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2005年02月28日
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カテゴリ: ヨット
いまから150年前、日本近海に黒船が次々と出没し、
日本は太平の世から波乱に満ちた時代に移っていった。
そのさなか、1854年12月23日に
東海地方を大地震が襲い、
津波を伴って東海地方沿岸部に甚大な被害をもたらした。
特に伊豆半島先端の村々は壊滅的な打撃を受けた。

折しも伊豆下田には、
ロシアからプチャーチン提督率いる外交使節団を乗せた
ディアナ号が停泊していた。

船を移動させようとするが、津波に続く暴風雨に遭い沈没してしまう。

プチャーチンは、日ロ修好条約締結という使命に加えて、
異国での代用船の建造に取り組まなければならなかった。

一方幕府も、黒船の来航に対処するために、洋式外用船の建造技術を求めていた。
ディアナ号の代用船建造はよい機会であった。
ロシアの造船技術を習得するため、共同建造プロジェクトに賛同し、
惜しむことなく協力を申し出た。

この時のロシアは、お互いを理解し合い、敬意を払うことが船の完成により近付くということを身を持って知ったのであった。

(AEROFLOT Russian Airline パンフより)


*******************************************


28日の夜ヨット関係でお客さまが来道し、


その方の仲間たちは、日ロ修好150周年を記念して
ロシアへのクルージングを考えているとのこと。

その席でみんなに配られた資料の一文が上記です。

共同でつくった船は「ヘダ号」。

なにやらプロジェクトエックス風。




1

■日本造船の基礎となったヘダ号


2

■急遽戸田村に現れた作業場を見て


3

■ヘダ号に関わった人:
 モジャイスキー、ゴシケーヴィチ、橋耕斎、江川太郎左衛門&船大工


4

■いつものことですが、みなさん楽しそう。手前はボク。







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最終更新日  2005年03月01日 07時42分23秒
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