さくら咲く

さくら咲く

退院



体が楽になっていきました。

自分自身の体が回復していくにつれ、心も健康になっていく気がしました。

旦那に車椅子で外に連れていってもらえました。

もう点滴も付けていなかったし、安静にしている必要はもうないので、

何処でも自由に行けました。

病院の隣の公園まで押してもらいました。

木々の葉が生い茂っていて、蝉がミンミンとひっきりなし鳴いている声を聞き、心地良く感じました。

「夏になっていたのだな」

燦々と差す夏の太陽の光が新鮮でした。

太陽の光を浴びられることがどんなに有難いものかと感じました。

疲れていた心が癒されていくようでした。

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8月17日

私の希望で一日早く退院させて貰うことになりました。

出る前に私だけ、NICUに入らせてもらいました。

最後に子供がどんなところで亡くなっていったのか、知りたかったのです。

旦那は入りたくない、と言って拒否しました。

旦那はNICUで子供の最後を看取り、本当に辛い思いをしたのだと思います。


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黄色いエプロンを着て、マスクと帽子をかぶり、消毒し、中に入りました。

機械の付いた大きな保育器が10台ほどあり、

その重々しい雰囲気の部屋に圧倒されました。

元気な赤ちゃんの入る新生児室とは全く違いました。

私は一番手前の保育器を覗き込みました。

そこには手足の細い、小さな小さな赤ちゃんがいました。

衝撃的でした。

手足が細く、体が小さく、一瞬、

これが人間の子なの?

と思ってしまうほどでした。

おそらく、数百グラムしかない子なのでしょう。

私はそれまでNICUで生き続けている子を持つ親が

羨ましくてしょうがなかったし、

今でも羨ましい気持ちには変わりありません。

でも、生死をさ迷う我が子を見守り続けるのも、

私が考えているよりずっと辛いものかもしれない、と

思わされました。


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旦那と二人、荷物をまとめ、いよいよ病院を引き上げるときが来ました。

主治医の先生とお世話になった看護師さん4人が、

ホールまで見送りに来てくれました。

私は精一杯の笑顔を作り、お礼を言って、さよならの挨拶をしました。

皆、素敵な笑顔で見送ってくれました。


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病院を後にすると、

「全てが終わった」

という気持ちになりました。

「医者なんて、命を助けてくれたら神様だけど、

助けてくれなかったらただの人だよな」

旦那が言いました。

あの病院は辛い思い出の方が多い。

でも子供と最後の時間を過ごした場所でもあります。

退院して暫くの間は、立ち直れずにいましたが、

病院での子供との思い出はそんな私の一番の心の支えでした。

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