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随分間が空いたが、続いていたのだ。
切れぎれではあるものの、性懲りも無く同じようなスタイルで現れるブログ。
以前は一晩で一気に書き上げることが出来ていた記事を、
今では仕事にかこつけて、平然と1ヶ月の間を空けてしまう。
大した内容でもないのに、
(ほっといて)
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話題の政界人物の似顔絵と、記事を絡めようとする馬鹿げた試みを始めたせいだろうか。
更新のタイミングや話題性の一致を突き合わせていると、これが中々難しい。
そろそろアップせにゃならんと思っていても、
次から次へとザル法から垂れ流されてくる政界の馬鹿騒動。
タイトルを読めば、あの泥酔い元大臣のネタかと思われた方には、ごめんなさい。
あれだけ映像を見れば、もう酔ってしまいそうなので、
もう一人の中ガマ・・・・・中川氏の方の似顔絵にしたんですわ。
どれを虚仮にするのか悩めば、ハンドルが右に左に逸れて危ない。
右でもない、左でもない、適切なコース、 臨機応変に捌くのがよろしきかと。
但し、行く手に仕込まれた落下物(偽証・捏造)を避け、
いきなり飛び出す動物(特に、銀狐やら、森の熊)に注意を払い、
錯覚(世論誘導)に目を眩まされず、誠実にコースを選ぶべし。
それが、国民の取るべきハンドルかなと我が身に問う春。

集金力が高いだけなのか、その能力で一目置かれているのか、
しぶとく政局へ首だけ残そうとする銀狐への忠誠を現しているのか、
行政手腕が買われているのか、策士なのか、
派閥に属して、派閥内閥を作り、その罰からバツ位置に格下げとなった。
( はい、確かに駄洒落です。 おまけに似顔絵も面倒臭くなって、完成前でアップしました。)
ごめんねぇ、ごめんねぇ~
)
政治家が、本音を語る筈も無いし、
黒塀の内側で、追随者や仲間内に話すのも戦略だけであろう。
政治家に本音を期待するほど、皮相でもない。
発言をそのまま素で受け入れるほど、純でもない。
離党して新政党をつくる覚悟があれば、とっくに派閥も抜けていただろうが、
鮫の脳味噌から、嫌味しか言えないだけのお殿様に禅譲された派閥に残り、
二番目の男に甘んじている。
こけた小泉改革を踏襲し、麻生降ろしを画策しても、
同調・賛同者が、政権内ぶら下がりしか能が無い議員連にしてみれば、
山のものとも海のものとも知れぬ勢力を、追いかけるだけの気力すら見えない。
ひたすら官軍待ちの様子見連中というのが妥当な評価だろう。
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鮎喰(あくい)川
は吉野川の支流であり、徳島市営バスの終点でもあった。
川を越える地域に行くには、徳島バス(株)の路線に乗り換えるしかなかった。
この川が徳島市と、当時の名西(みょうざい)郡を区切る境界線のように流れていた。
そのためにか、この橋を渡って始めて旅の99%を終えたという感傷が湧いてきた。
今ではモータリゼーションの影響で、単なる通過ポイントに過ぎなくなったが、
十三世紀頃には、南東への流れの途中には 阿波一ノ宮城址 があり、
この地が 当時の阿波の中心部でもあったようだ。
四国征伐の勲功により、秀吉から阿波を領土として与えられた 蜂須賀家正(小六) が、
最初の居城としたのはこの城であるが、築城以来、様々な城主の入れ替わりが
あったようだ。 家正が、後の天正13年(1585)、現在の徳島城址に築城し、
以後、
明治8年(1875) まで徳島城として巨大な城下町を構築されていた (ようだ)
徳島市という大都会
へ入り込む前に、主ルートを辿る道より、
私にとっては、一番馴染み深いルートを通って帰宅する魅力が勝った。
・・・若い女子の出現率が高いのだ。
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大都会といっても、 二階建ての建物が林立する大都会 だ。
視界は極めて良好。
映画にもなった 【眉山】
のお尻側を、撫で回すように見ながら、
正面に回り込む道の周辺は 寺町
と呼ばれ、文字通り寺社や墓地が多い。
そのまま眉山の正面口まで来ると、 ロープウェイ乗り場
の玄関へと
続くアプローチである。
今は、 【阿波踊り会館】 という名称になっており、
阿波踊り演舞の常設会場として、季節を問わず阿波踊り演舞を見せている。
徳島と言えば、のべつ阿波踊りを踊っている県民と思われているようだが、
・・・・・その通りである。 違うかあ・・・・・
脱衣所から湯船まで、踊りながら入る訳ではありません。
茶碗に当たる箸の音がきっかけで、家族一同踊りだす訳でもないのです。
当時は階上に小振りの博物館を兼ねており、阿波を簡単に紹介していた。
市内のジオラマや、往古の武具や民具を展示しており、
小学校以来、縄張りにしていた定期コースであった。
ロープウェイは、乗り場である建物から出発して、
眉山山頂 へと客を運び上げ、山頂で客を拾って復路のロープに吊り下がる。
山頂に上がっても、細長い尾根道を削って無理矢理作り出した広場に
戦没者慰霊パゴダ塔と電波塔と、茶店がぽつねんとあるだけの、
およそ観光名所と呼ぶには寂しい光景であった。
(今では、温泉付きのかんぽの宿や、自然遊歩道など、そこそこに
施設の開発が進んでいるが、かんぽの宿は危うく政財界仲良しクラブを
代表する金貸し業者に叩き売られるところだったようだ )
それでも悪餓鬼小僧にとっては、冒険心をそそる山であり、
ロープウエイを使わずに、杣道(そまみち)と言うに相応しい登山道を駆け登り、
一番早く山頂に達するのかを競うのが流行っていた。
地上230mから見下ろす 【市中大パノラマ】 が呼び物と言えば言えた。
展望台の望遠鏡を覗けば見える我が家の物干し台の上で、阿波踊りを踊る
親父が見えるかもしれない、 その場合、合図の手段はないものかと子供心に思ったものだ。
ロマンを理解している児童の時代があったことを告白しておこう。
何の変哲も無い、只なだらかな外観を女性の眉に擬えて、
【眉山】 と命名した 万葉歌人は、当を得た感性の持ち主だったのだろう。
春ともなれば、山裾の周回道に沿って薄桃色の桜が咲き乱れ、
緩やかな山頂のカーブに相俟って、益々女性のたおやかな風情を際立たせる。
花見の折には、周回道は桟敷がずらりと並び、提灯も賑々しく
一気に阿波の春が始まるのだ。
これで完結なのに、生臭さ記事が多過ぎて… 2009.04.19 コメント(13)
それでも私は帰ってくるのよ 2009.02.10 コメント(14)
かおるちゃん、遅くなってごめんね~♪ 2009.01.24 コメント(20)