ風情で部屋の奥へと逃げ込んだ。テントの中は、八代亜紀のスタジオ録画のステージのように、足元からもやっていた。しかし、それはドライアイスの演出効果によるスモークではなく、燃え尽きた蚊取り線香安全皿キットSK-1から発生したものだった。フラップに隙間を開けていても、換気効果は発揮されずに2立米ほどの容積の中に、大日本除虫菊株式会社製の蚊取り線香が6時間をかけて発生させた煙であった。よくよく考えれば、私は燻されたのだ。ハムや鮭でもあるまいに。それも、桜のチップで燻されたならまだしも、除虫菊で燻された。闇の中の化け物に首を刎ねられることはなかったものの蚊取り線香に喉を燻し切られたのだ。現代のドーム式テントのように換気口などの文化的改良点などある筈もなく、開け放しでもしない限り、内部空気が還流するわけではないのだ。この夜までは、毎夜スプレー式キンチョーるで済ますことができていたが、悪魔のような首領様にしの君が持ち逃げしていたのだ。蚊取り線香安全皿キットSK-1は緊急用であった。スカタンで目覚めた私を襲ったものは、100本のタバコを口に咥え、一挙に火をつけたようなえがらっぽさであった。連続した咳で、蚊を殺す能力も、濃度次第では人間にも有毒であろう。線香が目にしみる。 【Smoke gets in your eyes.】確かに煙が目に沁みた。プラターズが蚊取り線香を知っていたかどうかは考察できなかった。何故ならようやく咳き込みが納まり雨戸を全開にした窓に、鈴なりになって、こちらを見ている農家の一族が涙で咽ぶ目に入ったからだ。私を何者だと思って見ていたのか判らないが、突然、野原に現れたザニーズの歌って踊れるチンドン小僧か、越後の角兵衛獅子かと考えたのは想像に難くない。奥へ逃げた婆さまが、タレントが野原に居ると家族中に触れ回ったに違いない。 ふと、思い当たったのは、この野原がひょっとしてこの農家の敷地ではないかということであった。焦ったのだ。 焦った私は取りも直さず、テェーシャツを引き被り今だこちらを見やる一族の視線を黙殺して、外に出た。腰を低く保ったまま手早く支柱を外し、テント幕体を地面に広げ、何よりも3D立体型の印象を薄めて、2D平面にしようとした。最終的に婆さまの目の錯覚だと思わせたかったのだ。緑の休耕畑に広がった単に毛色の違った黄色い雑草として認識させようという意図であった。『婆あば、てごうとったらいけんぞな、目の錯覚じゃろが。誰っちゃおれへんわい。あすこの草の色がきない(黄色い)のは夏みかんの皮じゃろが。』(婆さん、からかってたらいけないよ。目の錯覚だろう?誰も居ないよ。あそこの草の色が黄色いのは、夏みかんの皮だよ)『なんちゃ、うちは嘘言うとれへんが~、もー、はがいたらし~な』(何も、わたしは嘘は言ってないよ、も~、歯痒いな~)という経過を辿ってほしかったのだ。そしてそのからくりに家族一同引っ掛かっている間に、こそこそと逃げ去ろうとしていたのだ。
2007.11.17
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声聞きて 誰かとぞおもふ 草を枕に 【解説】 草を枕の野宿旅にあっては、葉叢の音が人声になり 木立のそよぎが、古の落ち武者の無念のざわめきとなる。 「そ、そこに居るのは誰や、誰かおるんか~、こら!」と 大声で、誰何する語尾も震えがちになるものである。満たされた食欲で、活発になった二酸化炭素の生成と汗の臭い。これが呼び込むものは、黒白まだらの藪蚊である。シラスを摘み出す作業に専念しているのをいいことに、よしおのように、ウィ~ンと近寄って来ては飛び去る様子が不愉快な羽音の高さで認識できる。 これでもかとからかうように耳元を飛び交っては、テント内で、右から来て左に去り、顔や四肢の何れかで停止し、羽音もピタリと止まる。 止まった場所でこそこそと這い回っては、『あ、ここ吸い易そうやん』、とか、『こいつ、筋肉締まってっけど、ここだけは鍛えることはできんしな』と勝手な言い草をホザきながら、短パンの奥へ散歩を始める。いきなりだが、間寛平氏は、土佐宿毛(すくも)出身である。縮毛ではない。宿毛だ。 同じ四国内だからといって、『血ぃ吸うたろか~』 と鼻から喉に抜ける声を出して私の股間の柔肌を狙う非道振りを許せる筈はないが、間寛平氏は失礼ながらオスではないか。オスの蚊は刺さず、草花の甘い蜜を主食にするという習性に、何故か、他人ではないという友達意識まで、この昆虫のオスには感じてしまうのだ。しかしだ、しかし、そのメスは人間の血を吸う。こいつがぁあ、こいつがあ・・・このメス豚蚊が~私の柔肌に複雑怪奇な形状の口吻を突き刺し、自分の唾液を私の静脈に注入した代わりに私の血液の吸うmgを盗人してけつかると思うと、も~う許せなかった。 いくら異性とは言え、許せなかった。例え、阿波のなおみちゃんの前でもデレデレせず、常に礼儀正しい毅然とした姿勢を崩さなかった私が、蚊の雌の前で、しかも私の血を吸おうとするメス蚊に対し、淡い恋心を抱く筈もなく、血まみれの復讐を誓い、殺気を孕む眼差しで睨めつけたのだ。 血を吸われたあと赤くはれて痒くなるのは、このメス蚊の唾液が、私の肌にアレルギー反応を起こさしめるためだ。明日の走行時に、人の目を忍びながら股間を掻き毟る私が居ていい筈がない。そんな不条理があってはいけない。 股間が腫上がっても、金張してはいけない。金張にもってするには、キンチョー以外にない。手早く 蚊取り線香安全皿キット KS-1タイプにバカボンの頬っぺにあるような渦巻き型カートリッジ線香を装着した。深緑色の鳴門の渦巻きが如何にも除虫菊は強いぞと主張するかのように、とぐろを巻いていた。とぐろを巻いているのが、茶色でないのがさいわいだ。ペラペラ幕体とはいえ、外界と遮断されたテントの中で耳を澄まして、メス蚊の阿鼻叫喚振りを聞く私は笑った。「フェッヘっへェ~、ヘッヘェ~っだ。」よしおのようにクールに笑った。 顔の下からは懐中電灯の電池も乏しい薄灯り。蚊の不愉快な安眠妨害を怖れる必要は無くたった。今の私を何者が怖れさせることが出来ようか。少し開けたままのフラップの中に、農家の灯りが今なお見てとれる。かと言って、まだまだ灯りが消えては困る。何故かと問われても、それは言う気はない。 個人情報でもあるからだ。しかし、尿意の我慢も限界に来ていた。中で解き放つ訳にはいかない。「テントの中でしょん○んしておいたけんの」と笑いながら、唇のぶ厚い渡辺君に返却できるわけがない。農家の覚束ない灯りにだけ目をやり、いきなりの化け物の出現にも接して、決して、漏らさず、驚かず、毅然とした対応をしようと決心したのだ。そのために、落着いて述べるセリフもしっかりしたものでなくてはならない。「あ~、私は魚を食わないので、私を食ってもおいしくないですよ。 も~、肉臭くって・・・」「わたしは、あなたに何の悪意もありません、むしろあなたが好きです。あなたが、好きでぇーっつ目を見て下さい この私の目を、どーです、きれいな目でしょ。」そして、肉体の水分に栄養を加味した上で、土壌に還元する最中に、いきなり後ろから抱き付く化け物に対しては、尻から一発大音声のてんしき攻撃をすれば、絶対化け物も笑い出すのではないかと考えるに至っては、私自身一人笑いをしてしまい、その笑いが残っている間にさっさと、自然の営みをしてしまおうと、勢いをつけてテントを出た。足早にテントの反対側に向い、手早く剥き身を露出して、闇に潜む化け物目掛けて「喰らえ!」とばかりに3mの銀の弧を描きだしたのだ。絞り切り、フンフンと二拍子で振り切ると仕事もほぼ完了。臍下丹田に力を入れて、何時でもてんしき弾を放てる体制で安全な我が家に戻った。 手を洗うことなど一切頭から締め出していた。相変わらずフラップに隙間を開けたままにして、KS-1タイプを頭元にセットした。そして化け物にてんしき攻撃という究極のシチュエーションを思い出ながら、無理やり笑おうと集中することが効果があったのか、ぼんやりとした農家の灯りが消える前に、眠りに落ちることができたのは、さいわいであった。 恐怖に打ち勝った若き日の私だ。蚊取り線香で1日分稼いだ。
2007.11.11
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ポッ、ポッ、法~、鳩 ポッ法~地位が欲しいか そらやるぞ みんなで仲良く 法螺話友達の友達はあるかいだ 世界に広げよう蝶々の輪日本国内閣 法無蝶 あ法務大臣 鳩豆鉄砲あほうむ省職員 定例蝶礼での訓示蝶々コレクターの友達の友達は何故か水戸黄門劇場では、必ず登場する悪代官と同じ特徴の悪相の男が、現代に蘇ったかのように颯爽と現れた。 誠に笑わっしょる。ツッパリ中坊が、下級生をカツ上げする時の常套句『わしの友達の友達はの、○△会がバックじゃけんの~』と同レベルの感覚で誇る我が身のコネクション。『わたしの友達の友達は、あ、あるかいだ?あるかいだです』と、如何にも情報収集能力に長けた人物、大物を私の中に見出して欲しいという本音を、外国人記者クラブで晒してしまったお蝶子者の阿呆務大臣。ペンタゴンにうな丼、てんぷらを奢ってもらったお礼に嬉々として日本国内事情を、蝶が花粉を撒き散らすが如く暴露する阿呆さ加減も、歴代阿呆大臣の内でも蝶突出。嗚呼、あ法務大臣の思い出話に花咲く国会。お蝶子者です。 兄貴も泣きます。 古びた農家から20メーターも離れた一角に柔らかい絨緞を敷いたような草地を見つけた。国道から奥へ30メーターほどもあろうかと思える空き地。腰と肩甲骨に優しい空き地。その更に奥には、これより先は、人間の侵入を拒むかのような雑木林が人の世と魔界を区切る境界線であるかのように、左右に手を広げている。勿論、私が闇を恐れている訳ではない。その証拠に、一気に愛車を乗り入れて、草地の様子を確かめながら10歩ほど入り込んだ場所に最適のテントスポットを見つけたのだ。休耕地となって間が無いのか、雑草は10cmほどの高さで均質に敷き詰められた高級絨緞のように、寝心地を保障しているようだ。案の定土質も柔らかい。支柱は容易に深く挿さる。一人でテントを張れる。街道に並行するように向きを考えて、幕体の鳩目を支柱に差込み広げても、自立している。あ~、恐れていないが、奥まった雑木林側を視界に入れないように、街道に平行に幕体を張り、もう一本の支柱にも同じ手当てをすれば、後は四隅にペグを打ち、三角テントを形造る。支柱から張り綱を伸ばせば三角御殿の出来上がり。三角テントと呼んでいるが、早く言えばツェルトだ。山岳行での緊急避難用シェルター。軽量且つコンパクトが勝負の製品である。しかし、我々の旅ではそれで十分なのだ。黄金屋敷の完成だ。まことちゃんハウスは赤のボーダー柄だが、こちらはペラペラでも黄色も鮮やかな黄金ハウス扉側を農家に向ければ、雑木林は視界から遮られ、雨戸の隙間から漏れる光が闇を切り裂き、その僅かな灯りの中だけで団欒の気配を押し止めている。荷物を両手に早々に潜り込んだ。そして、みかんのお父さんに頂いた折詰め弁当の包みを厳かに、そして一抹の不安と共に開いたのだ。甘酸っぱい香りが鼻孔を擽り、口中に唾液アミラーゼが溢れかえり、今しがたまで、屋敷の準備に注意を振り向け押さえ込んでいた空腹が騒ぎ始めた。しかし、まだ私にはやることがあった。ランタン代わりの懐中電灯の灯りの元で、びっしり詰まった寿司飯に、油揚げ、人参、絹サヤ、牛蒡、高野豆腐に蒲鉾が錦糸玉子ごしに『食ってぇ、私を食ってぇ、早くぅ~』と訴えかける。目をすがめながら、舐めるように仔細に点検する。居た。 【今、そこにある危機】 を発見した。不安は的中した。我が子の偏食を矯正しようと、飯粒の中に混ぜ込む母心。長粒種のような飯粒より更に数倍長く、その先端に10ミクロンの点が、小泉チリどれんのように食いついている。シラス干しの姿が隠れていた。今再び食欲を抑え込み根気の要る作業を10分程も続けた。そして、ようやく一掴みほどのシラス干しを摘み出したのだ。母親の欺瞞に勝ったのだ。一杯食わされなかった。私が魚嫌いであることすら知らない、みかんの母さんに何の罪もなく、私は心の中で詫びながらこの上、干しえびまでばら撒かれていたりしたら、私は飢え死にだと思いながら、テントの外へばら撒いた。「早く、大きくなるんだよ~」心臆きなく一口目を口に放り込み、咀嚼をすれば、押さえ気味の酸味と甘味をバックに、煮汁の染みた具財がそれぞれの味を主張してお互いを引き立てるのだった。有り難味とほろ苦さを噛み締めながら、次第に空間が占める折り詰めを、名残惜しげに箸を進める。折角、国民が摂取した栄養分を吸い取ろうとする社保庁のダニのように、忍び込んだ薮蚊が襲い掛かる。追い払い、美しい素肌をはたきながら、平らげた。折り詰めの底に残る飯粒の二つ三つも残さず摘みとろうとする箸先が旨く定まらないのは、視界が涙腺からの水分でぼやけたからではなく、もち米の粘着力が邪魔をしただけだ。テントのフラップから覗けば、雨戸から洩れていた農家の明かりの量が少なくなっている。外に出て、歯を磨く気にもなれないのなら、後は眠るだけとなった自分に気がついた。空き地の草むらの中に張った黄色いテントの中で、益々乏しくなりつつある農家の灯りに向かって「寝るなあ、まだ寝るなあ!!」わしが眠るまでな・・・と心の中で叫ぶ私が居た。
2007.11.01
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眼鏡の弦を咥えるのは勝手である それを見た私が、「こ~の野郎、どの外タレの猿真似だ!」 と罵倒し、『あ、何だか癖になっちゃって・・・あは、あはは』 と誤魔化す野郎に 「ポーズつけてんじゃね~よ!」 と冷静に非難するのも勝手である。 みかんの父さんに頂いた折詰め弁当の存在が安心感を生み、空腹も忘れさせていた。食堂を探す必要もない。 どちらにしても、街道沿いに店を開けている食堂の姿など見当たらぬ。 あっても酒場の赤提灯。小1時間かからぬ内に、国道11号線に辿り着いた。時刻は8時を廻っていた。後はひたすらこの道を辿れば、郷里の阿波が待ち受けてくれるだけだ。 『路頭に迷い、男前の行き倒れが発見された』と愛媛リビング新聞の記事に載ることもない。『所持金1600円の癖に男前の行き倒れ』 などとテレビ愛媛で放映されることもない。記事を読んだり、視たりした愛媛県民にぷっとみかんの汁と種を鼻から噴出されたくない。もう迷うことは無くなったのだ。その思いに、伊予山中で猟師に鉄砲で撃たれたやも知れぬ首領様にしの君の安否など消し飛んでしまった。(狸汁は美味いんやろか ・・・でもちょっとアイツ臭そうやで・・・)地図は首領様が持っているという弱点は完全に解消されたのだ。街道に時折行き交う車の音も絶えてしまえば耳に届くは、ぐぇ~、ぐぇ~、げこげこげこポッポロピ~、シュクシュクト~ゼンショシマスゥ~と人類言語にはほど遠い野生の饗宴。 視界に入るのは色を消した左右の田畑と、奥まって黒々と朧な輪郭を描く山並み。街頭の灯りは頼り無げに、灯りの届かぬ場所の漆黒を際立たせるだけである。街道から細い畦道で自宅へ続く農家も周囲を防風林に囲まれ、密かな人の気配が洩れる灯りの中に揺れて、団欒を囲むか娯楽に興じるか、はたまた夜鍋仕事に勤しむか、畦道の途中で暖か味は消え去る。そんな農家の佇まいを横目に、『も~う、いいでしょう』 (3回目)と東野栄治郎が白いヤギひげをしごきながら、耳元で囁く。『ほら、そろそろ例のもの、あれですよ、あれ』走ることに夢中で、折角頂いた弁当を有難い、有難いと思うばかりで、食べることを失念していた。走れるだけ走り、テントを張ってその中でゆっくり食べようと決めていた。道路の傾斜を足に感じるようになった。そして、ぼんやりと見える道筋の先は井戸の奥底に見出だすような、未知の闇に吸い込まれていくばかりであった。国道もまた幅員を狭め、この先を進まば、地獄の鬼か、白髪を振り乱した人食い婆が夜中に包丁を研ぎ始めるぞと私を脅かし始めるのだ。安達太良山の山姥ではあるまいが、峠の上りは鬼が潜む。 闇夜に出てきて、通りかかる人を喰う。 恐るに足りない。力技では私の勝ちだ。相手は婦女子で、しかも老婆ではないか。なに、私はと言えば、そんな物の怪に一切の怖れを持たぬ、凛々しく、あまり非常時に役には立たない男前である以上、闇に潜む原始への恐怖などは、女子や子供の恐れるものであり、ポパイの様な上腕二等筋を持つ私は何でも来いの逞しいお兄さんであった。スーダラ節の歌詞をば正確に思い出す作業に集中し、力を込めて明るく口ずさむ私に怖れの気持ちなど微塵もなかった。しかし、しかしだ。 怖れはなくとも、弁当は有難く頂かなくてはいけない。もう夜も9時じゃあないか。食わねば!食わねばなんめ。ははは、食わなければ・・・見えない道筋の先を見てもしようがない。前を見ない様に、そしていそいそと左右に目を配り、焦って野営地を探したのだ。その決心は簡単に報われた。 しつこい男なので、まだ2回位書き足せそうだ。余分な話に逸れていくのを、意識的にやっているような気もする。
2007.10.23
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浮かぬ世の 沈みてもなほ 映ゆるらむ 波間ただよふ 伊予の月かも ----ウエストコースト四国在留日本人会 「短歌の夕べ」物品寄付入選作 亀田・アラレー思いも寄らず摂取出来た糖分で、疲れきった筋肉に一時的なグリコーゲン的大爆発を引き起こし、打ち身や筋肉痛を忘れさせてくれた。グリコが1粒300mなら、濃い目のカルピスなら何キロ走れるのか、因数分解理論を適用しながらペダルを漕いでいたのだ。地図は要所要所の目印が的確に指示されていた。結局引き返しているのであり、見覚えのある通りもある。ようやく私の国道56号線に無事乗り入れて、ひと心地付く。交差点の信号に寄り添う街灯が頼みの綱だった。午後7時を過ぎれば街道沿いにポツポツと現れる建物の電気は消え、その間の商店も民家も、あるか無しかの灯りを街道に投げかけるばかりである。ほぼ闇の中で、時折通りかかる車やダイハツミジェットのヘッドライトに孤独を救われる。ミジェットは方言で言うと、ミゼットとなるが、250cc位の今のバイク並みの排気量にもかかわらず軽オート三輪車である。ハンドルもバイクと同じ一文字。恐るべき軽トラックだった。のらくろのような顔をしていた。車の運転手は、逆に一瞬の恐怖に襲われていたかも知れない。夜闇の中、ヘッドライトに入る姿は不気味であったに違いなく追い抜きざま、ちらりと窺う盗み見に一瞬目に入った横顔の凛々しさにもまた驚く。こんな時間に、あんな大荷物を自転車に載せて、そんな男前が一体どんな事をしているんだろうと、浮かぶ疑問に こそあど言葉を駆使して驚いたかもしれない。少しでも阿波に近づくためには、走り続けるしかないのだ。具合が悪かろうが、ペダルを漕ぎ続けなければその距離は縮まらないのだ。その内に道を同じくする首領様にしの君とばったり出会う可能性も無いとは言えない。今夜は可能な限り走るぞと、決意を胸に気を引き締めた。次に国道11号線へと抜けるショートカットの起点をどうにか見つけた時であった。『ぅおーい、ぅおーい』地を這うように不気味な呼び声らしきものが耳に届く。恐怖ではない。恐怖に襲われて、後ろを振り返らなかった訳ではない。それは私の勝手であり、ペダルを漕ぐ足の回転が速くなったのは恐怖のせいではない。パンツの前が少し濡れたような感触を覚えたのも恐怖のせいではない。私の勝手で濡らしただけである。聞きなれた2サイクルのパタパタ音に混じって、これまた聞き覚えのある声で『おーい、ちょっと待ってくれい』はっきりと右から左に通り抜けた瞬間に右側にカブが並んだ。先ほど、自宅の玄関で見送ってくれたみかんの父さんが再び出現したのだ。『ひしこで追わえてきたけんど、さらこいけん、なかなか追いつけんじゃったわい』(必死で追いかけたけど、素早いからなかなか追いつけなかったよ)「ええ、何か忘れもんでもしたんですかいな?」『ちゃうんよ!!あんのぅえ~、これ持って来たんよ』と差し出したビニール袋。(あれ、ま、まさかお土産か?)と思った私に『残り物ですまんけんど、チラシ寿司じゃけん弁当にはほてむきじゃ』 (お誂え向き)『粗末なもんじゃけんど、こらいてつか。いにしな、よばれてつかいよ。』(粗末なものだけど我慢してね、帰る途中で食べて下さいよ)『ほないぬけん、お道ように』(それじゃあ帰るから、ご安全に)(注:ご安全に! 建設現場見習い監督用語辞典より抜粋: ラジオ体操に引続き、各下請け工事業者の予定報告終了後 元請現場責任者の音頭で、みんな揃って唱和する掛け声)「ああ、あ、あ、あああ・・・」 思いがけず、親切が追いかけてきたのだ。押し売りではなく、純粋な善意に追いかけられたのはこれが初めてである。最上級のお礼の言葉を思い浮かべようとするが、思いがけずの事態に、口の中がまごまごするばかりでろくな言葉さえかけられず、パタパタ と ミリアム・マケバ のように去っていく みかんのお父さん の背中を見送るばかりであった。何か忘れているような気がしていたが、何よりもその度外れた心遣いに、走り出した私の脳髄は麻痺していたのだ。 伊予礼賛の心じゃから、真面目な記事となった。あと2回くらいで終わるじゃろうか。
2007.10.15
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里こころ 満ちてし止まむ 湯のけぶり 絵がテーマなのに、何で、半端な俳句もどきを ヒネっておるのかというご非難にお応えして、 比較的平気で一句ヒネッてしまいました。 そろそろ本格的な秋の訪れをミニスカート 身に感じ、季節の移り変わりに同期するかのように、 揺れ惑う心の動揺を抑えきれず、俳句に託す気持ちに 嘘はなく、本日はゆるやかで、穏やかな進行をしよう。 愛媛の真面目なお父さんに請われるまま可愛らしい日本家屋の門をくぐったと思いなせえ。居心地の良い居間に通したまま、台所の奥様に『おい、ちょっとひやい(冷い)ジュースだして』と声をかけている間に、回っていた扇風機の回転数を強にしようと、こっそり足の指を開いて伸ばしかけたが、すぐに、真面目なお父さんが再び顔を出した。足の指で、扇風機を強にしようと図っていたことに気がついた様子も無く、慌てて畏まった私を見てみかんお父さんが言った。『そがいな遠慮せんでよばんのよ』(そんな遠慮しなくてもいいよ)メガネをかけた奥様が盆を片手に居間に入ってきた。『まあ、お楽にどうぞ』「は、はい、図々しいに呼ばれまして、すんません」『どちらいか』(とんでもない)と言いながら向かい合ったソファーに座った。隣の みかんのお父さん が、八の字眉毛に細い目が線かと見紛う程に目を細めて奥様に言った。『兄さんな、自転車で九州一周して来よったんよ』『へ~、そら、がいなこっちゃ (すごい、頑健なことですね)ほ~、自転車でな・・・九州ずっと回ってきたんぞな。』奥様のへ~、ほ~という感嘆の掛け声が心地良い。「いや、ほんな大したこととちゃいますわ」大したことだと、もっともっと言って欲しくて正反対の言葉が出た。オレンジ色のポンジュースかと目をやると、案に相違して、恋人の味定番の白いカルピスであった。『あ、ま~どうぞ』勧められるまま、一気に飲み干したかった私は、如何にも2杯目を要求しているように見られても、阿波の民とはそんなに卑しんぼなのかと思われるのが嫌で、1/3ほどは残して、「あ~、美味いですわ、喉が渇いとったですけん」一杯では不足だとの、それとない要請を、如何に上手に みかんの奥様 の脳髄に沁み渡らせるかという命題に心を砕いた。『あ~、こらこら気が付かんで、そら喉も渇きようぞ、お代わりじゃ、お代わりじゃ』みかんの父さんが気が付いてくれた。「えぇえ~!ほんなに気ぃ遣わんで下さい」目で(二杯目はまだかいな)コールを撒き散らしながら、素早く残りのカルピスを飲み干した。 カチャカチャ音をたてる氷も、口に入れてやりたかった。折角の好意に甘えただけで、私がいやしいのではなかった。それを証明するかのように、再び氷が入った2杯目のカルピスは一気に呷りたいところを、ちびちびと、無理して飲んでいる風を装ったのである。 氷をポリポリ齧りたい衝動を抑えたのだ。『とわいとこまでいっちょったんね~』(えらい遠くまで行っておったんだね)夕餉の手を止めて、座り込んだみかんの奥様も前にして、中国地方から始まって、九州行脚のひと渡りを要領よく論旨明快、意味不明な問わず語りが済むまで30分も過ぎた頃、「ほな、そろそろ出発しますわ・・・」快適な家庭の味に浸りきって、親類の叔父さんの家で長居をして、小遣いが出て来るまで頑として腰を上げない小僧のように見えてしまうと思った思慮深い私は言った。『ほうじゃ地図じゃ、忘れちょったわい。国道11号に出る道ののぅえ、地図描いちゃるけんの』と自宅から国道までの詳細な地図を描き始めた。これでもかと言わんばかりに注意書きの多い地図を片手に、台所の奥様に、水の補給をもお願いした。他の県民ならいざしらず、(め、めしはまだですか?)と聞くには徳島県民には無理である。「ほなどうもお邪魔しまして、すんません」と料理を始めた奥様にも挨拶の声を掛けた。『なんちゃかんまん』(全然なんでもないよ)(国道11号に入ったら、即、空き地を探そう)と考えながら、玄関を出た。みかんが2個人揃って、玄関から見送ってくれた。『気ぃつけて帰ってないよ』「ほんまにありがとうございます」手を振りながら、(ほんまに、ええみかん人らや・・・) 【お断り】 風呂を炊くにおいに、ふと里心を掻き立てられ、望郷の念を新たに募らせるこころを詠んだのであり決して、あれ~、今入っているのは女子かなぁあ~、えへっ!と思って、ヒネッたのではありません。もうええ加減伊予弁には厭きたかいな?
2007.10.07
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行き暮れて 惑うバッタの 秋ゆれて ――― 日本全国 「俳句でヨイヨイ」 コンクール寄付入選作 朝生 世免人 先生 薄明かりを頼りに、道路の右側に沿った線路を走る電車が、一体何線なのか寄って確認してみようと、駅舎の姿を薄闇の中に捜し求める私は首領様の捜索を諦めるという重い妥協の産物に心をいたぶられながら、私の国道56号に戻り、もう少し先やろ、何ぼ何でも、にしの君の曲がった所はちょっと手前過ぎるでえと、自分を納得させながら道路標識やら、何らかの位置確認となり得る建築物を探しながら、右へ左に目を配っていた。それがいけなかった。 2両連結の電車の灯りに、家路を急ぐ乗客がちらほら見えて、余計に里心が美しい胸の内を抉る。2サイクルのけたたましい音が、右から左に抜けていく ♪私を追い抜きざま、右から左に抜けていく ♪停止しただほんスーパーカブを運転していたのは白い開襟シャツを着た中年のお父さんであった。をいをい・・・また職務質問かよと 私は脱力感の余り、ご老公までが口を開けて放心状態になりそうになるのを、凛々しく括約筋に力を込め、毅然と停止した。『何処へ行くんぞな、もし』天孫降臨。 みかんの皮を被った伊予のおとうさん。『どがいしたんぞ?』「徳島方面に行きたいんですけど・・・」『そら兄ちゃん、へっちこ向いて走っちょるが・・・』(あさっての方向に走っているよ)『こんではいかまい』(これじゃあいかんですよ)・・・ほとんど変化なしおとうさんが真面目に指摘するには、私は既に、私の国道56号線を走っていたのではなかった。(何を馬鹿な事を言い出すんだ、みかんの皮、目に向けて絞ったろか)と思うのもあまりに自然な感情の発露であろう。『ここは、国道とちゃうけんの』『にいちゃん、何処からきたんぞ?』私は、ご指摘に従い、慌ててまごまごと説明をした。決して屁下手こいた事実の隠蔽にまごまごしたのではない。とんでも方向を走っている事情について連れの失踪と、今後の予定と、九州一周土産話の内、何を優先させて説明するべきか迷っただけのことだ。絶対、自己の方向音痴による迷走ぶりを糊塗せんがために言い訳を繕うとした訳ではない。「いやあ、連れとはぐれてしもてからに、探しとったんですが、徳島方面に行けば追いつけるかなと思うてたんですけんど・・・」『そりゃあ困ったことになってちぇっね うちんとこ寄ってみまいや?』(私の家によってみますか?)『もうこのねき(近く)やけん、ひやい(冷たい)もんでも飲んで、ほんでのぅぇえ、休んでいき・・・土産話聴かせてよ。』私はこの機会を活用すべきか、首領様捜索を尚も続けるのか、苦しみ抜いて考え、「あ、はい、ありがとうございます」あっさり2秒で苦渋の決断した。 /ヾ首領様にしの君とて逆の立場であれば、今正に、同じかそれ以上の喜び組配属に近い特典を貰ったかのごとく旧タイプのストッキングを穿いて、ビキニ水着でも着用しかねない。 そんな嬉しい申し出には、頭頂部に鶏の羽飾りのいでたちでも厭わない筈だ。それが首領様だ。核を取引材料に使わなくても、マダム米が無償米を供与し、或いは軟弱蛭が、角もそのまま王手飛車取り、参りましたと投了する位、首領様に都合が良い話だ。私が友を見限る時間が余りに短すぎるとの非難は的を外れている。私の自転車に併走して、ゆらゆらと走るカブの危うさにヒヤリ・ハット活動を励行する工事現場の監督のように指差し確認をしながら、周囲に注意を払い、併走という道路交通法違反をびくびくしながら犯していたのだ。住宅街へと案内つきで踏み込んだのだ。もう、追いつかない。 よく見ると、何だか貼り合わせの脅迫状の文面みたいだわ・・・・
2007.10.01
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にしの君が居ないっ!・・・・ 標準語に言い換えると、にしの君がおれへんっ! ・・・というのが正しい表現になる。 そんな些細な事はさておき、本当に、首領様にしの君が目の前から、その汚い尻姿を消したのだ。よりによって、又もや伊予である。故郷を出発して翌日には伊予で、迷走・遁走した首領様である。その時の遁走の原因は、首領様の異性に対する自意識過剰が故の暴走・遁走・迷走であったのが証明されたのだが。今回は、意識すべき若き女子の姿など皆無であり、夕方7時ともなれば、伊予の女子にとっては就寝時間である。朝が早いのである。やはり真面目な愛媛なのである。(まあ、愛媛の皆さん、ここはひとつ、話しの流れでそういうことで)話が飛んだが、とにかく首領様にしの君は消えたのである。「ちっ!ほんま何処行っきょったんじゃ、ぼけが」 舌打ちと罵倒の言葉が止めもなく流れ出た。罵倒しても、どことなく品の良さが見えてしまうのだ。どうにも隠しようが無い上品さが私の弱点であった。もっと厳しくあらねば。引き返しながら、一体、私の国道56号線上の何処で首領様が逸れて行ったのか、街道の横道がある度に目をすがめ、遥か先を走り去る狸の姿を追い求め、それらしき脇道に逸れては追って、また引き返し何度か繰り返して、やっと首領様の失踪が本物であると自分を納得させようとしつつも、まだ捜索をすべきではないかという、ジレンマに陥っていた。そして、首領様と私の置かれた情勢に優劣をつけ始めている自分に気がついて、疲れきっているにも拘らず尚も美しい顔面を赤らめた。 テントは私が搭載していた・・・やったあ! 蚊取り線香と、タオルケット・・・わしのもんじゃ・・うひゃほ毛布は首領様だ・・・・・・ちっ!地図は首領様が持っている・・・ちっ!自転車修理キットは・・・・・・クソ、アホたれが!所持金は共に、1600円・・共同管理費は精算してしまっていた。 一生の不覚だ。飯盒も平等に1個づづ・・・米は無いので何の意味も無い。 即席コーヒーも使い果たしとあっては、 湯を沸かす意味も無い 【私が証明です。】 と、連呼する玉葱おばはんの存在と同じくらい意味が無い。 殆ど、同じ厳しい環境下に置かれてしまった事実に気がついた。二人であれば、困難も乗り切れる場合が多い。たこ焼きを頬っぺに1個づつ張り付けたような首領様にしの君も、同様な戦力比較をする情景が頭の中に浮かぶ。(大丈夫かいな、にしの君!このままほったらかしても、無事に阿波に帰り着けるかいな・・・)世話の焼ける傲慢無礼で粗暴で、大食らいで、そのくせ、ちっとも女子にもてない首領様のことが心配になってきた。毎朝起床と共に落とす屁ホ丼だけが、存在証明であったにしの君ではあるが、それでも安否が気遣われてしかたがない。そして、小郡で二度目に失踪した時と同じように首領様にしの君のご両親に、その失踪に理由と弁明の言葉を探し始めたのだ。「へい、ご両親の手前、どうにも相済まぬこってすが、私という立派な若武者が付いていながら、誠に申し訳ないお知らせに参りました。」「不本意ながら、ご子息の失踪後の安否は不確かなれども、伊予の国にて、四国へ着いた喜びに、狸の舞に日の丸扇子。片手に打ち振り、サドル立ち。しっかりするんだ、にしの君!たこ焼き頬っぺをペシペシ叩けど、狂気は覚めやらず、こんな所で踊っていれば、茶釜に落ちて火傷をするぞ。頑張れ、頑張れ にしの君!とばかりに無理矢理飲ませた天狗十王精。その効能や、いや増すばかり、強烈至極の余り、女人にあらせば、顔赤らむほどの勢いで頓送せるにより、今頃は伊予山中に踏み込めば、猟師に鉄砲で撃たれて、狸汁の実になったことは疑いもなく、この度衷心よりお見舞いに参りました。」これで十分だろう。 私は納得し、深い満足の溜息を洩らした。この洗練された陳謝の文言を唱えれば、また前事件の時と同じく電信柱の灯りを頼りに地図を拡げる首領様の不気味な姿を発見するのでは・・・という甘い認識に頼っていたのだ。このブログと同じように、終わらせたくないがため何かと余談やら、下ネタ川柳やら、詠み人知らずのお下劣短歌を捻り出す姑息さが日替わり辞任やら、親分選挙に縄張り配分。残りたくば風見鳥 吹けよ神風、回る間に時を稼ぎて民を騙る、そう、あの党と同じような甘い根性だと私は言いたかった・。
2007.09.26
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欺けど、満ち寄せ来たる 世の潮に 身を隠しても 尻 知りの弛みぞ 平凡パンツ 臭秋季特選下ネタ川柳コンクール落選作より 今日の日記は、ハードオイドドだ。一切お笑いの要素はない。私をお笑い系の人間だと勘違いしておられる方が多いようだが、私はお笑い系ではない。元々、ハードオイドドなのだ。ボイルドではない。オイドドだ。関西方面では、硬く締まった尻を意味する。古くは、ハメット・チャンドラー・ロス・マクドナルドの系譜を継ぐ一人称の探偵達を言うハードボイルドではない。古くは水戸のご老公から始まり、痒いい~~~の に至るハードおいどどの末裔なのだ。疲れていると言っても、首領様がむきになって走るペースに何とか追い付いていた。首領様にしてみれば、自分の守備範囲に帰り着いたような気分で、気が急くのか、珍しく一散に漕ぐ。無心に漕ぐ。何かに憑依されたかの如く、何かに急き立てられるかの如く停止して地図で確認する様子もなく、無言で駆けていく。狸が狐に乗り移られることは無いと思う。寡聞にして聞かない。 しも だいすき よしこ先生だって聞いたこと無いと仰るであろう。それ位、距離を稼ぐことに取り付かれていたようだ。予想より早く、みかんの里を駆け抜けていたのだ。道も誤またず、2時間を突っ走った結果が伊予市まで残すところ10kmの地点まで迫っていたのだ。高知市を出て、松山市まで、わざわざ寄り道をするかのようにウェストコーストをなぞりながら半周する長い国道。ウェストコーストとは西海岸である。東海岸の主要都市は、ニューヨーク市ではない。はっきり言うと徳島市だ。誰が片腹痛しと笑えようか。今私は西海岸から東海岸への旅をしているのだ。 それがルート56号線。首領様のすぐ後ろまで迫って、声をかけた。「にしの君、国道56号やて、わしの国道や」『・・・・・』「何か言うこと無い?」「5・6や、5・6・・・何か気ぃ付けへんか?」またもや、返ってきたのは黙殺と真横に位置する狸の丸目だけ。「誕生日やがな、わしの・・・5月6日やで、56やん」『へっ!』首領様は、そんな偶然のこじつけには毛一筋の興味も示さず、『へっ!』 だけで済ませてしまった。確かに目出度くもなんともない。が、何でも運命付けようとする私のロマンティシズムはへこたれなかった。「何やら、国道もわしの到着を祝福してるんやな」『しょむない事言わんと、食堂探せや、食堂!!』焦りさえ浮かべた顔に、無愛想という字が貼り付いていた。結局食欲だったのだ、別府港のうどんの効力も失せて、食を確保するという欲に憑依かれていただけだった。もっとも、国道56号線の途中はほとんど1本道。迷う場所としては、大洲の中心街くらいしかないといっても、狸首領様にとりついた物の怪のような食欲が導いてくれたのか、効を奏したことは間違いない。しかしその夜、結局、私は食堂でご馳走を食べることは無かった。食堂を見つける前に、首領様を見つけなければならなくなったのだ。そうだ、これでこの旅3度目の首領様失踪事件に出くわしたのだ。それもこれも、首領様にしの君の食欲に端を発するものであった。前記事で予告した通り、人間の場合は神隠しであり、狸の場合は・・・結論が出ていない。神隠しならぬ、金隠しの裏技に耽る者常に隠れ、常に隠す朝な夕なに真をひた隠す技を磨き、黒塀の内側に奸智を凝らす。三億を強奪し隠れおおせた盗人者のありせば三億の脱税遡及を恐れて慣例の入院する者あり。四面楚歌なら、よろず病に療養の名に隠れ、噂の消える75日間身を潜め歎異抄に逃がるる道を知り、尚ほ、逃げんとぞする燃殻に、誰ぞ、声の掛けるべし。寄らしむべし、知らしむべしの選良根性。土下座の裏での権勢欲。秋は腹をあほりたて、漫画の知恵で政り事。 不完全燃焼 伊予市からまっちゃまし(松山市)までは15km程あるがまっちゃま市内に入る必要はなく、途中から阿波に繋がる国道11号線への抜け道を通るのだ。首領様の姿を見失ったのは、その抜け道と国道56号線の付け根であった。早く言えば、私が曲り所に気付かずそのまま国道を走り続けたが故の出来事だった。もっと早く言えば、私が道を間違えた。私が道を間違えたと気が付いたのは、首領様の姿を見失って5分程過ぎてからであった。
2007.09.20
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凛として 民にその音の 響くまじ 鳴るは風鈴 不倫の輪(リン) 岡山県風鈴疑惑究明委員会 風俗川柳コンクール落選作より 神隠しか・・・否、人間なら神隠しであろうが狸は・・・・釣瓶落としというにはまだ早い季節であるが、8月も暮れ方になれば、陽も翳り1日の終わりの始まりを告げて気分は高揚の極みから徐々に陰鬱の底へと下りつつある。私がその美しい肉体各所に痛みを抱き、ともすれば路傍に倒れ込んで横たわりたいという軟弱さを最大限、顔と体全体で表現して、 へにゃら、へにゃら とペダルを漕ぐ一方、何故か首領様にしの君は、精力的な狸の顔をしていた。行程及び財務管理官としての役職を立派に務め上げ、領収書をコピーして遣い回すことなく、公明正大に入出金の記録をつけ、後々首領様から消えた保管金、二重計上、故意の無記帳ないしは着服の謗りを受ける懼れも無く、堂々と胸を張れるだけの業務をこなしたのだ。高校生にでも出来る。政治屋には出来ない。自己を律し、欲望を制御し、人格高潔である私だからこそ出来たとも言える。ほんの一時ではあるが、首領様が失踪して、共同管理金が私だけのものになった時も、決してオムライスやカツ丼に費消しようとしなかった高潔さ。腹の底でそう考えたとしても、実際にはそうしなかった私の健やかで清々しい性格や資質は変質することはなかった。そうまでして、厳しい統制経済生活の管理を強いてきた私もやや気抜けした状態でもあった。四国へ着いたということで、それまで張り詰めていた緊張感が弛んだようだ。 どれ位弛んだかと聞かれれば、姫のパンツ位と答えざるを得ない。だらしない秋の風鈴不倫男の垂れ込みでせっかく勝ち取った国民の信頼負託を傷つけるような結果をもたらす迷惑女の穿く 姫パンツ ほど弛かった。 (ひもパンツとも言う)トラを切っても、腐れ縁を叩っ切ることさえ出来なかった人間観察の底の浅さは、明鏡止水の心境として総理を辞任した黒ブチ眼鏡の揚げ茄子男と同じレベルか、股グラのワガママ気まま。自らを省みれば、肉欲の放恣さについて他を非難できる立場にはないものの、政り事を志し、公・私という二重の立場を露出する以上、好奇の対象ともなり、人倫を外れた放恣さが大衆より非難の的になることは、握りっ屁を嗅がされるより明らかである。姫は民衆の前で屁をこいたのである。否、姫が屁ヘタこいた~正に、オッパッ屁ーな姫であれば、垂れ込んだ相手の男は垂れた糞の如く語るに足りないのである。政治的観点から性事的考察を加えてみた。どうにも本日は常と違って、下品極まりない表現となったことをお詫びなんかしないよ~ その代わり自己批判として以下の言葉を挙げておこう。品性下劣な人格を攻撃する時には、自己の人格も股又、品性下劣となっていることを知るべし。 ---(有)中西材木店長男 ふとしさんの言葉 大幅に品性がアップしたところで、あへちゃん『わし、もうちかれた』的辞任の報が入ってきた。しかし、品性アップしたところなので、本日はもう語るまい。***********************************************************まじめに、まじめに ここから、一気に社会問題参加へのお誘いであります。参加と言っても、簡単です。 『ムコ多糖症』という病気を知ってますか? この病気は人間の中、ちいさい子たちに見られる病気です。 けれども、この『ムコ多糖症』はあまり世間で知られていません。-日本では300人くらい発病しておられるようです。つまり発病率が低く、社会的認知度が低いために、今厚生省やその他製薬会社がさまざまな理由をつけて、もっとも安全な投薬治療をするための薬の許可をだしてくれません。 『ムコ多糖症』は日々病状が悪くなる病気で、発症するとほとんどの人が10~15歳で亡くなります。 8月7日「SCHOOL OF LOCK」というラジオ番組で、湘南乃風の若旦那が語ってから私達に出来ることを考えました。 それで思いついたのがこのバトンという方法です。 5~6歳の子が厚生省にスーツ姿で出向いて、自分達が生きる為に必死に頭をさげてたりしています。 この子達を救うために私達ができる事は、この病気を多くの社会人に知ってもらって、早く薬が許可されるよう努力することだと思います。 みなさんご協力をお願いいたします。 【ムコ多糖症】ムコ多糖を分解する酵素が先天的に欠損しているため、体内に蓄積することでさまざまな異常が引き起こされる病気です。 多くの場合、身体や精神の発達遅滞、骨の変形、水頭症なども伴う。重症の場合は成人前に亡くなります。今のところ有効な治療法が無いため、 骨髄移植や遺伝子治療の臨床成果が待たれる病気の1つです。 ムコ多糖症支援ネットワークここをクリックするとムコ多糖症支援ネットワークに跳びます。★この本文を 日記に貼り付けてください。 ※善意あるブロガーさん達が何か力になれば...とバトンを手渡ししてます、お時間のある方はお願いいたします。 家庭や職場でも話題に上げいただけると、さらに広がって行くと思いますm(_ _)mムコ多糖症は、進行性の難病で、患者数は国内で二、三百人とも約千人とも推定されています。七つある病気の型のうち、I型の治療薬が保険適用の薬剤としてやっと販売され始めたばかりです。
2007.09.12
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このところ、前文にお詫びの文面が多いが、閣僚の厚かましくも、せこい伝票詐欺発覚による辞任事件が度重なり、国民にお詫びの言葉を述べる「私の内閣」「私の指揮下」総理大臣様の表情に一切の申し訳無さが見えないのとは異なり、心から、申し訳無さの余りドラえもんの表情で非難される前に誤っておけば何でも許されると思い込んでいる悪知恵の働く悪がきのように、お詫びを繰り返すのものであります。私の真摯さをご理解賜りたいです。誰に対してかというと、それは愛媛県民の皆様にであります。今回の記事は、一部フィクションであり、実在の愛媛県民の皆様、並びに関係各所の皆様には一切関係がないことを明確にしておきます。愛媛県民を決して阿諛するものにあらず、偏に私の御ふざけ根性、捻じ曲がった性格、卑俗な好奇心、横浜市反町ロマン座で日活ポルノ映画5本立て200円のオールナイト上映を徹夜して鑑賞することにより培われた猥褻な腹の底。しつこいイボのような偏執性に基ずく表現に過ぎない点を、お詫びに言葉に代えさせて頂きます。 今まで乗船していたフェリーを振り返って眺めやる私に『 松山(まっちゃま)位までは行き着かんとな・・・』首領様にしの君が言う。「ほやなあ、松山過ぎてからテント張る場所探そうで」しぶとく眺めやる私は上の空で返事を返す。『 晩飯はなるべく遅めにした方がええの 』やはりそうであった。船上ではほぼ晩飯のメニューを検討していたのだ。『明日家に着くまでしぇん円あったら十分やな』『晩飯にしぇん円も使えるで、ごっつおう(ご馳走)食えるわ、いや、ほんま』分析力と状況判断力と品位に欠けた発言であった。「ほんま、その通りやな、にしの君」『ビフテキ食おか!トンテキでもええけどな・・・』そんな事は有り得ないのだが、楽しい空想であった。***************************今日はほとんど走っていなかった首領様にしの君は、十分に英気を養っていた。生物学的知的好奇心まで満たされて元気一杯だった。骨折していてもサッカーに興じることができる位元気一杯だった。 (どんな医者やねん。)地獄の大分(ダイブ)により傷ついていた私は、一日を置いて、打ち身の各所に痛みを覚え始め、英気は下降し、性 精力も減退していた。まっちゃま過ぎる位距離を稼ごうと言ったもののそれは上の空で答えただけで、 本心は直ぐにでも空き地さえあればテントを張って寝転びたい心境であった。肉体的な痛みには強い方であったが、それは外傷に限られ内部で発生する苦痛は如何ともし難く、打ち身も深い影響を及ぼし始めていたのだ。まっちゃま まで約60km強の距離であるが、既に午後5時に近くともなれば、晩飯の時間を含むと4時間近い行程となる。暗闇で空き地を探し、最後のテントを張ることを考えると気が重くなるのも当たり前の話だ。かろうじて愛車に不都合は生じておらず首領様にしの君の荒療治が効を奏していたが、重い気持ちのままで、フェリー波止場を出ると八幡浜(当時は八幡浜町)のメインロードに入った。メインロードを挟んで南北に広がる町も周囲を巡る山並みに堰きとめられて、鄙びた港町の様相を見せ、時期的にまだ早い みかん畑 を心に思い描きながらペダルを漕ぐ。温州(うんしゅう)みかんの里でもあるこの地を唄ったのであろうか、この2、3年後に流行した 【みかんが実る頃】 という曲のメロディーとともに風景が甦る。藍 美代子 さんという歌手の初々しい声と情景が時期を違えていたとはいえ、今となっては抱き合せで甦ってくるのだ。抱き合うのが好きといえば好きだが、それはそれで・・・う、うれしい。だが、まじめなのである。海に向かった石積みの段々畑を飾る緑の中に 橙色 の斑点がまじめに日光浴をし、まじめに光合成をし、酸味と甘味をまじめに調整活動をしている愛媛のまじめなみかん なのである。それを原料にした ポン・ジュース が不真面目な訳がない。 ♪清く正しくたくましく みんなで作る良いみかん みかんは心の太陽だ 愛媛 愛媛 ポンジュースその ポンジュース でご飯を炊く愛媛人もまたまじめなのだ。 「あけぼのごはん」 と命名するくらいまじめだ。 学校給食に 「みかんごはん」 が出るのだから、それを食べてすくすく育つ小学生も おおまじめ。早弁するときの食べ物もみかんである。喧嘩をする時の武器もみかんである。どのように武器として使うのか?それは皮を剥き、実を絞って果汁をば相手の目に飛ばし、『 痛いぞな、もし 』 と言えば負けとなる勝負だ。それくらいまじめなみかんだから、日本野球発生の祖である正岡子規もボールはみかんではじめたのだ。第一、県民全員の顔がみかんなのである。これには私も驚いた。 驚いたと言いつつ、びっくり顔で強調するくらい驚いたのだ。水分をみかんだけで摂ると顔がみかんになるという。冬場、こたつに入って、みかんを3個立て続けで食べると指の爪先がみかん色に染まってくるが、その事実は、矢追純一氏の言を待たずとも、確かに愛媛県民の顔はみかんであることを証明している。 面白くなくても、笑え
2007.09.03
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